静岡発!地方再生論

地方になくてはならない中心市街地、商店街について真剣に考えています。
当ブログよりマーケティングデータとして活用していただければ幸いです。 また、ビジネス、特に小売業やPドラッカーについて勉強中です。

2017年12月

再訪中心市街地017・・秋田県秋田市(2017年9月)

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2015年10月以来、1年11ヶ月ぶりの秋田市。秋田駅の東口のクリニック開業と西口のテレビ局の移転開設は、駅前の一等地を所有するJR東日本の英断であり、仲小路の複合ビル建設は中心市街地活性化の起爆剤となることだろう。JR東日本が積極的に地方創生に取り組んでいる姿を垣間見た。

2015中心市街地探訪035・・秋田県秋田市
https://youtu.be/61VECbixpc8

【秋田駅東口のJR東日本所有地にクリニック】
(仮称)城東スポーツ整形クリニックは、JR秋田駅東口の南側のJR東日本が所有する約4,900㎡の敷地に、延床面積2,500㎡のクリニックを2018年春に完成させるという計画。この計画は秋田銀行や大学、行政機関などで構成され、地域活性化を目的とした「秋田プラチナタウン研究会」の一環として整備される。
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【秋田オーパがオープン】
店舗面積11,500㎡、地下1階から地上8階までを営業フロアとする商業施設で、2017年10月28日にオープンする。(2017年9月時点)ファッション関係を中心にアミューズメントやレストランなど、東北初出店の店舗を含め約60店が集まる。以前このビルは1974年にジャスコ秋田店としてオープンしたのが始まりで、その後1985年にはパレドゥー、1987年には秋田フォーラスになったが2017年2月26日に閉店し、この度オーパに業態転換する。
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【JR東日本秋田支社の完成と秋田放送が2019年に移転】
秋田西口の南側に位置するJR東日本秋田支社ビルが完成し、現在旧社屋の解体工事が進められ、その旧社屋跡地に秋田放送が移転して来る。JR東日本秋田支社ビルは、地上5階建て、延床面積6,250㎡の新社屋で、敷地内に分散していた建物を1棟に集約し2017年3月に完成した。秋田放送新社屋は、JR東日本秋田支社の北側約4,900㎡の敷地に地上3階建て、延床面積5,500㎡の社屋で2019年1月頃に完成し、2020年春の放送開始の予定。
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【仲小路の地上18階建て複合ビル建設を2018年7月に着手】
秋田市中通CCRC拠点整備事業は、秋田駅西口の仲小路沿いにある北都銀行と秋田信用金庫が所有する1,078㎡の敷地に、地上18階建て、延床面積8,100㎡の複合ビルを2018年7月に着手し2020年10月に完成させるという計画。地上1階から3階までのフロアには、銀行や信用金庫の店舗のほかクリニック、カフェなどが入り、4階以上は賃貸住宅と県外からの移住者を受け入れる分譲マンション。
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2017中心市街地探訪101・・長野県飯田市

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長野県の最南端に位置し、面積658.66㎢、人口は102,911人(2017.7.31)。古くは鎌倉時代の文献には飯田という地名は存在しており、江戸時代は飯田城の城下町、信州の経済集積地として栄えた。明治4年の廃藩置県で飯田藩は飯田県、その後、筑摩県を経て明治9年には長野県に統合されたが、下伊那郡役所など諸官庁が所在する伊那谷の中枢都市となった。明治22年(1889年)の町村制施行では伊那郡飯田町が成立し、昭和12年(1937年)には上飯田町と合併して飯田市が誕生した。戦後は、昭和22年の大火により「信州の小京都」と言われた市街地の7割が消失したが、その後、区画整理や裏界線などの整備により防火都市に生まれ変わり、近年では平成17年(2005年)に近隣2村を編入して現在の市域となった。
静岡県からのアクセスは、東海道新幹線もしくは東海道本線で豊橋まで行き、飯田線の「特急伊那路」に乗り換え、豊橋から飯田まで2時間30分。
中心市街地は、JR飯田駅から東側へ約800m付近までのエリア。
飯田の中心市街地は、かつての飯田城とその城下町が存在した丘の上にあり、長野県、静岡県、愛知県のそれぞれの県境に接する独自の文化を感じた。信州の小京都と呼ばれた古い町並みは、戦後間もない大火で消失してしまったが防火都市へと生まれ変わり、さらに2027年の開業を目指しているリニア中央新幹線は飯田にとって大きな転換期を迎えることだろう。同じくリニアが停車する甲府や中津川は、中央本線が乗り入れ、直接名古屋や東京などの大都市と結ばれている交通の要衝であるのに対し、ローカル線しかない飯田にとっては今までにない刺激を受けることは確実で、全国から脚光を浴びる大きなチャンスになるのではないかと思った。

【JR飯田駅】
飯田線が乗り入れ、1日当たりの乗車人員は959人(2015年度)。駅は2面3線の地上駅でホームは西側、駅舎が東側にある。改札口を出ると切符売り場などの駅施設や売店のほか観光案内所も併設されている。駅を出るとタクシー乗り場と一般乗降用ロータリーが北側、高速バスも乗り入れる路線バス乗り場が南側にあり、駅前周辺には土産物店などが入るビルが並んでいた。駅の西側は住宅街。
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【ピアゴ飯田駅前店】
店舗面積6,864㎡、地上1階から4階までを営業フロアとする商業施設。
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【栄小路】
南北約60m続く飲食店街で、焼肉店や居酒屋などが集まっている。
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【中央通り】
飯田駅前から、なだらかな下り勾配で東側へ約360m続き、主に居酒屋など飲食店が集まっている。
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【東中央通り】
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【りんご並木・飯田大火・裏界線】
りんご並木は、東中央通りの中央通り1丁目交差点から南側へ約310m続くりんごが植えられた防火帯道路で、戦後まもなく発生した飯田大火の復興事業として整備された。飯田大火は、昭和22年(1947年)4月に発生した市街地の4分の3にも及ぶ約60万㎡を消失した大火。防火帯道路の中央には、当時(1953年)飯田東中学校の生徒の発案によりりんごの苗木が40本植えられ、現在では大火復興のシンボルから街のシンボルとなり周辺には店舗などが建ち並んでいる。また、復興事業として、市民が土地を出し合って防火帯や避難経路の役割を持つ幅2メートル程の「裏界線」と呼ばれる道も整備された。
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【中央通り1丁目(歓楽街)】
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【トップヒルズ本町】
地下1階、地上10階建て、延床面積14,010㎡の複合ビルで、再開発事業として2001年7月に完成した。地上1階に食品スーパーのほか専門店、2階と3階には市役所の機関など公益施設、4階以上のフロアは分譲マンション。
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【飯田銀座商店街】
東中央通りから南側へ約230m続く片側式アーケードが設置された商店街。
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【トップヒルズ第二】
A棟、B棟、C棟、D棟、E棟の5棟からなる再開発ビルで、2006年に完成した。地上10階建てのA棟には1階に店舗、2階はオフィス、3階以上はマンション。地上9階建てのB棟は飯田信用金庫の本店、地上3階建てのC棟には川本喜八郎人形美術館などが入っている。
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【銀座堀端ビル】
地下1階、地上5階建て、延床面積5,600㎡の複合ビルで、2007年に完成した。1階に店舗、2階にはデイサービスや地域包括支援センター、3階にはケア付高齢者住宅が入り、4階と5階はマンション。
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【知久町商店街】
東から西側に向かって1丁目、2丁目、3丁目と続き、それぞれ片側式アーケードが設置されている商店街。
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【飯田市役所】
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【飯田市立動物園】
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【飯田商工会館】
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【長野県飯田合同庁舎】
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【飯田市立中央図書館】
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【飯田市美術博物館】
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【飯田城跡】
室町時代にこの地を治めていた豪族の坂西(ばんざい)氏が築いた平山城。戦国時代には徳川家康が関東に移った後、豊臣家臣の毛利秀頼により城郭の拡張と城下町が整備された。江戸時代以降は小笠原氏、脇坂氏と続き堀氏が幕末まで飯田藩を治めた。
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【赤門】
飯田城の桜丸御門で、明治の廃城令で徹底的に破却された飯田城に残された数少ない遺構。赤いベンガラで塗られた赤門は、加賀前田家の東大の赤門と同じく格式の高い大名にしか許されなかった。
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【三宜亭本館】
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2017中心市街地探訪100・・岡山県津山市

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鳥取県と接する岡山県の北東部に位置し、面積506.33㎢、人口は岡山市、倉敷市に次ぐ県下第3の102,319人(2017.8.1)。古くから美作地域の中心であり、奈良時代の713年には国府が置かれ、江戸時代は津山城の城下町として栄えた。明治4年の廃藩置県で津山藩は津山県、明治9年には岡山県に編入され、明治22年(1889年)の町村制施行では苫田郡津山町が成立した。昭和4年(1929年)には市制を施行し、近年では平成17年(2005年)に津山市を含めた5市町村が合併して新しい津山市が誕生した。
静岡県からのアクセスは、東海道・山陽新幹線で岡山まで行き、津山線に乗り換え、岡山から津山まで1時間30分前後。
中心市街地は、JR津山駅から吉井川を渡った北側周辺のエリア。
地図を見る限りでは津山はいかにも山間地の中という印象を抱いていたが、津山城から見えた盆地は遠くまで開けていて、金属製品や食料品製造業などの産業集積も進み中国自動車道も横断する交通の要衝でもあった。中心市街地は津山城を中心としたかつての城下町のエリアとほぼ一致し、歴史的観光資源も数多く残っている。商店街を歩くと人通りはまばらだったが、年間250万人もの集客を誇る大型複合施設のアルネ津山と百貨店の天満屋の存在は県内においての津山の地位の高さを感じた。

【JR津山駅】
津山線と姫新線のほか因美線が乗り入れ、1日当たりの乗車人員は1,987人(2015年度)。駅は2面4線の地上駅で、ホームが南側、駅舎が北側にある。改札口を出ると、切符売り場や待合室などの駅施設のほかコンビニエンスストアが入っていた。駅を出ると、路線バスとタクシー乗り場、一般乗降用スペースのあるロータリーが広がる。広場の東側には、交通観光案内所があるほか蒸気機関車が静態保存されていて、その一角にはB’zの稲葉浩志さんが津山出身であるということからB’zの看板が掲げられている。
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【津山まなびの鉄道館】
旧津山扇形機関車庫で2016年4月に鉄道保存展示施設としてオープンした。旧津山扇形機関車庫は現存する扇形機関車庫の中では京都の梅小路に次ぐ全国2番目の規模を誇り、当時の総工費11万600円をかけて昭和11年(1936年)に完成した。施設は扇形機関車庫のほか鉄道の歴史については「あゆみルーム」、鉄道の技術については「しくみルーム」、津山の市街地をジオラマで再現している「まちなみルーム」などがある。
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【今津屋橋商店街】
吉井川に架かる今津屋橋から北側へ約120m続く商店街で、別名「ごんご通り」とも言われている。津山では河童のことを「ごんご」と呼び、吉井川で河童がいたずらをしたという言い伝えがあったことから名付けられた。
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【サテライト津山】
競輪の場外車券売場で、地上2階に車券売り場や観覧席、1階にはエントランスホールのほか居酒屋など飲食店が入っている。以前このビルは高島屋津山店が営業していたが1999年に閉店してしまい、その後の2001年8月にサテライト津山として再出発した。
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【ソシオ一番街】
東西210m続く全蓋式アーケードが設置されている商店街で、60店以上の店舗があるようだが、その内約30店が営業している。
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【アルネ津山】
店舗面積18,097㎡、地上1階から4階までのフロアには百貨店の天満屋やアルネ専門店、図書館、地域交流センターなどが入り、5階から8階には音楽ホールのベルフォーレ津山のほか駐車場となっている。
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【知新館】
第35代内閣総理大臣の平沼騏一郎の別邸で、1950年に津山市に寄贈された後津山郷土館として開館した。1989年からは市民の文化芸術活動の場として利用され、1998年には国の登録有形文化財になった。
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【銀天街】
アルネ津山の北側からLの字に全長70m続く全蓋式アーケードが設置されている商店街。
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【津山二番街・本町三丁目】
銀天街から西側へ約90mの津山二番街、さらに約110m続く本町三丁目は、それぞれ線蓋式アーケードが設置されている商店街。
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【元魚町商店街】
銀天街から北側へ約150m続く全蓋式アーケード商店街で、郵便局や食品スーパーなどもあった。
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【新地通商店街】
元魚町交差点から北側へ約90m続く商店街で、主に飲食店が集まっていた。
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【津山城跡】
元和2年(1616年)に森蘭丸の弟である森忠政が築城した平山城。明治6年の廃城令では城は破却され、その後の明治33年(1900年)には鶴山公園として当時の津山町の管理となった。近年では平成17年(2005年)に築城400年事業として天守の南東側に備中櫓が復元され、翌年の2006年には日本100名城に認定された。
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【津山文化センター】
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【津山郷土博物館】
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【津山観光センター】
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【津山国際ホテル】
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【岡山県美作県民局】
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【岡山地方裁判所津山支部】
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【津山市役所】
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【衆楽園】
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2017中心市街地探訪099・・広島県三原市

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広島県の東部に位置し、面積471.55㎢、人口は96,192人(2017.6.30)。戦国時代の1567年に小早川隆景が三原城を築城し、江戸時代は広島藩の領地となり城下町として栄えた。明治4年の廃藩置県で広島県の管轄となり、明治22年(1889年)の町村制施行で御調郡三原町が成立し、石油、製紙、繊維、セメントなどの大規模工場が進出した。昭和に入ってからは、帝人、三菱重工などの進出によりさらに工業都市として発展し、昭和11年に市制を施行した。昭和50年(1975年)には山陽新幹線の全線開業により三原駅にも新幹線が停車することになり、その後も高速道路の整備や広島空港の開港など交通拠点都市として発展し、近年では、平成17年(2005年)3月に近隣3町と合併して新しい三原市が誕生した。
静岡県からのアクセスは、東海道・山陽新幹線で名古屋から「のぞみ号」さらに福山から「こだま号」に乗り継ぎ、三島から約4時間20分、静岡から約4時間、浜松から約3時間30分。
中心市街地は、JR三原駅から南側周辺のエリア。
駅と海に挟まれた限られたスペースにおさまる中心市街地には、商店街と歓楽街、かつての大型商業施設の跡地があった。山陽新幹線三原駅開業後の1981年にオープンした駅前のペアシティは、当時人口規模以上のボリューム感ある商業施設だったと想像できる。駅前広場となっている約6,000㎡あるその東館跡地には、カフェなどを併設した3,000㎡級の図書館を2020年度の供用開始に向けた建設計画がある。図書館というのは比較的閉鎖的な空間になりがちなので中心市街地活性化には一工夫必要だ。計画では図書館のほか500㎡以上の広場を造るとしているが、イベントを開催するには最低でも2,000㎡は必要ではないかと思った。全国的に見ても「中心市街地には図書館を」という動きが多くなっている。三原駅前の今後の動きが楽しみだ。

【JR三原駅】
山陽本線と呉線のほか山陽新幹線が乗り入れ、1日当たりの乗車人員は6,351人(2015年度)。駅は在来線が2面4線、新幹線が2面2線のそれぞれが高架駅で、自由通路が南口、北口、西口を結び、通路の北側には三原城天主台の入り口がある。北口を出ると、三原駅が三原城天主台付近に造られたということが確認できる。西口を出ると、路線バスとタクシー乗り場、一般乗降用スペースのあるロータリーが広がる。表玄関である南口出ると、真正面に路線バス乗り場、東側にはタクシー乗り場のロータリーがある。
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【三原城天主台跡】
戦国時代の1567年に、毛利元就の三男の小早川隆景が水軍の基地、瀬戸内防御の拠点として築城した平城。城郭と軍港を兼ね揃えた難攻不落の要塞で、満潮時には海に浮かんで見えたということから、別名「浮城」と呼ばれていた。
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【ペアシティ三原西館・三原駅前市民広場】
ペアシティ三原西館は地上7階建ての複合ビルで、地上1階から4階までのフロアには「みはら歴史館」のほか保健福祉センター、教育委員会、市民ギャラリーなどの公共施設、上層階は客室数75室の「三原国際ホテル」が入っている。ペアシティ三原は当初、東館と西館からなり、東館は百貨店の「天満屋」、専門店、飲食店が入り、西館には商業施設の「ニチイ」のほかホテルなどが入る商業ビルとして1981年にオープンした。バブル崩壊後、1996年に西館のニチイ、2006年には東館の天満屋が撤退。その後、東館を東京の不動産業者が取得し、建物は解体され新たな再開発計画が浮上したが計画は頓挫した。その後、2009年に市が跡地を取得し、現在は三原駅前市民広場として活用されている。
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【マリンロード】
南北110m続く商店街で、主に飲食店が集まっている。
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【城町(歓楽街)】
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【船入櫓】
三原城への船の出入りがあった所で、当時の絵図を見ると櫓が海に面していたということが分かる。
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【イオン三原店】
店舗面積21,015㎡、地上1階と2階を営業フロアとする商業施設で、専門店のほかフードコートなどが入っている。
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【三原港フェリーターミナル】
三原港から佐木島と因島を結ぶフェリーが発着する。
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【帝人通り】
三原駅の西側から約390m南側に伸びていて、その北側の150mはオープンモール型の「帝人通商店街」となっている。
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【三原市役所】
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【帝人三原事業所】
昭和9年(1934年)に帝人の主力工場として建設され、高度成長期には衣料、カーペットなどの素材、現在では繊維加工品や冷媒フロンなどを主力製造品としている。
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【三原市歴史民俗資料館】
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【フジグラン三原】
店舗面積20,400㎡、地上1階と2階を営業フロアとする商業施設で、周辺にはファミリーレストランなどが集まっている。
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再訪中心市街地016・・広島県広島市(2017年8月)

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2016年2月以来、1年6ヶ月ぶりの広島市。広島駅周辺の一連の開発にはまだ続きがあり南口の駅ビルも建て替えられる計画で、さらに広島駅周辺の吸引力が高まることが予想される。今後は新幹線口のように、広島駅、BIG FRONTひろしま、EKI CITY広島、福屋など南口一帯をペデストリアンデッキで結ぶことが必要になってくるだろう。

2016中心市街地探訪044・・広島県広島市
https://youtu.be/oQN6OsKwJ1s

【広島駅の南北自由通路が供用開始】
広島駅の南北自由通路が2017年5月28日に供用開始された。JR広島駅は山陽本線、呉線、可部線、芸備線と山陽新幹線が乗り入れ、1日当たりの乗車人員は中国・四国地方最大の73,218人(2015年度)。駅は在来線が4面8線の地上駅、新幹線が2面4線の高架駅。南北の行き来は、今までは地下自由通路だけだが、これからは新しい南北自由通路により南北の回遊性と駅周辺の開発に期待がかかる。供用開始された南北自由通路は幅員15m、延長180mで、今後は店舗面積9,000㎡、高架下エリアに80店、線路上空エリアに20店を構える駅ナカ商業施設の「ekie(エキエ)」が2017年10月(一部が2018年春以降順次)にオープンする。北口である新幹線口を出ると、既に供用開始されたペデストリアンデッキが広島駅から二葉通りを渡った北側まで続いている。
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【(仮称)広島テレビ放送新社屋】
地上11階建て、高さ58.98m、延床面積19,769.15㎡のテレビスタジオで、2018年3月の完成を目指して、現在建設工事が進められている。
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【BIG FRONTひろしま(広島駅南口Bブロック市街地再開発事業)】
地下2階、地上52階建て、高さ197.5mの超高層ビルの西棟と、地下1階、地上10階建て、高さ46.79mの東棟の2棟からなる再開発ビルで、2016年8月末にグランドオープンした。西棟の地下2階から地上3階には、核テナントとなるビックカメラとその他のフロアにはオフィスやホテル、高層階は分譲マンションとなっている。
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【EKI CITY広島・グランクロスタワー広島(広島駅南口Cブロック市街地再開発事業)】
EKI CITY広島と隣接するグランクロスタワー広島は2017年4月にグランドオープンした再開発。EKI CITY広島は、地下1階、地上11階建て、高さ47m、延床面積42,749.60㎡で、地上1階から3階に入る核テナントの蔦屋家電のほか飲食店やクリニックなども入っている。エディオン蔦屋家電は、本、文具、カフェなどを融合させた家電量販店で、店舗面積7,494㎡、東京世田谷区の二子玉川蔦屋家電に続く全国2店舗目のオープン。グランクロスタワー広島は、地下1階、地上46階建て、高さ166mの超高層ビルで、総戸数490戸のマンションが入っている。
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【2012.07】
18154/_6749/_85515
【2012.06】
18517/_6704/_78766
【2012.05】
16282/_6341/_72062
【2012.04】
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【2012.03】
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【2012.02】
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【2012.01】
21714/_7457/_47326
【2011.12】
18610/_7060/_39869
【2011.11】
25885/_8798/_32809
【2011.10】
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【2011.09】
23519/_7071/_14281
【2011.08】
12341/_3280/__7210
【2011.07】
_7872/_2358/__3930
【2011.06】
_2979/_1058/__1572
【2011.05】
__800/__244/____514
【2011.04】
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