July 2009

July 10, 2009

time register


Seniorenresidenz Spirgarten / Miller&Maranta
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(これは1年前のもの。)
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先週友だちの家に泊めてもらったら、
近くに今いる事務所の建てたプロジェクトがあるのを
思い出したので行ってみた。
働き始める前にも一度来たことがあったのだけれど、
改めて行って見るとけっこう新鮮な発見があった。
それは季節や時間帯が違ったというのもあるし、
1年近く事務所で働いて見る目が少し変わったというのもある。

旅行で有名な建築を見に行くとその時の状態しかわからなくて、
そこから判断するほかないのだけれど、
建築が毎日どのような状態で人びとに使われているかというのは
すごく重要で、なかなかそこまで含めて評価することは難しい。
それとやっぱり普段働いていると、
どうしても目の前の作業で精一杯になって
なかなか自分のいる環境を引いてみることが難しくなってくるけど、
こうやって実際に建ったものを見ると、
普段事務所の人たちがどういったことを考えているのかを
理解する手助けにもなってありがたい。
視点もちょっとずつ変わっていって、
もちろんニュートラルではなりえなくて、
ひとつひとつの部分が少しずつ強調されているというか、
それはいいところも悪いところもだけれど、
細かいところまで理解しやすくなっている。

バーゼルに来てから昔見た建物を再訪することがけっこうあって、
それが意外とおもしろくて、
自分が以前考えていたことと今とではやっぱり違うし、
また建物も時を経て変化している。
建築において時間というのは評価が難しいけれど
間違いなくとても重要なことで、
そういうのを最近改めて感じることが多い。
明日は事務所の新しいプロジェクトを見に行ってきます!
写真アップしていいのかよくわかんないけど、
できたら報告する予定。

taz001 at 06:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

July 09, 2009

continuity


立川談志 立川談春 親子会 in 歌舞伎座 ~伝承というドキュメンタリー~ [DVD]
立川談志 立川談春 親子会 in 歌舞伎座 ~伝承というドキュメンタリー~ [DVD]
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個人的には談春は立川流の中でも一番好きで、
もちろん志の輔とかもすごく面白いけれど、
いかにして古典を通じて現代を捉えるかという意味では、
彼が一番ではないかと思う。
もちろん保守的すぎると揶揄されているのも知っているけれど。。

落語の魅力は、それぞれの噺のストーリーにあるのではなくて、
同じものなのに演者によって少しずつ違うところにある。
それは落げが違うというだけではなくて、
ひとつひとつの仕草や息づかいの集積によって
噺がかたちづくられていくということで、
それは同じ人でも年齢やコンディションによって違ったりする。
以前談志が志ん朝が亡くなった直後の高座でのまくらで、
彼は現代においてお金を払って観る価値のある数少ない噺家だったけれど、
彼とて歳老いて、「よいしょ」と手をついたその仕草までが
落語だとは気づいていなかったというようなことを言っていて、
そういう意味で噺家というのはその生き様を落語を通して
見せていると言ってもよいのかもしれない。

橋本治が何かの本で、日本の伝統芸能は
今あるものを少しだけ変えることで成立してきたと言っていたけれど、
そういった繊細さは今ではなかなか見受けられることはない。
今までにない目新しいものを目指すか、
そうでなければ昔からあるものをそのままのかたちで
保護しようとするだけだ。
そう考えてみると談志がずっと言ってきた「伝統を現代に」というのは、
そのどちらでもないという意味では新しいけれど、
同時に昔のやり方を踏襲しているという意味ではすごく伝統的だ。
きっと何かをつづけていくということは、
何も変えずに守り通すということではなくて、
変わらない部分と変わっていく部分をその都度ひとつひとつ見極めながら
チョイスしていくという膨大な作業の上に成り立っていて、
実際今の世の中の流れのスピードの中で行なっていくのは
ものすごく難しいことだ。
でもそういった中で、世の中に背を向けることなしに
いろいろなものを内包しながら続けていくということは、
今もっとも求められていることのようにも思う。

しかし談志の高座は一度は観ておきたい。
最近は体調が優れないみたいだけれど、
このDVDを観てもそれを含めて落語をしているし、
やっぱり彼は噺家そのものなのだなあと思う。





taz001 at 04:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

July 06, 2009

art space


schaffhausen


今週末はSchaffhausenにあるHallen fur neue kunstというところに行ってきた。
この場所はUrs Raussmullersというキュレーターが
彼のコレクションを展示する場所として1984年に始めたところで、
Josef Beuys、Robert Ryman、Donald Juddなんかの70年代あたりの
有名なアーティストの作品を持っている
けっこう大きなスペースなのだけれど、
それほど広報活動をしていなくて、
一般的にはあまり知られていない。
というか自分もその存在を知ったのはすごく最近のこと。
しかしこれだけの場所が田舎にあるのが何ともスイスらしい。

建物自体はもともと工場だったところをリノベーションしたもので、
まあ今となっては別になんら特別ではないけれど、
当時のスイスではけっこう真新しかったらしい。
とにかくこの建物がすごく良くて、
特に最上階のRobert Rymanの作品が展示されているところは
かなり印象的だった。
こういった用途の転用された空間とアートがとてもよく合うのは
もちろん周知のとおりだけれど、
その魅力を説明しようとするとなかなかうまくいかない。
ましてやそれを建築家が作り出そうとするとすごく難しくて、
作品とは無関係なルールで空間が成立しているとかいう
説明のしかたをしても、結局のところ建築家の自己表現の
言い訳でしかないことがほとんどだ。
こうゆう問いには答えがないと言ってもいいのかもしれないが。

それでまたAdam Carusoの話になってしまうけれど、
彼がそういったリノベーションされた空間の質を持った建築作品として
取り上げているのがMalmoにあるKonsthallで、
その文章を読んだのはあとになってからだけど、
確かに納得できる気がする。
あの大空間の中の構造の入り方や採光や天井高の違いによる
空間の性格付け、そして素材のいい意味でのラフさは、
建築家による手垢を感じさせないアートのための空間となっているように思う。
なんかこの作品について書こうと思ったのではなくて
ほんとは今回行った建物についてのことを書きたかったのだけれど、
やっぱり最終的にはどうやったらそうゆうものを作れるのかというところに
行き着いてしまう。
この前読んだ本の中に出てきた「大らかさ」という言葉は
ある意味でこういった空間の質を捉える上で重要な気がするけど、
まあ結局のところ何にも言ってないのと同じなようにも思える。
いやあ、まだまだいろいろ考えてみないとダメだ。。。

Malmo Konsthall / Klas Anshelm
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taz001 at 06:18|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

July 01, 2009

architecture for everyday


Papers
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Sergison Batesの最初の著作集。
第2弾も出ているけどやっぱり最初の方がおもしろい。

最初に掲載されているエッセイ、
「A view of how things are」と「A way to work」で
うかがえるように、
彼らは常に普段の生活で身の周りにあるものを
注意深くみる見ていて、
だからそれは別に有名な建築家が設計したとか、
周りからみてすごく特別なものだとか
そうゆうことでは全然ない。

今すでにあるものをどのようにしてずらせば、
人の身体や感情に対して働きかけることができるかというのが
たぶん彼らの関心で、
それは別に理想を実現するためにクリアな視点を提示するような態度とは
全く正反対だ。
この本の中でも書いているように、
ピュアなかたちや素材ではなく、
あえてそうゆうものから距離をとって
丁寧にレイヤーを重ねていくことで、
周りにあるものと馴染みながらも
同時に少しだけ違っている。
このような姿勢はけっこう危うくて、
ともすると本当にキッチュになってしまって
悪い意味での「ふつうの」建物になってしまう。
ただ、普段生活してることと設計することを結びつけて考える、
あるいは建築を一人の人間の自己表現としてではなく、
あくまで共有物だと考えるなら、
こういった微細なことに目を向けていく必要があると思う。

この本の中で繰り返し出てくる「tolerance」という言葉がとても印象的で、
それは寛大さとか大らかさという意味だけれど、
そうゆうふうに明確ではないグレーゾーンの中にこそ、
実は大切なものがある気がする。
そして重要なのは、それを建築として実現しようとするときに、
いかにして建てるのかということを考えることで、
それは別に写真栄えするとか、
竣工のときがその建物のピークの状態だと考えるのではなく、
あくまでもそのあとにその建物が人びとに使われていく中で、
どのように物理的に影響を与えていくのかということに
自覚的であるということであるような気がする。


Studio house in Bethnal Green / Sergison Bates
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Urban housing st Seven Sisters Road / Sergison Bates
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taz001 at 20:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)