November 2009

November 28, 2009

sustainability

ボスと4時間も車の中で二人きりだったので、
いろいろと話をしたのだけれど、
そのときに一番印象に残ったのがcultural sustainabilityという言葉で、
sustainabilityという言葉はもう嫌というぐらいよく聞くけれど、
そうであるがゆえにかなり言葉の意味が狭められてしまっていて、
もちろん環境的な配慮が大切ではないと言ってるわけではなくて、
むしろスイスにいるとその重要さを痛感して、
目には見えない空間の状態をどのように制御するかみたいなことは
すごく興味のあるところなのだけれど、
ボスが意味したのは
文化的な意味であらゆる芸術がどのようにしたら
長い時間その存在価値を失わずに生き続けることができるのかという
問いから始まっていて、
それに対して彼が考えているのが
いかにしてその作品がいろいろな見方を許容するのかということだ。
そしてそのためにはひとつのわかりやすくはっきりとしたものを示しているのではなくて、
一見するとわかりにくいけれど、
さまざまな解釈を可能にするambivalenceが必要なんじゃないかと言っていた。
ambiguityという言葉もそれに近いものがあるけれど、
曰く英語だとネガティブな意味を伴うらしく、
だからambivalenceという言葉の方がふさわしいんだと。

確かにそれぞれの時代においてそのときを代表する作品というのは存在するけれど、
それが何十年とか何百年とかたったときにどれだけ残っているのかというと
それはほんの一部だ。
で、そういった作品を見てみると、
おそらくそれが作られた時代とは異なる評価がされていて、
だから歴史的意義とかそういった背景としての知識をすべて取り払ったとしても、
それがそれそのものとしての質を持っていると思う。
で、クリアな主義主張を作品にこめようと
いろいろな要素をそぎ落としてものを作ると、
パッと見での印象はとてもわかりやすくて
伝わりやすいのだけれど、
だからといってそれがその後もずっと残り続けるのかというと
それは全く別問題であるどころか、
むしろ言葉で説明できてしまうほどの価値しか持っていなかったりする。
まあ確かに雑誌の立ち読みで目に留まるためにはそういったキャッチーで
ファンシーな部分が必要になってくるのだろうけど、
そういったことばかり気にしすぎると気がついたら何も残っていない
という可能性が十分にありうる。
WallpaperとかDomusに作品を載せることがステータスだと
勘違いしているとすごく危ういんじゃないかと思う。

こうやって考えてくるとどうしても抽象論になってしまって
結論らしきものが出しづらいのだけれど、
ともかくそういった背景とか意味とかをそぎ落とした上で
それでも残るものそれ自体の質をおろそかにしてはいけないし、
またそこにこそこだわるべきなんじゃないかと思う。
いや、もともとはそうゆうもんだったんだろうけど
今はいろんなもんがありすぎるからな。
別にメディアが悪いとかそうゆう幼稚な批判をする気は
全然ないけれど、
気がついたら踊らされてたりするからね。


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November 24, 2009

day trip

Palazzo Mondadori / Oscar Niemeyer
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先週はなぜか日帰りでミラノに行ってきました!
というのもボスに前日に突然ブラジルの巨匠、
ニーマイヤーの建物を見学すると言われたため。
ということで仕事休んで、
朝4時起床、5時出発、しかもボスと車の中で
4時間マンツー(ボス運転w)というハードな状況だったけど
がんばりました!
助手席で寝たら即帰国決定だったからねw
まあボスは最近買ったジャガーに乗るということで
かなりの上機嫌だったのでよかったです。

しかも幸運なことに学校のスタジオで行ったのに
学生は地上階しか入れなかったのに、
僕はたまたまボスとアシスタントと一緒だったので
VIP扱いで上まで見れちゃいました!
まじラッキー!
決して彼の最高傑作というわけではないけれど、
初めてのブラジルの巨匠建築を楽しむことができました。
いつかブラジル行きたい!

そしてそのあとはスイスでの故郷、
おいらがメンドリジオに行きました!
数時間しかいられなかったけれど、
久しぶりに友だちと再会したりして
充実した時間を過ごせました。

さすがに日帰りはしんどくて、
往復10時間はつらかったけど
その価値はありました!
まあ翌日は寝坊しましたが。。。

そして話は変わって
土曜日に友人がバーゼルのショップで
インスタレーションのオープニングをやるということで、
もちろん駆けつけました!
会場にはいっぱい人が来ていて、
その中には彼女のボス(そう、スイスのあの大手事務所の!)
がPUMAのスウェット+ピチピチタイツで来ていて、
彼女の人望の厚さが伺えました。
そしてお父さんを大切にしてください!w

最近は時間がけっこうあってのんびりしているのだけれど、
学校にしろ展覧会にしろ、
自分の責任で何かをやっている姿を見ると
かなり刺激を受けます。
別に今の場所に不満があるわけではないですが、
文字通り自分で何かを作り上げるってことを
早く体験してみたいものです!
いつになるかはまだわかりませんが。。。

taz001 at 04:24|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

November 18, 2009

既にそこにあるもの


ついに待ちに待ったNottingham Contemporary Art Galleryがオープンした!
写真などはこちら

Caruso St Johnは現代の建築家の中で個人的にもっとも気になる人たちの一組で、
建築に対する基本的な考え方にはすごく影響を受けていると思う。
(さらにいうなら、他の分野なんかで見たり聞いたりしてきたことと
すごくしっくりきていて、
それぞれが自分の中でいろいろと混ざり合いながら
おぼろげながら少しずつ輪郭をかたちづくっていっている
ような気がする。)

それでこのギャラリーなのだけれど、
新築としてはWalsall以来の比較的大きな美術館で、
前々から竣工を心待ちにしていたのだけれど、
写真を見る限り期待を裏切らない出来ばえ。
Helene Binetの写真も相変わらずきれきれですね。

それでこの建物についての文章を読んでみると、
またしてもいろいろと興味深いことが書いてあった。
自分がもっとも影響を受けているなあと思うのは
いままでにすでにあるものに対する捉え方で、
「新しい」ものを作れと教えられる場所であれば
過去のものは否定し乗り越えるべきものとして考えられているのだけれど、
この人たちの場合はそうではなくて、
いままであった優れたもののいい部分をいかにして
受け継ぎながら自分たちは今の時代において
設計をしていくかということで、
それは建築の歴史という時間的な文脈においてもそうだし、
またそこの場所という空間的な文脈においても
同じようなことが言える。

この建物においても、
Louis Sullivanを始めとして
Palais de Tokyo、PS1、De Pont Foundationなんかを
参照しながら設計していったと語っている。
とくにこの建物の特長的な部分であるファサードには
Sullivanの強い影響を感じ取ることができて、
コンクリートだけれど刺繍を使ったすごく繊細な模様が
表面に施されていて、
アンビバレントな魅力を感じさせる。

こういった考え方はスイスのある一定の建築家からも感じることができるのだけれど、
例えば日本から見た場合、
スイスという国の牧歌的なイメージからして
自分たちとは違うものだと考えて
その根本的な考え方まで踏み込めずに目先のテクニックを
コピーしてしまうことが
(自分を含めて)あるのだけれど、
ロンドンというのは一概にそうゆう見方もできないのではないのかと思っていて、
もちろん街の多くがレンガで造られていて、
建物の耐用年数は東京とは比べるべくもないけれど、
経済的なサイクルを考えてみると、
少なくともヨーロッパにおいては一番近くて、
なんだかこの人たちからもっと学べることが
あるんじゃないかという気がしてならない。
ロンドンにはいろんなタイプの建築家がいるし、
学校だっていろいろだし。

もちろん実際に見てみないといい悪いはいえないのだけれど、
そういった時間の感覚は建築において
依然として重要なファクターであることには変わりないし、
紙メディアやネットでは伝えることのできない部分に
それでもこだわりつづけることは
むしろ今だからこそすごく重要なことだと思う。

taz001 at 05:51|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

November 16, 2009

Castasegna

Villa Garbald / Gottfried Semper, Miller&Maranta
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今週末はスイスの山奥の村に遊びに行ってきました!
バーゼルからトータルで約5時間の長旅だったけれど、
前から見たかった事務所の代表作のひとつを見て、
そのあと夜はパーティーで盛りだくさんでした。
あと珍しくイタリア語が役に立った!

事務所の作品に関しては、
前から写真をいっぱい見ていたので、
自分の思い描いていたものと重なる部分も
異なる部分もあって、
いろいろ面白かったです。
そしてやっぱりこの作品は事務所にとって
すごく大切なものなんだなあというのを
改めて実感しました。
周辺環境との関係性、
ボリュームに対する繊細さや
微妙な角度のつけ方、
そして表面へのこだわりに至るまで、
いろいろと勉強になりました。

そして歩いて国境を越えて
イタリアでピザを食べたあとは、
みんなで昔お城だったところを使ったパーティーへ!
友だちがDJやったり、
またライブペインティングもあったりで
すっかりはしゃいでしまいました!
しかしあの村に日本人10人はやばいっしょw

どこへ行ってもなにかおもしろいことはありますね!
そしてspecial thanx to ずっちゃん!
また誘ってねー

taz001 at 05:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

November 12, 2009

Die andere Moderne

Kollegienhaus der Universitat Basel / Roland Rohn
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この建物はバーゼルにある建築の中でも
自分が一番好きなもののひとつで、
もう建てられたのは70年前なのだけれど、
今でもすごくていねいに使われている。
こっちへ来てから、
こういった比較的地味なものに興味がいくようになって、
それが今まで自分が感じていたことを
少しずつ自覚するきっかけになっているような気がする。
もちろん地味といっても州の大学だし、
この建築家は世界でももっとも有名な製薬会社のひとつ、
Rocheの建物をいっぱい手がけているわけだから
一概にそう言いきれないのだけれど、
まあ少なくとも観光で来て見に行くようなものではないという意味で。
こういったものを見始めたのはもちろん事務所の影響が大きくて、
いくらスイスの建物が長く持つといっても
誰もがみんなこうゆう古い建物を意識的に見ているわけではなくて、
まあ普通にスターアーキテクトに憧れていたりもする。
だから大事なのはこういった視点を持つということで、
それは程度の差こそあれどこにいても変わらない。

それでこういったモダニズムの教義的なものに
影響を受けつつも少しゆがんだかたちで実現されているものに
今の自分はすごく惹かれていて、
そのゆがみというのはひとつひとつしていかないと
説明できないのでこうだとはっきりはいえないのだけれど、
逆に言うとその曖昧さとか矛盾した部分が魅力となっているのだと思う。
そして身体感覚的にもけっこうしっくりきて、
軽すぎず重すぎず、きれい過ぎずごつすぎずで
居心地がとてもよい。

こうしたゆがみやずれに意識的になれたというのは
スイスというかバーゼルに来てすごくよかったなと思うことのひとつで、
今まで自分がいろいろ違和感があったりしても
それがなぜなのかわからなくてもんもんとしたりもしていたのだけれど、
その感覚に言葉を与えられることで
なんか今まで見えなかったものが見えてきたというか。
そしてそうなったことで周りのダメなものを批判して満足するのではなくて、
いいものを見てそれを伸ばしていこうと考えれるようになった。
そして周りには自分がまだ知らなくて興味のあるものがすごくいっぱいあって、
それは建築に限らずだけれど、
そういったものを見るのに精一杯で、
とても自分の興味のないものだったり
嫌いなものに対して批判をしている暇はないなというのが今の気分。


taz001 at 05:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

November 06, 2009

outtahere


Heart Beat
Heart Beat
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人間太鼓箱、AFRAのサード。
I.B.B.のほかの二人がトラックでソロをリリースしている中で、
あくまでもビートボックスにこだわるストイックな姿勢がかっこよい。
ビートボックスのパフォーマンス性の高さは
誰もが認めるところで、
昔フジゼロックスのCMがはやったときに
土曜の昼間のバラエティに出てきて
K-MOONが若槻千夏と絡んでたのを見て
時代は変わったと思ったが、
やっぱりそうゆう目新しさだけでは続かないわけで、
その中でこのアルバムではそのパフォーマンス性だけに頼らずに
あくまでも音楽としてのクオリティとして
ビートボックスを使い切っている。
参加アーティストも幅広くて、
AIからGEBOまで、まったく接点のなさそうな人たちと
すばらしいセッションを繰り広げている。
AIなんかこの時期にマイケルのカバーなんていう
こてこてなことをやっているのだけれど、
それがぎりぎりのところで
いやらしくならずにそれとしてすぐれた曲になっている。
MUMMY-Dとの曲は、
ヒップホップが生まれた瞬間を想像させるような、
すごくプリミティブな音楽を奏でている。

このようなアルバムを作り上げられたのは
ビートボックスという飛び道具のように
ともすると捉えられがちなパフォーマンス性ではなくて、
AFRAのアーティストとしての懐の深さによるところだというのは
強調しておいてもしすぎることはない。
さらにこのような活動の幅広さはSKYFISHやARTICALISMなどと
ネットラジオ「OUTTANET」をしていることなどからも
うかがい知れる。
(ARTICALISMのリュック買っちゃいました!
まじ調子いい!)

なんか肩肘張らずに自然とこういった活動ができてしまうのは
ほんとにかっこいい。
世の中ではマニフェストとかわかりやすく
同時におしつけがましいものがはやっているようだけれど、
自分はこっちのほうにこそ強く共鳴する。

taz001 at 09:04|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

November 05, 2009

cityscape


その街の今は (新潮文庫)
その街の今は (新潮文庫)
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個人的にはこの作品が柴崎友香の小説の中でも一番好き。
彼女の小説はどれもすごく空間的で、
読んでいるときには身体感覚をとても刺激される。
この作品は彼女が生まれ育った大阪の街についての話で、
大阪にはそれほど何度も行ったことがあるわけではないけれど、
それでも街が持つ空気感が伝わってくる。
彼女の視線はとても繊細で、
いろいろなものを「こうである」という先入観なしに見ていて、
だからただいい人とか悪い人とかいう区別をしずらかったりするけれど、
そのあたりの曖昧さも魅力の一つだと思う。
たぶん今の世の中ではものごとに対していかにすばやく判断をしていくかというのは
すごく重要な能力でありまた評価の対象であると思うけれど、
そうやっていてはこぼれ落ちてしまうよなものもあるはずで、
彼女はそういったささやかなものをひとつひとつていねいに拾い上げている。
保坂和志は彼女の小説の魅力を「貧しさ」という言葉を使って語っていたけれど、
これは別にただナイーブなだけの感覚ではなくて、
今のような世の中に対してオルタナティブを示しているという点で
すごく強いジェスチャーであると思う。

さらにこの作品においては街というテーマで時間的な感覚も入ってきていて、
それがすごく全体を豊かにしている。
見たことも会ったこともない人や風景が、
どこかで自分とつながっているのだという想像力。
一個人とはまた違った時間が常に流れているのだということは、
いつも意識しておいて損はない。

taz001 at 02:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

November 02, 2009

in addition


先週末見にいった事務所のプロジェクトの写真なのですが、
一緒に友人もブログにアップしてくれたので興味のあるかたはぜひ↓

TATE-MONO blog

てかこっちの写真のが全然いいです、くやしいけど。。。
くそー、おれも写真がんばって練習しよっと。
しかしレンズ沼にはまらないように気をつけないとねw

taz001 at 02:39|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

November 01, 2009

bring it back


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Altes Hospiz / Miller&Maranta
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今日はSt.Gotthardに行ってきました。
というのも手前味噌ですが、
事務所のやっているプロジェクトの現場を見に行くため。
この場所は標高約2100mで、来週には雪のためこの場所につながる道が
閉鎖されてしまうと知って、なんとか一度実際に見ておきたいと思って。

ごく簡単に説明すると、このプロジェクトは増築で、
元となる建物はもう300年以上前に建てられた。
プログラムはホテルで、既存の建物は2つだったのを
屋根でひとつにつないでいる。

で、もちろんシチュエーション自体がすばらしいというのもあるけれど、
この建物の建ち方がすごくよかった。
すごく不思議なボリュームで、
パッと見は周りとなじんで建っているのだけど、
よく見ると屋根の幾何学とかメインファサードの開口とかに
いろいろと細かい操作がなされている。
周りと関係しながらも少しだけずれているそのやり方がすごく絶妙。
通常こういった歴史的な建物の増築だと、
今までのものをそのまま再生させるか
古いものとコントラストをつけて新しいものを付け加えるかが
わかりやすい方法だけれど、
そのどちらもとらずにひとつひとつのものに対して的確な判断をしていくのは
すごく難しいことだと思う。
この建物においては、時間的にも空間的にも
今まであるものからの距離を測りながら少しずつ違っていて、
それによって改めて今あるものに対しての見方が少し
変わってくるような効果がある。

こういったパッと見のインパクトがないものは、
雑誌をぱらぱらとめくったりとか、
あるいはネットで画像を検索していると
簡単に見逃してしまうけれど、
その先に隠されているさまざまな豊かさがあって、
こういったものがもつ穏やかさだったりとか
大らかさは実際に行ってみるとすごくいろいろな感覚に呼びかけてくる。
自分としては建築はやはりその場所に行かなければ
得ることのできないいわく言いがたさを備えていなければいけないと思っていて、
それはすごく脆くて言葉にしにくいものだけど、
それに気づくことができるだけの敏感さを建築家は
持っている必要があるのでは。
もちろん建築家の職能についていろいろと議論がされていて、
いろいろなかたちで社会に関わっていくことが必要だとは思うけど、
そうゆうことをさかんに言う建築家に今の自分がほとんど興味をもてないのは、
大部分のそうゆう建築家がこういったわかりにくい要素を切り捨てて
マニフェスト的にすべてをわかりやすく言い切ろうとしていて、
その結果としてできたものがとても見るに耐えないようなクオリティしか
持ち合わせていないからだ。

もうスイスに来て3年になるけれど、
その中の経験としてすごく大きなものは、
「ふつう」であることの多様さであって、
言葉ではなかなか言い表すことのできないものを、
それでも簡単に結論をだそうとせずに
その都度向き合っていく姿勢で、
それをこの建物はかなりのレベルで体現していた。
もちろんまだ竣工はしていないので
ポテンシャルの域を出ませんが。

どんな状況であっても、
簡単に原理主義に陥らずに、
またただの保守反動にもならずに、
今もなおそこにあるべきかたちを見つけ出すことが
できたらなあというのが今の自分の関心だ。


taz001 at 06:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)