TheBottom of ToyBox

おっさんが最近のあれこれ(ゲームメイン)にボヤくだけ。 そのうちネタも尽きるだろうし、随時お題募集。 それ以上に読み手の存在を疑う必要があるけど気にしない。

いつもの一方的に書く容量が用意できる不平等コメントラリー。
なんか最近おさらい風味なことが多いとか気にせずに、
コメントを頂きましたのでそれをテーマに考えるお話。

コメントの超簡略意訳版(原文はこちら
この記事の言い分では、過去の初心者にとって「手の届くお手本」があったということでしょうか。
そのお手本はつまりは教科書であり、それが擬似教室を成立させていたわけですね。
このお手本が現在において色々な要因は考えられますが、失われてしまっている。
だから現在に教室は起こりえないと解釈できます。

つまりその「手の届くお手本」とそれの「試行錯誤の場所」を用意できれば、
それが教室ではないでしょうか。
その場所ができればある程度面倒見のよい教師役が初心者を管理し、
あれもこれもと手を出すことを止めさせれば進歩する道のりが出来るのではないでしょうか。
その中で教師役も教えることを学んでいけば教室は成立すると思います。


とのこと。
どうでしょうね。少しスタートラインが違うと思うのですよ。
そもそも教わる側の理屈が抜けてますね。
確かに初心者や初級者は格闘ゲームを学ぶ場所を欲しています。
しかしその動機は大半が積極的なものではないのです。

さて今回は「格ゲー教室に初心者が通うには?」と題しだらだらと書いていこうかと思います。

初心者や初級者は必ずしも強くなりたいなんて思ってないのです。
ただ勝負を楽しみたいのです。
しかし圧倒的実力差を突きつけられることで勝つ可能性のない負け試合しかできないのです。
ゆえに勝負を楽しむためにしぶしぶ上達を望み、教室を望むのです。
極端な話、全く互角の相手が大量にいて対戦できるならば教室なんて要らないと思うでしょう。
これが意味することは「強くなるための努力なんてものはしたくない」ということです。

確かに一部のプレイヤーは明確に上達や強さを求めますが、
そういったプレイヤーは圧倒的少数派です。
そういうプレイヤーの方が対戦ゲーム業界では大多数のため忘れがちですが、
初心者から初級者へ、初級者から中級者へとふるいにかけられた結果、
そういうプレイヤーが残りやすいだけであり世間における常識ではないということです。
つまり、格闘ゲームの上達方法を極めて馬鹿正直に教えるという行為には需要がないのです。
もっと楽に、小手先で、今すぐに勝負が出来るだけの上達を望む声がそれなりに大きいのです。

大前提として格闘ゲームは娯楽なのです。
強くなるための練習や努力は娯楽として成立するのでしょうか。
確かに成立します。格闘ゲームは上達することが面白さなのですから。
しかし、その上達と面白さが繋がるのは業界人だけなのです。
そんな業界の常識すら知らない初心者や初級者はそれをはっきり両立しないと考えます。
だから面白さを得られる練習や努力すらも終わらない苦行にしか感じられないのです。

それらを考えれば、1つ1つ上達できる方法を延々教え続けるというのは、
内容としては、形式としては教室としての要件を満たすのですが、
生徒としてはそんな教室に入り浸る理由がないのです。
必要なのはまず上達と面白さを結びつける思想だったりします。
それも言葉だけではなく、明確に実感できる方法での、です。

つまり体系化することも難しいでしょうがそれを超えて、
1から始める格闘ゲーム上達のお手本集を作り上げたとしても、
それを基にした教室は大半の初心者の需要に応えられません。
一部真摯に上達を望む初心者か、格闘ゲームの基礎を知る初級者の需要に応えるだけです。
そんな形式の教室でいいのであれば、教師役の無能さを除けば現在にも存在するからです。
そんな初心者を切り捨てた教室の教師として限界を知ったからこそ、
「初心者教室」は存在しないと断じているのですから。
「初級者教室」なら相当数存在するんですよ。


そもそもその過去の初心者達も上達なんてさほど望んでいなかったんですよ。
ただ対戦に勝ちたかったんです。
圧倒的な実力差が存在しない対戦環境というのは、
対戦で負けたとしてもそれはほとんどが大なり小なり「勝てそう」と思える内容です。
だからこそ「今度こそは」を合言葉に練習や思考ができるのです。
自分を高めるため、自分の限界を知るため、などという精神修行みたいな動機ではなく、
短絡的に、即物的に、「奴に1回勝ってみたい」「奴に負けたくない」というだけなんです。

それが現在になると、まず同時期にはじめる初心者の存在がレア過ぎます。
ゲーム内容もストリートファイター2(スト2)(CAPCOM)に比べて圧倒的なスピードと、
複雑怪奇なシステムの数々と、できないと話にならないコンボが存在します。
スピードに慣れていないことで画面の情報を見ることすらできない、
システムが理解できず使えないためにそれを使える相手に相当の不利を背負う、
コンボできるできないで火力差が出すぎてダメージの差が酷い、
結果として全く「勝てそう」と思えない内容で負けるのです。
そんな中で「奴に1回勝ってみたい」と思うのでしょうか。むしろ折れるでしょうね。

今の格闘ゲームは本当に少し練習するだけではっきり見栄えの違うプレイができます。
スト2はそういう意味ではそれなりにやらないと上手い人との差が見えないですからね。
ゆえに実際は始めるタイミングが1週間程度の差だったとしても、
初心者同士のその1週間が見た目で致命的な差になるのです。
結果としてその程度の差でも「勝てそう」と思えないゲームになっているのです。

「勝てそう」と思うから過去の初心者は素直に上達という手段に手が伸びたのです。
「勝てそう」と思えないから現在の初心者はあっさり上達という手段を手放すのです。
このギャップを埋めない限り、
初心者が「格闘ゲームは面白い」「練習して強くなりたい」なんて思うのは稀でしょうね。


根本的に教室の在り方が噛み合ってないですね。
コメントにあるような教室は初心者に届かないのです。
私はそんな教室の限界を見てきたのです。
限界を見たは言い過ぎでしょうが、それらの初心者切捨ての現実を見てきたのです。

だからコメントにあるような、練習プロセスの体系化と確立なんかは一切必要ないと思います。
ゲームによってあまりにも根底のルールから異なることがあるからです。
それをいくら整備しようがその体系から外れたゲームを楽しむには至れません。
それならば各タイトルの現存する教室に任せてしまうほうがいいと思います。
教師が無能でなければ、という前提条件は残りますけどね。

だから初心者教室を謳うのであれば、上達や練習を教えている場合じゃないのです。
格闘ゲームの楽しさを教えるべきなんです。
そして、上達を実感し喜びを感じて貰える環境を用意すべきなのだと思います。
初心者に「上手くなりたい」「強くなりたい」なんて思わせても苦しいだけなんです。
その上手くなる楽しさや強くなる楽しさを知らないのですから。
だからその楽しさを教えることで「もっとやりたい」「もっと続けたい」と思わせること、
これが初心者教室が最初に整備することだと思うんですよ。
これが初心者の入門を導く内容だと思うんですよ。

それが全く用意できていないのが現在の格闘ゲーム業界なんですよね。
だから初心者はいつきませんし、敷居が高いと思い込まれているのです。
そんな中で今すぐにそういった教室を成立させようと思うならば何が必要か、
その答えは「格闘ゲームの楽しさを教える」ことだと思います。
そしてそれを教えるのにほぼ同時期に始める他プレイヤー、
コメント的には「昨日始めた初心者」というのは有効なツールになりますね。
教科書として、ではなく遊び友達としてね。


さてだらだら書いてきましたが、そろそろまとめにかかります。
格ゲー教室に初心者が通うには? だったのですが、
答えは
楽しさの提供
だと考えています。
娯楽ですよ、娯楽。
格闘ゲームは精神修行でも、自己鍛錬でもないのです。
楽しむものなのです。
なんでそこで精神修行や自己鍛錬をやらなければなないのでしょうか。
その理由が見えない限り初心者はそれを継続したいなんて思わないのです。

「楽しい」と「勝つ」を同列にみなし、「楽しい」の種類を知らない初心者なんて相当数います。
だから「勝てない」と「楽しくない」が同列になって面白くないと思ってしまうのです。
しかし格闘ゲームの「楽しい」はもっと他にあるんです。
それを知らないから負ける楽しさ、上手くなる楽しさ、練習する楽しさが分からないのです。
それが分からないから、そんなものはやりたくないと思うのです。
ならば「楽しい」を増やしてやれば、教えてやれば、そういう話だと思うのです。



PS コメ返し追記
ちなみに初級者教室はそれなりに数ありますが、
機能不全を起こしている教室も少なくありません。
その理由は概ねコメントの仮説全てが正解ですね。
特に教師側が教えるプロセスを全く考えず、
「手が届きそうなこと」を大々的に否定するのが大問題です。
こうなると初級者教室としても崩壊してしまいますね。

そういう意味では業界がノウハウの蓄積をしていない問題は非常に致命的です。
ゆえに「上達を教える初級者教室」は見放されつつあります。
そういう意味では「遅すぎて無理」というのは正論です。
「初心者入門教室」のニーズはまだあるとは思いますけどね。



元記事
昔の格ゲー初心者教室とは?

お題を頂戴しました。
今回のお題は「誰が初心者教室を作ったか?」とのこと。
それに関してやいのやいの適当を書き連ねるお話。

さて今回は「昔の格ゲー初心者教室とは?」と題しだらだらと書いていこうかと思います。

このお題を補足すると、
現在の格闘ゲーム業界に初心者教室が存在しないとして、
現在の上級者、つまりは過去の初心者は一体どのようにしてそこに上り詰めたのでしょうか。
そこに初心者がいて上達したという結果があるのであれば、
そこには初心者教室が存在したということではないでしょうか。
その教室は誰が作り上げたのでしょうか、その教室はなぜ現在に失われたのでしょうか。
とのこと。(コメントより)

さてはて、少し根本が違うと思います。

現在はもとより、どこまで過去にさかのぼっても、どこの瞬間を切り取っても、
格闘ゲーム初心者教室なんてものは一切存在したことはないのです。
ゆえにお題の解答をそのまま書くのであれば、
誰も作っていないし、ないものは失われることもない。となります。

このお題は1つの前提が少し違うと思うのです。
初心者が上達するのに教室や教室を代行するコミュニティが必要だと考えているようですが、
私はそこが違うと思うのです。
現在の上級者、つまりは過去の初心者は一切そういった初心者教室を求めませんでした。
いくつもの環境の変化が、現在と過去の差が、今の初心者にそれを必要とさせただけであり、
その前提を持たない過去の初心者にはそんなものは必要なかったのです。


格闘ゲームのブームはストリートファイター2(CAPCOM)により唐突に始まりました。
ゆえに過去の初心者はほぼ同時に格闘ゲームデビューというスタートラインを跨いだのです。
これが意味するのは絶対的な格差が存在しない対戦環境です。
現在において当たり前に語られる理論、思想なんてものはなく、
さも当然とされるレバテクですら中級者以上のものだった時代です。
これが意味するのは「常に先達の背中が見える環境」です。
ゆえにその中でどうにか勝とうと思ったとしても、
少し頑張れば勝てそうなんです、少し偏れば勝てそうなんです、
だからその少しをどうにかしようと独力で理論や思想や練習を重ねられたのです。

対して現在では初心者の手が届くところに他のプレイヤーがいないのです。
遥か先をいくプレイヤーに追いつくまでは勝負の欠片すら成立せず、
その背中を捕らえるまで途方もない努力をしたら対戦で負ける権利を貰える状態です。
そんな中で圧倒的な意味不明な敗北を乗り越えて、
ようやく勝負の土俵に立てる程度の敗北を目指して練習を積み重ねられるのか。

精神的に過去の初心者と現在の初心者では背負うものが違いすぎるのです。
ゆえに過去の初心者は気楽にデビューを果たし、
あと少しを合言葉に莫大な黒星を楽しめたのです。
ゆえに現在の初心者は気合の入ったデビューを要求され、
途方もない練習という合言葉を前に黒星に心を折られるのです。
だからこそ、上達のショートカットとして初心者教室を欲してしまうのです。

ほぼ全員が一斉デビューという環境、
まだ先達の背中が見える程度の差しかない時代という環境、
この環境は現在の初心者が渇望してやまない過去の初心者の特権なのです。


もう1つ大きな差があります。
時間を経るごとにスタートダッシュの速度がスピードアップしたことです。
格闘ゲームプレイヤーの中でも抜きん出た強さを見せ付けるトッププレイヤーが出現し、
彼らの研究成果や彼らの観察結果から多くのセオリーが生み出されました。
つまり最初期には一切なかった「強くなるプロセス」が徐々に整備されていったのです。
そして世の中にインターネットが登場します。
それまでは一部プレイヤーが持っているだけだったその「強くなるプロセス」は拡散されました。
結果として現在の環境では本気でやろうと覚悟を決めた初心者に対しては、
凄まじい速度でそのプロセスによる育成が成立してしまうのです。
これにより初心者と少し本気でやっただけの元初心者でも圧倒的な差になるのです。
同時にメーカーも多少の練習ではっきり差が付くシステムを投入するようになっているので、
その本来「少し」の差が何倍にも誇張されて初心者に伝わってしまうのです。

圧倒的な実力者が世に知られていなかった過去、
「強くなるプロセス」が存在せずスタートダッシュができなかった過去、
僅かな実力差を誇張するシステムが存在しなかった過去。
そんな過去の初心者は、見える先達の背中を追いかけることが素直に出来たのです。
プロゲーマーが世にその名を知らしめた現在、
「強くなるプロセス」がネットであっさり調べられる現在、
僅かな実力差ですら大差に繋がるシステムが詰め込まれた現在。
そんな現在の初心者は、本来手が届く場所にいる先達ですら遥か遠くに見えてしまうのです、
その遥か遠くですら勝負の土俵に上がるだけという現実に折れてしまうのです。

ほぼ全員が小規模なコミュニティでの手探り攻略が限界だった環境、
まだ先達がロケットスタートを知らないから常に見える背中があるという環境、
この環境は現在の初心者が渇望してやまない過去の初心者の特権なのです。


そんな過去の初心者は、少しの努力を無理なく積み重ねることにより、
中級者以上の実力者に自然に育っていったのです。
目標に向けてあと少しだから自然に努力が出来るのは自然なことであり、
目標が遥か上に設定されるのであれば諦めてしまうのも自然なことなのです。
この先達の背中という目標の意味が大きく変化したのが、現在と過去なのです。

ゆえに過去の初心者は教室なんてものはそれほど必要としませんでした。
同格の対戦相手もいれば、もう少し上の対戦相手もいるのです。
そんな環境で対戦を続けられるのであればそれは勝手に上達することでしょう。
ゆえに現在の初心者は教室なんてものをはっきりと必要としてしまうのです。
同格の対戦相手はほぼおらず、もう少し上の対戦相手はロケットスタートでもう遠くです。
そんな環境で対戦を続けても勝ちに近づいていく実感なんて沸かないでしょう。

遊ぶことが上達だった過去、練習することが上達になった現在、
過去と現在で条件や環境はこれほどに異なるのです。


過去に初心者教室というものはありませんでした、必要ともされませんでした。
存在もしなかったものは現在になって「なくなる」ということはありえません。
ゆえに「何故に」失われたのかという問いは成立しないのです。


さてだらだら書いてきましたが、そろそろまとめにかかります。
昔の格ゲー初心者教室とは? だったのですが、
答えは
最初からない
だと考えています。
あらゆる意味で格闘ゲームを始めるという意味が、
格闘ゲームの初心者という単語の意味や環境が違いすぎるのです。
結果として過去と現在を同列の語ることが出来ないほどなのです。
現在に必要とされる教室は過去には必要とされなかった、
だから教室は現在においても成立させる鍵が足りていないのです。
教える側が教室の必要性を感じなかった世代なのですからね。

このスタートラインの差を、スタートラインの環境の差を知覚した上で、
過去の初心者と現在の初心者の差を語る人はその実多くありません。
たまに初心者育成の動きを考えて現在の初心者の方が恵まれているという人もいますが、
そんなものが必要になってしまっている不幸を考えられていない時点でその程度です。
それ以上に過去の初心者の方が業界単位で恵みを用意していたのですから、
過去と現在の差というのは歴然なのです。
まして、初心者育成の大半が機能不全を起こしているのが現在なのですからね。


PS コメ返し部分
教室が成立するには「遅すぎるので無理」ですか。
そうは思いませんけどね、間違いなくニーズはあります。
ただそのニーズに応える方法を業界があまりにも積み重ねていないのが問題なのです。

そしてそのニーズは「上達したい」でもなく、「楽しみたい」でもなく、
「練習をしないで上達して勝利を楽しみたい」という声が大半なのです。
現在の格闘ゲームの大前提は練習量が強さです。
ゆえにそのニーズが破綻しているわけですが、
それを上手く誤魔化す方法を業界が考えていないのです。
だから、そのニーズを真っ先に否定して「練習しろ」と言ってしまうのです。

「格闘ゲームは所詮ゲームだから簡単に強くなって勝負できるようになれる」。
そんな無茶苦茶を考えている初心者も少なくないのです。
そのパブリックイメージを正すべきかは置いておくとして、
その勘違いに上手く付き合う方法が提唱されたときが教室のスタートラインだと思うのです。

ニーズがなくなったから無理なのではなく、
ニーズに応える方法がないから無理なのが現在なのだと思いますよ。
だから「遅すぎる」ということもないとは思うのですけどね、どうでしょうか。



コメント元
プロ育成教室の成立条件とは?

お題を頂戴しました。
今回のお題は「ゲームの選手を育成する環境は成立し得るかどうか」とのこと。
それに関してやいのやいの適当を書き連ねるお話。

さて今回は「プロ育成教室の成立条件とは?」と題しだらだらと書いていこうかと思います。

お題に対してストレートに回答すると、「成立する」となります。
というか、成立済みです。
極端な話をすれば、ゲーセンに通ううちに知り合いも出来るでしょうし、
そうなれば基礎を教わることもできるでしょう。
その中で上手くなればよりレベルの高いゲーセンを紹介されるでしょうし、
ある程度の規模のある大会に誘われるでしょう。
そこで成果を出せるのであれば全国規模の大会にも誘われるでしょうし、
そういう大会でコンスタントに結果を出せるのであればプロにもスカウトされるでしょう。
つまりゲーセンというコミュニティが選手育成の環境にもなっているのです。

それでもなおこのお題が存在する理由とは何か。
それはそれを世の中に認知させることが出来ていないということです。


今回のお題は大きく分けると2つのステップが問われます。
1つに初心者の獲得及び入門部分の指導、
1つにプロレベルの実力者の指導、
この2つは同時には語れないでしょう。

簡単なのは後者です。
これが世の中に存在しないと思われている理由は、本当に存在しないからです。
むしろここは現在のプロゲーマーなどが特殊であり、
お互いの情報交換を元に実力を高めあっているのです。
結果として、明確なトレーナーや監督と呼ばれる指導者が存在しないのです。
他のスポーツと違い選手生命が長く、故障もないためまだまだ第1世代が現役です。
ゆえに退役後の後進育成というお約束の道のりを歩むものがまだいないのです。
結果として、上級者がプロを目指すための指導者というものは存在しません。
League of Legends(LoL)(Riot Games)だとその辺は確立されてそうですけど。

前者はなんとも微妙な話です。
初心者講習会だとか、初心者対戦会だとか初心者を受け入れる場所は存在します。
またゲームWikiにも脱初心者を目指す云々というのはよく書かれています。
そういう意味では存在しているのですが、
そのほぼ全てが理論や思想を解したあとの話であり、
実態は「初級者向け技術向上のため」のものとなっており、
「初心者向け入門のため」のものがほぼ存在しないのが現実です。
結果として、業界側はやっているつもりでも、世間的にはやっていないということです。
つまり存在していません。

おや、成立済みであると、存在していると断定した割には両方が存在しないという結論に。
確かにプロ選手を目指すまでの環境というものは存在するのですが、
それを適切に導いてくれる環境がないというが正解なんでしょうね。
そういう意味ではスポーツのように分かりやすいクラブや道場の存在や、
そこに存在するコーチや師範のような存在はありません。
ただ本気でそれを目指すのであれば実は今の環境でも機能はしているということです。


そんな宙ぶらりんな話で終わるものあれなのでもう少し続けましょうか。
では、それこそ格闘ゲームを教える教室のようなものは成立するのかと。

まず教える側からすれば大なり小なりそれは望ましいでしょう。
「趣味の範囲でいいのならば」と枕詞は置くことになるでしょうが、
そういったことを新規プレイヤーに説けるならば人口増加に繋がりますし、
そういったことを初級プレイヤーに説けるならば業界の発展に繋がります。
ただしこれが「趣味の範囲を超える」となると風向きは少し変わります。
そもそも現在のプロは情報共有以外はほぼ独学でその地位にいるのであり、
誰かに強くなるように指導してもらったということはないでしょう。
つまりプロに通じる技術や思考を教えるノウハウが存在しないのです。
ゆえに趣味の範囲を超えて、プロ志願者を教えるだとかはできないのです。

また同時に対初心者においても、初心者と初級者を混同しているため、
初心者に思想や考え方を教えなければならないのに、
初級者用の技術や練習法を教えてしまうのです。
結果として初心者の入門部分すら満足にこなせてもいません。
それはイコールで初心者の入門を間接的に拒んでいることにもなっています。

つまり、教える側から見る場合そのような環境はあるに越したことはないものの、
それを生かせるだけの人材や理論やノウハウが笑えるほどにないのです。
つまり教師側から見た場合の教室は「やりたいけど、やれない」状態なのです。


生徒側から見る場合はやはりプロ志向の場合は適任者の不在がネックです。
プロゲーマーのインタビューや著書などはありますが内容は原則として「絶え間なく練習」です。
思想書としてはいいのでしょうがそれは技術書なのかは疑問ですし、
実際上級者とプロの決定的な境目がそれなのかも不明です。
そんな中でそのテキストを元に「死ぬほど練習しましょう」と教師に習っても仕方がないでしょう。

初心者の入門教室としてはどうでしょうか。これも当然のごとく需要はあります。
どんなゲームでも単純に勝てるようになりたいとか、面白そうだしやってみたいとか、
初心者プレイヤーが自身の向上を望むことは多々あるでしょう。
実際そう思うからこそ初心者講習会に足を運ぶ人だっているでしょう。
しかし大前提としてゲームは娯楽であるというのが根幹にあります。
ゆえに初級者に向けての「練習フルコースの薦め」を聞くだけでうんざりするのです。
その練習の無駄に高いハードルに絶望するのです。
そのハードルを乗り越えても勝利とはほど遠い現実に断念するのです。
結局、教師側の無能さがこの需要に対してほとんど応えられていないのです。


つまりはこれが成立しない要所は、まともな学習カリキュラムと教師が存在しないことなのです。
プロを目指す学習というものはプロに到達した人間が起こす以外には説得力が乏しいでしょう。
そのテキストは今の所「エンドレス練習」としか書いておらず、ただの精神修行の薦めです。
入門を補助する学習というものは初心者の視点にあるべきなのに、
そんなものは一切省みず最初から上達だけを教えるというミスマッチが起きるのです。
ゆえにそういう教室は現在は全く存在する気配すらありません。

とはいえ、色々な意味で今の環境が過渡期だとも考えられます。
プロゲーマーとして第一線で華々しく勝利を積み重ねた選手は未だ誰もが現役です。
先の通りそういった選手の引退があってコーチが生まれると考えるならば、
プロ第1世代の引退の次にその可能性があるのではないでしょうか。
問題はそのプロ第1世代があまりにも初心者を教えることに関して無能なことくらいです。
(ちなみにLoLは既にプロ選手の世代交代が進んでいます。)

この先、プロ第1世代がドロップアウトしたときに業界に残る選択をするのか、
そこで説かれる内容は教育内容として十分なものになるのか、
そんな未来が教室の可能性を握っているのかもしれません。


しかしコーチという職業を考えると今度はそこに発生する報酬の問題が生まれます。
教わる側が金を払う、それを抱えるチーム運営が金を払う、どの形式にしろ金は動きます。
逆に言えば、金を払ってまでプロとして試合に勝つ価値が存在するのかということになります。
結局これは賞金の多寡の話であり、金の多寡は人口の多寡でもあります。
そういう意味では業界に相応の金が回るからこそコーチは成立するのです。
(子供の習い事だと、違う意味も混ざるため単純な金の話ではないですが)

プロを目指す教室が成立するにはコーチが必要です。
コーチが成立するには雇用できる選手(選手候補)が必要です。
雇用できる選手(選手候補)が成立するには相応の魅力(賞金)が必要です。
相応の魅力(賞金)が成立するには人気や注目が必要です。
人気や注目が成立するには参加人口が必要です。

初心者入門を教える教室が成立するにはコーチが必要です。
コーチが成立するには月謝などを支払ってまで学びたいという魅力が必要です。
魅力が成立するには人気や知名度が必要です。
人気や知名度が成立するには参加人口が必要です。

はい、結局問題はスタートラインに帰結します。新規獲得です。

つまるところ、今の格闘ゲーム業界のように、
新規プレイヤーを苛め抜き、ある種の選民思想を持ったゲームでは業界が広がらないのです。
大前提として人数を集めることが業界の規模を支える常なのですから。


さてだらだら書いてきましたが、そろそろまとめにかかります。
プロ育成教室の成立条件とは? だったのですが、
答えは
新規獲得
だと考えています。
やっぱりこれです、結局これです、徹頭徹尾これです。
そもそも文化として保全するにも、発展するにも、広がっていくにも、
業界の人口というものがスタートラインなのです。
そして人口があれば金は動きビジネスとなるのです。
ならば新規獲得のために何をやるのか、そういうことだと思います。

そしてそれですら本当にスタートラインに過ぎないのです。
初心者の入門を導く知恵のノウハウは一切ないため、それを作り上げる必要があります。
上級者をプロへ導く知恵のノウハウも一切ないため、それを作り上げる必要があります。
それらを交えていざ教える際に適切な内容を抜き出して教えられる教師もいません。
そういった教える技術を持った教師を作り上げる必要があります。
その教えに対してあっさり異論を唱え嘘を吹き込む馬鹿も現れるでしょう。
そういった教える手順を業界の一般知識に落とし込む必要があります。

そこまでやらないとそういった教室って成立しないと思うんです。
どうでしょうかね。


コメント元
プロゲーマーのもう1つの形とは?

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