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美術情報

眼球細動と短い記憶−その12 絵との出会い:「メデューズ号の筏」のショック

眼球細動と短い記憶−その12 絵との出会い:「メデューズ号の筏」のショック

 私が初めて渡仏する時にソ連邦は無事に通過したのだが、モスクワからパリの列車の二日間の旅の途中で、ポーランドか東ドイツを出国する時に、押印が無かったことが判った。以前はパスポートに貼られた顔写真を張り替えられないために、写真とパスポートの台紙を同時に押印されて凸凹に跡が付いていた。言葉が通じないのを幸いに何とか通してもらった。パリに着き日本で知り合いだった友人の案内で日本大使館に行ったが土、日曜お休みだった。そんな訳で、時間が出来たのでルーブル美術館を案内してもらった。翌日は一人でもう一度行った。
 中学か高校の美術の教科書に載っていたテオドール・ジェリコー(Theodore Gericault 1791- 1824)の「メデューズ号の筏(Ⅼe Radeau de la Meduse 1819頃)」の前に来た時、気持ち悪くなって出てしまった。 大海原の真ん中に浮かんだ筏の上に死人が横たわり、気息奄々の人々が横たわり、一人が布切れを遠くに見える帆船に向けて振り、助けを求めている。当時実際に在った実話を絵画にしたものだ。 延々と続く油絵の名画を見た後で、その作品の大きさ(約5×7m)と描かれていた内容の強烈さ圧倒された。西洋絵画が曖昧さを拒否し、作品の隅々まで自己主張し、私の考えが入り込む隙間が無かったのが原因だと思う。
 ルーブルの作品がそれぞれ自己主張をして、私に大きな精神的な圧力が掛かっていたのだろう。このショッキングな出会いから、絵に興味を持つようになった。今思うと油絵での表現は表面の一層でなされ、見る側に「自己の表現を100%認めろ」と見る側に迫る表現だった。見る側の自分にとっては無理やり認めざるを得なかったので、許容力の限界だったと考えられる。そして、私は気持ち悪くなって、外へ出た。その後一日、地下鉄の駅で迷った他にパリで何をしたのか記憶が無い。この作品との出会いがあり、それから絵を見る事を今も続いている。今でもパスポートの発行係の人に感謝している。
 翌日に大使館でパスポートに押印をして貰い、なんとかボルドーに辿り着いた。 宿を取り、一息入れてから街を歩いていると日本人から声を掛けられた。いろいろ情報を貰った中のひとつが、大学の語学講座に入ると美術館の無料パスを発行してくれるとの事だった。フランス滞在中の約1年半、無料パスは大いに役立った。その彼はボルドーから引っ越して、私が彼の住んでいた部屋の後釜として住むことになった。200年前に建てられた建物で、屋根裏部屋だった。ベッドは古く、真ん中が凹んでいて、目覚めるといつもそこに落ちていた。だが家賃が安かったので助かった記憶がある。 
 余談だがレオス・カラックス監督の映画「ポンヌフの恋人(Les Amants du Pont neuf 1991)」でルーブル美術館に秘密の通路があって、そこを通ると「メデューズ号の筏」のすぐ脇に繋がっている。その小さな秘密の出入り口から3人が出てくるシーンがあった。この映画はパリのセーヌ川の一部とその周りの建物をそっくりセットで作りあげていた。セーヌ川で水上スキーをするシーンがあり、どうして撮影したか不思議だった。
 制作の過程の映像を見ると、上空のヘリコプターからセット全体が見えると、畑の真ん中にセーヌ川の一部と書き割りの建物があった。セーヌ川にポンヌフの橋もあり、パリの街並みも実物大のセットで作り上げ、とても大掛かりな造りだった。またルーブル美術館の「メデューズ号の筏」の部屋と、そこの脇にあった秘密の出入り口もセットで作ったのではないだろうか。私もその秘密の出入り口を使って深夜、誰も居ないルーブルでこっそりとその絵を見たくなったくらいだった。 高橋盛夫

眼球細動と短い記憶 その11−クロード・モネ:睡蓮の部屋で何故眠くなるのか

 眼球細動と短い記憶 その11−クロード・モネ:睡蓮の部屋で何故眠くなるのか

 パリのルーブル美術館の庭先にオランジェリー美術館(通称印象派美術館)がある。昔は名前の通り冬場の寒い時期に、オレンジの木を入れ寒さから防いでいた建物である。パリに住んでいた半世紀近く前、よくそこの地下室にあるクロード・モネ(Claude Monet 1840−1926)「水蓮」の部屋に行った。部屋の中央にふわふわで大きな長椅子が置いてあり、そこに座っていると居心地が良かった。人も余り入ってこず、静かだったので、気が付くと幾度となく眠ってしまった事があった。その後10年程して再訪した時は多くの観客が訪れるようになり、ゆっくりと眠れない空間になっていた。
 ルーブル美術館に収められている彼以前の色々な名画と比べ、モネの作品は明るかった。それは光を表現するために、彼は絵具をパレットの上で余り混ぜずキャンバスの上にそれぞれの色を置いた。何故なら油絵具は混ぜていくと濁り、暗くなっていく性質を持っていた。彼が屋外にイーゼルを立て、圧倒的な自然の光の明るさに近づけるためになるべく別々の絵具を混ぜないことをした。そして、見る人が眼の中で色を混ぜる行為を無意識に求めたのだ。それぞれの色が眼中で混ざり合った所に自然の光を求めたのである。そして、光を描いたので風景の輪郭線は画面上から何処かにどんどん消えてしまった。
 元々物には輪郭線がないが人間は記憶するために、輪郭線を使ってキッチリとした形のイメージとして捉えようとしている。モネの「水蓮の部屋」は「松林図屏風」と同様に輪郭線が無く、作品の中心と言うものが消滅し、焦点も無い。西洋の遠近法からも抜け出て、明るい光の世界を作った。
 その水蓮の画面を見る場合、絵具が別々に置かれているので、色と色を眼球細動の動きで一体化させて、別に色に転換する。それは日本人が朦朧とした月と雲を見るように、眼を細動しなければ見られない。そのような眼の動きで日本人は「水蓮」を苦も無く見て、感じる事が出来るのだ。そして、モネが意図して表現したある瞬間の光の在り方を理解したのだ。
 当時はフランスの人々は一部の人間を除いて、意識しないと見る事が叶わなかったのではないだろうか。フランス人の意識の中には朧月夜の重なったいくつものイメージではない、ある瞬間の色がバラバラになった一つのイメージである。それを日本人はいくつものイメージが見えるように受け取ってしまっているが、彼らは自然を日本人と同じように見ていない。モネは自然風景を見ていない、ただ光を見て描いているのだ。光を忠実に映すことをするのは「水」の性質が重要と考えた。「水」には色は無いが、様々な色を写し取ることと出来、定形がないので形も自由に変わる。彼は睡蓮の池を配した庭を作ったり、テムズ川とほとりにあるロンドン塔を描く対象に選んだのは当然の結果である。
 印象派の名声が高まった時、世界中の画家がモネなどを訪ね意見を交換した。日本の画家はモネが描いた処を探し、そこにイーゼルを立ててその風景を描いて日本に帰ってしまう。それが印象派を理解する大方の日本人の方法であった。たとえ会ったとしても、意見を戦わせることはしなかったのであろう。それは日本人が新しい世界の見方を日本人なりの価値観で取り込むのに貪欲だが、モネの新しい世界の見方を受け入れる事に対して価値を見出すことをしなかった。
 それは日本人の見方と取り入れる方法が、根本的に西洋人と違っていた。日本の認識方法の一つにイメージを幾層にも重ね、ぼんやりと認識する方法と、フランスでは作品に対して一つの確定したイメージを定着させるのとの違いがある。取り入れる技法は師と同じように描くと言う所から始まるのが、日本の絵師の伝統的な教育方法が有ったのではないだろうか。師の作品を見て師と同じように描けた後にそれを壊し始め、自分の表現を模索しだす。その間に言葉で理論を説明することが殆どない。「見て覚えろ、真似ろ、自分で考えろ」の一方通行である。
 オランジェリー美術館の2階にも「ルーアンの教会」を描いた4、5枚の作品があった。それを挟むように「日傘を差した女性」の2枚の作品あり、一つの壁に連作のように飾られていた。一日の間で太陽の光の当たり方によって、様々な変化していく教会の色。モネはその色を定着させるためにそれぞれの時刻の瞬間の描かなくてはならなかった。今思うと彼はルーアンの「教会」を描こうとしたのではなく、教会に当たる「瞬間の光と時間」を描こうとしたからである。それを強調するように展示方法は両端に日傘を差した「光の中の女性」を配置されていた。
 私は実際にどうなっているのだろうかとルーアンの街に行き、描かれた協会の前に行ったが私の眼には普通の「教会」にしか見えなかった。どうしてモネが様々な時間の教会を観察し、微妙な違いを表現していたのを当時は実感できなかった。

 日本で「印象派の・・・」と銘打った展覧会には、「モネ」の名前が有り、「水蓮」が登場する。「印象派」の名前の由来はモネの作品「印象、日の出(Impression, soleil levant)」から来ているから当然だろう。今も「水蓮」は多くの日本人の感覚に訴えて、魅了している。彼の作品を日本人が多く求めたのと、またモネが日本庭園を造ったりして、日本に対して持っている興味があり、よりモネに対して親近感がわくのだろう。
 モネの作品を展示しているパリのマルモッタン美術館には晩年の作品が多くある。日本庭園を描いた作品で、色の線を使って具体的な形が無い抽象画と言える。彼にとって形がどんどん遠ざかり、光のみが残っている。
 昔のオランジェリー美術館に展示されていた印象派の作品の殆どは、セーヌ川の対岸に出来たオルセー美術館に現在は移っている。                    盒鏡紘

埋没する美術館、今週のXXX

   日本は金融面で国際化が遅れている国のイメージだが、株の売買は外国勢が6割位になっている。 日産自動車はフランス・ルノーのゴーン氏の尽力で資本注入して蘇らせ、また東芝の再建で外国勢が主導権を握ったりしている。 ソフトバンクの孫正義さんは10兆円ファンドを立ち上げている。 お金は国境をドンドン飛び越えているが、物はそんなに飛び越えていないのが現実だ。 日本のアート作品は日本からどれだけ飛び越えているのだろうか。 外国のコレクション展を企画しても何も変わらないのを知ってか知らずか、美術館は未だ海外崇拝の雲の中に埋没している気がする。                                    高橋盛夫

 *「今週の岩永」は7月末までお休みします。

今週のフルイ 134 アラベスク文様の小箱
今週のフルイ134−2018.6.18−23アラベスク文様の小箱














    今週の三宅 114 柔らかい風
今週の三宅114−2018.6.18−23柔らかい風














     今週の倉内 37 彼の歌
今週の倉内37−2018.6.18−23彼の歌
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