アートフラワーと言われる西洋の生け花は左右を対象とした空間を創る。その為に花をびっしりと生けて、作家の意思のみを表現しようとする。見る側の見方を自由にさせないのである。
それは作家の意思を見る側が「勝手に違うイメージをつくるな」とのことだ。
それに比べ日本の生け花は、何も活けていない場所を加える事が多い。 その空間は見る側で「想像して下さい」と言われるようなものだ。
日本の生け花は見る側が「ある部分を生ける」行為を無意識にさせられている。
日本には連歌と言う遊びがあった。 句を読んで、それを一部取り入れた他者が新しい句を作り、次々と即興で句が生まれる。
その伝統を汲んで、「蓮花」?がある。 最初にある人が生け、次の人が続きを生け、次々に加わりどんどん大きな作品になって行く。 続けられるのは常に空いた空間が有るから生まれるのだろう。
西洋の生け花は見せる花で、空いた空間が無いので、見る者を参加させない。
ヨーロッパの絵画の世界で展覧会がおこなわれ、人々が作品を観た後に作家が現れる。
そして自分の作品に一筆描き加えるショーみたいな感じの事をしていた時代が有ったらしい。
見る側が作品の前に立ち、作家がどんな風にこの絵を仕上げるのだろうと、一生懸命頭の中で描いた。
作家が実際に入れた筆と自分が入れた架空の筆とを比べて、楽しんでいたらしい。
どちらかと言うと、作家の思い描いたものを見る側も求めた。
結果として絵画作品は何も変わらない構造になっている。
高橋盛夫
それは作家の意思を見る側が「勝手に違うイメージをつくるな」とのことだ。
それに比べ日本の生け花は、何も活けていない場所を加える事が多い。 その空間は見る側で「想像して下さい」と言われるようなものだ。
日本の生け花は見る側が「ある部分を生ける」行為を無意識にさせられている。
日本には連歌と言う遊びがあった。 句を読んで、それを一部取り入れた他者が新しい句を作り、次々と即興で句が生まれる。
その伝統を汲んで、「蓮花」?がある。 最初にある人が生け、次の人が続きを生け、次々に加わりどんどん大きな作品になって行く。 続けられるのは常に空いた空間が有るから生まれるのだろう。
西洋の生け花は見せる花で、空いた空間が無いので、見る者を参加させない。
ヨーロッパの絵画の世界で展覧会がおこなわれ、人々が作品を観た後に作家が現れる。
そして自分の作品に一筆描き加えるショーみたいな感じの事をしていた時代が有ったらしい。
見る側が作品の前に立ち、作家がどんな風にこの絵を仕上げるのだろうと、一生懸命頭の中で描いた。
作家が実際に入れた筆と自分が入れた架空の筆とを比べて、楽しんでいたらしい。
どちらかと言うと、作家の思い描いたものを見る側も求めた。
結果として絵画作品は何も変わらない構造になっている。
高橋盛夫