本
June 21, 2009
No Wave Rare Live & Photo Collection: New York 1976-1980
Sonic Youthが新作『The Eternal』をリリースして、せんがわでイクエ・モリの演奏を見る事が出来て、タイミング。
レコファンに『No Wave Rare Live & Photo Collection: New York 1976-1980』が置いてあって、「なんだこれ?」と手にとってみて、元に戻す。が、結局気になり数日後、レコファンに行ってみてまだ置いてあったら・・・と決めて行ってみたらまだあった。なので購入。
これはNo Waveの写真集。1年ほど前にアメリカで出版されたものらしい。写真のみならず、各種発言やインタビューが組み込まれていて、それは別冊の翻訳で内容を知る事が出来る。絵として面白い写真は少ないのだけど、あのよくわからないシーンを切り取ったものとして、そしてNY時代のReckやチコ・ヒゲがほんの少し登場しているのを確認出来るのも嬉しい。
そして悩んだけど結局欲しくなった最大の理由は付録のCD。DNAとJames Chance & the Contortionsの未発表ライブがカップリングされている。特にDNAは音源が少ないので、ちょっと見逃せなかった。
まだ『No New York』がCD化される前、正式にリリースされていたDNAの音源はCD化されてなく、その音を初めて聴けたのはAvantからリリースされた『DNA (Last Live at CBGB's) 』。アヴァンなバンドかと思っていたら、まあとにかく、これは酷いな、と。当然Ambitious LoversやLounge Lizards、Arto Lindsayのソロ作は知っていたのだけど、そこで幾らか差し込まれるLindsayのギターは鮮烈だったけれど、それが終始しているとなかなかどうにも。それがDNAに対する印象なのだけど、これをやりきる勢いがNo Waveというシーンだと思う。正直面白いと思ってDNAを聴いた事は無い。当然繰り返し聴く必要事も無かった。だけどLindsayの音に惹かれ続けている立場では、インパクト以外に何も無いDNAも網羅したくなる。そんな考えなので、久しぶりに聴くDNAだったけれど、この数年間の間にオレの耳にも多少の余裕が出来ていたようで、相変わらず「酷いな」と思うのだけど、ベースは結構上手い様な気がするし、モリさんのドラムはプリミティブな表現に思えたりする。そこにLindsayの歌の下手さも加味して、どうしようもない焦燥感は未でも誰も追いついていない。
DNAに比べればContortionsは音楽している。そもそも、それなりにサックスを吹き鳴らすことが出来るわけだから、勢いでギターを持ってしまったLindsayとChanceは違う。だけど単なるロックはやりたくなかった結果(ジャズはやりたくても出来なかったかも知れんけど)、ファンクを注入した異物なパンク。Pop Groupがロックから離れる為にファンクしてしまったという様な文献を時々目にするけれど、それは単にContortionsをお手本にしたんじゃないか?とすら思う。ミニマルに繰り返すフレーズがファンクを形作り、そこにスライドなギターとChanceのサックスが金切り声の様な嫌がらせ。高揚感を生む為に長く演奏すればいいものを、短い曲の方が多いパンクなスタンス。やりたい事がわかるようで全くわからない。


『No Wave Rare Live & Photo Collection: New York 1976-1980』
レコファンに『No Wave Rare Live & Photo Collection: New York 1976-1980』が置いてあって、「なんだこれ?」と手にとってみて、元に戻す。が、結局気になり数日後、レコファンに行ってみてまだ置いてあったら・・・と決めて行ってみたらまだあった。なので購入。
これはNo Waveの写真集。1年ほど前にアメリカで出版されたものらしい。写真のみならず、各種発言やインタビューが組み込まれていて、それは別冊の翻訳で内容を知る事が出来る。絵として面白い写真は少ないのだけど、あのよくわからないシーンを切り取ったものとして、そしてNY時代のReckやチコ・ヒゲがほんの少し登場しているのを確認出来るのも嬉しい。
そして悩んだけど結局欲しくなった最大の理由は付録のCD。DNAとJames Chance & the Contortionsの未発表ライブがカップリングされている。特にDNAは音源が少ないので、ちょっと見逃せなかった。
まだ『No New York』がCD化される前、正式にリリースされていたDNAの音源はCD化されてなく、その音を初めて聴けたのはAvantからリリースされた『DNA (Last Live at CBGB's) 』。アヴァンなバンドかと思っていたら、まあとにかく、これは酷いな、と。当然Ambitious LoversやLounge Lizards、Arto Lindsayのソロ作は知っていたのだけど、そこで幾らか差し込まれるLindsayのギターは鮮烈だったけれど、それが終始しているとなかなかどうにも。それがDNAに対する印象なのだけど、これをやりきる勢いがNo Waveというシーンだと思う。正直面白いと思ってDNAを聴いた事は無い。当然繰り返し聴く必要事も無かった。だけどLindsayの音に惹かれ続けている立場では、インパクト以外に何も無いDNAも網羅したくなる。そんな考えなので、久しぶりに聴くDNAだったけれど、この数年間の間にオレの耳にも多少の余裕が出来ていたようで、相変わらず「酷いな」と思うのだけど、ベースは結構上手い様な気がするし、モリさんのドラムはプリミティブな表現に思えたりする。そこにLindsayの歌の下手さも加味して、どうしようもない焦燥感は未でも誰も追いついていない。
DNAに比べればContortionsは音楽している。そもそも、それなりにサックスを吹き鳴らすことが出来るわけだから、勢いでギターを持ってしまったLindsayとChanceは違う。だけど単なるロックはやりたくなかった結果(ジャズはやりたくても出来なかったかも知れんけど)、ファンクを注入した異物なパンク。Pop Groupがロックから離れる為にファンクしてしまったという様な文献を時々目にするけれど、それは単にContortionsをお手本にしたんじゃないか?とすら思う。ミニマルに繰り返すフレーズがファンクを形作り、そこにスライドなギターとChanceのサックスが金切り声の様な嫌がらせ。高揚感を生む為に長く演奏すればいいものを、短い曲の方が多いパンクなスタンス。やりたい事がわかるようで全くわからない。

『No Wave Rare Live & Photo Collection: New York 1976-1980』
tbr at 23:51|Permalink│
January 19, 2009
山本精一
想い出波止場とか羅針盤とかRovoとかParaとかナンバジャズとかNovo Tonoとかトランシーになる前のBoredomsとか、そういうのが好きな人は山本精一の『ギンガ』に目を通してみるべきだと思う。
先週の木曜に購入し、目を通したのが先週の土曜。2時間ほどで読み終える。あっという間。とにかく立読みでもいいから3ページほど、読んで見れば、上記に当てはまる人達は購入してしまうはず。もし購入する金が無ければ、そのまま立読み続ければいい。はず。
『ギンガ』は『ゆん』以前に出版されていたものの復刻らしいのだけど、どちらもミュージシャン本なんてものではなく、ギタリストの悲哀に満ちた半生が綴られている。だけど何故か笑える部分がある。というか、全編笑える。想い出波止場の再発より、『ギンガ』の再発の方が有意義だった。冗談じゃなくてホントに。


山本精一 『ギンガ』
先週の木曜に購入し、目を通したのが先週の土曜。2時間ほどで読み終える。あっという間。とにかく立読みでもいいから3ページほど、読んで見れば、上記に当てはまる人達は購入してしまうはず。もし購入する金が無ければ、そのまま立読み続ければいい。はず。
『ギンガ』は『ゆん』以前に出版されていたものの復刻らしいのだけど、どちらもミュージシャン本なんてものではなく、ギタリストの悲哀に満ちた半生が綴られている。だけど何故か笑える部分がある。というか、全編笑える。想い出波止場の再発より、『ギンガ』の再発の方が有意義だった。冗談じゃなくてホントに。

山本精一 『ギンガ』
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September 15, 2008
大友良英
『77 BOADRUM』とか最近のYCAMとか、こういうのを見ていると東京も大した事無いという事がよくわかる。YCAMには行ってみたいし、実際この3連休に行ってしまおうかと結構考えたのだけど、二の足を踏んだ。経済的な理由もあるのだけど、他にも理由はある。
まあ、それはおいておいて。
大友良英の『MUSICS』は、本のほうはさっさと読み終えていたのだけど、DVDを見る事を保留にしていた。それを今日再生したので、やっとインプレが残せる。
本の中身について大きく触れると、ネタばれになってしまうのであまり書くことは出来ないけれど、一つだけ、個人的に大友の歌というものに対しての意識、考え方を読む事が出来た事がこの本の一番の収穫。歌手ではない演奏者にとって、歌、或いは歌い手に対する感情は色々あると思うけれど、それをどう思っているか、どう受け取っているかというのは、個人的な興味だった。大友がそれに対して、さがゆきとの録音や、浜田真理子との関係、カヒミ・カリィをONJOに呼んでいる事等を考えて、疎かな視点ではない事はわかっていたけれど、ここにはっきりと言葉に残している事の意味は大きい。
DVDはONJOのライブと、ONJOと音遊びの会によるセッションが収録されている。ONJOのライブは、今年アートスクエアで見たライブに連なるもので、興味深いものだけど、映像の作り方は、まあ、なんていうか、もう少し練りこんで考える部分があっても良かったような気がする。気持ちはわかるけれど、あの映像には惹きこまれる部分は無い。
それに対して余計な演出を端折った音遊びの会とのセッションは、映像としては学芸会を撮影したもののようなものでありながら、だからこそ伝わるものがある。ONJOの面子は全てが音楽で生計を経てている人たちであり、それも、単なる演奏者という立場ではない様な個性の集まり。それらが、言ってしまえば完全なる素人と音楽を共有する事の生み出すスリルがある。素人とプロフェッショナルの共演と言う意味では、オレが知っているだけでもGavin Bryarsや、CANがバンドのメンバーとしてあえてそういうものを抱え込んだものなど、新しい技法ではない。だけどそれらは、プロフェッショナルの中に抱え込むものという視点があり、あくまでも、コントロールされる対象だったはず。だけどONJOと音遊びの会のセッションは、音遊びの会の面子が放つ音を尊重し、それを活かすための演奏が行われるように見える。


大友良英 『MUSICS』
まあ、それはおいておいて。
大友良英の『MUSICS』は、本のほうはさっさと読み終えていたのだけど、DVDを見る事を保留にしていた。それを今日再生したので、やっとインプレが残せる。
本の中身について大きく触れると、ネタばれになってしまうのであまり書くことは出来ないけれど、一つだけ、個人的に大友の歌というものに対しての意識、考え方を読む事が出来た事がこの本の一番の収穫。歌手ではない演奏者にとって、歌、或いは歌い手に対する感情は色々あると思うけれど、それをどう思っているか、どう受け取っているかというのは、個人的な興味だった。大友がそれに対して、さがゆきとの録音や、浜田真理子との関係、カヒミ・カリィをONJOに呼んでいる事等を考えて、疎かな視点ではない事はわかっていたけれど、ここにはっきりと言葉に残している事の意味は大きい。
DVDはONJOのライブと、ONJOと音遊びの会によるセッションが収録されている。ONJOのライブは、今年アートスクエアで見たライブに連なるもので、興味深いものだけど、映像の作り方は、まあ、なんていうか、もう少し練りこんで考える部分があっても良かったような気がする。気持ちはわかるけれど、あの映像には惹きこまれる部分は無い。
それに対して余計な演出を端折った音遊びの会とのセッションは、映像としては学芸会を撮影したもののようなものでありながら、だからこそ伝わるものがある。ONJOの面子は全てが音楽で生計を経てている人たちであり、それも、単なる演奏者という立場ではない様な個性の集まり。それらが、言ってしまえば完全なる素人と音楽を共有する事の生み出すスリルがある。素人とプロフェッショナルの共演と言う意味では、オレが知っているだけでもGavin Bryarsや、CANがバンドのメンバーとしてあえてそういうものを抱え込んだものなど、新しい技法ではない。だけどそれらは、プロフェッショナルの中に抱え込むものという視点があり、あくまでも、コントロールされる対象だったはず。だけどONJOと音遊びの会のセッションは、音遊びの会の面子が放つ音を尊重し、それを活かすための演奏が行われるように見える。

大友良英 『MUSICS』
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June 04, 2008
山本精一
『サウンド・アナトミア』と一緒に買ったのが、山本精一の『ゆん』。実は内容のわからない状態で購入。どうやら『ギター・マガジン』等に連載していたエッセイを単行本化した様なのだけど、だからと言ってギターとか音楽についての薀蓄が語られているわけではなく、日々の山本の思った事が綴られている日記のようなもの。で、その話が面白く、これも一気に読み切ってしまった。ツアー先での宿泊所の事や観光名所、自身の性格についての分析とか、まあ、多少は音楽についての事も出てくる。正直、最初の頃は読点の位置に疑問があり読みづらかったのだけど、慣れるとそれが山本の語り口なのだと思え、個性として受け入れられるようになった。
日々の中で内心、「バーカ、ふざけんなタコ!!、ボケ!!」と思うような事があっても、モロに口には出さずにやり過ごしたりしているけれど、そういう事を思うのは自分だけじゃないのか?という疑問が浮かぶ。それを山本の文章の中で「なんだ、やっぱそうなんだ」と思わせてくれる部分が多々あって、そこで胸の痞えも取れる。癒し系の本。


山本精一 『ゆん』
日々の中で内心、「バーカ、ふざけんなタコ!!、ボケ!!」と思うような事があっても、モロに口には出さずにやり過ごしたりしているけれど、そういう事を思うのは自分だけじゃないのか?という疑問が浮かぶ。それを山本の文章の中で「なんだ、やっぱそうなんだ」と思わせてくれる部分が多々あって、そこで胸の痞えも取れる。癒し系の本。

山本精一 『ゆん』
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June 03, 2008
サウンド・アナトミア
今日、ピットインで行われたはずの『サウンド・アナトミア』の出版記念ライブ。大友良英のブログで集客を煽っていたので行ってみようかと思わないでもなかったけれど、少々内輪ノリの雰囲気があり、スルーしてみた。本当は中村としまるがピットインで演奏なんてのは興味があったのだけど、今回はいいか、と。
なので今日はタイミングを合わせて『サウンド・アナトミア』の感想。実は2月ぐらいに一応読み終わっていた。以下はその時に書いてあったもので、本当はもう少し『サウンド・アナトミア』という本を咀嚼してから書き換えようかと思って下書きのままだったのだけど、結局そういう作業もめんどくさくなったのでそのまま。
/*
年末ぐらいからか、それぐらいからタワレコで何度も手にしては戻すという事していた本があって、それを2週間ほど前に結局購入。その本は『サウンド・アナトミア』という本で、音楽評論家の北里義之の書いた本。Mixiの日記かなんかで日々アップされていたものをまとめたモノらしい。それが紙媒体のメディアとして日の目を見ることになった。オレはMixiには入っていないのでその日記を見ることは出来なかったから、こうなる事でやっと目にする事が出来た。だけど、なかなか購入に踏み切れなかった理由は、手にしてパラパラめくって、あまり面白そうとは思えなかったからで、さらにこれを読む為には幾らかの基礎知識が無ければいけないと言う事も気付いていた。『サウンド・アナトミア』を読むために必要なテキストの大谷能生著書の『まずしい音楽』もすぐ近くにおいてあった。それもめくってみたけれど、この本のタイトルの狙いが気に入らず、これは購入していない。さらに、高柳昌行の『汎音楽論集』や、勿論その本だけではなく高柳のいくつかの音源、さらに佐々木敦の書いた本やSachiko Mと中村としまるの音を知っていなければいけない。この中で佐々木の書いた著書をオレは知らないけれど、彼の書いた文章はいくらか目にしているし、なんとなくそのスタンスもわかる。大谷という人は全然知らないけれど、そこまではいいか。という状態で手にした『サウンド・アナトミア』。
まず、高柳著書にあたる『汎音楽論集』のアンサー本というか、解説本的な項目が続く。オレは『汎音楽論集』は面白いと思わなかった。それについては1年ほど前に投稿しているので割愛するけれど、まあ、洞察力の無いオレとは全く異なった視点からの解説と考察を読むことが出来る。特にアクション・ダイレクトという演奏形態への言及が多いのだけど、その現場やそこに至るまでの高柳の音をリアルに感じてきたもの証言としてに捉えることが出来る。それによって『汎音楽論集』という本、或いは高柳の音に対する捉え方も少し変化してきた。
そして、Sachiko Mと中村としまるという固有名詞を何度も出す事によっての音響派と呼ばれる音楽について、大谷や佐々木との考え方の違い、それにまつわるちょっとした論争への回答や解説みたいなものが展開されている。この部分は少し厄介で、なぜかというと、高柳の音は、既に高柳自身によって発せられる事はなくなってしまっているため、それへの言及は事実から紐解く事によって場違いな事を発することは無いと思われる。だけどSachiko Mも中村としまるも現在のミュージシャンであり、まだまだ音楽の前衛的な立場であり、それが一つの結論や結果を産むまでには至っていないとオレは思う(現象は作っているけれど)。そういう音に対して、北里も大谷も佐々木も、持論を強固する事に躍起になっていると感じ取れてしまう部分がある。それは読者の聴き方の強制につながり、可能性みたいなものを評論する立場の人間が決めてしまうような気がしてならない。
そして再度、高柳についての記述が提出されてこの本は終わる。全体的に他の本の引用が多く、そこに読みづらさをオレは感じた。さらに言えば、必要なテキストのところであえて書かなかったけれど、やたらとミシェル・フーコーという哲学者の論理を取り込んでの話が目に付く。オレは哲学の本というものを殆ど読んでいないし、読んでみたいと言う気持ちも現時点では無い。だから、フーコーの話が出てくると小難しさが強調されるし、読んでいるのが辛くなる。また、北里本人の文章や、大谷や佐々木の文章も、なにか哲学というか宗教というか文学というか、そういうところで使われるものを脚色に使っているような感じがあって、なんだか古臭い感じを受けてしまう。論じると言う事が、結局皆同じ様な文体を使っての展開になっているように見えて、誰が書いた言葉かという事を意識しなければ、誰が書いた言葉かという事がわからなくなったりする。勿論これはオレの浅学のせいだけど、こういうやりとりが音楽評論の現場なのだとしたら、あまり面白いものではない。紹介するものは面白くないけれど、これならばジャズ喫茶メグのオーナーの書いた文章の方が楽しい。
だけど。この著者の文章の書き方は、音楽評論というものを、他の評論というところと同じぐらいの地位というか、そういうところにあるべきだという堅苦しさをあえて表しているようにも思える。そう思ったのは、著者が自身の母親の介護という視点からの文章も挿入されていて、その部分は文章にリズムがあり、読み進み易かったかれで、そこにもフーコーがどうのこうのという話も出てきてしまうけれど、自分の感情をストレートに出したと思われる言葉と内容に、他者が引きずり込まれるものが出ている。
オレの知性で読み進むことには少々難のあった本なのだけど、途中で止めたり投げ出したりしなかったのは、多分オレがここに書かれている固有名詞に興味があるからなのだと思う。それと、「よくわからない・・・」と思いながらも、それでも短時間で読み終えた。万人向けではないけれど、名前の出てきたミュージシャン、特に晩年の高柳に興味のある人には読みどころがあると思う。
*/


北里義之 『サウンド・アナトミア』
なので今日はタイミングを合わせて『サウンド・アナトミア』の感想。実は2月ぐらいに一応読み終わっていた。以下はその時に書いてあったもので、本当はもう少し『サウンド・アナトミア』という本を咀嚼してから書き換えようかと思って下書きのままだったのだけど、結局そういう作業もめんどくさくなったのでそのまま。
/*
年末ぐらいからか、それぐらいからタワレコで何度も手にしては戻すという事していた本があって、それを2週間ほど前に結局購入。その本は『サウンド・アナトミア』という本で、音楽評論家の北里義之の書いた本。Mixiの日記かなんかで日々アップされていたものをまとめたモノらしい。それが紙媒体のメディアとして日の目を見ることになった。オレはMixiには入っていないのでその日記を見ることは出来なかったから、こうなる事でやっと目にする事が出来た。だけど、なかなか購入に踏み切れなかった理由は、手にしてパラパラめくって、あまり面白そうとは思えなかったからで、さらにこれを読む為には幾らかの基礎知識が無ければいけないと言う事も気付いていた。『サウンド・アナトミア』を読むために必要なテキストの大谷能生著書の『まずしい音楽』もすぐ近くにおいてあった。それもめくってみたけれど、この本のタイトルの狙いが気に入らず、これは購入していない。さらに、高柳昌行の『汎音楽論集』や、勿論その本だけではなく高柳のいくつかの音源、さらに佐々木敦の書いた本やSachiko Mと中村としまるの音を知っていなければいけない。この中で佐々木の書いた著書をオレは知らないけれど、彼の書いた文章はいくらか目にしているし、なんとなくそのスタンスもわかる。大谷という人は全然知らないけれど、そこまではいいか。という状態で手にした『サウンド・アナトミア』。
まず、高柳著書にあたる『汎音楽論集』のアンサー本というか、解説本的な項目が続く。オレは『汎音楽論集』は面白いと思わなかった。それについては1年ほど前に投稿しているので割愛するけれど、まあ、洞察力の無いオレとは全く異なった視点からの解説と考察を読むことが出来る。特にアクション・ダイレクトという演奏形態への言及が多いのだけど、その現場やそこに至るまでの高柳の音をリアルに感じてきたもの証言としてに捉えることが出来る。それによって『汎音楽論集』という本、或いは高柳の音に対する捉え方も少し変化してきた。
そして、Sachiko Mと中村としまるという固有名詞を何度も出す事によっての音響派と呼ばれる音楽について、大谷や佐々木との考え方の違い、それにまつわるちょっとした論争への回答や解説みたいなものが展開されている。この部分は少し厄介で、なぜかというと、高柳の音は、既に高柳自身によって発せられる事はなくなってしまっているため、それへの言及は事実から紐解く事によって場違いな事を発することは無いと思われる。だけどSachiko Mも中村としまるも現在のミュージシャンであり、まだまだ音楽の前衛的な立場であり、それが一つの結論や結果を産むまでには至っていないとオレは思う(現象は作っているけれど)。そういう音に対して、北里も大谷も佐々木も、持論を強固する事に躍起になっていると感じ取れてしまう部分がある。それは読者の聴き方の強制につながり、可能性みたいなものを評論する立場の人間が決めてしまうような気がしてならない。
そして再度、高柳についての記述が提出されてこの本は終わる。全体的に他の本の引用が多く、そこに読みづらさをオレは感じた。さらに言えば、必要なテキストのところであえて書かなかったけれど、やたらとミシェル・フーコーという哲学者の論理を取り込んでの話が目に付く。オレは哲学の本というものを殆ど読んでいないし、読んでみたいと言う気持ちも現時点では無い。だから、フーコーの話が出てくると小難しさが強調されるし、読んでいるのが辛くなる。また、北里本人の文章や、大谷や佐々木の文章も、なにか哲学というか宗教というか文学というか、そういうところで使われるものを脚色に使っているような感じがあって、なんだか古臭い感じを受けてしまう。論じると言う事が、結局皆同じ様な文体を使っての展開になっているように見えて、誰が書いた言葉かという事を意識しなければ、誰が書いた言葉かという事がわからなくなったりする。勿論これはオレの浅学のせいだけど、こういうやりとりが音楽評論の現場なのだとしたら、あまり面白いものではない。紹介するものは面白くないけれど、これならばジャズ喫茶メグのオーナーの書いた文章の方が楽しい。
だけど。この著者の文章の書き方は、音楽評論というものを、他の評論というところと同じぐらいの地位というか、そういうところにあるべきだという堅苦しさをあえて表しているようにも思える。そう思ったのは、著者が自身の母親の介護という視点からの文章も挿入されていて、その部分は文章にリズムがあり、読み進み易かったかれで、そこにもフーコーがどうのこうのという話も出てきてしまうけれど、自分の感情をストレートに出したと思われる言葉と内容に、他者が引きずり込まれるものが出ている。
オレの知性で読み進むことには少々難のあった本なのだけど、途中で止めたり投げ出したりしなかったのは、多分オレがここに書かれている固有名詞に興味があるからなのだと思う。それと、「よくわからない・・・」と思いながらも、それでも短時間で読み終えた。万人向けではないけれど、名前の出てきたミュージシャン、特に晩年の高柳に興味のある人には読みどころがあると思う。
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北里義之 『サウンド・アナトミア』
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January 05, 2008
吉田アミ
今日も本がネタ。しつこい。でもこれで終わり。
吉田アミの音の事はブログに書いた事がある。ハウリング・ヴォイスと呼ばれるその声は、エレクトリック・ノイズのような音で、見た目のかわいらしさとは全く違った表現方法。
その吉田の文章は、ユリイカの大友良英特集号で目にした事がある。それについての短い評価を大友自身がブログに書いていたけれど、オレも大友と同じように感じた。その音楽性と同じく、自分をそのまま表現してしまう文章。そしてそれは、『サマースプリング』という吉田の本でも同じだった。『サマースプリング』は中学に入学してからその夏休みまでの短い期間を綴ったノンフィクション。家庭環境や学校環境から自殺願望を持つようになった一人の女子中学生の話。それは当然吉田の事。後書きで自身が述べているように、普通なら書かない方がいいと思えるような内容。美化するか、薄めるかして誤魔化す内容。だけどそれをさらけ出す。この本が終わったあと、そこから大友の音楽に出会って自分の表現方法を探すキッカケを掴むまでは数年ある。その間を埋めるストーリーの発表が用意されているのかどうかわからないけれど、この本をプロローグにする必要は無い。


吉田アミ 『サマースプリング』
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吉田アミの音の事はブログに書いた事がある。ハウリング・ヴォイスと呼ばれるその声は、エレクトリック・ノイズのような音で、見た目のかわいらしさとは全く違った表現方法。
その吉田の文章は、ユリイカの大友良英特集号で目にした事がある。それについての短い評価を大友自身がブログに書いていたけれど、オレも大友と同じように感じた。その音楽性と同じく、自分をそのまま表現してしまう文章。そしてそれは、『サマースプリング』という吉田の本でも同じだった。『サマースプリング』は中学に入学してからその夏休みまでの短い期間を綴ったノンフィクション。家庭環境や学校環境から自殺願望を持つようになった一人の女子中学生の話。それは当然吉田の事。後書きで自身が述べているように、普通なら書かない方がいいと思えるような内容。美化するか、薄めるかして誤魔化す内容。だけどそれをさらけ出す。この本が終わったあと、そこから大友の音楽に出会って自分の表現方法を探すキッカケを掴むまでは数年ある。その間を埋めるストーリーの発表が用意されているのかどうかわからないけれど、この本をプロローグにする必要は無い。

吉田アミ 『サマースプリング』
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January 04, 2008
ECD
今日もCDのインプレは置いておいて、こっちを先に。
昨年12/28、2007最後のCD購入の目的のECDの新作『Fun Club』を探してタワレコに行くと、どうやら延期になったらしく見当たらない。仕方ないので何かないかとうろつく。するとECDの本が目に付く。手に取る。『いるべき場所』というタイトル。どうやら新作らしい。購入することに決める。「しかしちょっと前まではCDショップで本を買うなんてなかったな。だけど、本を買ってもポイントがつくようになってからは、普通の本屋で本を買うのは馬鹿らしくなったし、音楽関係以外でも、amazon使えばポイントつくしなあ。普通の本屋ってCD屋どころの話じゃないくらい厳しい状況だろうなあ。同情するけど余程じゃなければ使わないな。」等と考えながら帰宅。長い休みを利用して久々に本を読むことになった。
『いるべき場所』はECDが生まれてから現在までを、その時々に興味を持った音楽の話を交えて進んでいく。『ECDIARY』や『失点・イン・ザ・パーク』もノン・フィクション、或いはそれに近いものだったけれど、『いるべき場所』はECDと関わった人たちが実名で登場し、興味深い。その生い立ちからヒップホップに出会うまで。ラッパーとしての活動。メジャーとの契約とそこでの活動。契約が解消され荒んでいく生活。そこからもう一度踏み出す。よくあるストーリーの様であるけれど、サラリーマンが大多数を占める状況では、実際にある程度の年齢からやり直しをしたことのある人はそんなにいるわけない。ECDはいまの場所に固執したのではなく、恐らく『いるべき場所』だと気付いたのだろう。詳しい事は知らないけれど、多分今でもECDは音楽だけで食べていけているわけじゃ無い。だけど、だから自由にやりたい音楽をやれる。それを知る事が出来る。


ECD 『いるべき場所』
昨年12/28、2007最後のCD購入の目的のECDの新作『Fun Club』を探してタワレコに行くと、どうやら延期になったらしく見当たらない。仕方ないので何かないかとうろつく。するとECDの本が目に付く。手に取る。『いるべき場所』というタイトル。どうやら新作らしい。購入することに決める。「しかしちょっと前まではCDショップで本を買うなんてなかったな。だけど、本を買ってもポイントがつくようになってからは、普通の本屋で本を買うのは馬鹿らしくなったし、音楽関係以外でも、amazon使えばポイントつくしなあ。普通の本屋ってCD屋どころの話じゃないくらい厳しい状況だろうなあ。同情するけど余程じゃなければ使わないな。」等と考えながら帰宅。長い休みを利用して久々に本を読むことになった。
『いるべき場所』はECDが生まれてから現在までを、その時々に興味を持った音楽の話を交えて進んでいく。『ECDIARY』や『失点・イン・ザ・パーク』もノン・フィクション、或いはそれに近いものだったけれど、『いるべき場所』はECDと関わった人たちが実名で登場し、興味深い。その生い立ちからヒップホップに出会うまで。ラッパーとしての活動。メジャーとの契約とそこでの活動。契約が解消され荒んでいく生活。そこからもう一度踏み出す。よくあるストーリーの様であるけれど、サラリーマンが大多数を占める状況では、実際にある程度の年齢からやり直しをしたことのある人はそんなにいるわけない。ECDはいまの場所に固執したのではなく、恐らく『いるべき場所』だと気付いたのだろう。詳しい事は知らないけれど、多分今でもECDは音楽だけで食べていけているわけじゃ無い。だけど、だから自由にやりたい音楽をやれる。それを知る事が出来る。

ECD 『いるべき場所』
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July 24, 2007
ユリイカ 2007年7月臨時増刊号 総特集*大友良英
ユリイカの『ユリイカ 2007年7月臨時増刊号 総特集*大友良英』特集。オレはユリイカという本(雑誌)を今回初めて手にした。この本のロゴや語感の古臭さのせいで、数年前まで現在も発刊されている事も知らなかった。だけど今回は大友良英が特集されるという事で、この本の思想の様なものはわからないけれど、執筆人もよく見る名前だし、あまりユリイカという事を気にせずに購入した。
大友自身がブログに書いているように、これまで大友良英というミュージシャンを大々的に扱った紙媒体は殆ど無かった。それがここに来て、一冊丸ごと大友良英。対談や執筆者達による大友像などを読むと大友良英というミュージシャンの色んなことがわかるけれど、Jim O'Rourkeやカヒミ・カリィ、菊池某といった大友の対談の相手の個性もわかるし、杉本拓の現在の心境、そして『音の城 / 音の海』の件についての詳細等も載っていて、充実した内容だと思う。
だけど一つだけ気に入らない記事がある。それは最後の方にある大友良英のディスコグラフィー(大友関連のCDは膨大な為抜粋されたもの).
ここではその選者のCDなどへの感想などがつづられているのだけど、疑問に思うものがある。紙媒体に印刷された物というのは、オレがこのブログにダメとかツマラナイとか凄いとか、そういった個人の感想をさらしているのとは意味が違う。オレの書いた感想を見ても誰もオレの書いた事に納得するわけもなく、気にも留めない。それはここがネットという場である事と、オレが只の一音楽ファンでしかないという事がそういう結果しか生み出さない。ところが、マイナーではあってもメジャーな本で書かれたものは、多くを知らない状態でこれを見てしまえば、それをそのまま受け取ってしまう人が多く出る可能性が高い。じゃあ何が気に入らないかというと、それはこの項を書いている野々村禎彦という人が、FenneszやChristian Marclayを直接的な表現ではないにしても、良い印象を抱かせないような書き方をしていてるところ。さらに『音の城 / 音の海』の説明に至っては、この本に大友自身が『音の城 / 音の海』について語ったものが掲載されている為、迂闊な事を結果的に書いてしまっている。こういう場で感想、或いは批評という言い方をしてもいいけど、そういう事を行うときはもう少し慎重な姿勢が必要なはずで、野々村という人はその部分の配慮に欠けている。まあ、FenneszやMarclayについては、この本を読むような連中ならその音を知っているという仮定で書いていて、例えこの本でいい印象を書いていなくてもそれぞれが音を聴いて判断すればいいという考えなのかもしれないけれど、こういう本は、大友良英やそれとつながるような音を多くは聴いていないいけれど、大友の音に興味を持ち出したような「これから」な人達が目を通す事も多いはず。そういう人達はこういうディスコグラフィーには何度も目を通す事になるはずで、だからオレはこのディスコグラフィーが気に入らない。


『ユリイカ 2007年7月臨時増刊号 総特集*大友良英』
大友自身がブログに書いているように、これまで大友良英というミュージシャンを大々的に扱った紙媒体は殆ど無かった。それがここに来て、一冊丸ごと大友良英。対談や執筆者達による大友像などを読むと大友良英というミュージシャンの色んなことがわかるけれど、Jim O'Rourkeやカヒミ・カリィ、菊池某といった大友の対談の相手の個性もわかるし、杉本拓の現在の心境、そして『音の城 / 音の海』の件についての詳細等も載っていて、充実した内容だと思う。
だけど一つだけ気に入らない記事がある。それは最後の方にある大友良英のディスコグラフィー(大友関連のCDは膨大な為抜粋されたもの).
ここではその選者のCDなどへの感想などがつづられているのだけど、疑問に思うものがある。紙媒体に印刷された物というのは、オレがこのブログにダメとかツマラナイとか凄いとか、そういった個人の感想をさらしているのとは意味が違う。オレの書いた感想を見ても誰もオレの書いた事に納得するわけもなく、気にも留めない。それはここがネットという場である事と、オレが只の一音楽ファンでしかないという事がそういう結果しか生み出さない。ところが、マイナーではあってもメジャーな本で書かれたものは、多くを知らない状態でこれを見てしまえば、それをそのまま受け取ってしまう人が多く出る可能性が高い。じゃあ何が気に入らないかというと、それはこの項を書いている野々村禎彦という人が、FenneszやChristian Marclayを直接的な表現ではないにしても、良い印象を抱かせないような書き方をしていてるところ。さらに『音の城 / 音の海』の説明に至っては、この本に大友自身が『音の城 / 音の海』について語ったものが掲載されている為、迂闊な事を結果的に書いてしまっている。こういう場で感想、或いは批評という言い方をしてもいいけど、そういう事を行うときはもう少し慎重な姿勢が必要なはずで、野々村という人はその部分の配慮に欠けている。まあ、FenneszやMarclayについては、この本を読むような連中ならその音を知っているという仮定で書いていて、例えこの本でいい印象を書いていなくてもそれぞれが音を聴いて判断すればいいという考えなのかもしれないけれど、こういう本は、大友良英やそれとつながるような音を多くは聴いていないいけれど、大友の音に興味を持ち出したような「これから」な人達が目を通す事も多いはず。そういう人達はこういうディスコグラフィーには何度も目を通す事になるはずで、だからオレはこのディスコグラフィーが気に入らない。

『ユリイカ 2007年7月臨時増刊号 総特集*大友良英』
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January 14, 2007
The Clash
MMは毎月買っているけれど、レコード・コレクターズは興味のある特集の時以外は立ち読む事も無い。が、最新のレココレは特集がThe Clash。即購入。
今更特に「へえ」と思うような事も無いけれど、自分の中にインプットされている事を再確認しながら読んでいたら『The Clash Singles '77〜'85
』が欲しくなる。それも7インチの方。でもウチでは今現在アナログを聴く環境を取り外してしまっている。なので買っても聴かずに飾っておく、、、いや、飾る事もせずただしまっておく物になるのは目に見えている。CD版で我慢するか。でも物欲。これが年末にの物欲なら勢いで購入している。だけど年も明け、来週にはFrictionの再発が待っている状態。悩む。限定だから一度手に入らない状態になるのは目に見えている。だけど絶対再発をしてくるのも目に見えている。どうする? どうしよう? もう少し考えよう。
年末にリリースされたClash関連のもので悩んだものが他にもあって、それは『The Essential The Clash Plus』という厄介なもの。Clashの2枚組みベストとDVDがセットになったものだけど、このセットで買っても、DVDを単独で買うより安い。だけどこのベストは要らない。どうする? どうしよう? もう少し考えよう。
物欲が先行する中、レココレを読みながら改めてClashを聴こうと思い、それまで聴いていたレゲエのコンピから『Pearl Harbour '79』に切り替える。ちょっと笑えるぐらい音がペラペラ。その前に聴いていたレゲエのコンピも、決して音がいいという状態ではなかったけれど、ベースはラインを弾いていることぐらいしか確認出来ないし、ドラムもスカスカ。困ったと思いながらも聴き続けていると、結局そのままはまってしまう。元々そんなに音質に拘るタイプではないので、最初は差異に戸惑ったけれど慣れれば関係ない。やっぱカッコいいものはカッコいい。それを再確認。
『PH79』はオレが初めて買ったClashのアルバム。今持っているのは2年ほど前にやっとこのスタイルで再発されたものだけど、それ以前は『PH79』という形でのCDは無かった。この『PH79』は、Clashのアメリカ仕様の1stで、『The Clash』をベースに作った当時のベスト的なもので、オレはClashというバンドを聴いてみようと思ったとき、レコード屋でいくつかのアルバムを眺めて『PH79』の日本盤を買う事に決めた。当然アナログの時代。日本特有の文化であるレコード帯が襷のようなものじゃなくて、ジャケット全体を覆うように作っている事と、アルバムのタイトルが気に入っての判断。そのアナログはとうの昔に手放し、その後CDで『The Clash』を買おうかとも考えたけれど、無事『PH79』として再発されて個人的には満足。『The Clash』は今後も買わないようにする。オレにとっては『PH79』がClashの1stだから。でもレガシー・エディションみたいなのが出たら買うな。即。
『PH79』を聴き終わり、続いて『London Calling』と思ったけれど、これは色々余計な事を思い出すので、それは避けて『London Calling』のレガシー・エディション
の『The Vanilla Tapes』というディスクの方を聴く。これは、『London Calling』のアウトテイクやら何やらカンやら入ったもの。音質は悪いけれど既に音の聴き方が劣化している状態なので気にならない。なにより音のドキュメンタリーとしては一級品。
つづけてJoe StrummerがClashを結成する前のバンド、The 101ersの『Elgin Avenue Breakdown』を聴こうかと思ったけれど、いつもClash関連の文章ではいじめられている『Cut the Crap』を聴く。このアルバムの評判は、まるでLou Reedが抜けた後のVelvet Undergroundの『Squeeze』やCanの『Out of Reach』、Jim Morrisonが死去した後のThe Doorsの『Other Voices』『Weird Scenes inside the Gold Mine』『Full Circle』の様にゴミ扱い。だけどオレは嫌いじゃ無い。『London Calling』、『PH79』に続いてオレがよく聴いているのはこのアルバムだったりする。『Give 'Em Enough Rope』とか『Combat Rock』よりも好きだし、『Sandinista!』はボリュームありすぎなので繰返し聴きにくいという事もあり、このアルバムはオレの耳にしたClashのアルバム第三位というポジションに鎮座している。ダメですかこのアルバム? オレにはPop Group辺りと比べても遜色ないものに思えるんだけど。


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今更特に「へえ」と思うような事も無いけれど、自分の中にインプットされている事を再確認しながら読んでいたら『The Clash Singles '77〜'85
年末にリリースされたClash関連のもので悩んだものが他にもあって、それは『The Essential The Clash Plus』という厄介なもの。Clashの2枚組みベストとDVDがセットになったものだけど、このセットで買っても、DVDを単独で買うより安い。だけどこのベストは要らない。どうする? どうしよう? もう少し考えよう。
物欲が先行する中、レココレを読みながら改めてClashを聴こうと思い、それまで聴いていたレゲエのコンピから『Pearl Harbour '79』に切り替える。ちょっと笑えるぐらい音がペラペラ。その前に聴いていたレゲエのコンピも、決して音がいいという状態ではなかったけれど、ベースはラインを弾いていることぐらいしか確認出来ないし、ドラムもスカスカ。困ったと思いながらも聴き続けていると、結局そのままはまってしまう。元々そんなに音質に拘るタイプではないので、最初は差異に戸惑ったけれど慣れれば関係ない。やっぱカッコいいものはカッコいい。それを再確認。
『PH79』はオレが初めて買ったClashのアルバム。今持っているのは2年ほど前にやっとこのスタイルで再発されたものだけど、それ以前は『PH79』という形でのCDは無かった。この『PH79』は、Clashのアメリカ仕様の1stで、『The Clash』をベースに作った当時のベスト的なもので、オレはClashというバンドを聴いてみようと思ったとき、レコード屋でいくつかのアルバムを眺めて『PH79』の日本盤を買う事に決めた。当然アナログの時代。日本特有の文化であるレコード帯が襷のようなものじゃなくて、ジャケット全体を覆うように作っている事と、アルバムのタイトルが気に入っての判断。そのアナログはとうの昔に手放し、その後CDで『The Clash』を買おうかとも考えたけれど、無事『PH79』として再発されて個人的には満足。『The Clash』は今後も買わないようにする。オレにとっては『PH79』がClashの1stだから。でもレガシー・エディションみたいなのが出たら買うな。即。
『PH79』を聴き終わり、続いて『London Calling』と思ったけれど、これは色々余計な事を思い出すので、それは避けて『London Calling』のレガシー・エディション
つづけてJoe StrummerがClashを結成する前のバンド、The 101ersの『Elgin Avenue Breakdown』を聴こうかと思ったけれど、いつもClash関連の文章ではいじめられている『Cut the Crap』を聴く。このアルバムの評判は、まるでLou Reedが抜けた後のVelvet Undergroundの『Squeeze』やCanの『Out of Reach』、Jim Morrisonが死去した後のThe Doorsの『Other Voices』『Weird Scenes inside the Gold Mine』『Full Circle』の様にゴミ扱い。だけどオレは嫌いじゃ無い。『London Calling』、『PH79』に続いてオレがよく聴いているのはこのアルバムだったりする。『Give 'Em Enough Rope』とか『Combat Rock』よりも好きだし、『Sandinista!』はボリュームありすぎなので繰返し聴きにくいという事もあり、このアルバムはオレの耳にしたClashのアルバム第三位というポジションに鎮座している。ダメですかこのアルバム? オレにはPop Group辺りと比べても遜色ないものに思えるんだけど。

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at 23:51|Permalink│
January 03, 2006
川本三郎
渋谷タワレコでCDを初買いしたあと、渋谷のブックファーストに寄り、本の初買いもしてきた。実は最近はあまり本を読んでなくて、途中まで読んで放ってあるものが多いのだけど、今回購入した川本三郎の『旅先でビール』は、エッセイ集という事もあり、楽に読めそうなので手にしてみた。実はこれは、昨日田舎から戻る時に乗った飛行機(JAL)の機内誌に紹介されていたもので、そのタイトルと、川本三郎の名に惹かれての購入。
このBlogには基本的に音楽に関係の無い事は書かないという自分のルールがあるのだけど、『旅先でビール』はあまり音楽に関係ない(まだ途中までしか読んでないけど)。だけどオレが川本三郎を知った『マイ・バック・ページ』という本が、彼と音楽とのつながりを感じさせる本であった事を思い出したので、ここに書いている。
『マイ・バック・ページ』は、今ではエッセイストみたいな顔をしている川本三郎の朝日新聞社での記者時代の話で、ここには彼が、新聞記者としての自らの生きた道と、それによって、その道を閉ざさなければならなくなった事が書いてある。BaileyやURと同じように、自分の信念に生きた男の証言であり、ある種の後悔でもあるのかもしれない。この本の本編はもちろん重要なのだけど、オレにとってはこの本のあとがきが、より重要。ここで川本三郎はThe Bandの「The Weight」などを引用しながら、この本を書くに当たっての彼の心情みたいなものが書いてある。ここには執筆時の彼の本音が詰まっているようで、この本を書くという事がどれだけの意味を持っていたのか、それを垣間見る事が出来て、いろんなことを考える。
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このBlogには基本的に音楽に関係の無い事は書かないという自分のルールがあるのだけど、『旅先でビール』はあまり音楽に関係ない(まだ途中までしか読んでないけど)。だけどオレが川本三郎を知った『マイ・バック・ページ』という本が、彼と音楽とのつながりを感じさせる本であった事を思い出したので、ここに書いている。
『マイ・バック・ページ』は、今ではエッセイストみたいな顔をしている川本三郎の朝日新聞社での記者時代の話で、ここには彼が、新聞記者としての自らの生きた道と、それによって、その道を閉ざさなければならなくなった事が書いてある。BaileyやURと同じように、自分の信念に生きた男の証言であり、ある種の後悔でもあるのかもしれない。この本の本編はもちろん重要なのだけど、オレにとってはこの本のあとがきが、より重要。ここで川本三郎はThe Bandの「The Weight」などを引用しながら、この本を書くに当たっての彼の心情みたいなものが書いてある。ここには執筆時の彼の本音が詰まっているようで、この本を書くという事がどれだけの意味を持っていたのか、それを垣間見る事が出来て、いろんなことを考える。
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at 22:57|Permalink│
July 18, 2005
ECD
去年発刊されていた『ECDIARY』を一気に読む。これはラッパーのECDが3ヶ月間書いた日記を本にしたもの。この本の内容に全面的に賛成ではないのだけれど、共感する部分も多い。そしてこの本の中には、ECDが現在のような活動の仕方に移行したきっかけが書いてあって、それを読みながら音楽を表現する事、それを続けていく事というのは、金儲けが目的でなければ、本来は誰にでも出来る事じゃないか?と、考えてしまう。但しそれは、強靭な精神と意思が無ければ出来ないのだろうけど。これを読み終わったあと、『失点イン・ザ・パーク』という小説を最近出した事に気付いて、これも一気に読んだ。この小説はECDの実体験をもとに書いたものらしく、その中にはECDというラッパーが、そして石田という人間が、何に苦しんで何に心を許したか、赤裸々に書かれている。
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at 12:23|Permalink│

