2009年06月
2009年06月23日
文章で伝えるのは
ちょー難しいな。
なんだろう?この愛おしさは?
本当に終わらせたくない、別れたくない楽しさだったよ
督夫さんありがとー
ね?誘ったみんなも、来て良かったでしょ?
東京からもいっぱい来てくれたしね。
とにかく督夫さんは、いっぱいのものを置いってってくれました。
その音楽に感動したり、興奮した3日間であったことも確かだし、
その抱腹絶倒のトークにも、腹がよじれそうだったし、
毎日違うステージにそのショーマンシップを強烈に感じたし、
いろんなタイプのお客さんやww、、最初はなかなかノりきれない会場も、いつのまにか一つにしてしまうそのチカラ。
けど、やっぱ文章で書くのはむずかしいなぁ。
特にこの3日間のことの出来事を、満遍なく書くことはできないや。
だから、まったく独善的なエピソードチックな話だけど、、、、
督夫さんに触れた今回のツアーの中で、個人的に特に、、、、特に感激したのは、最終日の打ち上げん時「音楽ってさ、、、結局”歌”だよ」って話をしてくれたことかな。
そうこのことは今の僕にとっての最も重要なテーマだからさ。
いろんな意味にとれる話だよね。
でもこの時の督夫さんの「音楽って歌」って話は、すごく僕が感じている意味についてのことだと直感できたんだ。
つまり「”想い”を込める」ってこと。
技術(だけの)ことじゃない、、ね。
想いが先にある、、って話さ。
督夫さんは、ジャパニーズ・ロックの、特にサウンド面をリードしてきたっていうイメージがあまりにも強かったので、正直なところあまり気づいてなかったかもしれない。
でもそのステージを改めて思い出してみると、その想い、気迫がよーく伝わっていた。
最終日は、督夫さんの馴染みの須坂「Page One」っていう店。督夫さん目当てのお客さんがいっぱい集まってきた。
1ステと2ステの間に、3日目も僕がちょこっとやらせてもらえたんだ、、Queenを5曲。
3曲目は、「Don't stop me now」、、、MCで「督夫さんのことを歌った曲なのでw、督夫さんに捧げます・・」と話して始めたんだ。
けど最終日だし、ちょっとオーバーロードしたのかな??、、途中で1弦が久々に切れた。
すかさず督夫さんがギター貸してくれて、セカンドギターのYairiを弾かせてもらって、事なきを得ました(すごくいい音だし、弾き易かった〜♪)
その後、督夫さんの2stは、今回のメインギターの「Takamine」のTOKUOモデルで演奏再開。
「お返しにteaのリクエストの”エアポートへ”と”穴あきポケット”を」って言って歌ってくれたのさ〜
(前日ボトムのMCでお願いしたのを覚えててくれたんだね〜)
いやー本当にすごい演奏でした〜♪
ひさびさ”ゾーーーーっっ”としたよ(@_@)
ノリ、ギター、ソロ、そして歌、、想い。
1台のギターとは思えない、、、音色アレンジ、、。
そして、、やっぱり歌、、想い、。
ホントに凄い演奏だった。
んでしかもおまけに督夫さんも珍しく?1弦が切れたんだよ。
(でも2〜6弦だけとは思えないソロも入れてね)
そのあとは、やはりセカンドギターの「Yairi」へ。
なんかすっごい感動しちゃってさ(^_^)v
もちろん単なる偶然なんだけどね。
その晩の、「音楽ってさ、、歌、、」っていう話だったので、、、ね。
こんな素敵な話もしてくれた。忘れたくないからかいとこ。
●「〜〜によくファンとの間に「線」を引けよ、、って言われるんだ、、、。
最近”そういうものかもな・・”って思って、意識してみてるんだけど、いつの間にかなくなっちゃう(笑)」
●「”Live”ってね、、SHOWなんだよ、、SHOW。。ステージを通して、持ってるものすべてを使ってね」
●「”Live”で全力?そんなのあったり前、それが基本だよな。。。でも(残念ながら)確かにそれをしないプロ・ミュージシャンも多いかなぁ・・」
●「へぇー?teaが尊敬するミュージシャンはAとBってやつなんだ?、、、、、俺も入れとけ(笑)」
東京から応援に来てくれたみんなもありがと。
地元で応援に駆けつけてくれたみんなもありがとね。
そしてやっぱ、
督夫さん本当にありがとうございました。
なんだろう?この愛おしさは?
本当に終わらせたくない、別れたくない楽しさだったよ
督夫さんありがとー
ね?誘ったみんなも、来て良かったでしょ?
東京からもいっぱい来てくれたしね。
とにかく督夫さんは、いっぱいのものを置いってってくれました。
その音楽に感動したり、興奮した3日間であったことも確かだし、
その抱腹絶倒のトークにも、腹がよじれそうだったし、
毎日違うステージにそのショーマンシップを強烈に感じたし、
いろんなタイプのお客さんやww、、最初はなかなかノりきれない会場も、いつのまにか一つにしてしまうそのチカラ。
けど、やっぱ文章で書くのはむずかしいなぁ。
特にこの3日間のことの出来事を、満遍なく書くことはできないや。
だから、まったく独善的なエピソードチックな話だけど、、、、
督夫さんに触れた今回のツアーの中で、個人的に特に、、、、特に感激したのは、最終日の打ち上げん時「音楽ってさ、、、結局”歌”だよ」って話をしてくれたことかな。
そうこのことは今の僕にとっての最も重要なテーマだからさ。
いろんな意味にとれる話だよね。
でもこの時の督夫さんの「音楽って歌」って話は、すごく僕が感じている意味についてのことだと直感できたんだ。
つまり「”想い”を込める」ってこと。
技術(だけの)ことじゃない、、ね。
想いが先にある、、って話さ。
督夫さんは、ジャパニーズ・ロックの、特にサウンド面をリードしてきたっていうイメージがあまりにも強かったので、正直なところあまり気づいてなかったかもしれない。
でもそのステージを改めて思い出してみると、その想い、気迫がよーく伝わっていた。
最終日は、督夫さんの馴染みの須坂「Page One」っていう店。督夫さん目当てのお客さんがいっぱい集まってきた。
1ステと2ステの間に、3日目も僕がちょこっとやらせてもらえたんだ、、Queenを5曲。
3曲目は、「Don't stop me now」、、、MCで「督夫さんのことを歌った曲なのでw、督夫さんに捧げます・・」と話して始めたんだ。
けど最終日だし、ちょっとオーバーロードしたのかな??、、途中で1弦が久々に切れた。
すかさず督夫さんがギター貸してくれて、セカンドギターのYairiを弾かせてもらって、事なきを得ました(すごくいい音だし、弾き易かった〜♪)
その後、督夫さんの2stは、今回のメインギターの「Takamine」のTOKUOモデルで演奏再開。
「お返しにteaのリクエストの”エアポートへ”と”穴あきポケット”を」って言って歌ってくれたのさ〜
(前日ボトムのMCでお願いしたのを覚えててくれたんだね〜)
いやー本当にすごい演奏でした〜♪
ひさびさ”ゾーーーーっっ”としたよ(@_@)
ノリ、ギター、ソロ、そして歌、、想い。
1台のギターとは思えない、、、音色アレンジ、、。
そして、、やっぱり歌、、想い、。
ホントに凄い演奏だった。
んでしかもおまけに督夫さんも珍しく?1弦が切れたんだよ。
(でも2〜6弦だけとは思えないソロも入れてね)
そのあとは、やはりセカンドギターの「Yairi」へ。
なんかすっごい感動しちゃってさ(^_^)v
もちろん単なる偶然なんだけどね。
その晩の、「音楽ってさ、、歌、、」っていう話だったので、、、ね。
こんな素敵な話もしてくれた。忘れたくないからかいとこ。
●「〜〜によくファンとの間に「線」を引けよ、、って言われるんだ、、、。
最近”そういうものかもな・・”って思って、意識してみてるんだけど、いつの間にかなくなっちゃう(笑)」
●「”Live”ってね、、SHOWなんだよ、、SHOW。。ステージを通して、持ってるものすべてを使ってね」
●「”Live”で全力?そんなのあったり前、それが基本だよな。。。でも(残念ながら)確かにそれをしないプロ・ミュージシャンも多いかなぁ・・」
●「へぇー?teaが尊敬するミュージシャンはAとBってやつなんだ?、、、、、俺も入れとけ(笑)」
東京から応援に来てくれたみんなもありがと。
地元で応援に駆けつけてくれたみんなもありがとね。
そしてやっぱ、
督夫さん本当にありがとうございました。
2009年06月16日
ライザ・ミネリ
なるほどなー♪
フレディ・マーキュリーが愛した女性シンガー、、ライザ・ミネリ。
「オズの魔法使い」のジュディ・ガーランドの娘。
「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」のヒロイン。
とかは知ってる。
「ニューヨーク・ニューヨーク」や「キャバレー」って曲が、何とも好きなんだけど、なかなかちゃんとまとめて聞くこともなくきちまった。
この女性シンガーの何がフレディを虜にしたんだろ?って、何となく思ってたけど、聞いてみたら、一発でよーーく分ったよ(^o^)
いや、、、分った気がしたw
何か?
聞いたら分るよ、きっと。
フレディそのまんまだったw
あーこれがやりたかったんだ・・・・ってパッと思った。
歌の、、、歌の表現力のこと。
作曲のイメージのこと。
その僕もパーんと「あ!これこれこれ・・・」って思った大好きな雰囲気なんだ。
ボードビリアン、、ハリウッド、、ブロードウェイ、、、、。
話してる途中から歌になる、、、ってのがどうしても不自然だからってw、
温かいストーブと、紅茶とジャムの塗ったトーストに小川宏ショー、、、、w
日曜日の朝の雰囲気と重なるこのミュージカル、、ブロードウェイの匂い。
全て五感を使って、、、、オーケストラも芝居も小道具・大道具もスタッフも、観客すらも、、、、声も目も耳も体もすべてを使って、表現する歌。
世代も、生まれた国も、立場?も全然違うんだけれど、フレディがこの雰囲気好き〜っていう気持ちが何かすごいスーーっと伝わったんだ。
誤解でもいいさw
フレディ・マーキュリーが愛した女性シンガー、、ライザ・ミネリ。
「オズの魔法使い」のジュディ・ガーランドの娘。
「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」のヒロイン。
とかは知ってる。
「ニューヨーク・ニューヨーク」や「キャバレー」って曲が、何とも好きなんだけど、なかなかちゃんとまとめて聞くこともなくきちまった。
この女性シンガーの何がフレディを虜にしたんだろ?って、何となく思ってたけど、聞いてみたら、一発でよーーく分ったよ(^o^)
いや、、、分った気がしたw
何か?
聞いたら分るよ、きっと。
フレディそのまんまだったw
あーこれがやりたかったんだ・・・・ってパッと思った。
歌の、、、歌の表現力のこと。
作曲のイメージのこと。
その僕もパーんと「あ!これこれこれ・・・」って思った大好きな雰囲気なんだ。
ボードビリアン、、ハリウッド、、ブロードウェイ、、、、。
話してる途中から歌になる、、、ってのがどうしても不自然だからってw、
温かいストーブと、紅茶とジャムの塗ったトーストに小川宏ショー、、、、w
日曜日の朝の雰囲気と重なるこのミュージカル、、ブロードウェイの匂い。
全て五感を使って、、、、オーケストラも芝居も小道具・大道具もスタッフも、観客すらも、、、、声も目も耳も体もすべてを使って、表現する歌。
世代も、生まれた国も、立場?も全然違うんだけれど、フレディがこの雰囲気好き〜っていう気持ちが何かすごいスーーっと伝わったんだ。
誤解でもいいさw
2009年06月03日
遊びたい心
昨日は夜中相棒と散歩した。
結構最近よくやるんだ。夜中11時くらいからの散歩。
いろいろ話したいことがあって、歩きながらしゃべり続けることもあるし、特に話さなくても、夜道の途中の変わった景色とか、季節の移り変わりを感じるものとか、、、そんなものを感じながら、コンビニへ夜食を買いにww(←それかいっ!w)
まーいずれにしても、僕は結構好きで、最近よく誘い出す。
昨日は約1時間半くらい?ずっと話しながら歩いていた。
久々に言いたいことがすべてうまくつながって、、、、もやもやしていたものが、どうしてそうなのかが分って、、、話しているうちに分って、夢中で喋っていた。
音楽の好みや、求めている形、、、、現れるものはそりゃ微妙に違うことはある。
それが原因で?ちょっとお互いイラついたりしたこともある。
でも昨日は話しているうちに、相棒がスーーーっと引き出してくれた。
音楽の話。最近感じていること。
昨日の日記でも書いたけれど、自分が求めているもの。
それと今感じているものの違和感。
自分が大事にしているものの形。
相棒はそれを「遊びたい心」といった。
「遊び心」「仕事じゃない」っていう意味じゃなく(わかりにくい(^_^;))
すっごく良く分かる。
僕はそれを「人」と言った。
すごくよく似ているような、同じことを言う人はいる。
いやたくさんいる。
「形」が先にあって埋める「中身」を集めるか?
「中身」が先にあって繋がるために「形」になるか?
だからどうっていう訳でもないし、本当にどっちがいいでも悪いでもないし。
ただ、実は全く正反対かもしれない、、、、っていう違和感。。。
落ち込むようなことではないけれど、それを飲み込む余裕もあると思うけれど、でもあえて「違うんだ。。」という感覚。
もちろんすべてのことに、場面にではないけれど、最近漠然とそれを感じていた。
でも相棒のいう「遊びたい心」と僕の「人」は全く同じ意味だ、、と強く感じた。
全く表現する言葉は違うのに、中身は同じだと感じた。
だからお互い何かを見て、何かをやろうとして、、感じることに違和感がない。
ある意味全く違う経路をたどっているのに、意識の到達点が違わない。
「歌」っている。
音楽はすべからく「歌」っている。
「歌」っている音楽が好き。
リズムも、ハーモニーもワクワクする、させる。
でも歌ってくれ。
まだまだ足りない。
全然足りない。
音を投げつけるだけなのは止めよう。
瞬間のきらめきは、そこへ向かうそれまでの必然だけから生まれる。
「形」じゃない。「形」は「結果」だ。
音楽は、、(僕の)音楽は、「過程」であり「動き」であり「想い」だ。
そうありたい。
相棒はホントありがたいね(^_^;)
2009年06月02日
人
ずいぶん間が空いてしまった〜♪
前の日記から、ものすごくいろんなことあったんだけどね(^_^;)
最近音楽をやる上で、僕が人と違うところがぼんやり分ってきたきがする。
それは、「人」っていうこと。
僕にとって「音楽」は、僕と他の人を結びつける「ため」のもの、、、、。
音と音の交わり、、、、っていうけど、
純粋に音と音の交わりを追求したって、そりゃ人がにじみ出るから、「人」っていう要素は、どうしたって外せない、、、、という意味でなく。
音と音を交わらせるのと同時に、あるいはその前提として、僕は人との繋がりを求めてしまう、、、、っていうこと。
同じものを見たい。
同じ色を感じたい。
同じものを目標にしたい。
同じ錯覚をして笑いたい。
同じ馬鹿をやって笑われたい。
普通だったら、普通の方法だったら、ひょっとすると見れなかった「秘密の宝」を、一緒にに見てみたい、、、見たような錯覚、、、を感じたい。
即興であろうが、作りこみであろうが、
コピーであろうが、オリジナルであろうが、
プロであろうがアマチュアであろうが、
キャリアがあろうがなかろうが、
それを求めないミュージシャンの音楽に魅力を感じない。
それが僕の限界だったとしてもいいよ。
自分がプレーをするかどうか?すらどうだっていい感覚。
こいつらと一緒にいること、音を出す、、いや出さなくても「場」の中にいられること。
音楽の隙間を埋めるのは、人への想いだ。
メンバー同士、、お客さんとの、、作者との、、、。
これは感じるものさ。
眼を見ればわかる。
前提の「レベル」が違ってたって、不思議ときっと分る。
「わっ!この眼だ・・」って分かる。。
緊張している暇はない。
レベルの差に臆している暇もない。
一緒にその「秘密の宝」に触りに行こう。
(写真は僕の生まれた時住んでたアパートの場所)