2010年04月

2010年04月30日

ハッピーセット

カリフォルニア州が、マクドナルドのハッピーセットの「おまけ」を禁止したとのこと。

これ、日本でも普及していますが、立派なオモチャのおまけがつく強引な商法なのですけれども、規制の根拠は、
「子供たちに高カロリー、高脂肪、高ナトリウムの食事を売るためにおもちゃでつることは許されない」ことなのだそうです。

これ、たしかに提供される食事の内容だけでも、充分値段相応なのに、さらにもらえる「おまけ」が立派過ぎて、いつも驚きます。

何が「立派」かというと、ほとんどが著作権のあるキャラクターグッズで、しかもかなり精巧に作られているものなので、このおもちゃだけでも十分に価格相応の価値があるように思えるのです。
オッサンとしては、自分の価値価格の崩壊です。

日本でも規制してもいいのではないかと思います。
しかし、アメリカン体型や健康を害するからということではなくて、ひとつには「独禁法」的な視点から、こんなスーパーサービスは、超大手でないと不可能ですし、何よりも「おもちゃ屋」さんの聖域を侵しています。

とはいえ日本にも、「食玩」の伝統?があって、どうみても「おもちゃ」を売っているに、言い訳程度のガムやキャンディが入っている「食品」がかなりあります。
なぜか、玩具メーカーのバンダイさんあたりの商品なのに、食料品売り場でお菓子と並んで売られていたりします。
マックのハッピーセットも、「食玩」だと思えば、おもちゃ目当てで支出する文化は否定できません。

もう一つは、やはり環境問題の一環として、これは全部ゴミなわけです。
しかし、油資源をふんだんに使い、中国生産ですから輸送にも相当な環境コストがかかっています。
「おまけ」に、それは費やすべきではありません。

いささか、年寄りくさいコメントで恐縮ですけれども、この時期とても多い「フリーマーケット」で、いつも大量出品の常連が、「ハッピーセットのおまけ」なんです。

そもそも、「いらないもの」なのです。
せめて、「もれなく」はやめて、抽選にしたらどうですかね・・・。


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2010年04月29日

かけはぎ

奈良県の西大寺というところにある、近鉄百貨店でアルバイトをしていたことがあります。

大きな複合商業施設なのですけれども、離れのプレハブに全テナント共用の「お直し屋さん」がありました。

つまり、たくさんの洋服店があるわけですけれども、多くのお客さん、特に女性は基本的に「寸法直し」をして着用されます。当然、試着、購入、即お直し、のニーズは高いわけで、各店舗としてもそれぞれがいちいち外部の職人さんに委託していたのでは手間も時間もかかりますから、共同で「お直し屋さん」を持っているのはとても合理的なわけです。

この「お直し屋さん」は、職人のおばちゃん10人程度が、各種ミシンなどの機材を揃えて運営してるのです。
職人さんとしてもも、機材とスペースが充実して、仕事の依頼も安定しいているわけですから、とても良い話なのだと思います。

ところが、この一般には非公開の「職人基地」が、これまたビックリするような技術の集合体なのです。
高級品を扱うわけですから、当然といえば当然なのですけれども、その匠の技にはいつも感心していました。

ある時、私物の派手なチェックのズボンの手直しを相談したところ、あきらめていた「擦り切れ」部分をさして、「ここも直しといたるわ」と言ってくれました。
しかし、予備のハギレもないし、直るわけございません・・・・と思っていたら、見事に、見事に、穴が無くなって新品同様!

これは何の手品かとおもいきや、いわゆる「かけはぎ」をやっていただいたのだそうです。
その前段階で、裾と裏地になっていた、見えない部分から、生地を「移植」して、その部分には他の「ありもの」のハギレで補強してくれていました。

もう感動。

それに味をしめて、タンスに眠っていた、かつての「お気に入り」のズボンや洋服を次から次へと持ち込んでは、リサイクルして生き返らせることができました。

当然、私物なので代金を払うわけですが、お幾らですかと尋ねたら、こんな具合。

「ああ、兄ちゃんのか。 ほな、まあ、千円」

今なら、ちょっと破れたら棄てて買い換えてしまいますが、これで蘇った愛着品は貴重です。洋服そのものの価格が、今よりも高い時代だったと思います。

僕は、20年以上前の、この「かけはぎの千円」はものすごく安いと思いますが、今の「ユニクロの千円」は全然安いと思いません。







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2010年04月28日

ボランティアで天下れ

私もこれでもかなり、ボランティアをやっているのです。

というか、現実にはやらざるを得ないものが多いのが現状で、社会人誰しも、いろいろな方面との交際が必要になって、そのなかで求められ、果たす役割として「やらされている」のが現状です。

もちろん、やっていれば結構、為になるし、楽しいことのほうが多かったりするのですけれども、「やらされている」って時点で、ボランティアではないのかもしれません。

本来、自発的にやるものがボランティアなので、なにも報酬が無償かそれに近いということが絶対ではありません。なので、拘束された時間の生活費くらいは頂いても当然なものなのです。

そのうえで、困ってしまうのが、まずはボランティアの民業圧迫?
単純作業を、暇と興味によって引き受けると、その作業を請け負っている人たちの仕事が減ります。
逆、ワークシェア効果になってしまうわけで、職と収入のある人は休日は休日として休み、そういう作業はちゃんとお金を払って委託するべしとも思います。

これが、もっと高等な技術、特殊な技術を必要とする仕事であると、「嫌がらせ」になってしまいますし、業界的にも後人が育ちません。
特殊な技能を持っている人は、それを安売りしない、提供しないようにしなければなりません。
高い技能をもっている人は、それに応じた高い報酬を言い張る義務があるわけですね。

まじめに勉強して行うサービスも、「それって金とるの?」みたいな風潮にされてしまっては、その道の発展はありません。

頼まれてもいない事でも自発的に活動することはすばらしいのですが、何事も、「タダ」はいけません。

「無償奉仕」は美しいことではありません。
受益者も、不当に利益を得ているわけです。
そして、それによって損をして迷惑している人もいるわけです。

お昼休み時間に、レストランの前で炊き出しやっているみたいなもんです。

そして、そのまったく逆なのがかの「天下り」だと思っています。
実務の経験が豊富なOBの方が、退職金もらって退官後に、再度お国に奉仕しましょうというのは、大変良いこと。
ならば、これこそ「ボランティア」でやってもらいたいものです。

当然、無報酬でなくてもよいです。
ただし最低生活費程度の賃金で、当然退職金なんぞなし。
草の根で、自腹赤字でボランティア活動をしている人たち(私はそうだ)以上に報酬をもらったら罪。

それでも、社会的身分がもらえて、ボケ防止と暇つぶしになるだけでも、有難く思うべし。


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2010年04月27日

「莫大小」売買

「莫大小」と書いて、メリヤスと読むという、なんともおしゃれな日本語です。

なんで「莫大小」かというと、メリヤス(=つまりニット)は、伸縮するので大きさに大小はなし(=莫し)だからで、取引に際してもサイズ単位での売買に適さないってことでした。

じゃ、なんの単位で取引をしていたかというと、「重さ」だったけですけれども、これも実は不正確だったわけです。なぜかというと、ちょっと水分を湿られておけば、その分重くなったので、問屋さんはその分で、高く売れちゃうってことで、そういうのはズルではなくて、商売の知恵だったんだそうです。

ところが、この「水分増し」を防ぐ素晴らしい発明をした人がいました。
彼が作った化学の糸は、ほとんど湿気を含まないような優れモノでした。その上、丈夫で長持ち、これは、社会にとっても、業界にとっても、消費者にとっても、画期的なものです。

しかし、「湿気」分の利益がなくなる問屋さんにとっては、そんな迷惑なものはありません。
どの問屋さんも扱わなければ、優れモノも世に出ることは無くなってしまうわけです。

ここで一つの教訓は(といっても創作話ですけど)、 技術は、進歩すればいいというものではない、ということです。 顧客、または社会が望んでいるレベルを超えるものは、かなり困った発明になってしまいます。

携帯電話の「居場所追跡サービス」なんて、まさにそんなものだと思います。
すばらしい技術ですけど、あんなもん、迷惑な人の方が多いはずです。
過剰な技術は、実需品として製品化に結びつけなくてもいいという点では、核兵器なんかもその例かもしれません。

そして、もうひとつの教訓は、多数の意見というのは、多数の人のご都合のことであって、かならずしも「正義」だとは限らないということです。

なにが正義か道徳かというとき、その本質の是非よりも多数の都合のほうが優先されてしまうことは、注意が必要です。

多数が正義ではないのです。

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2010年04月26日

エゴ ロジック

「環境も人で変わるんだけどね・・・」

と、細野晴臣さんがCMで語っているのが、とても印象的です。

何のCM(ガスパッチョですけど)も無関係なくらい、ここだけ強いメッセージが切り取られているように感じるのは、細野さんのアーティスト力としか思いようがありません。

ともあれ、たしかに環境は人で変わるもの。それほどまでのパワーを人間は持ってしまいました。

下手をすれば地球環境はボロボロ、上手くすれば共存共栄です。

米軍・普天間基地を移設する原案での、海の埋め立てを「自然への冒涜」とハトヤマ首相はおっしゃいました。
これについては同感、というか単純にサンゴ礁の海を埋め立ててほしくないなあ、という程度でのことなんですけれども。

じゃ、埋め経てないで、杭を打ってその上に滑走路を作るとか、沖合に浮かべた滑走路を作るとか、それでいいいのか、というとそれもどうなんだろうと思います。

それでほんとうに「自然を冒涜」していないといえるのかどうか。同じじゃねえのか、と思うわけです。
ただの無責任なロマンチックモラリストとしては、ですね。。

ところが、これが「同じ」じゃないのは美ら海のサンゴ礁さんたちよりも、亀井さんいうところの「砂利や」さんたちだそうで、そんなハイテクな工事になると、地元の建設業者の仕事にならないのだとか。

だからといって、埋め立てなら賛成できても沖合はダメ、ということであったとしても、それはそれで有り得る意見だと思います。
決して、経済や振興と関連して考えることは、悪い事ではありません。恥ずかしい事でもありません。

問題は、沖縄は、基地の需要と土建産業で成立する地方にするのか、または最低限のインフラが整備されただけの「夢の楽園」として、観光産業で生きていこうとするのか、その方向が問われているのだと思います。
それを決断するのは誰か、ということですが、とりあえずは地元の住人。

しかし、「きれいな海と静かな環境が必要だ」と地元民が言っても、基地が必要ならお国が全国民がお願いして押しつけなければいけません。
「基地も米兵もぜひ必要だ」ということでも、沖縄の海は「YOKOSO日本」的には財産なので、米軍には出ていててもらう方向にしなければなりません。

どちらも、その判断はお国です。

そして、それらは二分法で解決するものではあろうはずもありませんが、メディアでは「賛成」「反対」の二者択一でしか語られていません。

さらには、「反対」と「美しい平和な島に米軍樹基地はいりません」と可愛く叫ぶ裏面には、この負担は「自分たちの地元でさえなければ構いません」と言っていることに、気が付いていません。
沖縄と鹿児島以外の人にとっても、ほとんど他人事で、沖縄「県」かどうかというのは、たぶんどうでもいい事で、それが徳之島でもたぶん、ダメなものはダメ。

そしてメディアの興味は、ハトヤマさんの自主期限の「5月末」に、おもしろいことが起こるかどうか。

「極東における米軍のプレゼンスは第七艦隊だけで十分」と、一年前にオザワさんが発言してやや騒ぎになりましたが、結局はそこも含めて問題を考え直さなきゃいかんのじゃないかと思います。

もちろん、全国民的に問題意識をもつ必要があるわけなのですけれども、現状では、沖縄か徳之島か、どちもだ
めそうだけどハトヤマさんどうすんの? オラしらね・・・と、選択すら国民には委ねられていません。

今の政府のリーダーシップだと、国技館を蔵前に戻すのも(そんなプランはないが)、築地市場を移転するのも(それは東京都だが)、靖国神社にかわる追悼施設を作るのも、な〜んにもできそうにありません。
まして、米軍に出て行ってくれ、なんてとても言えないんんだろうなあ。

いっそ、すべての基準を「環境」にして、その基準以下なので米軍の基地も訓練も不要! と言ってくれたほうが、スッキリするのですけど。





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2010年04月25日

メクソとハナクソ

ことわざに物言い。

驚いて逃げる距離が、50歩と100歩なのはたしかに「どっちもどっち」という気がしますが、メクソとハナクソは、違うだろうと思います。

そもそも、「米」の「異」物であることろのクソ、つまりは排泄物と、メクソもハナクソも違うのに、クソ扱いは不当です。
そして、ハナクソは基本的には外部の塵や埃が原料の半分で、メクソは自分の分泌物がほぼ100%です。(たぶん)
どちらも、人体が非常に良い仕事をしている点と、まちがって「クソ」扱いされている点では確かに共通してますが・・。

「どんぐりの背比べ」も嘲笑ってはいけません。
彼らなりに、一生懸命なんですかから・・・というか、そんな価値観をもっていないかもしれません。
身長もプロポーションもなにが優れているとさえwるのか、どんぐり社会の研究をしてからにしないと失礼です。


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2010年04月24日

上海万博、万博ってなんだ。

たったひとつだけ、上海万博で興味のある催しがあるのです。

それだけを楽しみにして出かけるなら、どんなに無理して休暇を作っても、人に迷惑をかけても、お金をかけても、不便でも、なんとかならないものかと、試みてみる価値があると思うのです。

たとえば、政情不安な国の奥地の博物館、というなら、それは乗り越えてみようと思う障害なのですけれども、「万博」X「上海」から連想する「大混雑」は、とてもじゃないけどギャラでも頂かなきゃ御免、です。

ところで、そもそも万国博覧会というのはどういうコンセプトなのか、それを考えると開催意義からして「仕分け」したくなります。
ま、やるのは勝手ですけれども、世界中で似たようなメッセも多く個別に行われているし、今更「国」単位で何かを発信する時代でもないでしょう。
それに、具象の「モノ」を作って、「人」を集めるという情報伝達は、ITの時代にそもそも逆行しています。

ならば、もっとアナログな、その「場」でしかできないことをやればいいと思うのですけれども、いまだに万博の形式は変わっていません。
人間殺到が成功の証のように扱われた、大阪万博と同じ。

1970年、「人類の進歩と調和」って、わけのわからんテーマも、成長と発展のノリのいいときは、それでよかったのですけれども、今となっては虚しくて恥ずかしい感じがします。
つまり、中身ゼロ。強いていえば太陽の塔だけは残ったけど・・。

世界選手権やワールドカップがあるうえでも、オリンピックはそれなりに価値が保たれていますけど、万博に世界中の人が足を運ぶ価値、ってどれだけあるのか疑問です。

上海は近いから、行ってみたい気もするのですけど、普段以上の大混雑は、1970万博を体験している世代としては、もう勘弁してもらいたい発展途上国のステップ。

「下敷き」って言葉、学用品の前に人間混雑のことだと覚えちゃいましたからね。

ま、どっちにしてもとてもお出かけする予定もありませんが、行くなら、静かな上海に行きたいもんです。
テレビ塔もない時代に、行ってみたかったもんです。
たとえば1970年とかに・・・。

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2010年04月23日

テレビのある生活

ALWAYS三丁目の夕日、的な昭和の風景として、テレビの購入という一家の大事業がありました。

公共のパブリックビューイングとしてのテレビが、家庭にやってくるというのは大変なことで、近所の人が集まって視聴していたのも納得できます。

僕ら、ぎりぎり白黒テレビの時代を知っている世代ですが、それでもテレビは急速に普及して、「テレビのない家庭」というのは、かなり稀少になっていました。
昭和の終わりには、テレビと電話のない家庭、というのはほとんどなくなっていました。

そのころからすでに、(貧困ではない)積極的理由でテレビを持たない、という選択をしていた人もいましたし、テレビを見ない一家、というのも結構周りにいたように思います。
「テレビなんぞ、つまらん」というわけで、かなり格好良かったように思います。
ま、変わりもの扱いはされてしまいますけど・・。

僕も今はあまりテレビは観ませんが、もともとはテレビ大好きな生活をしていました。
なので、旅先でもテレビの音がないと、なにか落ち着かなかったりします。
それは、いまでもそうかもしれません。

ところで、とうとう「アナログ」放送の終わりまであと一年ちょっとになりました。
これからは、アナログ放送の画面には黒帯が出るのだそうです。
それで、早期の買い替えなどを訴えているのだそうです。

しかし、今更そんなにテレビに投資するのは大変です。
今は、録画機器も変えないと不便になるし、テレビ自体も液晶だのぷプラズマだのと、高品質化を迫られます。
さらに、自動車に慰め程度についているテレビも、これもアナログなので来年から見えなくなります。

買い替えできないとなると、生活的屈辱です。

実際、「三種の神器」でもなくなった今、そんなにテレビに投資(というか出費)はできません。
アナログの電波が限界だということですけど、地上波の放送局が多すぎるのがいかんのです。
(ま、僕ら多少、その恩恵に被っているわけですけれども・・・)

似たような内容だし、ひとつふたつ統合してもいいんじゃないかと思います。
赤坂と六本木は近いし、お台場と汐留も近いですから・・・。

このまま、地デジのテレビを買わないでおいたら、渋谷区神南の放送局の受信料は払わなくてよくなるのでしょうかね? 

グッドアイデアか。

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2010年04月22日

丸善のステイタス

知らなかったのですけれども、京都の丸善は閉店していたのだそうです。

といっても、もう5年も前ということなので、知らない方が変なのかもしれませんが、京都に行く機会はあっても、残念ならがショッピングも祇園の宴会もミッションに入っていないので、河原町界隈には全く行きませんので、気がつかなかったわけです。

報道もあったのでしょうけれども、逃してしまえばずっと知らないままです。
人間だったら、配達されない年賀状とかで、消息を知ることがでみるのですけれども、そもそもお店とただの客の関係じゃ、教えてもらえるはずもありません。

といって、具体的なかかわりもなければ、そんなに思い入れがあるわけでもないのですけれども、やっぱり梶井基次郎の「檸檬」に実名で出てくるお店として、ロマンチックでした。

積み上げた美術書の上に爆弾に見立てた檸檬を置いて・・と、そういうエピソード付きの場所が好きなんです。
ひとりでウンチクに納得して喜ぶ、自己完結満足野郎なんです。

さておき、その京都の丸善も、僕が立ち寄っていた在りし日も、すでに梶井基次郎の頃とは違った建物と空間でした。
なので、本当はその場所で感慨深くなることもないはずなのですけれども、そこが丸善のエライところで、建物が近代化されても、なんというか格式なのかコンセプトなのか、なんというかムードは維持していました。

そういう意味では、東京の丸善も、丸ビルに派手にできたものでも、やっぱり丸善の味わいは失われていません。
名前だけ老舗で、あるいは土地と場所だけ歴史があって、全部台無しにしているくせに宣伝コピーにだけはちゃっかりつかっているようなマガイモンが多い中、これは立派です。

本を買うだけなら、絶対にアマゾンのほうが便利です。
配達もしてくれるし、検索するのも楽です。

しかし丸善には、そこに揃えられてる商品、雑貨や日用品、文房具に至って選ばれしステイタスがあります。
いまだに、25年前に京都の丸善で衝動買いしたウォーターマンの万年筆が手元にあるのですけれども、これには若き日に抱いていた「大人のステイタス」への憧れが入っていたのだと思います。

昨今のデパート(百貨店)が、全く失ってしまっているのが、こういう価値だと思います。
デパートは商品に競争力がないのではなくて、場所や店員にたいした魅力がなくなっているのです。

その点、伝統店を閉店したり、近代的な新店舗を作っても、丸善はやっぱり変わらないものがあります。
店員の無愛想もまた伝統。
いとおかし。

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2010年04月21日

万博ソング

盗作とか類似品とかという話がでてくると、半分面白がってさえいるような気もするのですけど、今回は夜店の露天じゃなくて上海万博。

もともと、日本人って盗作には寛容だったんだそうです。
偽物が現れたら一人前だとか、歓楽街で自分を名乗る男が出没していると聞いても、「本人より男前らしい」と知って喜んで黙認した何某さんとか、それすら楽しんで笑い飛ばす余裕があったんですね。

そもそも、ちょっと昔までは、「モノマネ日本」だったわけで、欧米から見ればなんえもかんでもモノマネして、安価優良品を量産して輸出して発展してきたのが、日本だったわけですよ。

テレビ番組だって、笑えるくらい外国のコピーだったりしましたからね。
そんな「オリジナリティの無さ」がコンプレックスだったんですね、僕ら自身が。

いまや日本初のソフトやコンテンツが充実して、輸出産業にまでなった感のある時代になったのは、立派なことです。
なので、真似される側としては、真似されては困るのは困るのは確かなのですけど、ちょっと面白がりすぎではないかと。

著作権にうるさくなった時代ということもありますけど、ちょっとナーバスになりすぎ、という気がしますね。少なくとも市民レベルでは。

アメリカは、盗作に寛容ではなかった例として、70年代のテレビドラマで、「パートリッジ・ファミリー」ってありました。
(知らね〜かな〜、若者は・・^^)

その一場面で、二男のダニーがある日名曲を連続して作曲して発表するんですけど、それはお兄ちゃんの作った曲なんですね。それで騒動になるって回があったのですけど、「盗作はいけいない」ということが、このころから市民レベルで定着してたんだと思いました。

ちなみに、このダニーくんはたしか、盗作ではなくて、寝ているときに隣でお兄ちゃんが作曲していたので、無意識に頭に入っていたということあったと思います。悪気はないんです。

今回は、万博事務局も一歩引いてきましたけど、岡本真夜さんの対応も、大人でしたね。気持ちいい感じです、結末は。

どうせなら、三波春男「こんにちわ〜こんにちわ〜」に切り替えて採用したら、なかなかウィットが利いていてよかったんですけどね。

中国のメンツをつぶした責任は、中国の作曲家個人の問題に扱われるのだとすると、彼の身の安全は心配だったりしますけど。

しかしまあ、綺麗な流れの曲って、出だしが似たら展開もサビも似てきますわねえ、なかなかこれから新曲ってのは注意しないと、気がつかないままに似てたりするかも知れません。


それにしても、いつまでジャッキー・チェンなんだろう。なんでもかんでも・・。



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2010年04月20日

アイスランドや

アイスランドの火山が噴火して、ヨーロッパの空港が連日マヒ状態なんです。

仕事の人も、旅行の人も、行く人も、帰る人も、足止め御礼です。

それに伴って、いろいろと不都合も出てきていて、またまたニュースは大袈裟に騒いでますけれど、

ノルウェー・サーモンが空輸できなくて、回転すしの「生サーモン」のネタが無くなるとか、

母の日にバラが足りなくなるとか、

本場のチーズがないと看板料理が作れないとか、

ぜんぜん、ぜんぜん、大変じゃないでしょう。それくらい、数日くらい。

騒ぎすぎ。
そんなのが大変なら、一世紀前はどうなる。

そんな報道するくらいなら、コメンテータの三人に一人くらいが「アイルランド」と言っているのを、ちゃんと訂正しておいてください。エライ違いです。

まあしかし、滅多にない事なのでしょうけど、YOKOSO日本というキャンペーンをするんだったら、
嵐を起用してどうこうと頑張るよりも、こういうときに空港で立ち往生している旅行客の人に、日本のホスピタリティを見せてあげたらどうかと思いますよ。

一部のヨーロッパ人から、「フランクフルトの空港では簡易ベッドまで用意してくれているらしいが、日本は不親切だ」みたいな発言があったそうですけど、悔しくないんか。

「日本は、あんな野戦病院みたいなベッドを空港に持ち込むよな失礼はしません。さあどうぞこちらへ・・」
と、お部屋にご案内して、竜宮城のようなご歓待を申し上げてなんぼです。

ついでに、芸者サービスもつけて、嵐のコンサートでもやってみなさい。

嵐、ってのが空港では微妙なネーミングですけど。

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2010年04月19日

廃棄されたキャベツの恨み

天候が奇妙なことになっていて、4月でも雪が降る世の中、見事なまでの「温暖化」だなあと思います。

そもそも本当に温暖化しているのか、その原因が二酸化炭素なのか、そこからかなり懐疑的なのですけれども、とりあえず四季のめぐる順番だけは守ってくれないと、いつまでたっても夏がやってきません。

実態があるのかどうか、実感がないので、地球温暖化も地球氷河期もにわかに信じられないのですけれども、根拠になっているのは、メディアによって伝えられる「情報」なわけです。

大変なことだ、大変ことになる、と騒いでいるから、そうなのかなあと洗脳されかけているわけです。

天候不順になると、必ず「野菜が不作」で、高騰したりで、農家が大変、主婦が大変、ということになるそうです。そういう報道になるのですけれども、これがかなりまた疑問です。

農家は大変だとおもいますが、豊作乱獲になれば値段が下がりますから、それだって大変です。
必要なものは、利幅がさがったり売りにくくなったりしても、基本的には相場も上がるわけですから吸収の余地があります。
企業と案的供給を契約しているなら、それくらいのリスクに対策があって当然です。

取れすぎて、ダブついて、廃棄処分にされたキャベツの恨みだと思ってください。
天候がまともなら、捨てなきゃならないってほうがおかしいと思うのですけど・・。

消費者はというと、外食の値段は基本的に変わらないので、これも野菜の不作による値段の高騰は、その間の企業が努力して解決してくれています。

では家庭ではどうかというと、180円だったものが、360円になれば、そりゃ「倍」といえば倍なのですけど、たったの180円といえばそれまでです。
180円くらい、ほかでどうやってでも吸収することができます。
ビール一杯、コーヒー一杯我慢すりゃいいわけで、そもそもなけりゃないで、別の野菜を使えばいいんです。
野菜を変更できないのはチェーン店のレシピくらい。それは、お店が負担してくれているわけですから。

「野菜が高くて困る」ってのは、平和で恵まれた人たちの会話のマクラにしかすぎません。

野菜がないならケーキを食べればいいのさ。

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2010年04月18日

スーザン・ボイルさんの価値

最近は、台湾版スーザン・ボイルさんというのもいるそうで、世の中には歌の上手い人が多いもんだと思います。

カラOKのおかげなのか、みんな歌を歌う、演奏付きで、しかも人前で、しかお頼まれてもいないのに積極的に、誰も聞いてはいないけど、という機械が増えて、それこそ底辺が拡大した影響だと思います。

さておき、スーザン・ボイルさんも確かに歌はお上手なんでしょうけど、たぶん売れていない歌手の人がそれに劣るということはありません。

えらそうに言えば、あのレベルならば、五万といるもんだと思います。

表現力はいろんな要素があります。
歌によって合う、合わないもあります。

なので、一概に出てくる声と音だけで判断することはないのですけれども、たとえば僕が大好きなキャンディーズの「年下の男の子」を、怖いオバサンが歌ったら、そりゃ無理があるでしょう。

そこには、ミニスカート笑顔のアイドルが、大きな条件に加わっているわけです。

しかし、スーザン・ボイルさんや、台湾のそれの場合はなんなんだろうと思います。
肥っていて地味で一般的には魅力がない事が、歌にとて本来価値があるものではありません。

それは、ただの話題戦略。

JEROさんだって、間違いなく歌は上手いと思いますが、それだけならそれだけです。
彼が、どうしていまだに、キャップ斜めかぶりで歌っているのか、それがわかりません。

デビューと注目されるきっかけは、いろんなことがあってもいいと思いますが、世に出たなら、認知されたならあとは、実力勝負すればよいのではないかと思います。

スーザン・ボイルさんがダイエットに成功したら、価値がなくなってしまうかどうか、試してみてもらいたんもんです。



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2010年04月17日

文化財です

奈良公園の鹿を射った男が逮捕されたのです。

とんでもない事で、真偽はしりませんが動機は「高く売れる」からだそうです。

そんな輩の発想や、高く売れるのかどうかはさておき、容疑は「文化財保護法違反」なんだそうです。

鹿は、鹿にしてみれば、自分は鹿。自覚なし。

そこでたまたま生きているだけなのに、「文化財」にさせられています。
狙ったラーメン屋は犯罪者。
狩猟民族の国で、野生で育っていたら、「獲物」。撃ち殺されるのも自己責任。
逆に仕留めたハンターはヒーローです。

文化財なので、立派な角を切り落とされるのは、罪にはならないのです。

ちなみに鹿は、美味しいのかもしれませんが、紅葉の季節のものでしょ。
鹿にしてみれば、人間にとって美味しいかどうかも、無関係。

どっちにしても、迷惑な話です。



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2010年04月16日

ガガ、が

20100414GG
来日した、レディ・ガガさんは、エルメスのBIRKINに落書きして登場。

これ、惜しい。

パフォーマンスというかPRとしては、とってもいいアイデアなんですけど、ミスは、「 字が上手すぎる 」こと。

たぶんアメリカ的演出なんですけど、落書きの神髄は乱れてないとだめです。

BIRKINは、定価で100万円くらいのバッグで、コメ兵で買っても50万くらいの値が付いている人気商品です。

荷物を入れて運ぶだけなら、スーパーのエコバッグでよさそうなもんですけど、そんなBIRKINもガガには紙袋程度。
なので、所詮エルメスだのなんだのいっても市販品のつまんない芸術性に比べたら、自分の落書きを加えるほうがよほどエキサイティングなわけです。

100万のバッグなんて、公衆トイレの壁と同じ。
エルメスの価値なんて、自分の個性には到底及ばない。

いい主張です。

でもこれ、ホワイトボード用のペンで書いてあったりして・・。

ちなみに、公衆トイレ等の公共建造物の落書きの弁償費用は、場合によってはBIRKINよりも高い可能性がありますので、お気を付けください。

らくがきは、あくまで自分の所有物に。

あと、東京は、「リトル・モンスター」なのか、「スモール・モンスター」なのか、はっきりしてね。


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2010年04月15日

ねんきん定期便

ねんきん定期便、というのが届きました。

いろいろとメディアからは意地悪な指摘がされていましたが、この「わかりやすさ」で、わからないようなら、ちょっと問題なんじゃないかと思います。
他で詐欺にあわない程度の、「惚け度」の試験としても活用したらどうかと思います。良い出来です。

舛添さんがえらいのか、長妻さんがえらいのか、それまでが歴代ひどすぎただけか、こりゃ良く分かりませんけど、あれこれと怪情報がとびかって不気味で不安だった「年金」について、ここではっきりしたのは幸いでした。

しかしながらその内容は、頭が痛くなります。
この金額で明日から生活しろと言われたら、夢も希望もありません。
いまなら、アルバイトでもしますけど、老後だとどうにもなりません。

こんな額もらうために頑張ってんのか、という虚しさ以前に、この額で生活できると仮定していたんですかね、行政は。

そんなことは、もちろん昔からわかっていはいたことなのですけど、当時は、「先のことはそのときにはどうにかなるわな」程度に思ってました。または、「どうにでもなる」「なるようになる」と。

まあ、なるようになるのは間違いないのですけど、いつの間にか先のことではなくなって、「目の前」に近づいてきたのでさあ大変。

老後の心配をし始めたときに、「なんとかなる」ウルトラCはだんだんと無くなってきます。
30代がたぶん勝負で、あとは宝くじを買うしかないような感じもしてきました。

30代のウルトラC。
特に女性がいちばんあり得ると誤解しているのが、「ご結婚」なのですけど、実はそんなにうまくはないのです。いいものは、先行投資でほとんど売れているんです。男女とも。
男子は、愛を信じてはだめです。お金で愛は毛ませんが、愛でお金も買えません。

でも、そんな残念同志なら、実は協力できるわけで、相互補助のためにもとりあえず「ご結婚」という形式は、結構よいアイデアだったりします。

貧乏な時に必要なのは、お金をもっている人よりも、同じ境遇の仲間。
「二人三脚」なら足は三本ありますけど、「おんぶにだっこ」じゃ、二本足のまま。負担が大変です。

ともあれ、この年金じゃしょうがないのでドサクサに紛れて生きていくか、のたれ死ぬしかありません。

それが、まじめに勉強して、まじめに働いてきた人のモデルだとしたら、いったいなんなんだろうと思います。



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2010年04月14日

かわいい子の旅

なるほど、と思いました。

成人した子の入学式にも出席する親、というのに違和感をもったり嘆いたりしたら、シルバー都知事さんと同じくらいの意固地な爺さん扱いされてしまうのです。ところがいまや、大学のオリエンテーションから単位の取り方、はては就職活動の指導、さらには就職後の世渡りくらいまで、しっかり「指導」してナンボなのが「親」の役目なんだそうです。

過保護なのは、保護するだけでしたが、指導できるのは親にも能力が必要です。

なので、昔の忙しかった親は、自分じゃ大学の履修も就職活動も情報化社会も経験していないので、どうせ面倒をみるわけにもいかないので、子どもは「放し飼い」してたくましく育てよ、という風潮だったわけです。

子が受験するあたりから、昔の親の知恵や経験では、気のきいた進路の正解を導けなかったから、早めに放置して世間まかせにするしかなかったわけです。

獅子の親は子を谷底に・・・とまではいかなくても、「かわいい子には旅をさせろ」だったわけで、子どもに冒険や苦労させるのも、親の愛情だったということです。

いまや、「かわいい子どもの旅にはついて行け」って感じで、最後まで面倒みられる自信があるから、いつまでも付着するのだということかと思います。

孫が成人するまでが子育てだ、というそうですが、本当に立派なもんです。

立派立派。(ただし皮肉)


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2010年04月13日

たちあがれ日本

ひとまず話題の「新党」の名前なのですけれども、ネーミングのセンスが揶揄されています。

ネーミングしたのが、元(か、現役かはさておき)作家先生でもある石原さんなので、さらに話が歪んできています。
権威もあるし、メンツも考えてあげればケチもつけづらいので、表立っては拒絶するほどの理由はないわけですけれども、その分「陰口」はおもいっきり元気になってきます。

まあ、ケチつけて批判するのは楽なもんで、さらには「楽」は「楽しみ」でもあるもんで、庶民に言い娯楽ネタを提供してくれたと、感謝しておくべきです。さすが元(か、現役かはさておき)作家。

それでも、ネーミングというのは、たいへん難しいのが現実です。
お笑いグループの名前なんかも、とても苦労するということを伺ったことがあります。直接、意味のあることを盛り込むと、ややこしくなるわけで、たとえば『抱腹笑団』(ありえん)とかにするとハードルが上がりすぎるし、『プラチナチケット』とかにするとこれまた誤解を生んだりします。

つまり(と、いうほど立派な例は引用していないけど)、理念やコンセプトをわかりやすく盛り込むと、かえって突っ込まれやすくなるものです。

考えてみれば、たくさんミニ政党が出ては消えましたが、政党の名前で、「こりゃいいぞ」というものなんて、ほとんどお目にかかっていません。
なんか、どこかで聞いたことのあるようなものか、あるいは市民を馬鹿にしたような「ひらがな」政党だったりします。そのあたりで、将来に向けての本気さがうかがえるものです。

「たちあがれ日本」が、衆参で単独過半数を取って政権をとる党に発展するとは、作家先生も発起人先生も家が得ていないのは、わかります。むしろ、潔いくらいのもんです。

なので、この目先の選挙がいちばん大事な使命なんだという政党だと考えれば、夏の選挙ポスターで、街中に「たちあがれ日本」と掲げられるのは、悪くはありません。良くもありませんけど。
少なくとも、広告代理店が考えたへんてこなコピーが活躍するのよりはマシです。

ま、「たちあがれ」ということは、日本はいままだ、コケているんだなあ〜と、その都度思い知らされて、やる気が削がれる気もしますけど。せっかく株価も回復してきているのに・・・。

直木賞受賞作にちなんで、「太陽の党」とかでもよかったのに、と思ったら、そういえば「太陽」を使った政党が一時あったんです。もう、完全に忘れてますけど。

太陽の党がダメなら、ピサの斜塔にちなんで、太陽の斜党ってどうだ。
「斜」は、なんとなく似合うし。

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2010年04月12日

大統領の飛行機

ポーランドの大統領夫妻が乗った専用機が墜落。

濃霧のロシアにて。

大統領専用機となると、なかなかパイロットの一存で堕ちるものでもないような気がするだけに、展開がなんとなくゴルゴ13っぽい感じです。

くわばらくわばら。



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2010年04月11日

お金の正体

51QeF50OQBL__SL500_AA300_日下さんの著書は、ほぼ全部読んでいると思います。
が、個人的には「闘え本社!」を最後に、役に立たないものが多くなってきた気がします。

この本も、手軽で読みやすいのだけれども、エッセイっぽくなっていました。
文字が大きくて、短文で改行が多いのは、経済書としてはそれだけで珍しい事であって、日下さんらしい親しみやすさや分かりやすさの象徴でもあるのだけれども、内容がいまひとつ。

官僚や銀行員の情けない滑稽さや愚行と、それによる国家の利益の損失は悲劇的なことなのですが、それをクールに皮肉って紹介されても、読者としては酒の席のネタにしかならないわけです。

愉快な逸話も、引用が紹介されていないし、アイデアや理想論がどんなに素晴らしくても、関係者のコンセンサスを得られなければ現実的ではありません。
少なからず、関係者を説得できる立場にいた日下さんが、それができなかったことについての恨み節を、面白おかしく愚痴っているだけのようで、目先役に立つものではないわけで、経済書・実用書としてはどうなんでしょうね・。

そもそも、いまさらっ・・・てことで、漫画代わりに。

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2010年04月10日

総理にふさわしいのはナニか

いつも、滑稽だなと思うのが、メディアの「総理にふさわしいと思う人」調査とランクです。

あれって、まじめに扱えば扱うほど、メディアの質が問われるような気がするのですけれども、その他の世論調査と並べて、真剣な表情で伝えられると、そんなに重要なものなのかと錯覚してしまいます。

対象者が、なにをもって「ふさわしい」と判断したのかがわからないので、なんともいえません。
が、それでもこれで総理大臣が、大統領のように直接選挙で選ばれるとしたら、この結果にかなり沿うものになるのだと思います。

これまで、都道府県の知事に選ばれた人などをみると、そんな気がします。

この調査は、一世代前なら、ずっと田中真紀子さんが断然トップだったものです。
田中真紀子さんは、総理になりそうもなかったし、ならない事も知ったうえで、市民は既存の総理と総理候補へのあてつけに、あるいは対極のシンボルとして掲げていたのだと思います。

これは、市民の知的なシャレです。

それを現実の政治が間に受けたら滑稽です。

このところは舛添さんが人気ですが、彼への支持が象徴しているものが何なのか、を分析してみれば、本人の実績評価(何をしたのかわからんけど?)、資質へ期待など以外に、現総理へのアンチテーゼ、弁論術、有名票に加えて、「シャレ」が必ず入っていると思います。

試しに、選択肢に「北野武」を加えた調査をしてみると、このあたりが明確になるとおもいますが・・。

いろんな政治的な世論調査があるなかで、この「総理にふさわしい」が、一番無意味な気がするのですけれども、あえて価値を見出すとすれば、

「もし直接投票制になれば、この人が選ばれる」

ということが分かることだけです。

まあ舛添さんなら悪くはないと思いますが、政治とは別の世界での実績や知名度や功績によって(学者も含みます)、ノリで選出されても結局仕事ができるわけではなく、期待外れに終わるだけだと思います。

個人的には、「抱かれたい男」とか「上司にしたいタレント」の調査とあまり変わらないような気がするのですけれども、それならいっそイメージだけで、「総理にふさわしいタレント」の調査にしたほうが、現実の政治家さんたちは方向性を決めやすいのではないかと思います。

松方弘樹さんがよいのか、中井貴一さんがよいのか、たけしさんか・・世間がどんなタイプのリーダーを求めているか、外見とイメージだけのほうが率直にわかりやすい気がします。

ま、つまるところ問題はイメージではなく「何をするか」なわけです。
「何をするか」が、わかっていないのに、なにをもって「ふさわしい」と判断するのかが疑問です。

現総理は、環境問題をがんばって「CO2排出 25%削減」をするのだそうです。
これ、とりあえず指示を得ました。
そして今、なんにもその話が聞こえてこないんですけど・・・・。


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2010年04月09日

昔でいうところの過保護

大学の入学式には、両親揃っていくのだそうです。

もしかすると、入社式にも付着しそうなのが、現代親の事情みたいで、そういえば大学院の入学式でも、保護者コーナーはしっかりありましたし、同伴者が多かったです。

成人していても保護者といえるのかどうか、多少微妙なのですけれども、とにかく教育は親子でセットの事業になっています。

古今東西、よくある話のようですが、最近の傾向はちょっと違うように思います。
いわゆるモンスターペアレントとか、ヘリコプターとか、そのちょっと前の「教育ママ」とかと決定的に違うのは、親が子供の教育のアドバイザ−として機能している点です。

塾を選ぶのも、学校の勉強の進め方や、進路選びについて、ずっと一緒に考えて、一緒に作ってきた親が多いように思います。

一昔前までは、親はそんなことにかまっていられなかったのが、高度成長期あたりまで。
そのあとは関心はあるけれども経験がないからわからないので、本人と先生まかせ。
最近は、親も同じような教育システムのなかで育ってきたケースが多いので、子どもに「コツ」を的確に伝授できるし、間違いのない選択をすることができるようになったわけです。

よって、「入学式」は子どもの晴れ舞台なだけでなくて、親にとっても「表彰式」なわけですから、自らのご褒美のために出席している、と考えたりしました。
言い方が変になってしまいますが、優秀な子どもは親としての「自分の作品」。それがコンクールで入賞したくらいの感覚もあるのではないでしょうか、なんて考えたりしています。

ま、どちらにしても、いわゆる「勝ち組」の話で、いい学校に行ける階層の人たちの話ではあるのですけれども・・・。

しかし、勝ち組の親は裕福なので、その子どもは自立する必要がない、ということもあります。
なにより子どもがたくましく成長するためには、「親に楽をさせてあげたい」という動物的な性質が必要なのではないかとも思います。

立派で優秀な親がマネージャーをしてくれて得た知恵は、結局自分のものではありません。
自分の知恵をもたない子どもは、どんなにいい学校で高い教育を受けても、「大人」になれません。

その責任は、ご立派な親の方にあります。
造形物でも、高級な作品ほど繊細でち密ですけれども、もろくて壊れやすく、修復も難しいんです。


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2010年04月08日

青木功さんが象徴するもの

いつか、夢判断をしてもらいたいと思うのですが、僕の夢には青木功さんがよく出てきます。ジャンボ尾崎でも、中島さんでも、石川遼くんでもなくて、青木さんです。

今では、ほとんどメディアを通しても見る機会がなくなった「世界の青木」ですが、この青木さんは僕の中では何のメタファーなのか、それが気になります。

連日活躍を拝見している松井もイチローも、夢に出てきた記憶はありません。
なので、単純に世界、とくにアメリカで活躍ということだけではないと思いますが、僕にとっての青木功は、「世界に挑む男」の代表でした。
そして、少年にとってのヒーローの一人でした。

きっかけは、バルタスロールの全米オープンでした。
ただ、アメリカで2位になったのではなく、誰もが優勝を目指す注目のメジャータイトルで、誰もが(僕でも)知っている「世界の」ジャック・ニクラスを相手にしての2位でした。

アメリカで戦うことすら珍しい時代、まだ優勝した日本人はいるはずもなく、そんなこと考えるはずもなく、たとえば野球もメジャーリーグとは大人と子供くらいの差があったころですから、これに勝ったら、どれだけもの凄い事か、見当もつかないような状況でした。

日本のスポーツといえば、どうしても体格で劣るということから世界ではなかなか通用しないのが当然という頃でした。

歴史としても、日米野球でベーブ・ルースを打ち取った沢村栄治の剛腕とか、力道山の空手チョップとか、体格差を克服した活躍に溜飲を下げていた時期から、「技術がパワーを制する」という風潮になるときでした。

経済も、電気製品や自動車などの日本製品が、その技術力で世界と戦おうという時期に、ショートゲームで世界と戦ったアイザオ・エオキは、時流にも沿っていたのだと思います。

感がえてみれば、彼のようなドラマチックなヒーローがなかなかいないのです。

たとえば、国民栄誉賞の王さんは、「数字の上」だけの世界一だし、具志堅は体重別の階級が区切られた競技、山下泰弘は世界じゃマイナー競技、瀬古はめったに試合がないし、中島悟はトップになる期待はできなかったし、そもそも「外国人と対等に会話する」様子が誰もなかったんですね。
みんな、海外では「借りてきた猫」状態でした。

その後、中曽根さんのロン・ヤスあたりから、外国に臆することなく接することが進み、バブル期には世界の不動産をジャパンマネーが買いあさり、調子に乗ったところでベクトルはポッキリ折れて下降線。

日本経済は自信のない時代になって久しいのですが、スポーツ界は絶頂です。
いまや、世界一にならないと、ファンは満足できないくらいになっています。

そして、韓国・中国も台頭してきています。
同じ「世界2位」でも、いまは1位が韓国の選手だったりします。企業もあるいはそうかもしれません。

青木功さんって、前を向いて走って追いかける目標があって、追いつきそうな時代の象徴だったのかもしれません。
いまや、追いかけているのは、抜かれた相手だったりするのですが、それよりもなによりも、トップにいったん立ったら、そこから次はどうすべきか、それがわからなくて迷走している気がします。

僕が青木さんの夢を見るのは、単純にゴルフしたいだけなのかもしれませんけど、やるなら昔の気持ちで。

プレイではなくてトライ、もしくはチャレンジ。


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2010年04月07日

景色として耐えうる姿

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最近、どうも卑屈になっていることは間違いないのです。
年齢とともに、あきらめることも多くなり、上手く行かない現状に絶望したりもします。
そういうネガティブなオーラをもっていると、佇まいまで陰鬱なものになってきます。

春は、歓迎会の季節、祝い事の多い季節です。

過日、立派な庭園に隣接する会場にて、背筋の伸びた上品なご年配の方々が眺める景色の中に、自分がいました。

華やかな場、おめでたい場に相応しくない自分を認識して、肩身の狭い思いをしてしまいそうで・・・。

なあに、堂々としていればいいのです。

たぶん。

かつて、生意気にも、分不相応な場に何度も何度も出席させていただいたことがあります。

その頃の、得体のしれない自信はなんだったんだろうかと思うとき、結局のところいろいろなリスクを知らないだけのこと。
実際は、かなりその場で「浮いていた」ことでしょう。

今の方が、深みのある庭園にマッチしているのかもしれませんし。




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2010年04月06日

ipadとpaper

ipadが発売されたそうで、自分は果していつ使うようになるのやら、ならないのやら、いまのところ見当もつきません。

将来、どういう用途で定着して、どのように生活や、あるいは産業構造が変わるのか変わらないのか、それも全くわかりませんが、とりあえず「本」の所有の仕方が変わるのではないかと、予測されています。

この手の、新しい技術革新についての予測は、たいていはあてにならないものです。PCが普及したら「紙」は不要になる、みたいなことを連想予測していましたが、結果はまるで逆。紙の需要はかえって増えたものです。

ITの進化によって、もっぱらインターネットによって、「情報」についてはもの凄い価値変化を受けています。
ラーメンは「熱湯3分」ですが、情報はなんでも「ネット3分」でかなりのことがわかります。

重く場所を取る百科事典もいらなければ、図書館を駆け回る必要もありません。
経験者の貴重な知識も、簡単に公開されています。
そして、それらは当然のように無料で手軽なわけですから、IT革命前と比べると、一般的な「情報」の価値は格段に下がっていることは間違いいありません。

なので、それにしがみついているわけにもいきません。
世の中高年、自分にとっては必死に蓄積してきた貴重な知識やスキルも、ネット3分の価値しかなくなってしまったわけですから、立場はかなりまずいことになっています。

さて、ipadによって単純に考えられる「本」や「紙媒体」の衰退ですけれども、これも実際はどうなのかと思います。
逆に、楽観してもいいのではないかという気さえします。

人間、ものすごく感覚で生きている単純な動物な部分があります。僕がそうなだけかもしれませんが、愛用している鉛筆や消しゴムの消耗具合や、一冊の本の読み終えたページの厚さ、辞書についた手垢、そんなものにとても充実感を覚えて、次への糧になっていたります。

実際、辞書をめくる過程で目に入る余計な情報や、途中まで読んだ本を再読する時の、ページを探す作業で得る「超速読振り返り術」とかで得る、たくさんの面白さを蓄積しているのだと思います。

一時、テレビが普及して映画が廃れたように、今日、ネットの普及でテレビはさておき「新聞」は、かなり困った状況にあるようです。

たしかに新聞よりも、ネットは早くて探しやすくて、わかりやすい媒体で、さらにほぼ無料、なので情報源としては新聞の価値はつらいところです。

「紙」の売り上げ部数が伸びなければ、あとは広告収入くらいしかないわけですが、広告の価値も「紙」の売上部数に比例しています。
なので、新聞の購読者が、現実を考えて月4000円w「仕分け」する傾向になれば、かなり厳しいことは間違いありません。

実際、現在の購読者も、なんとなく惰性で出費してはいるものの、まじめに検討しなおせば、ネットとテレビで事足りる、と考えてしまうかもしれません。

ところが、よくよく考えてみると、新聞には折り込み広告も含めて、たくさんの情報を提供してくれていることに気づきます。
それは、文字だけではなくて、あのインク臭と、目にやさしい再生紙の色や、手触りも含めて、とても落ち着く生活の一部になっている気がします。

ポータルサイトのインデックスだけでは得られないさまざまな情報や画を、たくさんと提供されていることに、改めて最近感じています。

「こちらから獲りに行く情報」については、ネット3分でかなりまかなえますが、「気づかせてくれる情報」が、たくさん紙にはあるように思います。

近日には、ipadで読書をしているのが、目立って格好いいという時がやってくると思いますが、そのあとには、老眼鏡をかけて太陽光の下で、文庫本を読んでいるオッサンの真価が、むしろわかってくるのではないかと思います。



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2010年04月05日

Samaritaine

パリのお休み中のデパート、サマリテーヌの改装を、日本人建築家が依頼されたのだそうです。

どこに行っても、不思議と評価されている日本人っていうのはいるもので、クラッシックの音楽家や建築家、アーティストもスポーツ選手も、日本では無名でも海外では大会評価を受けている人、というのがたくさんいらっしゃいます。

とある北●映画監督のように、日本では「微妙」でも海外では高い評価を得ている人もいますけど・・。

サマリテーヌの改装を依頼された建築家のお二人は、もちろん日本を含めて世界的に評価の高い方なのでしょうけど、建築家さんの善し悪しは、なかなかわれわれはわかりません。出てくる名前も

丹下健三、黒川紀章、安藤忠雄、姉歯秀次・・・

は、ともかく、そんなに誇れるような建造物が、殊に昭和以降日本に出来上がったように思えないんですね。

もちろん、地震国としての耐震技術なんかはとっても優れているのだと思いますけど、(最後の方を除いて・・)本当に景観と文化風土と生活に調和した建築物が、現代の日本にできているとは思えません。

日本はお金持ちなのかもしれませんが、壊して新しいものを造るばかりだと、つまらな〜い建築物しかできません。
いろんな規制があるせいだと思いますけど、プチ都庁みたいな建物がいくらできても、あんまり喜ばしいことではありません。

サマリテーヌは、改装して生まれ変わるのだそうで、それを日本の「巧」が線を引くわけです。
また、それを日本人アーキテクターに依頼するフランスの気質が偉いもんです。

見習って、歌舞伎座は、フランス人建築家に改装してもらってはどうかと思います。

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2010年04月04日

無駄な幸せ

土曜日は、日曜日の前にあるのです。

週休二日が定着してからは、「花」は金曜日になって、休日前の、翌日の体調やらなんやらを気にすることなく「週の打ち上げ」をすることもできるし、週のやり残したことを翌週に持ちこさないために、必死に残業するのも金曜日になってしまいました。

・・土曜日は立場がなくなりました。

半ドンでもないから学校にも行かないし、ご褒美のような「連休」が、当然のように毎週やってくるわけです。

なので、土曜日は休日になってしまって、電車のダイヤもなにもかも、休日扱いになってしまい、平日と違って、娯楽のためにでもわざわざ出かけて、専用のスケジュールを考えなければいけない日になってしまったわけです。


さて、世間は入社式、入学式、でフレッシュな4月最初の土曜日。
こちらとしては、まったくフレッシュではない一日。 
まったくフレッシュではない下北沢で、旧知の渡部さんの戯曲を、旧知の柳鶴さんが演出して、さらに旧知の夏之介さんが主演する公演の初日。

いろいろ楽しませていただいたのち、もはや腐れ縁の越地さんと夏之介さんのまったくフレッシュではない顔並びで、お友達マスターの大助亭に移動して懇親会。

落ち着く、けれども自分でもなにしゃべっているのか分からない、とりとめない無駄話でした。
久しぶりの「まともな」「本物の」お酒に酔っているのではなくて、ただ緊張感が足りないだけ

名前も実態もないホームグラウンドにいる感覚。

このところ、いろいろと頭が痛い毎日だったので、とってもよい「休日」でし
た。


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2010年04月03日

予測変換

予測変換する前に、まずキッチリ打った文字を、平仮名とカタカナで表記してくれんかなぁ…。

技術の押し売りはたまに不便。


予測変換するなら、乗り換え案内で、地下鉄乗って行くのは、「下北沢」なんだよ普通。
「下北半島」って…。恐山か、イタコかっ。

技術の押し売りはたまに滑稽。


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2010年04月02日

またひとつ東京が消える

来年から、「東京モーターショウ」が、有明のビックサイトでの開催になるのだそうです。

これで、「幕張メッセ」の最後の砦ともいえる基幹イベントが無くなってしまうわけで、誘致した企業の本社もいつもにかいなくなっちゃうし、ホテルはディズニーランドのサテライトホテルになってしまったし、壮大な「企画倒れ」がクライマックスになっています。

まあ、サブカルチャーが頑張ってくれてはいますから、イベント自体はなくならないでしょうけど・・。幕張は遠くて不便だと言いますけど、秋葉原からの便もよいですからね。
それに、有明だってそんなに便利なわけじゃないんですけどね・・・。

これで、千葉にあるのに「東京」という名物が、成田(新東京国際空港)に続いて危機。元の鞘に戻ってしまいそうです。東京ディズニーランドは、もともと東京って感じの立地なのでダメージはないですけど。

こうなりゃ、東京都にお願いして、築地市場の代替え地として、幕張誘致したらどうかと思います。

ま、知事がねえ・・。(自称)剣道日本一大会でもやろうってのならともかく。

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2010年04月01日

月初め、週初め、年度初め

エイプリル・フールに騙された記憶はないのですが、このイベントが昔から大嫌いでした。
役に立ったのは、エイプリルが四月で、フールが馬鹿、って英単語の習得に役立ったくらいです。

そもそも、現代人は春だからといってそんなに、ボケっとできることなんてありません。

先日発表された内閣府の2004年から2008年の統計によると、3月1日が最も「自殺者が多い日」なのだそうです。

さらに、昔から「月曜日が多い」というのは定説で、休日は少ないのだそうです。

逆に、最も少ないのは12月30日だそうで、イメージとしては意外な気もしますが、休日で世間も休みだ、というのはそれなりの安心感があるのかもしれません・・・・いや、単に、金融機関が休みなら、自殺なんてしなくていいんです。

月曜日と3月1日はその反動なのでしょう。

そういう意味でも月初め、年度初めの今日、冗談で済まされるような状況にない世の中で、なんでさらに疑心暗鬼で不安にさせる風習をもってこなければならないのか、とにかく4月1日は嫌いです。





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