2010年10月

2010年10月31日

傷つけない教育

綾小路きみまろさんの愉しさや偉大さは、ネタを笑い飛ばせる観客のおばちゃんの心の豊かさにあるのだと思うのです。

すると、今の傷つくことに過保護な教育の子どもたちが、将来どうなるのか。

そういう客ダネだと、ブラックユーモアの未来が心配。

傷つけないように配慮することよりも、そんなことをまとめて笑い飛ばしてやる力、とか考え方を、教えてあげられるのは、立場のある学校の先生じゃなくて、ぼくら外部講師の仕事だと思います。

そして、やっぱりそれは、学校で教える類のことではないし、学校に全部押しつけちゃいけないのも当然。

だから放課後にみんな立ち寄れる、学校と家の中間施設があればいいはず。

だんだん、夢物語。



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2010年10月30日

想像力

想像力って、結局はそれぞれの経験の中の掛け合わせなんだろうと思うのです。

だから子どもはいろいろ飛び越えて、自分の小さな世界に持ってきた発想ができるのかも。

空想するにも知識や経験が必要で、それが少ないと「想像」して矛盾を埋めたり、話を展開したり、解釈したり。

じゃ、経験の少ない大人はいいのかというと、それじゃなにも理解できないだけ。

大人は、たくさんの経験の引き出しから、どう選択するかの勝負。
たくさん経験があればあるほど、豊かな組み合わせが出来る。

そしてそれは、夢の世界の話だけではなくて、現実世界をどういきるか、危機管理、計画の立案、つまるところ『生きるための知恵』なんですね、想像力は。

えらそうに、すみません。

そういうセミナーやってます。

人前で緊張しない方法セミナーも復活しようと思います。

だって、生きていかにゃなりませんから(by橋の上の男)


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2010年10月29日

再度、橋の上。

『橋の上の男』個人的には再演となる題材でしたが、本公演という環境と新しい仲間との取り組み、とてもよい時間を過ごさせていただきました。

しかし終わりは来るもので、とうとう最終公演。

個人的には、いつもとは違う顔ぶれも多く、たくさんの方に見ていただいて、感謝いっぱいです。
懐かしい顔にも、初めての顔にも、いろいろと会えました。

本家公演ならではの、多くの専門家方々のお目に触れ、有難いコメントも頂きました。

しかし、多方面のメディアでも取りあげていただいた割に、まだまだ埋めるべき空席があったのが残念です。
シアターは、客席との化学反応です。
客席の熱なくして成立しませんから。

大の大人が、時間と労力と経験を費やして、地球の裏側からもやってきて、必死になって作ったものx3
もっともっとたくさんの人に見ていただきたかったのが本音です。

月末・平日の短い期間とうことにしても、大東京で数百人だけ。
決して自己満足のためにやっているわけではないのです。
文化や芸術は、助成や保護してもらうことよりも、直接支持してもらうことが望ましいと思っています。

市民に支持されているかどうか、社会に必要とされているかどうか、知らない人にたくさん見ていただければ、そこにやりがいも出てくると思います。

またいつか、何らかの形で、自分をアウトプットして、楽しんでいただける機会があることを望みます。
願わくば、またこんな頼りがいのある仲間のみなさんと。

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2010年10月28日

秋がない

10月としては72年ぶりに気温が10℃に届かない東京。
9月には猛残暑だったし、4月には雪が降ったということで、春と秋がなくなっているのではないかと心配します。

そういえば『春夏冬中』と書いて『あきない(商い)中』という居酒屋の看板もありましたが、今の日本、冬梅雨夏冬って感じです。

商売なら、飽きが来なくて、空きがないのはいいことなのでしょうけど、秋が来ないと大変です。

秋がなくなれば、いきなり冬。
日照時間も短く、体も縮んでしまう冬。

どんなに不幸でも、とりあえず熱くて明るいと気が晴れるものです。
南国いいれば、もれなく気分は開放的になります。
なので、そんな陽気な夏が大好きです。

それから陰鬱な冬へと向かう過程で、これまた大好きな紅葉の秋があればこそ、その済んだ空気をすってこそ、冬になる覚悟ができようってもんです。

いったいどうしてくれるんだ、といってもこればかりは誰に文句を言えばいいのか・・・。


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2010年10月27日

作家の主張

派遣の女「劇場の客席は法廷なのよ。客席には裁判官がひしめいている。芸術家は被告なの。さあ、みなさん、芸術家は被告です!」

…というセリフがありまして、残念ながらそのシーンは時間の都合でカットされているのですけれども、書いた本人の御前、そうだよなあと思いました。

『無罪』というのが、芸術家にとっては死刑よりも厳しい判決だったりするのかもしれません。

相寄る魂「お金持ちは成るものじゃない、生まれつきよ」

これも、結構沁みてきます。

書いた作家が目の前にいるというのは、なんにしても貴重です。
まじめで研究熱心な僕らは、変に難しく考えてしまいすぎていることもあるのでしょう。

「そのまんまだよ」と、人懐っこい笑顔が語ってくれています。




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2010年10月26日

消費による達成感

愛用の赤青鉛筆が役に立たないのです。

鉛筆削りの相性が悪いのか、そもそも品質の問題か、削れば芯が折れる、削れば芯が折れる、削れば芯が折れる、の連続で、ほとんどまともに使えないまま一本終わってしまいました。
とんがっちゃダメだってことかな。

ナイフで太めに削ればたぶん大丈夫なのでしょうけれども、それじゃ文字は書きづらいし、芯がそもそも柔らかすぎるので、書いたらすぐに削らないと美しい文字は保てません。

この、芯がもろい、というのは、たぶんどこかで落下させたか、持ち運びのふでばこが悪かったのかともおもいますが、それにしても書くよりも削ってばかり。

そうすると、一本なんてすぐに消費してしまい、「青」の部分だけになってしまいました。

ところが不思議なもので、そうすると使えなかった不満異常に、妙な使い切った達成感みたいなものが感じられるのです。
ま、一本数十円だからかもしれませんけど、なかなか最後まで使い切る感じって、いいもんがあったりするのです。
モノが豊かになって、安くなったのでなんでも使い捨ての昨今、こういう達成感は、なかなか味わえないんです。

変に豊かな時代です。

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2010年10月25日

月曜前の前夜祭

創作している我々にとっては、突貫工事の仕上げの場、火事場並みの大騒ぎをしている本番直前。
しかし、ロビーでは『前夜祭』と銘打っての優雅なイベントが行われていました。

バイオリンやチェロで奏でられることが多い名曲の一つ、マリーの『金婚式』。
好きな曲なので楽しみにしていましたが、鑑賞する暇などなく、日曜日なのにこんなに時間に追われて、落ちつかない夕方を過ごしていました。

テクニカルな作業の合間、前夜祭をのぞいてみると、NHKフランス語講座のパトリス・ルロワさんがMCで盛り上げていました。
大変皆さん楽しそうにされていて、すこし伸びた時間が我々にとっては貴重なロスタイム。
なんとか、公開GP(リハーサルみたいなもん)にこぎつけました。

気がつけば、外は冷たい大雨だったそうで、そんな中たくさんの方に駆け付けていただきました。
我々も無事、技術的な部分を除いては、大きな問題なく完了。
これで最後の微調整をしてひとまず完成、明日から本番です。

フランスから参加してもらっている、パスカルとソフィのお二人は、ぼくらも初見。
その技量の高さ、格好よさ、その他もろもろには脱帽。

しかし残念なことに、長丁場になるので、このフランス語上演の前に去られた方が多いのです。
無理もありません。終電もあるし・・・。

ヨーロッパのように、パフォーマンスは20時始まり、23時過ぎ終わり、でも食事と帰りの交通機関にちゃんとありつけるようにしたら、マーケティング的にも良いと思うのですけれども。
東京の場合だと、19時始まりに間に合う社会人の人ってほぼいないし、終演まで食事抜き、終演後語らっていたら終電、そして明日はまた早起き・・・これじゃねえ。



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2010年10月24日

コムタン

たくさん上演作品のある記念公演と言うことで、そのうちの一つだけ気にしていいりゃいい僕らと違って、スタッフさんは朝から晩まで連日フル稼働です。

自分が負傷していて役に立たない懺悔もあって、小腹の補強に怪しげな『コムタン麺』のカップラーメンを差し入れしました。

おいしそう・・・だと自分では思ったのですけれども、ごめんなさい食べたことありません。
ま、結果的に、全部無くなって、誰も健康を害さなかったので、大丈夫だったのでしょう。

さておき、韓国の食べ物は、本当においしいです。
ちょっと異なるけれども、日本人の味覚にも新鮮であり、かつ懐かしい感じです。

韓国と日本とでは、食事の習慣もいろいろと違います。
どの国においても食事の習慣は異なります。
そして、類似していたり、共通していること、食材、調理方法、マナー、そういうものもあります。

私たちは、コムタン麺を、割り箸で食べています。
インスタントなので、たぶんお店や家庭で食べるものよりも、粗末な味なんでしょう。
傍らにキムチもありません。

でも、韓国の人と同じように、エネルギーが補給されて、元気が出てくるのです。
そして、こうしていろいろなシーンで、ひとりが1年に約1000回ある食事の機会のいくつかに、コムタン麺が入ってくるようになると、『世界食』になるのだと思います。

がんばれコムタン。

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2010年10月23日

牛若丸と梨元さん

外部演出公演・ギィ・フォワシィ・シアター「橋の上の男」は、日曜日から。
伝統のフランス演劇です。

僕の仕事は、今週末を持って終了です。
演出と言っても、いつも通りで座っていただけなんですけど、まあいろいろ。
やらなきゃいけないことはやらなし、
やってはいけないことはやっちゃうし、
やらんでもいいこともやらされちゃって、
なんとか、キャストとスタッフのみなさんのおかげで、今日にいたりました。

フランスの戯曲、いろいろな発見がありました。
自殺しようとする男と、それを記事にしたい記者の変な状況のコンフリクト。

フランスは、自由と人権の国。
民衆がロイヤルファミリーをギロチンにかけてまで勝ち取ったその権利は、なにより崇高です。
なので、自分も自由(日本から見ればわがまま)、しかし同時に他人も自由。
自分であれ他人であれ、これに干渉する奴は最低、許せないのです。
ましてや、それを「やらせ」のセンセーショナルな記事にして「売る」なんて、下劣際なりないわけです。

ところがこの構図が、日本で日本語でやってみると、どうも違うことに気が付きました。

つまり、「理由なんかないけど、自殺するのは俺の自由だ」という男と、
上司にクビをちらつかされ特ダネを狙い深夜まで仕事、しかも家には妻と3人の子、貧しい生活、暮らしを立てるために必死な記者、という設定だけでも、どうしてもジャーナリストのほうにシンパシーを感じてしまうのです。

これが、日本人の美徳感なのだと思います。
この二人の関係の微調整を行わないと、この戯曲は成立しなくなっちゃうということなのでしょう。

また今年、というのが特別な意味を持っていたりもしました。
この戯曲が書かれたのは1985年、偶然にもその12年後に、この話の舞台となったアルマ橋下で、パパラッチに追いかけられたダイアナさんが事故死する事件がおきました。
日本でも、たけし軍団のフライデー襲撃事件などあって、この手のジャーナリズムへの嫌悪感は、しっかり存在していました。

ところが今年は、先日、他人のプライバシーにヅカヅカの大先輩、芸能レポーターの草分け・梨元勝さんがご病気で他界されました。梨元さんのお人柄や、功績を語られるニュースが流れたりしました。
その空気を読むと、どうもやはり今回はジャーナリスト氏に、見ていただく側の気持ちが傾いてしまう恐れが出てきてしまうのです。

たくさん上演されている戯曲ですが、こんな「2010年の日本」という特殊な条件が投影されると、面白いものになると思いました。

もうひとつ。
L'Homme sur・・・ 「橋の上の男」は、直訳すれば「欄干の上・・・」になるわけです。欄干と言うのは、生と死・安全と危険を分ける「線」なわけです。
日本でこの戯曲をやると、多くの場合(今回も最低限はやりますが)、欄干の上に立ち、あるいは欄干の上で動き回ることが多いです。
これも気づいたのですが、日本人にはたぶん10世紀のヒーロー、牛若丸の影響が染みついているのかなあ、と思いました。なので、あんな危険な場所を平気で走り回るような演出が、不自然と疑うことなく出来てしまうのでしょう。
それはそれで面白いのですけれども。

アルマ橋は、片側5車線の車道がある大きな橋ですから、欄干から離れてしまったら、橋の上の不安定さが薄くなります。
でも、そこは所詮川の上。不安定な場所です。
どんなに欄干から離れていても、離れれば離れるほど、実は反対側の欄干に近づくだけなのです。
google map で引いてみれば、この大きな橋も一本の「線」でしかありません。

結局、彼らは、そして私たちは、不安定な「線」の上で頑張って生きているのです。
いつ、落っこちるかに怯えながら生きるなら、このわがままな自殺男のように、いっそ思い通りの最後を選ぼう・・・なんて気も分からないでもないですね。





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2010年10月22日

変わるということ

『三つ子の魂、百まで』ということわざがあります。

なんでも百歳まで長生きできれば幸せなものですが、さておき人は一生、根本的には幼いころの性格のままだという指摘は納得できます。

僕の場合『魂』つまり、性質的なことはもちろんですが、自分らしい『オチ』のパターンがあることに気づいています。
当たり前ですが『好事魔多し』だし、不運の後には光明が見えたりもします。
調子に乗れば失敗すること、挫折や失望をしているときに救いになる出来事が起こること、登れば落っこち、沈めば持ちあげられて、つまりは『普通の人』の領域で穏やかに暮らしているわけです。

そのほか、いろいろなジンクスのようなものがあって、概ねその範囲で経験の繰り返し。
主に「ああ、またか・・・」と、いつも失敗を嘆いています。

どなた様も、こういうところにネガティブな「自分らしさ」を知って、さらに自分のキャラクターや生き方を固めていらっしゃるのでしょう。さもないと、世の中はドン・キホーテだらけになってしまいます。

そこで、人生が長ければ長いほど、今までになかったパターンが自分に起きたとしたら、どうなるでしょうか。
例えば、ずっと「一等賞」に縁のなかった人が一等賞になる、自他共に優秀だと思われていた人が決定的な挫折をする、幼少期から肥満体だった人がスリムになる、などなど。

自分の殻の外の、ものすごく広い世界が開けてきて、そして年齢によらず同時に不安になるのでしょう。
自分が「変わった」と感じた時に、多くの人が涙するのもうなずけます。

こういうとき『劇的に』という言葉を使ったりするわけですが、その状況を分析して体系的に説明して、技術として意図的にさまざまな応用することを、考える分野があったります。

『自分らしい』という状態は、実は自己評価ではなくて、世間の評価の押しつけを受け入れるかどうか、という極めて抑圧的なものなのです。

これを打ち破ることが幸せなのか、受け入れることが幸せなのか、それはひとそれぞれ。
変わらなくても、格好悪い『自分らしさ』のままでも、自分自身が愛おしくなれれば、それでいいと思います。





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2010年10月20日

レアなアースと、有り余る人間

レアアースと労働力。

最近分かったことは、中国にこれらを「売って」もらわないと、日本が成り立たなくなっていること。

新しいマーケットだの、観光客の落とす金なんて、どうでもいい二次的な問題で、いつのまにか大変な首根っ子をつかまれてしまっている。

なにより、日本の原点を忘れているような気がする。

僕らは「日本は資源のない国だから」、それでもなんとかしなきゃならん、という前提があったはず。

今の産業の発展や、高い技術水準は、それを補うために必死に働いてきた結果なのでしょう。

日本にある技術的な競争力やその恩恵は、土を掘って出てきたものじゃない。

官民一体で、必死にやってきたからだ。

だから、ノーベル賞ものになるんだろう。





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2010年10月19日

ケンカと議論

ケンカするのは親友なのだと思います。
だから、親友になれるほどの信頼関係が出来上がる前には、ケンカしちゃいけない。
なぜなら、ケンカすればほとんどの場合は、それでおしまい。
雨降って固まる地面は結構少ない。それを見極めるのが知恵。

と、いう前提であっても、ケンカと議論は本来違うものです。

日本人は、議論に慣れていないので、議論するとほとんどケンカ後と同じような状態になったりします。
それぞれ意見が違うのは当たり前で、だからそれぞれが主張して議論が成り立つわけです。
それを、日常のレジャーやディベートのような競技にまで発展させている文化が、欧州にはあります。

日本では、議論は口論になって気まずくなってしまうので、なるべくそれを避けようとするのも、それはそれで固有の文化なのでしょう。上品だと思いますし、否定する必要はありません。

しかし、議論にならない理由の一つとして、意見の対立よりも知識のレベルの差があると思います。

それを、ごちゃごちゃにごまかして、議論の優劣がついたように装って恣意的な結論に誘導するのが、今のテレビ報道の編集だと思う、今日この頃です。

市民が、賢くならなければいけません。


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2010年10月18日

働く男の模倣

「24時間闘えますか!」という、昔のリゲインのCMを覚えていらっしゃるでしょうか。
時任三郎さんがジャパニーズ・ビジネスマンに扮していた人気シリーズでした。

それ自身、とてもコミカルで楽しいものだったのですけれども、自分はこれが大嫌いでした。
ちょうど、東南アジアを飛び回っていた頃で、20代前半の未熟者(今でもですが)、必死でした。
なんか、それを嘲笑されからかわれているような印象と、また来るアジアのタクシーに乗って這いずり回る時の苦労を予想してしまうのです。

時任三郎さんは大好きな俳優さんですが、それを軽々しくモノマネされてからかわれているような、そんな気分になったものです。大変な被害妄想野郎なもんです、わたし・・。

別件で、学生プロレスというのを楽しんだことがあります。
もともと、プロレスファンだったのですけれども、この学生プロレスの安っぽいくせに熱いパワーは、とにかく楽しいものでした。学生がやるものには、ある意味共通してあるとおもいますね、この無駄に熱いパワー。

しかしここで、上司にイビられている営業マンをモチーフにしたレスラーが登場しました。
この時も、大変不愉快な思いがしました。もちろん、会場は大爆笑でしたが・・。
社会人前の学生が、部下のお辞儀姿、平身低頭ぶりを揶揄するのは、失礼ではないかと思いました。
だったら、来るなって感じですけど。

こういう、総じて大人気の得られる、評価の高い表現であっても、一部の人にとってはとても不愉快だったりすることがあります。
何が不愉快なのかと言えば、自分たちの世界を知らない人達に、苦労も喜びも知らない人達に、分かったような顔されて、しかも笑いのネタにされることが、だと思います。

来週からいよいよ上演のギィ・フォワシィ・シアター「橋の上の男」という戯曲には、ジャーナリストの男が登場します。
作家のマスコミへの批判の標的として吊るしあげられちゃった登場人物なのですが、何度見ても、演出しても、どうしてもこのパーソナリティに、気持ちが深入りしてしまいます。

たぶん、戯曲は、作家はそれを求めていないのだろうと思いつつ、いつも立体化していく過程、出来上がった作品を見ると、ジャーナリストの男の事情に厚くなってしまいます。

他の方が演出された作品を拝見しても、どうもこの「下衆な」ジャーナリストを、ただそれだけの酷い悪役、または道化役にしているだけだと、コントにしか見えなくなってしまいます。 見ていて楽しくていいのはいいんですけれども。

たとえば時代劇の悪代官にも、とうぜんそれぞれの事情や、愛すべき点はあるはずです。が、それじゃ1時間番組がややこしくなるだけなので、悪役はまずは悪役として認知されることが必要です。それ抜きでは、話がぼやけてしまいますが、できれば、ヒーローに欠点があり、悪役に同情すべき点があると、それだけ設定が際立ちます。
それらが、具体的にエピソードとしてストーリーに挿入されていなくても、裏設定(わたしたちがいうサブテクスト)として、各俳優さんはしっかり持って、共有して創作したりします。

それにしても、どうしても私自身、リゲイン廟をいまだに引きずっているのか、まいどジャーナリストの男をどうも突き放せないみたいで、この妻子があって、上司にいびられて、深夜まで仕事している男にシンパシーを感じてしまうのです。困ったもんです。

今回、平日公演ということで、お客様層にサラリーマン世帯主の方は少ないとは思いますが、一部でもジャーナリストの味方がいらっしゃるかも知れません。
そういう意味では、今回ジャーナリストを演じていただく宮川浩明さんは、極めてまともな社会人経験のある役者さん(そんなまともな社会人を辞めちゃったじてんでまともじゃないんですけど)、少なくとも安っぽい揶揄にはなりようがありません。

こうご期待。

http://www.theaterx.jp/10/101025-101028t.php

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2010年10月17日

モラルギャップ

たとえば、前原外務大臣が今、育児休暇を取ったら、与野党・世間はどういう反応をするだろうか、彼の立場はどうなるのか。
男女共同参画社会だの、有給の消化だの連休分散だのという意見が、そこで試される気がします。

普通のお父さんが会社を休めない理由も、それとなんら変わらないわけです。






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2010年10月16日

Vへの回復

V字回復は、いまやどこも願っていることです。

もともと、高い位置になければ、V字にはならないわけで、そして低迷の具合が長引いていないことも重要です。
低空飛行で安定する前に、落ちてきた勢いにまけない回復の成果を上げて、元通りの位置に復帰することが、V字なわけです。

それには、いろいろな手法があるのだと思います。いや、ないのかもしれません。
少なくとも、昔のまま放置していたのでは、低下する右下がりの線から復活は出来ません。

ですから、何かの思い切った戦略が必要、実行も必要、そして天の運も必要でしょう。

こういうとき、リストラクチャーを考えて、人やモノの整理と再構築をするわけです。
しかし、そういう場合、従来の優等生やコアな要素は、そのまま温存しがちです。

これがおおいに間違いだと思います。
たとえ、実績があって、成績優秀、優良無害であったとしても、それは低迷の原因でしかありません。
むしろ、従来のダブーや、ダメダメにスポットライトを浴びてもらうことが、良策だったりします。

そしてなにより重要なのは、それを内にも外にも、しっかり認識させること。「変わった」と。
まずは、なんでもいいから期待を持たせて、興味をフレッシュにたもたせることが重要なのです。

昭和49年末の、長嶋監督の巨人の例。
昭和47年まで9連覇して48年に優勝できず、長嶋引退。監督一年目の長嶋巨人は、ボロボロで最下位でした。
選手は高齢化して、従来の王者のスタイルは通せなくなっていました。

そのオフの補強は、大したものでした。
パ・リーグから張本をトレードで獲得して、まずは選手長嶋の穴を、名実ともに埋め、そこでポジションの被る名外野手・高田を、サードにコンバート。
ほぼ初の外国人選手、D.ジョンソンを、サードからセカンドへ。
ジョンソンは、一年目途中での補強だったので、「慣れる二年目は」という期待が通りました。
新人では、駒沢大学トリオ、中畑・二宮・平田をまとめて獲得して若返り。
ノンプロから、山本功児を即戦力で獲得し、その年怪我で活躍できなかった王の代役まで、作りました。
投手は、第二エースの左腕高橋を、張本との交換で放出し、アメリカから左腕ライトうを獲得。

これだけやれば、前年最下位からの復活優勝を目指す、という事に補助線が引かれます。

一方で、登板すれば、観客から溜息が出ていたほどボロボロだった新浦は、そのまま成長を見守りました。
そして、額面通り、期待通りに活躍したことで、本当にVになったわけです。

変わるとき、方向転換する時には、こっそりやっては大きな力は湧いてきません。
周りを巻き込んでその気にさせるためには、できるだけ大きな事、分かりやすいことをやらなければなりません。

残念な例は、政権交代しても、何も変わらない感あふれる今の政治状況です。


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2010年10月15日

目の下に熊

全国で熊が人里に現れて、被害が出ているとニュースがありました。

変な気候の年には、よくあることでもあるのですけれども、それよりきになるのがアナウンサーやナレータの『クマ』のイントネーション。

どうも、半分以上が『眼の下のクマ』も方になっている、というか統一されている気がします。
それ以外は、ほとんど平板に読んでます。

標準語が存在しない日本で、どれが正しいのかはわかりませんが、どうも最近の音声メディアは、アクセントやイントネーションがおかしいと思うことが多いのです。

正しい日本語、美しい日本語は、どこで聞くことができるのか、それは存在しないのか。
すくなくとも、テレビはもう当てにならない時代なことは間違いありません。



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2010年10月14日

都会の朝

通勤電車のラッシュの前に、都心に移動するとちょっと静かで寂しい風景があります。

電車から、埋め立て地の海岸線を見ると、あまりの安っぽさになんだか腹立たしくなってきます。
中途半端で薄っぺらい風景になってしまっています。

海岸線っていうのは、一粒の砂の集まりと絶えず動く波の駆け引きでつくられているもの。コンクリートと山から削ってきた岩で分けられるものではないのですけれども・・・。

駅やビル群の朝は、本当に人が涌いて出てくるようにできてきます。アリンコみたい。
アリンコの一人としては、潰されないように気を付けなくちゃいけません。

「袖触れ合う」どころか、肩がぶつかる人ゴミ。
ゴミのひとつとしては、捨てられないように隠れていなければなりません。

それでも経済的には、商売人としては、この人達一人ひとりが顧客だと思えば、こんなに頼もしいことはないのです。それが都会。

嫌になってしまったら、砂の海岸に戻ればいいさ。

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2010年10月13日

鬼に笑われたい

来年の予定を少しずつ確保していこうとしています。

来年の事をいうと鬼が笑うらしいのですけれども、三年先まで予定が入っていても、四年後は未定なので不安。

仕事や収入が安定して、穏やかな定年退職と豊かな老後が見えているときなら、来年の事をいうと笑えるのだと思うのです。


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2010年10月12日

コヨーテ

「一に雇用、二に雇用、三に雇用」

で、何をした?

もう紅葉の季節だけど。

コヨーテはオオカミの類似種なので、オオカミ少年ならぬコヨーテ総理か?

結果としての雇用ならともかく、政策が「雇用」ってことは、なんだかよくわからない。
しっかり説明を聞きたいが、聞いたらたぶん失望するだけなんだろうなあ。

夏は、暑かったなあ・・。




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2010年10月11日

聞きジョーズ

僕は、一日三食じゃなくて、三日に一食で生きられることを、20代で知りました。
去年、三週間ビールだけでも生きられることを知りました。
しかも結構幸せに。。。

今は、諸事情で禁酒なのですけれども、飲み会の席は断りません。
ただ、愚痴と悪口の欠席裁判だけだと、どんなメンバーで集まっても寂しいだけ。

手の届かない権力への批判や、運命への嘆きならまだいいのですけれども・・。

みんなそれぞれ、心のストレスをためて、うっぷんのアウトプットはしたいものだと思います。
また、自分の自慢話もしたいもんだと思います。
虚勢も張りたいと思います。

そういう人が集まる酒場の店員さんは、やっぱりすごい聞き上手なプロなんですね。

居酒屋は、その相互セルフサービス方式なので、聞く立場になった時が大事。
これが下手だと、聞きジョーズ。

大ゲンカになります。

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2010年10月09日

誰の休み?

そういえば、今日から二学期制の学校では秋休み。

朝から町に子ども連れが多い。

が、働く親には、余計な託児負担が増える。不安も増える。

学校は、本当に休みが多いので、学校以外の場所が大事になってくるのです。
ぼくらは、学校以外・親以外の教育の場を創造しようと思っているのですけれども・・・。

話は全く変わりますが、ICの自動改札に、SUICAやPASMOを叩きつけて通る人を見ると、ものすごくみっともないと思えます。

『弱い犬ほどよく吠える』みたいな…

ぶつける相手が違います。

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2010年10月08日

選択と決断

いくつかの案の中から「選択」するとき、足して二で割る、とか間を取って双方に配慮と譲歩をする決着を付けるのは、「決断」とは言わないと思います。

それは「調整」にすぎないわけで、円満な日々が保たれる代わりに、大きな前進や立て直し、個性的なものにはならないのです。

そういう手段を選択をすることは、リーダーシップと呼べきでは無いと思います。
そしてそういう人はリーダーではないのです。

そして我々は、他人にリーダーシップを求めるときは、自分が切り捨てられる覚悟が必要。

リーダーシップの欠如は、自分を守ってくれていることでもあったりします。


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2010年10月07日

マイセ410

タバコをやめて15年くらいになるでしょうか、なので今は他人事というか受動喫煙の心配する奴になっています。

ここでまたタバコが値上げされたわけです。
世の中の庶民物価は、どんどん下がる中で、タバコは相対的にはもの凄い値上げになっているわけです。

ところが、値上げされたタバコか売られているのを見て、マイセ(と、いつのまにか呼ばれているらしい)が410円。
しかし、どうもそんなに高いと思わないのです。

なんでも欧米対比するのは嫌いなのですけれども、この倍でもいいのではないかと・・・。
それでも、一日の出費としたら、嗜好品としたら適当価格です。
スタバのコーヒーとくらべても、そんなに大変なものじゃないですし、ほぼ一日使えるわけですから。

タバコ代を800円くらいにして、喫煙所以外の喫煙を禁止して、公衆喫煙所は有料にして、灰皿税まで作れば、けっこう禁煙出来るかと思います。




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2010年10月06日

静岡でフランス

週末、静岡までバス旅行をして、SPAC『令嬢ジュリー』を拝見。

好天の日曜日ということで賑やかだなあ、とおもったら、線路挟んで反対側には、特大ガンダム。
ホビーフェアをやっていました。
これも代表的な日本文化になっていますね、今は。

さておき『令嬢ジュリー』はスウェーデン作家の名作で、古典といっていい作品です。
これを、旬なフランス人の演出家が日本で静岡で、日本人キャストでどうやるものか、大変今日う深いところでした。

コンテンポラリーな方のフランスでした。
私たちが伝統的なフランス国立劇場スタイルを基盤に、作品作りをしているってのに、こちらはポンピドゥ的な現代さ。

内容の賛否はともかく、度肝抜かれな感じです。
映画でも演劇でも、室内のドラマはには「第四の壁」が暗黙の了解。
ところが、今回は第四の壁どころか天井まで含めて、建物の中に建物を丸ごと作っていました。

これ、よくやれたと思います。
公的施設で、地方ならではの良さが、こういう感じででるとは、さすが・・。

もともと、「芸術は文化だ、だから社会に必要だ、だから公的助成が必要だ、でもって私たちは芸術をやっている、芸術家だ、だから援助されて当然、公の金でやっていけるべきだ・・・」という展開がどうも乗りきれないところなのです。
ぶっ飛ばして言うと、「国が保護すれば、錆びれる」。どんな業種も。と思っています。

ところが、こういう、公共ならでは、そうじゃなきゃできないこと、ってやっぱりあるんですよね。

公共は、万人受けの安全策だけでなく、民間にできそうもない、挑戦をやれるところにも、価値があるのだと思いました。


ted803 at 05:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年10月05日

秋の空気

10月らしく(?)大バッハ、父バッハ、J.S.バッハを聴いていました。

月末公演の『橋の上の男』の個人的テーマミュージックなんです。

しかしこれが、気分はまったく癒されないのです。
むしろいろんな感情が無整理に出てきて、頭をかきむしりたくなる感じ。

BGMには向きません。バッハパパ。

しかしやっとホットコーヒーの季節。
落ちつきます。
なんとなくホッとします。

アイスコーヒーには香りがないからねぇ・・・。


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2010年10月04日

仙人の技

人様の印象に残りにくい自覚がある身として、よく気づくことがあります。

それは、どの業界でも、出世する人ほど「人間覚え」がいいということ。

例えば名前をド忘れすることがあっても、出会った人の顔と性格とエピソードを、彼らはとってもよく覚えているものです。

一度会ったくらいの人をよく覚えていること、それから級友などがどんなに姿かたちが変わっても、街中で認識できること、いろんな要素があります。

なんか最近、「自分は知られているけれども、相手の事は知らない」という状態をもって、自分のステイタスをあげていると思っている人が多いような気がしています。

たぶん、そういう人は、落ちますね。



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2010年10月03日

女子大にて

東京家政大学にお邪魔してまいりました。

女子大に伺う機会はなんどかあるのですけれども、とても立派なキャンパスで、これ女子だけ?ってのは勿体ない感じでした。

冷遇された男子トイレも清潔で場所も多くて快適、肩身の狭さが和らぎました。

ルネ・エムナーさんが来日してのドラマセラピーのワークショップ。
セラピーなので医療分野、やその関連からの受講者が多く、ドラマ分野からは参加者少なし。

「劇的」って言葉に代表されるように、やはりドラマという用語が、ちょっと違う意味で定着しているように思います。
シアター/ドラマ/ワークショップ、海外の人は、その違いが分かってドラマなんちゃら、と命名して使っている。
日本の場合は、誤解の上に成り立っていわけです。

なので「サイコドラマ」系には、日本では俳優の技術は応用出来ない現状。
そもそも医療なのでその専門性は欠かせないとしても、逆に、ドラマなんだからドラマの専門性も欠かせないはず。
でもここでいうドラマは演劇ではなくドラマ。
または可能な限り純粋な日常動作。だれでも出来るが、俳優にはできないもの。

アートセラピー系の感想として、芸術はそれ自体にセラピー効果があるものです。
しかし、それとこれとは本来違うもので、もっと各人格に踏み込んでいくために、慎重かつ精密でなければならないわけです。

ドラマの技術が雑なところで、そういう社会で扱うのは、大変危険な気がします。

危険というのは、治療としての危険ではなく、芸術としての危険です。
治療としての危険は、セラピストの専門家がいるので大丈夫です。
手段として使われて消費されてしまう「芸術」のうほうが心配です。

防衛しなければ・・。


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2010年10月02日

延長して欲しい。

上海行きのチケットの予約がキャンセルされている。

もちろん、ただ、預かり期限を過ぎたというか、忘れてしまっていたのがわるのですけれども・・・。
尖閣諸島問題で、いろいろ慎重なときだけに、期限猶予がほしかった感じです。
SMAPのライブも中止らしいし。

中国は今、国慶節で連休。日本もこのあと連休。
イベントとしては稼ぎ時だと思いますが、今中国に行こうとする人がそんなに多くない世情、飛行機の席くらい余裕がありそうなものなんですけど。

中国のことで不思議なのは、あんな政府のマンネリな対応で、本当に人民を統治出来ているのかということ。
僕の知っている中国人たちは、みんな自国政府にひややかだし、ネットが満足につながらないことも、ニュース放送が突然暗転するのも異常、政府が反日感情を煽るのも、矛先を変えたいときだと知っているわけです。

ただ、「ちゃんと暮らしている」という実感があれば、反体制のエネルギーにはならないんです。
日本も同じで、どんなにめちゃくちゃな政治を行っていても、汚いことが行われていても、個々の毎日の生活が穏やかで幸せなら、黙認する度量が出来るんですね。

僕は通産100回以上中国に行っていますが、好きだから行っているわけではありません。
用事があるから行っているのです。

人を引き付けるには、心情的な魅力も大事ですが、実利がもっと大事です。

万博の日本館に行きたかったことはもちろんなのですけれども、中国にはビジネスの魅力が尽きないのです。
なので、近日なんとかもう一度、現在の中国について見てみたいと思っています。
予算のねん出も大変なので、できれば「目的」の合わせ技したいのです。
「ビジネス」「芸術」「観光」

なので、できれば1か月でもいいので、万博延長してもらえないかなあ。
尖閣問題のロスタイムということで・・・。




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2010年10月01日

もっと助けて、

それでも署名はお勧めしています。
もっと文化を!

ただ、「芸術は文化だ、だから社会に必要だ、だから公的助成が必要だ、でもって私たちは芸術をやっている、芸術家だ、だから援助されて当然、公の金でやっていけるべきだ・・・」という展開がどうも乗りきれないところ。

とても欧米的、というか英米的な行動の起こし方、主張、そんな気がしませんか?

権力に寄り添わないで、自立してやってきたことこそ、日本文化なのではないかとおもったりもしています。

もう少しぶっ飛ばして言うと、概して「国に保護されれば、錆びれる」ものです。どんな業種も・・・。

ted803 at 05:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0)