2011年02月

2011年02月20日

ユニバーサルだと?

なんども言っているのですけれども・・・。

NTTの請求書が届くと、やはり不愉快な項目があります。

数十円の事なんですけど、『ユニバーサル料』というのには、何年たっても納得がいかないのです。

そんなもんを請求するのなら、『電話加入権』は全額返金されるべきじゃないんですかね。

運用金利ももらいたいくらいです。


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2011年02月19日

相撲は相撲でいい

相撲改革について、なんて言われだすと、改革しないでそのままのほうがいい、と思ってしまうんです。

相撲のしきたりや伝統を、今の尺度で測ってよいものかどうか・・・。

これを公益法人として認めないなら、それはそれでいいのではないかと思うわけです。

お役所に頭下げない欲しいなあ・・・。

女性を土俵に上げない論争だった時に、「そういう世界があってもいい」ときっぱり言い放った理事長は、カッコ良かったなあ。

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2011年02月18日

もったいない、より

感謝を忘れてはいけない。

ごはんは奢っても、気持ちは驕ってはいけない。

どんな状況でも、手を抜いてはいけない。

平時こそ、おおいに反省しなければいけません。
今日はほんとうに、申し訳ないし恥ずかしい一日。

不平不満や言い訳は、聞かされる方が迷惑ですよねぇ。

世界に広がる日本の文化語は、「もったいない」よりも「みっともない」だと思うんですけどね。

誇るべし恥の文化。

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2011年02月17日

騒音ラプソディー

その昔、電車の駅が目の前で、隣が小学校という場所に住んでいました。

始発から終電までの場内アナウンスと、深夜も電車の通貨音が響き、日中は小学校のグラウンドかが賑やかでした。

でも、うるさいと思ったことはなくて、むしろそれらの音に癒されていたように思います。

静かならいいというものじゃないんですね。

砂漠の静寂は、恐ろしいくらい気持ちを圧迫するものでしたしね。



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2011年02月16日

銀メダル返上

経済大国。なのですけれども、予想されていた通り、名目GDPで中国に抜かれて3位に。
しかしグラフをみると、アメリカもちゃっかり右肩上がりになっている。
サブプライムもリーマンも、影響を受けたのは日本だけなのかいな、と思いました。
しかも、下の図は米ドル立てなのです。そしてすっごい円高なんです。

結局、日本がこの10年、20年一人負けしているのではないかという事です。
ノーベル賞とグラミー賞と、ワールドシリーズMVPとアジアカップと、いくつかの金メダルを獲得した裏で、経済とか政治は完全停滞してしまったんでしょうか。

優秀な人材が、研究室や運動場に行きすぎたのかもしれません。

[世] [画像] - 名目GDP(USドル)の推移(1980〜2010年)の比較(日本、アメリカ、中国)

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2011年02月15日

てにをは

窓の外は雪なので、そのまんまやけど、アダモを聞こうと思ったわけです。

そこで疑問、「雪がる」だったっけ?「雪は降る」だったっけかと。

実は、タイトルは「雪が降る」で、歌い出しの部分は「雪は降る」なんですね。

日本語で歌うアダモさんは素敵でしたが、訳詩は誰だろう、なかなかオツです。

関東平野でも雪見酒。

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2011年02月14日

チョコデー

前から申していますけど、バレンタインデーのチョコレートってのは、世界に誇る日本初の習慣だと思っております。

起源は、菓子メーカーの販売戦略だとしても、100年定着すれば文化。

世界中で真似されてもらいたい、迷惑でもありますけど、煩わしくもありますけど、まあ平和な習慣です。

人生振り返って、タイムマシンがあるなら、ちょっと戻ってみたい瞬間というのがいくつかあります。
そのひとつが、中学生のときに、校内放送で「バレンタインデーのおけるチョコレート否定」を通告した先生に、上記のような反論をしてみたい、ってことです。

企業が商売でやっていることは純粋ではない、下手すれば悪だ、という発想そのものが、どこかあったように思います。

逆です。

文化を作るのは、公共ではなく民間。

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2011年02月13日

詩の一説

この20年、理屈はともかく現実をよくよく考えてみれば、学歴社会、コネ社会、などなど、全然変わっていないんじゃないかと思うのです。

だから結局、暗記型の勉強、試験第一教育になって、塾が大変儲かるだけ。

つまり、現実の「生きる力」は結局旧来のまま。

ギィ・フォワシィの相寄る魂の一説、「金持ちは、なるものではなく生まれつき。」

「ゆとり教育」的な発想で、価値の多様化を認めようとしていますけど、結局は詰め込むしかないし、文明の利器の普及も無視した環境が前提になっています。

教育を受ける子どもたちの側よりも、やっている側の既存社会が変わってなきゃしょうがないところです。
試験のあり方、評価の仕方、そっちが問題な気がしてきました。

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2011年02月12日

八百屋の商売

大相撲も八百長問題、何を今さら・・・というのが正直なところです。

上手くいけば?『日本の組織におけるスケープ・ゴート』として論文書けそうだったのですが、どうも携帯電話が大好きだった不運な力士だけ、の問題で済みそうにはならなくなっています。

徹底的に追及して、歴史も遡って、八百の富士・・・じゃなくて千代の富士あたりまで及んだら、国民栄誉賞だってどうすんのだろう、と思ったりします。

地方巡業などで、こどもを土俵に上げて関取と対戦させたりするサービスがありますが、よくあるパターンで、腕白そうなガキンチョが見事にすっ飛ばされた後(もちろんそれも本気で投げるたら大変)、いちばんのチビッ子が触っただけで、力士がひっくり返るというのがありますが、あれもダメなわけはありません。

人情相撲と八百長は、線を引くのが難しいわけで、合意と金銭のやり取りと偽装工作があった無気力相撲と定義すると、これはもう事件になってしまいます。

もともと暗黙の了解。世の中そういうもので成り立っています。
原理原則で処理しようとすれば、軋んでしまいます。

どうやって上手にうやむやにするか、そんなところが焦点になってきた気がしています。


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2011年02月11日

恒例の高齢化

行事やイベント、その内容や人選を「恒例化」すると、思考停止してしまうものです。

もろもろ楽で効率は上がるのですけれども・・・。

なんでもかんでも「前回同様」の弊害は、じわじわと効いてくるわけです。

急激な変化が必要とされないように、普段の細かい決断が必要なのだと思います。

習慣を見直すこと、無駄なようで無駄ではないと、人も組織も歳をとると特にそう言い聞かせないと、固定概念でガチガチの像になってしまいますからねぇ。

いま、いちばんガチガチになっているのは、テレビ業界だと思いますが・・。


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2011年02月10日

代償の前払い

もろもろ細かいことでは、何事も上手くいかない最近なのですけけれども、それも全部神様かご先祖さまの正しいお導きなのだろうと思います。

運がないようにも思えるけど、どうやっても上手くいかないのは間違った方向に向いているからなのでしょう。
ゴルフの格言ですが、そもそも「運」というのは長い目でみれば公平なもの。
それに、後から思えば、不要な失敗なんてないっていうのも他人事なら理解できます。

たしかに、いまや結構強い日本のサッカーでも、呆然としてしまった「ドーハの悲劇」があったことが、とても重要だと思います。
あのまま、Jリーグ発足の「のり」と「勢い」で本選出場していたら、ロスタイムの怖さもしらなかったら、今の結構な地位はなかったんじゃないかと思いませんか。
サッカーは専門じゃないのでわかりませんけど。

どんな失敗も含めて、余計なことなんかないんだと思います。
経験に無駄もないんだと思います。

ただ、買ってまで苦労はしたくないですけど・・・。

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2011年02月09日

修士論文の口頭試問

そもそも僕らの受験時代の後に、「小論文」とかが取り入れられたのです。

なので、論文そのものにも馴染みにくいうえに、もともと脳みそが右側に偏っているらしく、論理的思考が苦手です。

これらが特異なひとが周りにはいっぱいいて、法律家の人ってのはその最たるもの。
論理で相手を説得し、打ち負かすことが出来ます。
正直、見ているだけで、惚れ惚れしてくるわけです。

だからたぶん、法廷物の映画やドラマが成立するのだと思います。

趣味でレベルの訓練ですけれども、ディベートもよくやりました。
これは比較的上手くできて、優秀だったのですけれども、どうも実生活ではダメです。

裁判以外では、あんまり論理的思考で勝ち負けを判断されることはないはず、裁判の世界でも「小沢強制起訴」や「裁判員」なんかみていると、結構感情的なものが優先しているようなかんじです。

ま、どっちにしても、少しは論理的に物事を組み立てて説明できるようにしないと、ムードで物事を伝えるだけじゃダメです。これ、個人的課題。

しかし、文書に落としたら正確でも、熱意や言いたいことの外観が伝わらないような話し方、これじゃ社会生活は豊かになりません。

僕の態度なんて、口から出る言葉とは無関係に、「@困っています」「@助けて~」「@ごめんね~」と、意図しないところで結構伝わってしまっている気がしてきました。

ちなみに今日は自分の論文を俎上に上げたのですが、内容以前にそもそも、あまりの悪文。
読みにくくて嫌悪感を持ってしまいます。
こんなの100ページ以上、読んでいただいた先生方に、脱帽するやら申し訳ないやら恐縮するやら・・・。

今度はいつか、美しい戯曲を読んでいただきたいものです。



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2011年02月08日

常習性があるから取り締まる

執行猶予中の小向美奈子さんに逮捕状・・・。

田代まさしはじめ、多くの例が、いかに薬物を断ち切ることが難しいかを、示しているわけですね。

ただ、誰しも、他人事だと思わない方がよいです。

最初の一歩踏みいれないこと・・・。


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2011年02月07日

触らぬ時間

永田洋子死刑囚が『死亡』。

40年前の事件、死刑確定からも約20年弱。

闘病の末、病死。

すくなくとも、海老蔵問題よりは、いろいろ考え議論する余地があると思うのだが〜。

時間に解決させた例。

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2011年02月06日

電化は進化ではないな

寒い寒い寒い。

でもエアコンは気持ち悪い、乾燥するし・・。
やぱり、石油ストーブの上にヤカンを乗っけておくのがいい。
お湯は湯たんぽにも使えるし・・。

暖炉もいい、不要なDMは即燃やしてエネルギー源、シュレッダー不要。

炬燵もいい、あったかい空気が逃げない。

そう考えると、昔の方が便利で良かったんじゃないか、電化は進化とは言い切れないわけです。

二酸化炭素なんて、家庭レベルで問題視するに値しないし。

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2011年02月05日

節分の両国

名作劇場の稽古に通う両国がホットな場所になっているのです。

昨日は、TVのお仕事を中座して、両国へ。

しかし酒席も含めて、両国をうろうろしていると、やっぱり相撲の文化と伝統は、いいなあと思うわけです。特別な面白い場所です、両国は。

そう考えると、一番見たくないのは、八百長よりも文科省に頭を下げている相撲協会理事の姿。
元横綱、本大関だった人たちなわけですよ。

今の放駒さんは、大好きだった黒頭巾?の魁傑。大関陥落後もクールな相撲で、人気力士でした。

コワモテの北の湖さんの場合もそうですけど、あの風格の元横綱、わけのわからん文科大臣にペコペコしている姿は見ていられないもの、そんなんだたら公益法人格なんて手放してもらいたいものです。




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2011年02月04日

ウォール街

ただ、懐かしいだけなのか、本日公開の「ウォール・ストリート」が見たい。

あの映画のあとの、実際のN.Y.金融界の紆余曲折とM.ダグラスの実際の老いが、なんとも興味をそそります。

ま、こういう「企画はナイス」って場合、だいたい見るとがっかりするのだけど。。、


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2011年02月03日

第一ボタン

後悔先に立たず。

だけど、やって見ないことには後悔もできないわけで、問題や失敗した原因は、過程よりむしろ、出発点にあるのかもなぁ、と思いました。

動機が間違っていないかどうか、間違った第一歩なら、途中で止めるのも決断。
受け入れて、成り行き任せでお終いまで進んでみるもの方法。

いつも、後者を選んできた気がするのですけれども、それなら大きな成果は期待してはいけないということです。
棚からボタモチがおちてくるかも、という程度で満足しないと。



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2011年02月02日

IS HE LIVING OR IS HE DEAD

IS HE LIVING OR IS HE DEAD? 

1892年の3月、私はリヴィエラのマントネで過ごしていた。この退職者のためのスポットは、数マイル離れたモンテ・カルロやニースの公の場で得られる恩恵を、プライベートに持つことができる。つまり、そこでは人間の噂話や騒動、および着飾ることのような煩わしい付加を無しに、あふれる陽光と爽やかな空気、そして輝く碧い海を味わうことができる。マントネは静かで、質素で、安らかで、気取らないところなので、金持ちや派手な人が来ることはない。それは一般論として、つまり、概して金持ちはそこに来ない、ということであるが、時々裕福な人も来る。そして私はその時、そのうちの一人と懇意になった。

本人の名前を一部隠すために、彼をスミスとしておく。ある日、ホテル・デ・ザングレで朝食のお代わりをしているとき、彼は叫んだ。
「ちょっと!今、ドアから出て行っている男に目を向けて。彼のすべてを、細かく、見てください。」
「どうしてですか?」
「あなたは彼を知っていますか?」
「ええ、彼はあなたが来られる数日前から、ここで過ごしています。彼は老人で、もう引退していて、リヨンから来られたとても裕福な絹の製造会社の方です。私が思うには、彼は孤独なのでしょう。いつも悲しく幻想に耽っているようで、誰とも話をしません。彼の名前は、テオフィル・マグナンといいます。」
私はスミスが、マグナン氏に示した大きな興味について明かし始めるだろうと思っていたが、代わりに彼は夢想へ落ち、見たところ数分の間は私のことも忘れ、世の中の全てが停止しているようであった。そして彼は、思考を助けるために、真綿のような白い髪に指を通し、その間に朝食が冷えていくことにも構わずにいた。とうとう彼は口を開いた。
「いえ、過ぎたことです。私には呼び戻すことはできない。」
「何を呼び戻すことが出来ないのですか?」
「これはアンデルセンの美しい小さなお話の一つです。忘れてしまいましたが、その一部はこんなものです。ある子が小鳥を飼っていて、可愛がってはいるが気まぐれで世話を怠る。小鳥はその歌を聴かれもせず、気にもされないのに、はげしく歌います。しかしそのうち、飢えと渇きがこの生き物を襲います。そしてその歌は、訴えるようになり、弱くなり、最後に尽きて、小鳥は死にます。その子が来て、良心の呵責によって心が打たれます。そして苦い涙と哀悼をもって、友達を呼び、手の込んだ飾りと慈悲深い悲しみとともに、丁重に小鳥を埋葬します。詩人たちを餓死させておいて、その後で彼らが平穏で快適に生きていくために充分だった費用を、葬式と記念碑に費やすのは、子どもだけではありません。そこで―」
 しかし、ここで話の腰を折られてしまった。この日の夜十時頃、私はスミスに偶然会い、彼は、たばこを吸い熱いスコッチを飲むためにと、彼の部屋に私を誘った。そこは、安楽椅子と明るいランプ、そしてよく枯れたオリーブ材の心地よい炎の暖炉のある、快適な場所だった。さらに完璧にするように、外の波打ちの音も遮断されていた。二杯目のスコッチの後、雑談にも満足し、眠気も催してきたとき、スミスは言った。
「さて、私たちには程よい準備が整ったみたいです。私が奇怪な昔話を語り、あなたがそれを聞くための下塗りが。これは永年の秘密にしてきたことです、私と、他の三人との間で…。しかし今、その封印を解きます。ご気分はいかがですか?」
「大丈夫です。さあ、どうぞ。」
ここから先は、彼が私に話したことである―。



―その昔、私は新進の美術家、実際にとても若い美術家でした。私はそこでスケッチをし、またあそこでスケッチをしと、フランス中の田舎町を歩き回っていました。そしてまもなく、私と同じようなことをしていた二人の気の合う若いフランス人と合流しました。私たちは貧しいのと同じくらい幸福だった、あるいは幸福だったのと同じくらい貧しかった…ま、それはあなたのお好きな方にお取りください。
クロード・フレールとカール・ブーランジェ、これがその男たちの名前です。とてもとても良い仲間で、貧乏も笑い飛ばし、どんな困難な状況でも誇りを持って暮らす、楽天的な精神の持ち主でした。

しかしとうとう私たちは、ブルトン村で行き詰まり、座礁してしまいました。そしてそこで、私たちと同じくらい貧しいある美術家が、私たちを、大げさではなく本当に、飢えから救ってくれました。フランソワ・ミレーです。
「何ですって?あの偉大なフランソワ・ミレーですか?」
偉大と?その頃の彼は、私たちと比べて、少しも偉大というわけではありませんでした。彼は彼の村でさえ名声など無かった。ですからとても貧乏で、蕪の他には何も私たちに供すものが無かったのです。蕪ですら、時々事欠いたのですから。私たち四人は、すぐに仲良くなり、かけがえのない友人になりました。私たちは、全力を尽くして描きまくり、在庫を積み、重ねましたが、そのうちのいずれも、減ることはめったにありませんでした。私たちは、愛すべき時間を共に過ごしていましたが、その頃の私たちは、実際どれだけピンチだったことか!
そんな状態で二年と少しの間が過ぎました。ある日、とうとうクロードが言いました。
「みんな、俺たちはもうおしまいだ。分かっているのか?とうとうどうにもならなくなった。みんなストライキをしている。俺たちに対しての結束がなされているんだ。俺は村中を回ったが、今言った通りだ。彼らは、これまでのツケの残りをすべて払うまでは、俺たちにこれ以上、一銭の掛売りも拒否している。」
 このストライキは私たちをゾッとさせました。みんなの顔色は落胆で空虚になりました。その時、私たちの状況が絶望的なことが分かりました。長い沈黙の後、最後にミレーがため息交じりに言いました。
「何も私には思い浮かばない、何も。何か提案はないのか、君らに。」
 返事はありませんでした、悲しげな沈黙を返答と呼ばないのであれば、ですが。カールは立ちあがり、しばらく神経質そうに部屋の中をうろうろと歩きまわった後、言いました。
「屈辱だ!これらのキャンバスを見ろ。ここに積み上げられているものは、ヨーロッパ中のどんな画家が描くものに劣らない、それがたとえ誰だろうと構わない。そう、たくさんの見ず知らずの人たちも同じようなこと、またはそれに近い事を言ってくれている。」
「しかし、買わない。」
と、ミレーは言いました。
「それは関係ない、ともかく彼らはそう言う。そしてそれは真実でもあるんだ。ここにある君の『お告げの祈り』を見てみろ。みんなどう思う。」
「ふんっ、カール。私の『お告げの祈り』か! 5フランでどうだ、という人がいたけれどね。」
「いつ?」
「誰が言った?」
「そいつはどこにいる?」
「なんで売らなかったんだ!」
「おいおい、みんなんで一度に話すなよ。私は、もっともらえると思った、そう確信をしたんだ、その人はそう見えたから。だから私は8フランで、と言った。」
「うん、それで?」
「…また来ます、と言われた。」
「なにやってんだ!フランソワまったく…」
「ああ、分かってる、分かってるよ!私の失敗だ、私が馬鹿だった。でも君たち、私はベストを求めたんだ、それは認めてくれるだろう、だから私は…」
「言うまでもない、俺たちはもちろん分かっている。君の気持に感謝している。だが、二度とそんな馬鹿をするなよ。」
「私か?私はもう、誰かがやって来て、その絵をキャベツと交換してくれと言わないかと願っているくらいだよ、分かるだろう。」
「キャベツ!そんな言葉を言うなよ、よだれが出てくるじゃないか。ひもじくならないものの話題にしろ。」
そこでカールは言った
「みんな、これらの絵に価値はないと思うか?答えてくれ」
「そんなことはない」
「これらは、とても崇高で高い価値があるか?答えてくれ」
「そうだとも」
「そのような崇高で高い価値のものに、もし著名な作家の名前が付いていれば、それらは素晴らしい値段で売れるだろう。そうじゃないか?」
「そりゃそうだ。疑う余地はない。」
「いや、俺は冗談を言っているんじゃない、確かにそうだな?」
「言うまでもない。勿論だ、僕らも冗談で言っているんじゃない。でもそれがなんだ?それがどうした? それが僕らにどういう関係がある?」
「こういう事だ。いいか。俺たちは、これらの絵に著名な作家の名前をくっ付ける。」
 みんなの軽口は止まり、顔は不審そうにカールの方に向きました。これはどんな謎なのでしょうか。著名な画家の名前はどこで借りられるのでしょうか?また、誰がそれを借りるつもりでしょうか? 
カールは座って、こう言いました。
「さてそこで、俺には全く真面目な提案がある。これは俺たちが救貧院に入らないで済む唯一の方法だと思うし、俺はこれが完璧な方法だと確信する。俺のこの意見は、人類の歴史において、長い間にたくさん確立されてきた事実の確信に基づいているのだ。俺のこの計略は、俺たちを金持ちにすると信じている。」
「金持ち!お前、気が狂ったか」
「いや、俺は正気だ」
「いや、狂っている。お前は気が狂っている。金持ちってどんなのだ?」
「一人十万フラン」
「奴は気が狂った。決まりだ。」
「ああ、そうみたいだ。カール、君には貧乏が過ぎてしまったんだ。だから…」
「カール、まず薬を飲んで、それからすぐにベッドで休め。」
「まず包帯だ。奴の頭に包帯をまいてやろう、それから…」
「いや、包帯は足にだ。脳のほうは数週間は安定している。僕は、それはよくわかっている。」
「黙って!」ミレーは上辺だけの威厳をもって言いました。「彼に話をさせよう。さあ、ではカール、君の計略を明かしなさい。どういうことだね?」
「ああ、それじゃ、まず前提として、この人類の歴史上の事実について確認してもらいたい。多くの偉大な芸術家の価値は、彼が死ぬまで決して認められないものだ。そんなことが何度も起きているから、それに基づいて俺は、ある法則の発見を確信するのだ。つまり、すべての無名で無視されている偉大な美術家の価値は、彼の死後、認められるべくして認められるだろう。そしてその時彼の絵は高騰する、という法則だ。俺の計略はこうだ。俺たちはくじ引きをして、この中の一人は死ななければならない。」
その発言が、とても平然としていて、また全く予想していないことでしたので、私たちは一瞬、驚き損ねてしまいましたが、その後は再び、カールの脳を救うための薬のアドバイスなど、発言の大合唱が起こりました。しかし彼は、騒ぎが静まるのを根気よく待ち、その後で再び、彼の計略について続けました。
「そう、この中の一人は死ななければならない、俺たちみんなとそいつ自身を救うために。俺たちはくじを引く。それに当たった奴は巨匠となり、俺たちは全員は金持ちになるんだ。まあ待て、いいからちょっと待て、最後まで聞け。俺は自分が何を言っているか分かっているから。いいか、俺に案がある。これから三ケ月の間、死ぬことになる奴は全精力で絵を描き、出来るだけ貯蔵作を増やす。絵でなくてもいい、そう、ラフなデッザンでも、下書きでも、下書きの一部でもいい。十回ちょっと筆で塗りつけただけでも、意味不明のものでもいい。だがもちろん、そいつの描いたもので、そいつのサインも要る。それぞれ特徴か、そいつの作品だと簡単に分かる癖のようなものがあるものを、日に50枚は作れ。それらは売りものだ、いいか、その偉大な奴が死んだら、世界中の美術館からものすごい値段で収集されるのだ。俺たちは、そういうものを山積みに準備しておくのだ、山積みにだ!また、生き残る者たちは、その瀕死の男の手伝いと、パリでの業者との仕事に忙しくなるだろう。来るべき出来事の準備のためだ。いいか、そして機が熟した時、突然俺たちは奴らに死を知らせ、大げさな葬式を出すんだ。わかったか?」
「い、や…少なくとも…ぜ、全部は…」
「全部は分からないだと?分からないのか?その男は本当に死ぬんじゃない、名前を変えて行方をくらますのだ。俺たちは耐え玉の人形を埋葬して、それに向かって泣くんだ。世間にも加担してもらう。そこで俺が―」
 彼が言い終わるの待つことなく、拍手と賞賛の嵐が起こりました。みんなは飛び上がって部屋中をはね回り、感謝と喜びに夢中になって、お互いの首に抱きついていました。 数時間、私たちは飢えを忘れ、この偉大な計画について話し込みました。そしてすべてが詳細に納得できるまで整ったとき、ついに私たちはくじを引き、ミレーが当たりました。私たちが言う死人に選ばれたのです。
 
その後、私たちは、将来の富が見込めるまで誰もが手放さないような物、つまり形見の品や記念品などを、みんなでかき集めて質入れして、ささやかな送別の夕食と朝食を供給し、かつ旅行と仕事の元手と、ミレーが数日間生活できるだけの費用の上、数フランが残すことができました。
 次の朝早く、私たち三人は朝食の後、直ちに出発しました。もちろん徒歩です。各自、売る目的でミレーの小さめの絵を十数枚ずつ持ち出しました。カールは、来るべき凄い日のために、ミレーの名声を築きあげる仕事を始めるべく、パリに向かいました。クロードと私は手分けして、フランス中を回り広める予定でした。

さて、驚かれるでしょうが、私たちのやる事はとても容易で快適なものになりました。私は二日間歩いた後、仕事に取り掛かりました。その日、私は大きな町の郊外にある別荘をスケッチし始めました。持ち主が上階のベランダに立っているのを見たからです。彼は見物するために降りてきました。私はそうなると思っていました。私は彼の興味を引き続けるように、すばやく描きました。時折、彼は小声で称賛の叫びを連発していましたが、やがて彼は熱中して、ためらいなく私のことを天才だ!と言いました。
 私は筆を置き、カバンに手を伸ばしてミレーの絵を取り出し、隅のサインを指さしました。そして私は自慢げに言いました。
「あなたはこれがお分かりでしょう?そう、この人が私の師匠です!ですから私の腕前は当然のことだと考えるべきでしょう。」
 その男は、やましそうにまごついて、黙ってしまいました。私は悲しそうに言いました。
「あなたはまさか、フランソワ・ミレーのサインを知らないと言うわけではありませんよね?」
 もちろん、彼はそんなサインなど知るはずありません。しかし、このよくいるようなお目出度い男は、やはり窮地から逃れるための簡単なヒントを得て言いました。
「いや、そんなわけはないでしょう。これはミレーです、まぎれもなく。私は何を考えていたのか分からない。もちろん私にはこれが分かります。」
 続けて、彼はそのミレーを買いたがりましたが、私は、自分は裕福ではないけれども、ミレーを手放すほど貧乏もしていない、と言い返しました。しかしながら、結局最後にはそれを800フランで彼に売りました。
「800フランですって!」
ええ。ミレー本人なら豚肉一片とでも交換したでしょうが。そう、そして私はこんな些細なことで800フランを手に入れました。まあ今となっては800フランで買い戻せるなら、と願うものです。しかしそういう時は過ぎ去ってしまいました。私は、その男の別荘を綺麗に描き上げました。10フランで提供したかったのですが、彼はそれに応じず、私がそんな巨匠の弟子であるこということで、100フランで売ることになりました。私は、800フランをそのままその町からミレーに送って、翌日また旅に出ました。
 ただし今度は徒歩ではなく、そう、馬車に乗りました。それからずっと馬車でした。私は毎日一枚ずつ、絵を売りました。決して二枚売ろうとはしませんでした。私は常に顧客にこんなことを言いました。
「フランソワ・ミレーの絵を売る私は、まったく愚か者です。彼はもう三カ月も持ちません。彼が死ぬと、彼の絵はどんなに愛してもお金を積んでも手に入らなくなるのですから。」
 私は、こんな些細な事実を出来るだけ広めて、来るべきその日のために世評を整えておくように心がけました。

絵を売る私たちのこのアイデアについて、私は自画自賛します。これは私のものでした。出発の前夜、私たちが計画の段取りをしていたときに、私がこれを提案したのです。私たち三人は皆、これを諦めて他の良いアイデアが必要になるまで、ちゃんと試みることで合意しました。そして私たち全員、成功しました。私は二日だけ歩きました、クロードも二日です。私たち二人とも、ミレーを故郷の近くで称賛させる事を恐れたのです。しかしカールは、聡明というか、怖いもの知らずです。ただ半日歩いただけで、その後はもう公爵のような旅をしていました。
それからは逐次、私たちは地方の編集者に持ち込み、新聞の欄に掲載を始めました。新しい画家が発見されたという記事ではなく、フランソワ・ミレーは誰もが知っているものとする記事です。あれこれと彼を称賛する記事ではなく、単に“巨匠”である彼の容体に関するもので、時には希望的に、時には失意のものを、とにかく最悪の事態が近い事をにおわせるものでした。私たちはこれらの記事に印をつけ、絵を買ってくれたすべての人々のもとへ、常にこの新聞を発送しました。
カールは、間もなくパリに入り、一段高いとろろから仕事を進めました。彼は特派員と親しくなり、ミレーの容体を英国や大陸全土、そしてアメリカへと、あらゆるところへ発信しました。

始めてから六週間目の終わりに、私たち三人はパリで会い、ひとまずの休止を決めました。また追加の絵をミレーに求めることもやめました。ブームは非常に高まり、機は熟していました。私たちには、今実行しないというのは過ちだと分かっていました。今すぐ、もう待っている猶予はありません。そこで私たちはミレーに宛てて、ベッドに伏せて急激に衰弱しはじめ、もし準備が整うなら十日以内に死んで欲しい、と手紙を書きました。
そこまでで私たちは、計算してみたところ、合わせて85枚の小さな絵と下書きが売れていて、69,000フランを手にしていたことが分かりました。カールは最後のセールスで、私たちの中で最も輝かしい業績を挙げました。彼は、あの『お告げの祈り』を2,200フランで売ったのです。 私たちはどれだけ彼を誉めたたえたたことか!フランス中がそれを所有しようと争ったり、外国人が550,000フランの現金を積んでまで手に入れようとする時が、やがて間もなく来ることなど知る由もなく。
その晩、私たちはシャンペンと食事で、打ち上げの祝宴を行いました。そして次の日、クロードと私は荷造りし出発しました。ミレーの最後の日のまでの間の看病と、同時におせっかいな輩たちを家に近付けないようにするためです。また、日々の容体の速報をパリに残るカールのもとに送り、情報を待っている世間のために、各大陸の新聞に掲載されるようにしました。そしてその悲しい臨終の日がついに来ました。カールも最後の悲痛な葬式を手伝うために、そこに戻っていました。

あなたは、あの立派な葬式を覚えておられるでしょう。地球上のあらゆるところを大騒ぎさせて、二つの世界の代表者が参列して、彼らの悲しみを代弁していました。私たち四人が、切っても切れない縁の四人だけが、棺を運びました。他の誰にも手伝わせませんでした。それは正しい選択でした。棺の中には蝋人形の他は何も入っていなかったので、運搬人に触らせたら、その重さで誤りを見抜いてしまったでしょうから。そう、私たちは昔通りの同じ四人、その昔からこの時まで、愛すべき困窮を共にした四人だけが、その棺を―



「四人?というと」
「私たち四人です。ミレーも自分の棺を担ぎました。成りすましたのです。おわかりですか、彼は親類に成りすましたのです、遠い親類に。」
「なんと!信じられません。」
「しかし真実はこのとおりなのです。さて、それから絵がどれほど高騰したかはご存知でしょう。お金ですか? それを何に使うべきか分からないくらいでした。今日、パリにミレーの絵を70枚所有している人がいます。彼は私たちに200万フランを支払いました。さらに私たちが旅の途上にあった六週間の間に、ミレーが貯め込んだ山積みのスケッチや下書きについて、まあ、昨今それらを売るときの数字、というより一枚手放すことに合意する時の金額をお知りになれば、きっと腰を抜かされることでしょう。」
「なんという素晴らしいご来歴、感服いたしました。」
「まあ、それはそうでしょうな。」
「ところで、ミレーさんはどうなされたのですか?」
「秘密は、守っていただけますかな?」
「守ります。」
「あなたは今朝、食堂で、私がよく見ておくようにと言った男を覚えていますか? あれが、フランソワ・ミレーです。」
「これは、あっと驚く―」
「為五郎!ですかな。そうなのです。この時ばかりは、人々は天才を死ぬほど飢えさせもせず、彼自身が持つべきだった報酬を他人の懐に入れもしませんでした。この小鳥が、聴かれることもなく悲観に暮れるほど鳴き尽くし、後で派手な葬式と冷たい装飾によって報われることを許しませんでした。私たちはそのことに注意していたのです。」
(Mark Twain1893年)

粗訳・山崎哲史2011


ted803 at 00:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0)