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2011年02月02日

IS HE LIVING OR IS HE DEAD

IS HE LIVING OR IS HE DEAD? 

1892年の3月、私はリヴィエラのマントネで過ごしていた。この退職者のためのスポットは、数マイル離れたモンテ・カルロやニースの公の場で得られる恩恵を、プライベートに持つことができる。つまり、そこでは人間の噂話や騒動、および着飾ることのような煩わしい付加を無しに、あふれる陽光と爽やかな空気、そして輝く碧い海を味わうことができる。マントネは静かで、質素で、安らかで、気取らないところなので、金持ちや派手な人が来ることはない。それは一般論として、つまり、概して金持ちはそこに来ない、ということであるが、時々裕福な人も来る。そして私はその時、そのうちの一人と懇意になった。

本人の名前を一部隠すために、彼をスミスとしておく。ある日、ホテル・デ・ザングレで朝食のお代わりをしているとき、彼は叫んだ。
「ちょっと!今、ドアから出て行っている男に目を向けて。彼のすべてを、細かく、見てください。」
「どうしてですか?」
「あなたは彼を知っていますか?」
「ええ、彼はあなたが来られる数日前から、ここで過ごしています。彼は老人で、もう引退していて、リヨンから来られたとても裕福な絹の製造会社の方です。私が思うには、彼は孤独なのでしょう。いつも悲しく幻想に耽っているようで、誰とも話をしません。彼の名前は、テオフィル・マグナンといいます。」
私はスミスが、マグナン氏に示した大きな興味について明かし始めるだろうと思っていたが、代わりに彼は夢想へ落ち、見たところ数分の間は私のことも忘れ、世の中の全てが停止しているようであった。そして彼は、思考を助けるために、真綿のような白い髪に指を通し、その間に朝食が冷えていくことにも構わずにいた。とうとう彼は口を開いた。
「いえ、過ぎたことです。私には呼び戻すことはできない。」
「何を呼び戻すことが出来ないのですか?」
「これはアンデルセンの美しい小さなお話の一つです。忘れてしまいましたが、その一部はこんなものです。ある子が小鳥を飼っていて、可愛がってはいるが気まぐれで世話を怠る。小鳥はその歌を聴かれもせず、気にもされないのに、はげしく歌います。しかしそのうち、飢えと渇きがこの生き物を襲います。そしてその歌は、訴えるようになり、弱くなり、最後に尽きて、小鳥は死にます。その子が来て、良心の呵責によって心が打たれます。そして苦い涙と哀悼をもって、友達を呼び、手の込んだ飾りと慈悲深い悲しみとともに、丁重に小鳥を埋葬します。詩人たちを餓死させておいて、その後で彼らが平穏で快適に生きていくために充分だった費用を、葬式と記念碑に費やすのは、子どもだけではありません。そこで―」
 しかし、ここで話の腰を折られてしまった。この日の夜十時頃、私はスミスに偶然会い、彼は、たばこを吸い熱いスコッチを飲むためにと、彼の部屋に私を誘った。そこは、安楽椅子と明るいランプ、そしてよく枯れたオリーブ材の心地よい炎の暖炉のある、快適な場所だった。さらに完璧にするように、外の波打ちの音も遮断されていた。二杯目のスコッチの後、雑談にも満足し、眠気も催してきたとき、スミスは言った。
「さて、私たちには程よい準備が整ったみたいです。私が奇怪な昔話を語り、あなたがそれを聞くための下塗りが。これは永年の秘密にしてきたことです、私と、他の三人との間で…。しかし今、その封印を解きます。ご気分はいかがですか?」
「大丈夫です。さあ、どうぞ。」
ここから先は、彼が私に話したことである―。



―その昔、私は新進の美術家、実際にとても若い美術家でした。私はそこでスケッチをし、またあそこでスケッチをしと、フランス中の田舎町を歩き回っていました。そしてまもなく、私と同じようなことをしていた二人の気の合う若いフランス人と合流しました。私たちは貧しいのと同じくらい幸福だった、あるいは幸福だったのと同じくらい貧しかった…ま、それはあなたのお好きな方にお取りください。
クロード・フレールとカール・ブーランジェ、これがその男たちの名前です。とてもとても良い仲間で、貧乏も笑い飛ばし、どんな困難な状況でも誇りを持って暮らす、楽天的な精神の持ち主でした。

しかしとうとう私たちは、ブルトン村で行き詰まり、座礁してしまいました。そしてそこで、私たちと同じくらい貧しいある美術家が、私たちを、大げさではなく本当に、飢えから救ってくれました。フランソワ・ミレーです。
「何ですって?あの偉大なフランソワ・ミレーですか?」
偉大と?その頃の彼は、私たちと比べて、少しも偉大というわけではありませんでした。彼は彼の村でさえ名声など無かった。ですからとても貧乏で、蕪の他には何も私たちに供すものが無かったのです。蕪ですら、時々事欠いたのですから。私たち四人は、すぐに仲良くなり、かけがえのない友人になりました。私たちは、全力を尽くして描きまくり、在庫を積み、重ねましたが、そのうちのいずれも、減ることはめったにありませんでした。私たちは、愛すべき時間を共に過ごしていましたが、その頃の私たちは、実際どれだけピンチだったことか!
そんな状態で二年と少しの間が過ぎました。ある日、とうとうクロードが言いました。
「みんな、俺たちはもうおしまいだ。分かっているのか?とうとうどうにもならなくなった。みんなストライキをしている。俺たちに対しての結束がなされているんだ。俺は村中を回ったが、今言った通りだ。彼らは、これまでのツケの残りをすべて払うまでは、俺たちにこれ以上、一銭の掛売りも拒否している。」
 このストライキは私たちをゾッとさせました。みんなの顔色は落胆で空虚になりました。その時、私たちの状況が絶望的なことが分かりました。長い沈黙の後、最後にミレーがため息交じりに言いました。
「何も私には思い浮かばない、何も。何か提案はないのか、君らに。」
 返事はありませんでした、悲しげな沈黙を返答と呼ばないのであれば、ですが。カールは立ちあがり、しばらく神経質そうに部屋の中をうろうろと歩きまわった後、言いました。
「屈辱だ!これらのキャンバスを見ろ。ここに積み上げられているものは、ヨーロッパ中のどんな画家が描くものに劣らない、それがたとえ誰だろうと構わない。そう、たくさんの見ず知らずの人たちも同じようなこと、またはそれに近い事を言ってくれている。」
「しかし、買わない。」
と、ミレーは言いました。
「それは関係ない、ともかく彼らはそう言う。そしてそれは真実でもあるんだ。ここにある君の『お告げの祈り』を見てみろ。みんなどう思う。」
「ふんっ、カール。私の『お告げの祈り』か! 5フランでどうだ、という人がいたけれどね。」
「いつ?」
「誰が言った?」
「そいつはどこにいる?」
「なんで売らなかったんだ!」
「おいおい、みんなんで一度に話すなよ。私は、もっともらえると思った、そう確信をしたんだ、その人はそう見えたから。だから私は8フランで、と言った。」
「うん、それで?」
「…また来ます、と言われた。」
「なにやってんだ!フランソワまったく…」
「ああ、分かってる、分かってるよ!私の失敗だ、私が馬鹿だった。でも君たち、私はベストを求めたんだ、それは認めてくれるだろう、だから私は…」
「言うまでもない、俺たちはもちろん分かっている。君の気持に感謝している。だが、二度とそんな馬鹿をするなよ。」
「私か?私はもう、誰かがやって来て、その絵をキャベツと交換してくれと言わないかと願っているくらいだよ、分かるだろう。」
「キャベツ!そんな言葉を言うなよ、よだれが出てくるじゃないか。ひもじくならないものの話題にしろ。」
そこでカールは言った
「みんな、これらの絵に価値はないと思うか?答えてくれ」
「そんなことはない」
「これらは、とても崇高で高い価値があるか?答えてくれ」
「そうだとも」
「そのような崇高で高い価値のものに、もし著名な作家の名前が付いていれば、それらは素晴らしい値段で売れるだろう。そうじゃないか?」
「そりゃそうだ。疑う余地はない。」
「いや、俺は冗談を言っているんじゃない、確かにそうだな?」
「言うまでもない。勿論だ、僕らも冗談で言っているんじゃない。でもそれがなんだ?それがどうした? それが僕らにどういう関係がある?」
「こういう事だ。いいか。俺たちは、これらの絵に著名な作家の名前をくっ付ける。」
 みんなの軽口は止まり、顔は不審そうにカールの方に向きました。これはどんな謎なのでしょうか。著名な画家の名前はどこで借りられるのでしょうか?また、誰がそれを借りるつもりでしょうか? 
カールは座って、こう言いました。
「さてそこで、俺には全く真面目な提案がある。これは俺たちが救貧院に入らないで済む唯一の方法だと思うし、俺はこれが完璧な方法だと確信する。俺のこの意見は、人類の歴史において、長い間にたくさん確立されてきた事実の確信に基づいているのだ。俺のこの計略は、俺たちを金持ちにすると信じている。」
「金持ち!お前、気が狂ったか」
「いや、俺は正気だ」
「いや、狂っている。お前は気が狂っている。金持ちってどんなのだ?」
「一人十万フラン」
「奴は気が狂った。決まりだ。」
「ああ、そうみたいだ。カール、君には貧乏が過ぎてしまったんだ。だから…」
「カール、まず薬を飲んで、それからすぐにベッドで休め。」
「まず包帯だ。奴の頭に包帯をまいてやろう、それから…」
「いや、包帯は足にだ。脳のほうは数週間は安定している。僕は、それはよくわかっている。」
「黙って!」ミレーは上辺だけの威厳をもって言いました。「彼に話をさせよう。さあ、ではカール、君の計略を明かしなさい。どういうことだね?」
「ああ、それじゃ、まず前提として、この人類の歴史上の事実について確認してもらいたい。多くの偉大な芸術家の価値は、彼が死ぬまで決して認められないものだ。そんなことが何度も起きているから、それに基づいて俺は、ある法則の発見を確信するのだ。つまり、すべての無名で無視されている偉大な美術家の価値は、彼の死後、認められるべくして認められるだろう。そしてその時彼の絵は高騰する、という法則だ。俺の計略はこうだ。俺たちはくじ引きをして、この中の一人は死ななければならない。」
その発言が、とても平然としていて、また全く予想していないことでしたので、私たちは一瞬、驚き損ねてしまいましたが、その後は再び、カールの脳を救うための薬のアドバイスなど、発言の大合唱が起こりました。しかし彼は、騒ぎが静まるのを根気よく待ち、その後で再び、彼の計略について続けました。
「そう、この中の一人は死ななければならない、俺たちみんなとそいつ自身を救うために。俺たちはくじを引く。それに当たった奴は巨匠となり、俺たちは全員は金持ちになるんだ。まあ待て、いいからちょっと待て、最後まで聞け。俺は自分が何を言っているか分かっているから。いいか、俺に案がある。これから三ケ月の間、死ぬことになる奴は全精力で絵を描き、出来るだけ貯蔵作を増やす。絵でなくてもいい、そう、ラフなデッザンでも、下書きでも、下書きの一部でもいい。十回ちょっと筆で塗りつけただけでも、意味不明のものでもいい。だがもちろん、そいつの描いたもので、そいつのサインも要る。それぞれ特徴か、そいつの作品だと簡単に分かる癖のようなものがあるものを、日に50枚は作れ。それらは売りものだ、いいか、その偉大な奴が死んだら、世界中の美術館からものすごい値段で収集されるのだ。俺たちは、そういうものを山積みに準備しておくのだ、山積みにだ!また、生き残る者たちは、その瀕死の男の手伝いと、パリでの業者との仕事に忙しくなるだろう。来るべき出来事の準備のためだ。いいか、そして機が熟した時、突然俺たちは奴らに死を知らせ、大げさな葬式を出すんだ。わかったか?」
「い、や…少なくとも…ぜ、全部は…」
「全部は分からないだと?分からないのか?その男は本当に死ぬんじゃない、名前を変えて行方をくらますのだ。俺たちは耐え玉の人形を埋葬して、それに向かって泣くんだ。世間にも加担してもらう。そこで俺が―」
 彼が言い終わるの待つことなく、拍手と賞賛の嵐が起こりました。みんなは飛び上がって部屋中をはね回り、感謝と喜びに夢中になって、お互いの首に抱きついていました。 数時間、私たちは飢えを忘れ、この偉大な計画について話し込みました。そしてすべてが詳細に納得できるまで整ったとき、ついに私たちはくじを引き、ミレーが当たりました。私たちが言う死人に選ばれたのです。
 
その後、私たちは、将来の富が見込めるまで誰もが手放さないような物、つまり形見の品や記念品などを、みんなでかき集めて質入れして、ささやかな送別の夕食と朝食を供給し、かつ旅行と仕事の元手と、ミレーが数日間生活できるだけの費用の上、数フランが残すことができました。
 次の朝早く、私たち三人は朝食の後、直ちに出発しました。もちろん徒歩です。各自、売る目的でミレーの小さめの絵を十数枚ずつ持ち出しました。カールは、来るべき凄い日のために、ミレーの名声を築きあげる仕事を始めるべく、パリに向かいました。クロードと私は手分けして、フランス中を回り広める予定でした。

さて、驚かれるでしょうが、私たちのやる事はとても容易で快適なものになりました。私は二日間歩いた後、仕事に取り掛かりました。その日、私は大きな町の郊外にある別荘をスケッチし始めました。持ち主が上階のベランダに立っているのを見たからです。彼は見物するために降りてきました。私はそうなると思っていました。私は彼の興味を引き続けるように、すばやく描きました。時折、彼は小声で称賛の叫びを連発していましたが、やがて彼は熱中して、ためらいなく私のことを天才だ!と言いました。
 私は筆を置き、カバンに手を伸ばしてミレーの絵を取り出し、隅のサインを指さしました。そして私は自慢げに言いました。
「あなたはこれがお分かりでしょう?そう、この人が私の師匠です!ですから私の腕前は当然のことだと考えるべきでしょう。」
 その男は、やましそうにまごついて、黙ってしまいました。私は悲しそうに言いました。
「あなたはまさか、フランソワ・ミレーのサインを知らないと言うわけではありませんよね?」
 もちろん、彼はそんなサインなど知るはずありません。しかし、このよくいるようなお目出度い男は、やはり窮地から逃れるための簡単なヒントを得て言いました。
「いや、そんなわけはないでしょう。これはミレーです、まぎれもなく。私は何を考えていたのか分からない。もちろん私にはこれが分かります。」
 続けて、彼はそのミレーを買いたがりましたが、私は、自分は裕福ではないけれども、ミレーを手放すほど貧乏もしていない、と言い返しました。しかしながら、結局最後にはそれを800フランで彼に売りました。
「800フランですって!」
ええ。ミレー本人なら豚肉一片とでも交換したでしょうが。そう、そして私はこんな些細なことで800フランを手に入れました。まあ今となっては800フランで買い戻せるなら、と願うものです。しかしそういう時は過ぎ去ってしまいました。私は、その男の別荘を綺麗に描き上げました。10フランで提供したかったのですが、彼はそれに応じず、私がそんな巨匠の弟子であるこということで、100フランで売ることになりました。私は、800フランをそのままその町からミレーに送って、翌日また旅に出ました。
 ただし今度は徒歩ではなく、そう、馬車に乗りました。それからずっと馬車でした。私は毎日一枚ずつ、絵を売りました。決して二枚売ろうとはしませんでした。私は常に顧客にこんなことを言いました。
「フランソワ・ミレーの絵を売る私は、まったく愚か者です。彼はもう三カ月も持ちません。彼が死ぬと、彼の絵はどんなに愛してもお金を積んでも手に入らなくなるのですから。」
 私は、こんな些細な事実を出来るだけ広めて、来るべきその日のために世評を整えておくように心がけました。

絵を売る私たちのこのアイデアについて、私は自画自賛します。これは私のものでした。出発の前夜、私たちが計画の段取りをしていたときに、私がこれを提案したのです。私たち三人は皆、これを諦めて他の良いアイデアが必要になるまで、ちゃんと試みることで合意しました。そして私たち全員、成功しました。私は二日だけ歩きました、クロードも二日です。私たち二人とも、ミレーを故郷の近くで称賛させる事を恐れたのです。しかしカールは、聡明というか、怖いもの知らずです。ただ半日歩いただけで、その後はもう公爵のような旅をしていました。
それからは逐次、私たちは地方の編集者に持ち込み、新聞の欄に掲載を始めました。新しい画家が発見されたという記事ではなく、フランソワ・ミレーは誰もが知っているものとする記事です。あれこれと彼を称賛する記事ではなく、単に“巨匠”である彼の容体に関するもので、時には希望的に、時には失意のものを、とにかく最悪の事態が近い事をにおわせるものでした。私たちはこれらの記事に印をつけ、絵を買ってくれたすべての人々のもとへ、常にこの新聞を発送しました。
カールは、間もなくパリに入り、一段高いとろろから仕事を進めました。彼は特派員と親しくなり、ミレーの容体を英国や大陸全土、そしてアメリカへと、あらゆるところへ発信しました。

始めてから六週間目の終わりに、私たち三人はパリで会い、ひとまずの休止を決めました。また追加の絵をミレーに求めることもやめました。ブームは非常に高まり、機は熟していました。私たちには、今実行しないというのは過ちだと分かっていました。今すぐ、もう待っている猶予はありません。そこで私たちはミレーに宛てて、ベッドに伏せて急激に衰弱しはじめ、もし準備が整うなら十日以内に死んで欲しい、と手紙を書きました。
そこまでで私たちは、計算してみたところ、合わせて85枚の小さな絵と下書きが売れていて、69,000フランを手にしていたことが分かりました。カールは最後のセールスで、私たちの中で最も輝かしい業績を挙げました。彼は、あの『お告げの祈り』を2,200フランで売ったのです。 私たちはどれだけ彼を誉めたたえたたことか!フランス中がそれを所有しようと争ったり、外国人が550,000フランの現金を積んでまで手に入れようとする時が、やがて間もなく来ることなど知る由もなく。
その晩、私たちはシャンペンと食事で、打ち上げの祝宴を行いました。そして次の日、クロードと私は荷造りし出発しました。ミレーの最後の日のまでの間の看病と、同時におせっかいな輩たちを家に近付けないようにするためです。また、日々の容体の速報をパリに残るカールのもとに送り、情報を待っている世間のために、各大陸の新聞に掲載されるようにしました。そしてその悲しい臨終の日がついに来ました。カールも最後の悲痛な葬式を手伝うために、そこに戻っていました。

あなたは、あの立派な葬式を覚えておられるでしょう。地球上のあらゆるところを大騒ぎさせて、二つの世界の代表者が参列して、彼らの悲しみを代弁していました。私たち四人が、切っても切れない縁の四人だけが、棺を運びました。他の誰にも手伝わせませんでした。それは正しい選択でした。棺の中には蝋人形の他は何も入っていなかったので、運搬人に触らせたら、その重さで誤りを見抜いてしまったでしょうから。そう、私たちは昔通りの同じ四人、その昔からこの時まで、愛すべき困窮を共にした四人だけが、その棺を―



「四人?というと」
「私たち四人です。ミレーも自分の棺を担ぎました。成りすましたのです。おわかりですか、彼は親類に成りすましたのです、遠い親類に。」
「なんと!信じられません。」
「しかし真実はこのとおりなのです。さて、それから絵がどれほど高騰したかはご存知でしょう。お金ですか? それを何に使うべきか分からないくらいでした。今日、パリにミレーの絵を70枚所有している人がいます。彼は私たちに200万フランを支払いました。さらに私たちが旅の途上にあった六週間の間に、ミレーが貯め込んだ山積みのスケッチや下書きについて、まあ、昨今それらを売るときの数字、というより一枚手放すことに合意する時の金額をお知りになれば、きっと腰を抜かされることでしょう。」
「なんという素晴らしいご来歴、感服いたしました。」
「まあ、それはそうでしょうな。」
「ところで、ミレーさんはどうなされたのですか?」
「秘密は、守っていただけますかな?」
「守ります。」
「あなたは今朝、食堂で、私がよく見ておくようにと言った男を覚えていますか? あれが、フランソワ・ミレーです。」
「これは、あっと驚く―」
「為五郎!ですかな。そうなのです。この時ばかりは、人々は天才を死ぬほど飢えさせもせず、彼自身が持つべきだった報酬を他人の懐に入れもしませんでした。この小鳥が、聴かれることもなく悲観に暮れるほど鳴き尽くし、後で派手な葬式と冷たい装飾によって報われることを許しませんでした。私たちはそのことに注意していたのです。」
(Mark Twain1893年)

粗訳・山崎哲史2011


ted803 at 00:29│Comments(0)TrackBack(0)

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