2008年11月10日
埼玉西武ライオンズ日本一
いい日本シリーズでしたねぇ。今だ余韻が抜けません。
いい意味で、これほど予想を裏切られた日本シリーズは近年無かった。「流れ」という言葉で、安易に片付けられない展開でした。
勝負を分けたもの。本当に紙一重でしたね。ジャイアンツもセリーグのチャンピオンとして良く戦ったと思います。
いい意味で、これほど予想を裏切られた日本シリーズは近年無かった。「流れ」という言葉で、安易に片付けられない展開でした。
勝負を分けたもの。本当に紙一重でしたね。ジャイアンツもセリーグのチャンピオンとして良く戦ったと思います。
●MVP岸
第5戦の時点で「ホームに帰るし、もう巨人だろう」という気がしましたが、その流れを断ち切ったのはまたしても2年目の岸孝之でした。
一度ならずも二度もタイに持ち込む快投でした。やっぱりカーブが効きましたねぇ。第6戦は中2日で登板したのですが、最近の日本シリーズでは珍しい「スクランブル登板」。ライオンズのブルペンが弱かったことと、第7戦まで持ち込んだために生まれた現象でしたが、岸はそれによく応えました。
大学時代は中1日や連投も平気でこなすのが大学出身の選手。2年前まで東北学院大のエースとして東北福祉大に対峙していた岸ですから、中2日なんて「休養十分」と言えるのではないでしょうか。昭和の時代に杉浦や稲尾が連投していたなんてのは、遠い昔の物語で「故障を招くだけだ」という見方は一般的になっています。
しかし、高校野球や大学など「アマチュア」の世界では、今だ連投が公然と行われています。高校時代に一部で「斎藤は酷使しすぎだ」なんて言っていたのに、大学に入って毎週のように斎藤が中1日で放っているのに放置されているのは、この論が単なる「アンチ甲子園」な人たちによる感情論という気がします。
プロ野球でも短期決戦ではある程度許されるのではないかと思います。怪我に対するケアもかつてよりは大幅に進歩しているわけですから、多少の連投が許容されないはずは無い。
第7戦で石井一、涌井と先発投手を次々とつぎ込んだのは、日本シリーズならではで興奮しました。こういう起用法は投手出身の渡辺久信監督だから出来たのでしょう。ジャイアンツはエースの上原が第5戦、わずか52球で降板していたのに、第7戦もベンチ入りしていなかったということは、ジャイアンツのブルペンが強いから上原を入れる余地は無かったかもしれないということを考慮しても、ちょっと寂しい話だと思いませんか?
●前向きなライオンズ
第7戦のハイライトは死球で出塁した片岡がガッツポーズを見せて、初球に盗塁し、栗山のバントで三塁に進み、中島の三塁ゴロで迷わず本塁に突入した一連の攻撃でしょう。
ライオンズの攻撃が打撃にしても、走塁にしてもある種の「居直り」に近い状態で進められていたことに、観ていて快感すら覚えてしまいます。片岡は初回に内野ゴロで本塁に進んで憤死しましたが、あれも所謂「ギャンブルスタート」というもの。ゴロが転がれば、正面だろうがなんだろうが突っ込むという姿勢です。
この姿勢が貫かれていたから、8回の同点劇が生まれたと言えるでしょう。中島は「ゴロさえ転がせばいい」というスイングで、片岡も「バットに当たる」という確信のあるスタート。二人の信頼関係が生んだ同点劇と言っても過言ではないでしょう。
「もし空振りしたら」と片岡が思ったり、「強く振らなきゃ」と中島が思っていたらまた別の展開があったでしょう。二人の頭の中にはそういうネガティブな発想は無かったんじゃないかと思います。
この潔さは美しい。選手を強気にさせるチームの雰囲気がありました。
●越智は気の毒だった
もし、ジャイアンツが日本一になっていたらMVPは誰だったろうと考えると、ラミレスが順当なのかもしれないが、越智もかなりいい線行っていたと思う。勝ち試合全てに登板して1勝3ホールド。ライオンズとの差はブルペンの差だったわけで、シリーズを象徴する意味でも、越智はMVPに値する、と思ってみていました。もちろん、ライオンズを抑えきればの話ですけど。
というわけで8回。頼みの越智が同点に追いつかれた。あの場面を「替え時」と見た人は少ないだろう。越智のこれまでの働きを見れば、交代は非常に難しいタイミングだったと思う。
ただ、拙かったのは二死走者無しで中村を歩かせたこと。勝負を避けた。
非常に難しい場面で、終わったからいくらでも言える話なのだが、あそこは究極の危機管理の場面だった。越智は気持ちで投げるタイプ。制球を考えずにど真ん中に「打ってみろ」と叩き込むのが越智のスタイルだ。
7回、自ら一死一二塁の場面を招いたとき、越智は連続三振でピンチをしのいだ。代打・石井義を相手に初球からストレートを放った越智は見事だった。気持ちで石井を完全に圧倒していた。
あの投球を見せられたら、「一発のある中村との勝負を避けて、捕手の野田との勝負なら抑えてくれるだろう」と巨人ベンチは考えたはずだ。しかし、越智の心中は複雑だったろう。CSから続けてきた無失点が途切れて、一番大事な場面で試合を振り出しに戻してしまった。野田に繋がれたら次は当たっている平尾。まぁ、直球だけで押さえ込める打者だったのだが、殊更に慎重になって野田を歩かせてしまった。野田は安打を打つ技術は乏しかったが、ボール球に手を出さない経験はあったのだ。
巨人は第6戦から勝負どころで四球を出しては得点を許していた。王手をかけていたのに、逆に精神的に追い込まれていたようだった。
追い込まれた巨人と居直った西武。勝負を分けたのはこの差だったかなという気がする。
しかし、敗因は打線でしょうね。巨人はブルペンの差ではなく、打力で圧倒する勝ち方をしたかったはずです。それが出来たのは第5戦だけでしたからね。最後は機動力と思い切りの差が出てしまった形です。それにしてもライオンズの粘りは感服するばかりです。
●10回目のGL対決
巨人は実に日本シリーズ出場31回を数えます。
対戦相手は
ホークス(南海・ダイエー) 10回
ライオンズ(西鉄・西武) 10回
ブレーブス(阪急・オリ) 8回
ロッテオリオンズ、日本ハム、近鉄 各1回
というわけで、今回の対決でライオンズはホークスと並んで「対巨人」最多タイとなったわけです。
パリーグ3強(ホークス、ライオンズ、ブレーブス)の勝敗はホークスは1勝9敗(!)。1959年の杉浦忠の4連投4連勝以外、全てジャイアンツに凱歌が上がっています。
ブレーブスは3勝5敗。当初はV9巨人との対戦で歯が立ちませんでしたが、76、77年に連勝しています。
そこに行くとライオンズは昔からジャイアンツに強く、これで7勝3敗でライオンズがリードしました。1950年代に巨人相手に西鉄が3連覇した黄金時代、西武になってからは80年代、90年代に名勝負を展開しました。
奇しくも今年の勝ち負けの並びは1983年と全く同じ。この時はホームとビジターが逆でしたが。
ジャイアンツは出場31回で日本一20回。方やライオンズも出場21回で日本一13回。どちらも勝率6割超の堂々たる成績です。やっぱりこの2球団は、日本プロ野球の歴史を創ってきたんですね。かつての「野武士軍団」とも「常勝軍団」とも異なる個性を持った集団を渡辺監督は創り上げました。いつの時代も個性的なチームを作るという点ではライオンズの伝統は息づいているのかもしれません。
●ベテランに賭けた
最後に余談になりますが、第7戦の解説ってのはあるのかどうかわからないということもあって、解説陣がやや「スキ」のある布陣でした。日テレも堀内だったし。
その中でもやはり私を癒してくれたのはニッポン放送の関根潤三さん。
友人より「関根さん、中島が試合中わき腹を痛めたこと知らないみたい」という衝撃情報がもたらされて、それからニッポン放送に釘付けになったのですが。関根さん、全く予備知識無く、己の経験だけで放送に挑んでいる。「越智ってこんな速い球投げるピッチャーだったっけ!?」と驚きの声を上げたり、「うーん、甘く行くなよ」と独り言が止まらなくなったり、まさに自由自在。
そして、9回ツーアウト、あと一人で西武日本一という土壇場で放った台詞が・・・
「ボク、グラマンって初めて観たんですけど、いいピッチャーですね」
凄い、凄すぎる。なんと言う脱力。
観たことを忘れているのか、それともそもそも本当に観ていないのか・・・。どこまでも計り知れない関根潤三の魅力。
今年の12月25日御歳82となる関根さん。これからも末永く、日本プロ野球を見守ってください。
第5戦の時点で「ホームに帰るし、もう巨人だろう」という気がしましたが、その流れを断ち切ったのはまたしても2年目の岸孝之でした。
一度ならずも二度もタイに持ち込む快投でした。やっぱりカーブが効きましたねぇ。第6戦は中2日で登板したのですが、最近の日本シリーズでは珍しい「スクランブル登板」。ライオンズのブルペンが弱かったことと、第7戦まで持ち込んだために生まれた現象でしたが、岸はそれによく応えました。
大学時代は中1日や連投も平気でこなすのが大学出身の選手。2年前まで東北学院大のエースとして東北福祉大に対峙していた岸ですから、中2日なんて「休養十分」と言えるのではないでしょうか。昭和の時代に杉浦や稲尾が連投していたなんてのは、遠い昔の物語で「故障を招くだけだ」という見方は一般的になっています。
しかし、高校野球や大学など「アマチュア」の世界では、今だ連投が公然と行われています。高校時代に一部で「斎藤は酷使しすぎだ」なんて言っていたのに、大学に入って毎週のように斎藤が中1日で放っているのに放置されているのは、この論が単なる「アンチ甲子園」な人たちによる感情論という気がします。
プロ野球でも短期決戦ではある程度許されるのではないかと思います。怪我に対するケアもかつてよりは大幅に進歩しているわけですから、多少の連投が許容されないはずは無い。
第7戦で石井一、涌井と先発投手を次々とつぎ込んだのは、日本シリーズならではで興奮しました。こういう起用法は投手出身の渡辺久信監督だから出来たのでしょう。ジャイアンツはエースの上原が第5戦、わずか52球で降板していたのに、第7戦もベンチ入りしていなかったということは、ジャイアンツのブルペンが強いから上原を入れる余地は無かったかもしれないということを考慮しても、ちょっと寂しい話だと思いませんか?
●前向きなライオンズ
第7戦のハイライトは死球で出塁した片岡がガッツポーズを見せて、初球に盗塁し、栗山のバントで三塁に進み、中島の三塁ゴロで迷わず本塁に突入した一連の攻撃でしょう。
ライオンズの攻撃が打撃にしても、走塁にしてもある種の「居直り」に近い状態で進められていたことに、観ていて快感すら覚えてしまいます。片岡は初回に内野ゴロで本塁に進んで憤死しましたが、あれも所謂「ギャンブルスタート」というもの。ゴロが転がれば、正面だろうがなんだろうが突っ込むという姿勢です。
この姿勢が貫かれていたから、8回の同点劇が生まれたと言えるでしょう。中島は「ゴロさえ転がせばいい」というスイングで、片岡も「バットに当たる」という確信のあるスタート。二人の信頼関係が生んだ同点劇と言っても過言ではないでしょう。
「もし空振りしたら」と片岡が思ったり、「強く振らなきゃ」と中島が思っていたらまた別の展開があったでしょう。二人の頭の中にはそういうネガティブな発想は無かったんじゃないかと思います。
この潔さは美しい。選手を強気にさせるチームの雰囲気がありました。
●越智は気の毒だった
もし、ジャイアンツが日本一になっていたらMVPは誰だったろうと考えると、ラミレスが順当なのかもしれないが、越智もかなりいい線行っていたと思う。勝ち試合全てに登板して1勝3ホールド。ライオンズとの差はブルペンの差だったわけで、シリーズを象徴する意味でも、越智はMVPに値する、と思ってみていました。もちろん、ライオンズを抑えきればの話ですけど。
というわけで8回。頼みの越智が同点に追いつかれた。あの場面を「替え時」と見た人は少ないだろう。越智のこれまでの働きを見れば、交代は非常に難しいタイミングだったと思う。
ただ、拙かったのは二死走者無しで中村を歩かせたこと。勝負を避けた。
非常に難しい場面で、終わったからいくらでも言える話なのだが、あそこは究極の危機管理の場面だった。越智は気持ちで投げるタイプ。制球を考えずにど真ん中に「打ってみろ」と叩き込むのが越智のスタイルだ。
7回、自ら一死一二塁の場面を招いたとき、越智は連続三振でピンチをしのいだ。代打・石井義を相手に初球からストレートを放った越智は見事だった。気持ちで石井を完全に圧倒していた。
あの投球を見せられたら、「一発のある中村との勝負を避けて、捕手の野田との勝負なら抑えてくれるだろう」と巨人ベンチは考えたはずだ。しかし、越智の心中は複雑だったろう。CSから続けてきた無失点が途切れて、一番大事な場面で試合を振り出しに戻してしまった。野田に繋がれたら次は当たっている平尾。まぁ、直球だけで押さえ込める打者だったのだが、殊更に慎重になって野田を歩かせてしまった。野田は安打を打つ技術は乏しかったが、ボール球に手を出さない経験はあったのだ。
巨人は第6戦から勝負どころで四球を出しては得点を許していた。王手をかけていたのに、逆に精神的に追い込まれていたようだった。
追い込まれた巨人と居直った西武。勝負を分けたのはこの差だったかなという気がする。
しかし、敗因は打線でしょうね。巨人はブルペンの差ではなく、打力で圧倒する勝ち方をしたかったはずです。それが出来たのは第5戦だけでしたからね。最後は機動力と思い切りの差が出てしまった形です。それにしてもライオンズの粘りは感服するばかりです。
●10回目のGL対決
巨人は実に日本シリーズ出場31回を数えます。
対戦相手は
ホークス(南海・ダイエー) 10回
ライオンズ(西鉄・西武) 10回
ブレーブス(阪急・オリ) 8回
ロッテオリオンズ、日本ハム、近鉄 各1回
というわけで、今回の対決でライオンズはホークスと並んで「対巨人」最多タイとなったわけです。
パリーグ3強(ホークス、ライオンズ、ブレーブス)の勝敗はホークスは1勝9敗(!)。1959年の杉浦忠の4連投4連勝以外、全てジャイアンツに凱歌が上がっています。
ブレーブスは3勝5敗。当初はV9巨人との対戦で歯が立ちませんでしたが、76、77年に連勝しています。
そこに行くとライオンズは昔からジャイアンツに強く、これで7勝3敗でライオンズがリードしました。1950年代に巨人相手に西鉄が3連覇した黄金時代、西武になってからは80年代、90年代に名勝負を展開しました。
奇しくも今年の勝ち負けの並びは1983年と全く同じ。この時はホームとビジターが逆でしたが。
ジャイアンツは出場31回で日本一20回。方やライオンズも出場21回で日本一13回。どちらも勝率6割超の堂々たる成績です。やっぱりこの2球団は、日本プロ野球の歴史を創ってきたんですね。かつての「野武士軍団」とも「常勝軍団」とも異なる個性を持った集団を渡辺監督は創り上げました。いつの時代も個性的なチームを作るという点ではライオンズの伝統は息づいているのかもしれません。
●ベテランに賭けた
最後に余談になりますが、第7戦の解説ってのはあるのかどうかわからないということもあって、解説陣がやや「スキ」のある布陣でした。日テレも堀内だったし。
その中でもやはり私を癒してくれたのはニッポン放送の関根潤三さん。
友人より「関根さん、中島が試合中わき腹を痛めたこと知らないみたい」という衝撃情報がもたらされて、それからニッポン放送に釘付けになったのですが。関根さん、全く予備知識無く、己の経験だけで放送に挑んでいる。「越智ってこんな速い球投げるピッチャーだったっけ!?」と驚きの声を上げたり、「うーん、甘く行くなよ」と独り言が止まらなくなったり、まさに自由自在。
そして、9回ツーアウト、あと一人で西武日本一という土壇場で放った台詞が・・・
「ボク、グラマンって初めて観たんですけど、いいピッチャーですね」
凄い、凄すぎる。なんと言う脱力。
観たことを忘れているのか、それともそもそも本当に観ていないのか・・・。どこまでも計り知れない関根潤三の魅力。
今年の12月25日御歳82となる関根さん。これからも末永く、日本プロ野球を見守ってください。
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1. 埼玉西武ライオンズ日本一 [ 歌は世につれ世は歌につれ・・・みたいな。 ] 2008年11月12日 00:14
プロ野球の日本シリーズは9日、東京ドームで最終戦が行なわれ、埼玉西武ライオンズが3-2で読売ジャイアンツに逆転勝ちし、4年ぶり10度目の優勝を飾りました。渡辺久信監督は就任1年目で日本一に輝き、最高殊勲選手(MVP)には2勝を挙げたライオンズの岸孝之投手が選ばれまし...
この記事へのコメント
1. Posted by 翁 2008年11月10日 21:53
関根さん、いつまでも長生きしてほしいなぁ。
いつだか「老人力」なんて言葉がもてはやされたけど、まさにこの人のためにあるね。
解説者ってキャンプを視察したり、新聞切り抜いてデータ集めたりした上で解説席についてるわけでしょ?まったくないもんねw
関根さんに会う機会があったら聞いてみたいよ。「プロって何ですかね?」って。
そういや終盤の広島戦を解説していて、「今年の栗原、よさそうね」。もう9月ですけど…wそれに3割20本打ってたしw
ちなみに、mixiに潤三コミュありました。約90名参加。あんま盛り上がってなかったけどね。
いつだか「老人力」なんて言葉がもてはやされたけど、まさにこの人のためにあるね。
解説者ってキャンプを視察したり、新聞切り抜いてデータ集めたりした上で解説席についてるわけでしょ?まったくないもんねw
関根さんに会う機会があったら聞いてみたいよ。「プロって何ですかね?」って。
そういや終盤の広島戦を解説していて、「今年の栗原、よさそうね」。もう9月ですけど…wそれに3割20本打ってたしw
ちなみに、mixiに潤三コミュありました。約90名参加。あんま盛り上がってなかったけどね。
2. Posted by 純正野球ファン 2008年11月10日 23:31
翁殿
関根は「影のMVP」ですよ。
2010年には「プロ野球歴還暦」を迎えます。力の抜けた姿勢が長生きの秘訣だろー。もう10数年、おいらは「この世の中で亡くなったら最もショックな人」は関根潤三さんです。
関根は「影のMVP」ですよ。
2010年には「プロ野球歴還暦」を迎えます。力の抜けた姿勢が長生きの秘訣だろー。もう10数年、おいらは「この世の中で亡くなったら最もショックな人」は関根潤三さんです。
3. Posted by hau 2008年11月11日 21:46
今年の日本シリーズは、本当に面白かったと思います。
ストーブリーグもありますが、まずは来年もまた面白いプロ野球が見られることを願わずにはいられません。
ストーブリーグもありますが、まずは来年もまた面白いプロ野球が見られることを願わずにはいられません。