2012年03月07日

2000本への道

 オープン戦真っ盛り。開幕が待ち遠しいですねぇ。今もハムとロッテのオープン戦観ながらです。杉谷、ナイスバント!!

 今年は2000本安打の当たり年になります。

 スワローズ  宮本 25本
 ファイターズ 稲葉 34本
 ホークス   小久保 38本

 ここまでは当確ライン。さらに、ドラゴンズ谷繁が119本、ベイスターズラミレスが150本と続きます。5人達成ってのは、記憶にありません。

 いずれもファンから愛されるベテランプレーヤーでそれぞれの軌跡があります。



●打撃は必ず上手くなる・・・宮本慎也

 2000本安打まであと25本に迫った宮本。1994年、野村スワローズのドラフト2位でプリンスホテルから入団。以後、3年目から100試合出場を達成し、スワローズの中心選手として活躍してきた。3割をマークしたのは6回。30歳のシーズンに初め打率3割をマークした。

 入団当時は打撃が弱く、守備が突出してうまかったため野村監督から「自衛隊」(専守防衛)と言われ、8番打者が定位置だった。とても2000本安打を達成する姿は想像できなかったし、大学→社会人を経由して2000本を達成するプレーヤーになるとも思えなかった。

 このコースで2000本を達成したプレーヤーは古田敦也一人である。それだけでも宮本の記録は本当に偉大である。

 宮本は打撃3部門でのタイトルは無いが、打撃部門でシーズン記録を持っている。2001年に記録した犠打67だ。通算も386犠打で、2000本安打を達成すれば新井宏昌の300を超えて達成者ではダントツトップになる。宮本の上にいるのは川相昌宏の533、平野謙の451の二人だけだ。(川相の533ってのは不滅だな)。

 犠打というのは当然、ヒットを打つ機会も犠牲にしていることになり、犠打の数と、プロ入りが遅かった二重の制約を超えての記録達成は本当に待ち遠しい。

 宮本の歩みで感じるのは「バッティングは上手くなる」ということだ。バッティングは相手の力を利用することも出来るし、バットという道具を使うことで工夫の余地も大きくある。宮本にはそういう探究心とか向上心が人並み優れてあったということだろう。だから、アマチュア時代のバッティングはあまり評価しなくてもいいようにも思える。守備とか、野球頭が優れているプレーヤーには、向上の余地があるということだろう。

 宮本もまた野村克也の申し子ということだろう。変に打撃に自信を持って入るより、まっさらな状態でプロ入りした方が、伸びる余地が大きいということだろう。古田敦也もやはりそうだった。

 さて、宮本の達成試合だが、ハイペースで行けば4月14日からのカープ2連戦(13試合目、14試合目)ということになるだろう。松山での達成となれば、古田敦也と奇しくも同じ球場での達成ということになる。

 その後、4月17日から関西でのタイガース3連戦をはさんで、20日からジャイアンツと3連戦、続いて24日からドラゴンズとの3連戦となる。いずれもホーム神宮。この6戦での達成が期待される。やっぱり本拠地で決めてほしいものである。もちろん、渋く詰まりながらのライト前で。

●北の大地が蘇らせた・・・稲葉篤紀
 
 卓越したバットコントロールが魅力の稲葉。スワローズからファイターズに移籍した選手で、私も思い出深い選手である。

 稲葉は1994年ドラフト3位でスワローズに入団した。この時の2位は前述の宮本である。ちなみに1位は日産自動車の北川哲也投手。。。いや、ドラフトってホントにわからん。2000本安打達成者を2人出したドラフトって伝説の1968年阪急ブレーブス2位加藤英司、7位福本豊(ちなみに1位は山田久志、12位で入団拒否されたが門田博光を指名している)に匹敵するのではないだろうか。

 稲葉がプロ入りするエピソードは有名だが、あえて書きますと、当時、明治大学の野村カツノリを見に行った野村克也が、法政の一塁手の稲葉のプレーを見て「是非ほしい」とスカウトにお願いした獲った選手だった。一塁手でシュアな打撃ながらパワーには疑問もあったのであろう。他球団からの誘いは無かったそうだ。「一塁手だから」ということで、スカウトが選手の可能性を規定してしまった好例だ。

 プロ入りしてから稲葉は外野手の練習をして、後に「名手」の一人に数えられるのだから、ホントに未来はわかりません。

 スワローズ時代は故障も多く、毎年レギュラーに定着する選手ではなかった稲葉。転機が訪れたのは2004年。MLB移籍を希望しFA宣言したものの、メジャーからのオファーは無かった。そこにすかさず声をかけたのが、ファイターズの高田GM。稲葉獲得に名乗りを挙げ、2005年2月にファイターズに入団。背番号は58だった。

 翌2006年に背番号41にしてからの稲葉はすごかった。5年ぶり3割を達成すると、翌2007年には.337、176安打で首位打者と最多安打のタイトルを獲得。ファイターズの7年間で7年連続100試合&100安打以上を達成し、3割は4回。ファイターズの中心選手として大活躍している。

 今年は40歳を迎え、守備位置こそ一塁手に固定されそうだが、打順は2番での起用が濃厚で、ヒットマシーンとして強力打線を形成することを期待されている。

 稲葉はファイターズのファンが蘇らせたと思いますね。20台は怪我に泣かされスワローズ時代は優勝した2001年の138試合.311、164安打、25本塁打90打点のシーズンを除けば、稲葉が満足できるシーズンは無かったと思う。それが、ファイターズでホントに蘇った。獲ってもらった恩義を感じるのも稲葉らしいし、新天地を求めてやってきた人を歓迎し、応援する気風も北海道らしい。ファイターズが北海道に移転したからこそ、達成できる記録ではないだろうか。道産子として誇りに思います。

 さて、稲葉の達成試合は恐らく5月1日からの本拠地6連戦。地元札幌で満員のファンに祝福されてライト線にツーベースあたりで決めてほしい。

●故障を乗り越えた・・・小久保

 ホークスの中心選手としてファンから愛される小久保。野球人生は順風満帆ではなかった。逆指名でダイエーに入団し、本塁打王、打点王のタイトルを獲得。強豪チームとして王監督を支えた。しかし、2003年のオープン戦で右ひざに大怪我をし、一年間シーズンを棒に振った挙句、不可解な無償トレードでジャイアンツに放出された。
 
 選手、ファンも誰もが怒り狂ったトレードだったが、ジャイアンツに移籍した3年間の小久保は美しかった。2004年には故障明けで右ひざにユニホームの上からでもはっきりとわかるサポーターをしながら、小久保は41本塁打を達成した。出塁率+長打率が10割を超えた唯一のシーズンだった。翌年も34本塁打をマーク。3年間で94本塁打を放った。

 ホークスはソフトバンクに身売りし、小久保の背番号9は空いたままだった。そこに、2006年オフにFA宣言で小久保はホークスに戻った。そのとき36歳。残り少ない選手生命かと思ったが、そこから小久保は頑張った。2009年には全試合に出場するなど、息の長い選手となって、ホークスの精神的支柱として君臨している。

 今年41歳のシーズンとなるが、記録達成は間違いない。あの怪我をしたときは、そのまま終わるかと思ったが、そこから再起しての記録達成。これもファンの支えでしょうね。ジャイアンツに移籍しながら、ホークスに戻ってもう一度活躍するなんて、涙モノです。

 この小久保は恐らく5月4日からの地元でのイーグルス3連戦じゃないでしょうか。いや、福岡で決めてほしい。彼はファンの前で2000本を打つ宿命にあるように思えるのだ。もちろん、小久保らしい高々と舞い上がるホームランならば最高である。

●守備の名手ゆえの23年間・・・谷繁元信

 1989年に大洋にドラフト1位で入団した谷繁。高卒の同期は今中、川崎憲次郎、江藤智。まさに堂々の現役生活。大御所である。
 
 ドラゴンズに2002年にFAで入団し、そこから落合ドラゴンズの要としてダイヤモンドに君臨している。いや、体が若い。肩が衰えない。今年の年末42歳を迎えるが、強肩でいまだに数あるスピードランナーを恐れさせている。

 が、谷繁。。。正直、バッティングはそこそこである。23年で3割1回、100安打以上は8回である。23年で8回である。基本的にヤマっけのあるバッティングでホームランがポーンと出ることもあるが、去年のCS、日本シリーズは極度の不振に苦しんだ。まぁ、守備の人だから仕方ないか。

 その谷繁。あと119本打たなければならない。過去に119安打以上をマークしたシーズンは1999年の一回のみ。まぁ、贔屓目に見ても今年の達成は難しいだろう。ただ、順調に行けば来年は間違いない。

 それでも谷繁は相当すごい。何しろ捕手で2000本安打を達成したプレーヤーは野村克也と古田敦也しかいないのだ。あの伊東勤を遥かに上回る安打を重ねた谷繁の歩みは、偉業の一言に尽きる。

 4人目は日米通算で270本に迫った城島か、12年で1332本の安打を積み重ねた阿部慎之助か。ただ、城島は今年一年捕手での出場は望めないし、阿部も2000本安打まで捕手であり続けるかはわからない。その意味で、ほぼ捕手で達成が見込まれる谷繁の打撃が稚拙であることを低く見るわけには行かないだろう。

●なるか外国人史上初・・・ラミレス

 長く外国人の通算安打記録はリーの1579本だった。その記録を2008年に抜き去ったのがタフィ・ローズ、そのローズの1789本を抜いて、外国人史上最高安打記録1850本を誇るのがラミレスだ。

 2001年にスワローズに入団したラミレス。最初は7番が定位置で外角の変化球にバットが遠く、ペタジーニの影に隠れていた印象だったが、年々日本野球にアジャストし、2003年に本塁打、打点の2冠王。以後、打点王4回、本塁打王2回、首位打者1回。

 ラミレスのとにかくすごいのは怪我をしないことだ。11年間でフル出場は7回、2005年からはスワローズ、ジャイアンツで6年連続フル出場を達成している。100安打を割り込んだシーズンは一度も無く、150安打にハードルを挙げても2001年と昨年を除いて全ての年で達成している。8年連続100打点はあの王貞治の7年連続を超える記録だ。右打者で初の200本安打を達成したのもラミレスだ。

 外国人選手として史上最高と言っていいだろう。ラミレスを超えるのはローズ(通算本塁打でラミレスを90本近くリードしている)くらいか。

 今年から横浜に移籍し、昨年は統一級に苦しんだだけに、シーズンが気になるところだが、復活すれば150安打の達成はラミレスの歩みを見れば決して難しい話ではない。スワローズ時代から大好きな選手なんで、是非とも達成してもらいたいものだ。

 ラミレスといえば稚拙な守備が挙げられる。肩は弱く足も速くない。それでもセリーグでずっとプレーしているのだから、なんと言うか分からないものである。

 ちなみにラミレスの足は決して遅くは無い。200安打を達成した年、若松監督が内野安打が意外と多いことを挙げていた。足は遅いがラミレスは決して一塁までの全力疾走を怠らない。こういう姿勢が長く日本でプレーできた要因かもしれない。もちろん、明るいキャラクターも然り。

●背景に医学の進歩?


 松永浩美(1904本)、真弓明信(1888本)、高橋慶彦(1826本)、大石大二郎(1824本)、高木豊(1716本)など2000本目前で涙を飲んだベテランプレーヤーも多い。

 それが、2000年代に入ってからほぼ毎年のように達成者が誕生している。2000年駒田、秋山、2003年立浪、2004年清原、2005年古田、野村謙二郎、2006年石井、2007年田中幸雄、前田、2008年金本、2011年小笠原と続く。今年は一挙に3人が生まれる。

 思うに、これスポーツ医学の進歩というか、コンディショニングの向上があるんじゃないでしょうか。それで、選手寿命が伸びたことがあるかもしれません。宮本、稲葉、小久保は35歳を過ぎてから、円熟味を増して息の長いプレーヤーになったと思います。

 さて、栄光の瞬間が楽しみです。

 

ted9aoki23 at 21:37│Comments(0)TrackBack(0) NPB2012 

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