2012年08月05日

水泳ニッポンの歩み

 今朝の男女メドレーリレーはどちらもスリリングなレースで、日本は男子が史上最高の銀、女子も3大会ぶりの銅メダルとなりました。

 これで日本の競泳はメダル11個獲得。金メダルこそありませんが、「戦後最多」のメダル数となりました。それでいろいろ調べていたら、知らなかったことがたくさんあったので、メモっておきます。



●1932年ロサンゼルスで12個

 日本の競泳が一番メダルを獲ったのは1932年(昭和7年)のロサンゼルス大会だそうです。金メダル5個、銀メダル5個、銅メダル2個。有名なのは銀メダルを獲った前畑秀子でしょう。「前畑ガンバレ」の人です。昭和7年とは5・15事件が起こった年で、戦争に向かっていく時代だったのですが、水泳はやたら強かった。
 次のベルリン大会も金4個、銀2個、銅5個でトータル11個。戦前の日本は競泳王国だったんですねぇ。

●幻の1948年ロンドン五輪
 
 戦争に負けて1948年にロンドン五輪が開催されます。第二次世界大戦終戦から3年、ナチスの空爆に耐えたロンドンで3年後に五輪が開催されていたということは、今考えると結構凄い話です。日本は当時占領下で、日本は五輪出場が認められませんでした。
 そこで、競泳ニッポンの底力を見せようと、同日に記録会を開催したそうです。そこで、古橋広之進が次々と世界記録を樹立したんですねぇ。で、日本中が熱狂して、古橋さんは世界的なスイマーになったんですねぇ。今回の日本競泳陣の活躍は天国の古橋さんが力を貸してくれたのかもしれません。

●悲運のスイマー・古橋

 私、古橋広之進さんっててっきり五輪のメダリストだと思っていましたが、唯一残っているリザルトはヘルシンキ五輪400メートル自由形8位。選手のピークは1948年だったようです。その意味では戦争に運命を翻弄された悲運のスイマーだったんですね。

●雌伏の時代
 
 1964年東京五輪、日本競泳のメダルは800メートル自由形リレーの銅メダル一つ。これは意外でした。戦前に比べて日本競泳陣は苦戦が続きます。東京五輪ではもっと獲っているかと思っていました。
 1976年のモントリオールでは戦後初のメダルゼロ。80年モスクワの出場辞退を経て、84年のロサンゼルスでもメダルゼロ。戦前12個のメダルを獲得した栄光の地で、日本競泳は東欧勢がいないにもかかわらずメダルゼロってよほどの屈辱だったでしょう。その後、ソウルで鈴木大地、バルセロナで岩崎恭子が金メダルを獲得しましたが、それ以外はなく、チームとしての強さは認められませんでした。

●アトランタの悲劇とシドニーの躍進

 躍進の期待が懸かったアトランタ五輪は散々な結果だった。その象徴が千葉すずだろう。プレッシャーに負けた(彼女はその理由をプレッシャーを懸けたメディアに当たるかのような発言をした。今思うとアスリートとして悲しい態度だ)千葉は出場種目で決勝に残ることすら出来なかった。
 もはや競泳日本の復活は望めないのかと思いきや、次のシドニーで日本競泳は復活の兆しを見せる。銀2銅2を獲得。女子のメドレーリレーで銅メダルを獲得した。ここから日本の競泳陣は復活する。この大会に初めて出場したのが高校2年の北島コウスケだった。

●北島の時代
 
 北島はアテネ、北京と2大会連続で100平、200平の2冠を達成。アテネでは柴田亜衣も800m自由形で金メダルを獲得。金3銀1銅4つを獲得した。続く北京でも北島の金2のほか銅を3つ獲得した。で、今回のロンドンでは金メダルこそ獲得できなかったが、銀3銅8のメダル11を獲得。選手層の厚さと各競技満遍なく競争力のある選手が居ることが特徴だろう。
 その象徴が北島康介だろう。やはりこの2000年代の4大会は将来「北島の時代」として記憶されるだろう。北島がベテランとなったロンドン大会で若手が多いく伸びた。北島自身、200メートルでは後輩に抜かれて4位となった。ある種、北島の時代を終えるに相応しいレースだった。
 最後のリレーで北島は個人の100メートルのタイムより1秒近く速い泳ぎを見せて、史上最高の銀メダルの原動力となった。北島康介というスイマーの真骨頂を見たように思える。
 

ted9aoki23 at 10:36│Comments(0)TrackBack(0) ロンドン五輪 

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