2010年07月22日

清酒学校オープン講座「銭五に学ぶ」を聞く

清酒学校の生徒荒川館長








今日は清酒学校当番です。1日、石川県工業試験場にて過ごしました。まず午前中はオープン講座です。石川県銭屋五兵衛記念館 館長 荒川勝治氏の「銭五に学ぶ」というテーマの講演を拝聴しました。
まず、銭屋五兵衛の紹介でした。
銭屋五兵衛(ぜにや ごへい)は江戸時代末期の加賀藩(石川県)を代表する豪商です。
39歳の時に質流れで手に入れた1艘の船を元手に、海運業に打って出ます。北前船という、大阪→石川→北海道の日本海側の経済拠点を船で往復する海運業です。約20年間で船200艘を有する江戸一番の海運業者に成長します。
しかし彼はけっして金の亡者ではありませんでした。一方では茶や書にも精通した風雅を重んじた文化人でありました。また私財を投げ売って藩の為、民衆の為、様々な事業を起こした社会事業家でもあったのです。
その彼ら一族が河北潟(かほくがた)干拓事業の途中、死魚中毒事件にかこつけた反対派の中傷で、捕らえられます。
お家取り潰しの上、打ち首または終身刑という重い罰を受けます。彼自身も1852年80歳にて牢死するという悲劇な最期を遂げます。
銭五をつぶす事により一体誰が得するでしょうか?それは加賀藩です。
加賀藩も他大名同様、ご多分に漏れず、藩お抱え商人である銭五から多大な借金をしていました。現在の金額で数百億円に上ると言われています。
また銭五の総資産は1兆円を悠に越したであろうと言われています。
銭五をつぶす事により借金を棒引きにし、更には銭五の資産まで奪おうという藩の企みだったと思われます。
こうしたひどい事が1850年代という、わずか150年前の日本で行われた事にショックを受けます。
その後、明治になって真相が明らかになります。でも加賀藩を引き継いだ明治政府よって何の補償もされないまま、今日に至ります。
こんな事で良いのだろうかと私は思います。
一向宗が破れ、前田利家が七尾城から金沢に上洛した日を百万石まつりの記念日としてお祝いしてます。本当におめでたい日なのでしょうか?石川県民がおめでたいのではないでしょうか?
「正しいものだけが報われるとは限らない」世の矛盾を目の当たりにし心が痛みます。

tedorigawa03k at 20:00│Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!社長の行動紹介 

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