Fortnight after the Earthquake

Two weeks have passed after 9.0-Magnitude Earthquake hit Japan. I cannot but feel so grateful for all the prayers and support to Japan from around the world. Indeed, we are facing immense challenge, but I am hopeful that we are united to overcome this difficult times.

While praying for the people suffering from cold, fear, hunger and sorrow, and sending utmost gratitude for those workers in the nuclear power plant to avoid further catastrophe, let me write a little bit about what had happened around me in Tokyo on March 11, and thereafter.

I was at my desk as usual in the afternoon of Friday, March 11. When I was talking with my colleagues at around 2:45pm, a loud siren warning earthquake rang. As we turned on the TV to gather information, it started swaying a little bit; the TV showed that there was an earthquake in Northern part of Honshu Island. With that initial information, I imagined at that moment, Tokyo was rocking slightly, reflecting an earthquake few hundred kilometers away. However, even after a while, it didn't stop quaking, and we started to feel that this is not a usual earthquake. We even felt the shake become larger and larger, the size of an earthquake which I had never experienced. We looked around, and saw the bookshelves dance, squeaking. Someone said "we should hide ourselves under the desk" (which is what we all learn in school in Japan) and I did so. It was the first time ever in my life that I indeed hid myself under the desk outside school.

When the big quake was gone, we could by that time understand that this could be an unprecedented earthquake. The old TV was not showing visual image anymore, but we could hear the TV announcer alarming for tsunami. I checked the web for more information. It was a level 5+ quake in Tokyo, and level 7 at the earthquake center. Subsequently (after we fixed the TV), TV started showing pictures from the tragic Northern cities... I could not believe my eyes... I suppose I needn't write much about what it showed, since it was broadcast all over the globe.

Within next 30 minutes or so, we started to collect documents on past earthquakes, to learn measures to tackle the situation. In the meanwhile, we also tried to contact our families either by e-mails or by telephones. Phone lines were not working, and it took time to reach each other. It was an irritating moment. I knew we had to work and get going, but I couldn't focus much.

Trains stopped that day, and everyone lost their transportation to their homes. Some decided to go home on foot (with determination that they would walk for at least couple of hours); others decided to wait until trains recover, or simply stay at the office that night. Some local trains resumed their service, but I decided to stay over with couple of other colleagues. Aftershocks came quite frequently that night. We kept on the TV to get up-to-date information, checked Internet, chatted sometimes, and took a brief rest.

It was a cold night in Tokyo. I went out several times to see what was going on in the city. It was nothing like an ordinary night: there were many people on street, heading to their homes in many groups. There were volunteers wearing bright jackets showing their will to support those who need help. There were also civil patrol volunteers. It was reported that many stores offered free space for tired people who could not reach home, or provided free Wifi, battery charge, etc. I was quietly proud of this mutual support amongst strangers.

Two weeks have passed since that day, but we still don't know the entire extent of the damage to our society. Crisis is on-going, because the earthquake triggered nuclear plant crisis which is not yet solved. Lots of people are striving to regain their life, after having lost/missing their loved ones, their cozy home, and their usual daily life. At this moment, only thing I can say is that we are determined to support those in sorrow and inconvenience; we are more than thankful for those workers fighting to stop the nuclear plant crisis, and we are touched by many support from around the world. This shared feeling is strengthening ties amongst people. Indeed, we are still in difficult times, but we are all working for, and envisioning for bright future in the now-devastating areas. And I am sure we can make it happen.

正月七日

 遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

花火 2010年は、祖母と叔母と、香港で迎えました。日本の除夜の鐘から遅れること1時間、香港ではビクトリア・ハーバー沿いで9つのビルから一斉に花火が打ち上げられました。(ちょっと暗いですが、右の写真がそのときのもの。香港政府観光局HPなども参考になるでしょうか。)

 この一週間を振り返って、今後一年の抱負を述べるとすると、今年はどうも、禍転じて福と為す年となりそうな予感。
 そもそも、前述の花火も、私たちはラッキーなことにホテルの自室から眺めることが出来たのですが、このホテル、当初予定していたホテルでなかったのです。。香港に到着してみたところ、旅行会社の現地スタッフの人とどうも話が合わない。どこかで手違いがあったようなのですが、そこは皆で「まぁ、いっか。」で異なるホテル(とはいっても同ランクで場所もすぐ近く)に行くことに。これが結果として良くって、暖かい室内で花火まで楽しめたのでした。
 更に、元旦は中国深センまでの日帰りバスツアーに参加予定だったのですが、どういう訳か、これまた所定の場所に所定の時間にいたにもかかわらず、ピックアップされず。。異常に気づいて旅行会社に電話して、他の人たちに遅れる事30分、私たちはタクシーで最寄駅(Hung Hom)まで連れて行かれ、そこから電車に乗って深センとの国境の町、羅湖(Lo Wu)へ。歩いて国境を渡ってからは、専属でめちゃくちゃ日本語が上手な中国人ガイドさんが付っきりで案内してくれたのでした。これまた結果として、自分たちのペースで観光など出来て、おばあちゃんも大満足で、とっても良かった。

七草粥 帰国してからは、やや体調を崩してしまっているのですが、今後の無病息災を祈りつつ、今朝は七草粥を楽しみました。

 今年は実は厄年なのですが、何事があっても、前向きに福と為していければなぁと思います。(←そもそもあんまり気にしていない、という話も。)

※後日追記 複数の方から、「あなたの厄年はもう終わっているはずだ」との指摘をいただきました。慌てて調べなおすと、その通り、既に今年は後厄のようで…。あまり気にせず厄年をやり過ごしてしまっていたようです。自分のいい加減さに、今回は改めて呆れてしまいました。失礼いたしました、また、ご指摘ありがとうございました。

早朝の天敵との対決。

真夜中、ふと眠りが浅くなった瞬間に耳元で蚊の音が聞こえると、飛び起きてしまう。大概の、(毒のない)虫は全く意に介さないのだけど、蚊だけは昔から、どうしても苦手である。

一旦目が覚めてしまうと、まだ周りにいることが分かっているから、うかうか再び寝ることもできない。じーっと敵の様子を伺っていると、既にやられてしまったところが痒くなってくる。思わず刺された箇所を探し、数えてしまうのは、ちょっとした癖か。

今朝はまさにそんな調子で朝の四時半に起きてしまい、あろうことか顔を刺されていたことが発覚して、無念やら、いくら熟睡していたとはいえ自分のトロさに愕然とするやら。ややショック。幼い頃、やはり蚊に顔(瞼)を刺されて、お岩さんのようになってしまったことがあったなぁと一瞬懐かしく思うも、三十路にもなる女性が顔を腫れさせているのは、我ながらまったく頂けないと思う。

そもそも蚊の侵入には細心の注意を払っていたはずなのに、なぜに部屋にいるのだろうと考えてみると、最近大分涼しくなってきて、風が気持ちよいからと日中窓を開けていたことなどが思い出される。

なかなか再び寝付ける感じでもないので、いろいろと調べていると、古典にたどり着く。

夏の夜は枕をわたる蚊のこゑのわづかにだにもいこそ寝られぬ
(『夫木和歌抄』より 後京極摂政)

「ねぶたし」と思ひて臥したるに、蚊の細声にわびしげに名のりて、顔の程に飛びありく。羽風さへ、その身の程にあるこそ、いとにくけれ。
(清少納言『枕草子』 28段「にくきもの」より)

昔の人も、同じじゃないか!ぱらぱらと読んでいると、面白い。枕草子なんて、1000年以上も前のものとは感じられない。(ちなみに、ネットを探してみると、現代語訳も沢山ある。[])

「古典」などというと、難しい、固いものと思いがちだけれども、昔も今も変わらない人の感性に気づかされ、感動。こと枕草子については、学生時代も清少納言の観察眼や表現力が面白いなぁと思った記憶があるが、いま社会人を経験して読み直すと、「そうそう!」なんて思わず同感してしまうところが増えた気がする。

あーあ、でも、こうして月曜日の朝は明けてしまった。。こんな寝不足な状態で一週間を始めたくないなぁ。古今共通の敵、いとにくし。

September 07, 2009 in 近況/四季| PermalinkComments(2)TrackBack(0)

山椒の実

山椒の実先週末、数年前に金沢で働いていた時にお世話になった方が定年退職される、ということで金沢に行ってきました。退職を祝う会は土曜の夜に能登の付け根にある民宿で開かれ、懐かしい仲間と、食べきれない程の北陸の海産物と日本酒を堪能してきました。

翌日曜日は、金沢市内にある、近江町市場に行ったりしていたのですが、自分用のお土産として買ったのが、青山椒。

パック季節の物だし、下処理だけして冷凍保存しておけば、一年を通じて使えるので、食べる度に金沢を想い出すきっかけになって良いのではないかと。小さなパックを2つ、ささやかな自分へのお土産と思ったのですが、この処理がなかなか大変だった…

そもそも、週末旅行して、日曜の夜になぞ帰ってしまうと、できるだけ早く生ものの処理はした方が良いことは分かっていても、日曜はさすがに体力的にも限界で、、。平日は仕事やら何やらで結局触れられず、ようやく、一週間近く経った今日になって、ずっと気に掛かっていた下処理ができたのでした。

処理後早速作業をしてみると、実についた茎(?)を取る作業が結構時間がかかったので、ほんとこれ以上買わなくて良かったと思った。

1時間余りも山椒の実と格闘していると、辺りはすっかり爽やかな山椒の香で一杯になって、また山椒から茎を取る以外にすることもないから、とっくに忘れていたような昔のことを思い出しました。

幼い頃、私が住んでいた宿舎の裏には、大人の背丈程の山椒の木があって、時々母と、葉っぱや実を取りに行った事。山椒の木には、えらく固く、尖った棘が生えていたこと。思い出に残っている山椒の葉や実は雨に濡れた後が多かったから、その記憶はやはり梅雨が近くなる今頃のことだったのだろう、ということ。

かなり面倒な作業ではあったけど、ふと懐かしい思い出が蘇ってきたのは、思わぬ副産物。ちょっと儲けた気分でした。

湯がいてあく抜きを済ませた山椒は、早速少し使ってみて、残りを小分けして冷凍保存すると共に、取り外した茎、混じっていた葉と、実の一部はぬか床に投入。長く、香りを堪能したいと思いました。

季節感と子供の頃の思い出

Halloween 1週末、むか〜しからの友人の家に友達と遊びに行っていました。4ヶ月になる彼女の子供に会うのも主目的のひとつ。

8月にも遊びに行っていたので、赤ちゃんに会うのは2ヶ月ぶりだったのですが、子供の成長の早さには本当に驚かされました。身体が一回り大きくなっているだけではなくて、表情も出てきて、前回はまだ見ることがなかった笑顔を見ることができました。ニコッとされると親でなくても「ラブリ〜!」という気分になって、もっと笑ってもらおうと努力しちゃったりします。外見だけではなく、寝返りをうてるようになっていたり、原始的発声(?)みたいなのが見られて、2ヶ月という間に随所に変化が出てきていることに気づかされました。

あと、子供用玩具を見ていると、古くからあるものと新しいものの両方があって、自分の幼少時周りにあったものを思い出しました。絵本もぬいぐるみが挟めたり、音が出たりと色んな工夫がされていて、最近のおもちゃって色々な種類があるんだなぁと感歎の声を上げていたら、友人が「でも、せんせいみたいな昔からのもあるよ」と。「せんせいって何?」と聞くと、「昔いくこの家にもあったじゃない。おえかきして消せるボード」と。ああ、確かに昔あった!と数年ぶりにおえかきせんせいが何たるかを思い出しました。。(友人の記憶力に感服。)

ところで、友人と友人の子供に会いに行ったものの、予想外に感銘を受けたのは、家中ハロウィンの装飾がなされていたこと。お母様が半ばご趣味でされているということではあったけれども、照明にしろ、ちょっとした小道具にしろ、とっても凝っていて、3年前にボストンですごいなぁと思ったおうちや子供の頃のハロウィンの思い出が蘇ってきました。ハロウィンでもクリスマスでも、小さな頃の記憶ってどこかに焼きついていて、何かをきっかけにして溢れ出てくるものだと思うので、こうした季節感が感じられるおうちであることって、子供にとっても大人にとっても素敵だなぁと思いました。

Halloween 2ということで、色々と感動したので本当に久しぶりにブログの更新。

Happy Halloween!