2012年02月09日

観覧車とは関係ないのだが、久しぶりにいいノンフィクションを読んだので、感動の冷めないうちに書きとめておく。どちらも著者が出合った「謎」を解明する経過を綴っている。もっと知りたい、なんとか解き明かしたいという著者の熱意が伝わり、またテーマのおもしろさも相まって一気に読了した。2冊とも日本経済新聞の読書欄に紹介されていた。

写真の裏の真実0081冊目は『写真の裏の真実』(岸本達也著、2011年・幻戯書房刊)。著者は静岡放送の報道記者だ。この本に書かれたことは、2009年5月に「SBSスペシャル 日本兵サカイタイゾーの真実」として放送され、日本民間放送連盟賞や文化庁芸術祭優秀賞など、数々の賞を受賞した。

私はこの放送を観ていないが、本でも十分におもしろい。こう言うと、映像専門記者の岸本さんに怒られそうだが、もしかしたら、観るより読んだほうがおもしろかったのでは、と思ってしまうほどだ。岸本さんにとってペンは専門でないが、歯切れのいい文章で、ぐいぐいと最後まで読み手を引っ張る筆力がすばらしい。本のあらましは次の通り。

はじまりは静岡新聞に掲載されたある記事だった。それは1枚の写真のはなしである。太平洋戦争の末期、激戦の舞台となった硫黄島で、アメリカ兵がある日本兵捕虜から1枚の写真を託された。アメリカ兵はすでに他界したが、その息子が父親の意思を継ぎ、写真を日本兵の家族に返還したいと申し出たと報道していた。
岸本さんはその記事に興味を持ち、調べ始める。名前も住所もわかっていたので、消息はすぐに判明するはずだったのに、意外にも調査は難航する。岸本さんは何度も東京へ出かけ、またアメリカへも足を運ぶことになる。

日本兵のサカイタイゾーはどうして自ら進んで捕虜となったのか、またなぜ偽名を使ったのか? 敵兵だったアメリカ兵に写真を託したことも含めて、謎だらけなのだ。著者は1つ1つの謎を解いていくのだが、「エピローグ」での「どんでん返し」に、読み終えてからしばらくはボーっとしてしまった。なぜか、以前に読んだ『下山事件─最後の証言』(柴田哲孝著、祥伝社刊)を思い出した。どちらも戦後の日本の「闇」を描いている。結末を書くのは「推理小説」に反するので、気になる人は『写真の裏の真実』をお読みください。

どりこの0012冊目は『伝説の「どりこの」』(宮島英紀著、2011年、角川書店刊)だ。こちらはもう少し気楽に読めた。
著者の宮島英紀さんはルポライターで、2003年に東京・田園調布の住宅街でたまたま見つけた、「どりこの坂」という名称に興味を持つ。「どりこの」というのは、昭和の初めに日本を席巻した、さわやかな香りと甘露の味がする栄養豊かな飲料水なのだそうだ。

実は飲料水が普及した裏には、当時の講談社の、社長をはじめとする社員一同の奮闘努力があったという。この本がどうして角川書店から刊行されたのかと思うくらい、創成期の講談社に関する逸話がいっぱい出てくるが、別に講談社の宣伝ではなく、どりこのを解き明かすのには欠かせない存在だったからだろう。なぜ講談社がどりこのと関係があったのかは、これも『伝説の「どりこの」』をお読みください。

著者の宮島さんは8年もかけてどりこのを追い、本書にまとめたのだが、その過程が実におもしろい。「知りたいというシンプルな衝動にいつも突き動かされて、仕事だとは一度も思わなかった」という。これがノンフィクションの原点であり、醍醐味なのだろう。それは上記の『写真の裏の真実』にも通じる。どちらも「お勧めの1冊」で、私もいつか、こんな本を書いてみたいと思った。



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2012年02月04日

浅草松屋絵はがき003浅草松屋絵はがき001久しぶりにヤフオクで買いものをした。最近はアメリカのネットオークションサイトのイーベイやヤフオクで散財していない。あまり欲しいものがないからだ。すでに所有しているものが多い。もうかなりつぎ込んだもんね(笑)。
そんななかで、久しぶりにそそられたのが、浅草松屋の袋入り絵はがきだった。建物全景、売り場、屋上風景の3葉が納められていた。はたして落とせるのかとドキドキしたが、そこそこの値で入手できたのは幸いだった。
右はそのうちの1葉で、今回の主目的だった絵はがき。左は観覧車部分を拡大したもの。

浅草松屋絵はがき004次に、この袋入り絵はがきの年代を推定してみた。
左の3枚は浅草松屋百貨店の全景。今回、袋に入っていたのはまん中の絵はがきだ。あとの2枚は以前から所有していた。一応、年代順に並べた。これであっていると思うのだが。

上:昭和6年(1931年)から戦前までに発行されたと思われる絵はがき。
屋上には昭和6年に設置されたスポーツランドの娯楽の一つ、ロープウェイの「航空艇」が見える。建て物が白いので、一番新しく見えるが、これは百貨店が新装開店して間もない頃だからだろう。店名の表示が「屋松草浅」と、右書きになっている。スポーツランドは日本の娯楽業界のパイオニアの1人だった遠藤嘉一(日本娯楽機製作所)が開園した。

中:今回、袋に入っていた1葉。
なんだか薄汚れていて、これが一番古そうに見えるが、店名は「浅草松屋」と左書きだ。手前の家々が上の絵はがきよりお粗末なのは、戦後まもないせいか。屋上には観覧車が見えるだけだ。
戦後、スポーツランドが完全に復興したのは昭和23年(1946年)だった。『遊園地の文化史』(自由現代社刊、中藤保則著)によると、昭和24年には屋上に複式飛行塔が、また25年には、スカイクルーザーが設置されている(下の写真参照)。このことから飛行塔が一番に設置されたと思っていたが、じつは観覧車のほうが早かったことが、この絵はがきで判明した。

下:これは絵はがきではなく、『松屋百年史』に掲載されていた写真。
スカイクルーザーは昭和25年から昭和35年まで屋上にあったので、この写真もそのあいだの、いずれかの時期に撮られたものだ。スカイクルーザーのことは拙ブログ「『東京暗黒街─竹の家』のスカイクルーザー」で説明済み。

浅草松屋絵はがき005浅草松屋絵はがき006「中」と「下」の観覧車部分を拡大してところ、2基は少しデザインが異なるようだ。新旧入れ替えたのか、一部をリニューアルしただけなのかは不明。
左が「中」で、右が「下」に写っている観覧車。右の観覧車の回転輪には、左の観覧車にはない赤い内輪が見える。

浅草松屋絵はがき袋001浅草松屋絵はがき002左は絵はがきの入っていた袋。松屋のシンボルマーク、鶴と松葉が絵が描かれている。
右は売り場風景。「トリコット製品」という名称が懐かしい。

浅草松屋絵はがき007←「上」の写真にも写っていた「航空艇」の絵はがき。
屋上の両端を往復した。当初、道路と隅田川を越えて対岸まで往復する構想だったが許可が得られなかった。次に建て物の周囲を一周する計画に変更。これも建物からの支柱に問題があり、結局、建物の両端を往復する案に落ち着いたという。(『松屋百年史』より)

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2012年02月01日

不定期だが、ネットで世界の観覧車の情報を集めている。今回見つけたのが、フィンランドの「HELSINGIN SANOMAT INTERNATIONAL EDITION」の中の記事だ。ヘルシンキにあるリンナンマキ(Linnanmäki)遊園地で、イタリア製の観覧車を建造中という記事だ。(ただし記事は2006年現在のもの)。原文を読みたいひとはココをクリック。要約すると次の通り。

ヘルシンキで人気のリンナンマキ遊園地に、現在、新しい観覧車が建設されている。1964年からあった古い観覧車に代わり、イタリアの遊戯機械製造会社「テクニカルパーク(Technical Park)」社製の観覧車が設置される。テクニカルパーク社はイタリアのボローニャの北部の都市、メララ(Melara)にある、創業して25年になる会社だ。ブルガリアのソフィア、ギリシャのアテネにも観覧車建設の実績がある。

新しい観覧車は高さ34メートル(記事の原文では高さ75メートルになっているが、実際は34メートル)で、24台のゴンドラが付き、現在ある古い観覧車よりも11メートルも高く、フィンランド一の大観覧車となる。新しい観覧車の名前については公募中だが、すでに1万5千件のアイデアが寄せられている。開業の予定は4月28日。古い観覧車はスクラップにはならず、KouvlaにあるTykkimaki遊園地(クリックするとすぐににぎやかな音楽が流れるので、要注意)に移設される。

2006年の記事なので、新観覧車はすでに6歳になっている。昔の記事がネット上にそのまま残っていたのだ。現在の遊園地のサイトを観ると、観覧車は「Rinkeli(「ツイスト」という意味らしい)」と言う名前が付いていた。ココをクリック。またザンベーラ社製のワゴン型観覧車も設置されていることが判明。「Vankkuripyörä」(読み方も意味もわからず)というそうだ。ココをクリック。ただし、営業は夏だけのようなので、行きたい人は事前に確認すること。

トイザラスこれ!またもイタリアの遊戯機械製造会社の名前が現われた。ザンペーラ、SBFに続き3社目だ。「テクニカルパーク」とはどういう会社なのだろう。
そのHPによると、テクニカルパーク社は1980年に創業し、当初は子供向けの遊戯機械を製造していたという。現在はアメリカ、カナダ、ロシア、ヨーロッパなど、世界中に基点を持つ国際的規模の会社で、日本では京都に基点がある。もちろん観覧車もたくさん製造している。そのリストの中に、ニューヨークにあるトイザラスの旗艦店の観覧車が含まれていてびっくり! 以前に乗ったことがあり、どの会社がつくったのか、長いあいだ疑問に思っていたのだ。

そこで、京都にいるセールスマネージャーのロバート・クーパーさんにメールを出し、いろいろと話を伺ってみた。クーパーさんの話によると、残念ながら、日本には同社の観覧車はなく、他の乗物が日本の遊戯会社を通じて設置されているそうだ。一方で、今年サッカーの大会があるウクライナの新しいパークに、55メートルの観覧車を設置、またロシア領のカリーニングラードにも、高さ45メートルの観覧車を設置するそうだ。「北イタリアに行く機会があれば、会社内の見学ができるよう手配するから、いつでも言ってね」と親切な言葉に感激! まだまだユーロ安が続きそうだし、今年はイタリアに行こうかな(笑)。



tenbosenkaisha at 12:15コメント(2)トラックバック(0)世界の観覧車 この記事をクリップ!

2012年01月29日

東京産業文化博覧会001東京産業文化博覧会002NHK総合番組「こんにちは、いっと6けん」が放送されてから1週間が経った。特集を担当した大久保彰絵リポーターの話しによると、視聴者から好意的な意見が届いているとのこと。みなさんが楽しんで観てくださったようで本当によかったと、喜びを分かち合った。私の周囲では、あらかわ遊園に行ってみたいという感想が多かった。町中にある観覧車に親しみを感じたという。

『たくさんのふしぎ─観覧車をたずねて』(福音館書店刊)のテーマも、「私の町の観覧車」だった。観覧車のある町に育った子供にとって、観覧車は「心のふるさと」なのだ。この絵本が台湾で出版されることは、すでに拙ブログでもお知らせしたが、先日、福音館書店から契約の覚書が届いた。それによると、中国語版の出版をするのは、Alfa International Publisherという、世界的規模の出版社で、翻訳された本は台湾だけでなく、あらゆる中国語圏の国(中国を除く)で発売されるそうだ。シンガポール、マレーシア、香港、マカオなどが思い浮かぶ。これらの国々では、近年、観覧車の建設が盛んだから、きっと興味を持って読んでもらえることだろう。

さて、表題の話しを始めよう。
東京都北区にある昭和鉄工からいただいた「納入一覧表」には、昭和20年代に同社が納入した遊戯機械の一覧が記載されている。昭和鉄工は、名古屋三越の屋上観覧車や丸広百貨店(川越市)、東急蒲田の屋上観覧車などを製造した会社だ。一覧表のなかで、気になる1基があった。それは昭和25年7月に神宮外苑に納入されたもので、高さが6.5メートル、2人乗りのゴンドラが9台付いた、小さな観覧車だ。この観覧車のことは、まだなにも判明していないので、次の機会に回したいが、同年の5月には、神宮外苑に近い新宿御苑に、飛行塔、象乗り、サークリング、豆自動車、ロータリチェア、豆汽車、児童木馬などの遊戯具が納められた。リストに観覧車は含まれていない。

実は当時、新宿では「東京産業文化博覧会」という地方博が開催されていた。その余興の1つとして新宿御苑で遊園地が開催された。会期は4月から6月末までの3カ月間だった。ひょっとしたら、このとき観覧車も設置されていて、それが博覧会終了後の7月に、神宮外苑に移設されたのではと仮説を立て、博覧会を追ってみたのである。

会場は歌舞伎町、新宿御苑、新宿西口の3カ所に分かれた。歌舞伎町の会場として設置された建て物が、後の東京スケートリンク(現ミラノ座)、新宿オデオン座になったという。東京では戦後初の博覧会ということもあり、新宿区にとっては記念すべき博覧会だったのだが、その割には資料が残っていない。国会図書館、都立図書館、新宿区中央図書館などでもあたってみた。資料らしきものは、新宿区中央図書館が所蔵する「週刊・新宿新報」(昭和23〜25年)くらいだった。毎日新聞社後援とあるのに、毎日新聞には博覧会のことは、ほとんど掲載されていなかった。唯一見つけた記事は、「上野動物園からゾウを博覧会に借り出した」というベタ記事だった。なぜだろう。疑問は読売新聞の記事(昭和25年7月10日付け)で解けた。記事の概要は次の通り。

交通の便はいいし、山の手随一の繁華街、新宿を会場としたので、主催者(社団法人・都市復興協力会、会長は町会長の鈴木喜兵衛氏)はきっと当たると思い、東京都や各官庁も大いに賛意を示し、名誉総裁に吉田茂首相まで担ぎ出したのだが、結果は入場者が少なく、赤字に終わってしまった。税金も払えず、役員関係者は逃げ惑うばかり。大金を貸した銀行は困り果てるし、事務局には電気工事人や印刷屋など、債権者が押し掛けた。また事務員や守衛など、スタッフにも給料が払えずじまいというありさまだった。

こういう経緯だったので、博覧会終了後に、博覧会をまとめた記念冊子をつくるおカネも余裕もなかったのだろう。資料が残っていないのは当然のことかもしれない。そのせいかどうかはさだかでないが、遊園地は東京都との交渉結果、昭和28年まで新宿御苑で運営を続けたという。で、肝心の神宮外苑の観覧車についての調査は進展なし。

参考資料
『遊園地の文化史』(中藤保則著、自由現代社刊)
『新宿時物語─新宿60年史』(平成19年、新宿刊)
「新宿新報」
『新宿観光協会創立25周年記念誌─新宿・世界の繁華街』(昭和55年、新宿観光協会刊)

左の写真は「新宿新報」(昭和25年2月25日付け)
右は「新宿新報」(昭和25年4月25日付け)より。新宿御苑にあった遊園地の豆自動車。


tenbosenkaisha at 13:56コメント(0)トラックバック(0)懐かしの遊園地 この記事をクリップ!

2012年01月23日

CIMG6686CIMG6726延期になっていたNHK総合番組「こんにちは、いっと6けん」がようやく本日、放送されました。ご覧になってくださったみなさん、ありがとうございます。テレビで自分を観るのは恥ずかしいもんです(笑)。我ながらトシをとったな、と感じました。ま、リタイアしてもうすぐ5年なので、こんなもんかと(笑)。

ロケした日がすべて晴天で、観覧車がきれいに撮れていたのがなによりでした。お世話になったカメラマンの江崎さん、音声担当の白鳥さん、それに観覧車を取り上げてくださったレポーターの大久保さん。みなさん、どうもありがとうございました。そのときに、私が撮った撮影風景をアップしました。

CIMG6682CIMG6683撮影部隊は2人だけでした。腕のいい職人みたいなカメラマンの江崎さんと、音声担当の白鳥さんです。江崎さんは、NHKの人気番組「ふれあい世界街歩き」など、海外の旅番組もたくさん担当されています。今回の撮影終了後も、すぐにスペインに出張とのことでした。
番組ではあっというまに終わっていますが、浅草花やしきだけで、撮影に半日は費やしています。

CIMG6715CIMG6734横浜コスモワールドでの撮影は、日が暮れてからも続き、とても寒くて震えあがりました。でもイルミネーションがきれいで、私もおもわずパチリと撮りました。
右は、国営ひたち海浜公園の地上絵です。今月の29日まで公開されているそうです。番組が延期になったため、茨城県にお住まいの方にも、この特集を観ていただけてよかったです。お世話になった海浜公園と遊園地のスタッフのみなさん、ありがとうございました。

番組を観て、お立ち寄りくださったみなさん、どうもありがとうございます。
このブログは2008年3月からスタートしました。観覧車に関するいろいろな話題を発信しています。最初は、左側のバーのなかにある「categories」のなかから、興味のある項目をクリックしていただくと、おわかりになりやすいと思います。

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2012年01月20日

延期になっていたNHK総合テレビ番組「こんにちは、いっと6けん」中のコーナー、「人生わたし流─観覧車に魅せられて」は、23日(月)午前11時から放送されることが確定しました。今回は、番組の前半に放送されますので、お見逃しのないように。大きな事件が起きないことを祈っています。番組の詳しい情報は、ココをクリックしてください。

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2012年01月19日

内閣改造人事の発表で、延期となっていたNHK総合テレビ番組「こんにちは、いっと6けん」中の「人生わたし流」のコーナーですが、現在、23日(月)11時からで調整中とのことです。確定しましたら、すぐにお知らせいたしますので、今しばらくお待ちください。方々からお問い合わせいただき、こんなにたくさんの方に観ていただけるのかと、うれしいような、恥ずかしいような気持ちです(笑)。
前回出演した「美の壺」と比べると、10倍くらいは出番があり、それなりにセリフも多いです。ところが、なかなかうまく話せず、NGが多くて、10回くらい同じことをしゃべりました。表情もどうしても硬くなりがちで、芦田愛菜ちゃんと同じアカデミーでも通って、笑顔づくりの勉強をしなければと思ったくらいでした(笑)。

ところで、前回お話しした「宝塚ファミリーランドのミゼット&観覧車」ですが、さきほど、当時、宝塚ファミリーランドで遊戯機械担当の係長をしておられた小川清さんに電話でお話しを伺いました。小川さんは閉園となったエキスポランドの元相談役も務めておられました。小川さんは「おとぎバス」のことをよく覚えておられました。なんでもミゼットMPはハンドルが丸型(以前は自転車のハンドルみたいだった?)になったので、運転しやすかったそうです。園内には2台あり、また背後に映っている観覧車は、やはり岡本製作所のもので、委託で営業していたとか。小川さんにとっても懐かしい写真だそうです。

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2012年01月16日

201112310062011123100713日(金)に予定されていたNHKのテレビ番組「こんにちは、いっと6けん」は延期となりましたが、いまのところ、いつの放送になるのかは未定です。
番組のほとんどは収録で構成されているので、中止になったコーナーが入り込むには、現在予定されている番組を変更しないといけないはず。しばし調整が必要なのでしょう。決まり次第、またブログでもお知らせします。

さて上の写真は、噴水研究家の松崎貴之さんからいただいたもの。「週刊文春」(昭和35年4月18日特大号)に掲載されていた、ダイハツ・ミゼットの広告。場所は兵庫県にあった大遊園地「宝塚ファミリーランド」だ。それまで宝塚にあった動物園、遊園地、宝塚劇場などは個々の名称で呼ばれ、また通称としてそれらを総称して「宝塚」と呼ばれていたのが、昭和35年に「宝塚ファミリーランド」という統一した名称になった。昭和35年は記念すべき年だったのだ。

ミゼットだが、ダイハツが昭和32年(1957年)に開発した三輪車のトラックである。昭和34年10月、「MP」というミゼットの新型を発売した。それが写真にあるミゼットだ。車の鼻の部分が、新幹線の車両のように流線型になっているのが、新型の特徴。このミゼットに乗客用の車両を付け、「おとぎバス」と名づけて遊園地内を走らせたのだ。ミゼットは軽自動車免許で乗れる、当時としては画期的な運搬車で、テレビのバラエティー番組で人気者だった大村崑が「ミゼット、ミゼット」と連呼したCMで有名になった。わが家は大阪の下町にあった小さな電気屋だったが、確かミゼットも使っていた気がする。

肝心の観覧車を見よう。
宝塚にはスカイフープという、4輪を持つ変形観覧車が設置されていたことで有名だ。スカイフープが設置されたのは昭和39年のこと。それにさきがけた昭和36年には、別の観覧車がすでに建設されていて、上記の「スカイフープ」を紹介したブログにも写真を掲載している。もう一度確認したい人はココをクリック。
とすれば、昭和35年の雑誌に掲載された観覧車は、宝塚の初代?の観覧車なのかもしれない。『遊園地の文化史』(自由現代社刊、中藤保則著)の宝塚の章をみると、昭和27年4月に設置された遊戯機械のリストのなかに観覧車が含まれている。おそらくその観覧車が写真のものと思われる。製造会社は確かなことはわからないが、岡本製作所が早くから宝塚に遊戯機械を納めていたので、岡本製かもしれない。

なお、掲載されていた「週刊文春」も1周年記念号とあるから、昭和30年代は多くの大衆文化が花開いた時代だったのだろう。ところで、表紙の女優さんだが、見覚えがあるのだが、名前が出てこない。最初、星由里子さんかと思ったが、年代が合わない。誰だろう。ちょっと気になる。
写真を提供してくださった松崎さん、いつもありがとうございます。



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2012年01月14日

CIMG6763CIMG6758一昨日(12日)、川越市に出かけた。NHK総合テレビの番組「こんにちは、いっと6けん」で使用する観覧車の写真を探していたとき、川越市にある丸広百貨店の屋上観覧車の写真がないことに気がついた。
数年前に同市を訪れ、古い街並みとともに、屋上観覧車の写真も確かに撮っているのだ。それがどのファイルを探しても出てこない。このブログでも検索したが、どこにもアップしていない。おそらくブログ開設以前に撮ったと思われる。それがパソコンを買い換えたとき、移し損ねたのか、どこかのファイルのなかに紛れてしまったらしい。今どうしても必要というわけでもないのだが、丸広百貨店の観覧車は、蒲田東急プラザのと並び、現在では全国で2基しか現存しない、貴重な屋上観覧車なのだ。撮っておかねば。

CIMG6774CIMG6776わが家から川越市までは、電車で1時間ほど。それほど大変な距離ではない。しかもその日は、観覧車日和とも言える晴天だった。
観覧車のある「わんぱくランド」は、7階屋上部分にある。観覧車以外に、豆汽車やモノレールなど、子供向け遊戯機械が揃っていた。観覧車の乗車賃は300円。数分で1周する。高さ11.7メートル、直径が8メートル。「わんぱくホイール」という名前が付いている。蒲田東急プラザの観覧車「グレ太の観覧車フラワーホイール」よりはひと回り小さい。
(左の写真は、図書館近くで見かけたレトロな教会。右は川越市立中央図書館)

丸広百貨店観覧車002丸広百貨店観覧車001観覧車に乗ってみた。8台ある各ゴンドラは、それぞれがゆっくりと水平に回転し、回転し終えたころに、観覧車も垂直に回転を終える。同時に縦と横に回転しているのだ。観覧車は小さいが、建て物の高さがプラスされるので、眺望もいいしスリルもある。でも、あっと言う間の1周だった。3周くらいはしてほしい気がする。
(写真は『川越物語』より。左の写真は、観覧車部分を拡大したもの)

丸広百貨店観覧車003丸広百貨店観覧車004丸広百貨店、東急プラザの観覧車は両基とも、最初に製造したのは昭和鉄工だった。文化財に指定されている、名古屋三越の屋上観覧車を製造したメーカーである。その後、豊永産業によって現在のかたちにリニューアルされた。
最初のかたちに興味があったのと、その歴史の一端を知りたいと思い、川越市中央市立図書館を訪れた。2階にある郷土史のコーナーで、丸広百貨店の社史『株式会社 丸広百貨店創立50周年記念誌』(平成11年発行)と、川越商工会議所100周年記念誌である『川越物語』(平成12年発行)を借りた。そうして2冊の本のなかに、当時の観覧車の写真を発見した。
(左の写真は、『株式会社 丸広百貨店創立50周年記念誌』より。右は丸広百貨店の屋上部分を拡大したもの。中央に1基と手前のビルの屋上に1基の観覧車が見える。手前が丸広百貨店)

丸広百貨店の社史によると、丸広百貨店は昭和43年に増築工事が行われ、10月8日に改装オープンした。そのとき、屋上にプレイランドとゲームセンターも設置された。観覧車はプレイランド開設時からあったようだ。写真で見ると、城壁のような形をした台座の上に設置されていた。現在の観覧車と同じ位置ではないようだ。いつの時点でリニューアルされたのかはわからない。東急プラザと同様に、現在はナムコによって運営されている。

イt−ヨーカドー観覧車001ここでもう1つ大きな発見が!
丸広百貨店の社史にあった航空写真に、もう1基、屋上観覧車が写っていたのだ。図書館のスタッフの方の話によると、これはイトーヨーカドーの屋上だという。最初は像があまりに小さすぎて、観覧車とは断定できなかった。それに川越市にずっとお住まいという図書館の方も、イトーヨーカドーの屋上に観覧車があったかどうか、覚えておられなかった。ところが帰宅後、ネットで検索したら、いくつかのブログで、川越市のイトーヨーカドーの屋上に観覧車があったと書かれていた。やはりこれは観覧車だったのだ。イトーヨーカドーが本川越の駅前に開業したのが、昭和42年11月だから、そのときに観覧車も設置されたのだろう。こちらの観覧車は、いつの時代かは定かでないが、すでに撤去されている。
(写真は、中央のビル、イトーヨーカドーの屋上部分を拡大したもの)



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2012年01月13日

さきほど、NHKの担当者から連絡がありました。やはり内閣改造人事関連のニュースを放送するため、「こんにちは、いっと6けん」のなかの、「人生わたし流─観覧車に魅せられて」のコーナーは、本日は放送されず、延期となったとのことです。また放送日が決まり次第、お知らせします。もし録画予約されていたら、誠に申し訳ありません。

なお茨城県では、通常、11時半から独自の地元の放送があり、11時35分から始まるこのコーナーは、放送されていても、観ていただけなかったのですが、放送日が変更になったことにより、コーナーの時間が番組の前半に繰り上がり、観ていただけるようになりました。その点はよかったのですが、やっぱりちょっとがっくりです。ブログを見ていただいていないひとは、事情がわからないので、「なんだ、こりゃ?」と思っておられるでしょうね。仕方がないとはいえ、本当に申し訳ありません。

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