2021年09月26日

先日のブログ「編⊃声劼痢慇転大運動車』」(2021年9月14日)で、編⊃声劼法崟転大運動車」を設置し、興行したのは、実業家の熊谷平三さんだったことをお伝えしました。その後、熊谷平三さんについて調べていて、明治期に2人の熊谷平三さんがいたことが判明しました。ほぼ同時期だったので、同一人物かもしれないと、少し追ってみました。

最初の熊谷平三さんは、前回にお知らせしたように、食肉市場株式会社、国民貯蓄銀行、中外火災保険株式会社などの取締役を務めた方です。新たに判明したところでは、明治23(1890)年に、東京火災保険(後の安田火災、現在の損保ジャパン)の社長代理であり、また明治26(1893)年には、「職工生命保険会社」の初代社長にも就任しています。職工とは工場労働者、いわゆるブルーカラー向けの保険でした。現在でいうところの労災関係でしょうか? 熊谷さんは、主に保険業界を渡り歩かれていたのだと思われます。

もう1人の熊谷平三さんは、茨城県水戸市の出身で、『改正茨城県違警罪全書』という本の著者として、グーグルで引っかかりました。1851年生まれですから、明治以前の、嘉永3年か4年ですね。
もしかしたら、茨城県では有名人かもと思い、茨城県立歴史館にお尋ねしました。
歴史館の回答の要旨は次の通りです。
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『茨城県史研究』31号(昭和50.3)「明治初期の水戸における熊谷平三と熊谷成三」(手塚豊)によれば、平三は明治9〜12年の間、水戸裁判所本庁民事課に在職しており、退職後は民権運動に傾倒した。明治14(1881)年には水戸新聞を創設し、政治結社・真愛会を結成、また同年に新鳥見町で代言人を開業した。
明治15年の債務弁済裁判において代言人の免許返納を命じられた後、平三は水戸から東京に上京し、銀座に鳩居堂(京都姉小路にある筆墨商。平三は八代当主熊谷直行の弟)の支店長となっている。その後は広島に転居したとあるが、詳細はわからない。
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以上の経歴で判断すると、編⊃声劼亡冤車を設置した熊谷平三さんとは、同姓同名の別人だと思われました。

それにしても、保険会社の重役を歴任した熊谷平三さんが、どうして編⊃声劼粘冤車を興行したかは謎のままです。
靖国神社の観覧車は、当初、4月15日から5月15日の期間での興行を申請していましたが、その後、興行延長を申請をし、受理されて6月15日まで興行しました。

参考文献 ネット保険毎日新聞「みちくさ保険物語」029
     渋沢栄一社史データーベース


2021年09月21日

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cameron's book
写真のマグボトルは、きょう購入したお気に入りのマグボトル2本です。

本を運ぶクマさんは、米国・オレゴン州の州都、ポートランドにあった古本屋のロゴ。
1938年に創立の、ポートランドで一番古い、人気の古本屋でしたが、残念なことに2021年4月に閉店しました。コロナ禍のせいですかね。コロナ禍が収まったら、一度、訪ねたかったので残念。こんなかわいいクマさんを描いた画家さんの話も聞いてみたかったです。

ミルクビン型のボトルは、以前も同じものを持っていたのですが、ジムで紛失してしまい、結局、出てきませんでした。とても気に入っていたので、ネットで新品を探したのですが、ミルクビン型は見つかりませんでした。代わりに、同じロゴが描かれた、ステンレスボトルをアマゾンで購入しました。

ミルクビン型は、ロフト梅田店で探してもらい、アベノ店に残っていたのを取り寄せてもらいました。見つかってよかった。

「本を運ぶクマさん」グッズには、他にマグカップやバッグ、クッションやエプロンなど、多種あったようです。どんなグッズがあったか、見たいひとはココをクリック。みんなとてもかわいいです。赤いエプロンが欲しいですね。2017年の記事なので、もうすべて完売済みです。

一番上の写真に写ったデニム製のバッグは、サンドイッチなどを入れるランチバッグです。これはメルカリで。
牛乳パックはボトルが入っていた収納箱。
一番下の写真は、閉店したCameron's Books。

ステンレス製のボトルですが、アマゾンのが他店の半額くらいです。1690円。残りあと1本。欲しい方は今すぐゲットしてください。
ミルク型ボトルが気に入った方は、お近くのロフトで尋ねてみてくださいね。

tenbosenkaisha at 22:39コメント(0)身辺雑話 

2021年09月16日

NHKテレビの人気連続ドラマ「青天を衝け」のなかでは、篤太夫こと渋沢栄一さんは、まだ青年期ですが、東京勧業博覧会が開催された明治40(1907)年ではすでに67歳。大出世して男爵の称号を授与され、数多くの企業の代表も務めていました。

東京・上野で開催された東京勧業博覧会では、経営する会社の一社である東京瓦斯株式会社が瓦斯館を特設したので、博覧会初日に、出品者を代表して祝辞を述べています。このとき、観覧車はまだ回転していませんが、客車数台が取り付けられた未完成の姿を、栄一さんもご覧になったかもしれません。

博覧会が開催中の明治40年6月10日に、パリで日仏協約が締結されました。政治的な背景説明は省略しますが、これを記念して7月12日に、東京で祝賀会が開催されました。場所は博覧会場内の貴賓館と演芸場です。

渋沢栄一記念財団が運営するデジタル版「渋沢栄一伝記資料」中の「日仏協約祝賀会」を読むと、渋沢栄一さんや、東京市長の尾崎行雄さんらが発起人となって開催されました。「青天を衝け」でのパリの活躍を見ると、フランスへの肩入れは当然のことでしょうね。

正確には数えていないのですが、祝賀会の会員数は数百名で、平均して拾円の会費を払っています。尾崎さんは百円、栄一さんは五拾円でした。会費ではなく、寄付として、東京瓦斯株式会社が壱百五拾円、東京電灯株式会社が壱百参拾円を払っています。明治40年当時の公務員の平均月給が五拾円でした。(『値段史年表─明治・大正・昭和』より)
とすれば、お金持ちの栄一さんにとっては、それほどの大金ではありませんね。一般会員の会費、拾円もたいしたことありません。会員にしてくれたら、私でも払える額です(笑)。
会員のドレスコードは、「フロツクコート」と「シルクハツト」でした。奥さん同伴とありますが、女性陣はどんな服装で出席したのでしょうね。男性の服装はこのブログの写真を参考にしてください。

会員名簿のなかに、竹の台に観覧車を設置した興行師の田中嘉藤治さんの名前がありました。拾円です。編⊃声劼亡冤車を設置した熊谷平三さんが取締役を務めた日本家畜市場会社の名前もありました。やはり拾円です。熊谷さん自身の名前はありません。なお日本家畜市場会社ですが、明治26(1893)年に株式会社として設立されています。(参考文献:『食肉の部落史』)
会員としてリストに挙がる会社はそれほど多くないので、当時の有力企業の1社だったのでしょう。

熊谷さんは、田中嘉藤治さんや渋沢栄一さんともお知り合いだったのかもしれません。宴会場で顔を合わせ、「お宅の観覧車の客入りはどう?」「渋沢さん、一度、乗りに来てよ」なんて会話も、交わされたかもしれませんね。

2021年09月14日

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上記の写真は『風俗画報』364号(明治40年6月10日)より。

過日、編⊃声辧Ω禰宜(ごんねぎ)の野田安平(のだやすひら)さんから、拙ブログに問い合わせのメールをいただきました。野田さんは現在、社史編纂関係の仕事をされています。

お問い合わせの要約は次の通りです。
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『Smart FLASH』の記事を見たという方から、明治40年5月に、靖國神社境内に観覧車が設置されたことについての問い合わせがあった。そのとき初めて、編⊃声劼龍内に観覧車が置かれたということを知った。
(『Smart FLASH』の)写真の観覧車の向こう側に、「偕行社」の建物と、その右手には境内東端の大石燈籠もわずかに見えるので、記事の説明にある通り、九段坂を上り、境内に入ってすぐ左側に設置されたもので間違いないと思われる。

観覧車を架設した興行主をご存知なら教えていただきたい。(神社の所蔵する)「臨時大祭写真帳」には、この観覧車が写っていない。
靖國神社は明治初年から、サーカス、競馬、また噴水など西洋式のものが順次導入されているが、観覧車のことも、これらの事象のひとつに加えて、(150年史年表に)記録させて戴きたい。
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編⊃声劼隆冤車は、日本初の観覧車である大阪・天王寺公園の展望旋回車や、上野で開催された東京勧業博覧会場の観覧車2基に比べて、情報が少なく、残念ながら、興行師も製作者もわかっていませんでした。
ところが、その後、野田さんがお調べになった当時の編⊃声劼痢崋厂各誌」で、次のような事実が判明しました。

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明治40年4月12日付文書で、陸軍省大臣官房から靖國神社宮司に対し、来る5月に行われる日露戦争戦死者合祀の臨時大祭にあたり、熊谷平三から出願の「施轉大運動車」設置の件の指令があり、同16日に、陸軍省大臣官房副官(※大臣秘書官をつとめる軍人)と同省経理局の主計官及び熊谷平三が臨場し、宮司立会いの下に「観覧車据付之所」を確定した、とあります。
(後略)
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熊谷平三さんは、野田さんからご教示いただいた「日本研究のための歴史情報 『人事興信録』データベース」によると、日本家畜市場株式会社、国民貯蓄銀行、中外火災保険株式会社などの取締役を務めた、当時の実業家だったようですが、どうして観覧車の興行を企画したのかはわかりません。

今回新たにわかったことは、観覧車は「旋転大運動車」として設置申請されたこと。でも当時の新聞(都新聞)には、「旋転大運動観覧車」との記述もあります。靖國神社の観覧車は、東京勧業博覧会の第一会場・竹の台の観覧車とほぼ同時期に計画され、製造されたのだと思われます。

竹の台の観覧車は、石川島造船によって製造され、興行師と思われる田中嘉藤治さんが運営しました。靖國神社の観覧車は、どちらかというと、日本初の観覧車だった大阪の展望旋回車と客車がよく似ていますが、この観覧車は、翌年、東京勧業博覧会の第二会場・池之端に、少し遅れて移設されたので、同時期に設置された編⊃声劼隆冤車とは、同一観覧車ではありません。興行したのはMH商会の秀島成一さんです。大阪で展望旋回車を興行した小池伊三郎さんから購入したと思われます。小池さんは、観覧車を手放しましたが、同じ池之端でウォーターシュートを興行しています。

でもこれで、晴れて?観覧車が、編⊃声劼亮匯砲砲盖載されることになりました。
野田安平さん、お問い合わせいただき、またいろいろとご教示くださいまして、ありがとうございました。


2021年09月06日

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昨夜(9月5日)、大阪の千日前にあるイベント大ホール、「味園ユニバース」へ行ってきました。サルサの先生であるTAMUさんが、お弟子さんや仲間と開催したダンスショーの観賞です。緊急事態宣言下のショーなので、アルコールなし、椅子の配置もソーシャルディスタンスが取られていました。
(一番目の写真をクリックすると、奥に「黒門市場」の看板が見える)

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私は早くに予約していたので、舞台に一番近い席でショーを堪能できました。TAMUさんはじめ、ダンサーが若くてきれい。ダンスもキレッキレの動きで、楽しませていただきました。(写真中央で踊っているのがTAMUさん)

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ダンスもですが、楽しみだったのは、「ユニバース」見学です。ウィキペディアによると、味園ビルは1956(昭和31)年にオープンしました。ビル内にはキャバレー、スナック、ダンスホール、宴会場、サウナは連日の大繁盛をおさめたそうです。ビルの入り口付近で見つけた、ちょっとしょぼい噴水。昔は豪華だったのかも。

今回、会場となったのは、地下1階にあるキャバレーだったところ。赤、緑、黄色などのネオンサインのような照明や、半円形になったソファー椅子など、昭和レトロが随所に残っていました。イベントに参加しない限り、なかなか見学できません。キャバレー自体は2011年に営業を終了し、その後貸しイベント会場となっています。映画「味園ユニバース」の舞台となったのですが、残念ながら、私は映画を観ていません。

tenbosenkaisha at 13:40コメント(0)身辺雑話 

2021年08月17日

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大阪市北区にある阪急梅田百貨店で開催中の「阪急梅田ビルディング101年展」を訪れた。昨日(16日)は、阪神百貨店につづき、阪急百貨店でも、コロナのクラスターが発生した。現在は1階と地下1階へは入場できないが、9階へは行くことができる。

101年に因み、101枚のパネルに、阪急ビル(阪急百貨店や阪急電鉄など)の歴史の一コマずつが展示されているのだが、私が知りたかったのは、阪急百貨店の屋上に観覧車はあったのかということだった。
結論から言うと、観覧車はなかった。パネルの説明を要約すると次の通り。

昭和35(1960)年、本館と西館を通路で結び、そこに屋上大遊園「阪急スカイランド」が設営された。
西館の屋上には北欧田園風景を模して、小川に遊ぶフラワーボート、春をうたう水車小屋、すばらしい森林、滝、帆船や野外大食堂が設置され、本館屋上には、メリーゴーランド、ムーンロケット、ミニドライブ、モーターボート、木馬、金魚すくいなどの楽しい遊戯機が設置された─。

当時の店内と屋上のようすを描いたパネルも展示されていたが、やはり観覧車はなかった。

大阪の百貨店で、屋上遊園地が存在し、観覧車が設置されていたのは、なんばの高島屋、天満の松坂屋は確認しているのだが、梅田の阪神百貨店、心斎橋のそごうや大丸にはあったのだろうか。一度、調べないと。

3枚目のパネルは、かつての阪急百貨店の包装紙。私には懐かしい柄だ。
101年展は8月23日まで。


tenbosenkaisha at 13:36コメント(0)昭和の観覧車 

2021年08月14日

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久しぶりに大阪市立中央図書館を訪れ、マイクロフィルムのリールを回した。調べたかったのは、「8字形自動鉄道」と呼ばれた、明治期のコースター関連記事だ。元の記事は、噴水班キャップから教えてもらったもので、明治41年(1908年)3月20日に大阪毎日新聞に掲載されていた「内国製産品評会彙報」だ。

「内国製産品評会」とは、内国勧業博覧会の小型版のような博覧会だった。会場となったのは、大阪の天王寺公園で、日本初の観覧車、「展望旋回車」が設置された「戦捷紀念博覧会」の跡地だった。明治41年4月1日に開会している。

そのとき、余興の1つとして、「8字形自動鉄道」が設置された。主催したのは、日本で初めて観覧車を興行した小池伊三郎さんである。
設置されたのは、美術館前阪下の南手平地とある。戦捷紀念博覧会の開催時に、観覧車があった場所のすぐ近くだ。3月20日の記事では「目下工事中」だったので、その後の記事を探した。

いくつかの記事を要約すると、設置された8字形自動鉄道の概略は次の通り。
先年、東京上野に常設したものと同種類だが、それよりはもっと複雑で、目下、アメリカで大流行の新遊戯である。線路はその名のごとく、ローマ数字の8字形で、延長2町半(約273メートル)にわたり、起伏するレールを車両の惰力で車体を疾駆させ、一上一下する爽快感を味わうもの─だった。

『日本の遊園地』(橋爪紳也著、講談社刊)によると、日本初のコースターは明治23年(1890年)に開催された第3回内国勧業博覧会に設置された。米国の遊園地、コニーアイランドにトンプソンによって設置されたコースターを倣ったものだった。動力はなく、惰力で直線を下った。つまりI字形のコースターだった。

1908年ごろのアメリカで8字形(フィギュアエイト)のコースターがあったのは、ニューヨークの遊園地「コニーアイランド」や、ペンシルベニア州アルトゥーナ市にある「レイクモントパーク」などが有名だ。おそらく小池さんは、コニーアイランドのフィギュアエイトを参考にしたのでは。小池さんは、東京勧業博覧会ではウォーターシュートも興行している。

フィギュアエイトは、平面上でレールが交わるのではなく、立体的に8の字を描いていた。大阪毎日新聞にイラストも写真も掲載されておらず、大阪朝日新聞も調べたが、こちらは内国製産品評会関連の記事自体がまったく見つからなかった。もしかしたら、大阪毎日新聞だけが品評会に協賛していたのかもしれない。

I visited Osaka City Library to research articles on a "Figure Eight" coaster in the Meiji era. It was built in a local exhibition in Osaka in 1908. It was probably the first figure-eight coaster in Japan. Mr. Isaburo Koike, who was a show manager to build the first Ferris wheel in Japan.

The first roller coaster was built in Japan in 1890, but it was not eight-figure, but a straight shape.

from Wikipedia
A Figure 8 roller coaster is a category of roller coasters where the train runs through a figure 8 shaped course before returning to the boarding station. This design was one of the first designs to be featured in roller coaster design, along with the out and back roller coaster. The figure 8 design allowed for more turns than the out and back design, offering riders an alternative experience.

An early and famous example of figure-eight is the Leap the Dips at Lakemont Park, in Altoona, Pennsylvania.
Many figure-eight roller coasters carry the name "Figure 8."

写真説明
コニーアイランドにあった8字形コースター「Loop the Loop」の絵はがき
福井優子所蔵


2021年08月10日

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明治期の新聞を読んでいると、ときどき、読めない漢字がある。古い記事なので印字がつぶれているせいもあるが、現在ではあまり使われていない字もある。

最近、拡大鏡を使っても読めず、手こずったのが「彙報」という単語だった。よく出てくるので、確か以前に調べたはず、と記憶をたどったが、思い出せない。部首も字数もわからないので、漢和辞典でも調べられない。噴水班キャップに、新聞のその部分をコピーしてメールで送り、教えを請うた。答えは「彙報」(いほう)だった。

「彙報」とは、ネット上の辞書「コトバンク」によると、「種類別にまとめた報告、または、報告書。雑報。」なのだそうだ。記事の内容と一致して納得した。

「彙」は「語彙」にも使われていたのに、気づかなかったのはうかつだった。漢和辞典によると、「彙」の部首は「ヰ」で、「豕(ブタ)」や「ハリネズミ」の頭を表し、「彙」は「ハリネズミ」を表すそうな。知らなかった。ネットの「書き順」では、この難しい漢字の書き順をアニメで教えてくれる。知りたいひとは、ココをクリック。

上記の写真は、最近、メルカリで購入したハリネズミ柄のマスクとブローチ。「彙」がハリネズミと知る前に購入していたもの。
メルカリで、マスクとアクセサリー類をリンクコーデして購入するのが、最近のマイブーム。

「彙報」の出てくる、肝心の明治期の新聞記事については、次号で紹介したい。

tenbosenkaisha at 14:54コメント(0)身辺雑話 

2021年07月25日

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前回のブログで、お台場の観覧車が2022年8月で閉業すると伝えましたが、確か、以前にも閉業予定でブログを書いたはず、と探してみました。

きょうの東京新聞に」(2009年3月24日)が見つかりました。スクラップブックに、そのときの記事も貼っているのですが、記事をブログに掲載できないので、撮っていただいた写真の手だけを掲載します。

インタビューのオファをいただいたのは、ガンの手術を終えて退院した翌日でした。4キロ減の体力で、お台場まで行けるか不安だったのですが、敢行しました。掲載された写真の私がとてもスリムで、知人たちはびっくりしていました。

その記事によると、当初、お台場の観覧車は2009年12月末に終了する予定でした。当時の話では、パレットタウンの用地は、森ビルとトヨタ自動車が約810億円で都から取得することが決まっている─とあります。両社は4年後までに、オフィスやホテルなど、地上23階建ての高層ビルを建てる予定で、森ビルの話によると、観覧車も再び設置する予定だが、形態は検討中とのことでした。

今回、トヨタグループの東和不動産が多目的アリーナやその他、商業施設を計画していると報道されています。もう観覧車を新たに建てる計画はないのでしょうか? 寂しいですね。

The Ferris wheel at Odaiba (Continued of the last blog)
I found an old article of the Tokyo Newspaper (24th, March, 2009), which reported that the Ferris wheel at Odaiba in Tokyo was scheduled to be closed in the end of December, 2009.
I got an interview in a cabin of the wheel by a writer of the Tokyo Newspaper. When I got an offer, I just left the hospital, where I had been for about one month as I got an operation of the colon cancer. I had no confidence at all to go to Odaiba which was located in the center of Tokyo far away from my house in Kokubunji city in the suburbs of Tokyo. However, anyway, I managed to do it.

According to the Tokyo newspaper, Mori Building Co., Ltd and Toyota Motor Co., Ltd would purchase the site of Pallete town with 81 billion yen from Tokyo. Two companies had a plan to build a twenty-three-story building including offices and a hotel four years later. Mori also said that they had a plan to build a new Ferris wheel.

However, this time, it is reported that Towa Realestate Co., Ltd of Toyota group plans to build a multipurpose arena and some multi commercial buildings, but it is not reported whether it has a plan to build a new Ferris wheel or not.



tenbosenkaisha at 13:25コメント(0)話題 

2021年07月22日

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日経新聞朝刊(2021年7月22日)によると、東京・お台場にある商業施設「パレットタウン」が今年(2021年)12月から順次閉館となり、大観覧車も2022年8月末で営業を終了するそうだ。

パレットタウンは1999年3月に開業し、約7万3千平方メートルの敷地に、「ヴィーナスフォード」やライブハウスなどの商業施設が敷設されたが、新しい商業施設を整備する構想があり、再開発のために閉業されるという。

観覧車が設置されたのも1999年だった。高さ115メートルで、当時は世界一の大観覧車だった。製作したのは、現在のサノヤス・ライドだ。数々の映画やドラマの舞台となり、東京を代表する観覧車だった。
私も何度か、ここで雑誌や新聞の取材を受けたことがある。上記の写真は、『観覧車物語』が出版されてまもないころで、ビジネス誌『プレジデント』(2005年3月7日号)の「著者インタビュー」のコーナーだった。インタビュアーは、エッセイストの故枝川公一さんだった。

この1枚を撮るために、大勢の人がいる乗り場で、5,6人のスタッフに囲まれた。初めてのインタビュー撮影だったので、ものすごく恥ずかしかった。「普通のおばちゃん」が撮影されるのをみんな、怪訝な顔で見つめていた。16年も前の写真だが、やっぱり今よりずっと若いわね(笑)。

観覧車はどこへ行くのだろう。解体され廃棄になるのか、またはアジアのどこかの国で、第二の観覧車人生を送るのだろうか。

According to the Nikkei Newspaper (2021・7・16), Palette town, the commercial complex in Odaiba of Tokyo will soon be closed from the end of this year. Palette town is located in the new Tokyo waterfront subcenter and it has a big Ferris wheel there.

The height of the Ferris wheel is 115 meters, and the third biggest Ferris wheel in Japan. It will be closed the end of August in 2022.

I was sometimes interviewed by newspapers and magazines there. The upper photo is one of them. It was published in a business journal, named "President."(March 7th, 2005). I look so young!


tenbosenkaisha at 13:27コメント(0)話題 
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by FUKUI Yuko(福井優子)
「観覧車通信」日本支局長
『観覧車物語』(平凡社)、『ニッポンの観覧車』(イカロス出版)、『たくさんのふしぎ─観覧車をたずねて』(福音館書店)、『観覧車の時代』(「建築設備&昇降機」連載)

tenbosenkaisha(展望旋回車)とは、1906年(明治39年)に初めて日本に登場した観覧車の呼び名。まだ観覧車とは呼ばれていなかった。

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