2011年07月19日

神保町の戦利品

時事世界表紙001小田原城観覧車時事世界001先週の土曜日、噴水研究家の松崎貴之さんに案内していただき、神保町界隈を探索した。自分一人でも、何度か訪れたことはあったが、勝手がわからないので、掘り出し物にもなかなか出合えなかった。昨年、亡くなられたノンフィクション作家の黒岩比佐子さんが、ほとんど毎日のように通われ、ブログ「古書の森日記」に綴っておられた古書会館にも、今回初めて訪れた。上の写真は、そのとき古書会館で見つけた唯一の戦利品だ。

これは小田原城跡にあった観覧車の写真で、絵はがきではない。1957年(昭和32)5月号の「時事世界」に掲載されていたもの。見開きで掲載された小田原城関連の写真5葉のうちの1葉だ。この観覧車のことは、拙ブログ「天守閣になった観覧車」で説明済み。ダブることになるが、もう一度、ここにも記しておこう。自分のブログからなので、著作権にも抵触しないし(笑)。

この観覧車のことを知ったのは、東大の木下直之教授の著書『私の城下町─天守閣からみえる戦後の日本』(2007年・筑摩書房刊)』でだった。神奈川県の小田原城にある城址公園には、長いあいだ城(天守閣)がなく、天守台の石垣は崩れたままで放置されていた。そこで1949年(昭和24)に、市民による「天守閣一石積運動」が始まり、集まった24万円で天守台石垣が再築された。1955年(昭和30)10月、天守台の上に観覧車が設置された。『復興 小田原城天守閣』によると、「遠く相模湾まで見渡せる展望が人気を集め、多くの観光客でにぎわうと共に、将来の天守閣再建への熱意を醸成するのに一役買うことになった」という。

その後、本に掲載されていた写真を所蔵する小田原市立図書館から、資料とともに幾葉かの写真を送っていただいた。観覧車の全身が写った貴重な写真もあり、とてもありがたかった。でも今回見つけた「時事世界」の写真は、それらよりもはるかにアングルがいい。また写真のキャプションがおもしろかった。それは次の通りだ。
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小田原城天守閣の跡で、石垣はそのまま残っている。このあたり公園となり、写真のように観覧台が回転している。
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「観覧車」とは形容されず、「回転する観覧台」と解釈されていたのだ。もちろん写真が撮られた昭和32年には、全国に観覧車は行き渡っており、それほど珍しいものではなかったはず。

観覧車の高さは13メートルで、直径11メートル。4人乗りのゴンドラが9台ついていた。観覧車がどこから移設されたのかは、2説ある。「小田原市史料」(1966年発行)によると、「神奈川体育館が所有していた」とあり、いっぽう当時の地元紙、「神静民報」によると、「逗子の県営の海の家に設けられていた」となっている。体育館が観覧車を所有するだろうか、と不思議なのだが、神奈川体育館は「日本貿易博覧会」(1949年開催)の跡地に建てられたと聞き、少しだけ納得した。博覧会で使用された遊戯機械が、そのまま残されていたのかもしれない。製造会社は明記されていないが、かたちが当時のトーゴ製にそっくりだ。定期検査もトーゴが行っていたという。

時事世界観覧車駐車場001左の写真は同じ「時事世界」に掲載されていた「考案と発明」特集の1つだ。西ドイツ(当時はまだ東西に分裂していた)の技師、ポール・シューマツハー氏が考案した観覧車型駐車場の模型だ。高さ75尺(約25メートル)で51台が収容できるという。実現したかどうかは定かではない。

これら2件の貴重な情報が見つかった「時事世界」の値段はたったの200円! これから神保町通いがクセになりそうな出合いだった。松崎さん、ご案内くださってありがとうございました。



tenbosenkaisha at 12:24コメント(0)トラックバック(0)消えた観覧車  

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