2008年05月

2008年05月31日

メキシコアップ2骸骨が乗った観覧車は、アンティークのメキシコ製民芸品で、まるであの世でカーニバルを楽しんでいるように見える。10年ほど前、イーベイのオークションでゲットした。前年に、サンディエゴのアンティークモールで、同じような骸骨の民芸品(下の写真参照)を買ったこともあり、揃えて飾ったらおもしろいと思ったのだ。観覧車グッズを集め始めたときでもあった。その年も、サンディエゴに行く予定だったので、滞在先の知人宅に送ってもらった。高さが約46センチもある。国際便の送料を節約し、自分で持ち帰ろうと思ったのだ。

観覧車は私よりひと足早く、サンディエゴに到着していた。箱を開けると、ホコリだらけの骸骨が、古びた観覧車に乗っていた。白髪がネズミ色になっている。「ホコリも一緒に買ったのかい?」と、滞在先のご主人であるアートは笑いながら、ホコリを払ってくれた。80歳くらいだったアートは、リタイアした元実業家で、奥さんのアイリーンと瀟洒な白い邸宅に住んでいた。「ネットオークションで買うとこんなリスクもある。気をつけないと」と、珍しく説教をされてしまった。けれど、イーベイを教えてくれたのは、他ならぬアートなのだ。その時は、私も少しは反省したのだが、すぐに「ホコリ」は忘れてしまった。

死者の観覧車砂糖の骸骨2いっぽうアイリーンは、「いい買い物をした」と褒めてくれた。京都の骨董市で知り合ったくらいだから、趣味は似ている。彼女の説明によると、これは「Day of the Dead」というメキシコのお祭りに因むもので、この日、メキシコではにぎやかに死者を迎えるそうだ。日本のお盆とちょっと似ている。メキシコ系住民の住む世界各国でも、同じような慣習があるそうだ。サンディエゴの民芸館にも、直径2メートルくらいの骸骨観覧車が展示されていた。

アートもアイリーンも、この数年のあいだに相次いで亡くなり、サンディエゴに行く機会もなくなった。再びホコリの積もった骸骨の観覧車を見るたびに、アートの説教を懐かしく思い出している。

写真説明
上:骸骨の観覧車
下右:「Day of the Dead」につくる砂糖製の骸骨のお菓子。アイリーンからもらった。
下左:左はメリーゴーランドのように見えるが、中では6人の骸骨がそれぞれ楽器を持って演奏している。



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2008年05月30日

サンタモニカ海岸米カリフォルニア州サンタモニカの「パシフィック・パーク」にあった観覧車が、13万2千400ドル(約1千370万円)でオクラホマシティに売られていったことは、「新天地はオクラホマ!」でお知らせした。5月28日、その後継の観覧車がサンタモニカにデビューした。今なら地元のニュースで、渦巻きもようや花柄など、さまざまに変化する美しいイルミネーションを見ることができる。

同日の午後8時半からは、オークションで公言した通り、旧の観覧車を売却した代金の半分(約690万円)を、知的障害者のスポーツ大会、「Special Olympics Southern CA - LA Region」に寄付する贈呈式も執り行われた。その後、9時15分から深夜まで一般客も無料で搭乗できた。

新しい観覧車を製造したのは、カンサス州ウィチタにあるチャンスモーガン社で、費用は150万ドル(約1億5千6百万円)。旧の観覧車と同様に、世界でも珍しい太陽熱発電で回転するが、旧よりも1.75倍もパワーアップして、結果、省エネルギーに貢献する、環境にやさしい観覧車だとか。全高85フィート(約26メートル)、海面からは130フィート(約40メートル)の高さは、大観覧車を見慣れた日本人にはそれほどすごいとは思えないが、太平洋の眺めは最高だそうだ。16万個のLED(発光ダイオード)のイルミネーションによって、バレンタインデーにはハート、独立記念日には米国旗、クリスマスにはリースの模様が回転輪に描き出されるとか。3色しか出せなかった旧と比べると、とてもカラフルでダイナミックだ。

おわん型観覧車おもちゃところで、旧の観覧車がオークションに出展されたとき、サイトへのアクセス数は約40万回にものぼったという。世界中が注目したオークションだった。ネットの力はすごい。

写真説明
上:サンタモニカの海岸。遠くに観覧車が見える。写っているのは、新ではなく旧の観覧車。
著作権や所有権の問題があり、他のサイトやブログの写真を無断借用はできない。旧の観覧車を紹介したとき、例外としてイーベイのサイトの写真を使ったが。新しい観覧車をご覧になりたい方は、「地元のニュース」をクリックしてください。
下:わが家にあるおわん型観覧車の模型。サンタモニカの観覧車もこんなかたち。
上の写真提供は「VINTAGE YANAGI」の古森パピィ

tenbosenkaisha at 18:22コメント(0)トラックバック(0)時の人コレクション 

2008年05月28日

スプートニク村上春樹作の『スプートニクの恋人』(1999年、講談社刊)には、観覧車から自分の部屋を覗きみた女性が登場する。主人公の「ぼく」が恋するすみれには、ミュウという同性の恋人がいる。ミュウは39歳。美人でセンスもいい。2人が初めて出会ったとき、ミュウは「ビートニク」(ビート族のこと)を「スプートニク」と言い間違えた。それ以来、すみれはミュウを、「スプートニクの恋人」と呼ぶようになる。

ミュウと一緒に滞在していたギリシャにある島で、すみれは突然に失踪する。ミュウから連絡を受けた「ぼく」は島を訪れ、一緒にすみれの行方を探す。すみれの部屋にあったフロッピーディスクを見つけ、その中の文書を読むと、そこには衝撃的なミュウの秘密が書かれていた。

ミュウは25歳のころ、スイスのはずれにある小さな町で暮らすことになった。アパートからは、近くにある遊園地の観覧車が見える。ある夜、遊園地を訪れたミュウは、係員のミスから観覧車に閉じ込められ、そこでひと晩過ごすことになる。ゴンドラの中から双眼鏡で自室を眺めると、そこに男と淫らにもつれ合う、もう1人の自分を見てがく然とする。そして、そのショックで、一夜にして頭髪が真っ白に変わってしまう。

観覧車に乗っていると、ほんのひとときなのだが、現実から遮断されたような気分を味わう。まるで映画を観ているように、ふだん見慣れた景色を、第三者的に眺めている自分に気がつく。ミュウが観た情景が、ミュウの潜在的願望の現われだったのかどうかはわからない。観覧車から観るミュウと対比して描かれているのが、スプートニクから宇宙を観るライカ犬だ。「時間をかけて空をまわっている観覧車」と、「宇宙の闇を音もなく横切っている人工衛星」は、どこかに共通点があるのかもしれない。





tenbosenkaisha at 14:47コメント(0)トラックバック(0)小説物語の観覧車 

2008年05月27日

ロシア初期の観覧車きょうはちょっとアカデミックなお話を。
日本に初めて観覧車が登場したのは1906年(明治39年)で、展望旋回車などと呼ばれた。では、国の内外を問わず、観覧車を最初に見た日本人は誰か。それはいったい、いつ、どこでのことなのか。本当を言うと、『観覧車物語』を出版するときに、そのことを書きたかった。けれど残念ながら、その時点では見つけることができなかったのだ。

プラター公園観覧車本のなかで、候補としては何人かを挙げた。例えば、1873年に開催されたウィーン万国博覧会への訪問者だ。この博覧会には、余興として観覧車が設置されていたとの記録がある。日本はこの博覧会に、政府として初めて公式に参加している。その派遣団員や、欧米を視察中にウィーンにも立ち寄ったという、岩倉使節団員も見た可能性がある。使節団のなかには、岩倉具視や伊藤博文なども含まれていた。

ところが最近、『ロシア文化の基層』(坂内徳明著、日本エディタースクール出版部)を読んで知ったことだが、18世紀の中ごろ、ロシアへ漂流した大黒屋光太夫が、観覧車を目撃していた。光太夫のロシアでの目撃談は、観覧車以外のことも含めて、桂川甫周が『北槎聞略』(1792年)にまとめている。「北槎聞略」とは「北へ流れた槎(いかだのこと)から聞いた話」という意味だそうだ。

光太夫は伊勢の漁師だったが、1782年に仲間とともに嵐に遭い、アリューシャン列島に流れ着く。そこからカムチャッカ、イルクーツクを経て、ペテルブルグでエカテリナ二世に拝謁する。カチャーリと呼ばれた観覧車を目撃したのは、ペテルブルグの復活祭の日だった。『北槎聞略』に描かれたようすを、わかりやすく要約すると次のようになる。

いろいろな遊びの中にはブランコがあった。また、平輪(水平になった大きな輪)の周りに、人を立たせて回転するものや、直径が3間(約5.4メートル)くらいの車輪に、横軸を何本も入れ、そこに人をぶら下がらせた。回転させると、人は上がったり下がったりするが、横軸にぶら下がっているので、人間の体は常に平衡を保つことができた。

「平輪」はメリーゴーランドの原型と思われる。「車輪」が観覧車の原型と思われるが、完全な○だったのか、腕木を組み合わせたX形だったのかは定かではない。しかし、1791年といえば、日本では江戸時代だ。観覧車はすでに、江戸時代のひとによって目撃されていたのだ。

マンディ写真説明
上:19世紀初頭のロシアの風景。
中」1810年代のウィーン・プラター公園。
下:17世紀の初め、イギリスの旅行家、ピーター・マンディの旅日記の絵。現在のブルガリアあたりで目撃したお祭りの出しもの。
イラストの出典:
上と下:「Ferris Wheels: An Illustrated History」
     by Norman Anderson
中:提供はNorman Anderson

観覧車とは関係ないが、「愛のくるま」の項で紹介したロシア民謡のなかに「ソフィアの歌」があるが、これは光太夫が寄寓した家の主の妹、ソフィアが光太夫に同情してつくったものと言われている。




tenbosenkaisha at 16:10コメント(2)トラックバック(0)時の人 

2008年05月25日

愛のくるま1悪魔の観覧車?」の項で少しお話ししたが、ロシアでは観覧車のことを、「チョルトボ・コレソ」とも呼ぶ。「チョルトボ」が「悪魔」で、「コレソ」は「ホイール」。どうしてこんな恐ろしい名が?と不思議だったが、日本在住のロシア女性から、「『びっくりした』とか、『こわい!』と思ったときにも、『チョルトボ!』と言うわ」と聞き、高速で回転する観覧車に乗った気持を表わしたもの、と思っていた。

ところが、『ロシア文化の基層』(坂内徳明著、日本エディタースクール出版部)を読んで目からウロコ。そういう経緯があったのかと納得した。本には「ロシアのブランコ」の章があり、要約すると次のようになる。

ロシア人は昔からブランコが好きだった。ブランコは大まかに分けて、①シーソー型②ブランコ型③観覧車型に分かれる。これらは「カチャーリ」(揺れるもの)と呼ばれた。回転木馬もあったが、これは少し種類が違う。観覧車は腕木を十字に組み合わせ、その先にブランコを吊るしたり、箱をつけたりしたシンプルなものだった。乗るのは、若い女性が多かったが、村中のひとが交替で乗ったりもした。

愛のくるま祝祭日には必ず設置された観覧車だが、落下事故も多かった。けがをしたり、死亡事故もあったようだ。それゆえ、ある古い文献には、「悪魔がブランコを介してロープを張り、そこに乗ってゆれる者はいきなり地上に落下する」と書かれているそうだ。特にキリスト教にとっては、ブランコに乗ることは、「穢れた」行いとみなされ、落下して死んだ者の埋葬を拒否する教会もあったという。これがおそらく、「チョルトボ・コレソ」の由来ではないかと思うのだが。

ところで、タイトルの「愛のくるま」はロシア民謡の題名で、「くるま」とは観覧車のことだ。別名を「悪魔の観覧車」という。この歌に出てくる観覧車は、現代のかたちに近いものと思われる。クリックすると、すぐに曲が流れるので、職場や教室で、このブログを読んでくださっているひとは要注意。1番の歌詞は次の通り。
歌声サークル(おけら)のロシア歌曲集より

いつか君と 乗るくるま エイ! 回るワルツの思いで
回る回る 飛ぶぞ飛ぶぞ 君の顔が
そして素敵だと 叫ぶ エイ!
星空をかすめ 回る回る 飛んで行く愛のくるま

淋しく凍るトボール 菩提樹春を待ってる
忘れないだろう君は 二人の愛のくるま
夏空高く 踊る踊る 公園のくるま
愛のくるま いまは ただ夢
いつか君と 乗るくるま

写真説明
上:絵はがき
  ロシア美術館(サンクトペテルブルグ)所蔵の絵画。
  「カチャーリ」という題がついている。女性はスカーフのようなものを巻いて、
  スカートがまくれあがらないようにしている。
  (絵はがきの提供はノーマン・アンダーソン氏)
下:サンクトペテルブルグの祝祭日の風景。カチャーリが設置されている。



tenbosenkaisha at 19:56コメント(0)トラックバック(0)絵はがき物語の観覧車 

2008年05月23日

グレートホイール1イーベイのネットオークションでゲットした長袖Tシャツの模様だ。「The Great Big Wheel」として、巨大観覧車が描かれている。写真ではわかりにくいが、スパンコールがピカピカ光り、柄はまるで倶梨伽羅紋紋。テキヤのお兄さんが着るようなシャツだ。こんなシャツを買ってしまったのは、描かれた観覧車が、「グレイドンホイール」の幻に終わった、当初のデザインだったからだ。

1895年、ロンドンにフェリスホイールとそっくりの大観覧車が建設された。高さ86.6メートル、直径82.4メートルで、フェリスホイールよりひと回り大きい。「グレートホイール」と呼ばれた。デザインしたのが、米国軍人だったジェイムズ・グレイドンなので、「グレイドンホイール」ともいう。現在、ロンドンには「ロンドン・アイ」という、世界で2番目に大きな観覧車がテムズ川畔に建っているが、100年以上も前に、すでに大観覧車が建設されていたのだ。

グレイドンホイール当初の案では、高さ約53メートルの2本の支柱には、それぞれ4つの階をつくり、そこにサロンが設けられるはずだった。サロンは階段でつながり、観覧車の中心軸は空洞で、最上階の2つのサロンは歩いて往来できるという、画期的なものだった。理由はわからないが、この案は流れた。完成した観覧車には、最上階の仕組みだけが残された。支柱に取り付けられたエレベーターで展望台まで行き、そこからの眺望を楽しんだあと、中心軸を通って反対側の展望台に行き、別の景色を堪能した。ただし展望台へ行くには、乗車賃以外に割増料金を支払う必要があったという。

シャツには「コーラス」として次の歌詞?が書かれているが、正直言って、今ひとつ意味不明。たぶん「観覧車に乗ってみんな楽しく回ろうね」という意味だと思うのだが。

Rolling round the wheel. Rolling round the wheel.
Rolling men and boys and girls, and rolling babies and dukes
and xx. And oh my! it makes the xx xx.
That roly poly feeling xx the Great Big Wheel.
(xx の部分は解読不明)

「roly poly」とは、「ずんぐりむっくり」という意味だが、英国の料理で「ジャム入り渦巻きプリン」を指すこともある。この場合、観覧車の回転するようすをお菓子に例えたか、「roly polyを食べた気分」という意味だろうか。

写真説明
上:シャツの柄を拡大したもの。
下:実際に建設されたグレイドンホイールの絵はがき。
  支柱の上の展望台に注目。

追記:
これで60話となりました。あと40話です!






tenbosenkaisha at 21:31コメント(2)トラックバック(0)コレクション世界の観覧車 

2008年05月22日

沖縄1夏川りみが歌って大ヒットした「涙そうそう」が2006年に映画化された。歌は森山良子が作詞し、BEGINが作曲している。「涙そうそう」とは沖縄の言葉で、「涙がぽろぽろこぼれ落ちる」という意味だ。

母親の再婚によって洋太郎(妻夫木聡)には、カオル(長澤まゆみ)という妹ができた。ほどなくカオルの父親である義理の父が蒸発し、次いで母親も亡くなり、幼くして2人ぼっちになってしまう。母親が臨終に、「カオルを守ってやれ」と言ったことを忘れず、洋太郎は大きくなってからも、カオルに無償の愛を注ぐ。2人は本当の兄妹ではないことを知っているが、口に出さない。また、お互いを異性として意識しているフシもある。最後は働きすぎで病気になった洋太郎が、カオルを残して死んでしまう。

那覇の高校に入学が決まり、島から出てきたカオルが、洋太郎とその恋人と一緒に、北谷町の「アメリカンヴィレッジ」に行き、1人で観覧車に乗る。はしゃぎながら、地上にいる兄たちに手を振るが、2人はカオルに気づかず、話し込んでいる。親密そうな2人を眺め、寂しいカオル。兄を取られるかもしれないという不安もあり、また嫉妬も覚える。カオルにとってゴンドラの中は、孤独をかみしめる密室だった。

沖縄2アメリカンヴィレッジには、「カーニバルパーク・ミハマ」という3階建ての複合商業施設がある。レストランや雑貨店など、さまざまなショップが並び、若者に人気のスポットだ。「SKY MAX60」という観覧車も付設されている。地上からの高さが約60メートルなので、この愛称がついた。製造したのはサノヤス・ヒシノ明昌だ。白い車体に赤いゴンドラ。中心にはコカコーラが描かれている。沖縄唯一で、かつ日本の最南端にある観覧車だ。観覧車から眺める紺碧の海が美しいそうだ。

写真提供:カーニバルパーク・ミハマ



tenbosenkaisha at 22:09コメント(0)トラックバック(0)映画・テレビドラマの観覧車物語の観覧車 

2008年05月20日

ワンダーホイール3「A.I.」は、スティーブン・スピルバーグが2001年に製作した、ロボットが主役のファンタジー映画。題名の 「A.I.」とは、「Artificial Intelligence」(人工頭脳)という意味だ。原作はブライアン・オールディスの短編小説、『スーパートイズ』だが、ストーリーはピノキオを連想させる。ロボットが人間に代わり雑用や労働をこなす未来社会が舞台。

デイビットは愛をインプットされた少年型ロボットだ。病気のため、冷凍保存されている1人息子の代用として、若い夫婦に引き取られる。ところが息子が蘇ると、邪魔になったデイビッドは捨てられる。ピノキオのように本当の人間になれたら、また母に愛されると信じ、青い妖精を探す旅に出る。

浸水し廃墟と化したニューヨークを訪れる。水陸両用のヘリコプターで海の中へ入っていくと、そこは昔のコニーアイランドだった。ピノキオの家もあり、青い妖精もいる。コニーアイランドの観覧車、ワンダーホイールも沈んでいる。その観覧車がとつぜん崩れ落ち、デイビッドはヘリコプターごと、2千年も閉じ込められてしまうのだ。2千年後、地球に氷河期が来て人類はすでに滅亡している。未来人が氷に閉じ込められていたデイビッドを発見し修復する。「母と2人きりで1日を過ごしたい」という願いを、未来人に叶えてもらう。やがてデイビッドは、愛する母とともに永遠の眠りにつく。

Former Santa Monica Wheel 」でも紹介したが、映画「1941」で、スピルバーグは観覧車を海へ転がり落としている。ワンダーホイールとは異なる機種なのだが、そのことを意識して「A.I.」に登場させたと思われる。「1941」で光り輝く観覧車が海に転がるのは、「未知との遭遇」の最後に登場する宇宙船を意識したものだ、という説がある。それはともかく、映画を観て久しぶりに泣いてしまった。デイビッドの、ひたすら母を恋う姿がやるせない。

写真説明
映画の紹介をするとき、著作権の問題もあり、場面を掲載できないのが残念だ。上の2枚は絵はがき。下のほうが時代は古いと思われる。


tenbosenkaisha at 21:07コメント(0)トラックバック(0)映画・テレビドラマの観覧車世界の観覧車 

2008年05月19日

ワンダーホイール2朝から部屋のカーテンをすべて引き、DVD鑑賞。日中から映画を観るというのが、なんとなくうしろめたい。「みんなが働いているのに、こんなことしてもいいのか」と、いまだに思ってしまう。ところが映画がおもしろいと、そんな後ろめたさを忘れてしまう。それが今回の「レモ第一の挑戦」だった。1985年の米国映画で、監督は007シリーズの「ゴールドフィンガー」も手がけたガイ・ハミルトン。おもしろいはずだ。

ニューヨークの一警官(フレッド・ウォード)が、政府最高機密機関に、強引にスカウトされる。死んだことにされて、顔も整形で変えられ、「レモ・ウイリアムズ」という新しい名前をもらう。機密機関のメンバーは、レモを含め3人だけ。レモは朝鮮古武術の名手である年老いたコーリアンによって訓練される。やがて、軍需産業で巨万の富を築いた、悪辣な実業家を暗殺する指令を受ける、といったあらすじだ。

訓練の一環として、レモはコニーアイランドにある観覧車、「ワンダーホイール」のゴンドラにぶら下がる。観覧車の高さは約45メートル。網の目の囲いがあるゴンドラは、まるで鳥かごみたいだ。中には指導する老人が座っている。ぶら下がるだけでなく、ゴンドラからゴンドラへと飛び移れと指示する老人。ワンダーホイールには、静止型とスイング型があり、スイング型は輪の中心と外側を、グワーンと一気に移動する。レモはそれを避けながら飛び移る。

ワンダーホイール1コニーアイランドにワンダーホイールが設置されたのは、1920年のことだ。映画ではさびが目立ったが、撮影のあった1985年ごろは、あんな風だったのかと少し驚いた。数年前に訪れたときは、赤、緑、白の3色で、きれいに塗装されていた。休業中で、乗ることができなかったのだが、映画でその仕組みを知ると、乗れなくて本当によかったと思う。

写真説明
上:1991年ごろの絵はがき
下:2003年に撮影。雨だったので、観覧車まで寂しく見える。



tenbosenkaisha at 20:21コメント(0)トラックバック(0)映画・テレビドラマの観覧車旅の観覧車 

2008年05月16日

岡崎1現役日本最古の観覧車@函館公園」で、函館公園の観覧車が古さでは1番であることは、すでに述べた。調査当時、候補に上がったオールベスト・ファイブは、函館公園、小樽公園、姫路市立動物園、京都市立動物園、丸亀城内亀山公園の観覧車だった。このうち、小樽、丸亀の2基はすでに撤去された。丸亀の観覧車はどこかへ移設されるはずだったが、スクラップになることが決まったらしい。サンタモニカの観覧車のように、ネットオークションにでも出品し、引き取り手を探して、再活用できなかったのだろうか。ゴンドラはともかく、車体はまだまだ働けたと思う。星形の車軸がユニークで、個人的にはとても好きな観覧車だった。

では栄光?の2位だが、京都の岡崎にある京都市動物園の観覧車だ。1956年(昭和31年)3月に設置された。函館の観覧車より6歳若い。運営するのは、日本科学遊園だ。丸亀城の遊園地を運営していた、朝日科学遊園とは親戚筋にあたる。高さ12メートル、直径10メートル。4人乗りのゴンドラが12台ついている。車体はペパーミント色、ゴンドラはパステルカラーのピンク、黄、青色のやさしい色合いだ。各ゴンドラには動物が描かれている。

岡崎ゴンドラ岡崎2観覧車もだが、動物園自体も2番目に古く、1903年(明治36年)4月1日に開園した。動物園があるのは、1895年に開催された第4回内国勧業博覧会の跡地である。ちなみに、日本で1番古い動物園は上野動物園だ。

また平安後期には、高さ81メートルもある法勝寺の八角九重の塔が、現在は観覧車が建つあたりに建立されていたそうだ。観覧車の約6倍の高さだ。由緒正しき敷地に設置された観覧車の頂上からは、東山の山なみが見渡せ、眼下には樹木が端麗に刈り込まれた、日本庭園のような動物園内を見下ろせる。他には豆汽車やバッテリーカーなど、数種類の乗りものだけのこじんまりした遊園地だが、なにかしら気品の感じられるのは、やはり土地柄のせいなのだろうか。

写真下
左:ゴリラのゴンドラ
右:車上から見下ろしたところ。小さな人工池の小さなボートが見える。



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2008年05月15日

蒲田1昭和20年代の後半から30年代にかけて、日本各地の百貨店は、こぞって屋上に遊園地をつくった。「シャワー効果」とかで、屋上で遊んで、すぐ下の階にある食堂でおいしいものを食べ、各階に下りて買い物をする。それで百貨店が儲かる、という仕組みだ。大型は別として、現在、屋上に小さな観覧車があるデパートは、川越市の丸広百貨店と、蒲田にある東急プラザの2店だけになってしまった。

映画「やわらかい生活」(2005年、松竹)には、東急プラザの観覧車が登場する。絲山秋子原作の『イッツ・オンリー・トーク』(2004年、文芸春秋刊)を映画化したもので、絲山はこの作品で文学界新人賞を受賞し、作家デビューした。『空中庭園』と同様に、原作では観覧車は登場しない。

39歳のヒロイン、橘優子(寺島しのぶ)が暮らすのは、東京大田区にある蒲田。一流会社のキャリアウーマンだったが、両親が焼死したことがきっかけで躁うつ病になった。会社を辞め、親の死によって得た保険金で生活している。痴漢、ヤクザ、EDの男友達、ダメ男の従兄など、常人の枠からは、かなり外れた男たちとの出会いや別れがある。それでもヒロインは、1人でひょうひょうと生きていく。

蒲田3そんなヒロインが気に入ったのが、この屋上観覧車だ。観覧車に乗り、「隣のビルが見下ろせる観覧車なんて可愛い」と言う。観覧車の写真が部屋の壁に貼ってあったり、パソコンの壁紙に使われたりして、たびたび登場する。孤独なヒロインの生活を覗きみているようでもある。観覧車には「グレ太の観覧車・フラワーホイール」という、長い名前がついている。高さ約13メートル。7階建てビルの高さがプラスされるので、けっこう高く感じる。オリジナルを製造したのは東京の昭和鉄工だが、のちに大阪の豊永産業が現在のかたちにリニューアルしている。「空中庭園」と同様に、「チョイ役」だが、いい味を出していた。

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2008年05月14日

都筑阪急1タイムマシンに乗り、明治からひと飛びして現代へ。
ビルトインされた観覧車が登場する映画がある。2005年に上映された「空中庭園」だ。角田光代原作の『空中庭園』(2005年、文藝春秋刊)を映画化したもの。ニュータウンで空中庭園のあるマンションに暮らす一家には、「家族間で秘密を持たない」という決まりがある。しかしそれは表向きだけで、父、母、娘、息子のそれぞれが、家族に秘密を抱えている。それがやがてばれてしまい─。といったストーリーだ。小泉今日子が母親役で出演している。

ニュータウンのモデルとなったのは、横浜にある港北ニュータウン。映画のなかでは、バスのなかから見えたり、背景に登場したりもする。息子の部屋には、観覧車の大きなプラモデルが飾られている。観覧車をいつも目にしながら生活するニュータウンの人びと。しかし観られている観覧車もまた、みんなの生活を覗きみている。主役の家族1人ひとりの秘密も、観覧車は知っている、ということか。

都筑阪急2映画に出演したのは、モザイクモール港北にある観覧車だ。5階から乗り込み、ビルの外へ飛び出す仕組みになっている。直径45メートル。地上からの高さは75メートルにもなる。1周約12分。晴れた日にはみなとみらい、東京タワー、富士山が一望できる。製造したのはサノヤス・ヒシノ明昌だ。一度乗ってみたが、観覧車からは団地が見渡せた。空中庭園のあるマンションもあった。原作にはない観覧車だが、映画では脇役として、いい味を出していたと思う。



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2008年05月09日

オルゴール表2003年の晩秋、私は米ノースカロライナ州の州都、ローリーにノームを訪ねた。拙著『観覧車物語』の執筆を始める前で、ノームの資料も拝借するため、報告と了解を得に行ったのだ。ノームは、私が日本で初の観覧車の本を出版するのを、とても喜んでくれた。それからの数日間、2人で必要な資料探しに没頭した。「これを持って行け。あれも要るのでは」と、大量に取り出された絵はがきを、ダウンタウンにあるキンコでコピーした。拙著では、ノーム提供の絵はがきは「NA」、著書からの出典は「FA」と、それぞれに明記させていただいている。

一段落したとき、観覧車グッズを探しにショッピングモールへ行った。そのとき見つけたのが、クレヨラ創業100周年記念の観覧車である。ノームもすでに持っているという。クリスマスツリー用のオーナメントで、オルゴールになっている。曲は「School Days」。日本人には馴染みがないが、なかなか軽快なメロディだ。この観覧車、現在はすでに発売されていない。たまにネットオークションに出品されることがある。

クレヨラ切手クレヨラ(Crayola)は老舗のクレヨン製造会社で、製品は日本でも発売されている。1903年にペンシルベニア州イーストンで会社を創設した。創始者の妻の発案で、フランス語の「craie」(チョーク)と、英語の「 oleaginous」(油性の)の、「ola」を組み合わせて命名した。観覧車の車軸の部分がクレヨンを模っている。高さ約10センチメートル。ゴンドラは長いす式で、アメリカの子供たちにとって、観覧車の思い出といえば、やっぱりこのかたちだろうな、と改めて思った。

写真説明
切手2種
  アメリカにおける、1900年代の出来事に因んだ切手シリーズのうちの2枚。
  ノームから送られてきた手紙に貼付されていた。
  左:クレヨラの創業記念。1箱に8色入り、5セントだった。
  右:1904年に開催されたセントルイス世界博覧会場の風景。
    うしろにフェリスホイールが見える。シカゴから移設された。
    アイスクリームは以前からあったが、コーン式はこの博覧会から広まった。


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2008年05月08日

おびひろアップ話はまた北海道に戻る。
池田町にガリバーを訪ねたとき、帯広駅前の「ホテルヒーロー」に宿泊した。ホテルの廊下の窓から観覧車が見えた。フロントで尋ねると、おびひろ動物園の観覧車だという。時間に余裕があったので、早速、行ってみることにした。

観覧車は正門から入ってすぐのところに建っていた。高さ36メートル。中心部がひまわりの花のようだ。それで、すぐにサノヤス・ヒシノ明昌製だとわかった。1984年に設置された。カラフルなゴンドラには、動物園の観覧車らしく、動物の絵が描かれている。ゴンドラからは、遠くに日高山脈が一望できた。帯広駅も、帯広駅へ続く並木通りもよく見えた。駅の向こうにあるはずの今夜の宿、「ホテルヒーロー」を探したが、ゴンドラがすぐに降り始めたので、結局、見つけることができなかった。

この観覧車は、「空中観覧車」と呼ばれている。そう言えば、函館公園の観覧車も、大沼公園時代は「空中観覧車」だった。1907年に開催された東京勧業博覧会の観覧車も、同じ頃に靖国神社に設置された観覧車も、共に「空中観覧車」だった。観覧車のことを英語で、「aerial swing」(空中ブランコ)ともいうが、輸入されたときの呼び名のうち、「空中」だけが残ったのかもしれない。北海道で、まだ「空中」が生きていたことが興味深かった。

おびひろ動物園入口帯広ネオンおびひろ動物園には、74種類もの動物がいる。ちょうどニホンザルのえさやりの時間だった。一般客も参加できるとかで、こどもも大人も、楽しそうにえさを投げていた。動物園の園長さんも、なにかパンフレットを配っておられた。みんなが動物園を大切に思う様子が伝わってきた。今年は開園45周年とか、空中観覧車も、はりきって回転していることだろう。

写真説明:
上:空中観覧車
下左:動物園の入口(正門ではない)
下右:帯広市内の繁華街で見かけたイルミネーション。まるで遊園地みたい。




tenbosenkaisha at 22:15コメント(0)トラックバック(0)旅の観覧車 

2008年05月07日

ひたちなか1遊園地でも、街中でも、とにかく目立つ観覧車は、映画や小説など、物語のなかでしばしば攻撃の対象となる。観覧車自体が襲撃されることもあるし、ヒーローやヒロインがそこに逃げ込むことによっても襲撃される。

1994年からフジテレビ系で始まった田村正和主演の「古畑任三郎」シリーズ中、第17回「赤か、青か」では、観覧車が標的となる。このシリーズでは、毎回、ゲストの俳優が犯人となってドラマの冒頭で殺人を犯す。それを警部補である古畑任三郎が推理し、事件を解決していく。

「赤か、青か」のゲストは木村拓哉だった。キムタク扮する爆弾の専門家、林功夫が、大学近くにある遊園地「エキサイトパーク」の観覧車に時限爆弾を仕掛ける。理由は研究室の窓から見えていた時計台が、観覧車が建ったことによって見えにくくなったから、という単純なもの。仕掛けたときに、遊園地の警備員に見とがめられ、殺してしまう。

時限爆弾が設置された客車には、古畑の部下である今泉慎太郎(西村雅彦)が乗っている。爆破装置の導線2本のうち、「赤と青のどちらの線を切れば爆破を免れるか」と古畑はキムタクに迫る。結局、答えとは反対の、赤の導線を切ることで爆破を未然に防ぎ、事件は解決する。タイトルの「赤か、青か」は導線の色のことだ。

ひたちなか2「エキサイトバーク」は架空の遊園地だが、ロケが行われたのは、茨城県ひたちなか市にある国営ひたち海浜公園のプレジャーガーデンで、観覧車は「プリンセスフラワー」である。高さ65メートルだが、頂上では海抜100メートルにもなる。製造したのは泉陽興業だ。

写真提供は水戸在住の元同僚。GWの最終日に撮影。観覧車には待ちの列ができていたそうだ。澄みわたった青空に君臨する観覧車のアングルがすばらしい。




tenbosenkaisha at 16:42コメント(0)トラックバック(0)映画・テレビドラマの観覧車物語の観覧車 

2008年05月05日

サハリン映画「やさしい嘘」(2003年制作)はグルジアを舞台にしたフランスとベルギーの合作映画だ。カンヌ、ヴィエンナーレなど数々の映画祭で受賞した。グルジアはソ連邦に属していたが、1991年のソ連崩壊後に共和国として独立した。スターリンの出身地でもある。

グルジアの首都、トビリシで祖母、娘、孫娘の3世代が、アパートで一緒に暮らしている。娘の夫はアフガニスタンに行ったまま、行方がわからない。息子はパリで出稼中だ。暮らし向きは楽ではない。娘は家財をは蚤の市で売って生計を立てている。祖母は息子からの手紙と電話が唯一の楽しみだ。ところが、その息子が事故で亡くなる。娘と孫は祖母を悲しませないため、息子からの偽の手紙を書き続ける。

祖母は娘や孫が出かけたあいだに、1人で外出して遊園地で観覧車に乗る。どうして遊園地に行きたかったのかはわからない。錆びだらけで、今にも壊れそうな観覧車が頂上で止まる。停電だ。グルジアでは日常茶飯事に停電する。それでも祖母は悠然とタバコを喫う。祖母役のエステール・ゴランタンはこのとき89歳。85歳で映画デビューしたそうだが、観覧車での満足げな表情が秀逸だ。実は祖母は、遊園地の前に図書館に寄り、蔵書を全部売り払う手続きを済ませていた。その代金でパリの息子に会いに行くためだ。

モンゴルDVDに収録されたジュリー・ベルトゥチェリ監督の説明によると、「最初、家族で遊園地に来て、祖母だけがはぐれる、という設定で収録したが、編集の段階で変更になり、その部分はカットしてしまった。観覧車は古くて頼りないし、ものすごい音をたてて回るのでこわかった。それでも観覧車の場面はぜひ残したかった」とか。それで祖母が遊園地に来る場面ができたのだ。ちなみに監督は女性だ。

どんな観覧車かは、「ロシア留学中・脱力進行中」というブログにある写真をご覧いただきたい。ロシア留学中の日本人男性のブログだが、トビリシで同じ観覧車に乗られている。「チョイ役」の観覧車だが、豊かではないグルジアの生活や、祖母の心境などを語ってくれる。現在も稼動しているのだろうか。一度、乗ってみたい気がする。

写真説明(グルジアの観覧車の写真を持っていないので、映画とは関係ない2葉を)
上:ユジノサハリンスクの観覧車(ちょっと似ているかも)
下:モンゴルの観覧車(ゴンドラがコーヒーカップのように回転するそうだ)
写真提供はノーマン・アンダーソン氏

tenbosenkaisha at 20:54コメント(0)トラックバック(0)映画・テレビドラマの観覧車物語の観覧車 

2008年05月04日

函館の観覧車正面十勝平野から西へひと飛びして函館へ。
函館公園の「こどものくに」には、高さ12メートルほどの小さな観覧車がある。八角形の回転輪には、赤や黄、青などのカラフルなゴンドラが8台付き、各ゴンドラには、クマやサルなど動物が描かれている。ゴンドラのかたちは日本では珍しい長いす型で、約5分で1回転し、運賃は250円。この観覧車、実は「北海道初」にして、「現役日本最古」の観覧車でもある。

私は数年前、思い立って現役日本最古の観覧車探しを始めた。日本に約200基ある観覧車の一覧表をつくり、設置年などを丹念に調べた結果、函館公園のものと判明した。このことは日経新聞や函館新聞にも掲載され、現在では函館市民にも広く知られるようになった。観覧車見学に訪れるひとも多いようだ。

観覧車は最初から函館公園にあったのではなく、1950年に函館市に近い七飯町の道立(現在は国定)大沼公園湖畔に設置された。当時の新聞によると、「空中観覧車」とも呼ばれたらしい。当初は珍しがられたが、次第に飽きられて客足が遠のき、1965年に現在の公園に移設された。

函館こどものくに函館飛行塔観覧車は半世紀を経たとは思えないくらいにきれいだ。もちろん、大人でも乗れる。頂上に来ても、周囲の木々のほうが観覧車よりはるかに高い。それでも樹木のあいだからは海が見えるのだ。

1956年に開園した「こどものくに」には、年代ものの回転木馬や飛行塔などもある。これらは1954年に函館市で開催された「北洋漁業再開記念大博覧会」会場から移設したもので、観覧車より4歳若いだけだ。レトロな遊園地で、GWの後半を楽しむのも一興かと。


tenbosenkaisha at 22:14コメント(2)トラックバック(0)旅の観覧車絵はがき 

2008年05月03日

ロイヤル タイヤ写真最近、米ネットオークションでゲットし、きょう、米テネシー州ナッシュビルから送られてきたばかりの写真の公開を。
ニューヨーク世界博覧会に設置された「タイヤ型観覧車」を、側面から見た写真だ。博覧会は、1964年と1965年の半年ずつ、2年続けて開催された。写真の裏には、アルバムからはがした跡があり、「MAY64」のスタンプが押されている。実際に見学に行った人が撮影したらしい。いずれかのゴンドラに、家族が乗っていたのかもしれない。実際のゴンドラの色は赤かった。

製作したのはUSラバー社で、高さ約24.4メートルの巨大なタイヤの中に、観覧車を内臓していた。4人乗りのゴンドラが24台つき、約12分で1回転した。当初は無料だったが、長時間、ゴンドラを独占する厚かましい乗客を排除するため、1回25セントの有料となり、ついには50セントに値上がりしたが、人気は衰えなかった。期間中、200万人以上が搭乗した。当時のイラン国王や、ケネディ家のジャクリーンが娘のキャロライン、それに飛行機事故で亡くなった息子のジョンと一緒に乗った。

博覧会終了後、機械はアトランティックシティの海岸にある埠頭に設置され、タイヤは機械のあった部分にグラスファイバーを注入後、デトロイト空港に近い州道94沿いに広告塔として建てられ、健在だ。

ロイヤルタイヤ絵はがきロイヤルタイヤおもちゃこの観覧車のおもちゃが会場で販売され、大変な人気だった。現在でも、アンティークショップやオークションでは、状態にもよるが、最低でも150ドル以上はする。私もなんとかゲットしたのだが、送られてきたときは動かなかった。近くにボランティアでおもちゃを修理される「トイ・ドクター」を見つけ、修理していただいた。お金に困った時に、高値で売れることを期待して、箱も捨てずに保管している。

上:オリジナル写真(状態まずまず)
左:絵はがき(正面から)
右:おもちゃ(わが家のテレビの上)





tenbosenkaisha at 22:20コメント(0)トラックバック(0)絵はがきコレクション 

2008年05月01日

maple village postcard1ナイアガラ・フォールズには、スカイホイールが登場する以前に、スカイホイールより3メートルも高く、当時は北米一と言われた大観覧車があったらしい。ノームも「これには乗ったことがある」と言っていた。

1979年、レインボー・ブリッジのカナダ側入口の近くに、「メイプル・リーフ・ビレッジ」がオープンした。花壇に囲まれた美しい公園には、蝋人形館やお化け屋敷、エルビス・プレスリー記念館、それに大きな遊園地があった。遊園地には回転木馬、バンパーカー、海賊船などたくさんの乗りものが設置され、なかでも一番人気は、高さ56メートルもある、オランダ製の観覧車だった。「ジャイアント・ホイール」と呼ばれ、夜間には、観覧車の中心に星型のイルミネーションが灯り、たいそう美しかったそうだ。

オランダ製ということが、意外に思われるかもしれないが、ヨーロッパには、昔から優秀な遊戯機械の製造会社が多い。スカイホイールはアメリカのチャンス・モーガン社が製造したが、会社の選定にあたっては、オランダ、ドイツ、イタリアの会社が候補にあがったと、ガイリー氏は話していた。日本の遊園地にも、これらの国々から輸入した乗り物が多い。

メイプル・リーフ・ビレッジ遊園地の乗り物の多くは、トロントに本拠地を置くカーニバル会社、「コンクリン・ショーズ」が提供していた。カーニバル会社は主に移動遊園地のアレンジが業務だが、自社で用地やアトラクションを所有したりもする。コンクリン・ショーズはそのなかでも、老舗の大手会社である。

maple village 3人気のあった遊園地だったが、周囲のショップやレストランが他の場所へ移動したりして客足が遠のき、次第に衰退する。そして1992年に、閉園となってしまった。観覧車は閉園の数年前から操業されていなかったが、やがて解体され、オーストラリアに新天地を求めて旅立ってしまう。観覧車の栄枯盛衰は、どこの国でも同じなのかもしれない。

写真説明
上:絵はがきと観覧車の搭乗券がセットになっていた。(ノーマン・アンダーソン氏提供)
下:レインボーブリッジからの眺め。右側手前あたりにビレッジがあった。
  真ん中の建物はシェラトンホテルで、右側の塔はコダックタワー。
  観覧車はもちろんスカイホイール。




tenbosenkaisha at 23:10コメント(0)トラックバック(0)旅の観覧車世界の観覧車 
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tenbosenkaisha

by FUKUI Yuko(福井優子)
「観覧車通信」日本支局長
『観覧車物語』(平凡社)、『ニッポンの観覧車』(イカロス出版)、『たくさんのふしぎ─観覧車をたずねて』(福音館書店)、『観覧車の時代』(「建築設備&昇降機」連載)

tenbosenkaisha(展望旋回車)とは、1906年(明治39年)に初めて日本に登場した観覧車の呼び名。まだ観覧車とは呼ばれていなかった。

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