2009年06月

2009年06月20日

MickeY's Funsun wheel laughing place数日前から再び右肩に激痛が起き、眠れない夜が続いている。右肩を上にして横たわり、寝返りを打つと指先までしびれるような痛みが走る。原因はわかっている。以前から右肩関節にあった石灰沈着性腱板炎が再発したのだ。
お魚のように泳ぎたいと、6月から泳法の異なる泳ぎを習い始めたのだが、エルボーアップの泳ぎ方が、問題のある私の肩には負担が大きかったようだ。スクールの生徒には私よりはるかに高齢の方も多くおられるが、みなさんは平気なようなので、言い訳するようだが、これは加齢による問題ではなさそうだ。毎朝、近くの整形外科に一番乗りして、痛み止めの注射を打ってもらっている。指先まで痛みがあるので、パソコンも打てず、更新が滞っていたが、きょうからなんとか打てるようになった。ご近所のサヨコさんに洋服を着せてもらったり、ご飯を差し入れてもらったりして感謝感激。新しいオファーもいただいたことだし、魚のように泳ぐことはしばらく諦め、早く肩を治して仕事に戻らないと。

カリフォルニアの大学に通うエミリーがようやくミッキーズ・ファン・ホイールの写真を送ってきてくれた。なかなかよく撮れている。エミリーは子供のころからあたまのいい子で、アートの好きだったおばあちゃん、アイリーンの血を引き継いでセンスもいい。来年6月の結婚式には私も出席しようかな。
左側の写真がミッキーズ・ファン・ホイールで、右側が以前の姿のサンホイール。これは拙著『観覧車物語』出版の折に、laughingplace.comから提供していただいたもの。「お礼は要らないから本を送ってね」とのことで、1冊進呈したが、日本語なのに楽しんでもらえたのかしら。それにしても、ディズニーは顔だけ取り換えて人気を挽回しようなんて、ちょっとせこい気もする。ミッキーには悪いけど、おひさまの顔の方がすてきと思うのは私だけか。

courtesy of Emily Bailey
courtesy of laughingplace.com


2009年06月15日

お知らせ

すでにお話ししましたが、6月は「しんぶん赤旗」の毎金曜日の紙面に、「観覧車に乗ろう!」を連載中です。読者の方から「観覧車を研究しているひとがいるなんて知らなかった。おもしろい」との声が届いているそうで、うれしいです。

先日までリンクしていた「赤旗」のページが別の記事に変わってしまいましたので、リンクを外しました。元同僚の石井さんがPDFにまとめてくださったのですが、所有権の問題で残念ながらこちらへはリンクできません。ご希望の方は個別にコピーを送らせていただきます。

2009年06月14日

版画003版画001机上に数冊の調査ノートが載っている。観覧車の歴史などについて調べ始めたとき、書き留めた取材用ノートだが、どれも見事に?乱雑に書きなぐっていて、読みづらい。未使用のページがたくさんあるのに、また別のノートを使っている。

『東大合格生のノートはかならず美しい』(
太田あや著、文藝春秋刊)という本を読みたいと思いつつ、まだ読んでいないが、私のノートを見る限り、だから私は東大に入れなかったのだと確信できる。もっとも最初から受験していない。というより東大を目指すなんて、そんなこと考えたこともなかった。こんな私でも完璧なノート作りをしたことが2度あった。高校3年生のときの日本史のノートと、在職中の職転試験用ノートだ。確かにそのノートを作った後の試験では、最高点をマークすることができた。いいノートは大切なのだと、当時は実感した。

話を元に戻そう。その乱雑なノートに「観覧車の名称の変遷 (in Japan)」というページがあった。もうずいぶん前のことなので、こんなにたくさん調べたことさえ忘れていたが、せっかくの調査なのでここに記しておく。

・旋転機(「東京勧業博覧会全図)共同通信・調査部でコピー
・展望旋転車(明治39年12月29日「博覧会時報」第2号付録の東京勧業博覧会全図)台東区中央図書館でコピー
・観覧車(東京勧業博覧会全図、明治40年製)
・展望回転車(博覧都市・江戸東京展、絵はがき。東京都江戸東京博物館、1993年11月2日発行)ただしこの絵はがきのオリジナルはのちに購入した。
・展望観覧車(「風俗画報」明治40年発行)
・観覧車(朝日新聞、明治40年5月3日付、東京勧業博覧会の記事より)
・空中観覧車(同上、靖国神社の記事より)
・廻転車(朝日新聞、明治40年5月12日)
・架空旋回車(大阪毎日新聞、明治39年3月24日より)
・展望旋回車(大阪毎日新聞、明治39年5月)
・グレートホイール(大阪時事新報、明治39年5月3日)
・旋回車(大阪時事新報、明治39年5月7日)
・空中回転車(『ランカイ屋一代』中川童二著、1969年講談社刊)
・空中観覧車(「太平洋臨時増刊、東京勧業博覧会)
・空中回転車(みのう公園仁丹の広告ビラ)

「観覧車」という名称が現代でも広く使われているが、これは1904年にアメリカで開催のセントルイス博覧会で設置された観覧車の名称、「オブザベーションホイール」を訳したもの。じつはオブザベーションホイールは1893年にコロンビア博覧会に登場した世界初の大型観覧車、「フェリスホイール」を移設したものだった。

写真説明
上左:東京勧業博覧会の観覧車の広告チラシ。
上右:当時の版画。



2009年06月08日

東京サマーランド1東2(和歌枝さんより)2009年5月左の写真は東京サマーランドの「スターホイール」。英会話サークルの仲間だったワカエさんからいただいた。以前、ワカエさんのご主人からもハノイの観覧車の写真を送っていただいたことがあり、ご夫婦揃って気にかけてくださってありがたいことだ。東京サマーランドの観覧車は高さ62メートルだが、海抜223メートルの高地にあるそうだ。製造は倒産したトーゴだが、東京近郊の観覧車には実にトーゴ製が多い。よみうりランド、相模湖ピクニックランド、それに閉園となった向が丘遊園の観覧車もトーゴ製だ。

写真と言えば、「wanted」だった「南昌の星」の写真だが、「中国南昌?ん??どこだあ???中年語学留学生奮戦記」というブログを開設しておられる正晴さんから提供していただくことになった。正晴さんは私と同じ団塊の世代の一員で、江西省の南昌市にしばらくのあいだ、語学留学されていた。上記のブログのなかに、使わせていただける写真が掲載されている。南昌市のようすも知ることができるので、興味のある方はぜひどうぞ。私も語学留学したいのだけど、しばらくは保険に新規加入できない身だし、もう少し体調を見てからでないと。私は中国語にはあまり興味がない。行きたいのはやはり英語圏だ。

FWGPさんのブログに、大阪のHEPFIVEが点検のため、10月まで休止するとあってびっくりした。運営会社がメディア向けに配布したお知らせによると、リフレッシュして艶やかな外観に生まれ変わるという。

ところで、「からくるりん」という、世界初の観覧車型全自動たこ焼き機があるそうだ。ま、たこ焼きは日本にしかないから、アメリカ製またはフランス製などのたこ焼き機はないはずで、日本初はすなわち世界初なのだが。「からくるりんの秘密」をクリックすると、動画でその様子を観ることができる。動画は12編に分かれているから、順次クリックしてみてください。学園祭とか、バザーの余興に置けばおもしろいかも。



2009年06月01日

ベルリン遊園地001ドイツ オクトーバフェスト001「世界の観覧車」に使う写真探しのため、絵はがきを整理していたら、古いドイツ製の絵はがきが2枚見つかった。どちらもイーベイのオークションでゲットしたもの。
まず左の観覧車だが、表面(あて名書き)にはドイツ語、ロシア語、フランス語による説明文があり、英語では「Ferris Wheel 43m high, at Berlin's amusement park」とある。ネット上の百科事典、「 Wikipedia」によると、「シュプレー(Spree)パーク」と呼ばれ、ベルリンにあった遊園地の観覧車らしい。

この遊園地は、まだ東ドイツの統制下だった1969年に開園し、東西統一後のベルリンでも唯一の常設遊園地だった。この観覧車が設置されたのは1989年で、それまでのもう少し小型の観覧車と交代し、遊園地のランドマークとなった。東ドイツ時代は、毎年平均すると約170万人もの入場者があったという。ところが1999年ごろから経営不振に陥り、2002年に閉園となった。現在、観覧車は稼働していないが、廃墟と化した遊園地に、ボロボロの状態(のはず)で建っている。「Abandoned Amusement Parks in Berlin 」でその姿を見ることができる。遊園地の元オーナーたちは、「フライングカーペット」や「スパイダー」など6種類の遊具を持ってペルーのリマに渡ったが、その後、経営者親子はそれぞれ、コカインをベルーからドイツへ密輸しようとしてつかまり、現在はペルーで服役中という。なんか悲しいバックグラウンドを持った観覧車だ。

もう1枚の絵はがきは、もっと時代が古そうだ。人々の服装から判断すると、19世紀の終わりか、20世紀の初めごろと思われる。左上に書かれた「Gruss vom Oktoberfest」は「Greetings from October Festival」という意味。こちらは毎年、9月から10月にかけてミュンヘンで開催される祭りで、ビールフェスティバルとして知られている。最初のオクトーバーフェスティバルが開催されたのは1810年。当時の王子さまと王女さまの結婚を記念して、10月に競馬が開催されたのが始まりという。さて、この絵はがきの観覧車だが、それほど大きくなさそうだ。正面に3つの看板があり、それぞれ次のように書かれている。

Aussichts−展望
Columibia-Rad─コロンビアの観覧車(radとは英語のwheelにあたり、車輪とか輪という意味)
Luftschaukel─空気が揺れる(そのまま訳すと)

なんとなく意味はわかるが、真ん中の「コロンビアの観覧車」というのは、1893年にシカゴで開催されたコロンビア博覧会の観覧車、すなわちフェリスホイールに因むということなのだろうか。ドイツ語で観覧車は「リーゼンラート」(大観覧車)なので、どうしてここに「コロンビア」が表記されるのか不思議だ。ドイツにも優秀な遊戯機械製造会社があったはずだが、この観覧車は米国製だったのだろうか。




最新記事
livedoor プロフィール

tenbosenkaisha

by FUKUI Yuko(福井優子)
「観覧車通信」編集長
『観覧車物語』(平凡社)、『ニッポンの観覧車』(イカロス出版)、『たくさんのふしぎ─観覧車をたずねて』(福音館書店)、『観覧車の時代』(「建築設備&昇降機」連載)

tenbosenkaisha(展望旋回車)とは、1906年(明治39年)に初めて日本に登場した観覧車の呼び名。まだ観覧車とは呼ばれていなかった。

記事検索
お問い合わせの窓口

お名前、アドレス、内容などは公開されませんので、ご安心ください。

名前
メール
本文