絵はがき

2012年02月04日

浅草松屋絵はがき003浅草松屋絵はがき001久しぶりにヤフオクで買いものをした。最近はアメリカのネットオークションサイトのイーベイやヤフオクで散財していない。あまり欲しいものがないからだ。すでに所有しているものが多い。もうかなりつぎ込んだもんね(笑)。
そんななかで、久しぶりにそそられたのが、浅草松屋の袋入り絵はがきだった。建物全景、売り場、屋上風景の3葉が納められていた。はたして落とせるのかとドキドキしたが、そこそこの値で入手できたのは幸いだった。
右はそのうちの1葉で、今回の主目的だった絵はがき。左は観覧車部分を拡大したもの。

浅草松屋絵はがき004次に、この袋入り絵はがきの年代を推定してみた。
左の3枚は浅草松屋百貨店の全景。今回、袋に入っていたのはまん中の絵はがきだ。あとの2枚は以前から所有していた。一応、年代順に並べた。これであっていると思うのだが。

上:昭和6年(1931年)から戦前までに発行されたと思われる絵はがき。
屋上には昭和6年に設置されたスポーツランドの娯楽の一つ、ロープウェイの「航空艇」が見える。建て物が白いので、一番新しく見えるが、これは百貨店が新装開店して間もない頃だからだろう。店名の表示が「屋松草浅」と、右書きになっている。スポーツランドは日本の娯楽業界のパイオニアの1人だった遠藤嘉一(日本娯楽機製作所)が開園した。

中:今回、袋に入っていた1葉。
なんだか薄汚れていて、これが一番古そうに見えるが、店名は「浅草松屋」と左書きだ。手前の家々が上の絵はがきよりお粗末なのは、戦後まもないせいか。屋上には観覧車が見えるだけだ。
戦後、スポーツランドが完全に復興したのは昭和23年(1946年)だった。『遊園地の文化史』(自由現代社刊、中藤保則著)によると、昭和24年には屋上に複式飛行塔が、また25年には、スカイクルーザーが設置されている(下の写真参照)。このことから飛行塔が一番に設置されたと思っていたが、じつは観覧車のほうが早かったことが、この絵はがきで判明した。

下:これは絵はがきではなく、『松屋百年史』に掲載されていた写真。
スカイクルーザーは昭和25年から昭和35年まで屋上にあったので、この写真もそのあいだの、いずれかの時期に撮られたものだ。スカイクルーザーのことは拙ブログ「『東京暗黒街─竹の家』のスカイクルーザー」で説明済み。

浅草松屋絵はがき005浅草松屋絵はがき006「中」と「下」の観覧車部分を拡大してところ、2基は少しデザインが異なるようだ。新旧入れ替えたのか、一部をリニューアルしただけなのかは不明。
左が「中」で、右が「下」に写っている観覧車。右の観覧車の回転輪には、左の観覧車にはない赤い内輪が見える。

浅草松屋絵はがき袋001浅草松屋絵はがき002左は絵はがきの入っていた袋。松屋のシンボルマーク、鶴と松葉が絵が描かれている。
右は売り場風景。「トリコット製品」という名称が懐かしい。

浅草松屋絵はがき007←「上」の写真にも写っていた「航空艇」の絵はがき。
屋上の両端を往復した。当初、道路と隅田川を越えて対岸まで往復する構想だったが許可が得られなかった。次に建て物の周囲を一周する計画に変更。これも建物からの支柱に問題があり、結局、建物の両端を往復する案に落ち着いたという。(『松屋百年史』より)

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2011年12月07日

コニーアイランド001コニーアイランド003最近、ちょっと気になるCMがある。それは福山雅治が海辺のベンチに腰かけてライスサラダラップを食べる、キユーピー・マヨネーズのCMだ。
NHK大河ドラマ「龍馬伝」の福山雅治はすてきだったが、特にファンというわけではない。気になったのはその背景だ。米ニューヨーク州ブルックリンにある遊園地、「コニーアイランド」で撮影されていたからだ。コニーアイランドのランドマークとも言える大観覧車「ワンダーホイール」もちらりと写っているではないか。CMを見たい人はココをクリック。

コニーアイランド002というわけで、きょうはコニーアイランドとワンダーホイールについてお話ししたい。
コニーアイランドはアメリカの遊園地のなかでも、もっともアメリカ人のハートをとらえたリゾート地と言われている。1800年代の終わりから1900年代の初めにかけて、シーライオン、ドリームランド、スティープルチェイスといった遊園地がオープンし、人々を引きつけた。過去に何基かの観覧車が設置されたが、もっとも有名なのが、1920年に設置され、現在も稼働しているワンダーホイールだ。静止型とスイング型の2種類のゴンドラがあり、スイング型はブランコのように揺れながら軌道を滑り落ちる絶叫型ゴンドラだ。

私は2003年10月にコニーアイランドを訪れた。すでにシーズンオフで、しかも雨が降っていたせいか、閑散としていた。というより、うら寂れて治安も悪そうだった。私も海を眺めたかったが、身なりの良くない男たちがうろついていたので諦め、早々に引きあげた。なので悠々とかっこよく、ライスサラダラップを食べる福山さんが羨ましいのだ。

写真説明
上左:たぶんニューヨークの土産物店で購入したものと思われる、おふざけの絵はがき。
上右:どこで入手したのか、忘れてしまった絵はがき。

下:1941年7月23日の消印がある古い絵はがき。コニーアイランドの全盛期かも。

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2011年05月08日

高塔山スポーツランド左の写真は、福岡市在住の郷土史研究家、益田啓一郎さんから送られてきた写真。福岡県若松市(現在は北九州市若松区)の高塔山公園にあった遊園地だ。同じ写真が「おニャンコポンな絵葉書たち」で紹介されている。あちらのほうがクリックしたとき、もっと大きな像で見られるので、ぜひそちらをご覧ください。

その説明によると、高塔山スポーツランドは若戸大橋開通を記念して1962年(昭和37)に開催された「若戸大橋完成記念―産業・観光と宇宙大博覧会」(若戸大博覧会)の若松側の会場として整備された施設だそう。絵葉書の年代は、「印刷形式から1961、2年頃のものなので、丁度博覧会開催前後の画像と思われる」と述べられている。「おニャンコポンな絵葉書たち」には、もう1枚、上空から撮った観覧車の絵はがきが掲載されている。

観覧車のことで、もう少しなにか情報はないかと、乃村工藝社の博覧会資料のデータベースで調べてみた。若戸大博覧会に関する説明を要約すると次の通り。

この博覧会の期間は1962年(昭和37)9月28日〜11月25日の約2カ月間。主催は東洋一の大吊橋で結ばれた若松市と戸畑市だった。若松会場は洞海湾や若戸大橋を眼下に、遠く玄海灘を一望する高搭山公園で、ここには産業と防衛館や生活文化館のほか、石炭・かっぱ館、サイクル館、全国観光と優良物産館がつくられ、総工費2、300万円を投じて、東洋一の観覧車をもつ子供の国が4月に開園、国鉄こだま号の40分の1の豆汽車のほか、人工衛星搭、ムーンロケット、スカイバケット、チューリップ・フライングボートなどの遊技場がつくられた。

「子供の国」が「高塔山スポーツランド」のことと思われる。東洋一の大観覧車だったというが、絵はがきで見るかぎりでは、それほど大きくはない。2年後の1964年(昭和39)には、横浜ドリームランドにワンダーホイール(高さ60メートル)が設置され、1970年(昭和45)には日本万博会場に高さ40メートルの観覧車が設置されたが、昭和37年当時ではこれでも大観覧車だったのかもしれない。と言っても高さなどは不明で、製造会社もわからない。おそらくサノヤス・ヒシノ明昌の前身である、明昌特殊産業と思うのだが、定かではない。益田啓一郎さん、いつもありがとうございます。

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2011年03月10日

天王寺るなぱーく001天王寺るなぱーく002おニャンコポンな絵葉書たち」で「チ―サー」のことが紹介されていたので、こちらでももう一度、写真を掲載する。「もう一度」というのは、拙著『観覧車物語』のなかで、「大正期の大型遊戯機械」として、上記の写真を紹介しているからだ(157ページ)。これらはともに、大阪・天王寺の「ルナパーク」にあった乗物だ。
左の写真は「サークリング」で、水平に回転する遊戯機械。右側が「チ―サー」で、拙著中では、「チェア・サークルの略か」と、ええ加減なことを書いてしまった。「おニャンコポンの絵葉書たち」によると、これは「TEASER」という乗物で、オリジナルはニューヨークのコニーアイランドにあったと紹介されている。それで、私としては目から鱗となった次第。そこで「TEASER」について調べてみた。

「TEASER」は、前回のブログで紹介したウィリアム・マンゲルズが考案した遊戯機械で、製作されたのは1910〜1911年。マンゲルズはコニーアイランドのルナパークで働いていた。「TEASER」の「TEASE」とは「からかう」とか「いじめる」といった意味があり、なにかそういう意表をついたような仕掛けがあったのかもしれない。これは推測だが、上下に椅子が動きつつ、「コーヒーカップ」のようにも回転し、メリーゴーランドのように大きく回転もしたのではないだろうか。

イーベイにおニャンコポンさんと同じ絵葉書が出品されているが、ちょいと予算がオーバーする値段なので、もう少し安いのが見つかったら購入しようと思う。それにしても、どちらの乗り物にも乗っているのは大人の男ばかり。当時の感覚では、女子供の乗るものやない、ということなのだろうか。

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2011年02月14日

アールズコート001water chute earls court前々回で紹介したブログ「おニャンコポンな絵はがきたち」では現在、「観覧車」の絵はがきが掲示されている。1970年代の台湾にあった屋上観覧車や、宮崎市橘百貨店の屋上観覧車の絵はがきなど、珍しいものが随時アップされていて楽しい。

こちらの方は、先日よりイーベイでイギリス関係の絵はがきや雑誌記事を立て続けにゲットした。「ファイナル版・これが池之端の観覧車だ!」でお話ししたように、日本初の観覧車を設営した「小池氏」は、じつは第5回内国勧業博覧会(1903年)で、日本初のウォーターシュートを設営していたことがわかったからだ。ウォーターシュートと観覧車、この接点はどこにあったのか?

water chute glasgow内国勧業博覧会のウォーターシュートは、スコットランドにあるグラスゴーで開催された「イギリス万国博覧会」(1901年)のウォーターシュートを模したものだ。万国博とは名だけの小さな博覧会だったが、日本は補助金を4万円も出し、5千点あまりの出品もした。小池さんも参加したかもしれない。そこでウォーターシュートを見て大阪へ持ってきたのだろう。そのとき、小池さんはロンドンのアールズコートにも寄ったのではないだろうか。アールズコートでは、グレートホイールがまだ稼働していた。

今日届いたばかりの当時の雑誌「BLACK AND WHITE」(June. 2, 1894)には、建設される前のグレートホイールの記事が出ている。グレートホイール(雑誌ではジャイガンティックホイール)の資材調達先なども書かれていて、それによると、グラスゴーにあったいくつかの会社も関与している。例えば鉄の圧延はバードモアーズ社(Messrs. Beardmore's)で、支柱はアロル社(Messrs. Arrol)といった具合に。どちらもグラスゴーにあった会社だ。グラスゴーは産業革命以後、工業都市として栄えた町なので、そういう会社があっても不思議ではない。日本で建設された展望旋回車も、ひょっとして部分的にはグラスゴー製?
というわけで、古きよき時代のイギリスに注目している。

写真説明
上左:アールズコートにあったフライイングマシーンという遊戯具。奥に観覧車が見える。これは1904年に当地で開催された「イタリア博覧会」時のもの。
上右:アールズコートにあったウォーターシュート。
下:グラスゴー博覧会時のウォーターシュート。水平服姿の船頭さん。内国勧業博覧会でも同じ格好をしていた。

参考文献
『博覧会強記』(寺下勍著、エキスプラン刊)

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2011年01月10日

立体写真観覧車2立体写真観覧車外は北風が強く、寒さが厳しいようだが、わが家は5階建てマンションの最上階にある南西角部屋。周囲には高い建物はなく、日の出から日没まで、お日様の動きがわかる。いまは角あたりに差しかかったところだ。西側の窓からは富士山が一望できる。このように天気がいいと、室内暖房は膝暖房用のパネル板でじゅうぶんに暖かい。

前回に引き続き、昨年末にゲットしたもう1枚の写真を紹介したい。これは立体写真、つまり当時の3D写真だ。専用メガネで見ると、像が浮かび上がって見える。専用メガネについては、ブログ「セントルイス博覧会のオブザベーションホイール」に掲載している。

今回の写真を、拡大鏡でじっくりと観察した。観覧車は第一会場の竹の台にあったもので、この角度からの写真は珍しい。立体写真は通常2葉の写真が1枚の版に並んでセットされている。同じ写真に見えて、少し位置がずれている。専用メガネで見たとき、そのずれによって立体的に見えるのだ。右の写真は、1枚だけを拡大したもの。下の図は帝国画報に掲載されていた会場図中、この付近を示している。観覧車の右隣りには「新聞縦覧所」があり、その隣りには「有料便所」があったようだ。写真をもっと拡大したのが左の写真だ。「アルボース便所」との表示が。これはいったいなんだ?と興味をそそられ、調べてみた。

アルボース001アルボース002アルボース」という会社が、現在も日本にあった。衛生用洗剤会社らしい。しかし、この会社の創業は昭和26年で、明治期ではない。
では「アルボース」とはなにか。yahoo辞書によると、これはドイツ語の「arbos」で、「薄黄色の固体。水に溶けやすく消毒剤として用いる」とある。つまり、博覧会場の有料便所は、「共同便所とはちがい、消毒剤できっちりと清掃されたトイレですよ」という意味だったのかも。
ちなみに、第一会場には、有料も無料も5、6カ所ずつあったが、池之端の第二会場では、外国館裏の2カ所ずつだけ。池の周囲には見当たらなかった。周囲には飲食店や売店がずらりと並んでいたから、隣接して出店することをいやがったのかもしれない。水洗のない当時なので、池が汚染されるのを心配したのかもしれない。新聞で見ると、便所の清掃が十分でないという苦情が多く寄せられていた。



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2010年08月30日

犬山公園003犬山公園001おそらく昭和30年代の風景と思われる絵はがきをヤフオクでゲットした。今回もライバルなしで500円だった。左の写真は絵はがき中の観覧車部分を拡大したもの。愛知県犬山市にあった犬山遊園の観覧車だ。観覧車のかたちから察すると、年代は古そうだが、人々の服装は昭和30、40年代の感じがする。

犬山市は、江戸時代から城下町として栄えてきた町だ。涼しくなったら、訪問させていただく予定のアキコさんの住まいはこの近くにある。犬山遊園は昭和の初めに開園した遊園地だが、現在は日本モンキーパークの一部となっている。絵はがきでも桜が満開だが、現在も桜の名所らしい。この遊園地に関しては、あまり情報が見つからなかったので、名古屋を訪れたときに、また調べることにする。とりあえずは写真のみ。

続き
2010年10月26日アップのブログへ。ココをクリック。



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2010年05月29日

HEPfive from KYK2010528「このたびの旅・九州篇」は博多に入った。なので、ここから博多での話になるはずだが、「現世」でもいろいろな動きがあって、まずはそれらの報告から。

左の写真はご存じ、大阪・梅田にある赤い観覧車。すでにこのブログで、何回か登場している。昨日(28日)、次回の出版の打ち合わせなどがあり、大阪へ日帰りで出かけた。東京もそうだったが、昨日の大阪も意外に寒かった。薄手のカーディガンしか持参しなかったことをちょっと後悔。エネルギーが必要と、お昼に入ったのが、阪急グランドビル28階にあるとんかつ専門店「KYK」。関西ではおなじみのチェーン店だが、東京には支店がない。「KYK」とは、初めてオープンした店が「瓦町洋裁研究所」内にあったからだとか。大阪の瓦町のことだと思う。
この店を選んだのは、窓からHEPファイブの観覧車が見えたから。バルコニーの囲いで遮られる部分もあったが、青空を背景にした観覧車は、大きな赤い羽を広げたクジャクのよう。で、それに見とれていたのと、空腹のため、とんかつの写真は撮り忘れた。

25日(火)は、本郷にある東京大学を訪れた。7月に予定の講演の打ち合わせと教室の下見だ。昭和の初めに建てられた校舎や、東大の象徴ともいえる赤門がレトロでかっこいい。ずっとメールだけのお付き合いだった木下直之教授に初めてお目にかかった。講演が予定されている教室は、階段式でけっこう広い。私は声が大きいほうだが、やはりマイクは必要かも。

熱海後楽園 001左は最近ゲットしたばかりの「熱海後楽園」の絵はがき。熱海後楽園については、このブログの「熱海後楽園遊園地の観覧車」に詳しい。そこで紹介した絵はがきとは異なる角度から撮影されている。手前に「錦ヶ浦駅」が見える。JRではなく、バス停なのだろうか。観覧車の設置年はわからないが、1994年に撤去されている。

次回は「このたびの旅」に戻り、再び福岡の観覧車を紹介します。



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2010年04月20日

鶴見花月園秘話001犬を抱く斧沢殿吉「歴史は塗るかえられるもの」という言葉があったような気がする。観覧車歴史上のビッグニュースは、最初、東大の木下直之教授がもたらしてくださった。それは1冊の本の紹介とともに送られてきた、数枚の観覧車の写真だった。本は『鶴見花月園秘話─東洋一の遊園地を創った平岡廣高』(斎藤美枝著、鶴見区文化協会刊)で、写真は花月園にあった観覧車と、その製作者の写真などだった。送り主は、著者の斎藤美枝さんご自身だ。取り持ってくださったのが木下教授だったのだ。「このたびの旅─九州篇」を始める前に、この臨時ビッグニュースを紹介したい。

花月園の観覧車については、拙著『観覧車物語』の「花月園の観覧車」の章で取り上げている。ノームの本『Ferris Wheels: An Illustrated History』に出ていたもので、拙著を書くとき、ノームからコピーをもらった。その後、ヤフオクで無事に絵はがきをゲットできた。

P4200005観覧車絵葉書低解像度経緯を全部説明すると長くなるので、ちょいとはしょる。
きょう、雨の降るなか、横浜にある花月園へ出かけた。「女優の五大路子さんが、観覧車の製作者のお孫さん2人と会われて花月園のなかを見学する。それを地元のテレビ局が録画することになっている。その前後ならお孫さんと話ができる」と、『鶴見花月園秘話』の著者である斎藤美枝さんが誘ってくださったのだ。五大さんは本を読まれて感激し、舞台でドラマ化される予定だ。タイトルも決まっていて「じゃん、じゃん花月園」という。観覧車も登場するかもしれない。

結局、五大さんとお孫さん2人、斎藤さん、神奈川新聞・文化部の記者、地元テレビ局のスタッフに私の計7人で花月園のなかに入った。現在の花月園は競輪場になっているが、それでも桜や松、藤棚などは昔のままだそうだ。

観覧車スタンプ観覧車のあったのは昔、「黄金平(こがねだいら)」と呼ばれた高台だった。いまは建物があり、当時のようすをしのぶことはできない。観覧車の製作者は、斧沢殿吉さんといい、以前は横浜ドックの技術者だった。観覧車を製作したのは初めてだったが、お孫さんの話では、「とても器用なおじいさん」だったそうだ。「製作したのは、おそらく大正の末期で、花月園の経営者だった平岡廣高が、欧米での遊園地視察の折に撮影した写真などを見て製造したのでは」とのことだった。図面もあったが、人に貸したまま、戻らなかったそうだ。斧沢さんは観覧車を製造しただけでなく、運営もしていた。観覧車の乗車賃は、大人も子供も1回8銭だった。また、斧沢さんは花月園のなかにあった「おとぎ茶屋」も経営していた。

さて、この観覧車だが、大正期にできたとは思えないくらい精巧だ。長らく国産初とみなしていた名古屋汎太平洋博覧会場の観覧車より、はるかに技術が進んでいた。まず駆動方式だが、ワイヤー式が多かった明治期のものとは異なり、現在でも小さな観覧車に見られるギア方式だ。ゴンドラは8台。屋根はトタン葺きで、ドアは古いエレベーターでよく見る蛇腹式。また、観覧車の中心にある風車の下には、当時の人気キャラクターだったベティ人形が飾られていた。ベティさんはブリキ製で、バイオリンを弾く弓の部分は動かせるようになっていたそうだ。斧沢さんは、そういう「からくり」の仕掛けを作るのが得意だったとか。観覧車は、「大観覧車ベティさん」と呼ばれて親しまれた。当時の品川駅には、この観覧車のミニチュアも展示されていたという。

大正期に設置された観覧車は、ほとんど見つかっていない。各地で開催された博覧会場にも、観覧車が設置されていたという記録を見かけない。先に述べた名古屋汎太平洋博覧会で、遊戯機械のパイオニア、土井萬蔵が初めて観覧車を設置したのは昭和12年のことだ。なので現時点では、花月園の観覧車が「国産1号」の観覧車だと言える。大きさの記録は残っていないが、推定で高さ8~10メートル。かって百貨店の屋上にあったような小型観覧車だったのではないだろうか。それでも頂上からは、横浜港が見えたという。第二次世界大戦の終了前後に、観覧車は解体撤去されたようだ。

写真説明
上左:『鶴見花月園秘話』の表紙。観覧車の絵はがきから。
上中:製作者である斧沢殿吉さん。

中左:後列左から五大さん、斎藤さん、前列左からお孫さんの馬場康子さんと高田修子さん、筆者。
中右:観覧車の中心に付いていたバイオリンをひくベティさん。

下:当時つくられたスタンプが今も残っている。「斧沢殿吉」の前に(25)とあるのは、殿吉さんの年齢ではなく、花月園内にあった娯楽所の所在(順番?)を示す番号。(お孫さんの高田修子さん所蔵)

追記
その後の調べで、この観覧車が大正生まれである可能性はゼロではありませんが、かなり薄くなってきました。昭和の初期かもしれないということです。経緯については、「横浜開港記念の日に」(2010年6月4日)をお読みください。



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2010年02月03日

躍進日本工業大博覧会観覧車002躍進日本工業大博覧会観覧車001昨日は雪の残る都心まで出かけた。四谷三丁目駅で下車し、「新宿歴史博物館」へも寄った。現在、東京都下にあった観覧車を調査中で、昭和25年に明治神宮外苑に設置されていたという観覧車を調べに訪れた次第。この件は次のブログで報告することにする。躍進日本工業大博覧会観覧車003

右上の絵はがきは、最近、ヤフオクでゲットしたもの。左は観覧車の部分を拡大した写真。右下はマイクロフィルムに収められた、当時の新聞に掲載されている博覧会の記事。

1936年(昭和11年)3月25日から5月15日まで、東京・上野公園で開催された「躍進日本工業大博覧会」で、このときに余興として設置された観覧車が写っている。この博覧会と観覧車のことは、以前、このブログの「双子の観覧車」で紹介済み。新聞の写真は不鮮明だったので、今回、絵はがきで鮮明な写真を入手することができてうれしい。ライバルがいなかったので、わずか1000円で落札できた。クリックするのが面倒と思われるひと用に、もう一度、かんたんに説明しておく。けれど、写真をもっと見たいひとは、やはりクリックしてください。

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1936年(昭和11年)、東京・上野で「躍進日本工業大博覧会」が開催された。戦前の日本では各地で、「産業博」とか「工業博」などと銘打った博覧会がよく開かれた。戦意高揚の意味もあったのかもしれない。「躍進日本工業大博覧会」では、電気工業館や化学館など工業関係の展示が主だったが、「チャーチルタイトアトラクショション」という娯楽広場が設営され、観覧車も設置された。「チャーチルタイトアトラクショション」とは、アメリカからきたカーニバルの一行と思われる。怪力で鉄棒をねじ曲げる「蛇男ターザン」もいたそうだ。

当時の新聞にある写真によると、観覧車は2基並んで設営されたようにみえる。ただ新聞の本文中にはそんな記述がないので、ひょっとしたら広告用に、像をダブらせたのかもしれない。日本では珍しい長いす式で、米イリノイ州にあるアメリカ最古の観覧車製造会社、イーライ・ブリッジ社製だ。もし2基設置されていたとすれば、これらは「ドュプレックス・ホイール」と呼ばれ、高さは12メートル。「ドュプレックス」(duplex)とは「二重の」、または「二連の」という意味だが、ここでは「双子の観覧車」と呼んでおく。「双子の観覧車」は1939年にサンフランシスコで開催された博覧会にも設置されている。

当時の新聞によると、観覧車は「フェリスホイール」と呼ばれ、「廻るよフェリスホイール」とか、「ニューヨークのコニーアイランドを連想させる」と、たいそう人気だった。日本初の国産観覧車が登場するのは、翌年の1937年だから、まだまだ観覧車が珍しかったはず。

浅草花やしきが所蔵するアルバムには、「双子の観覧車」の写真が1枚ある。どの写真もセピア色なので、年代はわからないが、浅草花やしきの前オーナーである「トーゴ」(旧東洋娯楽機製作所)が設立されたのが1935年だから、撮影された可能性がないとは言えないが、それ以降にもカーニバルが日本にやってきて、設置されたのかもしれない。現に1953年の夏に、アメリカからやってきた移動遊園地「コニーアイランドショー」が、後楽園の近くで開催され、それに啓蒙されて「後楽園ゆうえんち」が開園されたとの記録もある。そのときに「双子の観覧車」も再来日していたのかもしれない。
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絵はがきには「蛇男」も掲載されている。左側の男は体がやわらかいというのが特技なのだろうか?胸にナチスの「カギ十字」が描かれている。右端はマジックショーなのだろう。こういう娯楽は「サイドショー」と呼ばれる、カーニバルでの余興だ。
博覧会には、三菱電機が出展した国産初のエスカレーターの模型もあったそうだ。当時のお金で1万数千円もしたという。

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A Ferris Wheel (or Duplex Wheel)at the exhibition of Progressing Japanese Industy in 1936
The above photo (middle) is a postcard which I got at the Yahoo auction in Japan recently. It is the postcard of "Yakushinsuru Nihon Kogyo Dai-hakurankai." "Yakushinsuru" is "Making progress," "Nihon" is "Japan," "Kogyo" is ""Industry," and "Dai-hakurankai" is "Big exhibition" in Japanese. The exhibition was held at Ueno park of Tokyo in 1936. An American carnival named "Churchill Tight Attraction" visited Japan and held a show then. A Ferris wheel which was probably made by Eli was set there. According to the newspaper at that time, it might be a duplex wheel. Please click here and confirm it by an old newspaper though the photo is not clear. You can see a photo (above) of a duplex wheel in the former blog page, but I do not know whether it was taken at the exhibition or not as the photo was coutesy of Asakusa Hanayashi.

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2010年01月01日

展望旋回車001あけましておめでとうございます。
東京は晴天にめぐまれた元旦です。西の窓からは、少し雲はかかっていますが、きれいな富士山が見えます。さきほど温泉の素を入れた朝風呂に入り、湯上がりに、黒粒の胡椒をまぶしたカモの燻製をさかなに、昼ビールしています。ビールはエビスの超長期熟成「琥珀」。こんなことができるのも、お正月のよさですね(笑)。

写真の絵はがきは、日本初の観覧車である「展望旋回車」。この観覧車がこんなに大きく写っているのはめったに見かけませんので、昨年、ヤフオクで見つけたときは、感激したものです。「恭しく新年を奉賀x 一月元旦」と書いたのは私ではなく、はがきの差出人である関本丑吉さんです。表書きを見ると、三重県津市にお住まいだった稲葉小太郎さん宛てに出されています。「東京にて」とありますから、当時は東京にお住まいだったのでしょう。展望旋回車は、1906年に大阪・天王寺公園で開催された戦捷紀念博覧会場に設置されたものですから、関本さんは大阪へ出かけられた折に、絵はがきを購入されたか、あるいは、なんらかの事情で大阪から東京へ移転されたのでしょう。消印の日付が読めないので、時間の経過はわかりません。

点眼鏡でよく見ると、ゴンドラの中に乗客はいないようです。全部揃っていないし、1台は傾いているし、で、正式に開業する前に撮られたものでしょう。観覧車の近くにある木々は花が満開で、季節は春と思われます。博覧会が開幕したのは、4月1日でしたが、観覧車の開業は1カ月遅れました。なにしろ日本初の観覧車でしたから、検査がそうとう厳しかったようです。とすれば、博覧会は始まっていたが、観覧車はテスト中だったころの写真だと思われます。よく見ると、観覧車の足元で数人の男性が観覧車を見上げています。このなかに、展望旋回車の設営を企画した興行師の「小池氏」がおられるのかもしれません。「はよ動くようにしてくれんと、遅れたら儲からんがな」みたいなことを言って、はっぱをかけておられたのかもしれませんね。

このように、なんだかんだと、今年もあまり世の中のお役には立ちそうもない、観覧車のしょうむない話などをお届けしたいと思っていますので、よろしければお立ち寄りください。
2010年が、みなさまにとっていい年になりますように。
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Happy 2010!
The new year has started. We Japanese are celebrating the first of the new year today.
The above photo is a postcard of the first Ferris wheel in Japan in 1906. I got it at the yahoo auction in Japan. The Ferris wheel had no passengers in the photo at the time. The exposition was held from April, but the opening of the operation of the wheel was delayed as it had to be tested for many times.



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2009年12月30日

スウェーデン観覧車001今年も残すところ、あと2日。やっと年賀状を投函し、今年最後の仕事もなんとか脱稿した。ジムもきょうから4日間は休館となる。ひと泳ぎのあとに入っていたお風呂にも入れない。「家の風呂は寒いし、狭いからいやだ」と、久しぶりに町の銭湯を利用した。ところが、入湯料が450円もするのにびっくり。備え付けのドライヤーを使用すると、20円追加料金を払わなくてはならない。アホくさ。で、あすからしばらくは家の風呂でがまんすることにした。上等の「温泉の素」でも買ってこよう。

さて、上の絵はがきは最近、イーベイでゲットしたもの。スウェーデン第2の都市、ヨーテボリ(Goteborg)にある遊園地、「リセベリ」(Liseberg)にあった変形観覧車の一つ、「パラトルーパー」だ。絵はがきは1966年8月8日に、アメリカに向けて投函されている。1923年に開園したリセべりは、北欧一大きな遊園地で、Forbes誌が選んだ2005年度世界ベスト10遊園地の1つに入っている。ちなみに、残りの9遊園地には、チボリ(コペンハーゲン)、シックス・フラッグス・グレート・アドベンチャー(ジャクソンビル)、ロッテワールド(ソウル)、ディズニーランド・パーク(アナハイム)などが入っているが、日本はどの遊園地も選ばれていない。
パラトルーパーに関しては、このブログの、「『フューリー』の爆破されたパラトルーパー」(2008年06月23日)で説明済みなので、知りたい人はココをクリック。現在のリセべりには、パラトルーパーはすでにない。

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A paratrooper at the Liseberg amusement park in Goteborg, Sweden.
I recently got the above postcard at the eBay auction. According to the posal stamp, it was mailed the 8th of August in 1966. The Liseberg is the biggest amusement park in Northern Eruope. The park was chosen one of the best ten amusement parks in the world in 2005 by Forbes magazine. The paratrooper was already dismantled, and you can see another pretty Ferris wheel there. If you click here.

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2009年12月25日

こども遊園地表001こども観覧車表001すべてフランス製のアンティーク絵はがき。どれもリアルな赤ちゃんがいっぱいだ。

上左:最近、ヤフオクでゲットした。フランス語で書かれているので意味がよくわからないが、翻訳機によると、カップルが抱き合っている写真の周囲に書かれている文章は、「大きなキスをくり返すと赤ちゃんがたくさんできますよ」という意味らしい。傘のようなポールは洗濯もの吊りなのだろうか。表の消印を見ると、「イレ・ビレーヌ」というブルターニュ地方の東にある町から、パリ宛てに送られたようだ。どの数字が年代かよくわからないので、時代は判定できない。

上右:消印が1909年4月2日と解読できた。ニューヨークから投函されている。この観覧車はおそらく1900年のパリ万博に設置されたラ・グラン・ルーだ。赤い旗はなにを意味するのだろう。

下左:切手がはがされていたので時代不明。もう1枚、同じ絵はがきを持っているが、それには、1908年の消印があった。

下右:これも時代は不明。達筆?で書かれているので、文章も読めず。いずれにせよ、このリアルな赤ちゃんシリーズは、1900年代の初めにフランスでつくられた絵はがきなのだろう。

こども観覧車表002こども観覧車表003French postcards which are showing many babies.
left of upper: I got it at the yahoo auction in Japan. I cannot understand French, and I checked the meaning with a dictionary on Internet. The sentence of the middle (surrounding a couple) means that if you repeat big kisses, you will have lots of babies.
All of them seem to be produced in about the same era (the early 1900's).

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2009年12月06日

パリの観覧車002パリの観覧車001NHKの連続大河ドラマ、「坂の上の雲」が始まった。今夜はその2回目。ドラマは3年間の予定で放送されるという。モックン(本木雅弘)演ずる秋山真之の活躍が楽しみだ。

特に楽しみなのが、第5回「留学生」篇。真之は日清戦争後、アメリカに留学したが、その後、1900年2月にイギリス駐在海軍武官として、ロンドンに赴く。1900年5月にはパリに出張し、当時、開催中のパリ万博も見学している。広瀬武夫大尉や伊達只吉少監とともに、エッフェル塔にも上った。高さ280メートルの展望台から、シャン・ド・マルス公園の方角に向かって立つと、前方右手に高さ96メートルの大観覧車「ラ・グラン・ルー」(フランス語で大観覧車)が見えたはずだ。

パリの観覧車004ロンドンの観覧車001ドラマでは、パリ行きの話は出るのだろうか。またエッフェル塔に上る場面はあるのだろうか。私としては、真之の目線の先に、CG(コンピューター・グラフィック)でラ・グラン・ルーをぜひ再現してほしいところ。
もっとも、ロンドンに駐在していた真之は、ロンドン市内のアールズコートに設置されていた大観覧車「グレートホイール」をすでに見たか、乗っていたかもしれない。広瀬大尉らにそのことを話し、「西洋人は考え出すことが、遊びの世界でも大きいですね」とかなんとか、言ったかもしれない。

パリの観覧車003真之は1918年まで生きたから、1907年に上野で開催された東京勧業博覧会場も訪れ、竹の台や不忍池畔に設置されていた観覧車を目撃したはずだ。ラ・グラン・ルーとそっくりの2基を日本で見て、感慨はなかったのだろうか。ヨーロッパのも含め、はたして、いずれかの観覧車に乗ったのだろうか。観覧車ファンとしては気にかかる。もし、そのような場面がドラマで再現されるときは、NHKさんよ、資料、監修では全面協力するからね(笑)。

写真説明
左上:1900年パリ万博開催当時のエッフェル塔。右手に淡く観覧車が見える。エッフェル塔の足元では、万博の展示館などが建ち、はなやかな雰囲気だ。
右上:万博開催時ではないが、高所から撮っているので、ラ・グラン・ルーのようすがよくわかる。
下左:ラ・グラン・ルー側から見たエッフェル塔。
下右:ロンドンのアールズコートにあったグレートホイール。高さ86.6メートル
3段目:パリ市内にあった軍の学校か? ここからもラ・グラン・ルーが見えた。

参考資料
『ロシア戦争前夜の秋山真之』(島田謹二著、1990年朝日新聞社刊)

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"Cloud seeing from the Hill"- Did Mr. Saneyuki Akiyama, Navy Officer in Meiji era ride on La Grande Roue in Paris?
"Saka no ue no kumo", a popular TV dramas has started from December. "Saka" is "hill" in Japanese, and "ue" means on or upper, and "kumo" is "cloud."

This is the story of Mr. Saneyuki Akiyama, a great navy officer and his elder brother Mr. Yoshifuru who was also a supreme army officer. Both of them were excellent military officers in Japan, and Japan could defeat Russia thanks to them. "Cloud" probably expresses ambition or hope to create new Japan in 1900's.

Saneyuki was assigned to stay in London as a military officer in 1900. He visited Paris while he was in London. The Paris Exposition was held at that time, and so he went up the Effel Tower with his colleagues. Therefore, I think that he surely found La Grande Roue from the observation platform of the tower. I was wondering whether he rode on the Ferris wheel or not. He also might ride on the great wheel in London too.

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2009年11月07日

PA060202PA060212旅から戻ってだいぶ経ったが、最後にロサンゼルスのマナブ篇を。
ロスで宿泊した「スタンダードホテル」のすぐ隣りに、ロサンゼルス市立中央図書館があった。
1926年に建てられた、全米で3番目に大きな図書館だそうで、館内には壁画や彫刻などのアートがあちこちに見られる、由緒ある図書館だ。「やりたいことはなんですか?」というブログに、図書館のようすが詳しく紹介されているので、興味のある方はクリック。
「ホテルの近くにこんな図書館があるのなら、図書館好きの私としては、ぜひ行かねば」と、旅の最後の日、ディズニーから戻るとすぐに訪れた。

サンタモニカ初代?観覧車001PA060203ノンフィクションのコーナーで、サンタモニカの観覧車の歴史を調べたいと相談し、新聞の切り抜きや、本を何点か見せてもらった。女性の司書が、「ここには置いていませんが、こんな本もありますよ」とタイトルを示してくださった。それはなんと、ノームの著書『図版で見る観覧車の歴史』だった。「この著者はうちのボスです」と言うと、司書さんはびっくりしておられた。

遊園地について書かれた本によると、サンタモニカには、過去に3基くらい観覧車があったようだ。詳しい歴史などの記述は見つからなかったが、とりあえずは写真と、そのキャプションを紹介したい。

サンタモニカ初代観覧車002サンタモニカ初代?観覧車002サンタモニカ回転木馬001サンタモニカ・ピアでは、観覧車より回転木馬が有名だったらしい。「キャロセール・パーク」(回転木馬公園)とも呼ばれていたくらいだ。これは1916年につくられた回転木馬で、木馬は手づくり。1922年に、現在ある回転木馬館が完成し、そこへ納められた。

ところで、パシフィック遊園地のホームページにあるQ&Aでわかったのだが、あの遊園地では、観覧車にかぎり1人乗りは禁止しているそうだ。理由は書かれていなかった。いずれにせよ、私の「ひがみ」ではなかったのだ(笑)。この経緯を知りたい人はココをクリック。

写真説明
上左:ロサンゼルス市立中央図書館
上右:参考にした本。

中左:初代と思われる観覧車。「動力は蒸気。ケーブルによって回転。夏期にはビーチか、サンタモニカホテルのグランドに建てられた」とある。同じページに掲載されている写真から推察して、おそらく1890年代のもの。
中右:図書館にあった昔のパンフレット。描かれているのは長椅子式の観覧車。

下左:これは図書館にあったものではなく、私が所蔵している絵はがき。パンフレットと同じ観覧車と思われる。時代は不詳。「CAROUSEL PARK(回転木馬公園)」との見出しが。

下右:本で見つけた写真。絵はがきと思われる。私もまったく同じものを持っている。キャプションによると、1989年の写真で、臨時的に設けられたファンゾーンとある。パシフィックパークは1909年にサンタモニカ市が経営権を持つようになり、ことしは100年の「記念年」にあたるそうだ。この写真の観覧車が、つい最近、オクラホマへ移設されたものらしい。

一番下:1916年製の回転木馬。

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Visiting the Los Angeles Central Library
I visited the Los Angeles Central Library of the last day of my trip as it was located next to my hotel. The outside of the building looked so classic and magnificient. I found lots of arts such as paintings, sculputres and so on even inside of the building. I told a librarian that I was a researcher of the history of Ferris wheels, and asked her to show me any good books or clippings. She found a book named "Santa Monica Pier- A History from 1875 to 1990," a brouche and some clippings. I learnt that Santa Monica pier might have three Ferris wheels before the present one. She also showed me a title of the book only saying, "We do not have this one, but it might be useful for you." I was surprised to see the title of the book as it was Norm's book! I also learnt that the carousel was more famous than any Ferris wheels there. It was built in 1916, and had a house for it in 1922. The pier used to be called as "Carousel Park."

The explanation of each photo

Left of the upper: Los Angeles central library
Right of the upeer: "Santa Monica Pier- A History from 1875 to 1990"

Left of the middle: The caption said, "A primitive cable-driven steam powered Ferris Wheel was errected during the summer either on the beach or on the Santa Monica Hotel grounds." It might be the first Ferris wheel there.
right of the middle: A brouche of the park. The Ferris wheel was made by Eli Bridge???

left of the bottom: A postcard of my collection. You can see the same Ferris wheel with the one of the brouche.

right of the bottom: The caption said, "Carousel Park and the pier's temporary fun zone; 1989. The photo seemed a postcard as I have the same one.

bottom of the bottom: The caption said, "Santa Monica Pier's #22 carousel; 1988"



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2009年11月04日

浅草公園の観覧車001PB040001連休の中日にあたる2日、霞が関ビル内にある宴会場で、元の勤め先の大同窓会があった。年に1度、全OBが対象だ。関東圏外の在住者には、往復の交通費も支給されるから、全国中から集まる。大阪時代の元同僚にも久しぶりに会え、楽しい集いだった。なかには、地方紙に連載中の拙文、「『ゆらり、観覧車』を読んだよ」と声をかけてくださる先輩もいて、とてもうれしかった。

同窓会に出る前に、国立国会図書館へ寄り、調べものをした。だいぶ以前に、「ずっと噴水が好きだった」のブログを開いておられる松崎さんから、都新聞で見つけられた記事についてお知らせをいただいていたのだが、その確認が遅れていた。国会図書館は霞が関に近く、ちょうどいい機会だった。

記事というのは、明治41年8月26日付け都新聞の3面にある、「見たり 聞いたり」という小さなコラムである。いわゆる町ダネなのだが、4つの話題のなかに、次のような記述があった。

▲博覧会の時分に小児(こども)にもてはやされた空中観覧車は、上野に立ち腐れになっているのを常盤座の根岸老人が廃物利用主義で安く買い込み、六区に立て直す都合で普請中だ。

1907年(明治40年)4月、東京・上野で東京勧業博覧会が開催された。このとき、観覧車が2基建設されている。その後、竹の台にあった観覧車が浅草公園に移設されたことは、「浅草六区の観覧車」でもお話しした。ネット上の百科事典「ウィキペディア」には、移設したのは浅草の興行師、根岸浜吉との記述があるが、恥ずかしながら私は知らなかった。ウィキペディアには誤った記述も多いので、実際に当時の新聞紙面で確認できてよかった。根岸老人が即ち根岸浜吉である。根岸興行部の創立者として、浅草公園に初の劇場(常盤座)をつくった人物。観覧車移設当時は81歳だった。観覧車は同年10月17日に開場したが、約3年後の1911年に取り壊され、跡地には「金龍館」が建てられた。

それにしても、とても小さなコラムなのに、松崎さんはよく見つけてくださったものだ。感謝!

写真説明
左:浅草六区の観覧車(絵はがき)
右:同窓会で出席者に配られた記念品(メガネは別)。昨年は社名入りタオルだった。ジムで活用している。以前は社名入りなんてダサいと思ったが、今は懐かしく、誇りにさえ感じるから不思議。私に愛社精神があったとは。

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I participated in the reunion party of Kyodo News on the 2nd of November. There were lots of senior people there as every retiree was invited to the party. I was so happy to meet many fellow colleagues, and some of them said that they read my serial essay which was distributed from Kyodo News to local newspaper companies.

Before going to the party, I went to the national libraray to read an old article on the Ferris wheel in Asakusa in 1908. Mr. Matsuzaki who was a blogger of "I have been loving fountains" let me know the article. The artilce introduced the proprietor of a famous theater in Asakusa bought one of the Ferris wheels in the exhibition in Ueno with very reasonable price, and moved it to Asakusa. His name was Hamakichi Negishi, eight-one years old then.

photo
left: the Ferris wheel in Asakusa (1908-1911)
right: a cloth for an eye-glass, which is a souvenir for all of the participants of the reunion party.



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2009年10月25日

PA250001オクトバーフェスト001コロンビアラッド001






私がアメリカへ行っていたのとほとんど同時期に、FWGPさんはドイツとオーストリアで観覧車めぐりを楽しまれたらしい。もっとも「ひとり観覧車」の私とちがい、FWGPさんは新婚さんで、ご夫君といっしょの「ふたり観覧車」。やっぱりいいわね。うらやましい(笑)。横浜のコスモクロック21が見える会場で結婚式を挙げられたんだそう。
ドイツではミュンヘンのオクトーバーフェストを訪れ、観覧車の動画も撮影された。サイトで観られるのでぜひクリックを。私も次回から動画を撮ることにしよう。でもアップできるかな。

そのなかで私が注目したのは会場にそびえる大きな観覧車でなく、2番目に乗られた小さな「russenrad」。「russenrad」の「russen」は「ロシア」を、「rad」は「車輪」を意味する。つまり「ロシアの観覧車」だ。ドイツ語で観覧車のことは「リーゼンラート」(大観覧車)と呼ばれている。また、以前にこのブログで紹介した「ドイツの観覧車」では、「コロンビアラッド」(コロンビアの観覧車)との名がついていた。

私はかねてから、観覧車のルーツとしてロシアの観覧車に注目している。ドイツは機械産業の発達した国なので、遊戯機械の会社も多いはず。独自の発達もあったと思うが、それでも観覧車づくりではロシアに影響を受けたのだろうか。

次に注目したのが写真に写っていた「ファサード」だ。ファサードについては、以前、アメリカに住むバンドオルガンの研究者、フレッドから依頼され、としまえんのエルドラドについて調査したときに初めて知ったもの。その経緯についてはココをクリック。回転木馬など付随する美しい彫刻のある飾り看板だ。私はずっと、ファサードは回転木馬だけのものと思っていた。それでフレッドにメールを出し、「russenrad」とファサードについて質問した。フレッドからは丁寧な説明と、以前に発表された論文「Big Wheels and Band Organs」のコピーが送られてきた。数十ページのおよぶレポートなので、すべて読みこなせていないが、なかなかおもしろい話が紹介されている。

1925年に建設された「russenrad」はとても有名な観覧車らしい。高さ14メートルは現在ではそれほど大きく感じないが、建設当時は「大観覧車」」だったとか。ドイツの観覧車と、イギリスの観覧車(数基のみだが)は、観覧車の入口にファサードが設置されていたらしい。「ロシアの観覧車」のオリジナルのファサードは、1954,5年ごろに現在のものにリニューアルされた。1954年にドイツで製作されたアメリカ映画「Carnival Story」では観覧車とともに、ファサードのオリジナルが登場している。映画のなかで、観覧車とファサードは、その時代を見事に象徴していた。この映画、機会があればぜひ観たい。DVDも売っているが、アメリカ製のCDは日本では再現できないのが難点。

バンドオルガンを伴った観覧車は、一時期アメリカの観覧車にも見られたらしい。フェアなどに設置された観覧車が写った古い写真や絵はがきを見ると、確かにそれらしきものが写っているという。明治期に日本に登場した観覧車には、ファサードもバンドオルガンによる演奏もなかった。日本ではジンタ(軍服を着た演奏隊)によって「天然の美」が奏でられたのだった。

写真説明
左:FWGPさんからいただいたオクトーバフェストのおみやげ。私は何も買ってこなくてごめんね。
中:その絵はがき。
右:以前にもお見せしたが私が所有するオクトーバフェストの観覧車「コロンビアラッド」。これは「ロシアの観覧車」以前のものだと思う。足もとにファサードがあるかどうかわからないので、フレッドに判定してもらうことにする。

フレッドの論文でおもしろい記述が見つかったら、本人の承諾を得たうえで、また追って紹介したい。

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I recently received wonderful presents(a small plate and a postcard)from Haruko who was managing a cool site on Ferris wheels on Internet. She recently had a trip to Germany and Austria with her husband. She kindly bought the above fabulous souvenir for me. Haruko is showing several photos which she took in her trip in her blogs. You can see pretty Ferris wheels in the October Festival in Munich if you click here.

A smaller Ferris wheel of the photos attracted me as it was called "Russenrad" (Russian Wheel), and a facade was next to the wheel. I learnt what facade was when I researched the facade of El Dorado at Fred's request. Fred is an American reseacher of Band Organs. I have been believing that facade is for carousel only. And so I asked Fred the story of Russenrad. He kindly explained what it was, and also sent me his report "Big Wheels and Band Organs." According to his report, combinations of wheels and facades were often seen in several American's fairs too. The report is really interesting to me. I will have to read the report more closely. Thank you, Fred!

right of the photo: one of my collections. I do not think that one is Russenrad. It seems older than Russenrad.




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2009年10月23日

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ダウンタウンからディズニーランドまで、バスだと約1時間40分かかるが、運賃は1.5ドル。ツアーに参加すると約40分で到着するが、費用は入場料(72ドル)を含め115ドル。つまり1時間の差と40ドルのちがいがあるが、今回は日系旅行社のツアーにのった。旅の後半でちょっと疲れていたせいもある。ツアーと言っても、送り迎えだけで、園に入るとまったくの自由行動。私以外には若い女性同士の2人連れが2組だった。

ディズニーランドとディズニー・カリフォルニア・アドベンチャーの正面入り口が向い合っていた。2カ所とも入れる切符もあるが、私は観覧車のあるアドベンチャーだけにした。ところが「ミッキー・ファンズ・ホイール」(略してミッキーホイール)の前はあいにく工事中。撮影にはいまいちの状況だった。以前はサンホイールだったのが、リニューアルされてミッキーとなった。サンホイール時代はこのあたりは池で、観覧車が水面に映り、とてもきれいかったそうだ。

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さて、肝心のミッキーホイールだが、静止型とスイング型がある。静止型は従来通り外輪にゴンドラがぶら下がり、ゆっくりと回転する。スイング型は中心軸と外輪の間に軌道があり、ときには大きく揺れる。とりあえず静止型に乗った。ひとり旅らしい中年の米国女性と一緒だった。観覧車の隣りに建つジェットコースター「カリフォルニア・スクリーミン」が見えた。ミッキーの顔のかたちをした軌道を、コースターがくるりと回転している。あーこわ。ミッキーホイールの高さは45メートルだが、もっと大きく感じた。

スイング型には乗らないつもりだった。私は三半規管が弱くめまいの持病がある。正直言ってスイングするゴンドラを見ているだけで酔っていた。でもせっかくのミッキーホイールだ。それに私は「観覧車通信」東京支局長。やはり体験するべきではと決心した。1人では不安なので、同乗してくれそうな人を探した。私より年長らしいご夫婦が現れた。「一緒に乗ってほしい」と頼んだら、快く了承してくださった。この奥さんでも乗れるんだし、と甘く見たのが悪かった。奥さんはコースターマニアで、「シックスフラッグ遊園地」にある大型ジェットコースターも大好きな、絶叫型ライドマニアだった。もう何度もこの観覧車に乗っているという。

それでも最初はよかった。少しだけ愛きょう程度に揺れる。なーんだ、たいしたことないな、と高をくくっていたら、突然ゴンドラが後ろ向きに滑り降り、大きくスイングした。今度は反対方向に。3度目に気分が悪くなった。もう吐きそう。「I'm sick!」を繰り返していたら、ご夫婦も私の異変に気づかれたようで、「OK?」と心配そうにのぞき込まれた。もう1回スイングしたら絶対吐くだろうな、と覚悟していたら、ゴンドラが停止した。

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写真説明
上左:ミッキー・ファンズ・ホイール。前が工事中。
上中:2種類のゴンドラ。上の緑色がスイング型。
上右:乗り場

中左:「ハリウッド映画ゾーン」で白雪姫とお話しする子供。そのあと白雪姫にハグしてもらえる。私もハグしてほしかった。
中中:同じく「ハリウッド」にあった「恐怖のホテル」。エレベーターがフリーフォールのようになっていて、暗闇で上下する。おしりが一瞬、座席から浮く。胃が縮むような感じ。また気分が悪くなった。
中右:ミッキーの親友、グーフィとのツーショット。

下左:小型のフリーフォール。これくらいならOK。
下中:「トラック・アンド・ロールズドライブ・ゼム・バギーズ」。バンバーカーを運転する。大人もOK。久りぶりに車を運転して楽しかった。
下右:サンホイール時代の絵はがき。こっちのほうがいいと思うけど。

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I visited the Disney's California Adventure on the last day of my trip. I joined a tour group of visiting there. It takes forty minutes from downtown to the Disney Land by a tour car. We can go there even by a public bus with 1.50 dollars only, but it takes one hour and 40 minutes.

There were two parks there; Disney Land and Disney's California Adventure. I visited the Advenure only because the Adventure had a Ferris wheel. It used to be the Sun Wheel, but it was changed to the Mickey's Fun's Wheel. Moreover, the neiborhood of the wheel was still under constructions at that time.

photo
Left of the upper: Mickey's Fun's Wheel. "Under construction" in front of the wheel.
Middle of the upper: Two types of the gondolas: yellow one is a stationary and the green one is a swing type. I rode both of them, and I became sick in the swing gondola.
Right of the upper: the platform of the wheel.

Left of the middle: a girl talking with Snow White. Snow White hugged the girl after talking with her. There was a line of kids who wanted to talk with her. Although I wanted to do so, I gave up as I was already grown up enough!

Middle of the middle: "Hollywood Tower Hotel" It was a haunted hotel. The elevators of the hotel were like a free-fall rides. Visitors must be sitting in the dark elevator. The door of it was opened suddenly and there, we saw bright sky, then fell down. I was sick again.
Right of the middle: One of the charactors of Disney and me. I don't know who he is. Do you know his name? I thought that Mickey changed his hair style.

Left of the bottom: Small free fall ride. I was not sick with it.
Middle of the bottom: "Truck and Rolles them Baggies" I enjoyed driving!
Right of the bottom: An "old" postcard. You can see the Sun Wheel on it. I think that Sun Wheel was nicer than the Mickey Fun's Wheel.


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2009年06月01日

ベルリン遊園地001ドイツ オクトーバフェスト001「世界の観覧車」に使う写真探しのため、絵はがきを整理していたら、古いドイツ製の絵はがきが2枚見つかった。どちらもイーベイのオークションでゲットしたもの。
まず左の観覧車だが、表面(あて名書き)にはドイツ語、ロシア語、フランス語による説明文があり、英語では「Ferris Wheel 43m high, at Berlin's amusement park」とある。ネット上の百科事典、「 Wikipedia」によると、「シュプレー(Spree)パーク」と呼ばれ、ベルリンにあった遊園地の観覧車らしい。

この遊園地は、まだ東ドイツの統制下だった1969年に開園し、東西統一後のベルリンでも唯一の常設遊園地だった。この観覧車が設置されたのは1989年で、それまでのもう少し小型の観覧車と交代し、遊園地のランドマークとなった。東ドイツ時代は、毎年平均すると約170万人もの入場者があったという。ところが1999年ごろから経営不振に陥り、2002年に閉園となった。現在、観覧車は稼働していないが、廃墟と化した遊園地に、ボロボロの状態(のはず)で建っている。「Abandoned Amusement Parks in Berlin 」でその姿を見ることができる。遊園地の元オーナーたちは、「フライングカーペット」や「スパイダー」など6種類の遊具を持ってペルーのリマに渡ったが、その後、経営者親子はそれぞれ、コカインをベルーからドイツへ密輸しようとしてつかまり、現在はペルーで服役中という。なんか悲しいバックグラウンドを持った観覧車だ。

もう1枚の絵はがきは、もっと時代が古そうだ。人々の服装から判断すると、19世紀の終わりか、20世紀の初めごろと思われる。左上に書かれた「Gruss vom Oktoberfest」は「Greetings from October Festival」という意味。こちらは毎年、9月から10月にかけてミュンヘンで開催される祭りで、ビールフェスティバルとして知られている。最初のオクトーバーフェスティバルが開催されたのは1810年。当時の王子さまと王女さまの結婚を記念して、10月に競馬が開催されたのが始まりという。さて、この絵はがきの観覧車だが、それほど大きくなさそうだ。正面に3つの看板があり、それぞれ次のように書かれている。

Aussichts−展望
Columibia-Rad─コロンビアの観覧車(radとは英語のwheelにあたり、車輪とか輪という意味)
Luftschaukel─空気が揺れる(そのまま訳すと)

なんとなく意味はわかるが、真ん中の「コロンビアの観覧車」というのは、1893年にシカゴで開催されたコロンビア博覧会の観覧車、すなわちフェリスホイールに因むということなのだろうか。ドイツ語で観覧車は「リーゼンラート」(大観覧車)なので、どうしてここに「コロンビア」が表記されるのか不思議だ。ドイツにも優秀な遊戯機械製造会社があったはずだが、この観覧車は米国製だったのだろうか。




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2009年05月28日

TexasStar#4texas star001間もなく刊行予定の本に使いたいと、世界の観覧車の写真を集めている。最近、新しい観覧車が続々と登場して、ネットでは見ることができるのだが、それらを黙って使用することはもちろんNGだ。撮影者や運営会社とコンタクトを取りたいと思っても、なかなかうまくいかないことが多い。いつだったか、モスクワの観覧車の写真のことで、運営サイトにメールを送ったところ、返事は来なかったが、しばらくはロシア語による大量のジャンクメールに悩まされた。
今回、入手したいのは、ヨーロッパ大陸一大きいと言われる「ユーロホイール」(イタリア)、世界一大きな直径を持つ「南昌の星」、橋の上に設置された「天津之眼」(ともに中国)だ。前回お話しした「ミッキーズ・ファン・ホイール」も入手したい1基だったが、これはエミリーのおかげでなんとかなりそう。

上の写真2枚は米テキサス州ダラスにある「テキサス・スター」で、現在のところ、アメリカ一大きな観覧車だ。撮影したのはデンバー在住のリッチこと、リチャード・ウェインガルツさん。リッチさんのことは拙ブログ「観覧車のカレンダー」でお話しした。テキサス・スターはカレンダーの9月に登場する。リッチさんに「写真を提供してほしい」とお願いしたところ、快諾してくださった。ただしリッチさんが経営する会社の提供と、明示してほしいとのことだ。

さてテキサス・スターだが、1985年にダラスのフェアパーク(ステートフェアの開催される公園という意味)に設置された。移動式ではなく常設の観覧車だが、操業されるのは、フェアが開催される9月下旬から10月下旬までだ。観覧車はイタリア製で、高さ65メートル、直径が61メートル。6人乗りのゴンドラが44台付いている。150万ドルかけて購入したという。回転輪の中心には米国旗をイメージした、くるみボタンのような飾りが付いている。夜になったら、右の写真のようにイルミネーションで輝く。そのようすをYou Tubeで観たいひとは、ココをクリック。

写真提供
左:courtesy of Richard Weingardt Consultants, Inc.
右:絵はがき
参考資料
「Ferris Wheels─An Illustrated History」by Dr. Norman Anderson

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来月(6月)、共産党機関紙「赤旗」の「くらし」面で、毎金曜日に「観覧車に乗ろう!」を4回にわたり連載します。ぜひご一読ください!





tenbosenkaisha at 11:08コメント(0)トラックバック(0) この記事をクリップ!
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