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TenDollars Archives 1989-2009
2009年03月15日
1992のテンダラーズ
ヒガシさんにコピーさせてもらった1992年のテンダラーズのパンフレットの表紙です。
この年は私の記憶では、中丸さんが店長で、私が初めてスタッフとして参加した年です。
出演者は、毎年出演してる、Watch Bandや遅れてきた青年、寺井さんや五百田さん等、先輩が中心でした。
soul365も出演してますね。パンフレットの最後にはセッションの候補曲など書いてあり、この頃のテンダラーズの雰囲気が伝わります。
候補曲ってのが、
ブレイク・オン・スルー
ダンス天国
ツイスト・アンド・シャウト
アナーキー・イン・ザ・UK
フェンス
ブロウ・イン・ザ・ウィンド
レット・イット・ビー
・・・・といった感じに20曲ほど書いてあるのですが,
ホントにやったんでしょうか?
こういったセッションって、95年のパンフレットまでは
書いてるのが確認できましたが、いつまでやってたんでしょうか。
みんながロックのスタンダードをやって楽しむっていうのが
普通だった時代ですね。今でも変わらないのかな?
(sudoh)
この年は私の記憶では、中丸さんが店長で、私が初めてスタッフとして参加した年です。
出演者は、毎年出演してる、Watch Bandや遅れてきた青年、寺井さんや五百田さん等、先輩が中心でした。
soul365も出演してますね。パンフレットの最後にはセッションの候補曲など書いてあり、この頃のテンダラーズの雰囲気が伝わります。
候補曲ってのが、
ブレイク・オン・スルー
ダンス天国
ツイスト・アンド・シャウト
アナーキー・イン・ザ・UK
フェンス
ブロウ・イン・ザ・ウィンド
レット・イット・ビー
・・・・といった感じに20曲ほど書いてあるのですが,
ホントにやったんでしょうか?
こういったセッションって、95年のパンフレットまでは
書いてるのが確認できましたが、いつまでやってたんでしょうか。
みんながロックのスタンダードをやって楽しむっていうのが
普通だった時代ですね。今でも変わらないのかな?
(sudoh)
2009年03月08日
GOMES THE HITMAN 山田稔明氏よりコメント
過去に何度かtendollarsに出演しているGOMES THE HITMANのリーダーであり、現在ソロ、kickingbirds、楽曲提供等幅広く活動している
山田稔明氏より、コメントを頂きました。
こちらの文章はDiskordにも掲載予定です。
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$10の20周年によせて
地元九州での18年間の人生のあと僕は大学進学のため1992年
山田稔明氏より、コメントを頂きました。
こちらの文章はDiskordにも掲載予定です。
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$10の20周年によせて
地元九州での18年間の人生のあと僕は大学進学のため1992年
に上京するのですが、「R.E.M.が好きな人とコピーバンドなんかやれたなら」という思いで外語大のGMCに入部することになります。
しかし自分と趣味が100%合致するような、合わせ鏡のような友だちはいつだって誰にだって現れないわけで、なんとなくバンドを始めてみたり共通項がないまま自作曲を演奏するようになってもライブハウスにデモテープを持っていったりオーディションに応募するでもなく僕が大学4年間にやっていたことといえばなんとなく自分の足下を見つめながら根無し草のようにふらふら歌っていただけでした。
そんななかでも$10のまわりにはいつでもオルターナティヴな風が吹いているような気がして、メインストリームにもサブストリームにもなりきれない僕のような人間にとってそのステージはすっと背筋が伸びるような場所でした。続けることはすごいことだ。やめることよりも大変だ、と最近特にそう思います。
いろんな場所で演奏するようになって$10のことを折りにふれ思い出します。青春時代という移り変わっていく世代のなかで誰が牽引していくのかわからないけども次の30周年に向けてまたリスタートできたらいいですね。
山田稔明(GOMES THE HITMAN)
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山田氏のブログ、monoblogはこちら、
GOMES THE HITMANホームページはこちらです。
しかし自分と趣味が100%合致するような、合わせ鏡のような友だちはいつだって誰にだって現れないわけで、なんとなくバンドを始めてみたり共通項がないまま自作曲を演奏するようになってもライブハウスにデモテープを持っていったりオーディションに応募するでもなく僕が大学4年間にやっていたことといえばなんとなく自分の足下を見つめながら根無し草のようにふらふら歌っていただけでした。
そんななかでも$10のまわりにはいつでもオルターナティヴな風が吹いているような気がして、メインストリームにもサブストリームにもなりきれない僕のような人間にとってそのステージはすっと背筋が伸びるような場所でした。続けることはすごいことだ。やめることよりも大変だ、と最近特にそう思います。
いろんな場所で演奏するようになって$10のことを折りにふれ思い出します。青春時代という移り変わっていく世代のなかで誰が牽引していくのかわからないけども次の30周年に向けてまたリスタートできたらいいですね。
山田稔明(GOMES THE HITMAN)
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山田氏のブログ、monoblogはこちら、
GOMES THE HITMANホームページはこちらです。
2009年02月20日
96年のフライヤー
2009年02月08日
古文書発見。1989年フライヤー
テンダラー初期のFounding Partnerで、ガクジに”ソウル”という言葉を教えてくれたしおみから、半ばパピルスの古文書のようになった初期のフライヤーを送ってもらいました。
当初は拾ってきた機材などを使って、家にあった古い家具なども学校に持ち込んでやっていました。部屋にバンド呼んで飲む、みたいな感じもありましたね。
昼の空き時間”スタジオ貸し”なんてアホなサイドビジネスやってみたり、”壊れたギターなおすで”なんて、わけわからんねじ込み広告がはいってたり。”あのイカ天完奏”とか、”村八分”とか、細かく見てみると、笑いどころ満載。
それにしてもしおみの書くパンティの絵とか、イラストは本当に秀逸だったんだなあ。虫眼鏡でおたのしみください。
ガクジ
2008年11月24日
Ten Dollars 2008
1989年のテンダラー
2008年11月06日
1999年のテンダラーズ
おそらく1999年のテンダラーズの写真です。
許可無く載せていますが、Bic Eのライブ風景です。
西ヶ原のキャンパスのなんか右奥の教室だった気がします。
私(須藤)はもう卒業した後でしたが、この年はMACHINE AND THE SYNERGETIC NUTS,BayRoute(殿守とだね),遅れてきた青年(この一回だけ参加しました!)、と3バンドで出演させていただきました。
(sudoh)