
強盗に殺人、児童虐待、貧困、戦争…新聞でもテレビでも雑誌でもネットでも、日常的に悲惨なニュースが報じられている。いつもどこかで誰かが打ちのめされている。「神も仏もいないのか?」なんて気持ちになる。
そんな状況、そんな思いは、19世紀のロシアでも同じだったらしい。人間の営為においては、この百数十年間に、大きな変化は訪れていないのかも知れない。だからこそ、名作が名作であり続けられるのかも知れない。
著者はフョードル・ドストエフスキー。邦訳が複数あって、私が読んだのは光文社の亀山郁夫訳。
これまで何となく敬遠していたのだが、不意にムラムラと読みたくなり、全5巻を買って一気読み。読みたい時が“読み時”ですよね。
主人公は、カラマーゾフ家の三男・アレクセイ。善良で純真。修道院で穏やかに暮らしている。
長男のドミートリイは、危うい衝動を秘めた熱血漢。次男のイワンは、無神論や合理主義に傾倒する秀才肌。父親のフョードルは、成り上がりの小金持ちで、好色にして道化者。
妖艶な美女をめぐって、ドミートリイとフョードルが、醜い争奪戦を繰り広げる。一方、父と兄を和解させようと奔走するアレクセイは、神の存在を疑うイワンの考えに触れ、大きく動揺する。
家族のゴタゴタを“縦糸”とするならば、宗教についてのエピソードが“横糸”だろうか。
ぶつかり合うドミートリイとフョードルの妄執は、やがて重大な事件を引き起こす。そこに、イワンが創作したという異端審問官の叙事詩や、アレクセイが師事する修道僧の生涯など、数々の逸話、独白、問答が絡んでいく。
こうして織り上げられた物語は、とてつもなく濃密。何度も読み返して味わえる奥深さがある。
本書は続編が構想されていたらしく、それを示す記録が残っているという。実際、作中に続編をほのめかす文言が見られるし、続編で活躍しそうなキャラクターもいる。アレクセイがテロリストになるという説もあるそうな。
続編を考えるのは楽しいけれど、それは「ミロのビーナス」の両腕を想像するようなものだろう。凡人の私は、残された物をただ鑑賞するしかない。
これまで何となく敬遠していたのだが、不意にムラムラと読みたくなり、全5巻を買って一気読み。読みたい時が“読み時”ですよね。
主人公は、カラマーゾフ家の三男・アレクセイ。善良で純真。修道院で穏やかに暮らしている。
長男のドミートリイは、危うい衝動を秘めた熱血漢。次男のイワンは、無神論や合理主義に傾倒する秀才肌。父親のフョードルは、成り上がりの小金持ちで、好色にして道化者。
妖艶な美女をめぐって、ドミートリイとフョードルが、醜い争奪戦を繰り広げる。一方、父と兄を和解させようと奔走するアレクセイは、神の存在を疑うイワンの考えに触れ、大きく動揺する。
家族のゴタゴタを“縦糸”とするならば、宗教についてのエピソードが“横糸”だろうか。
ぶつかり合うドミートリイとフョードルの妄執は、やがて重大な事件を引き起こす。そこに、イワンが創作したという異端審問官の叙事詩や、アレクセイが師事する修道僧の生涯など、数々の逸話、独白、問答が絡んでいく。
こうして織り上げられた物語は、とてつもなく濃密。何度も読み返して味わえる奥深さがある。
本書は続編が構想されていたらしく、それを示す記録が残っているという。実際、作中に続編をほのめかす文言が見られるし、続編で活躍しそうなキャラクターもいる。アレクセイがテロリストになるという説もあるそうな。
続編を考えるのは楽しいけれど、それは「ミロのビーナス」の両腕を想像するようなものだろう。凡人の私は、残された物をただ鑑賞するしかない。


