こんにちは。
人間は、真っ新な状態で生まれると言う話がありますが、
自分はどうも、この世界ではない場所の記憶が断片的に残っているようです。
その事に付いては、度々ブログ記事に書いていると思われます。
生まれる前に、あらかじめデータがインストールされているのか、
生まれる前に削除される筈のデータが残っているのかは分かりませんが、
この世界ではない場所の記憶や、埋め込まれている目的意識が相当強いようです。
それに相変わらず振り回されており、どちらかと言うと困難を生み出す原因になっているように思えます。
日常的に存在している一つの困難として、この地球の近代文明よりも、遥かに良い世界のデータがあると、この地球にあるものが色褪せて見えてしまい、綺麗だとか美しいだとかを感じにくくなるのです。
自然の景色に対しては、一応美しいと感じますが、人間社会にあるものの中で、心を偽らず美しいと感じるものは極端に少ないのかも知れません。
自然の景色の見え方に対して補足しますと、殆どの場所で自然環境が破壊がされており、健全性を感じられない事から、見ていて苦しいですし、
自然の景色の見え方に対して補足しますと、殆どの場所で自然環境が破壊がされており、健全性を感じられない事から、見ていて苦しいですし、
環境改善の為に大した事が出来ない自分自身に対しても苛立ちを感じ続けています。
この苦しみは、幼少期から持っていて、この世界の事を肯定出来ない原因の一つとなっているようです。
大半の場所が見ていて疲れますし、そこに存在しているマイナス要因の影響を受けてしまいます。
この世界に存在する殆どのものが不快であり、毎日毎日凄く疲れるのですよ・・・。
ここは自分が生きたい世界ではないと思っていますし、人間との出会いと言うものもプラスよりもマイナスの方が遥かに大きくて、ただただシンドイと感じています。
孤独感が強いので、同族を渇望する程に欲するのに、害悪を感じる人間や根本的に合わない人間の方が遥かに多い。
一生懸命、この世界にあるものに順応しようとしても、無理が生じてしまう。
なので、自分の中にインストールされたデータプログラムに沿って、常にこの世界を少しでも良くしようと足掻いてしまう訳です。
しかし、広大なこの世界の問題に対し、人間一人がやれる事など限られており、人間としての能力も凡庸な訳ですから、とても太刀打ちする事が出来ない。
しかし、自分の中にあるデータプログラムが一切妥協しないから、諦めると言う選択肢がない訳です。
どう足掻いても先に進めないし、満足感を得れる結果にも繋がらない。
そもそも常に疲れていて限界状態ですから、まともな性能を発揮出来る状態ではないのかも知れません。
自分の中の苦しさを生み出す様々な問題点を認識してから整理し、それを解決する事によって、以前よりは、かなり生きるのが楽になりましたが、それでも常に飢餓と疲労状態を感じているのです。
上手く行く事があっても、それが自分にとっての栄養として作用しないから、消耗の方が大きい。
飢餓感と疲労に苛まれても、この世界に対する執着心と意地のようなものが強く、意地でも正常化してやると言う気持ちが湧き続けるのです。
私のインストールデータは、過去から現在まで『呪い』としか作用していない訳ですね。
このままでは、呪いの中を生きる事になるので、ちょっとだけ方針変更しようと考えています。
今のままを続けていても、凄く疲れて体調を崩してしまうだけで、先に進めないのが分かるのですよ・・・。
決してインストールデータが間違っているとは思えませんが、実行手段が間違っているのでしょう・・・。
他者の心の中を映像などの認識として読み取れる、心理研究者の人物からは、「高田さんは綺麗なものを実現したいようですね。」と言われましたが、
このまま同じ手段を繰り返し続けても、それは叶わない事を告げられました。
労力を費やしても、ラットマシンのように肝心な事で堂々巡りが続いている事は、重々分かっていたので、
やり方を変える事を検討しています。
地球の正常化と、私の感性と価値観で美しいと感じる存在を見付ける事は、強固なインストールデータのようでどう足掻いても妥協してくれないのです。
それを本気で実現する為に、変えるべき所は変える必要を感じています。
まず、第一の行動変化として、他人のマイナスを背負わないようにする事ですかね・・・。
やっていい人助けと、やっちゃいけない人助けがあるようで、それを明確に区別しないと、利用されてしまう。
本当に苦しんでいる人とか、手を差し伸べる必要性を感じる人以外には、関わらないようにします。
今までの事例的に、悪人が苦しい時に被害者を演じていたりするので、ただ良いと感じる行動を取ればいい訳でもなさそうです。
心の内でず~~~~~~~~っと長い間思い続けていた事ですが、裁かれるべき悪業を積んでいる人間も少なくはない。
だから、これからマイナスを経験するべき人達と、その人達が行くべき世界と、
マイナスの課題を経験し終えた人達と、その人達がこれから作るべき世界を区別する事にしました。
自分から他者を判断するんかい!?
と思われるかも知れませんが、誰しもがこの人は善人で、この人は悪人と言う判断は、行っていますね。
それを他者に強要した時に間違いが生まれる訳で、その判断自体は自然な事だと思っているのです。
ただし、この人物はこれから裁かれるべきだとかは、極力表に出さず、あくまで自分の中の判断基準として留められたらと思っています。(理解がある人には伝えますが)
この人物は裁くべきと動き出した時、こちらが悪になってしまう可能性を学びました。
もし、名指しで批判する事になった場合でも、ちゃんと正確な認識を心掛け、十分な情報を調べた上で、バランスを欠かないようにし、モラルに反する事は行わないようにする事が重要だと理解したのです。
私は、生まれてから過剰な程にマイナスの世界にどっぷり浸かっていたようで、どうもマイナス気質が抜け出ないので、無理に批判を止めるのではなく、そのやり方を慎重にし、公共の利益になる事を第一に努めたいと思いました。
付帯する形の事として、自分から周りに不幸を生み出さない事も重要な事として考えています。
続いての変更点は、意識のピントを未来に合せる事ですかね。
他のまともだった世界の記憶に囚われていて、本当の意味では集中出来ておらず、
過去いたであろう別世界に帰りたいと願い続けてしまいます。
この世界の正常化と言う目的は、妥協してくれないので、
マイナスを学び終えた人間、動植物、鉱物などが作り出す、未来に実現させるべき新しい世界の実現に向けて行動したいですね。
私は良い世界を実現する為に生きたいのであって、マイナスを経験し続けたい訳ではありません。
マイナスを経験するべき人間が、プラスの方にタダ乗りしてこないように、
これからもっと悪くなるマイナス世界と区別する必要があるのかも知れません。
完全に自分のものではない意見ですが、これからもっと酷くなるマイナス世界と、これから良くなるプラス世界に分けて考えないとやって行けないと言う想いがあります。
他者のプラスを奪おうとする人間が多い中、そんな人間までプラスの世界に来るべきではないし、来てしまうと正常な世界が成り立たないと思うのです。
人間は変わろうとしない限り、一切変化しない生物なので、生き方を変えるよう強要は出来ませんしね・・・。
これは、100%私が出した答えではないので、まだ納得出来ない所がありますが、
取り敢えず、それを念頭に置きながら暮らして見て、間違いや問題点が見付かったら、その都度修正して行く事にします。
そんな感じで、人間と言うものは、インストールデータに大きな影響を受けている場合があるのです。
それは、場合によっては呪いとして作用してしまう。
だからそれをプラスの長所として活かせたらと思いました。
生まれてから自分が生きて来た世界は、完全に呪いの領域でしたから・・・。
良かったらクリックしてちょ!
☆本日のどうでもいい話☆
ストーリーを殆ど進めず、ずっとレベル上げと、技の取得と、アイテム収集に費やすプレイスタイルは、まさに呪いそのもの。(これから行う、竜槍スマウグ6本と、フェザーブーツ6足集めは、考えただけで失禁しそうだぜ・・・!!)
そんな呪いとも言える慎重プレイを心掛けるオレにも例外はある・・・。
ネズ公共がスーパーファミコン版とは違い、ピョンピョン跳ねるので見応え抜群!!
我が家のネズ公も、この調子で殲滅だ!!
パーティーメンバーを、腕力と素早さに特化したフィジカルエリート達で構成している中に、器用貧乏生物筆頭であるトーマス君がいる事に、歴戦のロマサガプレイヤーからは違和感を感じられたかも知れませんが、
トーマス君は例外。
なんと言うかインテリメガネでヘタレ成分のあるトーマス君がいないとやる気が起きないんだよ・・・。
トーマス君は、どう足掻いても強くならないのですが、主人公にした場合、武人の星と槍を選ぶ事で、
腕力と魔力と最低限の素早さを確立出来るような気がします。
まぁ、結局どのキャラクターも、サラ公の圧倒的な能力値のポテンシャルには敵わないのですが・・・。
まぁ、結局どのキャラクターも、サラ公の圧倒的な能力値のポテンシャルには敵わないのですが・・・。