私は、個人的に、この世の中がこれから良い方向へ向かったとしても、不協和が目立たない世の中になるまでには、一世紀以上の歳月が掛かるのではないかと予想しています。
世の中のどこからどこを見渡しても不協和だらけであり、「本当にどうすればいいんだ?」と言う状況にしか見えないのです。

例え今後数十年で、環境汚染問題が解決し、富の一極集中が解消し、暮らしやすい世の中になったとしても、
ここまで人間の精神性が堕落してしまった今となっては、人間の精神が不協和を放たないものとなり、円滑な世の中を実現するまでには、数十年では効かない位に多大な時間が費やされてしまうのではないでしょうか?

今現在の人間の精神性では、不協和を生み出し、不協和エネルギーを蓄積して行くペースの方が多いようにしか見えません。
その不協和エネルギーを『業』と言う言葉に置き換えると、人間が蓄積した業が解消されるまでに、今後どの位の歳月が費やされるのだろうかと、割と真面目に頭が痛いです。

私はある時から漠然と『業』の概念を持ち始めています。

よくよく自分の行動理念を見ると、あらゆる事が『業』を蓄積するかしないか、『業』を解消するかしないかと言う事に左右されている事が分かりました。
あまりにも無意識的過ぎて、むしろ自分自身に対して「なんで面倒くさい生き方しているんだろう?」と思ってしまう程です。

食べ物を残したり、殺さなくても済む生き物を殺したりするのは、地味に『業』が溜まるから、その行為を避けているからだったりします。
私の場合、変な生き方をすると、それが心身を曇らせ、即座に変な事が起こるのです。
因果応報の概念が比較的ダイレクトに反映されると言いますか・・・、お陰様で自分の中でこれをこうをやってしまうと、身体の中に濁りが入って来て、それに準じた事が起こると言う法則めいたものがあります。

それは、自分自身に対して生じる体調不良や不幸だけではなく、身内が狂ったり病気になったりするんですね。
まるで変な生き方をすると、それを即座に方向修正してくれようとする力が働いてくれるかのようです。(業に対しては即座に働く。)

子供の頃は、『業』と言うものを殆ど意識せず、自分が楽する事や、他者の感情をあまり考えない生き方をしていましたが、
業と言うものが即座に反映されてくれたお陰で、比較的早い段階で、自分を悔い改める機会に恵まれたと思います。
こう言うもの、後になってから、「これはあの時にああ言う事をやったから、それに対する因果応報が起こったのだな・・・。」と分かる事があったりするのです。

なので、個人的には、自分は年々日進月歩の勢いで『まとも』な人間になり続けている自覚があります。
他者からどう思われているかなど知りませんが、あくまで自分の中では、より詰りのない一貫性のある正直な形で生きれるようになってきているのです。

自分自身の行動理念として、『業』の概念が深く入り込んでいたように思えます。

私は、自分の思考と行動を、エネルギーとして把握する癖みたいのが出来てしまったので、
これをやると業を蓄積する、これをやると業が解消されると言うのが、感覚的に分かります。
これは、理屈や証拠で証明する事が出来ない事なので、分かるとしか言いようがありません。

同時に、他者の事も、この人は目に見えない業(負債)がどの位で、目に見えない徳(資産)がどの位と言うのを、無意識的に見ていたように思えます。

失礼な話ですが、自分に蓄積する『業』の概念を意識して生きている人間は、非常に少ないように見えます。
もし、それが実感として分かっていたら、嘘吐いたり、搾取したり、騙したりしなくなる筈なのですね。
人の見ていない所で、変な事を行うような事も減ると思います。

私は、今回一カ月間に渡り体調不良になり、自分の中に蓄積された先祖代々の因業みたいのが表に出て来た原因は、『過剰防衛』であったと自覚しています。
結果的に、先祖代々引き継いで来た業と言うものをより深く解消する良い機会になったのですが、この体調不良を引き起こす原因になったのは、結局の所『過剰防衛』だと思うのです。

昨年から批判して来たある方の事もそうですが、こちらが受けたダメージを以上の事をやり返してしまった訳です。
自分の中で、ある段階でこれ以上はやっちゃいけないと言うボーダーラインを感じ、かなり熟考した後に、もう降りると言ったのですが、その後の自分の起こした行動が、自分の業を蓄積する結果に繋がってしまった可能性があります。
自分の中ではそうとしか言いようがありません。

もし、批判をするにしても、時期や方法をちゃんと選ばないと、こちらが業を蓄積する事に繋がってしまうのです。
批判した方を必要とする方もいる訳で、それを邪魔してしまうと、こちらの業の蓄積に繋がってしまう。

実は、1月28日のブログ記事を公開した『瞬間』に、頭が詰まりました。
その三日前に、別の詐欺師と思しき方に、「これはおかしいのではないか?根拠を出して下さい。」と言うような事を書きこんだのですが、コメントを送信した『瞬間』に頭痛がしました。
それが全ての始まりだったのですね。

これ以上やると、自分の方がダメージを喰らうボーダーラインのようなものがあるのです。
このバランス内で行う分には大丈夫なのですが、これを超えるとダメージに繋がってしまいます。
これは、相手の感情が入り込んで来たり、違和感を感じたりと、多くの信号が出るので、よ~~~く分かります。
今回は、それをよく分かっていたのに関わらず無視してしまった訳です。

もし、相手が悪い場合であったとしても、迂闊に攻撃すると、業が蓄積するんですね。
頭の中に白くて濁ったプラスチックガラスのようなエネルギーが瞬間的に貫いたり、
黒くて濁った液体みたいのが瞬時に身体の中に入り込んで来たりします。

あるラインを超えると、業を蓄積してしまい、自分自身が体調を崩したり良くない事が起こるだけではなく、身内も巻き添えを喰らっておかしくなったりする訳です。
自分の範囲内だけなら問題ないのですが、周りにまで迷惑をかける事になってしまいます。

私の場合、なぜか業を蓄積すると、それが反映される速度が滅茶苦茶早いようです。
多分、他の人はあくどい事をしても、そんなすぐには反映されない。
人によって、業の強弱や性質による違いはあると思いますが、業が反映されるまでに、何秒、何分、何時間、何日、何カ月、何年、何十年、何百年、何千年と言ったような期間のバラつきがあるように見えます。

敢えてそれを用語で例えるとすると、『業の反映速度』とでも言うべきものです。

悪い事や騙しを行っている人間に対して、すぐにそれに準じた不幸が訪れないのも、そう言う『反映速度』があるからなんだろうな・・・、と子供の頃から漠然と考えていた記憶があります。

これは証明しようもないし、根拠を出す事が出来ないので、他の人達に対して、「こう言うものが存在するよ?」などとは言えないのですが、
自分の視点からすると、明らかに『業』の存在と、業の『反映速度』があるようにしか見えなかったりします。

だからこそ、自分の行動理念として、出来るだけ業を蓄積せず、業を解消するようにする事が第一に存在したりする訳です。
あくまで私は、何が起こるか分からないけど、こちらが起こしたものと同じ性質のものが跳ね返って来る『業』の存在を恐れているので、業を溜めるような生き方を避ける事が第一にあります。


私は、業(負債)と徳(資産)と言うものは、エネルギーとして認識出来るものであると考えています。
むしろ本来、業と言うものをエネルギー認識しないと始まらないものであるのかも知れません。
業を認識しない状態は、病巣が分からないまま、病気の症状に苛まれるようなものです。
まず、業をエネルギー認識しないと、人間の業によって生じた社会病巣の根本原因も分からないと思っています。

業をエネルギー認識すると言う事はそんなに難しい事ではなく、私達が普段普通に認識している事の延長線上にあるものです。
例えば、心の卑しさと言うものは、隠してもエネルギーでは誤魔化せないですし、そんなエネルギーを持っていたら顔付きや立ち振る舞いに出てしまうじゃないですか・・・。
それは、多くの人達が、相手の顔付きや立ち振る舞いや雰囲気から、相手の事を判断しているのと同じで、むしろ当たり前に認識出来る事だと思います。

そろそろ記事をまとめます。
業と言うものは、解消しない限り残り続けるものであり、
例え死んでも自分の魂?や、遺伝子?に残り、引き継がれるものであるように見えます。
恐らく、やるだけやって逃げ切るなんて事は出来ない。
自分で作り出してしまった業は、自分だけではなく、身内にも反映される。

それが業の性質であるように見えてしまうのです。
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個人的にこんな景色が好きや!
環境問題、社会問題、人間の業が解決した日本らしい世界に生きるのがおいどんの望みですよ。
ただ、そこに至るまでの道のりが遠すぎるんや・・・。
その為においどんが何が出来るかと言うものも未だに定かではないですしね。
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ネズ公に食品トレーを齧られました。
これはカボチャの種を置いていたトレーなので、カボチャの種が食われた後も、カボチャの香りが残っているから齧られたのだと思います。

ネズ公共は、圧倒的に飢えている・・・!!

このネズ公を極力ぶっ殺さない手段を選ぶのも、業を蓄積する事を避けているからだったりします。(あとは単純に人間以外の生物は基本的に好き。)
売り物の商品の在庫を食われるとか、どうしようもない事態にならない限りは、極力ぶっ殺さない。

私が、なんでこんな回りくどい生き方をしているのかとよく言われたりするのですが、
『業の蓄積』と言う概念に当て嵌めてみると、私の思考と行動の全てがこれ以上ない位にシンプルなものだと思われます。

ただ、業を恐れるあまり、必要以上にお人好しになろうとするのは止そうと思いました。