January 30, 2017

伏見稲荷風水考

今月晦日になってしまいましたが、今月二回目のブログ投稿です。
昨日は広島に向かう新幹線内での投稿でしたが、今回も帰路の新幹線内で、スマホ操作での投稿となりますが、16日午前、風水鑑定の前に参拝した伏見稲荷を、風水的に考察します。京都の寺社は、ほとんど訪れていましたが、伏見稲荷はまだ訪れたことがなく、初めてでした。
14日から数年に一度と云われる大寒波が日本列島を襲い、16日もまだ、上空には強力な冬将軍が居座っていました。稲荷駅に着いたときはまだ晴れ間が見えていましたが、10時頃になるとまた雪が散らついてきて、手がかじかむ寒さの中の参拝でした。
さてそれでは、順を追って説明させていただきます。
(下画像は、伏見稲荷境内周辺のGoogle衛星画像)
伏見稲荷周辺航空写真


稲荷駅改札を出ると、道を隔ててすぐ目の前に、大鳥居がありました。
伏見稲荷の大鳥居と本堂

大鳥居前の参道脇には、「外国人に人気の観光地三年連続第一位」なるのぼりが立ち並んでいましたが、確かに、日本語よりも中国語や韓国語、英語のほうが多く耳にすると感じるほど、外国人観光客が多かったです。
大鳥居をくぐり、手水舎にて手口を浄め、本殿にて参拝しました。
伏見稲荷奥の院

本殿は西向き、二十四山方位で酉向き、卯山酉向でした。
順路の看板どおりに本殿裏手に進むと、境内のガイドマップがありました。
伏見稲荷境内MAP

伏見稲荷の御神体である稲荷山は、標高わずか233mゆえ、山頂まで登るつもりでしたが、マップには、千本鳥居の名の如く、山頂を頂点として、くねくねと続く山道沿いにずらっと鳥居が並び描かれており、予想以上に時間がかかりそうだなと感じました。
いよいよ千本鳥居の入り口です。
稲荷山登山道の入り口の千本鳥居

サスペンスドラマとなると京都が舞台になることが多いですね。京都の中でも、この千本鳥居はよくテレビで目にしていましたが、実際にずらっと並ぶ鳥居の中を歩くと、果てることなく続く鳥居は圧巻でした。折りしも小雪が舞い始め、より一層幻想的でした。
しばらく進むと鳥居のトンネルは一旦切れ、奥社がありました。
奥社も本殿と同じく卯山酉向でした。
奥社で参拝後、さらに続く鳥居のトンネルの中を進んでいきます。
しばらく行くと右手に、小高い丘に続く小道があり、神寶神社と書かれた案内板がありました。先に見た境内マップには書かれていませんでしたので、飛ばそうかなとも思いましたが、何かもったいないように感じ、寄っていくことにしました。
小道は結構急で、さらに濡れていたため、ペンギン歩きで慎重に登っていきました。
5分ほど行くと、こじんまりした神社が見えましたが、ここが神寶神社でした。
稲荷山登山道途中にある神寶神社

この神社はほぼ真南向きの子山午向でした。
目を引いたのは、拝殿を守っているのが狛犬ではなく、龍だったことです。
向かって右が天龍、左が地龍です。
image


伊勢神宮の神札と一緒に神寶神社の神札を祀りましょう
という看板に釣られ、参拝後、神札を購入させていただきました。
以下はこの記事のために調べてわかったことですが、
神寶とは神前に奉納する宝物のことで、十種神宝(とくさのかんだから)のことをさしているようです。天津神(あまつかみ)と饒速日尊(にぎはやひのみこと)が地上に降臨されるとき、天照大御神が授けたという沖津鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(へつかがみ)、八握剣(やつかのつるぎ)、生玉(いくたま)、足玉(たるたま)、死反玉(まかるかえしのたま)、道返玉(ちかえしのたま)、蛇比礼(へびのひれ)、蜂比礼(はちのひれ)、品品物比礼(くさぐさもののひれ)の十種をいいます。これらの神寶を振りながら祭祀を行えば、死人も甦るほどの呪力があるのだということです。
そんな強力なパワーのある神社に参拝し、神札もいただくことができ、ついてたなと記事入力しながら、感じています。
参拝後、来た小道を慎重に下り、また稲荷山山頂に向かって鳥居のトンネルを進みました。
しばらく進むと新池という神秘的な池がありました。
稲荷山登山道途中にある池

池のほとりには、熊鷹社という拝所があり、白狐に護られた熊鷹大神が祀られていましたが、多数のロウソクの火が灯り、失礼ながら、一種おどろおどろしさを感じました。
稲荷山登山道途中にある祭壇

ここでも参拝させていただき、さらに先に進んでいくと、京都市内を一望できるビューポイントがありました。残念ながらこの日は悪天候で視界は良くありませんでしたが、それでも市内を広く見渡せました。
さらに進むと四ツ辻という看板があり、左右二手に道が分かれていました。
左が山頂への往路で、右が山頂からの復路です。
往路を上がっていくと、山肌からの湧き水がありました。通常は龍の口から水が出ていることが多いのですが、さすが稲荷山、白狐さんでした。
稲荷山頂上への登山道にある湧き水

このあたりまで上ってくると、鳥居もぎっしりではなく間隔も少し空きますが、相変わらず鳥居が並んでいます。
稲荷山登山道に並ぶ千本鳥居

山頂に近づくにつれ、勾配はきつくなり、階段が続くようになりました。
日頃ジムで定期的に筋トレはしていましたが、還暦を迎えたこともあり、息もはあはあと荒くなってきました。
標高233mとは言え、馬鹿にはなりません。
四ツ辻から上がること30分ほどで、ようやく山頂に辿り着きました❗️
山頂には神社があり、技術芸能の神様が
祀られていると案内板に書かれていました。風水は術に属しますので、上ってきて良かったと感銘しました。
稲荷山頂上の神社

山頂はかなり風も強く、寒かったですが、風水師としてより技術力を高め貢献できるよう、よくよく祈ってまいりました。
この記事に際し調べてわかったのですが、伏見稲荷の創建には、秦氏が深く関わっています。秦氏と言えば、大和朝廷の時代の新羅系渡来人とされ、平安時代前後は豪族として名を馳せ、土木技術に大変長けていました。
なるほど❗️だから技術の神なのだなと合点がいきました。
参拝後、やはり鳥居が並ぶ復路を下りて行き、30分ほどで終点の橋に辿りつきました。
稲荷山下山道

稲荷山下山道終点の橋

今回、下調べを全くせず、御神体の山頂まで登りましたが、低い山とは言え、往復1時間半はかかりました。参拝時間入れれば2時間はゆうにかかります。
神界への幽門とされる千本鳥居は圧巻ですし、まだ行かれていない方は、是非一度参拝し、そして稲荷山山頂まで登ってみてください。そこはまさに不思議な神域です。

新幹線内だけでは終わらず、東京駅からの高崎線内、それでも終わらず、桶川のクリエでダージリンを飲みながら、ようやく完了。
とりとめない内容でしたが、最後までお読みいただき、ありがとうございましたm(_ _)m

tenshin555555 at 17:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)風水学 | 風水探訪

January 29, 2017

柴又帝釈天風水考

太陽暦による新年最初の月も早いもので今日明日を残すのみとなりました。
昨年の11/13、12/13両日の巳刻に、家宅のツボを刺激して氣の流れを旺盛にする打劫煞開運法を行いましたが、今月は月初めから立て続けに出張鑑定をいただき、ブログ更新に割く時間がなく、気がつけば月末になってしまいました。
打劫煞開運法は、玄空大卦法と三元奇門遁甲を使用する術ですが、その玄妙さを感じずにはいられません。感謝m(_ _)m
30日、31日も広島出張ですが、月二回のブログ投稿は自らに課した約束事のため、広島に向かう新幹線内にて、スマホによる投稿です。
さて今回は、今月4日に訪れた柴又帝釈天について、風水学の視点から考察します。
実際の目的は、立命塾門人の安藤尚堯先生と執筆中の風水書取材で、寅さんちの「とらや」風水探訪でしたが、年初めということもあり、各々夫婦にて、柴又帝釈天へ初詣することとなりました。
柴又帝釈天は、正式名称を経栄山 題経寺(きょうえいざんだいきょうじ)と言い、江戸時代初期の寛永6年(1629年)に開創された日蓮宗寺院です。ウメサンの家系の信仰も日蓮宗でして、今回ブログ投稿する際に調べて日蓮宗寺院であることを初めて知ったのですが、縁に引かれて来訪したと感じました。
本来のご本尊は大曼荼羅ですが、18世紀末、9世住職の日敬(にっきょう)の頃からご本尊と一緒に祀られていた帝釈天が信仰を集めるようになり、「柴又帝釈天」として知られるようになったそうです。
帝釈天は天部のおひとりで、天部は尊像における四区分(如来、菩薩、明王、天)の最下位である四番目に置かれ、天部には他に弁財天、大黒天、毘沙門天、鬼子母神、十二神将などが居られます。
帝釈天の縁日は、60日に一日くる庚申の日とされ、江戸時代に大流行した庚申信仰とも相俟って、多くの参詣人を集めるようになったそうです。
庚申信仰とは、庚申の日に徹夜して眠らず、身を慎めば長生できるという信仰のことです。
庚申信仰の起源は中国の道教にあり、人間の体内には三尸(さんし)がおり、庚申の日に天に昇って寿命をつかさどる神に人間の過失を報告し、早死させようとするため、昼夜清斎して神を思えば、三尸は天に昇って人の罪状を告げることができないと、古書に記されていることから由来します。
日本では、8世紀末には「守庚申(しゅこうしん)」という、庚申の夜には謹慎して眠らずに過ごすという行事がなされた記録があるようです。
平安時代からは庚申待(こうしんまち)と称され、公家の間で行なわれていたようですが、江戸時代には広く民間に伝わり、庚申の日には村単位で夜集まる庚申講(こうしんこう)がさかんに行なわれたようです。郊外に行くと庚申塚を見受けます。ウメサンんちがある桶川にもありますが、その地域で行なわれていた庚申信仰の名残りなんですね。
さて、前置きが長くなりましたが、柴又帝釈天の風水考に入ります。
柴又帝釈天本堂は西向きで、二十四山方位では庚向き、すなわち「甲山庚向」です。
(下画像は柴又帝釈天本堂)
柴又帝釈天本堂

柴又駅から柴又帝釈天へと続く参道は、北東方位、十二方位では寅方位に延びています。
(下画像は柴又帝釈天門前町のGoogle衛星画像)
柴又帝釈天周辺航空写真

そして、山門手前でくの字型にやや折れて山門に続いています。
(下画像は柴又帝釈天山門)
柴又帝釈天山門

寅方位ということは、柴又帝釈天から見れば申方位となります。
そうです❗️
本堂は庚向き、
参道は本堂から見て申方位に延びているわけです❗️
帝釈天参道は、庚申の日には今も大変な賑わいになるそうです。
庚申講は今ではほとんど行なわれることはありませんが、時空がまさに一致した柴又帝釈天の庚申参拝は、間違いなく御利益があり、今も盛んなのでしょう。
この繁盛に一役買っているのが、もちろん寅さんです。
(下画像は柴又駅前にある寅さん像)
柴又駅にある寅さん像

柴又駅から寅方位に延びる参道に、とらやがあります。
(下画像は映画の舞台となったとらや)
とらや

山田監督が寅次郎という名を寅方位から取ったわけでは決してないでしょうが、間違いなく帝釈天のご意思に依り、山田監督の脳裏に閃かれた名前ではないでしょうか。
読売新聞が2011年11月2日に、奈良時代「下総国葛飾郡大島郷」の戸籍(注1)に「孔王部(あなほべ)」、名は「刀良(とら)」という男性と、別の世帯に同姓の「佐久良賣(さくらめ)」という女性の姓名が記されていることを取り上げていました。
そして続く9日には、2001年に柴又八幡神社の境内から出土した、男の埴輪と女の埴輪が、映画「男はつらいよ」の主人公・車寅次郎と、妹・さくらに似ているとあらためて紹介し、大変話題になりました。
その戸籍のレプリカと寅さん似の埴輪は、葛飾区の「郷土と天文の博物館」で展示されているそうです。
霊魂の存在を信じない山田監督も、何か目に見えない力が働いて作られた映画だと語られています。
仏教でいう輪廻転生を感ぜずにはいられませんね。
蛇足ですが、私は庚申日生まれです。昔から寅さんが大好きでしたが、今回の記事で調べてみて、その理由がわかりました。今回の企画はまさに帝釈天に導かれたと感ぜずにいられません。

追伸)
明日の帰路新幹線内で、今月二度目の記事「伏見稲荷風水考」を投稿予定です。

tenshin555555 at 01:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)風水学 | 風水探訪

December 27, 2016

〜2017年強運をつかむ風水(2017年一白中宮年と丁酉年より)〜

 今年もいよいよ四日間を残すのみとなりました。
 今年最後の投稿は、17日に浅草公会堂で催行した「2017年強運をつかむ風水」セミナーで使用したレジュメの一部ですが、掲載したいと思います。
 18日の投稿では、二黒中宮の九星年盤と干支暦の丙申年から、2016年を振り返ってみました。
 九星と干支という眼鏡をかけて一年に起こった様々な出来事を見てみると、九星と干支の象意が見事に展開されていることがわかりました。
 今回はその続きで、いよいよ2017年がどのような一年になるかを、やはり九星と干支の視点から予測してみました。2017年は二黒中宮年、干支暦では丁酉年です。
 先ずは九星から・・・
レジュメ7 2017年九星年盤

 上記は2017年の九星年盤ですが、一白中宮年です。特徴としては、
 |羌椶箸覆覦貲鬚両欅佞キーワード
 ∋姐腓涼羶瓦西(兌宮)で三碧が回座
 8涓が南(離宮)回座
 ぐ展涓(暗剣殺)が北(坎宮)回座で六白に付く
 ヅ譟平無棔砲鉾白回座で歳破が付く
 など。
レジュメ8

レジュメ9

レジュメ10


 次に干支暦より・・・
レジュメ11

レジュメ12

 干支の暗示は、一年間の精神的な支柱として捉えていかれると良いでしょう。

 ここまではセミナーの前半にお話しした内容で、後半にて、
 ゞ運をつかむための風水アイテムの紹介
 閆煞(五黄、三煞、歳破など)の化煞法
 B嚢煞開運法
 じ雫大卦擇日法による吉日時(上半期)
 などをお話ししました。
  ´△亡悗靴討蓮
 2017年を最高の年にするための最強アイテム
 を参照ください。

 終わりよければ全てよし!と言います。特に最後の3日間が大事だと・・・。一年をしっかり締めて、良い年を迎えましょう!!
 また、
 始め良ければ全てよし!とも言いますね。特に最初の3日間・・・。初詣はじめ、充実した三が日をお過ごしください。

tenshin555555 at 19:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)風水学セミナー 

December 18, 2016

〜「2017年強運をつかむ風水セミナー」盛況でした、感謝m(__)m〜

 昨日17日、年末恒例の「2017年強運をつかむ風水セミナー」(一般社団法人国際・風水協会主催)、浅草公会堂にて催行されました。12時からの部をウメサンが、15時の部を塚田理事長が登壇しましたが、どちらも満席大盛況でした。ありがとうございましたm(__)m

 ウメサンのセミナーでは、レジュメを作成配布しております。レジュメはプレゼンできるようになっていますが、受講されたお客様が書き込んだり、後で見返すことができるように、敢えてアナログ式、旧態依然たる方法にしております。
 今回はセミナー前半でお話しする、「2016年を振り返って」で使用したレジュメページの一部をピックアップして掲載します。
2016年九星年盤

 ウメサンの場合、一年を占うにおいては、九星と干支を使用しております。上画像は2016年九星年盤です。
 注目すべき点は、
‘鷙中宮
坎宮(北)に七赤回座し、三合の中心
艮宮(東北)に五黄と歳破回座
ずサ棔弊焼遏砲鉾白回座し暗五黄(暗剣殺)が付く
etc.

レジュメ2

レジュメ3

レジュメ4

レジュメ5

 以上が、九星という眼鏡をかけて、一年間の様々な出来事を見てみると、九星年盤に秘められた象意、暗示が現象化していることがわかりますね。

 次に干支です。干支という眼鏡をかけて、2016年を見てみましょう。
レジュメ6

 故安岡正篤先生は、干支の活学と題して、政治家や実業家向けに講話をされておられましたが、十干、十二支の字源が現象化していることを実感せざるを得なませんね。

 目に見えない「氣」があり、それが目に見える形あるものになっている!それが中国の五術の根幹ですが、氣の様態を9つに分類し、それらを虚星(架空の星)名にし、「飛泊」という運動法則をもとにつくられた九星年盤と、年月日時を60干支で表した干支暦は、一見シンプルですが、そこに秘められた意味の奥深さ、玄妙さに感嘆します。

 次回は年内に、この続きとなる「2017年の予測」についての内容を投稿する予定です。

 追伸)
 セミナー終了後、立命塾の第九期を卒業して、不動産・建築コンサルタントとして活躍しているNao安藤こと安藤尚尭先生と、忘年会を兼ねて、出版の打ち合わせをしました。
 安藤先生のブログは、なかなか面白いです。特にアニメヒーローのお宅風水診断は笑えるし、う〜ん!なるほど!!と唸れます(^^♪
  投稿例 巨人の星・星一徹の家を風水で見てみましょう
 立命塾卒業の門人が、こうして活躍しているのを見ることが、一番嬉しいですね。塾頭冥利に尽きますm(__)m
 
 来春、ウメサン監修、Nao安藤著にて、面白い風水本出版をしたいと思っていますので、お楽しみに(^^♪
 

tenshin555555 at 14:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0)風水学セミナー 

November 30, 2016

〜辞任必至の朴槿恵大統領スキャンダルを命理学&風水学で考察2〜

 昨日に引き続き、韓国朴槿恵大統領のスキャンダルについてです。
 昨日は命理学の観点から考察しましたが、今回は風水学の観点で考察させていただきます。
 韓国の大統領府は、もちろんソウル市内にあります。現ソウル市付近は、李王朝時代に好風水地であることから、景福宮を中心として都が建造され、今日に至っています。
 大統領府は『青瓦台』(下画像 Wikipediaより転載)と呼ばれ、その呼称通りに青い瓦屋根に守られた美しい建物で、観光名所にもなっています。
青瓦台画像

 (画像中央にあるのが景福宮で、その左上に見える青瓦の建物が『青瓦台』)

 青瓦台の北は、主山となる『北漢山』が守り、北漢山の麓、中腹に青瓦台は位置しています。青瓦台から南方は景福宮はじめ、ソウル市内を見渡すことができます。ソウル市内は西から東へ、青瓦台や景福宮を守るように大河の漢江がゆったりと流れており、ソウルは今でも風水都市の代表です。(風水都市ソウルに関しては拙著「陽宅風水実用大全」に詳述していますので、参照ください。)
 韓国は北朝鮮といまだ休戦状態にあり、国防上Google Mapにも建物は反映されず、配置図や平面図も公開されていないため、大統領官邸などの詳細は不明ですが、下画像のGoogle Earthより転載した青瓦台周辺地図を見ると、7度強西偏する磁北を基準とすれば、青瓦台自体はまぎれもなく、真南向きで、1991年建造ゆえ、第7運「子山午向」です。
青瓦台周辺衛星画像


 そして、この玄空宅運盤は下記のとおりです。宅運盤は北が上となっている地図に合わせてチルトしております。また、各宮(方位マス)の上段には、本年の年九星と9月の月九星を記しました。
第7運子山午向(2016.9)


 宅運盤を見てわかることは、青瓦台は坐に第7運の令星が双星となる『双星会坐』であり、艮宮(東北方位)の向星が5(五黄)となっています。そして本年2016年の年五黄も東北方位に回座しています。
 さて、前述したように韓国はいまだ北朝鮮と休戦状態にあり、北朝鮮の動向に対しては、日本はじめ他国以上に緊張感を持っています。ご存知のように今の北朝鮮は、北朝鮮建国時の金日成主席から金正日書記、金正恩書記へと世襲された独裁国家ですが、まだ若干32歳の金正恩書記になってから、軍国化がより強化され、核開発の実験が多くなされるようになりました。今年に入ってからだけでも、核ミサイル発射実験19回、そして水爆と思われる核爆発実験が2回行われています。
 下記は、青瓦台を基点とした風水24山方位図ですが、核ミサイル発射実験は西北方位にある東倉里(トンチャンリ)、東北方位にある舞水端里(ムスダンリ)、北方位にある旗対里(キッテリョン)から発射されています。
青瓦台基点方位図

 青瓦台の坐である北には坐星、向星に7(七赤破軍)が坐していますが、第8運期の今、七赤は最も衰氣にあり、火事や盗難、口舌などの災いが生じやすい憂いがあります。本年の年九星も北には7(七赤破軍)が回座し、とりわけ11月は月九星も北に7(七赤破軍)が回座し、フォース(forth)で7が重なっており、今月の大統領バッシングにつながったと言えます。
 それだけではありません!水爆実験は1月と9月の二回行われ、M5ほどの揺れが観測されています。この水爆実験は豊渓里(トンゲリ)の地下施設で行われていますが、青瓦台から東北方位です。
 前述したようにもともと青瓦台の宅運では、東北方位の向星が5(五黄)で、そこに本年の年五黄も東北方位に重なり、五黄の煞氣が倍加されています。
 1月はまだ前年の運勢ですから東北方位に年五黄は回座していませんが、二十四方位では丑方位にあたっており、前年2015年(乙未年)の歳破にあたる凶煞方位です。
 9月の月九星は、宅運盤に記載されていますが、7(七赤破軍)が回座しています。第8運期において、もっとも災厄を招きやすいとされる5(五黄)と7(七赤)が、557と重なる東北方位にて、M5 という大きな人工地震波がまっすぐ東北から青瓦台へと伝播されており、核ミサイル発射実験による北坐の7(7赤破軍)、水爆実験による5(五黄)と7(7赤破軍)への強烈な刺激が、五黄&7赤破軍が融合した強烈な災厄を青瓦台にもたらしたと考えられます。
 昨日投稿した、朴槿恵大統領の命運と、風水上の凶作用が相俟っての、今回のスキャンダルに繋がったのではないでしょうか。
 北朝鮮側がそのことを知っていて実験を行ったか否かはわかりませんが、結果としては韓国の政局を大混乱に陥れることとなり、北朝鮮側から見れば、戦略的には功を奏したと言えるでしょう。
 ともかく、日本にとっても対岸の火事でおさまらず、年末から来年にかけても、予測し難い北朝鮮の動向は、大変注視しすべきことに変わりはありません。
 歴史的にはまだまだ解決できていない日韓関係ではありますが、スムースに次期大統領が決定し、政局が安定して、東アジア情勢の安定のためにも、良好な日韓関係が築かれますよう、祈って止みません。

追伸)
 水爆実験の大地の揺れとは比較になりませんが、住居の近隣で行われる道路工事などは注意を要します。
もしも五黄や七赤の方位で、工事の轟音が聞こえる距離であれば、工事における振動も伝播され、災厄を引き起こす憂いがあり、至急の化煞を要します。来年は南方位に年五黄回座です。ご心配な方は、ぜひご相談ください。








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November 29, 2016

〜辞任必至の朴槿恵大統領スキャンダルを命理学&風水学で考察1〜

 今月も残り2日間となってしまいました。
 22日に、二十四節気の小雪を過ぎてすぐ、関東では数十年ぶりという積雪を記録し、木枯らしが舞う中、すっかり初冬の装いとなりましたが、本日と明日の2日間かけて、韓国内のみならず日本でも連日マスコミにて報道されている、韓国の朴槿恵大統領スキャンダルについて、考察させていただきます。このブログを更新した29日には、ついに辞任の意向であることを自ら声明されました。
 朴槿恵大統領は、1963年から五期16年に渡り韓国大統領を歴任した朴正煕氏の次女として生まれ育ち、1998年に政界入りしてからは、一時『韓国のジャンヌダルク』とまで言われるほどの人気を博し、ついには2012年の大統領選挙で勝利し、韓国初の女性大統領に就任しました。就任後一時は60%を超える高い支持率を得ましたが、2014年に死者不明者300名を超えるフェリー「セウォル号」転覆事故の救助活動に対する国の杜撰な対応への批判から陰りが見え、今年10月末に発覚した、親友である女性の政治介入事件により、国民全体の辞任運動にまで発展して、ついには支持率4%という、韓国史上最低を記録し、もはや辞任せざるを得ない状況を招いてしまったのです。
 朴槿恵大統領は、1952年2月2日生まれとなっています。今でも陰暦を重視する韓国や中国では、生年月日を陰暦で表す場合も多く、注意が必要です。
 ウメサンがこの業界に入った若かりし頃、ひとりの韓国人男性を四柱推命鑑定したことがありましたが、教えていただいた生年月日をもとに算出した命式により、性格や今までの人生をお話ししても、まったく手ごたえがなく、要するにことごとくはずれていました。よくよく尋ねてみると、陰暦による生年月日ということで、新暦(太陽暦)に変換した生年月日をもとに算出し直した命式により、ようやく的を得た鑑定アドバイスができるようになったという、冷や汗ものの体験があります。朴槿恵大統領の場合は、新暦の2月2日に誕生祝いをされていますし新暦表示で間違いないでしょう。
 命式は下記のとおりです。
生年 辛卯乙 傷官 正官 沐浴
生月 辛丑己 傷官 劫財 養
生日 戊寅甲     偏官 長生
生時 不明
空亡(天中殺) 申酉
調候用神 火土
守護神  丙丁
大運
立運 0歳〜1歳 辛丑 傷官 養
第1運 1歳〜11歳 壬寅 偏財 長生
第2運 11歳〜21歳 癸卯 正財 沐浴
第3運 21歳〜31歳 甲辰 偏官 冠帯
第4運 31歳〜41歳 乙巳 正官 建禄
第5運 41歳〜51歳 丙午 偏印 帝旺 丙は調候用神(守護神)午は調候用神  
     1998年 戊寅 比肩 長生 国会議員初当選で政界入り
                生日干支と同じ⇒「律音」の年で新しいスタートの年
第6運 51歳〜61歳 丁未 印綬 衰 丁は調候用神(守護神)
     2012年 壬辰 偏財 冠帯 大統領選挙で勝利
第7運 61歳〜71歳 戊申 比肩 病 
               大運天中殺 生日干支と「納音」の十年で、行ってきた結果が揺らぎ、整理し変化する期間 
     2014年 甲午 偏官 帝旺 セウォル号転覆事故
     2016年 丙申 偏印 病 空亡(天中殺)  親友女性の政治介入問題
第8運 71歳〜81歳 己酉 劫財 死 大運天中殺
・・・

 朴槿恵氏が国会議員に初当選し、政界入りしたのは46歳になる1998年でしたが、大運干支は丙午で、干支ともに調候され、運氣の良い十年間にあり、またこの年の干支は生日干支と同じ戊寅となる「律音」の一年でした。律音は新たなるスタートという象意を持ち、まさに国会議員として政界入りし、新たな公人としてのスタートでした。
 大統領選挙に出馬し、見事勝利したのは2012年12月でしたが、大運干支は丁未で、調候された十年間にあります。そしてこの年の通変星は偏財で、命式中の傷官と正官の通関神となって正官を強めてくれ、その結果、正官の持つ地位名声運が高められる一年でした。
 セウォル号転覆事故のあった2014年は、大運では第六運に入っており、干支は戊申で、生日干支とは戊申−戊寅の「納音」となる十年間です。すでに調候された20年を過ぎ、大運天中殺期間に突入していました。
 納音は、行き詰まり、衝突、そして整理変化するという象意を持ち、大運天中殺期間は、人生の枠組みが取り払われ、報われなくても誠実に努力苦労してきた人は想定外の成功を納めることができる一方、逆にそれまで好運で、不実なことを行ってきても表出することなく生きてきた人は想定外の失墜を経験することにもなるという期間なのです。
 2014年の通変星は偏官でした。朴槿恵大統領の命式には、正官と偏官があり、いわゆる官殺混雑に一見見えます。官殺混雑は、家庭や仕事上の不安定を意味しますが、朴槿恵大統領の場合、生日の蔵干と生月の蔵干が甲−己の暗合となり、官殺混雑は解消されています。しかし大運や歳運で偏官が巡ってくると、たちまち官殺混雑の凶意が現れてしまいます。この年に起こってしまった韓国史上最悪の転覆事故は、一国の責任者である大統領の命運にも大きなマイナス影響をもたらしました。
 そして今年2016年丙申年は、朴槿恵大統領にとって空亡(天中殺)年です。さらに年干をめぐり、生年干と生月干が辛−丙−辛という一陽二陰の妬合を形成し、妬み嫉みを買う一年でした。
 今年10月末に、親友の政治介入問題が発覚してわずか一ヶ月で、韓国史上最低の支持率まで急降下し、任期を一年以上残して退陣の意向を示さざるを得ない状況になったのは、大運天中殺+大運納音+官殺混雑(2014年)+天中殺(2016年)+妬合(2016年)という、あまり類を見ない運氣が重なる晦氣(かいき)が大きな要因となったと言えるでしょう。

 次回は30日の晦日に、風水学の観点から考察させていただきます。
 

tenshin555555 at 23:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)四柱推命学・算命学 | 風水学

October 31, 2016

〜2016.12.17 年末恒例「強運をつかむ風水セミナー」受講募集開始しました〜

10月も晦日、日に日に深まりゆく秋、ここ桶川の田園風景も、だいぶ色づきつつあります。
さて今月二回目の投稿は、年末恒例の風水セミナー案内となります。
昨年から、(一社)国際・風水協会の塚田理事長も満を持して登壇され始めました。
異なったテーマでの強運をつかむ風水をお話ししますので、お時間あれば半日お付き合い下さいm(__)m
2016.12.17 セミナーチラシ

追伸)
浅草公会堂での催行は、今年で5年目ですが、お台場で催行してからはかれこれ14年になります。
私も年をとりました。このセミナー直後に還暦を迎えます。命理学上、65歳8か月までは今の立場で頑張る所存です。
しっかり準備して今回の講座も臨みますので、宜しくお願い致します。

tenshin555555 at 13:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)お知らせ | 風水学セミナー

October 25, 2016

〜吉日時選びと吉方位取りについて〜

先月、吉日時に対するウメサンの見解を近日投稿する旨お知らせしました。
ちょうど今月、お客様から、吉日時と吉方位に関しての質問がありましたので、お客様への回答文をもって、ウメサンの見解とさせていただきます。

○○様、
こんにちは。数多ある占術サイトの中から、縁あっての当方への鑑定依頼、まことにありがとうございます。
ご親族の影響もあり、幼少のころから、吉凶日と吉凶方位を意識せざるを得ない環境でらしたこと、理解しました。
日本国内だけでも、今でも風習とされている吉凶日が、暦の下段にある暦註に記されていますが、中国はじめ世界には、様々な吉凶日の暦術があり、どれも一致せず、ときにはある暦術での吉日が、他では凶日になっている日も枚挙にいとまがありませんね。
結局ご本人にとって、どれが信じるに値するかでしょう。
ウメサンはもともと陰陽道からこの業界に入りましたが、紆余曲折の末、吉日時選びは玄空大卦擇日法を採用し、移転のように住まいがかわる場合は九星氣学、住まいは変わらない場合の吉方位取りは奇門遁甲を採用しています。
風水や九星氣学、奇門遁甲等は、中国では五術の中に属し、吉日時選びにしろ方位取りにしろ、様々な術数があります。真理を追究する科学とは異なり、「術数」には多様性があり、どれが正しいかではなく、どれが効果的かが重要で、結論としては、実践して体験した人が判断するしかないです。
科学はじめ学問は術数も含めて、こだわりの世界ですね。
こだわりから、歴史的発見や発明や大記録も生まれるもので、こだわることは決して悪くはないと思います。
しかしこだわりがあまりにも極となると囚われになり、そうすると生きるのに大変不自由です!
ウメサンが目指すのは、最終的には吉日時も吉方位も気にせず、天地自由人になることです。
本来天(神)がおつくりになったものに、吉も凶もないはずではないでしょうか。
聖書では人は本来神の子であるとされていますが、残念ながらその神の子であるはずの人間は堕落し、天地の氣を上手に扱うことができないゆえに、九星なら五黄や二黒や七赤※、干支なら天戦地冲や空亡(天中殺)など、普通人がコントロールできないほどの強すぎたり、掴みどころのない氣を所有するものが存在するのだと思っています。
こうした氣をもコントロールできる天地自由人となることが、ウメサンの理想です。
とは言え、その域に到達するにはまだまだ遠く、ウメサンもこだわりが囚われとなりがちで、思い悩むこともありますが、はっきりと、
・擇日は玄空大卦擇日法
・方位取りは、移転には九星氣学、開運には奇門遁甲を主とし九星氣学を副とする
として定めています。
○○様とご縁があっての今回の鑑定ゆえ、ウメサンの率直なる意見が参考となれば幸いです。
なお、暦註に記されている、年に6日しかない大吉日とされる「天赦日」についてですが、○○様の生年干支と日干支が天戦地冲となりますので、四柱推命では大凶とされ、お薦めできません!
六曜の大安にしろ、天赦日にしろ、人の命に不適合であれば、決して吉日時とはしないというのが、ウメサンのスタンスです。
私としては先に鑑定した「玄空大卦擇日における合十吉課式」の日時がお勧めです。

以上、参考となれば幸いです。

                                           楳山天心拝
註)
※風水学における九星は、三元九運説を基とした、天と地の氣の旺衰を表しており、九星気学における、人の氣を示す本命星の吉凶評価をするものでは、決してありません。

tenshin555555 at 12:48|PermalinkComments(2)TrackBack(0)占術 | 開運法

September 30, 2016

〜三峰神社風水考2〜

 前回の三峰神社探訪記の続きです。
 本殿での参拝を終え、参拝所を左手に行くと、下画像のような立て看板がありました。
三峰神社 本殿前に現れた龍

 その看板にある赤色矢印に沿って目を下にやると・・・
三峰神社本殿前に現れた龍

 そこには、「赤い目が二つある龍」が表れていました!!
 立て看板にはこう書かれておりました。
 「平成24年、この下の敷石に、その年の干支である『龍(辰)』が現れました。瑞祥としてご紹介します。社務所」
 さすが、強い龍脈に乗った龍穴上の神社本殿です。それも東南の辰方位からの来龍!まさに大地の氣が形状化した瑞祥であることを実感!
 う〜〜〜ん!すごい!!ウメサンは唸ってしまいました。
 下図は、三峰神社の来龍を示した地図です。強い辰方位からの龍脈上に乗り、青龍砂と白虎砂に守護されていることがわかります。
 
三峰神社 来龍図

 下図は、地勢図上に来龍を赤線で記した図です。龍穴上にある三峰神社のさらに西北方には、荒川上流を堰き止めて造られた秩父湖、滝沢ダムの貯水湖があります。人工湖ですが、もともと荒川上流でした。まさに龍は水を飲みにやってきていることがわかります。
三峰神社来龍地勢図

 さらに右側に行くと社務所があり、お札やお守りを販売していました。瑞祥のあった龍の記念に作成された龍水晶のお守りを購入しました。
 龍は赤い目を持ち、瑞祥のあった形状に象られていました。帰宅後早速、ウメサンのiphoneのストラップにさせていただいております(^^)/
image

 本殿の坐向は、龍の向かう西北向きではなく西南向き、二十四山で寅坐申向という、神社においては大変珍しいです。強すぎる龍脈上にある場合、龍脈の向きに対して、敢えて向きの角度を傾けて坐向をとる場合があるのです。
三峯神社坐向図

 寅坐は霊力を得ることができるとされますが、一般的には扱い方の難しい方位で、風水環境が整っていなければ、いわゆる霊障が起こり易いとされ、できれば一般人にとっては避けたほうがよい方位なのです。
 しかし三峰神社のように強い龍脈上に乗った龍穴上にあり、長らく修験道の寺とされ、神社に改称されてからもしっかりと伝統的な祭事が守られている場合、まさに霊験新たかな氣場となり、関東一のパワースポットと言われる所以がここにあるのでしょう。
 
 帰りに、本殿に至る階段両側にて、本殿を守るように天高く聳えている杉の大木に抱き着き、その生氣をいただきました。なんと樹齢800年だそうです。下部の直径は2Ⅿ近くありました。
三峰神社 樹齢800年の杉


探訪後記
 今回は風水探訪を兼ね夫婦で、5/23〜24の平日二日間、秩父地方を散策しましたが、横浜生まれで横浜育ちの自分にとって、今までは現居住地の埼玉県ではなく、故郷の横浜のある神奈川県へどうしても情が行ってたのですが、今回の探訪旅行を通じ、妻の故郷である埼玉県への情が深まったことを感じました。
 旅はいいものですね。また今後も、風水探訪の記を投稿したいと思います。
 




tenshin555555 at 20:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)風水学 | 風水探訪

〜三峰神社風水考1〜

 9月晦日を迎えて、ようやく今月最初の投稿です。
 今回は埼玉県秩父市三峰にある三峰神社についてです。
 5月24日に風水探訪をしてから、4か月以上も経ってしまいましたが、さすが関東一のパワースポットとも言われている氣場でしたので、昨日のように脳裏と魂にその情景が焼き付いています。
 三峰神社の主祭神は、伊弉諾尊 (いざなぎのみこと)と伊弉册尊 (いざなみのみこと)です。
 神社の由緒によれば、今から千六百年ほど前の4世紀、景行天皇が即位されていたとき、日本武尊(ヤマトタケル)が東征のため、碓氷峠に向かう途中に現在の三峯神社のある山に登って伊弉諾尊と伊弉册尊の国造りをお偲びになり創建したとされています。
 その後、景行天皇の東国巡行の際、天皇は社地を囲む妙法ヶ岳・白岩山・雲取山の三山を賞でて「三峯宮」の社号を授けたと伝えられています。伊豆国に流罪になった、修験道の開祖とされる呪術者の役小角(えんのおづの)が三峰山で修業をし、空海が観音像を安置したと縁起には伝えられている名刹のひとつです。
 その後、中世には日光系修験道を経て、室町時代に入ると京都聖護院派天台の修験道の関東総本山となり、「三峰権現」と祀られ、その後江戸時代に至っても大いに隆盛しました。
 明治時代に入ると、神仏分離の政策により、「三峰神社」と改称されて今日に至ります。

 先ずは三峰神社の沿革を簡潔にご紹介しました。より詳しい由緒は、三峰神社HPをご覧ください。
 前書きはここまでにして、訪問時の足取りに沿ってご説明したいと思います。

 5月24日、宿泊した秩父市内にある新木鉱泉の宿から車で山道をくねくねと登り行くこと1時間半ほどで、到着しました。大型バスはじめ、数十台は停められる広さの駐車場でした。ちなみに駐車料金は普通車で一日500円です。
 駐車場から神社への上り階段の途中に、案内板がありました。
三峰神社境内案内板

案内板の中に、三峰を代表する三山の写真がありました。
三峰神社 代表的な三峰

 上の写真には、先に記した三峰神社の由緒にある妙法ヶ岳が写っていません。
次の画像をご覧ください。その案内板がある箇所から100Mほど南に寄ってウメサンが撮影した画像には写っています。
三峰神社駐車場から望む妙法ヶ岳、霧藻ヶ峰、白岩山

 次の投稿記事にて詳述しますが、三峰神社から見て巽方(東南方)より、雲取山→白岩山→霧藻ヶ峰→妙法ヶ岳→三峰神社というルートにて来龍(龍脈に沿って流れ来る大地の生氣)となり、三峰神社はまさに龍穴上にあります。
 今から1600年以上も前に、日本武尊が創建し、当時の天皇であった景行天皇が龍脈上にある三つの山峰から名付けられた三峰神社ですが、当時地理風水の知識や技法は伝来されていないと思われる中、結果として地理風水の理論通りに尋龍点穴されていることに驚かされます。日本武尊や景行天皇の実在を疑う歴史家もおられますが、実在したにしろそうでないにしろ、創建者の感性の高さに頭が下がるウメサンです。
 さて、また神社の探訪に戻りましょう。案内板を過ぎて100Mほど階段を上っていくと、鳥居がありました。
三峰神社 三つ柱鳥居

 画像をご覧になってわかるように、中央の鳥居の左右両脇にも鳥居が建てられており、「三つ柱鳥居」と名付けられています。ウメサンは初めてこの型式の鳥居に出会いましたが、奈良県の大神神社も三つ鳥居とのことですが、直接見ることができないとのことで、探訪後にブログを書くに当たり調べて知り、大変貴重な鳥居を拝見できたことに感銘しました。
 この鳥居をくぐって一歩境内に入ると、空氣(風水的には陰陽交合した生氣)が違うことを体感しました。しばらく上り坂を上がっていくと左手に山門がありました。
三峰神社随身門

 この山門は「随身門」と称され、「三峯山」の山号が記されていました。さらに杉木立が両側に続く参道を奥へ進んでいくと、右手に傾斜のある階段があり、その階段の先に三峰神社本殿が建立されていました。
三峰神社本殿

手水屋にて手と口をお浄めし、いざ本殿前にて参拝。
参拝後の探訪は、次回に譲りたいと思います。
次回は風水学的な分析内容が中心となります。


 

tenshin555555 at 17:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0)風水学 | 風水探訪