July 20, 2016

〜秩父神社風水考1〜

 昨日朝、 18歳の金魚が他界しました。一昨日から水槽の底部でじっとしていたので心配し、別の器に移して塩浴したのですが、その甲斐もなく、翌朝、妻と二人で最期を看取りました。
我が家における財方である東南方位で、かつ第8運期最旺の八白が進入する玄関の下足箱上にて、出かける時、帰宅時にこっちを見てくれて癒し続けてくれたばかりでなく、生氣を招いてくれました。
 18年間も一緒ですと家族の一員ゆえ、正直寂しいですね。
 昨日は傷心の一日で、ブログ投稿どころではありませんでしたが、満月の今日は、まだ2歳の金魚が6尾いるので、命を引き継いでくれると気持ちも改まってきました。
今月も下旬にさしかかってきましたが、今月最初のブログを投稿したいと思います。
 5月23日〜24日と、風水探訪で秩父を訪れましたが、数回に分けて記事にしたいと思います。
 先ずは秩父神社についてですが、2回に分けて投稿します。
 です。秩父神社と言えば、毎年12月3日に行われる例祭「秩父夜祭」が知られていますが、京都の祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭のひとつに数えられています。
 当日は車で訪れましたが、神社の東側にある参集殿(会館)の駐車場に停め、神社の南側に回って、一の鳥居より下境内に入りました。入ってすぐ左側にある手水舎でお浄めしました。その隣には、秩父神社の由緒が書かれた掲示板(下画像)があり、由緒、祭神、現存社殿、例祭が書かれていました。
 
秩父神社掲示板

 この掲示板の由緒説明は簡潔なものでしたが、神社HPに下記のような、より詳細な由緒が書かれていました。
 
 「秩父神社は、平安初期の典籍『先代旧事紀−国造本紀−』によれば、第十代崇神天皇の御代に知知夫国の初代国造に任命された八意思兼命の十世の子孫である知知夫彦命が、祖神をお祀りしたことに始まるとされており、武蔵国成立以前より栄えた知知夫国の総鎮守として現在に至っています。
 元慶2年(878年)には神階正四位下に進み、延長5年(927年)に編算された『延喜式』にも掲載されるなど、関東でも屈指の古社のひとつに数えられています。また、中世以降は関東武士団の源流、平良文を祖とする秩父平氏が奉じる妙見信仰と習合し、長く秩父妙見宮として隆盛を極めましたが、明治の神仏判然令により秩父神社の旧社名に復しました。
 現存するご社殿は、天正20年(1592年)に徳川家康公が寄進されたもので、江戸時代初期の建築様式をよく留めていることなどから、埼玉県の有形文化財に指定されています。・・・」
 
 掲示板に、社殿の「つなぎの龍」「子育ての虎」は、あの歴史的名工である左甚五郎作であるということで、俄然興味が沸いてきました。

 掲示板から50mほどまっすぐの参道を歩いていくと神門があり、神門の先には本殿が見えます。
秩父神社神門

 神門で一礼していよいよ境内へ。
 神門から50m先に本殿があり、お賽銭後、二礼二拍手して黙祷、一礼して参拝させていただきました。
秩父神社本殿


 神社正面にて即、坐向測定。これは一種の職業病ですね。「建物を見るとすぐ測定したくなる病」かな(^^;。
 坐向はほぼ真南向きの「子坐午向」でした。
 参拝後、本殿周りを左回りに巡りました。
 本殿東側(青龍側)には、掲示板に書かれていた左甚五郎作の「つなぎの龍」が彫り物がありました。
秩父神社 つなぎの龍

 つなぎの龍の案内板によれば、
 「・・・その昔、秩父札所十五番少林寺近くにある天ヶ池に住みついた龍があばれた時には、必ずこの彫刻の下に水溜りができていたことから、この彫り物の龍を鎖でつなぎ止めたところ、その後、龍は現れなくなった・・・」
 龍を扱う風水師としては、ちょっとかわいそうに感じましたが、龍には確かに鎖がかけられていました。
 下画像は、秩父神社で購入した「つなぎの龍」の飾り物と説明文。
つなぎの龍 飾り物

つなぎの龍 飾り物 説明文
 
 帰宅後早速、鬼門(東北方位)に飾りました。

 さらに左に回り、本殿裏側(北側)、北と言えば巒頭風水上は、玄武が守護する方位ですが、そこには梟の彫り物がありました。この梟は「北辰の梟」と名付けられ、風水と密接な関係にある「妙見信仰」を見受けることができます。
 この詳細は2回目の投稿で説明させていただきます。なんとか月内には投稿したいと思っています。



 


tenshin555555 at 23:51│Comments(0)TrackBack(0)風水探訪 

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