世界の偉人・天才・有名人の愛用品

今回のブログでは、世界(海外・日本)の偉人、天才、有名人などの愛用品、ゆかりの品や場所を、人物のエピソードとともに紹介していきます。

0ターシャの足踏織機

<ターシャ・テューダーの足踏織機>

アメリカのバーモント州、ブラトルバロにある、絵本作家・ターシャ・テューダー博物館に、ターシャが使用していた19世紀のカウンターバランス式・足踏織機が展示してあります。ターシャは、料理や雑用の合間に、この足踏織機で、家族の衣服や、自分のドレスを作りました。彼女は、アンティークドレスの愛好家で、歴史的な衣服の知識も豊富でした。その知識を生かして、自分の独創的なデザインを加えて、ドレスを仕上げました。





1ターシャの作ったドレス2
<織機でターシャが作ったドレス1>



1ターシャの作ったドレス1
<織機でターシャが作ったドレス2>




2ターシャ1
<コーギーコテージでのターシャ・テューダー




3ターシャ2
<晩年のターシャ・テューダー



4ターシャ3

<ターシャ・テューダー(
Tasha Tudor)>

1915年(大正4年)8月28日~2008年(平成20年)6月18日。アメリカのマサチューセッツ州の州都、ボストン生まれ。絵本画家、挿絵画家、園芸家、人形作家。50歳半ばから、バーモント州の小さな町外れで、自給自足の一人暮らしを始めました。広大な庭に季節の花々を育てるライフスタイルは、日本でも注目を集めました。生涯を通じて80冊以上の本を出版。絵本作家に贈られるコールデコット・オナー賞を2回受賞。また、児童文学に対する貢献を評価されて、リジャイナ・メダルも受賞。コーギー犬が大活躍する絵本「コーギービル」シリーズは代表作。晩年にバーモント大学から名誉博士号授与されました。2008年6月18日、自宅で家族、友人に囲まれ、脳卒中の合併症により死去。享年92歳。

 

 

1アメリアのロッキード・ベガ5B
<アメリア・イアハートのロッキード・ベガ5B>



アメリア・イアハートからのメッセージ

 

女性も機会があれば、何事にも挑戦すべきです。人間的にも、経済的にも、自立し、さらにそのことで、ほかの女性達を励ますことができるのです。

 

他人ができることを、決してしてはいけません。他人ができないこと、しないこと、それをするべきです。

 

一番難しいのは、行動しようと決心することです。あとは、粘り強さの問題です。

 

恐怖は紙でできた虎にすぎません。あなたは、あなたが決めたことを何でもできるのです。

 

勇気は、安らかな暮らしを得るために必要な投資です。それを知らない人間は、小さなことにつまずき続けるでしょう。

それを行うための最も効果的な方法は、それを行うことです。


■「
アメリア・イアハートのロッキード・ベガ5B」は今回で終わりです。
次回からは「
ターシャ・テューダーの足踏織機」が始まります。

 

 

 

 

 

 

1アメリアのロッキード・ベガ5B
<アメリア・イアハートのロッキード・ベガ5B>



☆☆☆エピソード(2)

 

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<アメリア・イアハートとジョージ・P・パトナム>

 1927年5月20日チャールズ・リンドバーグがニューヨーク、パリ間を飛び大西洋単独無着陸飛行に初めて成功しました。その後、多くの女性パイロットも次々に挑戦しましたが、誰も成功しませんでした。

 

 そんな中、アメリカのG・P・パトナムズサンズ出版社社長・ジョージ・P・パトナム(1887年9月7日~1950年1月4日)は、アメリア・イアハートに注目しました。彼女はFAIのライセンスを取得しているし、58時間以上のフライトタイム(飛行時間)も持っていました。

 

 1928年4月のある日、ジョージ・P・パトナムはアメリア・イアハートを出版社に呼びました。これが運命的な出会いだったのです。

 

 アメリアに会って、話し合ったあと、ジョージは、「ついに見つけたぞ、レディ・リンディ(女性版リンドバーグ)!彼女こそ、大西洋横断にふさわしい女性だ」と思いました。

 

 彼がスポンサーになり、アメリアは、ニューファンドランド島(カナダ)からイギリスのウェールズに飛んだり、女性の航空レースで3位に入賞したりしました。


 9アメリアとパトナム107

<アメリア・イアハートとジョージ・P・パトナム>

 アメリアとジョージは、大西洋横断飛行の準備中に友情が愛に変わり、1931年2月7日、二人は結婚しました。アメリア34歳、ジョージ44歳でした。

 

 1932年5月20日、アメリアはリンドバーグの大西洋横断飛行と同じルートを、パリ目指して、愛機、ロッキード・ベガ5Bを操縦し、グレース湾から飛び立ちました。しかし、強い風と氷、それに機械的な問題で、アイルランドのロンドンデリー近くの牧場に着陸しました。けれども、大西洋単独横断飛行は成功しました。

 

 ロンドンでも、祝福を受け、帰国したアメリアは、アメリカ国民の大歓迎を受け、有名人になりました。議会や大統領から勲章を受章しました。フランスからはレジオン・ド・ヌール勲章も受章しました。8月25日にはアメリカ大陸単独無着陸飛行にも成功しました。

 

 1937年5月21日アメリアは、赤道上世界一周飛行を目指して、ナビゲーターと共にカリフォルニア州のオークランド飛行場を離陸しました。

 使用した飛行機は、ロッキードL-10エレクトラ(全金属単葉レシプロ双発民間旅客機)で、機体記号はNR16020でした。

 

 その後、7月2日、南洋諸島(日本の委任統治領)に隣接したハウランド島(アメリカ領・無人島)目指して飛行中に遭難して消息を絶ったのです。

 

 アメリカ海軍、沿岸警備隊、日本帝国海軍などが出動して捜索に当たりましたが、発見できず、7月19日捜索を打ち切りました。アメリアは、まだ39歳の若さでした。

 

 

1アメリアのロッキード・ベガ5B
<アメリア・イアハートのロッキード・ベガ5B>



☆☆☆エピソード(1)

 

 アメリア・イアハートの父は鉄道弁護士で、各地を飛び回りました。それで、アメリアは祖父母の家で過ごすことが多かったのです。

 

 1903年12月17日ライト兄弟が世界で初めて有人動力飛行に成功した時、アメリアの父は、アメリアに新聞を読んで聞かせました。6歳のアメリアは、飛行機について父に質問をしました。

 

 1908年アメリアが11歳の時、父が正式な弁護士として鉄道会社に雇われたため、家族はアイオワ州に引っ越しました。そのアイオワ州で博覧会が開かれ、アメリアは初めて飛行機を見ました。でもそれほど興味を持ちませんでした。

 

 1916年アメリアはペンシルバニア州フィラデルフィアの女子大に進学しました。その後、第一次世界大戦中に戦っている兵士の役に立ちたいと、アメリアは看護助手になりました。

 

 ある日、アメリアは看護助手の仲間と、飛行ショーを見に行きました。その時、アメリアは飛行機に関心を持ちました。その後、アメリアは医学を学ぶためコロンビア大学に入学しましたが、飛行機のことが忘れられませんでした。

 

 1920年、アメリアは父に連れられてカリフォルニア州の飛行ショーを見に行きました。その時、体験飛行が行われ、アメリアは初めて飛行機に乗せてもらいました。離陸して、空を飛んだ時、彼女は「パイロットになりたい」と叫びました。

 

 アメリアは、両親の許可を得て、飛行訓練所に通い始めました。アメリアはレッスン料を払うためにアルバイトもしました。彼女の操縦技術は上達しました。

 

 1921年7月24日アメリアは24歳の誕生日に、全財産をはたいて自分の飛行機(単発複葉機)を買いました。その翌年、アメリアは愛機で一四〇〇〇フィートまで上昇し、女性パイロットの高度記録を更新し、新記録を樹立しました。

 

 1922年2月アメリアは、アメリカ人女性として初めて、FAI(国際航空連盟)のライセンスを取得したのです。

 


1アメリアのロッキード・ベガ5B
<アメリア・イアハートのロッキード・ベガ5B>


<アメリア・イアハートと誕生日(7月24日・しし座)が同じ有名人>
アレクサンドル・デュマ(1802年・作家・フランス)後藤新平(1857年・政治家・日本)谷崎潤一郎(1886年・作家・日本)千宗室・14代目(1893年・茶道家・日本)中村草田男(1901年・俳人・日本)柳家小せん・4代目(1923年・落語家・日本)リンダ・カーター(1951年・女優・アメリカ)石井洋二郎(1951年・フランス文学者・日本)久保田利伸(1962年・シンガーソングライター・日本)河合奈保子(1963年・歌手・日本)吉本ばなな(1964年・作家・日本)ジェニファー・ロペス(1969年・女優・アメリカ)坂本昌行・V6(1971年・歌手・俳優・日本)山尾志桜里(1974年・政治家・日本)you(ゆー)(1974年・ミュージシャン・日本)水川あさみ(1983年・女優・日本)。

 

 


 4アメリア・イアハートの生家(博物館)

<アメリア・イアハートの生家(博物館)>

アメリカ、カンザス州アチソンのミズーリ川を見下ろすこの家が、アメリア・イアハートが生まれた家で、現在は博物館になっています。この家はアメリアの祖父(判事)によって1861年に建てられました。この家は祖父母が住んでおり、両親の家はカンザスシティにありました。アメリアは12歳まで、この家で過ごしました。アメリアの寝室、家具、記念品、情報、アメリアの手形、アメリアからの手紙、アメリアの旅行カバンなどが展示されています。

 

 

 

 

 5アメリア・イアハート記念橋

<アメリア・イアハート記念橋>

偉大な記録を樹立した女性パイロット、アメリア・イアハートの名誉に捧げられた、「アメリア・イアハート記念橋」は、アメリカのアチソン(カンザス州)とブキャナン(ミズーリ―州)の間を流れるミズーリ―川に架かっています。この記念橋は1938年に2車線として完成しましたが、通行量が増加したので、4車線の橋が2012年に完成しました。

 


 

 6国立航空宇宙博物館(ワシントンD,C,)

<国立航空宇宙博物館>

アメリカのワシントンD,C,にあります。航空機や宇宙船に関連した収取物を展示しています。スミソニアン協会により管理運営されています。アメリア・イアハートの愛機が展示されています。

 

 

 7アメリア・イアハートとロッキード・ベガ5B

<アメリア・イアハートとロッキード・ベガ5B展示エリア(国立航空宇宙博物館)>

 

 

 

1アメリアのロッキード・ベガ5B
<アメリア・イアハートのロッキード・ベガ5B

アメリア・イアハートは、1930年にこの単発高翼飛行機、ロッキード・ベガ5Bを購入し、私の「Little Red Bus」と呼びました。1930年末、事故を起こした時、アメリアは、この愛機を改装し、胴体を交換、予備燃料タンクを取り付け、3種類のコンパス(羅針儀)と偏流計を設置し、強力なエンジンを搭載しました。この愛機で彼女は、リンドバーグ以来、女性で初めて大西洋の単独横断飛行に成功しました。また、ロサンゼルスからニューヨークまで女性で最初のノンストップでのアメリカ大陸横断飛行にも成功しました。彼女はこの愛機で2つの記録を樹立したのです。この愛機は、アメリカの国立航空宇宙博物館に展示されています。

 


 2アメリア102

<乗機の前のアメリア・イアハート>

 

 

 2アメリア103

<飛行服のアメリア・イアハート>

 

 

 3アメリア101

<アメリア・メアリー・イアハート(Amelia Mary Earhart)>

1897年(明治30年)7月24日~1937年(昭和12年)7月2日。アメリカのカンザス州アチソン出身。女性飛行家。女性初の大西洋横断飛行記録を樹立、アメリカ議会から空軍殊勲十字章、フランスからレジオン・ド・ヌール勲章、フーバー大統領から米国地理学協会ゴールドメダルを受章。その後女性初のアメリカ大陸ノンストップ横断記録も樹立。女性の地位向上活動にも尽力。大学院での航空関連の科学を学ぶ女性を対象に奨学金制度を開設。1937年5月21日赤道上世界一周飛行に出発したが、7月2日アメリカ領の無人島、ハウランド島目指して飛行中に遭難、行方不明になり死亡が確定した。享年39歳。