2017年06月18日
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2013年08月27日
迎え火を 炊かずに奴らを 迎えない(送り火を 炊かずに奴らを 送らない)

小学校一年生の頃、俺は、転勤族の子供として、地方の沿岸部でサッカーをしたり、絵を描いたり、ファミコンをしたり、ビックリマンチョコを買ったり、ミニ四駆を走らせたりしていた。入学し立ての一学期に、学級委員長に立候補して、そのまま当選。駆ければ、リレーの選手。マラソン一位。テストをすれば全教科満点。おかしな画家の先生に授業を免除され海岸で船を描いていたりした。バレンタインデイのチョコは、それこそ漫画の世界。ルックスに難があっても駆けっこが速かったり、ドッジボールで活躍したりすれば、外面も内面も他人からすれば結構どうでもよく案外適当だということを七歳頃に悟っちゃったのである。
日曜学校という名前の・・・・・・キリスト教系のサークルみたいなものがあった。それは、姉の担任がキリスト教信者で、小学校五年生の姉が、そこに通い出して、一年生の俺も一緒に通い出したのであった。結構、記憶は曖昧になってくるけれども、簡単な賛美歌を歌ったり、ガキ向けに訳した聖書のお話を聞いたような記憶がある。俺は、その頃、純粋な気持ちで、「自分は、イエス様の生まれ変わりなのだな」と、はっきりと実感した憶えがある。小さな万能感に満たされていたからかもしれない。その頃は、小学校二年生か、もう三年生になっていたか。
転勤族の子供として、地方の沿岸部に住んでいたのは、その四年間のそれまでで、実家に戻ったのは、小学校四年生の頃だ。俺が、キリスト教の影響を幼いながらも払拭したのは、単純に、自分はキリストよりも達観し、超えてしまったと思い込んだからである。この話は、実は、笑い話ではない。つまりは、小学生の頃は、悩み事なんてなかったから、それに帰結するのだ。若しくは、悩み事があるほど、かしこい小学生ではなかったことにもなるが。馬鹿だったとも言える。

ところが、俺のずるいところと、小学生の騙されやすいところ。俺は、断りきれなくて、やっと六年生になってから地域のサッカー少年団に入団した。当日から、レギュラー。小学校を卒業するまで、やりたい放題やったわけで、今考えると、誰かがレギュラーを外れていて悔しい思いをしていたであろうに、マラドーナ気分であったのであろう。今、こうして、小学校の六年間を思い出しても、後々に、駄目な大人になるのは必至なエピソードばかり並ぶ。
今現在、こんな幼少時代を送った大人が、三十路を超えて、どんな苦労をしているのかと言えば、あの頃と全く変わらず、舐め腐って、東京で生活をしている。今は、神道系の考え方が好きだけど、冒頭の日曜学校との接し方に近いと思われる。或いは、お墓が仏教式の曹洞宗であるわけだが、ここまで、赤裸々に話せば、俺が、道元よりも達観し、超えていると吹聴しそうな波乱性も含まれているのではあるが、それとて今やちっぽけなことだ。お酒に呑まれてしまったのだ。脳をやられて、まともに思考できない。
布団の中で懐中電灯を付けて少し遊んで自然と眠る、そんな子供時代を思い出すのであるが、悪夢を見たくないとか、そういった願望はおっさんになった今でも、そんなに変わらない。良かった変わっていなくてとも思う。窓の外は稲光。雷鳴。しかし雨が降ってこない。俺はこの状態を幼い頃から好きだった。「夜なのに明るい。しかも濡れない!」そう云った意味でテンションが上がっていた。つまりここで意味するところは、夜は暗くて黒くて嫌いだ、という事である。眠るのが嫌いだった。今は、十五時間睡眠を毎日求めているのに。

2013年07月27日
夢の中 たくさん咲いてる 胡蝶蘭

子どもの頃から、他人に相談されやすい。友人から、身内から、大人から老人から園児から。俺は、しかし、そういう雰囲気を自分から作り出してはいなかったか、と反省している。人の心を開いて支配したい願望がどこかあったのではないか、と分析する。そんな傲慢な気質を、勝手に醸成していたのではないか、なんて思う。以来、33歳を越えても、なお、他人に相談されやすい。これは、もはや悪癖である。聞かなければ良かったと思う、本音を引き出してしまう。それを知って、疲れる。
救済している気分に浸っているのだろうか。否。深層心理を勝手に自己分析して、自己嫌悪しているのは、いったい何なんだ。それで、精神が安定するのであれば、どうぞ慈善事業に勤しんでいろ、だ。ところが、気分が安定することはない。気持ちが休まることなどないのだ。同道巡り。繰り返しを繰り返す。油断していると、また別の人から相談事を受ける。この状態を改善しようという意識はある。客観的にも見えている。が、面倒くさいから飲酒に走るのだ。

客観的で冷めているようなタイプと現実世界でもネット世界でも言われるが、主観的で熱いのかもしれない。気持ちが休まることなどないのだ。同道巡り。繰り返しを繰り返す。油断していると、また別の人から指摘され、影響を受けて、頭の悪い俺は考え事をする。そうして疲れる。本当に頭の良い人は無駄な事は考えないはずだから、本当に頭の良い人は身の丈を知っているはずだから、本当に頭の良い人は問題を解決するはずだから。だから、俺は、普通か馬鹿か、どちらでもいいけれど、よって、意識がある状態は疲れる。
人類は、進歩しようとしているのに、しかし、西暦で言うところの2013年に生きている俺は、紀元前の人々と同様に常に戸惑っている。ヒト科の特徴は、同道巡り。繰り返しを繰り返す。だから飲酒中だ。他人をコントロールしようなんて思ってはいけない。無理やりに楽しもうと思ってはいけない。もっと自己を開放しなくてはならないなんて強制的に思ってはいけない。思ってはいけない、なんて、思い込みもいけない。

2013年04月07日
四月馬鹿 唐変木は 能天気

ところで、俺は今年の1月に引っ越しをしたんだけど、旧保谷市に3年、練馬区に6年、豊島区に6年、住んだでの今は板橋区。賃貸は止めて、不動産を購入した。月々のローンは月々の家賃と同じぐらいであって、貯金のできない俺にとっては丁度良い人生の縛りだとは思う。賃貸って連帯保証人が必要だけど、不動産売買には、第三者はいらないんだ。連帯したくない人間なのに、死んだ場合、そこでローン契約は解消となる。銀行以外には、誰にも迷惑はかけないことになる。銀行は、そんなリスクで金を貸すわけで、先送りで回るメリーゴーラウンド。止まるのが困るわけだ。全てにおいて。
再び、猫を飼ってみようかと考えている。いったんは、ペットなんかいらない、と思った矢先だ。野良猫が多い地域にいるから、ご近所付き合いみたいな感覚になってしまって、そんな対等な生き物を“飼う”ってのもいかがなものか、みたいになったはものの、また、再考している感じである。それは、共同ゴミ捨て場で、猫が遊ぶタワーみたいなものを目にしたからだ。同じフロアの古参のTさん家のゴミらしい。引っ越しのご挨拶で感じが良かったから今度、いろいろ聞いてみようかな。
来月、実弟が結婚式を披露するらしいのだけれども、俺は、何でそんなことをするのか不思議でならないが、思ったことを口にすれば、誰かが傷付くのは経験上知っているし、だから小学生の頃と変わらずに、良い子ちゃん的なリアクション及び行動を取っているが、正直に言うと面倒くさい。親戚を増やされるのは面倒くさいし、俺は増やしたくない。だから全く興味関心もないが、しかし、お義兄さんは祝福してくれていないのかしら?と思われたら申し訳なさすぎるので、俺は、よろしく、おめでとう、と言って、金銭を包むであろう。
先週の木曜日は会社の新入社員歓迎会が催され、文字どおり歓迎してきた。むしろ、こういう歓迎会こそは大事だと思っているので、ちゃんと歓迎の意を表す。会社ってのは学校と同様、単なる母船なのであって、先に入社したから偉くて、後から入社したから遠慮することなんかはない。だから、同僚が「歓迎会って面倒くさい」的な発言をしているのを聞くと、その染まりっぷりが羨ましくも感じるわけだ。俺は、未だに慣れない。良くも悪くも、初心から変わらない。周囲はどんどん世俗に馴染んでいく。俺は、白髪が増えて、胸板が薄くなり、腹が出てくるが、毎日、胸がドキドキ。月末はアメリカだ。消極的に西海岸。

明日以降も、平日も休日も、予定が、組み込まれていて、それを面倒くさいと思うか、幸せなことと呼ぶかはもちろん自分次第ではあるんだけど、今は、自分自身の有料老人ホーム入りのシミュレーションをしようと妄想している。このペースで飲酒を続けたら老人にもなれないであろうけれどね。消極的に西海岸。続きを読む
2012年11月18日
神の旅 切ったり買ったり 飲んだりし

賃貸契約って、完全ではないにしろ自由に近い感覚を覚えていたんだ。特に、二〇代のうちは。最近になって、生きるのがどんどん面倒くさくなってきたのにあたって、いよいよ「毎月の賃料が搾取されているのではないか」みたいな感覚に陥ってきたのである。本当の自由は、宿無しで路上生活をするか、不動産の所有権を得るか、いずれかみたいな二者択一に無理やり持っていくのは、俺が頭が悪いからではある。
考えなくてはならないのに、頭をボンヤリさせるべく飲酒する。動かなくてはならないのに、筋肉を弛緩させたり、肝機能を低下させたりするべく飲酒する。その矛盾した行為は、俺は感覚的には分かるが説明するのも面倒くさいよ。分かりやすい反抗であるが、分かりにくい反抗のようにも見えるらしい。俺は、何が何だかもう分からない状態に持っていく。
実家の近くに出張し、そのまま帰省。そのまま病院。そのまま、半身麻酔、点滴、酸素ボンベ、切開、管を入れられ、数日通院して帰京。二万円の治療費に泣く。三日間は、珍しく禁酒できたが、新幹線車内で解禁。一〇年振りに再発をしたのである。本手術をしないと癖になって癌化するよとか言われた。結論、痛いのは耐えられない。「その場凌ぎ」が弱い俺の心からの行動。

気の持ちようだなんて分かっているし、それは正しい。俺は、朝起きて、絶望的な心持になるけれど、それは単なる思考経路の癖。ネガティブなのさ。そんなとき、自分を励ます。「お前は何も悪いことをしていない。会社に行っても嫌なことなど起こらない。大丈夫。大丈夫。」なんて心で唱える。精神安定剤を齧ってシャワーを浴びて、さあ出かけよう。
土日は、眠る。しかし、土日でしかできない手続は、全て前倒しにする。まとまった睡眠時間を確保したいからさ。眠る。蒲団は天国。楽しい夢を見ることはない。深層心理が不安でいっぱいだからであろう。客観的に分かるので、気持ちは凹んだまま、だけど、冷めているから、再び、八度寝ぐらい続ける。
人から誘われることもある。それは面倒くさくも、だけど感謝すべきことだ。友人に紹介された異性の友人ができたが、飲みに誘われた。飲むのは好きだから指定された飲み屋へ行って、一緒に飲んだ。俺のペースに合わせるから、ああ、可哀想に、ベロベロになってしまったみたいさ。だけど、俺は早く帰りたくなった。目の前でフラフラになっているので申し訳ないけれど、それも自己責任であろうと俺は思ってしまった。喫茶店に行こうと言われたので断れず、珈琲を飲んだ。店を出て、バイバイって言って、帰宅後、飲みなおした。そんな日々。

2012年09月23日
宿酔 丑三つ時に 霞飲む

つまり、ここ二年位、起きたくないという心境にあることが客観的にも分かる。いや主観的にそうだから。俺は、「酒好きの飲兵衛」と周囲の連中(かかわる人ほぼ全員)から評されているが、厳密に言えば、酩酊状態になって夢心地でいたいだけだ。アルコールの血中濃度を高めたいだけ。それは、蒲団の中で夢を見ている状態と似ている。だから、生活を三分割すると、「勤労」「飲酒」「睡眠」と大まかに言えば、そんな感じだ。二分割すると、「勤労」「夢心地」となる。
魚が水中で苦しくならないのは、それが当たり前のことだから。魚にとって自然な環境だから。しかし、人間が潜れば窒息する。では、俺が日々を苦しいと思っているのは、俺にとって自然な環境ではないと言える。ところが、日本国憲法一二条では、「国民の義務」を定めており、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」……よく分からないけれど、「自由及び権利」についても触れられている。

二〇歳から内臓数値の混迷以外は特に行動に変化がない。だから、三〇歳を越えて以降、友人たちが結婚したり、子育てを始めたり、不動産を購入したりするなかで、それらに全く興味を示せない俺は、「飲酒及び睡眠」ばかりである。最近は、趣味とも言えたライブハウス等に行く機会も減った。タワーレコードに行って、試聴機に耳を傾けても購入までに至らない。やる気が起こらないのである。しかし、「勤労」だけは守る。つまり、全精力を傾けて、疲弊しているだけなのである。
疲れは、誤魔化すことができるらしい。笑えば癌細胞が消えるとか聞く。その誤魔化しの方法を自然に覚えたいが、分からないことだらけだ。だから、「飲酒及び睡眠」に走る。楽しいか楽しくないかの視点ではない。逃げたいだけだ。蒲団へ逃げる。楽しいことはない。別に誰のせいでもない。楽しいと思えるコツを掴めなかっただけだ。悲しいことでもない。とても普通のことだ。お給金をもらって、家賃光熱費を支払う。余ったお金でお酒を買う。安定剤と眠剤を買う。ボンヤリと無表情で生きているところ。

2012年07月16日
カーテンと 冷房ガンボス 消灯す

最低限、進めたかったことは、昨日にやってしまったから、気が抜けたのかもしれない。だって、クローゼットへの衣服収納は来週末に先送ることにしたからね。飲酒を始めている。完全なる睡眠か飲酒かの順番。これは、リアルだ。金がなくなればコンビニのATMへ向かうんだ。街の描写をしてもいいが、グーグルストリートビューで、こんな景色だよって教えようか。ストリートビューに映った野良猫が肖像権の訴訟を起こす。
数年前は、猫に対しては、どこか愛玩的な意味合いを勝手ながら持っていたが、同時に一方的に畏怖の存在として崇めているところがあったが、最近では、完全に近所に生きる対等な生物として接している。目が合えば挨拶する程度だ。だから、猫グッズみたいなものも買わなくなった。ペンギン村に頭部が動物で体が人間タイプの村民が歩いているじゃん。あんな境地に近い。頭部が人間で体も人間タイプの区民も歩いているよ。

事情を考慮すればここにおいて悪人はいない。もちろん、区の条例で取り締まられるのは、この点だけを切り取れば、順番的には、風俗店関係者、そして何となく俺、その次に何故か中高生、そんな順番になるんだろう。「通学中、目が虚ろでオランジーナを飲んでいるオジサンがいるんです。真っ直ぐ歩けていないんです。」と、マークされているかもしれない。俺は、この街で財布を落として、警察へ助けを求められたら、ちゃんと届いていたことがある。
もう六年は住んじゃったかな。飽きてきたので引越しをしたいんだけど、諸々の条件を考えると未だ引き払うのも勿体ないところもあって日々迷い中。小学校に七年もいるのは気が狂いそうで早く脱出したかったものだけど、だから、今、同じような気持ちでいっぱいなんだけど、さて、負荷をかける方向へ行ってちょっとだけ気合を入れるか、ダラダラをあと二、三年ほどキープするかなんだけどね。

2012年07月15日
宿酔い ソーダ水で 脳スプラッシュ

ただし、俺は、三連休のペース配分を意識的に調整していたので、昨日は昨日で意味があった。昨日は、とにかく自分を休ませることだけを一番に考えた。だから大泥酔で眠ってそうやって夕刻に起きて、また飲酒を始めるのは想定していたことで、それが自分のためだと言い聞かせていた。そして、実際、心は落ち着いてきたのも事実だ。物事は時間しか解決してくれない。ゆっくりと記憶を無くしていくことだ。そしてぼかしたり美化したり曖昧にしていくしかない。
毎日、毎分、毎秒、哲学者のように熟考していたら発狂しちゃうよ。そんなことができるのはアホか天才かのどっちかだ。だから、考えすぎて疲れる俺は、そのどちらでもなく、平凡で中途半端なわけなんだけど、それはそれで辛い。精神的に強靭ではない人間にも非常に重たい出来事に直面しなくてはいけないなんて耐えられないよ。だから、身内および関係者みんなで辛さを共有して分け合って、乗り越えるのは、これは結構、数の問題でもある。

理性は強いほうが良いのかな。弱めるために飲酒をする。三連休の中日は一三時に起床した。休日にしては早起きだ。俺は、美容院へ行った。白髪染めのカラーもした。その後、会社用に衣服を購入した。リーバイスのストレッチ素材の紺色パンツと紺色のポロシャツを二枚、それから、ビートルズのリボルバーというアルバムジャケットが施されたプリントTシャツが一六〇〇円だったのでこれを購入。Tシャツはともかく、他は、世間体を意識した消費なわけだ。もちろん自分の趣味嗜好を変えることはないが、白髪を隠すのは、苦労人っぽく思われることを隠す虚勢でもある。白髪家系なので本人は気にしていないが、世間を意識していると言わざるを得ない。で、んなこと、どーでもいい。
その後、タワーレコードでtheピーズのアルバムと、ザ・バースデイのシングルを購入した。消費は大事だ。遊興費は大事だ。油断すると酒代にしか使わないことがある。学生の頃は、ウィンドウショッピングが好きだった。何件も立ち寄って、結局、何も買わない。だけど、いろいろと見て回るのが楽しかったのだ。今は、買おうと思ったら当時よりは即買いできるようになったわけなんだけど、そのせいで買い物がつまらなくなってきた。物が増えると片付けるのが億劫になってくるし。帰宅後、二週間分の洗濯物をゴミ袋二袋に入れてコインランドリーで洗濯して乾燥機をかけて戻る。乾いた衣服は、ゴミ袋に入ったままだ。クローゼットに収納するのは明日に先送り。無頓着を演出しているのに、「小説の主人公みたいね。」と言われることが多い。悶々感や苛々感や焦燥感が、滲み出ているのだろうか。それすら、くだらない。

2012年06月18日
あめんぼう いうこときくのも きかんぼう

シラフは仕事中。酔っているときはプライベート中。そんな二極端しかない。嫌いなタイプの人間も、そりゃあ、いるにはいるが、それを上から目線で否定するような自分が嫌になっちまった。自己嫌悪という概念。だけど、主観でモノを言えない。それはお前らの意見だろう、と思ってしまうよ。俺の主張は、一貫しているつもりなので、だから、「ほら、こんな大人になってしまったじゃんか」と、モノ申したいのだけれど、「精一杯愛情を施してきた」とか何とか言われたら、「あなたたち、それ、主観的すぎるから」とも突っ込めない。
世界は、辛いから、これから誕生してくる生き物は可哀想だと思うよ。だって、辛さを知らずに産まれてくるんだからね。と、三〇年生きてきての感想だけれど、誰もが誰も辛い世の中とは思わないのかもしれない。他人の心は推し量れないが、恍惚な表情を隠さずに生き生きとしている人も稀にいる。違法な薬物を使用しているのかもしれないけれどね。どこで幸福のスイッチに変換しているのかまるで分からない。これは皮肉ではないのだけれども。
婚姻する人々に、その都度、「何でするのですか?」などと、率直に質問し、所謂、出世頭の先輩に対しては、「自分は、仕事が一切楽しくないのですが、何がモチベーションなのですか?」と問う。まあ、それは人それぞれであるのは、そのとおりであって、俺は世間の順番はどうでもよくて、今は格安不動産の購入に興味がある。俺の社会的信用というのはしかし通用しないのであって、連帯保証人には親になってもらうしかない。会社法上の規定上、あと二年は現役だという。

依存と自滅は似ているが、自立したって自滅する可能性もある。依存したって共倒れする可能性もある。労働のマインドコントロール。働かないと国家が潰れるんだって。騙されるなよな。みんなで頑張ろうぜっていうスローガン。競争に、ついていけない人にも救済を。月給から生活費を差し引いて飲酒する。アルコール漬けで、牙を抜かれる。眠くなったら眠る。起きたらそこらへんをウロウロと歩きまわる。夜は飲酒するか音楽と戯れるか、いずれか。健全な原始社会に寄っているじゃないか素晴らしきかな、ヒト科。
ははは、君は頗る繊細だなあ。都合よくあしらわれてしまうぜ。浮動票の一部でしかないんだ。もっと、はっきり言いなよ。イエスマンのほうが、主張がわかりやすい。ノーならノーと言えよな。そうやって議論してバトルしてくれれば、水面下で隙間産業を起こせるのだ。お祭り好きには率先して騒いで欲しい。隠れやすいから水面下で行動しやすくなるんだぜ。さて、俺は、蛍いかの沖漬けを毎晩酒の肴にしているんだけれど。首が頚椎が痛くて回らない。
麹町から自宅まで徒歩で帰ろうと歩き出した。ローソンで酒缶と塩焼き鳥を購入して飲食しながら徒歩。祭りの屋台を横目に参道を練り歩いている気分さ。東京の景色は祭りの景色。目に映るものは一〇年経ってもテレビの景色。雑誌の景色、そうなのかもしれないよな。しかも、一〇代の頃に思い描いたあの景色にすり返られているのかもしれない……、って、んな、わけ、ねーだろが。ここは、初めて移住したときから、不況にまみれた首都だよ。カラスと猥褻物が減って、若者が悪さを控えて、空き缶拾いのジジーが増えたくらいだ。

2012年06月13日
玉葱の 皮を剥いたが 核見えず

そうして、フラフラ風呂場に直行し、蛇口を回す。湯を張り始めるのである。それを終えた後、俺は、蒲団に戻り、うつ伏せで二度寝を敢行するのだ。うつ伏せになるのは深い眠りに戻らないようにするためだ。耳元で蝶ネクタイのアナウンサーの声が聞こえる。七時一〇分にアラームが鳴る。即、止める。三度寝を敢行。七時一五分にアラームが鳴る。即、止める。四度寝を敢行。七時二〇分にアラームが鳴る。即、止める。
ここで五度寝はしない。ウアーッと叫び、立ち上がり、瞬間的に素っ裸になり、風呂場に再度直行する。大抵は溢れているが、朝の儀式だ。もったいないとは言わせない。ザブンと浴槽に飛び込む。シャワーを流しっぱなしにしながら、シャンプーで頭を泡立てさせながら、同時進行で、シェイヴィングクリームを口周りに塗布。髭を剃る。半分眠りながらなので手元に気を付けなければならない。いったん頭と口元を流した後、今度はコンディショナーで頭をヌメヌメさせながら、歯磨き開始。

オグラ氏の薀蓄一声を聞いてから部屋を出る。八時一〇分前にドアを開ければ、徒歩通勤が可能になるからだ。窓に映る自分を見て少しだけ髪を手櫛で整える。基本的にひどい二日酔いなので、ピリッとしたドリンクを飲む。ずっと、デカビタシーかシーセンタケダだったのに、最近、台頭してきたのはオランジーナである。そんなこんなで職場の最寄り駅に到着するのは、八時四〇分。俺は、コンビニでヘルシア緑茶と台湾バナナを購入する。八時五五分には出勤し、毎朝をそれ飲食する。そして、九時から執務を開始する。
一二時に昼休憩となる。俺は常連の蕎麦屋へ行って、毎日、鴨蒸篭(かもせいろ)を注文し食す。一三時からは労働の続き。一七時までが就業時間で、そこからは残業時間がカウントされるというわけ。俺は、飲みたくなったら飲み会を打診する。気分によってはおとなしく退社する。帰りは、電車に乗らずに徒歩で帰ることが多い。そんな時は、コンビニに立ち寄り、酒缶と焼き鳥を購入し、歩きながら飲食するのである。ほぼ毎日であるが。お祭り気分になれて楽しいんだよな。

2012年06月12日
ぼうふら蚊 逝くまで生きろ 無気力に

ブログを更新するのも一〇〇〇文字以下ならば止める。そんなルールを強いているから、結果、放置気味になる。だけど、思ったことは言葉に残したいからツイッターに比重を置くことになる。適当なことを呟けば誰かが反応することもある。タワーレコードに行く。なかなか好きな音源に出会えない。無理やり購入する気もあるのにレジまで持っていく気になれない。そんな時は、ユーチューブを流す。インターネットは面白い。
ミクシィも登録している。フェイスブックは素性がばれるので友人の影武者として登録している。グーグルプラスには日常の俺のまま登録したが、社会人以降の情報を隠した。何故かというと見つかりたくないからだ。獣道で大き目の石を掴んで裏返す。虫がウワーって逃げ惑うじゃん、あの感じ。生活一般をストップさせたい俺は、その思想を知らない人に曝け出すのは一向に構わないのだけど、むしろそれがインターネットの利用方法だと思っていた。
インターネット電話サービスをダウンロードしたが、周囲は誰もスカイプとかやっていないしなあ、と思っていた矢先に、ケータイメールに魔法のiらんどという二〇〇〇年代初頭にケータイサイトで知り合った一〇年来の友人から連絡が入る。スカイプに登録しているという。酔っ払っていた俺は、久し振りだしっつって、無料電話をかけてみた。すると出てくれた相手のリアクションが面白い。「本当にけんさんですか?」「ん?そうだよ。」「今、ニコ生配信中なんですけど。」と受話器の向こうで聞いて、びっくり。これが噂のアレか。

そんな俺も、インターネットの新たなお遊びとして、ニコニコ生放送に登録して配信してみたのだけど、やってみて思った。結局、俺の表向きに近いことしか言えないじゃないかということ。ブログでは、頭の中で整理して、例えば今日は死にたいと思った、というテーマで書こうと思えば、そんなときは、努めて明るく振舞うこともなく、そのまま書けばいい。ところが、生配信となると、手紙で「元気ですか?」と問われたと時に、「元気ですよ」と返さざるを得ない状況になる。つまり、多少、笑顔で「どもども」と誤魔化すことになるのである。
だって、日記にも本音を隠す俺だから。想像力豊かな人に文脈を読むことを強制して、委ねるような人間だ。だから思ったのが、映像配信系をやるにしろ台本を書かないと、何もできないタイプだなと思った。静止画像を加工するのが好きだからね。ストレートな表現って大好きなんだけど、ストレートっぽく見せるのが好きなだけということに気付いた。こんなところで。プロレス的なギミックが好きなのかもしれない。全て台本どおりにしたい性格なのかな。自覚はあるけどね。
顧客を騙さないと金をかせげない、これは否定のできない資本の論理だ。給金を得ているならば、誰もがそこから目線を外しちゃいけないよ。それは悪いことではない。俺だって好きで騙されているんだから。お互い様。幸福な振りをしたくないからね。幸福だと思えばそれはそれで咎めなくはないけど、何かそれはそれでゴールみたいだけどね。そんな概念とは無縁な“羽虫”のほうが、ただ生きる、ことを実践して、淡々として憧れる。

2012年05月30日
木場の昼 ビールを飲んで 天仰ぎ

三二歳なんだけど、隠さずに言うと生きることが本当に辛い。俺の思想行動の傾向は、この事実に尽きる
一昨日は、床で昏倒していた。突き詰めれば一〇歳頃から人間恐怖症なのであるが、その状態がマックスになったので、昨日は有給休暇を申請して眠り続けていた。テクニックで誤魔化せるんだけど、スタミナがなければ疲れるだけなのである
会社を休んで一六時半まで眠っていた。そのぐらい疲れていたのである。比較的、悪夢にも魘されなかったけれども。
考えすぎることが幸福になるとは限らない。騙されるのが悔しいとか、そんな低次元のレベルで悪戦苦闘するなんて思春期のままだとは、自分でも思うよ。だけれども頭がボンヤリとする癖を作るしかないのかって話さ。それも酒や薬によるものではなく、内部からの努力。どうすりゃいいのさ。感受性を抑制すればいいの。この性格、開き直ればいいの。

いよいよ、普通の生活すら億劫になってくる。当たり前だということが、辛く感じてくる。これは、邪魔だと感じたものたちを削ぎ落とした結果である。税金払っているんだから俺に何も文句いうな、「ガルルル」と狂犬の如く唸る。しかし、誰も唸っているようには見えないんだってさ。チワワが媚売っているように見える有様さ。いつだって呑んでいる。
半年間、失業手当だけでも暮らせたよ。東京でも。途中、年金とか払えなくなったけど、再就職後まとめて払った。その間、禁酒も禁煙も禁ケータイも禁パソコンも、しなかった。俺は、ハローワークの職員に敬意をはらって付き合っていたね。暮らすためには働かなくてはいけないから、だから辛いのは分かるよ。
「安楽死」が簡単に認められれば地球の人口が半分になるだろうし、核兵器がなくても きっと滅亡すると思う。それが人類だと思う。嗜好品は、そのとき残っているのかな。タバコやコーヒーが禁止されるときがくれば。だけど頑張って生きている人がいるんだ。自然に生きられない踏ん張っている人々が。
ファミコンのリセットと同じだよ。だけど、ファミコンはバグりやすいからね。俺今酩酊中で視界がバグっている。

こいつダセーな、と思う人が多いから、だけどそう思うことを共感する人間が少ないから、俺のほうが数の上では劣勢にいることを実感している。やらない隙間産業をやるしかないよな。見つけたのであれば、みんな悪気もなく、右に倣えで子作りするのは少子化を防ごうとしているのか。皆さんどうぞよろしくお願いしますよ。続きを読む
2012年04月09日
春眠や アウトオブタイム 眼閉じ

高校時代は、遅刻の記録を更新していたらしいが、別に、奇をてらっているわけではない。何となく、一限目に間に合えば、いいんだろうと、感覚的に思っていただけなんだ。後から、三者面談等で、遅刻だったことを知ったりした。結局、三年もの間、通信簿を渡されても開いたことがないので、俺は、客観的評価を知らない。どこで住所がばれたのか不明だが、今、現在も同窓会のお知らせの封書が届くんだけど、封切られずにゴミ箱行きさ。
布団に潜る。俺の逃げ場だ。眠る土日。起きたくなるまで眠る。そうすると、一五時間から一七時間ぐらい、眠ってしまうのだ。トイレに行ったり、空腹を満たすために弁当を喰ったり、口渇のためにミネラルウォーターをがぶ飲みするので、ずっと意識を失っているわけではないけれどね。ただ、目を覚ますと、とてつもなく辛い気分になるのは本音だ。だから、なるべく起きたくない。
目を覚ませば、日没、そんな日もある。それをして、もったいない、とは、もはや思わない。逆に幸せなことだと思うよ。今のところ週に二回しかその試みを起こせないのだからね。高校時代も大学時代も図書館で眠っていた。机につっぷしていたのではなくて、奥の目立たないスペースの床で眠っていた。枕は、分厚い上製の書籍。たまに、読んで、目覚しタイマーをセッティングして、とにかく眠っていた。

高校時代は、一限目から六限目まで、日中からまるまる六時間程度、睡眠を確保できていたから、そこまで辛くなかったのかもしれない。あの頃は、金を稼ぐこととかまるで考えていなかったからね。一方で、教育費をたてに意見を言う老両親に対しては、借金返済と称して、毎月返金、そろそろ何も言わせない、三二歳。危ない、こんな中年は、世代的に多そうだよね。奇をてらっているわけではないので、俺が言語化してやるよ。先進国の低迷は、市井の側からヒアリングすべきだ。もともと上昇志向がない人々に耳を貸してみては。
俺の周りは、それでも競争意識がゼロではない。活性化のためには良いことだ。俺みたいに、すぐ眠らない。皆、起きて、欠伸をしながら、活動をする。俺が、夢を見ている間に、進学したり、就職したり、結婚したり、子育てしたり、相続したり、まるで歴史の偉人の生き写しのよう。俺は、酒が欲しくて働いて眠るだけ。それを一〇年間続けているのであるが、それも平和な国だからだと思うよ。毎晩、酩酊してフラフラして家鍵を紛失しても、しっかり届けられている。
不服と不安でいっぱいの毎日さ。明日も、一五時間程、眠っていたいが、それはしない。自分の労働スタイルを守るために。疲れているのは、肝機能の衰えとしか言いようがない。だから、へパリーゼの錠剤を服用したり、ミネラルウォーターをがぶ飲みしたりするわけなのだけれど、起床した瞬間、未だに、自分が高校生なのか大学生なのか、労働者としてどの所属先に出勤すればいいのか分からなくなる毎日を送っている。だから、毎日、あわわ……と。動悸が激しい。

遠慮がちにアプローチされる。俺は、自身をオープンだと思い込んでいる。何を考えているか分からないと大抵思われがちだけど、一方で話しかけづらいとも思われていないらしいよ。そりゃそうだ。俺は、堅苦しい空気が嫌いなので、少なくとも俺には緊張して欲しくないと率先して日々を暮らしている。「君、なかなかナイーヴじゃないか。もっとラクにしなよ。」っつって、心を開かせる俺は、常に緊張しているのである。早く眠らなくちゃ、明日がやってきちゃうよ。恐怖でしかないぜ。もうイヤなんだけど。花見に行こうよ。続きを読む
2012年04月03日
降るなとて 満天星の花 こぼれそう

多数は懸命な判断のもと、速やかに退社した。俺は、住まいが近いので、本格襲来と報道されていた一五時まで、積まれた仕事をできうる限り進めるべく労働を続けた。
一五時。ぎりぎり終わった。自己満足に浸りながら、やや周囲から遅れ気味に退社したところ、暴風雨。たまたま同じタイミングで出てきた他部署の女子社員を見つけ、駅まで一緒に行こうぜっつって、傘が壊れないよう、たまに窄め、微調整しながら帰路。「土曜日もひどい暴風雨でしたよね」「あ、そうだったっけ。俺、夕方まで寝ていたから気付かなかったよ」そんな会話を交わしながら、池袋駅で「じゃーね、気をつけて」っつって乗り換えて、最寄のコンビニに立ち寄って酒缶を調達して帰宅した。
最近、正直疲れ気味だったので、ちょうど良い休養にあてられるような気がする。そんなことを理由に、平日火曜日、一七時前から飲酒を開始している。
数日前、散髪をした。約二〇センチメートルぐらいあった頭髪を約五センチメートルほど切り刻んでいただいたため、周囲からは「こざっぱりしたね」と言われる。通常、俺は「髪、切ったね」と言われることを好まないので、いつも、ばれないよう細心の注意を図っていたが、今回は、短くする覚悟があったので、つまりは、ばれてしまったんだけど、「もっと短く、もっと」と要求したのに、髪結の担当の人に却下されたのである。プロの言うことは尊重しなくっちゃいけないのさ。

三月九日 金曜日は、親族から帰省を遠慮気味に要望されたので応じた。
“被災者に対して何ができるか。”このテーマについては、この一年間、義捐金を送ったり、節電をしたり、ボランティアに赴いたり、国民の議題でもあったような気がする。かくいう俺は、金というか物資というか、そういう、物質的な支援が、てっとり早いと思っていた。しかし、一年が経とうとした頃、親族から帰省を遠慮気味に要望されたのである。「会って、話をしたい」と。これは、精神的な問題だよね。
「会うだけで良ければ、いつでも会いに行くよ」っつって帰省したのである。こんな自分が役に立てるなら、喜んで。そんな具合さ。俺は、三月一〇日 土曜日、三月一一日 日曜日、と、全力で勇気づけるような行動を起こして頑張った。ら、三月一二日 月曜日に、熱を出した。完治したのは、三月一九日 月曜日である。俺は、またもいい気にもなっていたんだ。何様のつもりで、慈善をしていると思い込んでいたのか。と、そんなことがあったんだけど、俺は、それでも受け身であって、要請がなければ、基本的に、布団の中でポッドキャストを聴きながら眠っているんだけどな。
複数人を指示するポジションを与えられた。光栄でもあり、否、嘘で、本音は、メンドクセーなあ、であって、気を遣うキャラクターと認知されているのか、「どんどん、仕事振ってくださいよ。私、できますよ」と嬉しいアピールをしてくれるのは、光栄なことであるが、どう振っていいか迷っているのが事実であるが、無言で試している、みたいに思われている気がして、そこの誤解を早く解かないと、とも思っている。

感の鋭い人には冷酷と思われているし、気付きやすい人には嫌味に思われているし、知ってくれている人には疲れるでしょうと心配される。相も変わらずだ。変わらないつもりか。ワンルームにて酒を呑んでいる。続きを読む
2012年01月09日
寝正月 日常戻り 寝子が這う

最近は、誰とでも仲良くしようという幼い頃からのルールを破りつつある。三二歳になったからね。人を選ぶ、というようなことを意識的に行うことにしている。八方美人の性格を矯正しようと思ってきたのである。来るもの拒まず、去るもの追わず、的な性格を矯正しようと思ってきたのである。嫌いでなくとも、接触すれば自分にはマイナスかもしれない人間がいるのではないか。それを見極める力が必要な気がしてきたのである。
悲しいことだよね。みんなが手を取り合えば平和になると思い込んできたのに、それを止めようという方向に身を置きたくなってきたことに。三二歳になったからね。この感覚をもって、いよいよ戦争はなくならないのかもしれないね。何もかも許してばかりいた人間が、いよいよ許さない宣言をしたようなものだからね。ところが、距離を置きたい人間は、実は影響力のない人間が多いのであって、本当は、自分が我慢すれば平和を維持できるのかもしれない。

買うものと言えば、アルコール。支払うものと言えば、アパート賃貸費及び光熱費。だから、無理矢理、お金を使った。即ち、携帯電話におけるスマートフォンへの機種変更。自分は、高校卒業以来、ドコモのパナソニック・シリーズを愛用しており、この度も、パナソニック製品を購入させていただいた。だって、保守的な性格だからね。だけど、ひねくれている。そこは、自覚症状があるから、幼い頃からのルールを破りつつある。三二歳になったからね。こだわりを失くせ、というようなことを意識的に行うことにしている。別に、これといったこだわりもないけどね。
年が明ければ、新年会。酒を呑むための理由でしかない。そして、俺は、好都合なので乗っかる。だけどね、二次会については、俺が俺の好きなメンバーを選出して、リラックスした状態で楽しむよ。嫌いな人間を好戦的に迎えることは必要ないんだ。それすらも楽しむことができたんだけど、もう止めた。最低限、一人呑みができる俺だ。だけど、何故か、まだまだ求心力はあるからね。それが故の、人を選ぶ宣言。これでは、平和は訪れないよな。

2011年11月19日
マンナンや 蒟蒻掘りて 這い上がれ

その後、荒れ気味の部屋を少しだけ片付ける。精神の荒みと、部屋の散らかりは、比例することを感覚的に知っているからだ。疲れて、部屋が散らかって、土日に整理整頓するというリズムは、理にかなっている、が、踏ん張って、毎日、綺麗にしていれば、平日だって本当は清い心でいられるかもしれない。が、そんなこと知らない。
気持ちが沈んでくるので、具体的には胸のあたりがモヤモヤしてくるので、単なる胸焼けか、理由など知らないけど、一八時前からは呑み始める。疲れているんだ。一日中、寝ていただけじゃないか。最近は、忙しくないだろうが。そうなんだけど、常に疲れているんだ。別に仕事とか人間関係とか、無関係なところで俺は、生きているので、変な指摘は御免だ。
しかし、疲れているのは、肝機能の数値が高いから、医学的な問題であろう。俺が、一〇〇〇年前の人間だったら、そこに気付かなかったんだろうなと思う。気付かなかったから、当時の平均寿命が低かったのかもしれないな。日本シリーズを眺めている。草花を眺めるより季節感を感じる。俺は、秋が好きだ。枯葉も好き。喧騒が収まって、せいせいする感覚に近い。

テレビはミュートにして、CDラジカセを再生する。ロックンロールを部屋に充満させる。だんだん酔いも回ってきた。気持ちが沈んできたって、自分でどうにかするしかない。俺の場合は、酒と音楽に酔い痴れることしかできない。でも、それを続けていて虚しくなることもあるけれど、もういいじゃん、もう充分だから、このシステムから解いてくれという気にもなる。
納税しているんだから、とやかく言われたくないよ、マジで。公園でブランコに乗っても、その権利はあるわけだ。極端な話、ガキんちょどもに一切譲らずに独占しても良いわけだ。中年のオッサンがな。ミリタリーショップで購入したドイツ軍のアディダス製のジャージを着用して、目が座っている。酒缶にストローを突っ込んでチューチュー呑んでいる。酔っ払っている。
誰のせいにもしていないよ。心配されることもあるけれど、もっと時間を重ねれば、人はだんだん他人のことへ興味を薄れてくるのを知っている。だんだん、自分のことでせいいっぱいになってくるはずなんだ。それに乗じて、俺は、ますます好き勝手にやるだろうし、そっと忘れてほしい。来月、親友の結婚式の受付係を頼まれたから、その役目だけは、しっかり果たしたいとは思うけれど。それ以外は、もうあらゆるものを削ぎ落として、シンプルを突き詰めたい。

2011年10月29日
ばつた跳ね ライダー変身 正義なの?

だったら、中学校に入学する際には中学校のメンタルにシフトすれば良かったかもしれないと思うし、高校に入学する際には高校のメンタルにシフトすれば良かったかもしれないと思うし、大学に入学する際には大学のメンタルにシフトすれば良かったかもしれないと思うし、企業に就職する際には社会人のメンタルにシフトすれば良かったかもしれない。と、実は、本気では思っていない。だって、合わせるのってムカつくじゃん。
世界が自分に合わせるべきなのであって、俺は、カラダが勝手に成長してしまうことを良しとしない。が、それは不老不死とかを求めているわけではなくって、何か、誰かのコントロール下に置かれたくないっつー、天邪鬼の生まれ変わりだからなのかもしれないな。
こんなに痛い危険思想に陥るのは、誰のせいでもない、自分のせいでもあるので、じゃあ、どんな対策をとるのかといえば、「自我に目醒める以前の幼稚園児の頃」にまで遡ることを実行している。幸い、その頃の記憶がばっちり残っているので、五、六歳のメンタルにシフトしようとするんだけど、そうすると、「七五三」のようで虚しくなってしまって、冒頭に戻る。

竹輪をつまみながら日記を書いているが、煙草の持ち方で喰っていることに気付き、それが面白い。人差し指と中指に挟んで練り物を喰う。炭水化物をできるだけとらないのは、誰かに「メシ喰うな!」と説教されたわけではなくて、何となくとしかいえないのだけれど、「これがココロというものか。サラダを自然と購入してしまうけれど、ココロはクスリで支配下においてやる。」みたいな境地でいるのは、「無頼派」のようで虚しくなってしまって、冒頭に戻る。ああもういやだゆっくりと。
何にも追い詰められた気分でいない土曜の夜は、親父の胡坐の前に、すっぽりと収まって、刺身を食いながらロート製薬や日立製作所のコマーシャルを眺めていた気がするんだ。そして日曜の朝はキャプテン翼を観ている。捏造された記憶かもしれないけど、土日というのは、実は多幸感に満ちた二日間であるという印象が強く、だから、三一歳になっても、最も好きな二日間であり、くそつまらない一週間の中でも唯一好きな二日間である。
土日が存在しなければ生きていけないので、とカミングアウトする時点で受け身のスタンスがばれるというね。ここに反抗するときは、独立を目指すとき。今でも、小学生のスタイルですがりついているので、この希少な感覚をメモっておく(本当は希少でもなくて、テメー等も自覚しろよとは大きな声では言えない)。

2011年10月10日
うそ寒か 袖を覆わぬ 偽大人

屑のような生活と思われるかもしれない。だけど、これが、俺の、今できる、最善のルーティンだ。逆に云えば、平日の五日間の疲労を癒すためには、このぐらいの補填をしないと耐えることができない。親戚の熱い人に将来設計を立てなさいと叱咤されてしまった。正直、俺は、所属先の職場で実績を作ってしまった。このことは、自画自賛とか自己実現とか生きがいとか、そういうことではない。
俺のこのネットとの関わりは、二〇歳からであるが、その頃と距離感を変えないのは、多少、大人になれないという、恥ずかしすぎる父っつぁん坊や的な部分もあるのは承知だが、少し違うのは、この場をリアルな場所にしたくないというか、まあ、インターネットがリアルな場ではないのは当たり前なんだけど、だからさ、主義主張、思想は、仕事で表現したいのであって、あの、難しいのだけれど、こういう場では、もっとリラックスをしたいわけだ。
しかしだ、俺のプライベートって、眠るか飲酒しているか、はっきり云って、どちらかであって、だから、あんまり発展的なことを届けることはできないし、酩酊の楽しさを文章に起こしたところで、見た夢を他人に話すぐらい、自己満足に陥るのである。基本的には、ちょい破滅オヤジみたいな有様になるという算段。経済新聞を読んでいる奴を全否定したかったのに、新幹線移動のときなんて買ってしまうからな。だけど、経済の動向なんてのは、記者が一日遅れ、否、二日遅れで記事にして、そんなに速報的にビビることじゃない。天災やテロを抜きにすれば、意外と、ゆっくりとしたものだ。

冠婚葬祭には、これ出席する。全力で優等生を演じつつ、二次会で丁度良い塩梅で崩す、という自覚を持っているが、他人から見れば、ただの酔っ払いには違いないのであろう。祝儀袋は、遊び心のあるヤツをわざわざ買いに行ったり、昔は手作りもしたりしたものだけれど。今週は、高知県に出張した。土佐鰹をいただいたが、とても体力を使う旅程だった。何しろ俺は、行きの飛行機に乗り遅れたのであるが、堂々と逆ギレをしたのである。もちろん、自身の範囲でカバーできるレベルの遅刻だったからでもあるが、憐れみの言葉を引き出せることになっているので、俺、もっと駄々をこねようかな。発言権って、そんなもん。
サラリーマン生活が上手くいっているということを書きたいわけではないことは文脈から分かってほしいものだけれど。そして、サラリーマン生活を否定したいわけではないことも分かってほしいものだけれど。そして、そのジレンマに陥っているとか、そんなわけではないことも分かってほしいものだけれど。もっと、根源的な、虚しさのことを云いたいのだ。酒に逃げ続けていることに。だけど、平日にコンディションを合わせているということを。俺が泥酔しながらこんなことを書き連ねているのも明日が祝日だからなんだけれど。
市民運動もしなければ、意見もツイートしない。それは、仕事が直接、社会的なアクションを起こせる職種だからであって、今になって、ああ、必然的に選んでしまったのだなというような気がするが、だからこそ、仕事以外では、本当に廃人一直線な気がする。このことを知っているのは、逆に、インターネット上のヴァーチャルな知り合いたちだけなわけである。で、そのことを否定してもいけないのであって、友人ねえ。今日は、友人と酒を酌み交わしてきたよ。

俺は、眠る。時間があれば眠る。某ケータイ会社のコマーシャルソングにシドヴィシャスヴァージョンのマイウェイが起用されているが、刹那的な、投げやりがテーマなのであろうか。我が社は、どうなってもいいや、みたいなパンク的なメッセージなのだろうか。普通は、フランクシナトラヴァージョンでお茶を濁すべきではないか。という考えになっているのは、今だからであって、俺が新卒の社員だったら、迷わず、シドヴィシャスヴァージョンを選んでいるに決まっているから、つまりは、このコマーシャルを作成したのは、二〇代だと思いたい。じゃないと痛い。
ちなみに、俺だったら、コテコテのモッズファッションをアイドルに着せて、楽曲は、(ラヴイズライクア)ヒートウェイヴを起用するけどな。今の時代にぴったりじゃない。いや、シドヴィシャスもぴったりだけど、やぶれかぶれになるのは、まだ早いんじゃないかな。「何で、結婚するの?」と俺は問う。本音の上ではね。だけど、不況でも未曾有の危機でも、プロテストソングよりラブソングが流れていた方が、精神衛生上、良いのかもしれない。やっぱ、ずれているかな。ずれたまま、前進。本当は、停滞したいけれど。眠りたいけれど。ずれてもいいなら少しでも前へ。ああ、良い子ちゃん。続きを読む
2011年08月06日
鬱屈と 鬱金の花 咲き足りて

2010年08月30日の文章を抜粋してみる。「いや、珍しく、未来志向のポジティブなシミュレーションを働かせたよ。これもひとえにただ単純に神の力だよ。俺は、ヒットラーを信じない。俺は、イエス・キリストを信じない。俺は、ケネディを信じない。俺は、エルヴィス・プレスリーを信じない。俺は、ヨガを信じない。俺は、ビートルズを信じない。いいんじゃない。酔っ払っているのはまぎれもない隠しようもない事実。」
2009年08月07日の文章を抜粋してみる。「時間が解決してくれるのは本当なのであって、我慢比べをすれば、そりゃ、俺は勝つだろう。だってある意味、我慢していないんだもの。こいついったい何を考えているんだろう。そんな圧迫を知らず知らずに与えていて、その実、本当に何も考えていない。彼は、ただ単純に酒に酔っ払っていただけだったんだ。きっと、悲しい出来事だ。」
2008年08月09日の文章を抜粋してみる。「今まではいちいちウゼーと気になったり、心に引っかかっていたような事柄でも今では気にならない。それは自己防衛本能の賜物である。ある意味、本当の意味でクールに近付いている気がする。しかし、まだまだ虚無は続く。うまく付き合っていけ。まだまだ青臭いから、まだまだ敏感だから、体はED気味でも心をどうにかすれば、まだまだ何とかなるだろう。叫ばない。口を閉ざしたあの頃に戻って、力を溜め込み、醸成させるのも一案。電撃を充電。穏やかにいこうぜ。笑え。」

2006年08月13日の文章を抜粋してみる。「これら全てのキーワードにアルコールが絡んでいるのであって、そりゃ今現在も毎度おなじみ泥酔状態で、今朝なんかも宿酔状態。いったいこの3週間で、のべ何十人の人間と酒を酌み交わしているのか。残った人は数人。残ったのはただ一人。残った者は誰もいない。死んだ振りして死んじまって、ただただ笑っているよ。心を誉められて、正体不明と称されて。初めから誰一人いなかったんだ。」
2005年08月13日の文章を抜粋してみる。「何をやっているのか具体的に云わないのさ、抽象表現。責任を背負いたくないから、逃げ場を作っとくのさ、抽象表現。仕事を抜け出して、銀座のとあるビルの4階で美術雑誌の面接を受けたのである。もちろん堅実な出版社もあるとは思うんだけど、美術雑誌業界の悪い噂の情報は少なくとも2人の人間と、1冊の雑誌から得ていた。曰く「無名の若手画家や老作家に『載せてやる』と声をかけて、高額な掲載料を要求する」業界であると。それで成り立っている業界だと。ブローカー的であると。でも、これはあくまで噂さ、逃げ場を作っとくのさ、抽象表現。」
2004年08月31日の文章を抜粋してみる。「It comes to understand only by passing in a town. It meets again for the first time in what year being in a friend and Shinjuku famous for carrying out only others' criticism and carrying out only one's boast, and alcohol is drunk.」

2011年08月13日は、サマーソニックへ参戦予定だ。たぶん、酔っ払っていることだろう。今現在も酔っ払っている。枝豆喰いつつ。続きを読む
2011年07月13日
酔いどれて 月下美人と 呑み潰れ

先々週は、友人と赤羽で呑んでいた。二時間呑み放題コースをスタートして三〇分程度で友人は離脱した。別件があるからってことで、そのへんの事情込みで呑んでいた俺は、友人を見送って独りで呑み続けていた。場所だけ替えてもらった。即ちカウンターへ移動。チビチビ呑んでいたところ、隣で、独りの女性が夕飯をとっている。俺は、話しかける。「この後、帰るだけ?」「え?うん」「じゃあ、あと一軒、呑まない?」「いーよ」「じゃ、連絡先を交換しよう。俺、“けん”って言うんだ。」嗚呼、ナンパ寄り。
先週は、前出の友人と今度は新橋で呑んでいた。五年振りぐらいに会う共通の学生時代のもう一人の、とある友人と久々に飲み会をするために、事前打合せをしていたってわけ。で主賓登場。俺たちは打合せ通り、受け身のプロレスを仕掛けた。強敵の主賓を満足させて解散しようとしていた矢先、前出の友人は離脱した。同棲相手がいるからってことで、そのへんの事情込みで呑んでいた俺は、主賓の希望するキャバクラ行脚に付き合ったのだ。そんなとき、金がもったいないと思う俺だ。居酒屋の方が楽しいのにな。

教師に困惑されていた、まるで高校時代を思い出すね。というか、遡らなくとも俺は変わらない。分からない。何かのフリをしていたのか知らない。土曜日に合コン寄りの呑み会があって、たぶんヘルプ的に呼ばれたから行って、んで、やっぱりバランスをとって、帰りの方向の女子を送る途中、飲みまくっているのに、まだ飲み足りない俺は相手の終電時間を調べて「まだ飲もうぜ」っつって誘って飲んだ。腰痛。
着いて来てくれて申し訳ないと思った。翌日に「また飲んでください」というメールが着信、それを確認して、その後、申し訳ないと思った。社交辞令なら丁度いいんだけれど、なんて、そう思った。だけどさ、紳士的な返信をする俺は完全に酔っ払っているのであるが、これは、何かのフリをしていのか。違う。これオリジナル。今現在も飲んだくれているぜ。あのLサイズのTシャツ。部屋でリラックスできるあの緩さ、心地良さ、あの羽衣のようなサイズが最近、ジャストフィットしてきたのであって、締め付けが厳しい世の中になったものだぜ。総務部のお姉さんに「ビール飲みすぎてない?」と咎められた。

2011年06月19日
排水溝 田亀が泳ぐ 路地の闇

金曜日は、数名に呑み会の打診をして、捕まえたのは、二名だ。五個下と三個上の、しかしいずれも後輩であって、更にいずれも親父さんのツテで入社してきたという括りにされているが、当人たちはそういった十字架を背負っているのかどうかそんな感覚もあるのかしらないが、会社の上層のオッサンたちは取扱注意をするから、あえて空気読まない俺は、飲もうぜっつって、本当は飲む相手がいないから、誘う。終電過ぎても締めないのは俺の勝手だったのである。よって、昨日は、日没まで布団で魘されていた。起きて迎え酒をした。よくある土曜日。
ニューヨークドールズのTシャツを着用して、街を闊歩すると、勝手に声をかけられるぜ。地元で千円で買った、版権が怪しいTシャツなんだけれどね。版権が怪しい商品が大好きなんだ。レーベル移籍に伴うアーティストの意向を無視したベスト盤よりは、ブート盤の方が許されることってあるでしょう。時効ってほどでもないけど、出処なんて問わないからとにかく貴重音源を募集することがあるのは、よくあることであって、海外ミュージシャンが新宿西口でブート盤を買い漁ることからも分かる。そもそもオフィシャルTシャツなんてライブ会場でしか買わない気がする。

例えば、セクシャルなことは、傾向的には、休日にこそ起きがちなんだけど、それでもどこか牧歌的に変換させる俺は、ほどよい距離感と疲労しないような接し方を身につけているのかもな。頬が風船爆弾みたいだし、腹が酒樽みたいなのだ。酒ばかり呑んでいるから、腹が樽みたいになるのも致し方ない。安全牌なんだぜ。それを自覚している。だけどな、転じて危険牌になることは、分かる人にしか分からないと思うが、危険なことには首を突っ込ませたくないので、君は楽しくやってくれ。知らなくていいことを知る必要はない。
父の日に、「シマトネリコ」を送った。馴染みの池袋北口のフラワーショップで数日前に手配したものだ。「よく来ていただいてくれますよね。」買わなくても、通勤路だ。もちろん、自分のために購入したこともある。そんなこと誰にも言えない。フラワーショップでフラワーを購入しているなんて誰にも言えない、こともないけれどね。別に、大したことじゃないし、トイレを快く貸してくれるコンビニエンスストアーこそが誉められるべきである。外国人に優しくする大家とか雇用主を見極めたいところである。帰路には、ジャズバーもブルーズバーもロックバーもあるんだ。だのにスナックに行きがちな駄目な俺。

2011年05月29日
吹流し 最上端の メカニック

俺は、「これは、ツギハギのパクリ文章です。」と隠さない。ツギハギにパクリ、平然といられることは、ロックから学んだことなので、もはや染み付いた影響なので、この癖を取り除くには、困難を極めるに違いない。だけど、ビジネス文章においては、それで十分だと割り切っている。この年齢まで、そのやり方でお咎めもないのだから、それでいいのだと思う。無味乾燥の潔さ。「メールは冷たくて、電話は温かい。」という幻想を持つ、ジジーやババーって嫌い。
話は冒頭に戻る。つまり、基本的に虚無感と絶望感の間を往来している俺が、ブログを更新できているのは、ちょっと気力がアガッてきたという証左であり、例えば、昨日土曜日は、一五時間睡眠をして起きたのは夕刻である。まあ、雨が酷かったというのもあるけれど、起きるのが辛くて辛くてしょうがないのが本音だ。ずっと眠っていたかったのだが、眠れば眠るで非常に絶望的な気分になる悪夢しか見ない、というのも我事ながら可哀想。

どうせ、金は受け取ったんだろう。まあ、分配した。受賞スピーチをした。どうしても皮肉を交えてしまうのは、ロックから学んだことなので、もはや染み付いた影響なので、この癖を取り除くには、困難を極めるに違いない。だけど、ビジネスの場において、俺は、反乱分子になるのは、得をしないことを知っているので、ギリギリの線で、折り合いをつけているが、ギリギリすぎるので、誰も俺が、酒浸りで生活を送っていることに気付かない。
実弟から、物品が送られてきた。先日、宿泊させてやったお礼だそうだ。コンパクトディスク数十枚と文庫本数冊、酒瓶、衣類などが梱包されていたのである。やおら、引っ張り出して読み始めたのは、西村賢太の著書。そして、着用したのは、ピクシーズのティーシャツである。今現在、酒缶は三缶目。ポテサラとツナコーンサラダと焼き鳥セットをフローリングに置いて、飲み続けている。外は大雨。雨音に気が滅入りそう。というわけで、今、パソコンを離れて、三歩でサッシをシャットアウト。瞬く間に静かになったよ。

2011年05月06日
セルロイド 燃える臭いや ドリーミン

つまり、目的を持って、特定部位の筋肉を鍛えているわけではなくて、とにかく言葉、文章を連ねて、一〇〇〇文字以上の文字で白紙を埋める作業を行っているのだ。酒を呑みながら。酔っ払わないと、こんな無目的なことなどしない。
俺は極度の面倒くさがり屋なので、「意味無し」と判断したら、実行しないし、事実、「空腹」という動物的な感覚が無ければ、多分、飽きもせずに永遠に眠っていられると思う。永遠に眠るだと?不謹慎なヤツだな。
だけれども、俺は、予定が無い時は、夕刻までひたすら布団に潜っているのだ。というのは、多少、語弊があるのだけれど、そんな時でも、俺は、空腹で目覚めてしまって、それを補うために、メシを喰う。これは事実なのである。また、夕刻に起きてしまって、じゃあ、何をしようかと思ったときに、やることがない、そんなときは、飲酒をする。
ゴロゴロ寝てばかりで、そんなの理想過ぎるけど、じゃあ、何かい?お前は、前述したメシや酒をどこで手に入れているんだい、ということになるので、しっかり合法的に手に入れていることは弁明したいのであって、俺は、土日祝日以外の平日は、しっかり働いているのである。そこで稼いだ給金によってメシや酒を購入しているのだ。

働かなくても生きているこの国の人々は、しかし、働かない人や働けない人にバッシングを浴びせるのが好きだ。俺は、メンタル的にタフではないし、バッシングを浴びるのも面倒くさいから働いているところも何割かある。
この点において、俺が、他者の視線を意識しているのは明白であって、世の中にあって、大きなことを成し遂げる人は、大抵、自己の主張を貫いているパターンが多い。では、翻って自己主張。あなたはしていますか?俺はしていない。労基法の範囲で許せなかったら問い質すし、面倒くさいときは黙殺。我慢とか忍耐とは違うんだな。「面倒くさい」という概念は。
説教とか苦言に対して、面倒くさいと思ったら、良い子ちゃんになっちゃえば、回避できるのである。もちろん、これは適正もあって、良い子ちゃんを演じようとして、悪い子ちゃんであることを露呈する甘ちゃんもいよう。
でも、俺に言わせれば、そんな不徹底さは、本物の面倒くさがり屋ではないのではないかと疑ってしまう。時効の寸前に捕まってしまう、指名手配犯って、捕まりたいんだろう?不良たちは、怒られたいんだろう?
完全犯罪を成し遂げる人間は、最後まで隠し切る。理由なんて言わずもがな、だ。地下に潜って「完全犯罪が成立しそうな俺ってかっこいいのかもしれない」みたいな、ブレが生じたら、そいつは確実に検挙されちゃうに違いない。でも、それも、どこかで、自意識を捨て切れない人間の業なのかもしれない。ひっそりと注目もされずに忘れ去られることが理想なんだけれど、こんなことをテーマに書いたら、信じてもらえないかもしれないよな。

2011年04月17日
休日歩 馬酔木の花を 眺め酔う

何かを発信したいという欲求。コミュニケーション。テレビ局や、出版社、マスコミュニケーションにアッピールしなくとも、コンテストに出場しなくとも、作品を持ち込まなくとも、今やインターネットが、その受け皿になる。審査員という職業がいらなくなる。国境を越える。でもさ、パソコンやケータイを持っていない人には不利な世の中だよな。いや、不利でもない。求められているものは、ツールを超える。
例えば、スカウト業の職種が消えないのは、中国の山奥、アフリカの山村に、一〇〇メートルを八秒で駆け抜ける人間が生息している可能性があるというロマン。ここにおいて、情報量における差別発言をしているわけではないんだ。甲子園に出場しなくてもメジャーリーグで活躍できるかもしれないとか、カポエラの成り立ちとかさあ、黒船の危機意識とかさあ、リバプール訛りの方がかっこいい時期があったのは、寺山修司があえて標準語にしなかった(否、できなったのか?)ことと似ている。でもモダーン。

「若いうちの苦労は買ってでもせよ」という格言があるけれど、「もう若くないから苦労しなくてもいいんだね?」と言いたいのであって、結構、安堵感はある。もう、苦労しなくていいんだ、はあ。淡々と仕事を真っ当するだけだ。淡々とすることが機械的又はロボット的だと批判されることもあるだろう。駒になることを批判されることもあるだろう。難しいことである。オリジナリティを出せという欲求。つまり、ブライアンエプスタインの世界と島耕作の世界はあまり違いないと思うんだ。クレイジーワールド、漫画の世界で。
「普遍的」という言葉が好きなんだ。それは、「革新的」から一番遠い、境地。真新しいのではなくて、昔から、よくあること。綿々と受け継ぐ面倒くささはいらない。伝授しなくとも、いつの時代も誕生してしまうという、ご愛嬌のことである。伝統ではないんだ。「古代エジプトの何千年も前の壁画から、最近の若者はどうしようもない」とボヤかれていることこそに興味があるのだ。今、生存している人々の中で、偉そうに年少を窘めても許せる人々は数える程だ(ちゃんと、いるけれど)。

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2011年04月10日
桜漬 白湯に溶ける 塩辛さ

土曜日は、まるで二番打者のように、地味だけれど監督する人にとっては重要な一日だ。日没まで布団に包まってまどろむことができるのだ。一五時間ぐらいは平気で眠り続けることができる。だって、起きていると眠たくなるのだもん。現実は、それでも、つまらなすぎてね。だけど、大地が揺らぐと飛び起きる。
コミュニーケートを図るときに、相手方からシャットダウンされてしまっては、何も伝えることはできないであろう。それは、ハンディキャップと呼んでも良い。小学生が間違って、このブログに接点を持って紛れてきたならば、もっと平仮名を多用しなくてはならないし、学ランのカラーの無意味さや、チャリンコ使用時のヘルメットに言及することは可能だ。
桜は満開で、それは、やっぱり、心躍る出来事であって、花見をするのは自由だ。俺は、文字通り、花を見る。見て、どこまで羽目を外すかと言われたら、それは、仲間内の問題でしょう。毎年、花見をしていた、相手が、今年はいないので、だから、一人でフェンスに腰掛け、缶チューハイを呑みながら、何かを待つしかないでしょう。

最寄の商店街に、ラーメン屋がオープンしたのである。とてつもなく不器用な頑張りさ加減で。本来であれば応援をしたくなるような俺は、入店をしない。だって、自らにラーメン禁止令を課しているのだもの。多分、潰れるに違いないだろうが、潰れる前に、明日、訪れてみようかな。禁止令を解いて。
大震災が起きて、生まれ育った地が、完全に被災した。日本建国史上最も大規模な地震だそうである。教科書で習った数々の天災を超えてしまったんだ。だから、まだ、どの教科書にも記述されていない。さてさて、俺は、故郷を捨てた意識が強く、著名人のように慰問する感覚も持てない。何より、実家からペットボトルにパックされた水道水が送られてくる事実。「いらない」と言っても送られてくる。
夜の街で、久々に、酔っ払って失敗を犯した。家庭を持つ先輩は凹んでいたけれど、俺は、いつものことなので、切り替えが早い。むしろ、家での失敗の方が凹むのだ。「何を言っているのか分からない。」と残念がられるのだ。弁明できない。何故かというと、酔っ払っていて、舌が縺れてしまって、思っていることを、口にすることができないからだ。

2011年03月21日
春の雨 ひとりぼっちで 酩酊す

二月は口唇ヘルペスが出現。俺は昔、処方された軟膏を早期に塗布。何とか食い止めた。同月下旬は、謎の手掌の皮膚炎が発症。誤った自己診断により、数日パニック状態に陥っていたが、半休を取って近所の比較的規模の小さめな総合病院で受診。痛み止めと軟膏の処方箋を手に入れた。症状は数日で治まった。
この時、血液検査をしたところ、GPTが55(理想は44以下)。γ-GTPが318(理想は70以下)。総コレステロールが250(理想は219以下)。HDLコレステロールが87(理想は79以下)。尿酸が7.5(理想は7.0以下)。LDLコレステロールが150(理想は139以下)という、とても良くない数値を叩き出してしまったのである。
ちょうど、地元の主治医(俺は年に数度、故郷で診察を続けており、今でも精神安定剤と睡眠導入剤を出してもらっているのだ。)から、「そろそろ血液検査をしに帰省しないか?」と声を掛けていただいていた矢先である。そろそろ不摂生に戻った頃だろうと見透かされていたのかもしれない。とにかく偶然にも体調不振に気付いた俺は、例えば毎日繰り返し繰り返し喰っていたコンビニ弁当は止めて、細かい野菜惣菜等を中心とした食生活に変えた(あくまで自炊はしないこの怠惰!)。また、運動不足解消のために、通勤は徒歩にシフトしたのであった。電車は混むし、たまに遅延するし、しかも最近天気が良いし、気分転換にもなるかな、と思った。

コンタクトレンズ購入のついでに診察してもらおうと、休日である三月一二日に眼科を訪れた。本当は有給休暇を取って行きたかったくらいに耐え難い痒みだったのである。とりあえずアレルギー対策の点眼薬が処方された。それからという日々、目が気になって気になって、仕事に集中できない。しかし、職場では花粉症持ちがたくさんいるため、俺は、そんな愚痴すらも吐くことができないのだ。「お前だけじゃない!みんな一緒だ!」と一刀両断されてしまうだろう。
ところで、徒歩通勤を始めたところ、気のせいか徒歩通勤者が増えたような気がするのは気のせいだろうか。自転車の数も目立っている。コンビニによるとコンビニ弁当が売っていない。しかし、細かい野菜惣菜等は残っている。外は暖かくなりだんだんと春の訪れを感じるこの頃である。やたら旧友たちが連絡をくれるのもシーズンならではであろうか。
三月一八日は滋賀県は大津市に仕事の用があったので、久し振りに東海道新幹線に乗った。日帰りだったけど、琵琶湖だけは、しっかりと見物してきた。まるで、海のように大きいなあ、波はないけれども、と思った。翌、三月一九日は約一週間振りに部屋の片付けを行った。一週間でここまで部屋が散乱するかというほど、部屋が散らかっていたからである。割れた茶碗を発見し、踏むと危ないのでこれを処理した。掃除をすると気持ちが良いなあ。

2011年02月22日
ブリーチと 末黒の芒 停止せず

薬剤師さんに、相談した。「見て下さい、この手を。一番効くやつを即買いするんで、一つお願いします。」薬剤師さんは、「皮膚の外、外傷ならば軟膏を出すんですが、皮膚の内側に炎症が起きているんで、内臓の問題だと思いますよ。飲み薬になるでしょうから、病院へ行ってください。」と教えてくれた。商品を買いに行って断られたのである。しかし、今思えば、このドラッグストアに相談したのは結果的にでかい。
午後は、症状を検索した。普段、困ったら自分で先回りして調べまくるのに、こんなに遅れたのは、先週は、自らの体調を後回しにしていたからに他ならない。仕事が若干落ち着いてきてから、自分の体が気になってきたのだ。グーグル検索で、「内臓スペース手荒れ」を調べる。的を絞るために「赤味」等も検索ワードに加えてみる。一頁目にズラリと並ぶのは、「手掌紅斑」という言葉。
「アルコールを大量に摂取する人に多いです。肝硬変の疑いがあります。」そんな言葉が並ぶ。仕事中であったが、少しビビる。「違うな。俺に限っては、有り得ないな。」とは言えず、むしろ、そうだとしか思えないことしか書いていないのだ。続いて、画像検索をしてみる。「ああ、この赤味、そっくりじゃないか。」更にビビる。俺は、医療に詳しい鍼灸師の友人にメールを送った。「手掌紅斑かもしれない。病院に行きたい。」と。

半信半疑だった。しかし、「半」だったのは、自主禁酒をその日から敢行したことに現れている。俺は、土曜日から、飲酒を控えた。「手掌紅斑」の可能性があると思っていたからである。しかし、その場合、今更、禁酒しても遅いという話でもある。まあ、気休めだろいうこと。「掌蹠膿疱症」の場合は、酒は関係ないらしいが、とても怖い病気には違いなく俺は怯えた。同時に興奮もしていたのである。心配してくれる人の温かさを無視して正直を言えば、やっと……いや、止めよう。
日曜日も月曜日も禁酒した。その間、散髪した。ゲゲゲの鬼太郎風の前髪が目玉に突き刺さるので、散髪屋へ行って、トッパー・ヒードンみたいな感じにした(あくまで俺の中で)。何故かというと、傍目、健康そうに見せるためだ。俺の部屋は片付いているけれど、引き出しの中はメチャクチャだ。そして、本日火曜日午前、再び病院へ。待合室は空いている。平日だからであろう。お爺さんが「痛いから、もう止めてくれ」と懇願している。看護師たちが困って家族を呼ぶ。家族が説得する。院内には「頑張って、便を出しましょう!ここで出さないと、後々たいへんですよ!」という絶叫がこだまする。ああ、辛そうだなあ。早く呼ばれないかな。
「けんさ〜ん。けんさ〜ん。第ニ診察室へお入りくださ〜い。」再診結果、気になる症状との因果関係はなし。単なる皮膚炎。薬で治すのみ。しかし相変わらずあらゆる数値は自らの年齢にしては高すぎるとのことで、「このままいくと脂肪肝と痛風になるよ」ということだった。分かっていたことではあるが、少し体を見つめ直す機会になって良かった。そして、状況を教えた二人の友人が、二人とも毎晩連絡をくれるほど物凄く心配してくれたので申し訳なく思った。

2011年02月05日
探梅や 辿りつく先 隠居かな

一方、残業歓迎という常連組がいて、奴等は、時差出勤をして、夜更けまで、議論をして、手を動かさない。頭と口ばかり動かしているのだ。これを眺める俺は、客観的に暇だろうよと軽蔑している。「誰か俺を手伝ってくれ」とすら思う。だけど、俺は、彼らに干渉したくないし、価値観の異なる人から干渉されるのも御免なので、とりあえず自己完結できるよう努めている。
そんな俺は、過去に遺した実績を休日に思い返して、それを未来に繋げることができないかというまるで仕事人間のような思考回路に陥ることもある。仕事って、リアルタイムでは嫌で逃げ出したくもなるんだけれど、達成すると、思い返したくなって、自信を失くしたときに、「お前は、昔、こんなに頑張っていたんだぜ」などという効果をもたらしてくれる。手抜きをしたいのに、頑張っていたことを思い出す。
不思議なことは、今現在を精一杯になれないこと。後日、気付くこと。「ああ、あの頃、精一杯だったんだな」などと。だがしかし、これは、気を付けた方が良い。過去を美化している可能性が高いからである。これは、真理だと思っていて、大抵の、四〇代以上の人間は、若い頃を美化している。「俺の若い頃は……」「私も若い頃はね……」結局は、セオリーさ。

お前ら常に必死。年齢には敏感だけど、死生観には鈍感だね。ネットスラングを多用するお前らに鳥肌が立つ。みんな私語が好き。みんな死語が好き。中年連中は、二〇歳の若さに嫉妬して、「ああ、自分が通ってきた道だ。リバイバルだ。」なんて安心しようとしている。違うと思うよ。彼らは、あなた方を完全に反面教師にしている。あなた方になりたくない若者がたくさんこの国でひしめいているのだ。
俺はと言えば、先人をリスペクトしているし、反面教師にもしているし、有能なガキをスカウトマンみたいにわざわざ探そうとは思わないし、若者に理解を示す気もさらさら無い。受精させて製造しようとも思わない。ただ単純に、一般論と日々考えていることを述べているだけだ。幸福の指標は、衣食住の充実だとは思わない。先進国も発展途上国の人間もアルコールが好きじゃん。先進国も発展途上国の人間も音楽が好きじゃん。「彼の国は、まるで昭和三〇年代の活気と、昭和五〇年代の経済力を感じさせる。我が国も思い出せ。」などという、発言自体が、上目線だよね。「ああ、我々が通ってきた道だ。後輩だ。」みたいなね。
それで良いんだよ。自信を持って元気にポジティブになることが精神衛生上大切なことだと思うんだ。情報なんて必要ない。ただ楽しく笑えれば、学も必要ない。だけど、邪魔をしてくる人がいるときに、対抗できないと、植民地化されるのも世の常だ。できれば喧嘩はしたくない。だけど、好戦的な他人は常にいる。
