寺中四のblog

【ひらくドア】等でベースを弾いてました。次は【僕のレテパシーズ】でベースを弾きたいと考えています。 37歳、×2ですが、自己評価ではとても優しい。が、ドストエフスキーのこの名言を知って以来、優しさとは、愛とは何かね?と考え続けています。 「人類全体を愛すれば愛するようになるほど、個々の人間、つまりひとりひとりの個人に対する愛情が薄れてゆく」『カラマーゾフの兄弟』より

新年が明けましたね。
何に対してなのか、いつもよくわかりませんが、おめでとうございます。


昨年春から夏にかけての孤独のグルメごっこもひと段落し、最近は何を食べるか考えるのが苦痛になってきました。
自治体主催で、平日夜限定で良いから大人の給食的な店を作ってくれないかなぁ。

その代わりなのか何なのか、音楽欲がむくむくと再燃してきて、楽器を弾いたり機材を買ったり
12月は行きたいライブを厳選して観に行ったりした。

12/11 それでも世界が続くなら@新宿samurai
12/25 忘れらんねえよ@下北沢CLUB Que
12/31 それでも世界が続くなら@下北沢CLUB Que

バンドをやっていた時は、正直付き合いで行くというライブも結構あったけど、今は好きなライブを
たとえ友達のバンドであってもきちんとチケットを買うなり予約して観に行く、ということが出来て嬉しい。
招待で行くと、やっぱり負い目があって、ドリンクは頼んではいけない気がしたり
他のお客様に遠慮して観たい場所、聴きたい場所を確保することも憚られてしまうしね。

お金が無いと、どうしてもできない義理の果たし方や楽しみ方があるんだな、と実感しています。
今の時代に音楽を続けることで大切なことは、多分誰もが考えているでしょうけど、
「他の仕事と金との共存」で間違い無いでしょうね。


ところで、タイトルは僕の大好きなルーリードの名曲、walk on the wild side(ワイルドサイドを歩け)をもじったもの。


いやあ、全てが完璧な、ルーリード奇跡の名曲です。


ここから矛盾した感じで本題に入ります。
先に何を食べるか考えるのが苦痛になってきたというのは事実ながら、音楽欲とともに再燃してきたのは
極細麺の九州系ラーメン欲で、多分ここしばらく2日に一回ペースで食べに行ってます。


①日吉「がッとん」
極細麺が再燃したきっかけは、通りがかりにふらっと入ってみた日吉「がッとん」。
スープは一般的な博多豚骨とは違い、 家系と九州系の美味しいとこどりをした感じの濃厚なもの。
麺も僕好みのザクザクとした低加水、博多ねぎをはじめトッピングのクオリティも店員の接客レベルも高く
何と言っても、辛子高菜が冷蔵保存されてるのが良くて、替え玉かライスも一杯無料。
辛子高菜は常温だと傷みやすいから、たまに半分腐ったような臭いがしたり
出しっ放しにしてると死ぬほど使う客がいるから、有料になってしまったり。
焼豚の次にコストが高く手間がかかるのは野菜でも味玉でもなく、辛子高菜なので
店の経営や他の客のことも考えて適量を使って欲しいと思います...


②横浜「たまがった」
定期券内である武蔵小杉〜横浜間で一番評価の高いところは?と調べて見つけた店は
横浜駅西口の大勝軒に行く度に行列を見て美味しいのかな?と気になっていた「たまがった」。
食べよう!と行った日も並んでいて、結構待ってようやく食べられた。
好みの問題だろうけど、スープも薄いし旨味も無いし、店員は全員インドカレー屋にいそうな
外国人達で接客も適当、通路も激狭で僕の大嫌いなノースフェイスやアークテリクスのリュックを背負った大学生が
通るたびにぶつかるという非常に心地悪い環境、何より並んでまで食べたくはないので二度と行かないでしょう。
なぜあんなに人気があるのか不思議...


③日吉「柴田商店」
一番先にあげた「がッとん」の近くにある日吉「柴田商店」。
ここも通常の九州系豚骨とは違って、僕は醤油ではなく味噌を頼んでみた。
九州系のスープと味噌の相性自体は、なぜもっと人気にならないのか疑問であるほど抜群に良くて
死ぬほど美味しくない博多天神でも美味しい味噌味、それを簡単に超えてくるだろうと思ったのだ。
濃厚な豚骨スープに味噌味、トッピングは刻みキクラゲと玉ねぎというのが一風変わっていた。
予想通り、スープがとても美味しかった。僕が今まで食べた味噌豚骨の中で一番かもしれない。
ライスか替え玉が無料だったのでライスまでぺろり。
惜しむらくは、辛子高菜が常温保管でほんの少しだけど臭ったことと、麺が僕の好きな低加水の
ザクザク麺ではなかったこと、そして僕がめちゃくちゃ美味しいと感じるスープの店は、
必ずお腹を激しく下してしまうことだ...


④武蔵小杉「博多豚骨たかくら」
最後に武蔵小杉駅中にある「博多豚骨たかくら」。
可もなく不可もなく、豚骨ラーメン界の花月という感じ。辛子高菜まで花月の傑作壷ニラを意識したのか
独特の甘辛い味付けだったのがとても残念。焼肉のタレじゃないんだから、そんな甘味は求めてないのよ...
食後に、評判が良い割りに僕はがっかりしたことしかないTETSU系列だと知って、やっぱりふらっと
適当な店に入るのは危険だな、と再認識した。



というわけで、今年の抱負は色々あるけど主に二つ。

九州系豚骨ラーメン屋の開拓。

バンド再開。


そんなわけで、今年も宜しくお願い致します。

前にいたバンドを辞めることを決めて約1年、転職して約半年、正式に就職して2ヶ月経った。

僕のブログを読みにくるような人であれば知っていると思うけど、
好きなことやってチヤホヤされて、毎日飲んだくれて遊んで、友達がたくさんいて、
なんていうことを考慮したとしても、バンドマンの生活は、特に眠れない日の夜中には
死を考えてしまう程度には大変です...


そんな生活を離れて、思うことは、マズローの欲求段階説

何の授業で知ったのかは忘れたけど、見たことがある人は多いでしょう。



ホワイト企業に就職して働くと、一番下の生理的欲求(生命 維持のための食事 睡眠 排泄 等の本能 的・根源 的な欲求)
はいとも簡単に満たされます。

一段上の安全欲求(安全性・経済安定性・良い健康状態の維持・良い暮らし水準事故防止、保障の強固さなど、予測可能で秩序だった状態を得ようとする欲求)も、
慎重に人生を考え、多少の我慢をすることでこれを満たすことはわりと簡単です。

その上、社会的欲求(自分社会に必要とされている、果たせる社会的役割があるという感覚
情緒的な人間関係他者に受け入れられている、どこかに所属しているという感覚
かつて飢餓状態に置かれていた時には欲することのなかったを求め、今や孤独・追放・拒否・無縁状態であることの痛恨をひどく感じるようになる。
不適応や重度の病理、孤独感や社会的不安、状態になる原因の最たるものである)
から難易度が跳ね上がりますが、誠実に仕事なり対人関係なりに対処すれば、大多数の人が満たすことが出来るでしょう。


この三つの欲求は死にたくなることが無くなる程度には満たされたけど、やはり何か物足りない感は拭えない。


そして、上の二つの欲求が僕だけではなく、人類を苦しめている欲求。

尊厳欲求(自分が集団から価値ある存在と認められ、尊重されることを求める欲求)と
最上位に位置する自己実現欲求(以上4つの欲求がすべて満たされたとしても、人は自分に適していることをしていない限り、すぐに新しい不満が生じて落ち着かなくなってくる)。


確か、何かのテストでこの欲求段階説について思うところを述べよ、的な問題があって
僕は、尊厳欲求と自己実現欲求を逆にしたい、と書いて教授に褒められた記憶がある。

自己実現も出来ていない人が尊厳を求めるからおかしくなってしまう。
この尊厳欲求は承認欲求とも言われていて、誰もが自分のことを世界中に発信出来てしまう時代に
この尊厳(承認)欲求は恐ろしいほど肥大化してきていて、僕は目をつむりたくなる。

先ずは自己実現が先でしょう、と。

自分で自分のやっていることに納得出来ていないのに、尊厳や承認を求めてどうするの、と。

尊厳なんて求めないのが理想だし、求めるならば自己実現を満たした後の結果としてで良い。

今週こそ、新しくやってみたいバンドのスタジオに入れそう。

先ずは評価を求めることなく、心から好きな音楽をやりたい。

そして、長く続けたい。


今週は会いたかった三人にあった。

二人は柴田くんとしの君。
両国に駄菓子屋を併設したもんじゃ焼屋があったので行ってみたら
もんじゃとは思えないほど美味しくて、
僕は電車で横浜に帰ったつもりなのに
なぜか池袋で目覚めて激しく後悔したけど、とても良いお店だったし、
楽しい時間を過ごせたから良しとする。友達ってやっぱりいい。


あと1人はひらくドアからドラムが抜けてアルフィー編成になってしまった時、
ドラムを手伝っていてくれた冬木君と飲みに行った。多分会うこと自体が3〜4年ぶり。

彼とは2人で飲むのは初めてなような気がするけど、ファッションや音楽の話が合うし、
昨今イラッとくるというか嫌いなものがとても近いと思っていたけど
予想通りだったし、とても良い時間を過ごした。
飲んだ帰り、僕が日本一だと思っている家系ラーメンを食べたら
胃がはち切れそうになりながら帰宅して寝込んだ。



彼らだけではなく、僕が一生付き合っていきたいと思える友人には共通点がある。


マナーがきちんとしている。
他人を思いやることが出来る。
想像力がある。
努力家である。
嫌いなものは嫌いと言える。
好きな音楽や食べ物が似ている。
SNSに依存していない。
話しているときは携帯を触らない。
虎の威を借る狐的なことはしない。

あとひとつ。
これは僕の想像だけど、彼らは自分が変わった人間であることを言い訳にしたり、
選民意識を持ったりはしない、というか、普通になりたいと考えていたり、
変わっていることをコンプレックスだと
捉えている気がする。僕の想像。


こんなことはわざわざ書くようなことでもなく、当然のことのように思える。
でも、今の時代これらを満たしている人は本当に少ない気がするな。

僕にとってはとても悲しいことだ。


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