2012年12月
2012年12月31日
行く年 平成24年 を振り返って
本日の内容
1. 離婚の余波
2. 青春のメサイア
3. 恋の予感から・・・
4. カレーと麻婆豆腐
5. 2つのガン手術
【本日の写真】
元旦の 熱田神宮
旧庁舎 資料館
夜の 川の脇のトイレ
川の脇トイレ 雪
八幡の町並み
雪の郡上八幡城
【みなさん、お疲れさま】
今年も今日限り、一年をふりかえってブログおさめとします。
↓ 熱田神宮 元旦。
1. 離婚の余波
元旦に、「有無を言わせず」の離婚裁判を突っ走って思うように別れたはずの元妻から、どういうわけか年賀状が来た。「お元気ですか」の一言を添えて。孫の写真がまぶしかった。
それまで、すべてを否定された気になっていたのに、人生に光明が差した。
そのまま、寄りを戻せるかもしれない。なんて、真剣に思ったものだ。「生きててもしょうがない」と思い続けたこの2年。それが変化した年だった。
↓ 旧庁舎 資料館。
2. 青春のメサイア
昨年の暮れに、東海市の兄から「メサイア」の演奏会の切符をもらいました。
メサイアは、ヘンデルのオラトリア(元々は、劇つきの演奏)で、キリストの生涯をオーケストラと合唱で演奏する「弟九」のようなものです。実はてらさんの高校時代は、メサイアに明け、メサイアに暮れた青春の象徴そのものです。その合唱を兄がバスの一人として歌うのです。ちなみにてらさんは、テナーです。
演奏を聴いて、すぐさま心が躍りました。青春が、そこに鮮やかに蘇って来るのです。演奏の中休みの時間に、もういてもたってもいられず、合唱の一員に応募してきました。
そして、その練習が4月から毎週日曜日にあり、今年の前半は久しぶりに青春を毎週味合うことになったのです。高校時代の練習は、てらさん達の男声が男子校の名古屋学院、女声の方は女子校の金城学院で、、男しかいない学校をメサイアの練習日には金城高校まで行って練習したものです。
てらさんは、その高校時代のメサイアに3度出ました。受験生の3年生が゛出場することは、当時としては大変珍しいことでした。1年2年の時は名古屋市公会堂で演奏し、3年の時には愛知県文化講堂、今の文化芸術センターで演奏、しかもNHK教育テレビに出演もしました。
そしててらさんらしく、やはりあわい恋をも味わいました。練習でよく会う、金城高校の女の子でした。ピョンピョン、ピョンピョン飛び跳ねる明るい女の子で、親友と2人で「ボールみたいな子だから」と、ballの後のLLを取って最初はエルエル、途中からは「エル」と、あだ名で呼んでいました。
その恋を、毎週日曜日に親友と2人で行っていた教会で、彼に打明けたのです。親友は「そんなに好きなら、お前は彼女のいる教会にかわったら」と、自分を捨てて恋に生きろ、と言うのです。迷いました。好きな女の子を取るか、親友を取るか。恋と友情の狭間で揺れるてらさんでした。
そして、礼拝の時に「聖書は、アトランダムに開いたところに、あなたの願いの答えが必ず書いてあります」という迷信を信じて、目をつむって聖書を開いてみました。
そこには、こう書かれていました。
愛は寛容であり、愛は情け深い。・・・
ずっと後になって、おそらく大学の時だったと思いますが、この箇所が「愛の賛歌」と呼ばれている有名な段落の、最初の文章だったということを知りました。今、ネットで調べましたら、新約聖書の「コリント人への第1の手紙 第13章4節」でした。後の方に、その第13章をコピーしておきます。
涙が止まりませんでした。礼拝の間中、泣き続けていました。周りの人を気にして、非常に恥ずかしかった覚えがあります。忘れかけた青春の1ページです。
親友はその後、教会を出てからてらさんと一緒に公衆電話に向かい、てらさんの代りに金城高校の彼女に電話をしてくれました。そこで恋は事実上半分終わったのですが、その親友は「俺はいいから、彼女のいる教会に行け」と言います。てらさんは逆に、聖書の答えを信じ「愛は寛容である」という言葉通り、寛容な親友の方を選びました。
当時は半年位通ったでしょうか、その思い出の教会が、驚くなかれ今年のメサイヤの練習場になっているではありませんか。初めての練習日には、青春時代の自分を思い出したように、ドキドキしてその教会に向かったものでした。そして、今年は結局入院したため、12月2日のメサイア演奏会当日の出演はかないませんでした。
しかし、青春と交錯したこの1年は、ふしぎな運命の年でした。
【新約聖書、コリント人への第1の手紙 第13章】-----------------------------------------------------
たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。
たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。
たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。
愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。
不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。
全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。
わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。
わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。
このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。
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今ふたたび、これを読んでみて涙が止まりません。
愛は偉大です。
↓ 吉田川脇の共同トイレ 雪の夜。
3. 恋の予感から・・・
昔の恋はさておいて、てらさんはまだ生きております。生きている限り、恋をし続けます。
初めて公にするのですが、てらさんの今の職場に、その女性がいます。看護師で、バツいち、子どもは小学生が2人。夜勤の時に彼女が出勤して来たりすると、ドキドキするのです。
何度も、声を掛けようとしましたが、ありきたりの言葉しか出てきません。
逆に、夜勤が一緒だった時に向こうから声を掛けられ、「あら、今日も一緒?」とこちらを気にしている様子に思えました。チャンスです。ついに意を決して、先に帰る彼女に言いました。
「好きになってもいいですか?」
「えっ!」彼女は驚いた様子で、
「わたし、子どもが2人もいますよ」と。
「僕は一人だから」
そこまで言うのがせいぜいでした。その後彼女と会うたびに、どうもギクシャクして会話がかみ合いません。意識しちゃったのかな。
そうこうしているうちに、今回の入院。もうダメだからここで攻めてみようと、お見舞いに来た職場の先輩に、彼女に声を掛けてもらうように頼みました。
ケータイの電話番号を彼女に知らせて、「入院中は暇だからCメールして」と言ってもらうようにしたのです。先輩はその彼女とは話が合うのです。「OK!」と先輩は言いました。
その結果、今に至るまでなしのつぷて。明日、外泊時に先輩に会いますが、もう諦めた方が良さそうですね。
どんな年になっても、恋の予感から醒めないてらさんでした。
↓ 吉田川 脇の共同トイレ 雪景色。
4. カレーと麻婆豆腐
何じゃこりゃ?
そう、独り身のてらさんの作る得意料理です。
と言っても、他にはほとんど作れないのです。カレーライスは、材料も作り方も一緒でも、カレールウを変えるとまた違った味になります。そして、一回作ると何食も食べられるので便利なのです。
一方の麻婆豆腐は、裏技の賜物です。実は、豆腐と「焼肉のたれ」があれば、チョイチョイと作れてしまうのです。焼肉のたれは、麻婆豆腐の味付けに似ている材料が既に入れ込んであるので、豆腐の他の物は何も入れなくてもできてしまう、という裏技が楽しめるのです。
で、てらさんはカレーと麻婆豆腐で一週間食べられてしまう、というわけなのです。
↓ お城から下って八幡の町並みを見る。
5. 2つのガン手術
最後に今年のメインエベントを、ブログより振り返ってみましょう・・・
12月05日--------------------------------------------------------
2つのガンの発見に至るまで
昨年の11月、健康診断の検便に潜血反応が出て大腸ガンのおそれがあると言われたものの、精密検査は受けずにいました。ずっと前に同じことがあった時には「お前のはヂだ。ガンには20年早い」と言われ「今度もまたまたヂだろう」と安易に考えていました。さらに「こんな状態で生きてたって仕方ない。ガンで早く死んだっていいや」と。
ところが今年の9月末頃になって、次の検診で文句を言われないように近くの胃腸科医院で大腸の内視鏡検査を受けたところ、肛門近くに出来ていたポリープに【ガン】が見つかったと言う訳です。
胃腸科医院からの紹介で、10月にポリープの写真を持って名古屋の第二日赤病院(通称、八事日赤)に行くと、ものすごい検査の連続。採尿・採血・心肺測定・心電図・レントゲン・胃の内視鏡・CT・MRI・腸の造影剤透影等々、他にも忘れてしまった検査もあったでしょう。
その極めつけはPET-CT。この検査は名古屋画像診断クリニックという別の病院で行いました。全身余すところなく映された何百枚という画像が一枚のCDに収められていて、今でも見ることができます。
PET-CTの結果を見た日赤の先生が「前立腺にもガンがありそう」ということになり、さらなる検査(3日間の検査入院)の結果2つの手術を同時に行うことになりました。
↓ 雪の郡上八幡城の雄姿。
12月09日------------------------------------------------------
病室の窓から
ガン告知
このブログの最初の日に書いたように、「もう死んだっていいや」と考え続けていたてらさんに、それでも「悪性です」の一言はこたえました。9月末のことでした。
近所の胃腸科医院の先生は、やさしく控えめに言ってくれたのですがその日は酒がすすみました。「なんでオレが」の思いが頭を離れません。熟年離婚からまだ1年半、この思いを誰にも相談する人がないことを、いいんだか悪いんだか反芻しながらチビリチビリやっていました。
ただ、だいぶ前に60で死んだ一番上の兄は、ガンであることを聞かされずに亡くなったそうです。しかもてらさんと同じ直腸ガン、血は争えないものですね。実は、てらさんがその事を知るのももう少し後のことなのですが。そして、この落ち込みもこのあたりがピークでした。「ダメなら死ぬだけだ!」一人である強みで「誰も悲しむ人はいない」と開き直りました。開き直ると強いですね、人間というのは。
10月の初めに日赤病院へ行くと、人工肛門を覚悟していたてらさんに消化器外科の先生から・・・
「うまくいくと、肛門括約筋を残すことが出来るかもしれない」
という、地獄で仏の一言があった。ガンが進行していたらそれどころではないので、直腸の全摘出をしないといけない、と。初日にも書いたその後の山のような検査の連続も、一つはこの判断を出来る限り正しくさせるための材料だったのです。もう一つは他にガンが゛ありはしないか、転移してはいないか、の徹底的な確認でした。
これも初日に書いたPET-CTという凄腕の検査機器が、前立腺ガンを発見してくれました。泌尿器科の先生いわく・・・
「ラッキーかもしれない」
結果的に、12時間近くの大手術は肛門を残して直腸のガンを完全に取り切ることの難しさと、前立腺という直腸に近いところを切る、という2つの大手術を連続して行ったからなのでした。執刀していただいた2人の先生は、入院中も毎日顔を出してくれているし、看護師の間でも評判がいいのです。
まさに、名医に執刀してもらったラッキーなてらさんなのです。
これも奇跡と呼ぶべきでしょう!!!
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12月27日
実録 闘病生活
クリスマスも終わり、あとは新しい年の正月を迎えるだけになりました。 今年もいろいろありましたが、ガン2つがやはり大きかったですね。そうそう、告白せねばなりませんが、てらさんの直腸ガンは「リンパ節に転移(顕微鏡検査で1/5)」が見つかりました。抗がん剤治療に入りますが、他の臓器に転移が散らばるとやばいそうです。名医の主治医さんからストレートに言われたものですから、これはいたし方ありません。 あとどれくらいの命をいただけるのか、天にお任せします。 合掌
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ということで、今年のメインエベントはやはりガン。ガンに始まりガンに終わる。 奇跡の男、来年も生きる。みなさま、良いお年を!!!!!!!!!!!!!!! 合掌 平成24年12月31日 by てらさん
2012年12月30日
奇跡を起こす 般若心経
入院闘病編 19
本日の内容
1. PC こんな小さな知恵袋
2. 般若心経 全文 及び 一般的和訳
3. 般若心経について
4. 空は潜在意識
5. 奇跡を起こす 最上の真言
【本日の写真】 * お寺 特集 *
安養寺の鐘
慈恩寺の鐘楼
慈恩寺の山門
慈恩寺の参道
【アクセス増えたよ】
昨日は122アクセス、1日100アクセスを超えたのは、22日に続いて2回目でした。
こんなに多彩な内容のブログがあったでしょうか? 最初の日12/5が4アクセス、次の日は16アクセスでしたから隔日の感があります。8日から驚くことなかれ毎日更新を続けております。
てらさんの病室に顔を出される看護師さん、明けても暮れてもベッドの上で、パソコンとにらめっこしている訳が解りましたか? それにしてもよく毎日更新が続けられますね。われながら感心します。
1. PC こんな小さな知恵袋
さあ、今日は大作ですよ。ここに生きる真髄があるかもしれませんよ。
今このブログを書いている、わずか30センチにも満たないこのノートパソコンが、世界中の知恵及び雑多な悪知恵を包含して満タンに詰まっている。その証拠に、ここに入力するほとんどを、先ほどインターネットのサイトからコピーしておいた。
こんな小さな知恵袋は・・・・・
1. 開く
2. ネットへつなげる
3. 検索サイトで必要なものを調べる
・・・・・これだけで、「知恵の完成」となります。
知慧の完成=般若波羅蜜多 です。
今から簡単にその知恵を完成させる旅に出ましょう。
↓ 安養寺の鐘。南からお城に登る中腹にあります。
2. 般若心経 全文 及び 一般的和訳
ここは、読み流して下さい。 ジンマシンの出そうな方は、飛ばして下さい。
・・・・・ここから「いい葬儀」e-sogi.com より転載させて頂きます・・・・・
ぶっせつまか はんにゃ は ら み た しんぎょう
仏説摩訶般若波羅蜜多心経
かん じ ざい ぼ さつ ぎょう じん はん にゃ は ら みっ た じ しょう けん ご うん かい くう
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空
ど いっ さい く やく しゃ り し しき ふ い くう くう ふ い しき しき そく ぜ くう
度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空
くう そく ぜ しき じゅ そう ぎょう しき やく ぶ にょ ぜ しゃ り し ぜ しょ ほう くう そう
空即是色 受想行識 亦復如是 舎利子 是諸法空相
ふ しょう ふ めつ ふ く ふ じょう ふ ぞう ふ げん ぜ こ くう ちゅう
不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中
む しき む じゅ そう ぎょう しき む げん に び ぜっ しん い む しき しょう こう み そく ほう
無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
む げん かい ない し む い しき かい む む みょう やく む む みょう じん
無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽
ない し む ろう し やく む ろう し じん む く しゅう めつ どう む ち やく む とく
乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得
い む しょ とく こ ぼ だい さつ た え はん にゃ は ら みっ た こ
以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故
しん む けい げ む けい げ こ む う く ふ おん り いっ さい てん どう む そう
心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想
くう ぎょう ね はん さん ぜ しょ ぶつ え はん にゃ は ら みっ た こ
究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故
とく あの く た ら さん みゃく さん ぼ だい こ ち はん にゃ は ら みっ た
得阿耨多羅 三藐三菩提 故知般若波羅蜜多
ぜ だい じん しゅ ぜ だい みょう しゅ ぜ む じょう しゅ ぜ む とう どう しゅ
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
のう じょ いっ さい く しん じつ ふ こ こ せつ はん にゃ は ら みっ た しゅ
能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪
そく せつ しゅ わっ ぎゃ てい ぎゃ てい は ら ぎゃ てい は ら そう ぎゃ てい
即説呪日 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦
ぼ じ そ わ か はん にゃ しん ぎょう
菩提薩婆訶 般若心経
私はこのように聞いています。お釈迦様が大勢の出家した弟子達や菩薩様達と共に王舎城の霊鷲山にいらっしゃった時、お釈迦様は深い悟りの瞑想に入られました。その時、観音さま(観自在菩薩)は深淵な“智慧の完成(般若波羅蜜多)”の修行をされて次のように見極められました。人は私や私の魂というものが存在すると思っているけれど、実際に存在するのは体、感覚、イメージ、感情、思考という一連の知覚・反応を構成する5つの集合体(五蘊)であり、そのどれもが私ではないし、私に属するものでもないし、またそれらの他に私があるわけでもないのだから、結局どこにも私などというものは存在しないのだ。しかもそれら5つの要素も幻のように実体がないのだと。そして、この智慧によって、すべての苦しみや災いから抜け出すことができました。お釈迦さまの弟子で長老のシャーリプトラ(舎利子)は、観音様に次のように尋ねました。「深淵な“智慧の完成”の修行をしようと思えば、どのように学べばよいのでしょうか?」 それに答えて、観音様はシャーリプトラに次のように説かれました。
「シャーリプトラよ、体は幻のように実体のないものであり、実体がないものが体としてあるように見えているのです。体 は幻のように実体のないものに他ならないのですが、かといって真実の姿は我々が見ている体を離れて存在するわけではありません。体は実体がないというあり方で存在しているのであり、真実なるものが幻のような体として存在しているのです。これは体だけでなく感覚やイメージ、感情や思考も同じです。(つまり、私が存在するとこだわっているものの正体であるとお釈迦様が説かれた「五蘊」は、小乗仏教が言うような実体ではありません。)
シャーリプトラよ、このようにすべては実体ではなく、生まれることも、なくなることもありません。汚れているとか、清らかであるということもありません。迷いが減ったり、福徳が増えたりすることもありません。
このような実体はないのだという高い認識の境地からすれば、体も感覚もイメージも連想も思考もありません。目・耳・鼻・舌・皮膚といった感覚や心もなく、色や形・音・匂い・味・触感といった感覚の対象も様々な心の思いもありません。目に映る世界から、心の世界まですべてありません。(つまり、お釈迦様が説かれた「十二処」は小乗仏教が言うような実体ではありません。)迷いの最初の原因である認識の間違いもなければ、それがなくなることもありません。同様に迷いの最後の結果である老いも死もないし、老いや死がなくなることもありません。(つまり、お釈迦様が説かれた「十二縁起」のそれぞれは小乗仏教が言うような実体ではなく生まれたりなくなったりしません。)苦しみも、苦しみの原因も、苦しみがなくなることも、苦しみをなくす修行法もありません。(つまり、お釈迦様が説かれた「四諦」のそれぞれは小乗仏教が言うような実体ではありません。)知ることも、修行の成果を得ることもありません。また、得ないこともありません。
このような境地ですから、菩薩様達は“智慧の完成”によって、心に妨げがありません。心に妨げがないので恐れもありません。誤った妄想を一切お持ちでないので、完全に開放された境地にいらっしゃいます。
過去・現在・未来のすべての仏様も、この“智慧の完成”によって、この上なく完全に目覚められたのです。
ですから知らないといけません。“智慧の完成”は大いなる真言、大いなる悟りの、最高の、他に比べるものもない真言であり、すべての苦しみを取り除き(取り除く真言であり)、偽りがないので確実に効果があります。さあ、“智慧の完成”の真言はこうです。
「ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー」
(智慧よ、智慧よ、完全なる智慧よ、完成された完全なる智慧よ、悟りよ、幸あれ。)
シャーリプトラよ、深淵な、“智慧の完成”の修行をするには、以上のように学ぶべきなのです。」
この時、お釈迦様は瞑想を終えられて、「その通りです」と、喜んで観音様をお褒めになられました。そして、シャーリプトラや観音様やその場にいた一同をはじめ、世界のすべての者達はお釈迦様の言葉に喜びました。
以上で“智慧の完成”の神髄の教えを終わります。
・・・・・ここまで「いい葬儀」e-sogi.com より転載させて頂きました・・・・・
↓ 慈恩寺の鐘楼。紅葉とのコントラストがいいですね。
3. 般若心経について
てらさんはある有料メールマガジンで、半年ほどに渡って30回くらいの配信の「般若心経と潜在意識の法則」に関しての主張を続けてきました。ですから今日1日だけでみなさんにわかるように書くことはできません。
そのさわりだけを、ここでは記します。
上記 2. にコピーしました「日本語訳」わかりますか? てらさんには全く理解ができません。内容が貧弱すぎます。それを隠す為に、わざわざおかしな文章にしたり、余分な説明で余計にわかりにくくなってます。
まあ、世界で一番難解なお経ですからいたし方ありませんが、日本のどの仏教の宗派も正しい理解をしているとはとても思えません。後ほど、てらさん的解釈を展開しますので驚かないで下さい。
【般若心経】は、何語で書かれているのか
我々の読経したり、写経したりしている般若心経は、元々はサンスクリット語で書かれていたと推測されます。それを三蔵法師と孫悟空の物語で有名な「玄奘三蔵」が、インドより持ち帰って中国語に訳したと言い伝えられていますが、正確にはわかっていません。鳩摩羅什の訳が流布されたものとの推測もあります。
問題はこのお経が、日本人に理解できるのかどうかです。鳩摩羅什や玄奘が、現地のサンスクリット語をどうやって中国語に訳したか、です。おそらく苦しんで苦しんで、苦肉の策で「訳せないものはサンスクリット語の音をそのまま漢字に直した」のでしょう。それを、ずっと後に中国に渡った遣唐使たちが、漢字のまま日本語のお経に取り入れました。だから、厳密に言うと、般若心経は3つの言葉で表現してしまっているのです。
1. 原語 サンスクリット語の音を漢字表記したもの
2. 中国語
3. 漢字(中国語)の日本語読み
この3つの言葉が入り混じっているのが「般若心経」というお経なのです。例えば、第一行目の・・・
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空
・・・この3つの文章が、すでに3つの言葉でつづられています。
観自在菩薩=観音さまとして日本語化しており、「ぼさつ」も一般的な言葉になっている
般若波羅蜜多=「パンニャーパーラミター(知慧の完成)」という原語の音を、漢字で書いたもの
照見五蘊皆空=「五蘊はみな空であると、見極めた」という意味の中国語
しかも、これらをすべて棒読みにして「お経」として読経しているのです。
わからなくなる筈ですよね。
↓ 慈恩寺の山門。中には池庭園や水禽窟があります。
4. 「空」とは潜在意識
さて、一番難解な部分をてらさん的視点から一刀両断に読み解いて見ましょう。
色=意識
空=潜在意識
・・・色と空は、心の領域として同じでありながら、違った性質を持っています。そのことを般若心経の作者は、ズバリ「同じ」であって「違う」ものだと喝破するのです。
色即是空=意識と言うのは、即ち同じ心の領域である潜在意識に通じているのだ
=意識から潜在意識にインプットされたものは、現実となる
空即是色=潜在意識は、即ち同じ心の領域である意識に直接通じているのだ
=潜在意識は意識からの指令を直接受け取る
つまりは、般若心経は潜在意識の法則を言い表したお経なのです。ですから、そのあとには「空相」と「空中」という潜在意識の実相とその中身を、これもズバリ表現しています。
空相=潜在意識の実相は・・・不生不滅 不垢不浄 不増不減
空中=潜在意識の中身、性質は・・・無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得
ここでは、これ以上深くは解説しませんが、実に般若心経は19世紀にフロイトが「潜在意識」を発見する1500年以上も前にそれを表現していたのです。
素晴らしい文献です。
【注】潜在意識の法則については、以下を参照して下さい。
解説:潜在意識の法則
・[1]法則の概説 12/17
・[2]科学的解説 12/18
・[3]そのテクニック 12/19
↓ 慈恩寺の参道、秋の紅葉が映えます。実は、中国の本家「慈恩寺」は、玄奘がインドから帰ってきた時に「般若心経」を中国語に訳したお寺なのです。ネットで今日、偶然知りました。
5. 奇跡を起こす 最上の真言
さあ、ポイントはここです。
般若心経は、最後に「これが最上の真言だ」と言って、次の言葉を紹介しています。
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
これは、原語の音だけを漢字にしたものです。カタカナ表記にすると、サンスクリット語ではこうなります。
ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー
真言は、一般的にはその言葉を言うだけでは奇跡は起こらない、とされていますが冗談ではありません。潜在意識の法則では、ぶつぶつつぶやくだけで奇跡が起きます。つまりこの言葉を何度も唱えると、すべてがうまく行く、魔法の言葉なのです。
あなたも、これで奇跡が起こせます。
ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー
あなたが幸せであり続けますように。
合掌
今年もあと明日の大晦日を残すのみとなりました。 てらさんの退院は正月6日、日曜日と決まりました。そして、その前に明日には一度外泊します。久しぶりの独り身です。 来年は面白い年になりそうですね。奇跡の年ですね。 幸せはあなたの手で。 合掌 PS. 良いお年を! byてらさん
2012年12月29日
自立したくない日本人
本日の内容
自立したくない日本人
1.動物の自立
2.日本人の未自立
3.自立の公式
4.境界例
5.日本人とアメリカ人の差
6.未自立の弊害
【本日の写真】 * 郡上八幡城下町プラザ *
隣接はバスターミナル
遠景
坂道から
格子戸越し
まずは、先日の主張を再現します。
・・・・・・ 12/12 ベッドの上で不在者投票 からのコピー(一部修正) ・・・・・
・・・自立の公式・・・
人に頼らないで生きるために
↓ バスターミナルに隣接する 郡上八幡 城下町プラザ。
【動物の自立】
動物はみな、親に育てられる一定期間があって、鳥ならば巣立ち、虎ならば千条の谷から突き落とす、といった一人立ちの時期が訪れます。これが人間で言う「自立」です。動物界では自立するともう誰も助けてはくれません。自立できないことは、即ち死を意味するのです。
一方、人間界では家族ぐるみ社会ぐるみで、自立できない人を助ける仕組みが出来上がっています。セーフティネットは、自然界のルールから言うと逆らっているわけです。
人間自体、動物と比べても、子育ての期間が異常なほど長いのです。馬などは生まれてすぐに走り出すのに、人間は1年もかかります。子育てがそれだけ難しいので、何人も何人も育てないと、上手な親にはなりません。ところが近年、少子化で子育ての下手な親ばかりになりました。その下手な親を見て育つ子供は、さらに下手になって行きます。
その結果、子供(赤ちゃん)を、所有物とかペットのように思ってしまう親が増えました。近頃、虐待死させる事件が多いのは、子供を人間として見られなくなったことに原因があります。
【日本人の未自立】
さらに、日本の社会は大陸の文明と対照的に「甘えの構造」の中にどっぷりと浸かっている、と言うことができます。「甘え」という言葉自体が、英語にはありません。西洋社会は甘えの構造を持つことが無かったのです。
ところが、大陸では当たり前な戦争も、日本は島国で歴史的に外から攻められて国が戦場になったことがありません。世界中でも珍しい、甘えだけで育った国なのです。この2000年のうち、たった2回だけ領土のほんの一部が攻められたことはありました。元寇と太平洋戦争です。これだけ平和な国ですから、その中では独特の社会が出来上がってきたのです。それが「甘えの構造」です。
つまり、動物時代から「自立」が生き残るための大前提であったものが、日本の近年は自立しなくて良い社会になり、自立できない人が増えてしまったわけなのです。ところが世界はインターネットの国際化時代。自立できない日本人は孤立化してしまいます。中国や韓国、ロシアにまで領土を狙われてしまっています。
自立、ということを自覚したことはないでしょうが、社会で暮らしていく上で「おかしいな」ということがあるかも知れません。そんな時には「自立」ということを思い出して下さい。てらさんへの相談では「自立」を意識するだけで物事が解決することがあるのです。
↓ 城下町プラザの 雪の遠景。
【自立の公式】
認める→許す→自立する
自立できてない人は、自分も他人も許せません。他人に対する不満だけではなくて、自分自身をも許してないのです。だから、あなたが「自立」しているかどうかを確かめたかったらこう問うて見るといいのです。
「私には、許せない人がいますか?」
さて、許しているのに何かしっくりこないこともあります。ひょっとしてその人を認めていないのではありませんか? 認めることで完全に許し、ようやく自立することもあるのです。
「自立」してないのかな、と感じたらこの公式を当てはめてみて下さい。解決策が見つかるかも知れません。あなたの人生に深みが出るかも知れません。潜在意識の法則を包み込んでいるものは愛です。愛は認めます。愛は許します。そして自立します。
愛は寛容であり、愛は情け深い。
合掌
↓ 坂道から見た 城下町プラザ。
【境界例】(境界性人格障害)
詳しくは、他のサイトの説明を見ていただきたいのですが、自立を阻害する「母親と赤ん坊」の関係から、境界例と呼ばれる人格障害の人が増えている、と言われています。てらさん的解釈からすると、「日本人の未自立」問題の1つである、と見ることが出来ます。
以下の例ではっきりするように、境界例自体が日本独特の人格障害なのかも知れません。
【日本人とアメリカ人の差】
日本人とアメリカ人の違いを象徴する、母親が子供を守る行動には、以下のようにこんな極端な差がでます。
子ども連れの母親の前に、突然熊が現れました。そのとき取る母親の行動・・・
[日本人の母親] 熊に背を向けて、子どもを抱きかかえる。
[アメリカ人の母親] 熊に向かって両手を横に開き、子どもを熊から守る。
甘えにどっぷりつかった日本人親子はほぼ間違いなく親子ともども、熊に食い殺されてしまいます。その反面、自立を強制させられているアメリカ人親子は、熊に負けて食い殺されるか、熊と戦って追い散らかすか、さらには熊がその子どもを守ろうとする迫力に逃げ去っていくか、いずれにせよ日本人親子よりは助かる確率が高いといえるでしょう。
成人女性が、お風呂で裸でいる時に、突然男性が入ってきた時のとっさの行動・・・
[日本人女性] 両手で、あそこ(へその下付近)を隠そうとする。
[アメリカ人女性] 両手を前で組み、乳房を隠す。
これは単なる話の付け足しですが、以前は電車の中でも赤ちゃんにお乳をやっていた母親が多かったものです。赤ん坊を人間として育てる気概がまだまだあった時代でした。今は、物とかペットのように思う人が増え、このような風景が消え去ったのかも知れません。
↓ 格子戸越しで見る城下町プラザ。
【未自立の弊害】
自立できない、あるいは自立しない人には、酒・タバコ・麻薬・ギャンブル・セックスなどに極端に埋没する【依存症】や【現実逃避】に陥りやすいようです。
原因はさまざまでも成人してからの【未自立】は、思考と感情の不一致を伴います。考えることと感じることがアンバランスであると、きちっとした心構えが作りづらくなります。その心構えがしっかりしてないと、潜在意識にインプットしにくい、つまりは人生が思うようにならない、ということになります。
あなたも、自立しているのかどうか、一度以下の分野別に分けて考えてみて下さい。
社会的自立
経済的(金銭的)自立
人間関係的自立
精神的自立
性的自立
1つ1つを達成してゆく度に、未自立の弊害から開放されて行くことでしょう。
あなたの人生が、思い通り行きますように。
合掌
byてらさん
今年も残り少なくなりました。 ガンに衝撃を受けた後半、手術してから昔のはつらつとしたてらさんが復活しました。 ガンに感謝、人生に感謝。 今年一年に感謝して、あと3日充実の日々をすごしましょう。 合掌
2012年12月28日
セッション後の自然性愛
第4話です。セッションの終わった後に「自然性愛」へと行為が継続されて・・・。
【本日の写真】
慈恩寺 秋の鐘楼
夜の宗祇水
城山中腹の雪景色
熱田神宮の巨木
↓ 慈恩寺 秋の鐘楼。ここはあらやいだ心もいつでもすぐにおさまります。
個人セッションが多くなるに連れて、男性とはサウナで女性とはホテルの部屋で泊まることが多くなりました。
特に、インターネットの宿泊サイトで、結構お値打ちな割引コースが見つけられるようになりました。5月のゴールデンウィーク明けの温泉場は、大変お値打ちで伊豆のペンションを予約しました。夕食はフランス料理のフルコース、温泉は全館使い放題、スクリーン付きの大画面映画も見放題、それでも通常料金の半額という夢のような宿泊が出来ました。
GW直後でお客は我々だけ、ということでいつもなら有料のものも無料でした。さて、この時のセッションのお相手は、女性2人に同時に予定していたのですが、前日になって1人がキャンセルとなり、たまたま宿泊の日に25才の誕生日を迎えた女性とのセッションとなりました。
熱海で落ち合ったのですが、何かウキウキする旅行に出かけるような運命的なものを感じました。
「2人でのお泊りだけど、大丈夫?」
「うん」
可愛い彼女がまぶしく感じました。
夕食のレストランに入ると、暗い中に窓際のイルミネーションが輝き、シェフが持って来てくれた食事を見ると、パチパチと音を立てて小さな花火が刺さっています。幻想的な雰囲気で、お酒よりも前に雰囲気に酔ってしまいました。
↓ 夜の宗祇水。
セッションは、子供の時の忘れ去られた何かを発見しようと、催眠からインナーチャイルドの手法に入りました。完全ではないものの、求めていた原因から起きる境界例(境界性人格障害)ではないかと、結論付けました。
境界例は複雑でなかなか一筋縄では行かないものの、てらさんの言う「未自立」のことと同じ根っこがあります。多少難しいところもありますが、自立することで完全に克服できます。
さて、セッションの締めくくりはハグ法です。未自立の人が、完全なる甘えを経験できると自立に向えます。できれば裸で、満足するまでハグしてあげると効果があるのです。25才の誕生日の彼女は、すぐに満足したようでした。
「セッションはここまで。あとは個人的な楽しみを追求しましょう」
「えっ、なにするの?」続きを読む
2012年12月27日
実録 闘病生活
本日の内容
1. チラッと見える外の景色
2. 充実 : 院内施設
3. 体力回復術
【本日の写真】
城壁の秋
病室窓から見える景色・夜
夜の吉田川脇の公衆トイレ
病室窓から見える景色・朝
中腹のお寺の鐘
お城の裏側
入院日記【もうすぐ退院?】
いまだに肛門が痛い! と言っているのに、その外のことは割りと順調に来ているようです。通常、2~3週間で退院しますので、直腸と前立腺の2つを手術ということでしたから、そろそろでしょうね。年末か、年明けか、おなごり惜しいですが「入院日記」が「闘病日記」に変ります。ただ、まだ肛門痛いでーす。
主治医の先生は「年末に入院してくる人はあまりないので、年明け早々でもいいてすよ」言ってくれましたので、1月になってからかな?
↓ お城の壁と石段、秋の風情です。
1. チラッと見える外の景色
9日の病室の窓から、を書いていて、日本列島の今年の寒さに気付かされたのです。今日、27日もさらにこの冬一番冷えそうですが、この時がそのはしりでした。
その日のブログをコピーしましょう。
・・・12/9病室の窓から・・・
[緊急書き足し]
いま、夜の8時半です。看護師さんに言われて、ようやく気がつきました。
「雪じゃない?」
↓窓から見える景色。ケータイであわてて撮ったのでぼやけて雪が見えませんが、あなたの心にははっきりと見えていますよね。
外は雪、てらさんの病室の窓から見える景色は、夜の暗闇の中で小さく光り輝く街路灯に群がる虫たちのように、粉雪がダイヤモンドダスト状態で舞い散っています。
ビサーイドガドンウォー♪♪ ・・・
みなさん、おやすみなさい。
・・・・・・・・・この最後の部分は、40年も前の「シャボン玉ホリデー」のラストに、夜の街灯をバックにザピーナツが素敵なハーモニーで歌う歌です。そこにハナ肇がナレーションでチャチャを入れて、毎回ひじ鉄を食らわせられるという、最後の名シーンです。知ってる人は懐かしいでしょう。
さて、この後翌10日になって、早朝から吹雪くのです。そこもコピーします。
・・・12/10血縁探し・・・
現在午前3時、病室窓の外を覗くともう雪はやみ、上空の雲はまばらになってもう降る気配はない。
・・・ しばしのうつろみ ・・・
尿の採取で目が覚めたら午前4時、窓の外の上空は雲に覆われている。街路灯をよく見ると、昨日ほどではないが無数の虫が灯りに寄ってくるように、粉雪が風に舞い優雅に踊っている。
道路もうっすらと白くなり、積もる気配をみせている。朝には「積雪〇センチ」ということになるかも。
・・・ ふたたび うつろむ ・・・
↓吉田川脇の公衆トイレの夜景。現在の名古屋の雰囲気に似ています。
窓から見える雪景色。さらに吹雪いてきており、積雪数センチは間違いないだろう。天気予報では、名古屋地方は午前中は降り続くようで、東海地方は大雪に注意、とラジオで呼びかけをしている。12月半ばまでにこんなに降ることは近年にない出来事だ。
食事前に外を見たら大吹雪になっている。現在時間7時半、名古屋の積雪は2センチだがまだまだ増えそう。陽が当たるのと降り積もる雪との勝負となっている。
↓病室から見た雪。 吹雪いている現在(7:30)の病室窓の外。ケータイ撮影でよくわかりませんが。
・・・・・・・・・・・・・・・ここで、実況中継は終わります。書きながら興奮してた、あの日を思い出します。
2. 充実 : 院内施設
この病棟の1階にはコンビニ・介護用品の店・自販機コーナー・食堂・喫茶店・花屋・理美容室・医療福祉相談室・研修ホール・八事日赤情報プラザ、と同じ一画にそろっていて大変便利です。この他に別のところですが、愛の図書室がボランティアによって週に2回開きますので、本が借りられるそうです。
ちなみに、研修ホールでは、12/23愛について の中に紹介しましたコンサートも行ってます。一部コピーします。
【院内コンサート】報告 ・・・より
2012 名古屋第二赤十字病院 クリスマスコンサート
第一部 フルートと弦楽器のアンサンブル
第二部 当院フラガール「アネラ」によるminiショー
第三部 中日ドラゴンズ選手とのふれあいトークショー
↓ 城山中腹のお寺の鐘です。
3. 体力回復術
手術の後の体力回復には、ちょっとした地道な行動が必要です。てらさんの場合は、以下の3つです。
1. 歩く
手術直後は、点滴など体から管が出てますから、ガラガラ引っ張って歩くことから始まります。ただ、てらさんの場合は直腸の肛門括約筋まで一部切除してますために「痛い!」が続き、歩くと痛みがまします。
2. ラジオ体操
これは、他の患者さんはやってないてらさんのオリジナルのようです。あっ、もうすぐ6寺半、ラジオ体操の時間が始まりますよー。
いちにー、さんしー♪
3. 肛門・尿道の括約筋体操
前立腺切除のため、てらさんは今でもおしっこを漏らします。尿漏れパッドはまだ大分付き合わないといけないようです。そのために、尿道の括約筋を鍛える体操を行います。といっても、おしっこをガマンするように力を入れるだけですけどね。
もう1つ、今は痛む肛門括約筋も同じように、便をガマンする訓練を1日に何回も行います。両方ともやってない人とやってない人とでは、おしっこやウンチ漏れに大きな差が出るようです。
↓ お城の裏から見た雪景です。
クリスマスも終わり、あとは新しい年の正月を迎えるだけになりました。 今年もいろいろありましたが、ガン2つがやはり大きかったですね。そうそう、告白せねばなりませんが、てらさんの直腸ガンは「リンパ節に転移(顕微鏡検査で1/5)」が見つかりました。抗がん剤治療に入りますが、他の臓器に転移が散らばるとやばいそうです。名医の主治医さんからストレートに言われたものですから、これはいたし方ありません。 あとどれくらいの命をいただけるのか、天にお任せします。 合掌