PTSDになったアスペルガーの人の話(旧アスペルガー的ガキ)

虐め、DV家庭、虐待を経て今も生きているアスペルガー、ヒイロ・ユイ (現20歳)の話。最近アスペルガーの話題出してないんでサイトタイトル変えました。その内アスペルガー的ガキの名前は撤去します

特に気にすることもなく。

あけましておめでとう?もう大分更新しなくなってから過ぎ去ってますがまぁいいでしょう。

このブログにおいてさんざ生きる事死ぬ事だの、辛い苦しいだの結構書いていたのは言うまでもないのですが……。というかこのブログ自体当分不定期に気が向いたら更新なのですがまぁとりあえず。

何だかんだ言って鬱々としていた期間であれ、今のようにある程度余裕を持って暮らせているのであれ一つ変わらない事がある、と今の私は確信しています。

どの時点においても私は懸命に生きていた、と思います。
例え親父に虐待されて日々の夜明けが感じられない時があっても、
例え周りから理解を得られず外にも居場所が無かった事があっても、
例えPTSDで鬱々とした殻に閉じこもっていた時期があれども、
例え自殺未遂した時期が過去にあったとしても。

生きている限りは私は懸命な生き方をしていたと思うんです。
無論死んだ時点で私は生きる事をやめたのに他なりません。だからこそ私はあえて主観的に「自分は懸命に生きていた」と思うわけです。死んだらそこで終わりの一度限りの人生において、少なくとも「あの頃の自分はどうしようもない体たらくで生きていた、屍のような存在だった」などと自分自身の中で思いたくない。

昔の自分の積み重ねで今を生きている以上、今の生きている私に自分自身で誇りを持つためには、私は過去の自分を己が手で傷つける必要はない。と思ってます。

それから質問があったようなので端的にその回答をしておきます。

私の意見は役に立ちません。見てくれているとはいえ他人の生き方を自分の意見で強引に説得するような傲慢さは私は持ってない。主張する事はあっても。だから一言言わせて貰おう。

結局自分を楽にするのは最終的には自分じゃないんですかねぇ。

結論

最近どうも更新する機会に恵まれなかったから、そろそろこの辺で区切っちゃっていいんじゃないかなと思った。

私が人を憎んでいる理由。それは人を愛したが故だと思う。人の事がずっと好きでたまらなかった。
人といる事で自分を確認してたとかそんな大それた問題じゃない。人と居て楽しい、人と遊んでいて嬉しい。幼少期の頃、少なくともそういう記憶はあった。

それを塗り替えたのは父親の虐待と周りからの執拗ないじめだった。

どうして人が好きなのに、他の人は自分の事を認めてくれなかったのだろう。そのことが、ある種私が「人を憎んでいる」という風に自分を錯覚させた理由の主なものだろう。

当初書き始めたとき、私はほんの些細な気持ちでこのタイトルをつけた。でも、実際のところ、その逆が私の本質なんだろうなと、最近は思うようになった。
故に書く事はもうない。

アスペルガーの人が、どうしても二次障害を起こして人を信用できなくなったりするのは、社会的に恵まれて安定した環境ではないからだろうという意見がある。それは概ね正しい。概ね、というのは、いつまで経ってもそんな「発達障害者向けバリアフリー」なんぞ実現しないという現実があるからだ。一般人の意識を改革せよなんていう馬鹿な事言うつもりもない。発達障害の事を全て理解させようというのは、発達障害者の思う傲慢だ。自分達をいつまでも被害者感情に閉じ込めて環境起因説を唱え続けるより、現実を直視して、相手に、自分を最低限どの程度まで分かったつもりになってもらえるか。ぐらいを考えるのが限界だ。

一般人ですら一般人を理解できないと苦しむことだってあるのに、「もっと発達障害者である私を理解して」なんていうのは、ばかげているというより、妄想めいている。

人は人の事を理解したつもりになって、その幻想の中で生きている。偶々自分の幻想が相手の幻想と被っているというだけであって、被ってない部分をみた途端に急に苦しみだす。我々は、その幻想が相手と外れてる部分が普通の人より多いというだけで、やはり理解という言葉には疑問符をつけざるを得ない。

二次障害で、自分が苦しんでいる、人が信用できないという人には、私はこうしかいえないのだが、
事実の積み重ねでしか物事は冷静に判断できない。
そこに無駄な「こう思っているのではないか」という自分独自の邪推を加えることにより、相手への見方を変えるのはナンセンスだ。
その、「こう思っている」というのが理屈でかためられて確証をもてるものでない限り、そんな憶測は屁の役にもたたない。
Aさんが私に八つ当たりをしたとして、そのAさんが私を叱る前に課長やら部長やら或いは奥さんやら夫やらに色々愚痴愚痴言われて腹が立ったから、八つ当たりをしているんだなってのはわかっていたとしよう。だが、そこで「もしかしたら私を嫌っているのではないか」というのはかなり穿った見方をしているとしか思えない。

些細な事で喧嘩に発展する夫婦関係を想定すれば分かることだ。お互い八つ当たりしてはされつつの事だって多いのに、それで相手に好かれていないだの考えていたら限がないだろう。ある程度割り切れるからこその関係なのだ。八つ当たりする事が、直接彼なり彼女なりを嫌っている故の行動であるかは分からない。

正直、二次障害で鬱病になってしんどいっていうのは、勿論環境に起因したところもあるのだろうけど、自分が歪んだ見方をして勝手に憶測をどんどん積み上げて言って一人で苦しんでいる事が多い気がする。憶測をやめない限り、事実は事実でしかないのだと分からない限り、永劫それに悩み続ける羽目になる。

そう、例えば私が父に虐待されたことは、実に様々なことを思い起こさせ、負の感情を意識したとしても、結局虐待されたという事実だけしか残っていない。そういえば、こういう事もあったなと。あれは嫌だったな、これは嫌だったなという自分の抱いた感情もまた事実。けれども、実父が私の事をどう思っていたかなど、今となっては関係は無い。同様に、周りの連中が私を虐めていたという事実はあって、憎んでも憎みきれないという感情もまたあったとして、じゃあ彼らの思っていたことはなんだったのか、何てことを考えたら、どつぼに嵌るだけだ。

それよりも、今日の昼飯何にするかを考えたほうが気が楽だとは思わないかね?

音が聞こえる、声が。私はたまに思う

通常、私は周りの音をシャットアウトして、必要な音だけを聞くことが、普通の人よりは劣っていてもできる。出来ない人もいるだろうし、同じアスペルガーやら高機能自閉症でも随分差異があるんだろうと思うから、深く詮索せず続きを聞いて欲しい。ただしこれは「分かってくれ」ではない。「とりあえず言ってみた」程度である。

調子が甚く悪い時、私が働いている職場(実はスーパーで清掃員やってます最近)で、混ざるのである。音が、声が。

サービスカウンターで老若男女がタバコの銘柄をあげて注文する、その間にレジでは客と談笑しながら商品の金額を提示して「ありがとうございます、○○○円のお買い上げでございます」と。そして客が、ぶつくさ隣の一緒に来た夫なり妻なり友人なりと喋りながら商品をカウンターでいれている。上からは買い物しやすいようにかしらないが心地良いらしい音楽が流れている。

私は普段それらを全てシャットアウトしている。多少興味のある話ならカゴの整理でもしながら聞き耳を立てる程度だ。

それが、冬になると鬱病かPTSDの影響か、随分と調子が悪化して混ざり始める。
あちこちで声と音が反響し、私は泣きそうになる。頼むからその不協和音をやめてくれと。

だが同時に私は思う。

これは、私の本来の姿かもしれないと。たとえ程度の違いがあれども、私はアスペルガーだ。いつの間にか、そういう事が強引に出来るようになっていただけで、元々はこうなのかもしれないと。

話にifはあっても現実にifはない。だから、ここで私の本来の姿はなんだと論じる事に、現実社会で生きていく上で意味は無いだろう。だけれど、それはくだらない哲学であろうと、私自身に私が近づくには、病み続けている私にできる精一杯なのかもしれない。

病み続けている私にできる事を、私はずっと探している。

私が人を憎んでいる理由20

ところで、体育祭というものがあの高校にも当然あった。

6月の初旬ぐらいかな、良くは覚えていない。無論の事だが、私はその類は苦手である。
T氏は別に嫌いという事はなかったのだが、Y氏は私同様徹底的に嫌いだった。

というわけで体育祭の練習は逃げることに専念した。
事情をつけてお断りします(゜ω゜)
嘘を言ってでもお断りします(゜ω゜)
何か強制連行されそうになっても、脱走してお断りします(゜ω゜)

そうしてお断りにお断りを重ねていった結果ある事件が起きた。

ある日、体育祭に熱心な1人の女子が私の前で泣き崩れてこう叫んだのだ。

「なんで体育祭の練習来てくれないのよ!」

言っておこう、彼女は決して私のことが好きでもなかった、いやむしろ嫌いだったと思う。
んじゃ何で泣き崩れたか。

1人が和を乱している事、それを非難したかったのだろうか。一体感という麻薬に酔いしれて、皆で同じ気分を味わっているつもりになりたかった。なのに私はそれをお断りし続けた。気分は台無しだ。でも何故?私以外の全員で気分を味わえばいいのでは?

皆、自分の時間を削ってまで体育祭の練習に参加してるのに、どうして私だけ参加しないのか。それも非難したかったのかもしれない。だが自分の楽しい時間を削ってまで練習する事に、一体何の意義があるというのだろう?

当時の私には分からなかった。だから、私たちはその場から立ち去った。すっごい後味が悪かった。

今だから大体分かるんだろう。

彼女は、一年生最初の大イベントである体育祭という大きな目標を、皆で達成し、その気持ちを分かち合いたかった。そんな時に1人でもそれを味わおうとしない人間が居たら、それは水を差すことにしかならんのだ。私に対して彼女は個として怒りをぶつけたんじゃない、集団が自分に乗り移った気分で、私を非難した。

そして「一体感は、誰しもが好きなものなはず」、それを何故拒むか。彼女には、私のことが分からなかったのだ。分からなくても、「皆」は皆という姿であってほしかったのだ。

「あるべき姿を壊したのは、お前なんだ!」という非難だったのかもしれない。その点、普通の人は集団に対して非常に固執する。

・・・彼女に対しては一つ謝る必要があったかもしれない。その上で、一つ言わなきゃいけない。

「泣かせたのは悪かったかもしれない。でもそれは私にとっては脅しでしかなかった」と。

傍観者でいる立場が後につらいということが分かるのは、大分先のことである。

トマトジュースの神秘

私「トマトジュースはトマトとは似て非なるジュースだ。一種の神秘だよ」

母「そうかぁ?」

私「南米の神秘だね」(トマトは南米原産)

母「でもトマトジュースってそもそも誰が発明したんだよ。というか第一ただ絞っただけだし」

私「うーん」

しばらくして

私「トマトジュースってのは米国のリビー=マクニール&リビー社が1923年に製品化したもんらしい」(注wikipedia参照)

母「へえ」

私「つまり、トマトジュースってのは北米と南米の神秘がつまってるんだな。その北米と南米の神秘を得る事を考えれば、一缶88円の対価を払うことは問題にはならないんだよ」

母「あのさ、それってつまり、『かあちゃんトマトジュースのみたいよー』って言うのと変わらないと思うんだけど」

私「要約すんな」

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あまりに下らなすぎたので逆に書きたくなった。ほぼ原文まま。

私が人を憎んでいる理由19

この物騒な題名もいい加減下らなくなったな。

高校に入ってからというもの、まず第一に友達の輪を作る事が重要だと考えた。
虐められる側より虐める側に入った方が良いというのは極端な論法だが、そこまで考えていなかったとしても大きいグループで安全な身分でいたいと思ったのは確かである。
そうして、5.6人程度の割かし大きい、他のグループの内輪にも融通が利く都合の良いグループには入ったのだが。

「虐めたくなるような奴だよなお前」

という言葉を良く覚えている。しかし意外なことに、最初にターゲットになりつつあったのは私ではなかった。

まず、身内から外の、今では友人となっているが、窓際の席で1人静かにまるでくるもの拒まず去る者追わず、でも積極的に輪を作ろうとしない奴(仮にYと呼んでおこう)がターゲットになる。グループのリーダーっぽい奴曰く
「オタクっぽい」
「陰気」
との事だった。が、こいつにいくらちょっかいを出しても、こいつはうんとも寸とも言わない(ちなみに私には、はっきりいってどーでもいいたちの悪いいびりにしか見えなかった。少なくとも積極的に当初声をかけたことはない)。

これではつまらないのかはわからない。しかし、そこでさらに身内で私と割と友好な友人Tが「なんかしつこいよな」とか「ちょっと調子乗ってる」でターゲットになった。この時点で思った事はただ1つである。

(お鉢が回ってこない内に逃げた方が得だな)

別にこの高校生活で出会った普通の人間が質悪いとは言わない。ただ集団として行動すると、こいつらはリーダーの言うことにどんどん同調して極端化していく。どことなく虐める側(に、いつ変質するかわからない集団)に加わる事に違和感を持っていた私は、このグループから距離を置くことを決めた。

まず私は孤独でも結構とでも言いたげなYに声をかけ、Yの味方についた上で、Tにはターゲットにされつつあることを密告しグループから引きはがした。こうして私、Y、Tの3人のグループができることになり、見事やはり多数派なんぞにはなれず少数派で生きていくことになった。

悲しいかなこれがアスペの性なのだろうかねという割と穏やかな話が当分続きます。

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アルバイトの面接が13日に迫る中この前聞いた話。

母「これ知的障害者向けのバイトだね普通は」

・・・別に、知的障害者向けのバイトだからどうこうってのはないんですけど、思ったのは別の方向。

発達障害者向けの就労支援って、なっかなかないんですねぃ。

法制度がどうかとかは母ほど詳しく調べてないし、あんまり口に出しませんが

発達障害の存在すら「えー怠慢でしょ」とか言う連中がうようよしてる中で、企業にそれの理解を求めるって、なかなか難儀なんだろうなぁ(まぁ企業のすべてがそうではないだろうけれども)。

だからって、そういう連中が「思考停止状態」になっていることには批判するけど「理解が足りてないから努力して理解しろ」という事は言えんし、んじゃどうしたら企業に発達障害者がうまくおさまるんだろうと、ふと思ったり。

コンビニでバイトして泣き出した記憶が今も鮮明にある中で、過剰適応して企業に就職するのが良いこととは私は思えない。過剰適応しない形で企業に就職できるのがベスト。でもそんな配慮を企業に求めてばかりじゃ逆に重荷で雇う気なくす。妥協が大事なんだろう、じゃあ妥協点はどこだろうねぇ・・・。

発達障害を持つ人がいるって事が、社会に浸透するまで、この問題は解決しないのかしらん。

題名未定/私が人を憎んでいる理由18

 とある日の初夏の暑い日だ。私が洗濯機をまわしてから数分するとにわかに空が濁ってきた。灰色の雲は次々と青空を食して大きくなっていく。それからまもなくして、地面を照らしていた光は薄暗くなり、太陽は飲み込まれてしまった。
 それをただ淡々と見ていると、急に空気が冷えていくのを感じ、家の中に引きこもった。
 窓を開ける。ただそれだけで良い。快く迎え入れよう。
「涼しい・・・」
 独りごちる。かすかにしめった土の香りさえする。洗濯物を室内干しするしかなくなるなど、どうでも良かった。ただ、今、この一点を感じている。私にはそれがとても大事に思えた。
 今を生きる人が、先へ先へと進みたがる。それを駄目だとは言わないけれど。
 そんなことを考えながら、私は台所で、昼食の材料の野菜を、とんとんと切っている。

mixiに掲載予定。HNが何かは教えません。
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 どうでもいいけど節電要請するんなら毎日てるてる坊主を逆さにつるす事を社員に義務づけるべきだと思うのよ。

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もう一つ書かないと先に進まないのがあったの忘れてたんだよね。

父親から押しつけられたもので、未だに私を悩ませているのがある。それが、「母への」コンプレックスだ。
え、なして(なんで)?と思うかもしれない。

実父は事あるごとに母と私を比べた。母が割と頭が良いのは知ってのとおりだ。母はそれをやめてくれとさんざ懇願したけれど、結局私は事あるごとに母と比較するように育った。
成績、理屈、脳みその使い方。事あるごとに、何か劣等感を感じるものだ。
しかしだいぶ前に母に「あんたは完璧すぎる」と言ったとき、さすがにぶち切れられた。

「おまえそれがどんだけ残酷な事言ってるかわかってるの」

母はなまじ頭が良いという出る杭的な点と、発達障害というところで虐められた。
実父には出る杭である事を褒めちぎられながら、時たま、暴力を加えられた。

他にも、もっとあるだろう。この言葉の残酷さというものを象徴する事柄など、母の歴史には腐るほど刻み込まれているはずだ。私が知らないだけで。それをまして息子が言うのだから、切れるのも当然だった。

それでも私は、母と比べてしまう。

頭がわかっていても感情がそれを止める術を知らないというのは、悲しいことだと、私は常々思っている。いつの日か、それが重なる日が来ることを、私は祈っている。

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炒めた茄子とトマトを塩いれて日本酒で煮込むだけでうまいもんだな、うむ。
ご飯と食うよりはむしろ酒のつまみのような気がしてならなかったが。
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