とある日の初夏の暑い日だ。私が洗濯機をまわしてから数分するとにわかに空が濁ってきた。灰色の雲は次々と青空を食して大きくなっていく。それからまもなくして、地面を照らしていた光は薄暗くなり、太陽は飲み込まれてしまった。
 それをただ淡々と見ていると、急に空気が冷えていくのを感じ、家の中に引きこもった。
 窓を開ける。ただそれだけで良い。快く迎え入れよう。
「涼しい・・・」
 独りごちる。かすかにしめった土の香りさえする。洗濯物を室内干しするしかなくなるなど、どうでも良かった。ただ、今、この一点を感じている。私にはそれがとても大事に思えた。
 今を生きる人が、先へ先へと進みたがる。それを駄目だとは言わないけれど。
 そんなことを考えながら、私は台所で、昼食の材料の野菜を、とんとんと切っている。

mixiに掲載予定。HNが何かは教えません。
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 どうでもいいけど節電要請するんなら毎日てるてる坊主を逆さにつるす事を社員に義務づけるべきだと思うのよ。

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もう一つ書かないと先に進まないのがあったの忘れてたんだよね。

父親から押しつけられたもので、未だに私を悩ませているのがある。それが、「母への」コンプレックスだ。
え、なして(なんで)?と思うかもしれない。

実父は事あるごとに母と私を比べた。母が割と頭が良いのは知ってのとおりだ。母はそれをやめてくれとさんざ懇願したけれど、結局私は事あるごとに母と比較するように育った。
成績、理屈、脳みその使い方。事あるごとに、何か劣等感を感じるものだ。
しかしだいぶ前に母に「あんたは完璧すぎる」と言ったとき、さすがにぶち切れられた。

「おまえそれがどんだけ残酷な事言ってるかわかってるの」

母はなまじ頭が良いという出る杭的な点と、発達障害というところで虐められた。
実父には出る杭である事を褒めちぎられながら、時たま、暴力を加えられた。

他にも、もっとあるだろう。この言葉の残酷さというものを象徴する事柄など、母の歴史には腐るほど刻み込まれているはずだ。私が知らないだけで。それをまして息子が言うのだから、切れるのも当然だった。

それでも私は、母と比べてしまう。

頭がわかっていても感情がそれを止める術を知らないというのは、悲しいことだと、私は常々思っている。いつの日か、それが重なる日が来ることを、私は祈っている。

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炒めた茄子とトマトを塩いれて日本酒で煮込むだけでうまいもんだな、うむ。
ご飯と食うよりはむしろ酒のつまみのような気がしてならなかったが。