通常、私は周りの音をシャットアウトして、必要な音だけを聞くことが、普通の人よりは劣っていてもできる。出来ない人もいるだろうし、同じアスペルガーやら高機能自閉症でも随分差異があるんだろうと思うから、深く詮索せず続きを聞いて欲しい。ただしこれは「分かってくれ」ではない。「とりあえず言ってみた」程度である。

調子が甚く悪い時、私が働いている職場(実はスーパーで清掃員やってます最近)で、混ざるのである。音が、声が。

サービスカウンターで老若男女がタバコの銘柄をあげて注文する、その間にレジでは客と談笑しながら商品の金額を提示して「ありがとうございます、○○○円のお買い上げでございます」と。そして客が、ぶつくさ隣の一緒に来た夫なり妻なり友人なりと喋りながら商品をカウンターでいれている。上からは買い物しやすいようにかしらないが心地良いらしい音楽が流れている。

私は普段それらを全てシャットアウトしている。多少興味のある話ならカゴの整理でもしながら聞き耳を立てる程度だ。

それが、冬になると鬱病かPTSDの影響か、随分と調子が悪化して混ざり始める。
あちこちで声と音が反響し、私は泣きそうになる。頼むからその不協和音をやめてくれと。

だが同時に私は思う。

これは、私の本来の姿かもしれないと。たとえ程度の違いがあれども、私はアスペルガーだ。いつの間にか、そういう事が強引に出来るようになっていただけで、元々はこうなのかもしれないと。

話にifはあっても現実にifはない。だから、ここで私の本来の姿はなんだと論じる事に、現実社会で生きていく上で意味は無いだろう。だけれど、それはくだらない哲学であろうと、私自身に私が近づくには、病み続けている私にできる精一杯なのかもしれない。

病み続けている私にできる事を、私はずっと探している。