渋谷君への手紙~死者が増えるほど日本はきっと強くなる


子供イラストマスク


『 渋谷君

僕の故郷の沖縄県が人口10万人あたりの新型コロナ感染者数で東京を抜いてダントツ日本一、という情報をわざわざ送ってくれてありがとう。実は僕もメディアやネットでニュースを知って気にしていました。観光地ということもあるのでしょうが、沖縄の感染者が増えているのは米軍のせいもあるのか、などと心配しています。

沖縄のみならず、日本全体の感染者数が増えているのはちょっと不気味ですね。ただヨーロッパの状況も怪しい。今のところここイタリアは静かですが、スペイン、フランス、ドイツが変な雰囲気になってきました。

イギリスもそうです。あの国はロックダウン不要論に基づいて、ジョンソン政権が第一波の初期対応を誤ったことが依然として尾を引いています。その点イタリアは逆に、誰よりも早くまた誰よりも厳しいロックダウンを敢行した分、「今のところは」息がつけている、というふうです。

ただしイタリアの新規感染者もコンスタントに出ていて、僕は第2波(この言い方には強い違和感を覚えますが分かりやすいようにそう書きます)の到来は必ずあると思っています。

イタリアは3月から4月にかけて、どこからの援助もなく、それでも誰を怨むこともなく、且つ必死に悪魔のウイルスと格闘しました。当時イタリア国民は苦しみ、疲れ果て、倒れ、それでも立ち上がってまたウイルスと闘う、ということを繰り返していました。

ウイルス地獄が最も酷かったころには、医師不足を補うために300人の退職医師のボランティアをつのったところ、25倍以上にもなる8000人がすぐさま手を挙げました

周知のように新型コロナは高齢者を主に攻撃して殺害します。加えて当時のイタリアの医療の現場は、当局の見込み違いなどもあって患者が病院中にあふれかえり、医師とスタッフを守る医療器具はもちろんマスクや手袋さえ不足する、という異常事態に陥っていました。

8000人もの老医師はそうしたことを十分に承知のうえで、安穏な年金生活を捨てて死の恐怖が渦巻くコロナ戦争の最前線へ行く、と果敢に立ち上がったのです。僕はあの時のことを思うと今でも鳥肌が立つほどの感動を覚えます。

退役医師のエピソードはほんの一例に過ぎません。厳しく苦しいロックダウン生活の中で、多くのイタリア国民が救命隊員や救難・救護ボランティアを引き受け、困窮家庭への物資配達や救援また介護などでも活躍しました。

逆境の中で毅然としていたイタリア人のあの強さと、犠牲を厭わない気高い精神はいったいどこから来るのだろうか、と僕は真摯に、そしてしきりに思いを巡らずにはいられません。あれこれ考えた末に行き着くのはやはり、イタリア国民の9割以上が信者ともいわれるカトリックの教義です。

カトリック教は博愛と寛容と忍耐と勇気を説き、慈善活動を奨励し、他人を思い利他主義に徹しなさいと諭します。人は往々にしてそれらの精神とは真逆の行動に走ります。だからこそ教義はそれを戒めます。戒めて逆の動きを鼓舞します。鼓舞し続けるうちにそちらのほうが人の真実になっていきます。

いい加減で、時には嘘つきにさえ見えて、いかにも怠け者然としたゆるやかな生活が大好きな多くのイタリア国民は、まさにその通りでありながら、同時に寛容で忍耐強く底知れない胆力を内に秘めています。彼らはいわば優しくて豪胆なプー太郎なのです。

イタリア国民のストイックなまでに静かで、意志的なウイルスとの戦いぶりは、僕を感動させました。彼らの芯の強さと、恐れを知らないのではないかとさえ見える根性のすわった態度に接して、僕はこの国に居を定めて以来はじめて、許されるならイタリア人になってもいい、と腹から思うようになりました。

ご存じのように日本人が他国籍を取得したいなら、日本国籍を捨てなければならなりません。僕は今のところは日本国籍を放棄する気は毛頭ありませんので、実現することはないと思います。が、イタリア人になってもいいと信ずるほどに、イタリア国民を心底から尊敬するようになったのです。

8月に入ったイタリアのコロナ環境は、3月、4月の惨状が嘘のような静けさに包まれています。だが世界では8月4日現在、感染者の多い順にアメリカ 、ブラジル、インド、ロシア、南アフリカ 、メキシコ 、ペルー、チリ 、コロンビア、イランなどの非欧州国がコロナの猛攻撃にさらされています。

それらの国々の中で以前のイタリアの恐怖と絶望感を今このとき味わっているのは、世界最大の感染国アメリカではなく、恐らく医療体制の脆弱なインド、パキスタン、イランほかの中東諸国、またブラジルとペルーに代表される南米各国などでしょう。僕には彼らの苦境が容易に想像できます。

一方、状況が芳しくない日本のコロナの状況については、実は僕はそれほど心配していません。いえ、もちろん心配はしていますが、イタリアのかつての地獄絵図を知っている身としては、日本で今後何が起きてもどうということもない、と達観もしているのです。

この先に日本で感染爆発が起きても死者が激増しても、3月から4月頃のイタリアの惨状には決して陥らない、と信じています。イタリアのように医療崩壊さえ起こさなければ、苦しい中にも救いはあるのです。いえ、それどころか、医療崩壊を避けることができれば、何も恐れることはありません。

医療崩壊に陥ったころのイタリアは、いま振り返っても本当に怖い状況でした。前例もないまま、突然にコロナ地獄に投げ込まれ、文字通りの孤立無援の中、ただ一国で呻吟するしかありませんでした。民主主国家イタリアの全土封鎖は、独裁国家の中国の武漢封鎖とは違う困難をもたらしました。

その後、アメリカやブラジルも地獄にはまって行きますが、彼らには少なくとも「イタリアという前例」 がありました。またイタリアを見て対策を考えることができたスペイン、フランス、イギリス、その他多くの国々の動きも参考にすることができました。

イタリアは真実孤独でした。僕の周りにおいてさえ人がバタバタ死んでいきました。何が起きても日本はとてもあんなふうはならないでしょう。誤解を恐れずにあえて言えば、むしろもう少しくらい重傷者や死者が出るくらいのほうが、経済つまり金のことしか考えていないように見える、日本の政治家や御用学者や経済人らに灸を据える効果があるのではないか、とさえ思っています。

日本がイタリアの絶望的な状況に陥るのなら、それはイタリアの失敗やその後のスペイン、フランス、イギリス、また南北アメリカなどの苦境から何も学ばなかったことを意味します。その場合には、安倍晋三首相と彼の政権は万死に値する、と言っても構わないでしょう。だが言うまでもなく、そういう事態にはなならずに感染拡大が収まればそれに越したことはありませんが。。

 以上                                     
                                  それではまた 』



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若者を殺さないコロナの底意



看護師顔切り取り


欧州に遅れてコロナ危機が始まった南北アメリカや中東の感染拡大が続く中、いったん落ち着いていたヨーロッパにも再び状況悪化の兆しが見えてきた。

第1波で過酷な試練を体験した西ヨーロッパでは、主にスペイン、フランス、ドイツなどにクラスターの発生や感染増加が顕著になっている。

第1波で最も悲惨なコロナ危機を体験したイタリアは、世界一峻烈とされたロックダウンを導入した効果もあって、今のところは欧州の中でも感染拡大が少ない。

だが、そうはいうものの、イタリアでも新規の感染者はコンスタントに出ていて、いつ状態が悪化してもおかしくない環境である。

欧州の感染者の増加は、夏のバカンスを楽しむ人々の動きと関連している。厳しい移動制限に象徴されるロックダウンが終わったことを受けて、多くの人々が観光地やリゾートに移動を始めた。

コロナ危機の中でも、いやむしろコロナ危機だからこそ、バカンスで開放感を味わいたいと考える人々がいて、彼らが移動を開始したとたんに感染拡大が始まった。

コロナウイルスは自らでは動かず、飛ばず、移動しない。常に人とともに動き人によって運ばれ、拡散し、宿りを増やしていく。だからこそ人は人との接触に細心の注意を払わなければならない。

その注意が時として若者には足りない。彼らは感染防止策に無頓着である場合が少なくない。感染拡大は全ての年齢層の人々によってなされるものの、圧倒的に若者によるケースが多い。

若者は、コロナに感染しても重症化する可能性が低い。死亡する可能性は、高齢者と違ってもっと低い。そこから感染防止策を軽視する心理が芽生え、それは彼らの行動に出る。

彼らはこう考えている「俺たちは大丈夫。コロナは老人の問題だ」と。そして夜の繁華街やリゾートの街やビーチで、コロナなどどこ吹く風で思いのままに集い歓楽する。

そこで新型コロナに感染して無症状のまま再び思いのままに動き移動し活動して、他者にウイルスを受け渡していく。彼らが高齢者へ移すことを腹から気に病むことはほんどない。

祖父母など肉親に高齢の者がいれば少しは気にすることもあるだろうが、それとて長く緊張を維持したり気を配ったりする理由にはならない。彼らはいつも自身のみずみずしい生を目いっぱい謳歌することに懸命だ。それが若さというものである。

若者の大多数が自主的に感染対策にまい進すると考えるのは愚かだ。彼らはコロナが若者も「殺す」形に変異でもしない限り、感染対策を完璧に遂行することはない。感染拡大防止の最大の障害は若者なのである。

若者ではない人々はそのことに薄々気づき始めている。若者も気づいているが彼らの命にかかわることではないので高をくくっている。若者と高齢者間の分断が始まろうとしている。もしかするともう始まったのかもしれない。

日本ではここ最近、コロナに感染しても症状が軽いかあるいは全く出ない、比較的若い年代の人々の集団感染が発生しているようだ。実は欧州でも感染者の年齢層が下がっている。

特にスペインとフランスまたドイツで、休暇を楽しむ若者が都会やリゾート地で深夜に集まって騒いでは、感染する事態が頻発している。その後彼らはそれぞれの家庭に戻って高齢者を感染させる。

そうした事態を受けて、スペインのカタルーニャ州はついに7月25日、ナイトクラブや深夜営業のバーを再び2週間ほど閉鎖すると発表した。その動きは欧州各国に伝播しそうな雲行きである。

ウイルスが変異し、若者を重症化させ、最悪の場合は死亡させるようにならなくても、彼らの行動パターンが変化する可能性はある。

爆発的な感染拡大が起きて、再びロックダウン(あるいは日本なら緊急事態宣言)が導入されることだ。そこでは経済が滞り雇用危機が発生して、彼らも恐慌の中に投げ出される。

そうなれば無鉄砲な者たちも少しは反省するだろう。だがそれでは遅すぎる可能性がある。破壊された経済が元に戻るのは至難だ。彼らはその前に感染防止に真剣に取り組んだほうがいい。

若者をそういう方向に導くのは、若者ではない大人たちの役割である。とりわけ政治の責任だ。欧州はその方向に動きつつあるようだ。だが日本の政治は、行動を起こすどころか、問題の核心にさえ気づいていないように見える。

ところで活動的で行動範囲も広い若者がコロナに感染しても症状が出ないのは、全くの偶然なのだろうか?無症状なので彼らは感染しても活発な動きを止めず、さらに感染が拡大する。

もしもそれが仕組まれた作戦だとするなら、なんと怖いことだろう。そしてなんという深い知恵だろう。深い知恵はもしかすると高齢者のみを殺す、とも決めているのかもしれない。なぜ?地球上に高齢者が増えすぎたから?

新型コロナの凄みは、知恵があるようにも見えることである。もしかするとワクチンも治療薬もなにもかも無効にする知恵まで秘めているのでは?とさえ思わせる。むろん人間はそれ以上の知恵を持つと信じてはいる。が、時として新型コロナは、その信頼を揺るがすほどの殺気さえ見せるところが忌まわしい。



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伊ロックダウン異聞

新聞同時投稿コラム

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~菜園でコロナと遊ぶ~


ことしは新型コロナのせいで2月以来なにもかもが異例づくしの展開になっている。

イタリアは一時期、世界最悪のコロナ感染地となって全土がロックダウンされ、住民の外出や移動が厳しく制限された。

僕は毎年3月になると自宅敷地内にある菜園で土を起こし、プランターで育苗なども行って野菜作りをする。

ことしは自宅待機で時間があり余る分、菜園仕事にも熱が入りそうなものだった。ところがまるっきりそんな気分になれなかった。

菜園仕事が始まる3月からが、まさにイタリアのコロナ地獄のピークだった。不安がつのって野菜作りどころではなくなっていたのだ。 

4月も終わる頃にようやくその気になって、菜園全体にサラダ用野菜の混合種をびっしりとまいた。一部を普通に収穫してサラダとして食べ、残りは生いしげるままに放置しようと考えた。 

菜園は有機農法で耕しているため雑草が繁茂し虫がわく。特に雑草に閉口する。だがコロナが猛威を振るう中では菜園の草取りもできるだけ省略したかった。

サラダ用の野菜は根がおだやかで除去が簡単だ。土中深くまで根を張るしつこい、処理に困る、ある種の雑草とは大違いである。

そこで野菜をまんべんなく育てて雑草の成長の邪魔をできないか、と思いついたのだった。 

5月になると各種のサラダ野菜が生いしげった。雑草は明らかに少ない。7月の今も同じ。どうやら思惑は当たったようだ。今後はこの手を使って雑草対策をしようかと考えている。 

しかし、野菜作りには連作障害という問題が付いてまわる。サラダ用野菜ばかりを毎年作付けすると障害が起きかねない。それでも始末に困る雑草よりは増し、とも思うが実際にはどうなのだろうか。

新型コロナ禍がもたらしたもう一つの悩ましい課題である。





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ロックダウンの功罪

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ロンドンUCLの統計によると、イギリス人の3人に1人は、新型コロナの感染拡大抑止のために行われたロックダウンを楽しんだ、ということだ。

楽しんだと答えたのは、より多くの収入があり、心身の特に心の健康に問題のない30歳から59歳の年齢層の人々だった。

また孤独ではなく、同居人がいたり子供のいる家族があったりすると、外出や移動が厳しく禁止されるロックダウンでも前向きに捉える傾向が強かった。

僕はこの報告を知ってわが意を得たり、という気分になった。僕もどちらかと言えば、世界一過酷とされたイタリアのロックダウンを楽しんだほうだ。少なくともそれほど苦にしなかった。

僕は年齢は59歳以上で子供は独立している。が、同居人の妻がいる。また金持ちではないが生活には困っていない、など統計に当てはまる部分とそうでない部分がある。

統計には示されていないが、都市ではなく田舎に住んでいることもロックダウンに耐えやすい重要な条件になる、と実体験から思う。自宅に庭があればさらに息抜きができる。

また、自宅のように限られた空間内でもできる趣味を持っているかどうかも大切だ。僕は自宅を含む近隣のほぼ全ての家が庭を有する、田園地帯に住んでいる。

また一日中読書をしていても一向に飽きない。幸い同居人の妻も読書好きで、読書の間は会話が途切れるという、彼女にとっての不都合を苦にしない。外出ができないロックダウン中の日々の大半を、僕らは読書をして過ごした。

在宅時の僕の別の趣味は野菜作りと料理である。だがコロナ禍が最悪だった頃は、不安もあって菜園には足が向かず、料理も普段以上に気を入れることはなかった。妻がいつもよりも多くキッチンに立ったことも原因だった。

ブログその他の文章を書くことでも少なからず時間が潰れた。結局、一日が30時間ほどあっても問題ない、と思えるくらいに充実した日々がほとんどだった。

そうはいうものの、それならば再びロックダウンがあっても同じように楽しむか、と問われればあまり自信はない。自宅待機は構わないのだが、外出をして騒ぎ遊ぶ時間がない事態はもうたくさん、という気分だ。

それは個人的な資質の問題である。テレビ屋の僕は、ロケやリサーチや会合でスタッフを始めとする多くの人々に会い、騒ぎつつ仕事を進めるのが好きだ。その一方でひとり孤独に本を読み書き物などをすることもいとわない。動と静が交互に入れ替わるのが僕の生活パターンである。

ことしはロックダウンのおかげで数ヶ月にも渡って静の時間ばかりが過ぎて行った。ところがロックダウンが終わった今も、動の生活パターンはまだ十分には訪れない。そろそろ外出をし、騒ぎつつ遊び、仕事をしたい、というのが正直な思いだ。

だがそれだけが動の時間を待ち望む理由ではない。ロックダウン中はイタリア内外の友人らとビデオ電話を交わし合い、オンライン飲み会なども楽しんだ。しかし、ロックダウンが終わった今は、バーチャルなそれらの邂逅は終わりにしたい。

そして以前のように人々と実際に顔を合わせて歓談し、飲み、食べ、騒いで共に人生を楽しみたいと思う。ところが同時に、僕の中にはそれを億劫がる心も育っている。誰にも会いたくない気分もするのだ。

僕はロックダウンを通して、人に会わずに生きる時間の愉快を知ってしまったのだ。

少しまずい兆候である。他者に会うことを面倒くさがるようでは気持ちは沈むばかりだ。コロナめに心を折られて人生を棒に振ってはたまらない。気をつけよう、と自らを鼓舞しつつ、それでも秋から冬にかけての再びのロックダウンや外出規制にも備えようと気を配ったりもしている。

そうした個人的な感慨とは別に、自宅から一歩も出られないほど過酷で長いロックダウン体験がもたらした、人々の心理の綾や変遷また心の陰りや逆に光明、といったこともひどく気になる。自分を含む人の心のあり方がコロナ禍で一変したのであれば、それは新型コロナの行く末と同じくらいの重大事案だと思うからである。


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続:日本はすぐに厳しい規制の準備をするべき

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イタリアがふいに新型コロナに襲われて、外からの援助も一切ないまま世界一のコロナ地獄の中で呻吟していたころ、僕は「日本は即刻、イタリアの轍を踏まない準備に走るべき」というタイトルの記事で故国の注意を促し、その後もことある毎に国の外から見た意見や感想を述べてきた。

イタリアは最悪の状態を「いったん」抜け出して落ち着いている。ところが深刻な危機には陥らなかった日本は、小休止のあと、思いがけなくも第2波の到来か、と誰もが不安になるほどの感染拡大の時間を迎えている。

僕は個人的に第2波は必ずイタリアも日本も襲うと考えてきた。だからそれがやって来たらしいことには驚かないが、イタリアの前に日本が第2波に見舞われるなら少し意外な感じがしないでもない。

日伊双方はロックダウンを解除して―「緊急事態宣言」 というのは同調圧力を罰則とする日本式ロックダウンである―社会経済活動をほぼ通常に戻した。従って今は国民の感染防止策への気の入れ方と責任ある行動の有無が結果を左右する。

そして3密を意識して国民が慎重に動くという観点では、イタリアよりも日本のほうがはるかに国民の意識が高く信用できる。それなのに日本が先に第2波に襲われるのは、イタリアが2月21日を境に突然コロナ地獄に落ち込んだ事件と同じ、とまでは言わないが結構な驚きだ。

2020年7月19日現在の感染状況は、イタリアよりも日本のほうが深刻である。数字で言えば7月19日の日本の新規感染者数は662人、一方イタリアのそれは249人。ここしばらくは常に日本の新規感染者数が多い。しかも一日あたりの検査数は依然としてイタリアが勝っているので、数字のギャップはさらに大きい可能性がある。

しかし数字の現況はほとんど意味を成さない可能性もまたある。イタリアが全くふいにコロナ感染地獄に突き落とされた2月21日、国内の感染者はたった3人だった。そのうち2人はイタリア旅行中の中国人夫婦。もう1人は武漢から政府専用機でイタリアに帰国した56人のイタリア人のうちの、若いイタリア人男性。3人はローマで隔離されてほとんど何の問題もなかった

一方、日本は当時、クルーズ船乗客を含めて80人前後の感染者を抱えていた。日本のほうがはるかに深刻に見えた。しかし、周知のように情勢は一気に逆転し、イタリアは2月21日を境に文字通り世界一のコロナ地獄国へと転落。片や日本は感染者数も死者数も少ない幸運な国のひとつであり続けている。

だが7月後半の今は、東京を筆頭に日本の新型コロナ感染者が急速に増えている。それは第2波の襲来か否かという観点ではなく、第1波が継続していて人の移動が活発になるとともにウイルスの活動も旺盛になった、と言うほうが正しいのではないかと僕は考えている。

第2波の襲来と言うと、あたかも日本がウイルスを一度押さえ込んだように聞こえる。また実際にそう考える人も多くいる。これまで感染爆発が起きなかった事実や死者数が極端に少ない点などを勘案すれば、そう捉えることもできるかもしれない。

だがCovid-19による死者が少ないのは―あくまでも個人的な感想で専門的知見によるものではないが―日本の対策が効を奏したからではないと僕は思う。また結核ワクチンBCGの接種の影響や日本人が過去に新型コロナに類似したウイルスに感染して免疫を得た説など、専門家の見解もいくつか出回っている。だがどの説も科学的に証明されてはいない。

単に日本が運が良かっただけ、という考え方もある。その可能性は50%ほどの確率でありそうに見える。ともあれその不思議については、今後科学的な究明が進むだろう。大きな謎が科学の分野で残るわけだが、コロナ対策をめぐる日本の政治もそれに負けないくらいに大きな謎だ。

つまり、感染拡大を押さえ込むよりも、国民の社会経済活動、特に経済活動を優先させたい政治の思惑ばかりが堂々とまかり通るのが不思議だ。それは決して経済を無視して言うのではない。経済は重要だ。経済困窮で死者が出かねないという議論さえも理解できる。

だが経済をうまく回しつつ感染拡大も防ぐ、というのは世界中のあらゆる国が掲げる理想ながら、これまでのところ誰もそれに成功していない。日本政府は本気でそれに挑む覚悟と知恵をもっているのだろうか?僕にはとてもそうは見えない。覚悟も知恵もおざなりだ。

アメリカは再選を目指したいトランプ大統領の思惑で経済優先策が取られ、コロナの感染拡大と死者の山が築かれている。またブラジルではボルソナーロ大統領が、アメリカよりも強権的な手法が取りやすい政治土壌をいいことに、経済ファーストと叫んでやりたい放題に振舞って、これまたアメリカ以上の惨状を招いている。

一方日本では、経済の専門家といえば聞こえがいいが、金の計算に余念がない守銭奴の専門家や御用学者らが、例によって世界の情勢を見ようともせずに、日本の経済の落ち込みばかりを言い立てて社会不安をあおる。

そんな折に専門家に輪をかけた拝金主義者の政治屋がよってたかってさらに日本社会の強欲度をあおり、経済の効率を高める政策のみを推し進めようと画策する。経済が停滞すればCovid-19による死者よりもはるかに多くの国民が死亡しかねない、とさえ彼らは主張する。

それには一理あるが、経済不安のみを一方的に強調する論はまやかしだ。日本はコロナ禍に見舞われている世界の国々の中では、経済的にはきわめて恵まれている。日本の経済的な傷は浅いのだ。たとえばここイタリアを見れば良い。コロナの猛襲を受けて前代未聞のロックダウンをかけたこの国の経済は壊滅的な打撃を受けた。

イタリアはもともとG7国の中では最悪の経済状況に悩まされてきた。そこにコロナ禍がやって来て経済はいよいよ落ち込んだ。だがそれは多かれ少なかれ欧州の全ての国に当てはまる現実だ。イタリア以上の落ち込みを見せるのは、10年前の欧州ソブリン危機の後遺症に悩むギリシャやスペインなどに限られはするものの、英独仏の経済大国でさえも巨大なダメージを受けたのだ。

アメリカでさえ経済危機に陥っている。それらに比較すれば日本の状況ははるかに良いのだ。自粛という名の下に社会経済活動に規制をかけた日本では、経済活動が完全にストップすることはなかった。経済はむろん落ち込んだ。だがもう一度言う。日本経済は世界の中ではとても幸運な部類に入っている。

少々の経済の停滞や空腹が国民に死をもたらすことはない。日本は経済の停滞と結果としての国民の少しの空腹でさえも覚悟で新型コロナの封じ込めに専心するべきだ。日本は以前、それを怠った。少なくともPCR検査を徹底しなかったことで、市中に潜むおびただしい数のウイルス、即ち無症状の感染者を見過ごした可能性がある。それが現在の感染者の増大につながっているのかもしれないのだ。

死者が少ない日本の現実は幸いだ。そのわけは今後科学が解き明かすだろう。それは胸がわくわくするほどの好奇心を誘う謎だ。だが今このときは、その幸運をうまく利用して経済を伸ばすことではなく、「幸運を利用して幸運をさらに強化する」方法を考えるべきだ。つまり、さらなる経済の落ち込みを覚悟しての感染防止策を採ることだ。

早く言えばロックダウンかそれに近い厳しい規制を導入する覚悟を決めること。むろん日本式ロックダウン即ち「緊急事態宣言」でも構わない。国民の自粛に頼る手法は、日本社会の後進性、未開性を端的にあらわすもので不快だが、背に腹はかえられない。

1918年に始まった「スペイン風邪」の大流行時には、アメリカ国内の都市のうちロックダウンを素早く強烈に長期間行ったところほど、パンデミック終結後の経済回復が早かった、という研究もある。時代も経済状況も違うものの含蓄に富む内容だ。だからという訳ではないが、僕はここでも前回と同じように「日本政府は断固とした政策を取れ」と主張したいのである。



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コロナ第2波がすぐそこに見える


マスク群集イラスト650


イタリアが世界一のコロナ地獄におちいったのは2月。寒いころだった。コロナ地獄は3月、4月と悪化し5月になって少し落ち着きを見せた。イタリア政府は5月から段階的にロックダウンを緩和し、6月には全面的に解除した。

7月の今はコロナの勢いは衰えたように見え、国内の社会経済活動がほぼ普通に戻った。だが新規の感染者は恒常的に発見されていて終息には程遠い。それどころか個人的には僕は第2波の襲撃は不可避と考えている。

新型コロナウイルスは第1波が去って第2、第3波が来るあるいは来ない、と語られるのが普通で僕自身もそう表現してきたが、実はそれは誤りで、コロナは常にそこにあって密かに増殖、つまり感染拡大を続けている、というのが正しいのではないか。

イタリアは世界最悪のコロナ禍中にいた2~3月、また4月の悪夢を経て、第1波が去り次の攻撃を戦々恐々としながら待っている、と多くの人が考えている。だが、死者数こそ減っているものの、新規感染者はひっきりなしに発見されて累計の感染者数は確実に増えている。「第1波が去った」とは言えないように思うのだ。

日本の状況も欠かさず見ているが、イタリアよりも新規の感染者が多い状況は、やはり第1波の終焉や第2波の始まりと言うくくりよりも、コロナが常にそこにあって密かに宿りを広げている、と見たほうがいいのだろう。

2020年7月17日の状況は、イタリアよりも日本のほうがより深刻な危機にあると見える。イタリアの感染者は世界でもトップクラスの検査数の結果として出ているが、日本の検査数は以前よりも増えたとはいえ多くの国々に比較すると相変わらず少ない。それにもかかわらずにここ最近は、イタリアを上回る数の感染者が出続けているのだ。

古くて、だが常に新しい問いだが、日本の実際の感染者はやはりはるかに多いのではないか。死者数が極端に少ないことと、無症状の感染者が全体のおよそ半数にも上る、とされる新型コロナ感染の実態が現実を見えにくくしているのではないか、という疑念がどうしてもつきまとう。

2020年7月17日現在の日本の感染者数は前日比623人増である。230人の新規感染者が見つかったイタリアよりもかなり多い。このまま増大しつつければ感染爆発という状況もあり得る。これまで危ない危ないと言われながらも感染爆発が抑えられてきた分、日本国内にいる人々はきっと不安だろう。

しかし、ここイタリアにいてコロナ禍に「突然」且つ「深刻に」襲われ、どこからの助けも受けられないまま恐ろしい日々を過ごした体験を持つ者には、感染爆発が来ても―言うまでもなく来なければそれに越したことはないが―恐るるに足らずという思いもある。イタリアのように医療崩壊さえ起こさなければ、苦しい中にも救いはあると考えるのだ。

当時のイタリアの恐怖を今このとき味わっているのは、おそらくインド、パキスタン、イランほかの中東諸国、またブラジルとペルーに代表される南米各国などだろう。医療体制が脆弱なそれらの国では、先進国でありながら医療崩壊に陥った際のイタリアの絶望感と恐怖に似たものを実体験しているのではないか、と容易に推察できる。

独裁国家の中国を除けば世界一過酷とされた、イタリアのロックダウンの日々はまだ記憶に新しい。そしてあの日々はきわめて高い確率でまたやって来る、と僕はどうしても思ってしまう。たとえあれほど厳しい規制の日々ではなくても、移動制限をはじめとする統制が導入される日が近い将来必ず来ると考えるのだ。なぜか。

ロックダウンが緩和されて以降、3密への警戒はおろかマスクさえきちんと付けない人々が、海で山で街中でまたレストランをはじめとするあらゆる歓楽施設で、集まり寄り添い顔を突き合わせて歓楽に余念がないからだ。ウイルスにとっては絶好の増殖機会だ。

また、2月から5月初めまでのすさまじい感染拡大は収まってはいるものの、暑い夏に入ってもイタリアの新規感染者はゼロではない。ゼロどころか、既述のようにコンスタントに発生している。7月に入ってからも新規感染者の数は毎日100人以上300人未満の間で推移しているのだ。

僕は大げさにならない程度の分量と頻度で、ロックダウンに備えて少しづつ食料や生活必需品の買い置きを進めている。昨年3月に受けた狭心症の手術が、新型コロナの猛威の前にふいに大きなハンディキャップとなって僕の心身にのしかかかってきた。

還暦を過ぎた僕は、むろん若くはないがまだまだ死ぬわけにはいかない、と感じている。やるべきことが多すぎるのである。いや死ぬのはいい。だが、コロナごときで死ぬのはどうにも癪にさわる、というのが正直な気分である。




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渋谷君への手紙~中国は有罪で無罪です


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『 渋谷君、

君が僕のかつての記事「COVID-19の今を斬る~ 中国は有罪?無罪?」を読んで僕の意見に疑問を呈してから大分時間が経ってしまいました。返事が遅れたことをお詫びします。君は僕が中国を全面的に否定しないのが不満でしたね。僕の言い方が煮え切らない形に見えたのでしょう。

中国が先日、「香港国家安全維持法」を強引に成立させ施行して、自由香港の終わりが来たとさえ言われる横暴が現実のものとなりました。香港の人々の深い失望と無力感が、ひしひしと僕の胸に伝わってきます。

僕が中国を牛耳る中国共産党と首魁の習近平主席を「ほぼ全面的に」否定しながら、中国国民には罪はないと敢えて付け加えることが多いのは、中国国内にはまさにこの香港人と似た立場の国民が少なからずいると考えるからです。香港に加えて台湾の人々も同じ脅威にさらされています。

民主主義国家の場合、時の政権はまがりなりにも国民の意志によって形成され存在しています。国によって民主主義の成熟度に差があり民主主義体制自体も不備な点が多々あるために、問題は尽きることがありませんが、われわれは今のところ民主主義に勝る政治体制を発見していません。

そして民主制はその多くの欠点にもかかわらず、王制や貴族制や君主制などの過去の遺物的な政治体系、また専制や独裁制や全体主義などの近・現代の強権政治構造と比較して、はるかに開明的な仕組みです。むろん一党独裁の中国など問題にもならないほどの優れた政治システムです。

しかしながら、民主主義の優位性にもかかわらず、中国一党独裁国家は特に経済発展というコンセプトでくくって眺めると、あるいは民主主義と不可分の資本主義よりも効率的ではないか、という疑問を抱かせるほどに成功しています。中国独自の「社会主義市場経済」の不思議ですね。

欧米や日本などの先進国は、貧しかった中国を経済的に援助し続けることで彼の国を甘やかし過ぎました。そして中国が経済大国になった今、それらの先進国と世界は、往々にして成功した中国に遠慮し恐れさえして、中国はますますつけ上がる、という構図が出来上がってしまいました。

経済大国とはいえ中国には、民主主義国家に当たり前の基本的人権の保障、すなわち言論と表現の自由、法の下での平等と保護、集会結社の自由、宗教の自由などは皆無です。中国の都会に住んで働く農民工が、決して都市戸籍を得られず、死ぬまで農民のままでいなければならない仕組みなどを勘案すれば、職業の自由さえない、とも言えます。

中国における権力は、習近平氏を頂点にした共産党員によって独占されて、かつての王や専制君主並みかそれ以上の強権によって民衆はがんじがらめに縛られ統制され抑圧されて生きています。それでも権力に近い国民は、普通に権力に守られあるいは権力の便宜を受けて、特権階級となります。

またそれらの特権階級の係累や傘下にある人々も恩恵にあずかって生活水準が良くなったと感じ、権力を大いに支持します。そこには知識人や文化人やインテリ層や専門家集団、また富のおこぼれにあずかって喜ぶ無数の一般大衆などがいます。

彼らは全員が共産党支配を善しとし、中国が何事も世界で一番の国と思い、そう行動します。中には共産党の強権体制の弊害を知り、民主主義体制の長所を知りつつも、自分が特権の恩恵を受け続ける限り何も問題はない、と考える者もいるでしょう。

また思想統制、情報管理、洗脳教育などによって、一党独裁の現在の中国が最善の政治体制と“信じこまされている”無知蒙昧な民衆もいます。彼らは共産党員ではなくても、中国こそ善、中国こそ世界をリードする国、中国万歳、と叫んで排外主義を身内にはぐくみ募らせます。日本のネトウヨ系排外差別主義者らと同じ類の民衆ですね。

君がいつもの君らしくなく「中国人は誰もが独善的」と非難するのは、もしかするとなにかのはずみでそんな類の人々にしか出会っていないからではありませんか?だが一般化は禁物です。僕もそういう人たちを知っていますが、同時にそうではない中国人にもかつて住んでいた英米で、またここイタリアでも多く出会っています。

巨大国家中国には、民主主義体制下における言論、思想、移動行動、教育、政治行為など、全ての自由を知りつつ、それを享受できない、これまたおそらく「無数の」という形容詞を使っても許されるほどの多くの国民がいます。悲しいことに香港や台湾の人々も、近い将来この階層に組み込まれる可能性があります。

そうした人々の存在は、反体制運動家の逮捕や抑圧の現実、チベットの状況、ウイグル族への弾圧など、われわれ自由主義世界の住民にも漏れ伝わってくる断片的な情報で知ることができます。が、実態は判然としません。なぜか。まさに中国が独裁国家であり情報統制を最重要の命題と位置づける警察国家だからです。

強権体制の犠牲になっている国民がいて、前述の如く犠牲になっていることにさえ気づかない無知な民衆がいます。ただ「自らが抑圧されている」と気づくためには情報がなくてはならない。無知な大衆は、「比較する情報」が不足していると政府の非にも気づけないことがよくあります。

だから習近平主席が引っ張る共産党独裁政権は、情報を遮断しまた操作して、民衆をできる限り知の光の届かない暗闇の中に置こうと躍起になります。知の闇の中の人々も、積極的に習近平とその周りの権力に加担していない限り、全て「共産党の犠牲者」と僕は考えています。

繰り返しますが、民主主義体制下では政治権力は国民の意志によって作られています。従って一国の責任は国民全体の責任、とも捉えることができる。政権に反対する国民は、あるいは自らには責任はないと主張するかも知れません。だが、それは間違いです。彼にも責任はあります。

なぜなら彼は現行の政権下では不利益をこうむっているかもしれないが、次の選挙で彼に利益をもたらすと考えられる政権を選ぶことができるからです。言うまでもないことですが民主主義国家には選挙によって政権が変わるという一大特徴があります。国民は政権を選ぶ可能性を有することで、巨大な政治的自由を享受しています。

一党独裁国家中国の国民にはその自由がない。自由どころか彼らの多くは政治体制の犠牲者です。また彼らは習近平率いる独裁政権の樹立にかかわっていません。かかわることを許されていない。だから彼らには中国共産党に科せられるべき罪はないのです。民主主義国家との大きな違いはそこにあります。中国政権と民衆を僕がいつも切り離して考えるのはそれが理由です。



以上
                                   それではまた 』



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毒をもって毒を制す~“香港国安法“と「習&トランプ」 

ドア蹴るトランプ切り取り拡大400


今このとき、地球上に無いほうがよいもので、だが価値が無くはないものの代表例が二つある。即ち:トランプ政権&ドナルド・トランプ  また 中国共産党政権&習近平である。

もう少し詳しく言えば:

今このとき無いほうが良いものは、トランプ政権&ドナルド・トランプと中国共産党政権&習近平。同時に今この時とき価値が無くなくはないものは―謎解きのような言い方だが―トランプ政権&ドナルド・トランプと中国共産党政権&習近平である。

中国が「香港国家安全維持法」を強引に成立させた。宗主国だったイギリスとの間に交わした、「50年間は香港の高度な自治を認め一国二制度を堅持する」とした約束を、中国はいつもの伝であっさりと破った。

約束を破り、嘘をつき、且つ臆面もなくそれを言いつくろい、自らが正しいと詭弁を弄するのが中国のお家芸だ。そして腹立たしいことに中国の横暴に世界はほぼ無力だ。

米トランプ大統領は、中国への抗議の意味で、香港に認めている経済優遇措置を廃棄した。だが彼の制裁処置など中国は屁とも思っていないのではないか。ここ数年の米中経済対立を見る限り、中国はトランプ大統領の攻勢には一歩も引かない強い意志を見せている。

かつての貧しい弱体な中国からは考えられない展開だ。むろん中国は経済的には苦しいに違いない。が、しかし、14億余の国民を習近平独裁機構の意のままに―生き死にを含めて―動かせる強みを背景に、米国に対峙している。

経済が死するならば14億余の民を餓死させればいいのだから、たとえ経済で引けをとっても、彼ら習近平独裁機関は最終的には米国には負けない、と考えているようだ。

一方、国内でも対外政策でも嘘をつき、次にはそれを糊塗しようと躍起になり、さらなる嘘をついて強弁を繰り返すトランプ政権は、中国共産党政権とほとんど同じ程度に信用に値しない代物である。

だがそれでも、トランプ政権は存在したほうが良い。なぜなら中国に遠慮会釈なく噛み付き、敵対してはばからないのは、世界ではトランプ大統領のみだからだ。

ポリコレなど一切お構いなく中国を“口撃”する彼のレトリックは、宣伝効果もあってそれ自体は小気味良い。米中以外の世界の全てが、中国共産党に遠慮しすぎている昨今は特に。

だが11月の大統領選挙で民主党が勝てば、アメリカは再び中国に対して弱腰になるだろう。民主党のバイデン候補は「当選したら中国に厳しく対する」と公言しているがあまり期待できない。

アメリカも世界も、中国にはもはや甘い顔をするべきではない。これまでの民主党のやり方では決して中国に対抗することはできない。いや、共和党もトランプ的強硬姿勢で臨まない限り、中国を封じ込めることはできないだろう。

「香港国安法」ゴリ押しに象徴されるナラズモノ国家の中国では、しかし、習近平主席と彼の独裁体系が今のまま権力を握って好き放題をしているほうが良い。なぜならそれがもう一方のナラズモノ組織、即ちトランプ政権に太刀打ちできるほぼ唯一の世界レベルのパワーだからだ。

つまりアメリカと中国、そして 習近平とドナルド・トランプは、地球上に存在しないほうが世の中のためになるが、今この時点ではお互いになくてはならない存在だ。「毒を持って毒を制する」ために。

究極には、トランプ政権も中国共産党政権も消えてなくなったほうが良い。それも必ず「同時に」である。それでなければどちらか一方のナラズモノ政権大国がのさばることになって、世界は将来「新型コロナ危機」並みの憂鬱を抱え込むことにもなりかねない。





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アッパレな自民党



キンペー&二階


中国が「香港国家安全維持法」を施行させたことに抗議して、自民党は延期されている習近平国家主席の国賓としての日本訪問を中止しろ、と政府に求めるという。

政府は安倍首相が代表だが、自民党総裁もまた安倍首相なのだから、結局その方針は安倍首相主導のものだろう。僕は政治的に安倍首相を支持しないが、この決定は大いに支持する。

米トランプ大統領は、「香港国家安全維持法」に対する中国への抗議を口先だけで吼えて何もしない。いや、香港に認めている経済優遇措置を破棄して一応の制裁は科した。だが中国はそんな制裁など屁とも思っていないだろう。

習近平主席が率いる一党独裁機構内では、彼の一存で14億余の民衆の生き死にさえ縦横に裁断できる。香港が経済的に行き詰まるなら、そこが完全に破綻し人々が死に絶えるまで制裁されたままにしておけばよい、とさえ彼らは考える。

考えるばかりではなく、彼らは計略を実行することができる。それは経済よりもはるかに大きな、抑圧、隠蔽、また暴力御免の、デスポティズムという名の万能カードだ。ここ最近の米中経済戦争において、中国がアメリカが打ち出す政策に一向にひるまないのも同じ背景があるからだ。

米国が香港つまり中国に科した経済制裁は、自由市場経済では重要な意味を持つが、一党独裁国家に対してはそれほどの効果はないだろう。自由主義陣営はそろそろそこに気づくべきだ。そして経済制裁や規制とは違う何かを編み出すほうがいい。

それは米国一国だけではなく、あるいは欧州やEU単独でもなく、むろん日本やインドやカナダやオーストラリアなどの独自策では毛頭なく、自由主義陣営が一丸となって考え実行しなければ決して成功しない。米中経済摩擦でアメリカが単独で中国に対峙して、少しも埒が明かないのが何よりの証拠だ。

だがトランプ大統領は、日本を除くほとんどの先進国と自由主義陣営の国々と対立している。少なくとも蜜月関係にはない。アメリカファーストの利己主義と品格のかけらもない言動が各国の反感を買っている。何でもかんでも彼に従うのはアメリカの従僕に徹して恥じない安倍政権のみだ。

香港国家安全維持法への一応の反撃も米国は一国のみで行った。他の国々を先導して強力な態勢で中国に物申そうという意識がまるでない。当たり前だ。その少し前にはG7をアメリカで開こうとして、コロナ禍を言い訳にする独メルケル首相やカナダのトルド-首相らにさえそっぽを向かれている。全く信用がないのだ。

結局トランプ大統領にとっては自身の選挙だけが重要で、世界の自由と民主主義と人権などという高尚なコンセプトには興味がないのだろう。それどころがコンセプトの意義さえ理解していない可能性がある。だから香港の国安法への対応も一国主義のおざなりなものになってしまっている。

トランプ大統領の変わり映えのしない動きとは裏腹に、日本は自民党が習近平国家主席の国賓としての日本訪問を中止するべき、と主張しはじめたらしい。本気ならアッパレな動きだ。ぜひその方針を維持してほしい。

だが何事につけトランプ大統領の政策にケツナメ追従する安倍政権である。今回も中国に制裁を科したトランプ大統領に盲目的に従っただけ、という見方もあるだろう。だが、それは違うのではないか。

なぜなら曲がりなりにも自民党(つまり安倍政権)独自の考えで明確に習近平訪日を拒否する、と言ったのだから評価されてしかるべきだ。トランプ大統領に追従するだけの外交を展開していた政府、および政権党の自民党にしては、上出来の内容だ。

おそれることなくその線でまい進してほしい。アッパレなものはアッパレだ。従来なら安倍政権つまり自民党は、トランプ大統領のケツをなめる一方で、中国に対してもいい顔をして「習近平主席の訪日を待ち続ける」などと言い張るあたりがオチだったのだから。。


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自業自得なスケープゴート



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5月25日、ニューヨークのセントラルパークで、黒人男性に規則違反を指摘された白人女性が、いわば仕返しに(心理的に)警察に電話をして「黒人が私を脅している」と通報して問題になった。事件は沙汰止みになるどころか捜査が進展して、被告女性は虚偽申告の罪で起訴されることになった。

妥当な結果、と思う一方で、正直少しの違和感も禁じ得ない。

妥当だと思うのは、ビデオに記録された被告と被害者のやり取りの一部始終を見る限り、あたかも相手に暴力でも振るわれたかのように装う被告の演技と嘘は許しがたい。また電話申告の内容は実質、「黒人の男が私を殺そうとしている」と言うにも等しいひどいものだ。

被告の深い人種差別意識があらわになった醜悪な光景もさることながら、電話を受けた警官が現場に駆けつけて、うむを言わさずに被害者の男性を射殺したかもしれない蓋然性を考えれば、恐ろしい内容だ。そういう事件が日常茶飯に起こっているのがアメリカの問題である。

同時に、違和感も覚える。彼女の行為は許しがたいものだが、それがきわめて多くの白人に共通する「秘められた」差別意識であることが分かるから、正義感にあふれた人々が騒げば騒ぐほど、被告がいわばそれを正当化するためのスケープゴートにされているようにも感じるのだ。

被害者が被告女性の攻撃の様子を撮影したビデオがSNSで拡散されたために、彼女は人種差別を理由に事件後すぐに会社をクビになった。さらに彼女は公式に謝罪したにもかかわらず、「殺してやる」という脅迫まで受けたりしている。その後も捜査が進められて起訴にまで至った。

事件発生後の一連の出来事は、正当であると同時にどうも胡散臭いとも感じる。いま述べたように被告はSNSほかで激しく叩かれ死の脅迫さえ受ける一方で、職を失い住まいを追われた。つまり、被告はすでに相当以上に「社会的制裁」を受けている。だから許されるべき、という意見もあるかもしれない。

そういう意味からではないが、僕は彼女に対してどうしても少しの同情を禁じ得ない。繰り返しになるが、人々の(特に白人)中の悪意を見えなくするための大騒ぎのようにも見えて仕方がないのだ。

むろん差別者自身に彼らの差別感情を秘匿する意志がそこで働くとは思えない。が、大勢が騒ぐことで彼らの心の中に巣食う差別意識が知らず隠蔽されていくという効果があらわれる。僕はどちらかといえばその点をより憂慮する。

一方ではまた、言うまでもなく被告が指弾されることで、社会全体の悪意が抉り出されてその毒が弱まる可能性は高い。こうした事件を罰する意義はまさにそこにある。

だが、悪意が心身の奥深くにまで食い込んでいる者、つまり、例えばトランプ大統領の登場によって暴露された、大統領自身を含む半数近い米国人のうちの特に差別意識と憎悪心が強い者にとっては、喧騒は格好の隠れ蓑になる可能性もある。

被告女性を糾弾するばかりではなく、日本のネトウヨ系排外差別主義者らの同類である米国人、つまり差別と憎しみという心の闇に支配されてうごめく、特に白人の米国人の実態について思いをめぐらし監視を続けることが、真の「差別反対思想」やそれへの賛同を示す際の重要なポイントではないか、と考えるのである。





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岡江久美子さんのこと



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テレビ屋という仕事柄、各界の著名な方々に会うことも多い。むろん仕事である。よほどのことがない限り、そのことについては書かない。仕事上の出会いだから、むやみに披露するのは、自分の中においているいわば守秘義務にも似た原則に違反する、と考え自制している。

しかし近年、いきさつとか功績とか人柄などを考慮しつつ、書いて置くほうがいいのではないか、とも考え出している。主に亡くなった方々を中心に。それは大きく言うと歴史の一要素、とも見なせるからである。

イタリアでは取材を通して、誰もが顔や名を知っている方々にお目にかかった。ファッションデザイナーやプロサッカー選手にも多く出会った。90年代が中心である。サッカー選手はもはや全員が現役を引退しているが、健在。一方、デザイナーは亡くなった方も多い。

仕事とはまったく別の場で行き逢った有名人の方もいる。そのひとりが先日新型コロナウイルス感染症で亡くなった岡江久美子さんである。

岡江さんとは僕が大学卒業間近だった頃に、世田谷区・千歳船橋駅近くの居酒屋で偶然に隣り合わせ、年齢が近いこともあったのだろう、とても親しく楽しく語り合った記憶がある。

映画の話を多くした。いつかいっしょに映画を撮りましょう、ぐらいの生意気を言ったかもしれない。僕は大学卒業後すぐにロンドンの映画学校に留学することが決まっていて、いわば気持ちがハイの状態だった。そのことについても多く語ったと思う。

既に有名人なのに岡江さんには気取りも気負いもむろん思い上がりのかけらさえもなかった。お互いに20歳代前半の若者同士とはいえ、社会的な立場は大いに違う。それなのに僕に対している彼女の表情や物腰や言葉使いには、自然体の美しさだけがにじみ出ていた。

文字通り明るくさわやかで聞き上手。大いなる話し上手でもあった。ごく普通の若者だった僕が美形の有名人に萎縮しなかったのは、ひとえに岡江さんの飾らないお人柄ゆえだった。僕は終始あたかも大学の女子学生のうちの、親しみやすい人と会話をしているような気分でいた。

大いなる田舎者の僕は、都会出身の女子学生にいつも憧れていた。東京出身の岡江さんはその典型的な存在にも見えた。垢抜けて麗(うら)らかでしかも可愛い女性だった。僕はまさに学生気分で彼女に対し、岡江さんもおそらくそれに似た気分で返してくれていたような記憶ばかりがある。

その半年後に僕は英国に渡り、4年以上後に日本に帰国してTVディレクターになった。岡江さんがいろいろなところで活躍していることは分かっていた。同じ時代に僕は東京を基点にアメリカのケーブルTV向けの報道番組やドキュメンタリーを矢継ぎ早に作っていた。

その気になればテレビ局やプロダクションなどの関係者を通して、岡江さんにコンタクトを取ることは可能だった。僕らはテレビカメラの向こう側とこちら側、また有名女優としがないディレクターという立場の違いはあるものの、つまるところ同じ業界人同士ではあるのだ。

単にコンタクトを取るばかりではなく、僕は仕事を作って岡江さんに出演を依頼することもできた。米ケーブルTV番組は、日本を紹介する2、3分の報道セグメントから10分前後の報道ドキュメンタリーまたソフトニュースなどから成り立っていた。

僕は若くて未熟ながらも企画アイデアだけは豊富で、連日機関銃のように起案をし、日米混合のスタッフと共にロケに出かけ、編集作業に没頭していた。僕の企画はぼ全てが通って制作に回された。ケーブルテレビはいわば黎明期で新しいことにがむしゃらに挑戦していた。だから僕のような若造の計画でもよく受け入れられたのだと思う。

番組企画のひとつとして、たとえば岡江久美子さんを取り上げて、日本のタレントあるいは女優の生き様、とでもいうようなタイトルで短いドキュメントを制作することも十分に可能だった。ケーブルTVというマイナーな媒体とはいえ、れっきとしたアメリカ向けの番組だから、当時日本人は芸能人やアーチストに限らず、文化人また知識人など、ほぼ誰もが積極的に出演を受けてくれていた。

だが、多忙な日々の中で岡江さんにお願いをする企画を出すことはなく、僕はまもなくニューヨークに移動することになった。そこで2年余り仕事をした後に、今度はイタリアに移住した。それでもどの国にいても日本には仕事や休暇でひんぱんに帰り、岡江さんがTBSの『はなまるマーケット』 などで活躍されていることなども知った。

日本の仕事では主にNHKにお世話になった。が、民放にもかかわりむろんTBSとの仕事もした。しかし、岡江さんとの接点はないまま時間は過ぎた。テレビでお顔を拝見するたびに、遠い昔の記憶を呼び起こしながらひとりで勝手に親しむのみだった。

再会することはなかったが、Covid-19で亡くなったという驚愕のニュースを衛星放送で知って、すぐにイタリアからお悔やみの記事を書こうと思いついた。だが、冒頭で述べたプロのテレビ屋としての自制が勝り、ためらった。

そうこうするうちに岡江さんの訃報から2ヶ月が経った。だが今も新型コロナの脅威は消えていない。たとえば世界一厳しいとされたロックダウンが終わったここイタリアでは、反動で人々のタガがはずれたのか、3密の危険への警戒心などもどこかに吹き飛んだようだ。マスクも付けずに人々が密集して、歓楽にひたる光景がひんぱんに見られる。怖い状況である。

そしてそれは、イタリアほどのコロナ地獄は経験しなかった日本でも、どうやら似たり寄ったりの様相を呈し始めたようだ。ほんの少し前の日本では、志村けんさんや岡江さんの訃報が、人々の中に新型コロナへの強い危機感を植え付けるきっかけになった。

その観点ではおふたりは、自らの死を持って多くの日本人の命を救った、とも言える。それを尊崇する意味でもやはり自分なりに追悼の意思を示しておこうと考えた。また、岡江さんとは仕事でご一緒したことはないのだから、いわば
1人のファンとして個人ブログ上でお悔やみを申し上げるのは許されるのではないか、とも思った。

訃報が公表されて以降、岡江さんのお人柄に対する賞賛が後を絶たない。僕ははるか昔の学生時代に偶然にお会いして、人品の清らかさに感銘を受けた自分の印象と、多くの人々のそれが同じであることを誇りに思いつつ、胸中でそっと手を合わせているのである。



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イタリアの死者数が最低でもコロナはそこにいる


キャンペ女性切り取り


2020年6月27日現在、イタリアの累計感染者数は24万人を超えた。だがそこから回復者数と死亡者数を引いた実質感染者数は16836人。

イメージが湧きやすいように敢えて言えば、イタリアの今日現在のコロナ感染者数は日本の累計感染者数18409人より約1500人も少ない。

世界一のコロナ感染地獄国と化したイタリアが、人々の恐怖と不安と悲鳴と絶望に埋め尽くされていた、一時期の悲惨な状況からは考えられないような改善である。

そのトレンドを確認するかのように、6月27日の死亡者数は8人とコロナ禍が本格化して以来初の一桁台になった。

また集中医療室患者数は97人、とこちらも初の2桁台。新記録である。なお感染拡大時には1日あたりの最大死者数は919人、 集中医療室患者数は4068人にものぼっていた。

イタリアの新型コロナ惨禍は間違いなくいったん落ち着きつつある。だがそれはあくまでも「いったん」だ。先行きは全く見えない。

数字が目覚しい改善を見せた一方で、南部イタリアのナポリ県を含む全国の10の地域であらたに集団感染が発生した。

また夏を迎えほとんどのロックダウン規制が解除されて、国中の至るところで対人距離の確保はおろかマスクさえ付けない人々が、密集し歓談し遊びほうける様子がひんぱんに見られる。

今の状況では、コロナウイルスが奇跡的に且つ自然に消滅でもしない限り、秋から冬にかけて感染流行の第2波、第3波が襲い掛かるのは必定と見える。

そうした状況はイタリアに限ったものではなく、スペインでもフランスでもそしてイギリスでも見られ、心ある人々を戦慄させている。

僕はそろそろ次のロックダウンに備えた動きを始めようかと考えている。ロックダウンには至らなくとも、大きな規制をかけなければ収まらない事態が必ず来る、と思うから。

同時に英オックスフォード大学とイタリアの製薬会社が組んで開発している新型コロナワクチンが、噂通り年内に完成することを期待しつつ。

ワクチンは予定通りならイタリアでもすぐに入手可能になる。そうなればロックダウンも必要なくなるかもしれない、と楽観もしながら。。



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英伊ワクチン同盟



Oxfordワクチンボトル


新型コロナで痛めつけられたイタリアは、日本などの知ったかぶり専門家らに「医療レベルが低い」「感染爆発への対応が悪い」などと、先進国にもあるまじき不備やうっかりやアバウトさを批判されることはあっても、最新の医療分野での新技術や発明や発見などを賞賛されることは少ない。

ところがどっこいイタリアは、欧州の技術革新の基礎になったローマ帝国やルネサンスなどの昔を持ち出すまでもなく、現代の医療分野でもそれなりに傑出した貢献をしている国だ。新型コロナのワクチン開発でも同じ。国内での独自の研究開発とは別に、国外の研究機関や施設とも提携して成果を挙げている。

その最たるものが、ローマ近郊の製薬会社IRBMが英オックスフォード大学のJENNER研究室と共同で進めているワクチン開発。世界では現在、合計140(120という説も)種類前後のワクチンの研究開発が進められている。今のところそのうちでもっとも有望なのが、英伊共同開発ワクチンなのだ。

だがほとんど誰もイタリアの関与には触れない。まず「オックスフォード大学が開発中」と研究機関の名を挙げて報道し議論を展開する。イタリアの名前はずっと後になって申し訳程度に言及するのが普通だ。もっとも言及されることがあれば、の話である。

ワクチンはウイルスを改変したり弱体化させて作るのが従来のやり方である。それは接種された者が病気になる危険などを伴うこともあって、細心の注意を払い用心の上に用心を重ねた治験を経て完成する。早くても1年~2年は時間がかかるのが当たり前だ。

ところがオックスフオード大学とIRBMが共同開発中のワクチンは、従来のものとは違って遺伝子を基に作り出す。そのために時間の短縮が可能になる。同ワクチンは研究開始からわずか数ヶ月で臨床試験に入り、もっとも難しい最終段階の治験を夏にかけて行う。これが成功すれば年内にも実用化する可能性がある。

そんな重大な研究開発に最初から絡んでいるイタリアだが、既述のようにほとんど誰もそのことには言及しない。イタリアの厚生大臣だけがIRBMを持ち上げたり、オックスフォード大学のイタリア人研究開発スタッフを紹介したり顕彰したりして、イタリアが研究開発に一枚噛んでいることを懸命に宣伝している。

あるいはIRBMが民間の製薬会社であることも影響するのか、イタリアにおいてさえワクチンの開発事情い同社の名をからめて語るメディアは少ない。ワクチン開発のような事案では、商業目的の薬剤生産者よりも、大学や研究機関などの高邁な探求や開発に人々の関心が向かい勝ちだからだろう。

BBCなどの世界的に影響力のあるメディアは、人々のそうした思考傾向を踏襲し利用しつつ、大学が英国内の施設である事実から来る「愛国心」にも押されて、いよいよオックスフォード大学の名ばかりを強調して報道する。世界のメディアもこれに追随する。イタリアのメディアでさえも。

そうした風潮の底には、先進国の中のハチャメチャ国・イタリアには最先端の技術、学問、哲学等々は育たない、というひそかな偏見も手伝っていると僕は思う。さすがに創造性と芸術の国イタリア、という大きなコンセプトを看過する者はいないと思うけれども。

それやこれらが重なって、あるいは世界を救うかもしれない天晴れな新型コロナワクチン第1号の開発に、イタリア“ごとき”がかかわっているとはメディアはなかなか主張せず、メディアが口をつぐむので人々も気づかない、という現象が生まれる。メディアはそういう局面では、事実に気づいていても無視する(報道しない)からいよいよ性質が悪い。

オックスフォード大学&IRBMワクチン(と仮称する)には、イギリスとイタリアのほか、フランス、ドイツ、オランダ、さらにアメリカが供給契約に署名した。従ってワクチンは完成した暁にはその6ヵ国にまず行き渡り、その後世界各地にも販売されることになる。

日本や中国をはじめとする世界の多くの国々も、オックスフォード大学&IRBMワクチンには強い関心を抱いている。ワクチンが予定通り最終段階の臨床試験をクリアし、年内に供給が始まれば画期的なことだ。だが懸念がないわけではない。

ワクチンはその有効性と安全性を、摂取量や期間またその道筋などの重要事案を3段階に分けて繰り返し確認し、最終的に大規模集団においても確実に有効性と安全性があると認められたときにのみ生産が許される。最終治験では数千人が対象にされることもあり、もっともコストが掛かる。ハードルも高い。有望とされたワクチンがこの段階でボツになることも多い。

オックスフォード&IRBMワクチンが最後の治験でNGとなる可能性はまだ半分はあると考えられる。そこに至る以前に新型コロナが終息して、商業的にも社会的にもまたモラル的にもワクチンを開発する意味がなくなれば、ワクチン開発は沙汰止みとなる。過去にはSARS(重症急性呼吸器症候群)や、MERS(中東呼吸器症候群)のワクチン開発が途中で立ち消えになった。

儲からない事業は前に進まないのが世界の現実だ。しかし新型コロナの場合は状況が全く違う。開発が中止になることはまずないだろう。それどころか、オックスフォード&IRBMワクチンが成功し供給が開始されても、他のワクチン開発が止むことはない。需要が桁違いに多い分、ワクチンの供給は滞る。従って各事業者は儲けを求めて開発を続け、各国政府は自国民を守るためと称して事業者を援護し、自前のワクチンを手に入れようと躍起になる、と考えられる。



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デブるイタリア



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統計によるとイタリア人は、新型コロナ感染抑止のために行われたロックダウン中に平均2キロ太った。

自宅にこもりきりで運動や散歩もできないのに、いやできないからこそ、人々の食事の量は18%増えた。

不安やストレス、またロックダウンによって十分な食料が手に入らなくなるのではないか、という恐怖感などが悪く作用した。

食べるものはジャンクフードにも似た簡単な内容や作りの料理。砂糖のほかパスタに代表される炭水化物、また脂肪質の豊かなもの。

その一方で、料理の勉強のために時間をかけてじっくりと調理をする独身者や若者も増えたが、飽くまでも少数派だった。

ロックダウンが明けた今、イタリア国民の47%にも当たる人々が、減量が当面の最大の目標と答えている。

良い話もある。ロックダウン中は66%の家庭が、野菜や果物の皮など、食べられない部分を除いて食料をほとんど何も捨てなかったと答えた。

またロックダウン初期の3月には、犯罪も大幅に減少した。昨年同月比で約70%も減ったのだ。DV(家庭内暴力)も37,4%少なくなった。ロックダウン中にDVが増えた英国やフランスとは逆の現象である。

一方、高利貸しなどの悪徳商法の被害者は10%近く増えた。これはロックダウンによる営業縮小で、経済的に行き詰まった小規模事業者や個人が、マフィアなどの犯罪組織から金を借りるケースが急増したもの。

シチリア島をはじめとするイタリア南部では、マフィアほかの犯罪組織が経済的に困窮する人々を救済する振りで金を貸したり贈与するなどして、彼らを借金漬けにして食いつぶす手法が社会問題になってきた。

経済活動がほぼゼロにまで制限されたロックダウン下で、組織犯罪が横行し特に貧しい人々が被害をこうむる事態に、イタリア司法は強い警鐘を鳴らしている。

倒産の不安を抱える企業はイタリア全体で4割近くに上る。パーティーや会食などに出張し料理を提供するケータリングを含む飲食サービス業また歓楽業では、5万社が破産し30万人が失業する可能性がある。

営業再開が全面解禁になったものの40%しかオープンしていないホテル業では、5月だけでも11万8千の季節雇用が失われた。

面白いことにロックダウン中にはおよそ63万人が禁煙に成功した。ただし、電子タバコの喫煙者は43万6千人増加。紙巻きタバコから電子タバコに乗り換えた者が多い、と見られている。

その一方で国家環境保護対策局の分析では、ロックダウンによって海やビーチから人影がなくなったことも手伝って、5400キロメートルに渡る海岸線がクリーンになり環境保全のランクが上がった。
  
またイタリア人のほぼ半数は、新型コロナもなんのその、 ことしも夏のバカンスを計画している。しかし実際に宿泊先などの施設や交通機関等の予約を入れているのは、たった5,5%に過ぎない。

最低でも一週間は滞在するのが当たり前のバカンスに、予約なしで出かける者はまずいない。従って「6月になっても予約を入れていない」とは、ほぼバカンスに行かない、と言っているに等しい。

片やバカンスに出ない、と決めた約半数の国民のうちの25%は、ごく素直に新型コロナが怖いからと答えた。また16%の人々は、コロナの影響で収入が減ってとてもバカンスどころではないという。

結局、コロナにもめげずにバカンスに行く、というのはバカンス好きのイタリア国民の願望、ということなのだろう。いつもの年よりも多くの国民が、7~8月のバカンス期に自宅に留まるのは間違いない。

すると、ロックダウン中ほどではないだろうが、人々はそこでもまた大食らいをしそうな雰囲気である。つまるところイタリア人が痩せるのは、ワクチン待ち、ということのようだ。



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Covid-19を斬る~イタリアの苦悩は尽きない



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欧州の多くの国、またEU加盟国のほとんどがロックダウンを解除し国境を開放した6月15日、イタリアのコロナ死亡者数は2月28日以来もっとも少ない26人を記録した。しかしその後は上昇をつづけ、6月18日には66人、19日には47人が亡くなった。

6月19日現在、イタリアの累計のコロナ死亡者は34561人。感染者の総数はアメリカ、ブラジル、ロシア、インド、イギリス、スペインに次いで世界第7位にまで後退したが、死者数はアメリカ、ブラジル、イギリスに続いて世界第4位。死亡率も高い。

死者数が多いのは、これまでに罹患した人々が亡くなり続けているからである。一日当たりの死亡者が919人にのぼった3月27日以降、日ごとの死者数は徐々に減ってきてはいるが、数字がゼロになるのはまだ先のことになりそうだ。

漸減傾向に変わりはないが、死亡者の数は24時間ごとに減ったり増えたりを繰り返してきた。一方、医療崩壊の象徴とも言われたICU(集中治療室)の患者数は、4月3日の4068人をピークに減り続け、6月19日現在は161人。患者数が前日より増えたのは6月18日のみである。

コロナとの闘いは全く終わっていないが、ICUに余裕ができ新規患者数も死亡者も減って、イタリアの医療の現場は平穏を取り戻しつつある。世界を震撼させた2月の感染爆発と医療崩壊への反省もあり、感染拡大の第2波、第3波への備えも怠りないように見える。

だがコロナで破壊されたイタリア経済の先行きは全くの暗闇だ。イタリアの過酷なロックダウンは-終盤には段階的に緩和されたものの-3ヶ月近くに及んだ。

その間の社会、文化、経済活動の破壊は凄まじいものだった。古くからの経済不振に加え、2010年の欧州ソブリン危機でイタリア経済はさらに落ち込んだ。EU圏内最大の借金約302兆円も抱えている。そこを新型コロナが襲った。

イタリアは一時世界最大のコロナ被害国となり経済が一層停滞した。イタリアでは新型コロナによる打撃によって企業の4割近くが倒産の危機に瀕しているとされる。中でも観光業や飲食業などの被害は甚大だ。

6月3日、イタリアはロックダウンをほぼ全面解除して国内外の移動を自由化。EU加盟国からの観光客やバカンス客も制限なしに受け入れている。ロックダウン期間中はほぼ動きがゼロだった観光業を促進するのが目的である。

イタリアのGDPの13%が観光業によっている。そして観光客の多くは外国人だ。コンテ政権はいま触れたように6月15日を待たずに国内外の観光客の移動を解禁した。が、外国人は言うまでもなくイタリア国内の動きも鈍い。

統計によると、イタリア人のほぼ半数がことしも夏のバカンスを計画している。しかし実際に宿泊先ほかの施設や移動・交通機関などの予約を入れているのは、たった5,5%に過ぎない。

最低でも一週間は滞在するのが当たり前のバカンスに、予約なしで出かける者はまずいない。従って「6月も残り少なくなった今も予約を入れていない」とは、ほぼバカンスに行かない、と言っているようなものだ。

またバカンスを考えている人々の92,3%はイタリア国内での遊興を希望していて、外国にまで足を伸ばす、と答えた者はわずか7,8%にとどまっている。

バカンスに出ない、と決めた約半数の国民のうちの25%は、ごく素直に新型コロナが怖いからと答えた。また16%の人々は、コロナの影響で収入が落ちて、とてもバカンスどころではないという。

イタリア国内における人々の心理的また経済的なあり方は、国によってバラつきはあるが生活水準がほぼ似通っている欧州全体のあり方、と言ってもそれほど乱暴な形容ではないだろう。

そうするとイタリアが国境を開いている国々の人口の半分が夏の旅を考えていて、そのうちの8%弱が外国を訪問しようとしている。そしてその8%弱は行き先別にさらに細かく分けられて、人数が少なくなる。

イタリア全体のホテルは、営業が全面解禁になった今もおよそ6割が営業をしていない。予約が入らないからである。また営業を再開したホテルも、今年の夏のビジネスはほぼ失われたと考えるところが多い。

それはバカンスに行きたい者のうちの5、5%しか予約を入れていない、という国内の統計や、恐らくそれと似たりよったりであろう、欧州全体の状況が如実に反映されたものではないか。

そしてそこに、もしも感染流行の第2波がやってくれば、観光産業においては夏のビジネスどころか、今年の営業収入は全てゼロ、ということにもなるだろう。イタリアの苦悩は少しも尽きるところがないのである。


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景気の気分~ロックダウン解除記念日によせて



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欧州では6月15日、新型コロナの感染拡大を抑えるために敷かれていた移動規制がほぼ全面解除され、EUおよび移動の自由を認めたシェンゲン協定域内での人の移動が自在になった。

あえて楽観的に表現すれば、2020年6月15日は「コロナからの欧州解放記念日」である。むろんコロナの脅威は全く消えていないし、季節が冬に向かえばウイルスはまた牙を剥くのだろう。

それどころか、6月15日を境に欧州全体の社会経済活動が活発になって、冬を待たずにヨーロッパ大陸が再びコロナ地獄に陥る可能性もある。ワクチンの開発まではあらゆる活動再開は暗中での模索だ。

経済破壊が進んだイタリアでは、コロナ恐怖に苛なまれつつも5月4日、建設業と製造業を再開。5月18日に商店や飲食店の営業許可。6月3日以降は全ての移動制限を解除して、EU加盟国からの観光客も受け入れている。

欧州ロックダウンほぼ全面解除直前の週末、正確に記せば6月13日の土曜日、ガルダ湖畔を訪ねた。前アルプスの山並みが迫るリゾート地には、驚くほど多くの地元民や観光客がいた。観光客のほとんどはドイツ人である。

湖畔の町には古くからドイツ人観光客が多い。そこに住み着いたドイツ人も少なくない。ゲーテの時代からドイツ人に愛された場所なのだ。ゲーテ自身もガルダ湖を訪ねて大湖を「海のようだ」と形容した。

町の賑わいには腑に落ちない暗さがあるように感じた。マスク姿の人々と感染予防対策を厳重に施している通りの店のたたずまいが、半ば開いているような半ば閉まっているような印象で、落ち着かない。

ひとことで言えば、働く人々も買い物や飲食を楽しむ人々も、そして明らかにドイツ人と分かる観光客らも、少し無理をして懸命に楽しさを「演出し演技」しているように見えたのだ。

僕はそこにイタリアの観光業の厳しい先行きを見たように思った。経済は人が作り出す生き物だ。その動静をあらわす景気は、気分の景色と書くように人の気分に大きく作用されて動く。

経済学者や専門家は、数字や論理や実体&金融のあり方や学識や机上理財論等々によって景気を語る。そして彼らは往々にしてそのあり方を理路整然と間違う。

専門バカは人の気持ちが分からない。だから人の気持ちの集合が動かす景気が、従って生きた経済が分からない、ということなのかもしれない。

リゾートの町のいわば「空疎な賑わい」は、人々の心がコロナの恐怖で固くなっているからだ。人々は長い外出規制と抑圧から解放されて意気揚々と町に繰り出した。

久しぶりの歓楽はまちがいなく彼らに喜びをもたらしている。だがそれは心の底までしみこむ十全の歓喜ではない。完全無欠の喜悦はコロナの終焉まではおそらく望めないのだ。

ウイルスが消滅することはないのだから、それはごく当たり前に言えばワクチンが開発され人々に行き渡る時、ということだろう。ならばそれは僕自身の心理ともぴたりと符合する。

僕はワクチンが登場するまでは、好きなワインバーやレストランなどに行く気がしない。その気分ではない。多くの人が僕と同じ気分でいるだろう。だから景気は簡単には回復しない。

僕はリゾートの町の通りを急ぎ足に歩いただけで、いつもなら立ち寄る美味いワインが飲める数店のバールやエノテカ(ワインバー)をスルーした。

対人距離を確保して設えられた店のテーブルが満席だったからではない。「気分的に」そこに腰を落ち着けるスペースが見えなかったのである。

イタリア政府は苛烈なロックダウンによって破壊された、特に観光業を救うために早め早めに規制を緩め、国内外からの観光客を呼び込もうと躍起になってきた、だが情勢は厳しい。

イタリアのホテルは営業再開が可能になってもおよそ60%がシャッターを降ろしたままである。営業を再開した飲食店にはガルダ湖畔のように人が集まるケースもなくはない。

だがそうした店で遊ぶことが好きな僕のような人間が、一度、二度三度、と足を運ぶことをためらうケースもまた多い。それらの人々の気分が蝟集して景気が動くことを思えば、やはり先行きは安泰とばかりは言えないようである。


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差別の感じ方&対処法



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また白人による有色人種差別のエピソードである。

人種差別への抗議デモがアメリカを席巻しているただ中で、そのことを気にするふうもなく差別行為をする。そういう人々がいる現実が差別の根深さとその撤廃の難しさを示唆している。下にURLを貼付する。
https://edition.cnn.com/2020/06/12/us/torrance-woman-park-video/index.html

今回は白人老婆がフィリピン系米人女性に投げつけた激しい侮蔑語の洪水。場所はアジア系の住民が40%近くを占める米カリフォルニア州の町、トーランス。日本人と日系人がきわめて多いことでも知られている。

老婆は数々の罵声の途中で若い女性に言う。「お前がアジアの何国人かは知らないが、とっとと自分の国へ帰れ!ここはお前の家じゃない!」
被害者の女性はCNNのインタビューに「差別問題は知っていたが、それがまさか自分に向けられるとは考えてもいなかった・・」と話した。

被害者女性の「まさか自分に向けられるとは」という思いは、町に多い日本人や日系人のものでもあるだろう。同時にそれは実は全ての日本人のものでもある。この稿では少しそこにこだわりたい。

老婆が繰り返しののしる「アジア人」から僕が先ず連想したのは、アジア人にはむろん日本人も含まれていて、従って老婆の罵声は一歩間違えば日本人にも向けられる性質(たち)の攻撃、ということである。

つまり日本人は世界の中では飽くまでも有色人種なのであり、人種差別はふとしたことで自分にも向けられかねない害悪、と自覚したほうがいい。日本人差別は過去には多く起こり、現在でも世界各地で散発している。要するに今この時に世界を揺るがせている人種差別問題は、事態の進展によっては日本人の問題にもなり得るのである。

人種差別問題では日本人に特有の現象がひんぱんに立ち現れる。つまり日本の内外には、自らがアジア人ではないと無意識に思い込み行動する日本人や、白人か準白人のつもりでいる日本人もきわめて多く、そのことが影響して日本人が人種差別問題に鈍感になる、ということだ。人種差別問題を対岸の火事と捉える日本人は少しも珍しくない。

ましてやそうした人々にとっては、人種差別問題にからんで「自らが差別される側に回る」事態が起こり得るとは思いもよらないことだろう。だが今このエントリーで取り上げているトーランスの町のエピソードを少し注意深く見てみれば、そうも言っていられなくなるのではないか。

加害者の白人女性は明らかに「アジア人は誰も彼も皆同じ」という意識で被害者女性に罵詈雑言を浴びせている。アジア人ではないと無意識に(あるいは意識的に)思っているある種の日本人は、白人女性の差別感情は自分には向けられていない、と主張するかもしれない。

アジア系住民が多いトーランスは、そのアジア人の中でも特に日本人の比率が高いことで知られている。加害者女性もそのことは十分知っているに違いない。それでも彼女はアジア人はアジアに帰れ、と罵倒するのである。繰り返しになるが彼女の言うアジア人にはむろん日本人も含まれている。われわれ日本人はそこのところを真剣に見つめなくてはならない。

自らがアジア人ではないと無意識に思い込み行動する日本人や、白人か準白人のつもりでいる日本人は特に、なによりも先ず自らがアジア人であるという当たり前の現実を冷厳に認めるべきだ。次に常にそれを意識してアジアの人々と対等に付き合い、その上で彼らと共に欧米を始めとする世界にも「対等」な付き合いを要求していくのだ。世界のそこかしこで今回と類似の問題が発覚する度に痛切にそう思う。

それなのに日本には、人種差別主義者のトランプ大統領の太鼓もちに徹する首相がいて、その太鼓もちの動静を喜ぶネトウヨ排外差別主義者や、表は黄色いのに中身が白くなった「アジア蔑視主義者のバナナ国民」が横行している。そんな状況では世界の人種差別問題の意義どころか、そのことに関心さえも抱かない国民が多いのではないか、と危ぶむ。

今世界で巻き起こっている人種差別問題、とくに「黒人差別」問題がよく理解できない人、あるいは実感できない人は、それをまず「アジアと日本」また「アジア人と自分」などの土俵に引き入れて考えてみたらどうだろうか。身近な国や国民との比較で考えれば、あるいは理解が深まるかもしれない。とは言うものの、自らをアジア人と感じない日本人にとってはそれもまた無意味なのだろうが。

日本国内に住んでいる日本人には人種差別問題が中々実感できないことは理解できる。またここイタリアのように親日の人々が多い国に住む者にとっても、居心地が良い分やはり人種差別問題を身近に引き寄せ実感することが難しくなる。むろんこの国にも日本人が嫌いな者はいる。だが人は自分を嫌う他人とはあまり付き合わない。そのため周囲にはますます日本好きのイタリア人ばかりが集うことになる。僕自身の場合もそうだ。

そうではあるものの同時に、故国の外にいる分だけ問題により敏感に反応するのもまた事実だ。今動乱の渦中にあるアメリカははもちろん、欧州でも英仏を筆頭に人種差別問題は頻発する。ここイタリアも例外ではない。多人種が共存する場所では残念ながら避けて通れない課題だ。

そこでは日本人は欧米の人々との友誼を堅持し深化させつつ、自らのアジア人としてのアイデンティティーも直視し続けなければならない。それがぶれることなくまた恐れることなく人種差別問題に対峙する秘訣だ。なぜなら他人種の人々は、表は黄色いのに中身が白いという得体の知れないバナナ的人間よりも、表と中身が一致した本物の、正直な人間を信頼し尊重するものだからである。



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NHKは「BLACK LIVES MATTER」を誤解していないか



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黒人への暴力や構造的差別に反対する抗議デモのニュースで、NHKが「BLACK LIVES MATTER」を「黒人の命“”重要だ」ではなく「黒人の命“”重要だ」と言ったり表記したりするのに強い違和感を抱いてきた。

「は」を「も」に言い換えただけだが、一音違いで差別への認識の濃淡が透けて見えるからだ。英語の「BLACK LIVES MATTER」は、「黒人の命“”重要だ」あるいは「黒人の命“”大切だ」(以下:重要だ、に統一)であって、断じて「黒人の命“”重要だ」ではない。

「黒人の命重要だ」と言えば、黒人の命は白人やアラブ人や日本人やアフリカ人や中国人など、つまり全ての人の命とまったく同じように重要だ、という意味になる。だが「黒人の命“”重要だ」と言えば、黒人の命だけを特別扱いする意味合いが生じる。

そしてそこでの特別扱いの意味はたとえば、「重要ではない黒人の命だが、実は重要なものなのだよ」などとなって、言わば教え諭すような上から目線のニュアンスが入り込む余地ができる。NHKの言い換えの真意もその辺にあるのではないか。

だがそこには、文脈に明白に示されているように、黒人の命だけを特別なものとして扱うことによる黒人差別が秘匿されている。そして、その言い換えは-ここが重要だが-差別するどころかむしろ差別に反対する、という意味でなされている。

黒人や移民との接触が少ない、特に日本人などを含む世界の多くの人々が犯しやすいのは、普段はほとんど気にかけたことさえない黒人差別問題を、ふいに議論のテーマとして目の前に突きつけられた時に、あわててそれを特別扱いしてしまうことだ。

黒人差別が悪いことであるのは誰もが理解している。だから何かが起きると正義感に駆られて抗議の声を上げる。それは欧米、特にアメリカを中心に繰り返し行われてきたことだ。ジョージ・フロイドさん殺害事件への抗議も同じ。むろんその意義や規模の大きさは過去の事例とは非常に違うが。

だが黒人差別問題を身近な事案として「実感できない」人々は、同じく正義感に駆られて抗議行動に出はするものの、往々にして問題の本質を理解しないか、あるいは誤解する。その結果、良かれと思ってしたことが逆の効果を生んだりする。

「黒人の命“は”重要だ」を「黒人の命“も”重要だ」と言い換えることもそうだ。それはあたかも黒人の命だけが重要だ、と主張するのにも似た言わば「善意の差別」だ。正義感は普通並に強いが、黒人差別を実際に自分の町内で見、聞き、実感したことがない現実がそうした齟齬の原因ではないか、と思う。

黒人の命は-敢えて言う必要もないが-白人やアラブ人や日本人やアフリカ人や中国人など、つまりあらゆる人の命とまったく同じように重要である。そのことを全ての人々が極く普通に、自然体で、理解し表明し行動するようになった時、はじめて黒人差別は終焉を迎える。それまでの道のりは長い。

今欧米で起きている抗議デモは、黒人差別を自らの町内で見、聞き、実感している人々の怒りのアクションである。黒人の命重要ではなく、黒人の命重要。なのにそれがそれとして当たり前に認識されないことへの抗議である。黒人の命は特別、と叫んでいるわけではないのだ。

そのことにやや鈍感でいる大部分の日本人の心情がくっきりと現れたのが、NHKの言い換えではないか。日本のメディアで僕が最も信頼するNHKだが、言い換え問題に通じる違和感を時々覚える。その最たるものの一つが、やはりニュースなどでNHKが日本以外のアジアの国々に言及する場合に、全く何のためらいもなく「それらのアジアの国々では~」というふうに表現することだ。

そういう言い方をする時、キャスターやアナウンサーには、ということはつまりNHKの報道の現場には、日本もそれらのアジアの国々と同じアジア国、と言う認識が欠落する。意識的にしろ無意識にしろ、日本はアジアの国ではない、と皆が催眠術にかかったように思い込む瞬間があるのだ。その時の人々の思い込みの中では日本はどこにあるかと言うと、アジアとは違うところの先進国域であり欧米グループの一員、である。

「黒人の命“”重要だ」を「黒人の命“”重要だ」と言い換える軽さには、それと似た無自覚と鈍感と多少の思い上がりと危うさとが併存している、と感じる。日本の良識の牙城-嫌&反NHKの人々が何を言おうがNHKは日本の良識を代表するメディアだーであるNHKがそうだということは、日本人の一般的な意識がほぼそうだということである。NHKは先ず国民があってこそ存在するのだから。

ところがネット論壇などではさらに進んで「Black Lives Matter」を「黒人の命“が”大切」とか「黒人の命“こそ”重要」などと表現する向きもあるらしい。個別の事件にからめてそう記述することが適切な場合もあるかもしれないが、アメリカに始まって欧州ほかにも伝播している今の反人種差別運動のコンセプトの中では、飽くまでも「黒人の命“”重要だ」とするべきだ。

なぜなら-敢えて繰り返すが-黒人の命は、全ての人々の命と寸分の違いもなく重要であり、かけがえのないものだ。そのコンセプトには例外は一切ない。言葉を換えれば、そこでは黒人の命は特別なものではないのである。それを敢えて命“が”、や命“こそ”、などと言い換えて特別扱いすることは、冒頭に触れたNHKの命“も”、と同様に差別を孕んだ表現になってしまう。

特別であり異常であるのは、当たり前に重要でありかけがえのないものである黒人の命が軽視され、差別され、やすやすと奪われさえする現実なのである。それは異常事態だから、普通の、当たり前の状態へと矯正されなければならない。「BLACK LIVES MATTER」運動が目指しているのはまさにそれであり、そのスローガンの正確な訳語は「黒人の命“は”重要だ」である。


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秘められた人種差別こそ真のパンデミック


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黒人のジョージ・フロイドさんが、むごい形で殺害されたことに触発された人種差別反対の抗議デモは、アメリカから欧州に伝播して拡大。特に英独仏等で大きなうねりとなっている。

フロイドさんがミネアポリスで殺害されたちょうど同じ日に、ニューヨークではある意味でフロイド事件よりも重大な意味を持つ出来事があった。

このBBC記事:https://www.bbc.com/news/world-us-canada-52759502
が報告する白人女性による人種差別事件だ。記事の中ほどにあるMelody Cooperさんのツイートがそれである。

事件はニューヨークのセントラルパークで起きた。

黒人のクリスチャン・クーパーさんは、「犬は常にリードにつないでおかなければならない」と明確にサインの出ている場所でバードウォッチングをしていた時、リードから放たれて駆け回る犬を見た。

野生生物が危険にさらされると恐れた彼は、飼い主らしい女性に「お嬢さん、このあたりでは犬をリードでつないでおかないといけませんよ。すぐそこにサインがあるでしょう」と伝えた。

しかし女性が無視(拒否)したので彼は動画で撮影を始めた。すると女性は逆上して「撮影をやめろ。でないと黒人が私の命を脅かしている、と通報する」とクーパーさんに噛み付く。

クーパーさんがどうぞ、なんとでも伝えてください、と言うと女性は犬の首輪をつかみつつ警察に電話。その際の彼女の口振りを忠実になぞると:

女性(マスクをはずし電話に):(セントラルパークの)散策場(ランブル)で黒人が私を撮影しながら私と犬を脅しています。
(正確には「African・Americanman:アフリカ系アメリカ人男性」と発音しているが、敢えてアフリカンを付けることで、黒人であることをもっとさらに強調しようとする意図が見える)

女性(嫌がる犬を無理やり押さえつつ、繰り返す):セントラルパークにいます。黒人が私を撮影しながら私自身と犬を脅しています。

女性(犬が騒ぎ一声吠えるのを押さえて不意に泣き声になって):よく聞こえません。セントラルパークの散策場にいます!男に脅迫されています!すぐに警官を送ってください!


規則違反を指摘されて、恐らく羞恥心も働いたであろう女性の心理も分からないではないが、彼女の嘘と演技と威嚇にはおどろく。

一歩間違えば女性の電話を受けた警察官が駆けつけ、うむを言わさずにクーパーさんを射殺していたかもしれない。

それは少しも大げさな指摘ではない。アメリカではそんなことが日常茶飯に起こっている。ジョージ・フロイドさんの殺害も同じ土壌で発生したのだ。

ちょっとしたことで表に出てしまった彼女の黒人(恐らく白人以外の全ての人種)蔑視の心は、残念ながら少なくない国の、特にアメリカの白人の中に秘められた現実の一つだと思う。

それは常に存在したが、トランプ大統領の出現で米国人のほぼ半数(主にトランプの岩盤支持層)が、そうした人々であることが暴露された。

そのことへの抗議デモが今各地で起こっているわけだが、トランプ大統領がいて且つ彼の岩盤支持層の割合が減らない現実は、差別の撤廃がいかに至難であるかを如実に物語っている。

だからと言って声を上げなければ、差別の解消どころか、そこへ向けての「きっかけ」さえ生まれない。その意味でいまアメリカから世界に広がりつつある黒人差別への抗議デモは重要である。



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こやじ外相のトッツァンボーヤな言動



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ギリシャは6月15日から観光客の受け入れを開始するが、新型コロナの被害が甚大なイタリアからの入国は拒否する、と発表した。

するとさっそく、イタリアのルイジ・ディマイオ外相が「イタリア人の入国を受け入れないのはけしからん」とギリシャに噛み付いた。

あわてたギリシャは、方針を変えてコロナ感染率の高いイタリアの北部4州すなわちロンバルディア、ピエモンテ、ヴェネト、エミリア・ロマーニャからの訪問客のみを規制するとした。

その内容は、6月15日から6月30日の間、4州からの入国者にウイルス検査を義務付け、陽性の場合は2週間、陰性の場合は1週間それぞれホテルなどに隔離する、というもの。

イタリアはこれにも猛反発。特にヴェネト州のルカ・ザイア知事はギリシャの統一性のない規制や解禁は理解不可能、として激しく抗議した。

ちなみにザイア知事は極右の同盟所属。新型コロナが猛威を振るっていた3月には「中国人は生きたネズミを食べる」と発言するなど、差別主義的な思想傾向があるようにも見える。

ギリシャはさらに妥協して、7月1日からはイタリアを含む全ての国からの入国を受け入れ、空港で無作為にウイルス検査だけを実施する、と改めた。

このエピソードにはイタリアの傲岸な一面があらわれているような気がしないでもない。

ギリシャとイタリアは、ギリシャ文明とローマ文明という共通の巨大な歴史足跡を持ち出すまでもなく、心理的にも地理的にもとても近い親和的な間柄だ。

現代では、ギリシャと比較して人口で約6倍、経済規模でおよそ9倍の大きさがあるイタリアから、観光やバカンスで多くの国民がギリシャへ移動し同国経済に貢献する、いう事情もある。両国の関係はイタリアが兄貴、ギリシャが弟の、いわば兄弟分というふうである。

ギリシャの観光業はGDPのほぼ21%を占め、国全体の就労者の4分の一を支えている。ギリシャはウイルスの早期封じ込めに成功した国の一つだが、観光業のほとんどを外国人客に頼っているため、新型コロナの世界的流行で大打撃を受けた。

それは世界中の多くの国と同じだ。が、ギリシャはGDPに占める割合が世界平均の2倍にも当たる巨額を観光業に依存している。ダメージはさらに深刻だ。切羽詰った状況にも押されて、ギリシャは早めに外国人観光客を受け入れることを決めた。

ギリシャが受け入れるのは、EU域内と世界の合わせて29のコロナ低感染国である。同じ欧州内でも感染者が多いスペイン、フランス、イギリスなどは除外される。イタリアだけが入国拒否のターゲットになっていたわけではないのだ。

それを知りつつイタリアがギリシャにねじ込んだのは、「親しい仲ゆえの甘え」という面もあるが、やはり兄貴分としての少しの優越意識もあるようである。それはイタリア国民というよりも、ディマイオ外相の個人的な思いこみの所産、という印象が強い。

ディマイオ外相は、コメディアンのベッペ・グリッロ氏が11年前に創設した五つ星運動の元党首である。30歳そこそこで政界にデビューし、31歳で同党のトップになった。彼はそれまで政治経験はおろかまともに就職したことさえない流浪の若者だった。

「とっつぁん坊や」とも「こやじ青年」ともつかない不思議な雰囲気を持つ彼は、連立政権の出だしのころこそ無難に第一党のリーダー役をこなしているように見えた。しかし時間経過とともに 政治のみならず人生の無経験ぶりももろに影響するのか、やることなすことに精彩を欠くようになった。

ことし2月、イタリアが突然世界最悪の新型コロナ地獄に陥ると、ディマイオ外相は迷い子を彷彿とさせる頼りない言動を繰り返して無力になり、ますます存在感をなくしていった。外相が所属する五つ星運動に近いジュゼッペ・コンテ首相が、鮮やかな手際でコロナ危機に対処する姿とは好対照だった。

だがそんな中でもディマイオ外相は、中国を賞賛することは忘れなかった。中国のマスク外交をありがたがり、武漢の封鎖策を賞賛し、イタリアのロックダウンに口を挟む中国を持ち上げ、イタリア語でいうLeccaculo(ケツナメ)外交を遺憾なく発揮して、習近平主席のケツを舐め続けた。

外相も率いるポピュリストの五つ星運動は、中国の一帯一路構想の信奉者である。イタリア政府は昨年3月、EUを筆頭に多くの国々が反対するのを無視して、一帯一路構想に協力する旨の覚書を中国との間に交わした。そこには政権与党の五つ星運動の、ゴリ押しともいえる猛烈な勧奨があった。

イタリア共和国の外交政策は、いつもしたたかでフルボ(知恵者)で且つ大人然としている。だから覚書自体にはそれほど重みはないと考えられる。イタリアはいざとなれば即座に覚書を破棄する腹積もりだ。だがそれを交わしたことによる中国との関係の深化は、きわめて重大な結果をもたらした。

覚書が交わされたとたんに、イタリアには中国人観光客が大量に押し寄せ、中国人ビジネスマンが急増し、それまでも既に国中に溢れていた中国人移民がさらに増えた。そんな折に新型コロナがイタリアを急襲し感染爆発が起きた。そこには中国人が関係していた、と見る専門家も多い。

しかし、イタリアにはそのことを指摘して中国を非難する風潮は今のところはない。むろん親中国の五つ星運動とその中心人物のディマイオ外相の場合はなおさらだ。中国を責めるどころか相変わらず賞賛するふうでさえある。

不思議なことに反中国の極右政党同盟やその他の右派また中道勢力などからの論難もない。中国の国民ではなく、中国共産党と習近平指導部は新型コロナの流行に責任があるなら厳しく指弾されるべき、と考えている僕はいささか解せない。だがそれが現実である。

感染予防策としてイタリアからの観光客の入国を拒否するギリシャに声高に抗議をするのは、ディマイオ外相の政治パフォーマンスだ。存在感が皆無の最近の外相の仕事は、EUをはじめとする国外の組織や国や仕組みや人物に、反対や反論また抗議の声を挙げてイタリアを、いや、五つ星運動をなめるな、と叫ぶことだけのようにさえ見える。ギリシャに噛み付いたのもその一環だ。

ディマイオ外相は、友好国ギリシャの今このときの暫定的な措置に文句を言う時間があるなら、一党独裁国家中国が新型コロナのパンデミックに関して責任があるのかどうか、また「一帯一路覚書」に象徴されるイタリアの中国への施策に誤謬、行き過ぎ、緩みなどがなかったかどうか、など、もっと重大な事案の考察にも時間を割いてほしいものである。



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