大歴史の小さな島、カナリア諸島


アダン浜


スペインのカナリア諸島にいる。スペイン本土から遠く離れたアフリカ大陸の北西洋上にある島々である。7つの主な島と諸小島がある。

かつてスペインが南米大陸を支配した時代、軍事・商業・政治の中継基地として重要な役割を果たしたのが、ここカナリア諸島である。

群島のうちでも最もアフリカ大陸に近いフエルテベントゥーラ島が今回の訪問地。例によって仕事を利用して少し滞在を伸ばし、観光と見聞にも時間を割く計画旅。

カナリア諸島には以前から興味があった。スペイン本土の遥か南に位置するところが、日本の南方にある故郷の沖縄のあり方を思わせ、冬も暖かい常夏の島だと聞いていたからだ。

フエルテベントゥーラ島の印象は、少なくとも気温はまさに沖縄である。ところが3月も終わりに近い季節にしては寒い。強い風が間断なく吹き募るせいで体感温度が低いのだ。

風は、海を隔ててたった100km先にある、アフリカ大陸のサハラ砂漠から吹いてくる。その風の名前はイタリア語でアリゼイ(Alisei)。

旗ランタン青空あああイタリア人のコロンブスはアメリカ大陸発見の旅に出るに際して、「カナリア諸島でアリゼイをつかめば幸運が舞い込む」と言った。帆船の命は風なのである。

実はコロンブスはカナリア諸島の前にも大西洋の強風の恩恵に与っている。それがスペインのアンダルシアに吹く強風だ。

アンダルシアの大西洋沿岸に吹き付ける風は、主に狭くて暖かい地中海と冷たく広い大西洋の空気がぶつかることによって起こる。

コロンブスはアンダルシアの強風に押されて大海に出、カナリア諸島で水と物資の補給をした後、サハラ砂漠由来の順風アリゼイを待って再び大航海の荒海へと乗り出して行った。

2年前の夏、僕はスペインのアンダルシアにいた。そこでは大航海時代のドラマを作った、大西洋と地中海のせめぎ合いが生み出す風に接して感動した。

今年は偶然にもこうして、アンダルシアの風と共に大航海のドラマを織り成したカナリア諸島の強風アリゼイに吹かれている。

スペインとポルトガルの海の男たちは、大西洋の風をつかんで大海に乗り出し、アフリカ西岸沖の島々で英気を養ってさらなる冒険の船出を敢行した。そうやって南米大陸のほとんどが彼らの手中に納まった。

歴史はその後、欧州の列強を巻き込んで興亡を繰り返しながら大英帝国の圧倒に収斂し、やがて米国が勃興し支配して現在に至っている。古代ローマの次に欧州の力の源泉を作ったのが、大航海時代だ。

そんな歴史の雄大にかかわる小さな島で「歴史」を思いつつ、僕は故郷の沖縄に似た空気感を満喫し、仕事も「仕方なく」頑張りつつ、もうひとつの個人的趣味「独断と偏見の子ヤギ料理紀行」にも精を出している。

気が向けばそのことも、また別事案も,ぼちぼち書いていこうと思う。



シチリア島に見るアラブ・イスラムの息吹 


見上げ後ろにアマトラーナ400pic



イタリアのシチリア島は、9世紀から11世紀にかけてアラブ・イスラム教徒に支配された。

島最大の都市パレルモを筆頭に、同地には今でもその影響が多く残っている。

例えばアラブのモスク風の赤い丸屋根を持つ教会。数え切れないほどある「西洋風」の教会の中にあって、全く違う雰囲気をかもし出している。

それらの歴史的建築物は鮮烈で美しい
 
当時のアラブ世界は数学や天文学や医学、薬学、化学、また灌漑技術などもヨーロッパより進んでいた。

アラブ人は彼らの進んだ技術や学問や優れた建築・芸術様式などをシチリア島に持ち込んだ。

その中でも特に灌漑技術はシチリアの農業を飛躍的に発展させた。

島の名産物の代名詞であるオレンジやみかんなどの柑橘類もアラブ人がもたらしたものである。彼らはそれ以外の多くの農産物も初めてシチリア島に導入した。
 
アイスクリームの原型とされるシャーベットもアラブ人がもたらしたものである。

島にあるヨーロッパ最大の火山、標高約3330メートルのエトナ山頂の雪を利用して彼らは夏もシャーベットを作り、それはやがてアイスクリームへと形を変えていった。
 
そういう歴史をしっかりと認識しているシチリアの人々は「アラブはシチリアの一部だよ」とまで断言してアラブ・イスラム文化を讃える。
 
現在イスラム過激派のテロなどの蛮行が世界を震撼させている。欧州にはいわゆるイスラムフォビア(嫌悪)の感情が広がりつつある。

そんな中でアラブ・イスラムを自らの一部とまでとらえて賞賛するシチリアの人々の正直と懐の深さが僕は大好きである。

彼らは「テロリストと一般のイスラム教徒を混同してはならない」という当たり前の原則をやすやすと実践しているように見える。

                         


「クイ食いネー」と言われても食えねェ場合もある  


ペルー2012年クイ料理800pic
クイの丸焼き:クスコのレストランで


ペルーは南米でもっとも観光客に人気のある国とされる。アンデス山脈、アマゾン川、ナスカの地上絵、マチュピチュなど、など・・ペルーには魅惑的な観光スポットが数多くある。

そのぺルーを旅した時の話。旅では標高約5千メートルの峠越え3回を含む、
3700メートル付近の高山地帯を主に移動した。

目がくらむほどに深い渓谷を車窓真下に見る、死と隣り合わせの険しい道のりと、観光客の行かない高山地帯の村々や人々の暮らしは、見るもの聞くものの全てが新鮮で大いに興奮した。

その中でもクイと呼ばれる「ペルーの豚」料理が特に面白かった。面白かったというのは実は言葉のあやで、僕は「ペルーの豚」料理に閉口した。

ペルーには2種類の豚がいる。一つは誰もが知っている普通の豚。山中の村では豚舎ではなく道路などで放し飼いにされている。これはとてもおどろきだった。

でももう一種の豚はもっとおどろきである。それは普通の子豚よりもずっと小さな豚で、ここイタリアを含む欧米で「ギニア(西アフリカ)の豚」とか「チビ豚」また「インド豚」などとも称される。

ペルーでは「クイ」と呼ばれ、それの丸焼き料理がよく食べられる。つまりそれが「ペルーの豚」料理である。レストランなどでも正式メニューとして当たり前に提供されている。

クイは見た目は体がずんぐりしていて頭が大きく、確かに極小の豚のようでもある。だがクイは本当は豚ではなく、モルモットのことだ。日本語では天竺鼠とも言う。

僕はクイの丸焼き料理がどうしても食べられなかった。天竺鼠の「ネズミ」という先入観が邪魔をして、とても口に入れる気になれないのだった。

クイの丸焼きの見た目はウサギである。イタリアでよく食べられるウサギも、実は僕は長い間食べることができなかった。が、郷に入らば郷に従え、と自分に言い聞かせて何とか食べられるようになった。

ウサギ肉は、自ら望んで「食べたい」という思いには今もならないが、提供されたら食べる。クイもそのつもりでいた。しかしモルモットでありネズミであるという思いが先にたってどうしてもだめなのだった。

実を言うと僕がクイを食べられなかったのは、ネズミという先入観が全てではない。僕が田舎者であることが真の理由なのだろうと思う。

誤解を恐れずに言えば、田舎の人というのは新しい食べ物を受けつけない傾向がある。いわゆる田舎者の保守体質である。

日本でもそうだが、ここイタリアでも田舎の人たちは、たとえば僕が日本から土産で持ち込む食べ物を喜ばないことが多い。悪気があるのではなく、彼らは食の冒険を好まないのだ。

生まれが大いなる田舎者の僕は、イタリアに来て丸2年間生ハムを口にしなかった。それが生肉だと初めに告げられたのが原因だった。ウサギ肉どころの話ではなかったのだ。

イタリアでは生ハムは、ほぼ毎日と言っても良いくらいにひんぱんに食卓に供される食物である。2年後に思い切って食べてみた。以来、今では生ハムのない食卓は考えもつかない。

ウサギを食べられるようになったのは、生ハムのエピソードからさらに10年以上も経ってからのことだ。僕はそんな具合に田舎者にありがちなやっかいな食習慣を持っている。

日本のド田舎を出て、ついには日本という祖国も飛び出して外国に住んでいる身としては、この「食の保守性」というか偏向性はちょっとまずい性癖だ。

それは良く分っているのだが、その面倒くさい性分は、標高が富士山よりはるかに高いアンデス山中でも変わることはなかった。

変わるどころか、土地の珍味を食べなくても別に死にはしない、と開き直っている自分がいた。まさに田舎者の保守性丸出しだったのである。


オランダのトランプ・Wildersの欺瞞 ~ ペテン師とトランプ主義者の違いってなに?


オランダ総選挙で躍進するのではないか、と見られていたヘルト・ウィルダース党首率いる極右の自由党は、最終的には失速して敗北とみなされる第2党にとどまった。

17世紀の独立以来、寛容と自由と移民受容を国是として発展してきたオランダにも、不寛容と排外主義と差別を旗印にする米トランプ主義の風が吹きまくっている。

その風を捉えた極右自由党ウィルダース党首は、米トランプ大統領を賞賛し、欧州の主たる極右勢力であるフランス国民戦線やイタリア北部同盟などとも連携している。

トランプ主義者の中でもウィルダース自由党党首は知恵者の趣があって、欺瞞と詭弁とペテンを駆使して選挙戦を戦い、あわや大勝利かというところまで支持を伸ばした。

彼の手法はこうだ。『オランダは寛容と自由と移民の受容を重視する国である。それが国の根幹であり、オランダ社会の規範だ。ところが今、それを揺るがす事態が起こっている』。

『それがイスラム教系移民の増大である。われわれは彼らを阻止することで、寛容と自由と人種共存というオランダの国是を守る』、というものである。

ペテン師も真っ青のその主張は、いわばこう主張するようなものだ。即ち『私は寛容な人間である。私が大嫌いなものは、そう、人種差別主義者と黒人だ』と。

あるいは、『私はオランダの自由と寛容の精神を守るために「全体主義」のイスラム教を排撃する。そう、我こそが“自由の番人”である』、と。

米トランプ大統領を首魁とする世界の反ポリコレ・差別・排外・不寛容主義者らは、全てがウィルダース氏と同じ論法を振りかざしている。が、表向きの主張には違いがある。

米トランプ大統領は、良く言えば傲慢・率直、もっと良く言えば米国人的子供っぽさで、イスラム教徒を排撃し国境に壁を作り、陰では女性器を思いのままにわしづかむ、とも豪語する。

一方、ウィルダース氏はある意味で欧州的な老獪さを発揮して、前述した邪悪な言い回しで真意を隠し、事実を隠蔽して支持を広げた。

ウィルダース氏の権謀術策は、フランスの国民戦線党首・ルペン氏にも通低するものだ。欧州の極右は、米国的な直截な言い回しよりも、歴史の重みがある邪知深い言動が得意なのだ。

それら極右政治家の思想信条は社会への脅威だが、実はそれを支持する欧米諸国民が多く存在する、という事実が真のそして最大の脅威である。

幸いオランダにはウィルダース氏の狡悪 を見破る冷静な国民が相当数存在した。4月~5月に予定されているフランス大統領選でも同じことが起こる、と信じ祈りたい。

正気を保ったさすがのオランダ



オランダのトランプといわれる、ヘイト、いやヘルト・ウィルダース党首が率いる極右の自由党が総選挙で敗れた。寛容を国是にして移民を多く受け入れ、多文化社会を築いてきたオランダはさすがに米国とは違った。

もっともオランダの結果は、アメリカのトランプ主義が、新政権発足後につまずいて混乱している状況が影響したとも考えられ、ポピュリズムあるいは極右排外主義が完全に後退したとはお世辞にも言えない。

オランダは人口約1700万人の小国だが、移民の抱擁と寛容を重んじる国民性という意味では、欧州最強の国、という形容もできる。また移民受容国家というくくりで言うならば、ヨーロッパの米国とも呼べる国だ。

1648年にスペインから独立して以後、オランダはカトリックとプロテスタント、さらにはユダヤ教徒などが混在・共存する国になった。

異なる宗教と人々が共に住まう国家は、必然的に寛容の精神を獲得したが、国土が狭く貧しい同国は、世界中の国々との貿易によって生存を確保しなければならない事情もあった。

オランダは貿易立国という実利目的からも、さらに寛容と自由と開明の精神を広げる必要があった。そして同国はその方向に進んだ。

第2次大戦後には旧植民地のインドネシアから、また経済成長が進んだ60年代以降は、労働力として中東や北アフリカからの移民も受け入れたのがオランダである。

また経済成長期には、欧州の主に南ヨーロッパの国々からの移民も受け入れ、EU(欧州連合)が拡大した2004年以降は、東欧の旧共産主義国家からの移民も多く受け入れるようになった。

欧州の中でも、たとえばここイタリアなどとは比べものにならないほどの、移民受容と多文化主義を育んできた「大寛容」の国がオランダなのである。

そのオランダで、反イスラムや反移民、さらにはEU離脱までを叫ぶ勢力が台頭するのは、米国のトランプ主義が世界を席巻する時代とはいえ、やはり驚くべき現象だと僕には見える。

今回の選挙では極右の最大規模の躍進はとりあえず抑えられた。しかし、続いてやって来るフランス大統領選やドイツ総選挙で、トランプ主義が躍進する可能性は消えていない。

それでもオランダで極右勢力のウィルダース自由党が敗退したことは、「欧州の良心」がトランプ主義に打ち勝つ前触れ、と捉えることもできる朗報には違いない。

オランダ総選挙



英国のEU離脱(Brexit)、米トランプ大統領誕生、伊国民投票につづいて、欧州のポピュリズム(大衆迎合主義)がさらに勢いを増すきっかけになりかねないオランダ下院選(定数150)が15日に実施される。

ウィルダース党首が率いる極右政党の躍進は間違いないとされ、焦点は極右の自由党(PVV)が第一党になるかどうか。

事前の世論調査では、政権与党の自由民主党(VVD)がわずかにリードしているとされるが、予断はまったく許さない。

自由党は反イスラム、反EU(欧州連合)を旗印にして、米トランプ政権や仏極右の国民戦線、またここイタリアの極右、北部同盟などと連携している。

ウィルダース氏の自由党はたとえ第1党になっても政権を握ることはない。なぜなら他のどの党も自由党との連立には参加しないことが確実だからだ。

しかしながら自由党が勝利すれば、4月から5月に行われるフランス大統領選や9月のドイツ連邦議会(下院)選で、反EU勢力がさらに台頭する引き鉄になる。

そうなればEUがさらに揺らいで、欧州のみならず世界の政治経済が混迷する可能性が高くなる。それは最終的には局地紛争も招きかねない重大事態だ。

オランダの人口は約1700万人。EU全体の3%程度に過ぎないが、ほぼ70年前に独仏伊などと共にEUの原型組織を作った6ヶ国の一つである。

その後もEUの連携と統合を強く支持してきた国。そこで反EUを旗印(掲げる)にする極右勢力が躍進すればEUが受ける打撃は大きい。

昨年のイタリアのポピュリズムの躍進と同様に、オランダの極右ポピュリズムの勢力拡大は、EUの崩壊にもつながりかねない危険なものだ。

EEC(欧州経済共同体)として発足したEUは、その後政治の一体化も目指しながら、欧州での「究極の戦争回避装置」としての役割も果たしてきた。

そのEUが消えてしまえば、欧州内の国々の分断と対立が加速し、紛争や戦争が絶えなかった過去に戻る可能性が高まる。由々しき事態なのである。

スイスで死ぬイタリア人は幸せなの?日本人は?


eutanasia-belgio-生命維持装置の管を鋏で切る400pic



イタリアでまた安楽死・尊厳死をめぐって大きな議論が起こった。

2017年2月27日、イタリアの一部で著名だったDJのFabo(ファボ:本名Fabiano Antoniani)さんが、スイスの病院で幇助付きの自殺をした。薬物摂取による安楽死である。

Faboさんは2014年6月、交通事故で失明し、首から下が完全に麻痺した上に、絶え間のない激痛が全身を襲う、という後遺症に見舞われた。

彼は死に際して公表した音声メッセージで、自らのその状況を「ただ痛みと痛みと痛みがあるだけの地獄」と形容した。

Faboさんは事故後しばらくは望みを捨てずに治療やリハビリに取り組んだ。しかし回復の兆しは見えず、やがて安楽死を願うようになった。

彼は安楽死を認めるようにSNSなどを使って国に訴え始めた。だが国の反応は鈍かった。Faboさんは結局、安楽死が容認されているスイスで死ぬことを選択した。

彼にはイタリアから1人の男性がサポートとして付き添った。安楽支援団体所属の政治家、マルコ・カッパート氏である。同氏はスイスの安楽死専門病院でFaboさんの自殺を幇助した。

Faboさんの死後、カッパート氏 はイタリアで自殺幇助の罪に問われていて、禁固10年の刑罰が科される可能性がある。

イタリアでは安楽死また尊厳死は認められていない。そのため毎年約200人もの人々が、自殺幇助を許容しているスイスに安楽死を求めて旅する。そのうちの6割程度は実際にスイス側に受け入れられるとされる。

安楽死に対するイタリア社会の抵抗は強い。そこにはカトリックの総本山バチカンを抱える特殊事情がある。自殺は堕胎や避妊などと同様に、バチカンにとってはほぼタブーだ。その影響力は無視できない。

それでも安楽死は、堕胎や避妊に続いてイタリア社会の中で頻繁に議論の的になり、従ってそれを受け入れる空気も、やはり堕胎や避妊のそれを追いかけて次第に醸成されてはいる。

今回のFaboさんの自殺に対しても、多くのイタリア人が理解を示し、SNSなどで彼への賛美を表明した。それは25年前に起こり8年前に終結した、エルアナ安楽死騒動とは様相が大きく違っていた。

エルアナ・エングラロ(22 )さんは1992年、交通事故で植物人間状態に陥り、17年に渡って生存を続けた。彼女の父親は、事故から7年後に娘の安楽死を求めて裁判を起こした。

カトリック教会と信者、また彼らに同調する人々からの激しい非難を受けながら、父親は闘い続けた。裁判闘争は長く続き、その出来事を通してイタリア社会には安楽死への理解が深まった。

Faboさんの安楽死に多くの賛同者が出たのは、エルアナさんの父親を始めとする過去の安楽死事案の関係者の努力があったからだ。イタリアでは安楽死への反対が常に多かったが、今回は賛成が74%にのぼった。

安楽死・尊厳死に関しては多くの論考があり賛否両論が逆巻いているのは周知の事実だ。僕はいわゆる「死の自己決定権」を支持する。安楽死・尊厳死は公的に認められるべきだと考える。

ただしそれには、安楽死・尊厳死を求める本人が、意志表示のできる環境にあって、且つ明確にその意志を表明し、そのあとに安楽死・尊厳死を実行する状況が訪れた時、という厳然たる条件が付けられるべきだ。

そうした僕の立ち位置は、世界で初めて安楽死を合法化したオランダや、民間団体が合法的に自殺希望者に薬物を処方して生命を絶つ、幇助付き自殺を行うスイスなどの立場とほぼ同じである。

生をまっとうすることが困難な状況に陥った個人が、「自らの明確な意志」に基づいて安楽死、つまり自殺を要求することを拒むのは、自然のまた人の生の摂理に楯突く僭越な行為ではないか。

安楽死・尊厳死を容認するときの危険は、「自らの明確な意志」を示すことができない者、たとえば認知症患者や意識不明者あるいは知的障害者などを、本人の同意がないままに安楽死させることである。

そうした場合には、介護拒否や介護疲れ、経済問題、人間関係のもつれ等々の理由で行われる「殺人」になる可能性がある。親や肉親の財産あるいは金ほしさに安楽死を画策するようなことも必ず起こるだろう。

人の弱さに起因するそうした不都合を限りなくゼロにする方策を模索しながら、回復不可能な病や耐え難い苦痛にさらされた不運な人々が、「自らの明確な意志」に基づいて安楽死を願うならば、これを公的に認めるべきである。

Faboさんは自らの明確な意志で安楽死を望んだ。これを容認しないのは間違いだと思う。エルアナさんは植物状態だったから「自らの明確な意志」を示すことができなかった。そのため父親が代わって安楽死を願った。

父親はエルアナさんを彼女らしく死なせてやりたいと主張し裁判に訴えた。娘への愛情からの行動である。この場合は尊厳死という形容が適切だろうと思う。彼の願いは裁判を起こしてから10年後にようやくかなえられた。

エルアナさんのケースでは患者本人の意思表示がない。肉親である父親が彼女の気持ちを忖度して、恐らく娘は植物状態のまま生き続けることを拒否するだろう。従って生命維持装置を外して自然死をもたらすことが最善の道、と判断した。

僕はエルアナさんの父親にも共感する。その場合の僕の判断基準は、もしも自分がエルアナさんの立ち場に置かれたならば、果たしてどう考えいかに結論を下すだろうか、と繰り返し真剣に考えた上での断案だ。僕もやはり死を選ぶと思うのである。

僕の考えはいうまでもなくエルアナさんのものではない。彼女はもしかすると、いかなる状況になっても生命維持装置を外さないでほしい、と考える類の人かもしれない。

しかし、エルアナさんの意思を確かめる手段はなく、彼女を最もよく知り最も深く愛している父親が、昏睡状態から回復する見込みのない娘に代わって自然死を願い出ているのだから、僕はそこにも賛成するのみなのである。

人類は将来、植物人間状態になって通常の意思疎通ができない患者の真意を知る手段も必ず手に入れるだろう。たとえば電気信号のようなものを駆使して、口もきけず意思表示もできない人間の心の内を知るようになると思う。

そこに至るまでは、我われはエルアナさんのような苦しい境遇になった人の気持ちを忖度して行動するしかない。その場合は、自らの立場に置き換えて考えてみるのが最も誠実な態度だと思う。

一方、Faboさんのように回復不可能な病や耐え難い苦痛にさらされた不運な人々が、「自らの明確な意志」に基づいて安楽死を願うならば、これを公的に認めるのが筋ではないか。

唐突なようだが、それは高齢者の生のあり方にも示唆を与える得る重要なコンセプトだと思う。つまり長命者は「どこまで」また「どんな風に」生きるべきか、という問いへの答えの一つだ。

高齢化社会で「超高齢」になって介護まで必要になった者が、「自らの明確な意志」に基づいて将来の死を選択することができるかどうか。またそうすることは是か非か、という議論はこの先決して避けて通れない命題であるように思う。

高齢者が死ぬリスクよりも、むしろ「無駄に長生きをするリスク」の方が高いようにさえ見える現代を生きる者は、誰もが早い段階から自らの「行く末の始末」を考える習慣を持つべき時が来ているような気がしてならない。

もしも僕の予感があたっているなら、最重要なことはそこでもやはり個人の意志の有無である。全ての人が考えて意を決して、自らでは考えることも身動きすることもできなくなった時を想定し、生き続けるか否かをリビングウイルにして、元気な時に明示しておく仕組みが作られてもいいように思う。

いかに死ぬかという問いはつまり、いかに生きるか、という問いの別表現に過ぎない。死は生を包括しないが生は死を包括する。あるいは生は死がなければ完結しない。死は生の一部にほかならないのである。ならば死に対しても、逃げることなく大いに議論がなされるべきだと考える。

掲載し遅れたこと~ベルルスコーニさんお大事に、そしてきれいな余生を~

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イラスト by KA Nakasone


僕のPCのブログフォルダには、ある程度書き進んだネタや、ほぼ書き上げて後は推敲するだけのテーマ、などというものも結構ある。それらは時事ネタである場合がほとんどである。時事ネタだから腐ってしまっている。しかし、書き進んだテーマにはその時々の自分の思いが既にきっちりと現れている。そこで、《過ぎた時事ネタを今振り返る》みたいなコンセプトで「掲載し遅れたこと」あるいは「投稿し忘れたこと」というカテゴリにまとめてそうした事案も公表してみようと考え付いた。つまらなければさっさとやめるつもりで。


【2016年6月11日付け・掲載し忘れ稿】
ベルルスコーニ元首相、愛称ベルルスカ(以下ベルルスカ)さんが、心臓手術のために入院し、大動脈弁を人工心臓弁に取りかえる手術を受けた。同氏は10年前にアメリカで心臓ペースメーカーの手術を受け、最近電池交換の手術も受けていた。元首相は入院したとき命の危険もある重篤な状態だったが手術は成功。経過も順調でリハビリなどを経て1ヶ月後には政界復帰も可能とのこと。

病気からの回復は良かった。めでたい。お大事に。と心から思うが、御歳 ほぼ80歳の元首相がまだ政界復帰を目論んでいるという話には、そういうのが政治家然とした成り行きだと知りつつ、またそいういう脂ぎった性格でないと強い政治家にはなれないことなども熟知しつつ、余計なお世話ながら、ここで政界から足を洗って静かに余生を生きれば彼の人生も大きく変わるだろうに、惜しい。とも思う。

元首相は、イタリア第3の政治勢力であるForza Italia党の党首である。だが脱税の有罪判決を受けて2013年11月に議員資格を剥奪され、その後いかなる公職にも就けない前科者の身である。他のいわゆるまともな先進民主主義国ならそれだけでも十分に政治生命が終わる事態だが、ここは不思議の国アリス、じゃなく不思議の国のベルルスカさん。よく言えば寛大、悪く言えばいい加減な国民も多く住むイタリア共和国である。しっかりと生き延びてきた。

しかし、もうそろそろそういう無駄な戦いは終わりにしたほうが良い。そうすることで彼は、政治的に晩節を汚した(晩節ではなくずっと汚れていたという厳しい声もある)あまたの汚職疑惑、未成年者買春容疑、贈収賄容疑、そして議員生命に止めを刺した脱税有罪判決など、100件以上の裁判沙汰や、ブンガブンガ乱交パーティ疑惑などで地に落ちた評判を回復することも可能だと思うからだ。

なぜ可能なのかというと、ベルルスカさんが基本的にはコミュニケーション能力に優れた楽しい面白い人だからだ。そして数々の放言暴言差別発言などにもかかわらず、彼は多分それほどの極悪人ではないと考えられるからだ。ベルルスカさんの放言暴言差別発言は、深刻な根を持たない軽はずみな、誤解を恐れずに言えば「イタリア人的な趣味の悪いジョーク」の類ではないか、というのが僕の持論である。

あるいはイタリア人的な「ノリ過ぎ」から来る軽佻浮薄発言といっても良い。要するに子供メンタリティーから出たもの。いつまで立ってマンマ(おっかさん)にド頭をなでられてかわいがられていたい、イタリアの「コドモ男たち」の一人ベルルスカさんならではの、お調子者丸出しのおバカな言動なのである。

性格が明るくジョーク好きな彼は、政界入りする前には実に輝いていた。こ ぼれるような笑顔、ユーモアを交えた軽快な語り口、説得力あふれるシンプルな論理、誠実(!)そのものにさえ見える丁寧な物腰、多様性重視の基本理念、徹頭徹尾の明朗と人なつっこさ、などなど・・・元首相は決して人をそらさない話術を駆使して会う者をひきつけ、たちまち彼のファンにしてきた。それはイタリア政界を牛耳る権力者になってもからも変わらなかった。

ベルルスカさんのポジティブな一面は、軽薄や際限のないお喋りや隠蔽や利己主義や鈍感や無思慮などのネガティブな面と表裏一体なのだが、ポジティブ好きの多くのイタリア国民によって裏の要素は無視されて、表の要因ばかりがスポットライトを浴びてきた。そうやって彼はイタリア政界のスターであり続け、スターであることが彼にカリスマ性を付与してきた。

一代で巨万の富を築いた自信満々のベルルスカさんは、政界に打って出た当初、ドロ沼のように停滞したイタリアの古い政治体質を変えるのではないかと期待された。それは表面的には成就されたように見えた。だが、3期およそ9年に渡って政権を担い、野にあった時期も含めると20年もイタリア政界を牛耳った男が腐らない訳がない。彼は自身のビジネス王国を守り発展させることと、国政とを混同して最終的には失脚した。

2011年に失脚したものの、ベルルスカさんは普通の政治家とは違っていた。民放テレビ3大ネットワークを中心とするメディアグループを筆頭に、「ベルルスコーニ・ビジネス王国」が巨大な力を持ち続けて、イタリア政治経済のあらゆる局面に影響力を行使した。結果としてそこの主である彼の政治基盤も揺らぐことなく存在し続け、今も存在している。

当然彼の主たる関心はビジネスであり、国を思い国を憂う、英語で「公正でりっぱな政治家」と表現されるいわゆる『Statesman(ステイツマン)』としての高邁な哲学ではない。そんな具合いに、全てが真っ黒とは言わないまでも、灰色一色の政治家生活を病気を機会に捨てて、彼本来の面白い人『Simpatico(シンパーティコ)』に戻ればいいのに、と僕は余計なお世話に思うのである。

イタリア には人を判断するのに「Simpaticoシンパーティコ⇔Antipaticoアンティパーティコ」という基準があるが、これは直訳すると「面白い人⇔面白くない人」という意味だ。そし て面白いと面白くないの分かれ目は、ひとことで言ってしまえば「おしゃべりかそうでないか」ということなのである。自己表現に長けたおしゃべりで面白い人が『Simpatico(シンパーティコ)』であり、しかもそれは、イタリア人が人を評価するときに頻繁に用いる、最上のほめ言葉なのである。

彼が『Statesman(ステイツマン)』と呼ぶにふさわしいい政治家だったならば、ベルルスカさんは自らの後継者も育てるはずだった。しかし彼はそれをしなかった。そのため今回、彼の入院手術の報が出ると、即座に元首相の後釜に座るのは誰かという憶測が流れた。ベルルスカさんの支持を受けてミラノ市長に立候補しているParisi氏や元教育相のGelmini 氏、また彼の片腕とみなされる81歳のLetta氏(レッタ前首相の叔父)などが取りざたされたが、いずれも強い調子で否定。

まるで噂に上ることはベルルスカさんの不評を買う、とでもいいたげな性急な否定の仕方が、ちょっと不自然な感じだった。彼らが後継者ではないなら、党内にトロイカ体制が組まれるのではないかなどとも噂されたが、これは党の指導部が強く否定するなど、ベルルスカさんのほぼ独裁体制を思わせる動きが矢継ぎ早に出た。

こういう動きからも、ベルルスカさんが常に私利私欲で行動しているらしいことが分かる。彼は恐らく自分の子供らに家督、つまり党首の地位を引き継ぐ形以外には後継者には興味がないのではないか。以前はアルファーノ内務大臣が後継と見られていたが、彼はアルファーノ氏をこき下ろすような言動もいとわず、同氏は2013年にベルルスコーニ党(FI)を割って出て、新党「新中道右派(NCD) 」を結成した。

ベルルスカさんはそのころは、どうやら娘のマリーナさんを自らの後継者にする構想を持っていたようだ。その計画は彼女の拒否で立ち消えになったが、ベルルスカさんは前述したように多分彼自身の家族以外には党の権力を譲る気持ちにはなれないのだろう。つまり、家族以外の人間には心を許せないのだ。それって典型的な独裁者の心理状態と同じ不穏なものだ。

ベルルスカさんには男女4人の子供がいて、全員が彼のビジネス王国で重要な役職を担っている。そうした事実も相まって、ベルルスカさんの行状の全ては私利私欲のため、という批判が絶えない。ならば彼は今こそ、我欲オンリーの自らのあり方を捨てて、若かりしころの『Simpatico(シンパーティコ)』な男に戻るべき、と僕は再び老婆心に思うのである。


2017年3月7日現在、 ベルルスカさんはいたって元気。この記事に書いた心臓手術のあと、予定通りほぼ1ヶ月後の2016年7月5日に退院。その後は順調に回復して、昨年12月4日に行われた憲法改正を問う国民投票では、当時のレンツィ首相降ろしのキャンペーンに暗躍して成功。現在は単独での政権獲得が無理なことを察して、連立政権の一角に食い込むか、少なくとも影響力を行使することを念頭に、相変わらずイタリア政界最強の魑魅魍魎振りを発揮している。


安倍首相夫人、昭恵さんのこと

AKIEお辞儀切り取り


大阪の森友学園を巡る問題で、安倍首相と共に夫人の昭恵さんもいろいろと叩かれている。金銭の問題と学園の教育方針を巡る問題の2つがあるようだが、僕は後者について少しひっかかるので意見を述べておくことにした。

2015年7月28日、僕はこのブログで安倍昭恵さんについて好意的に書いた。彼女がミラノ万博会場で見せたパフォーマンスは賞賛に値すると思ったからだ。その気持ちは今も変わらない。

記事の概略は次のようなものだった。

イタリアきっての高級紙「 CORRIERE DELLA SERA」が、「万博訪問中の日本首相夫人が伝統に挑戦」というタイトルで、万博会場での昭恵さんの挨拶の言葉を大きく報じた。

記事の趣旨は、昭恵さんが「日本の女性の地位は変わらなくてはならない。私はこれまで批判を怖れて言いたいことを言わずに来たが、今後は自分の意見をきちんと表明して行く」と明確に述べて、男尊女卑の風が色濃く残る日本の因習に挑む決意を表明したというもの。

記事はこうも述べた。「Akie Abeは夫の安倍首相と政治的スタンスが違うことでも知られている。例えば彼女は原発にもまたその再稼動にも反対で、緊張関係にある中韓に対してはもっと柔軟な態度で臨むべき、という考えを持っている。

形式と儀式を重んじる日本社会では、宰相夫人が公の場では決して言わないはずの「自らの意見」を、彼女は優雅な、しかし決意に満ちたやり方で表明した。夫から「家庭内野党」と呼ばれている彼女は、沼のように淀んだ、女嫌いの日本の権力機構に風穴を開けることができるだろうか、云々。

僕は2重の意味で昭恵さんに関するこの記事を嬉しく思った。彼女が公けの場であたかも日本女性を代表するように堂々と自立宣言をしたこと。また彼女が夫よりもリベラルな考えを持っていて、しかもそれを表出することを怖れていない点だ。

彼女にはぜひ安倍首相の右カーブ一辺倒の政治姿勢に待ったをかけてほしい。そうすれば安倍首相の政治スタンスは、今よりもより中道方向に軌道修正されて望ましいものになるかもしれない、云々。


僕は冒頭で述べたように、万博会場に於ける彼女の主張はすばらしいものだった、と今でも思っている。

しかし彼女が、極右思想を園児に強いる森友学園の教育方針に賛同し、小学校の名誉校長にまでなっていた報道に接して、ひどく裏切られたような気分になっている。

世界基準では「極右」とさえ規定されることが多い安倍首相の政治的スタンスは、引用した記事でも、また他の機会でも繰り返し指摘したように驚くにはあたらない。

しかし、夫とは違う政治信条を持っているように見えた昭恵さんが、ウルトラナショナリスト的な思想に共鳴しているらしいのは、ちょっとした衝撃だ。僕は自分の不明を恥じる気分でさえいる。

森友学園問題では土地取得にからむ疑惑も噴出している。金銭疑惑は重要なものだ。だが金銭トラブルは、どんな形に落ち着くにせよ、穴埋めや賠償や処罰によって一応の解決を図ることができる。

思想信条はそうはいかない。教育のあり方を正すという法による解決策がたとえあったとしても、思想信条が消えることはない。それが思想信条だからだ。幼い子供たちに植え込まれる国粋思想も同じだ。

そんな学校に首相夫人の昭恵さんが心酔しているらしいのは残念だ。彼女が
「自立した保守派の女性」でいるならすばらしい。「自立したリベラルな女性」なら理想的だ。だが「自立した極右の女性」では、「自立した極左の女性」同様にあまりぞっとしない。

投稿し忘れたこと~パク・クネ大統領の功罪~

パククネと崔400pic



僕のPCのブログフォルダには、ある程度書き進んだネタや、ほぼ書き上げて後は推敲するだけのテーマ、などというものも結構ある。それらは時事ネタである場合がほとんどである。時事ネタだから腐ってしまっている。しかし、書き進んだテーマにはその時々の自分の思いが既にきっちりと現れている。そこで、《過ぎた時事ネタを今振り返る》みたいなコンセプトで「掲載し遅れたこと」あるいは「投稿し忘れたこと」というカテゴリにまとめてそうした事案も公表してみようと考え付いた。つまらなければさっさとやめるつもりで。


韓国の特別検察官チームは2017年2月17日、サムスングループのトップ、サムスン電子副会長のイ・ジェヨン容疑者を贈賄容疑などで逮捕、2月28日に起訴した。同チームはサムスンが贈賄、パク・クネ統領と友人のチェ・スンシル被告が収賄側に当たり、2人が「利益を共有していた」とみている。

「名声が地に落ちた」どころか、地獄にまで崩落したとさえ言えそうなパク・クネ韓国大統領には、「功などは無く、ただ罪があるのみ」と考える人もきっと多いだろう。今となってはその主張を否定することは難しい。

しかし彼女には、日中韓の「3大東アジア女性蔑視国」にあって、大統領にまで上り詰めた実績がある。それは、米国で黒人初のオバマ大統領が誕生したことにも似た、歴史的に大きな意味のある出来事だ。その思いから僕はこの記事のタイトルを「パク・クネ大統領の功罪」とした。

【2014年9月28日付け・投稿し忘れ稿】

ここのところ政治や国際関係やグローバル経済等にまつわる事案について、大げさに言えば大上段に構えて自分の主張を展開するような気分になれない。それは何よりも先ず自らの能力の低さによるものだが、一つの問題が起こると多くの論者や自称記者やライターや主張者などが、寄ってたかってそれについての論評を言い募る風潮にうんざりしているからでもある。

たとえば慰安婦問題。アジア人、特に韓国人蔑視の暗い情念を持て余す一部の日本人は、強制連行の有無にこだわって、軍の強制を証明する資料はなく、従って韓国の主張はおかしい、という結論にたどり着く。そこまではいいのだが、彼らは鬼の首でも取ったようにそのことを言い募るうちに自らの論弁に酔ってしまって、ついには慰安婦は存在しなかった。存在していてもそれは戦時中世界各国に同様に存在していたことであり、日本だけが悪いのではない。いや日本は少しも悪くない、と主張がエスカレートして、やすやすと問題のすり替えが成される。

韓国と中国を除く世界の多くの人々は、従軍慰安婦(という言い方を敢えてする)を旧日本軍が強制的に徴用したかどうか、などには誰も関心を抱いていない。従軍慰安婦はそれがどこで起こった事案であっても、現代の感覚・価値観では「悪」なのであり、その悪を犯した日本軍は糾弾されなければならない。それなのに日本は今になって慰安婦の存在を否定しようとしている。それは安倍首相を始めとするナショナリスト(世界のジャーナリスムの感覚では極右)が台頭して、過去の日本(軍)のおぞましい顔を化粧してごまかそうとしている、まやかしの一端である、というのがグローバル世論の真の論点である。

もう少し分かりやすく言う。例えばドイツとポーランドとの間に従軍慰安婦問題があったとする。ナチスドイツは従軍慰安婦を雇い実際にこれを管理営業していたが、たまたまそこに強制的に、あるいは騙されて、あるいは仕事として割り切って慰安婦になった女性がいて、彼女が戦後、私はナチスに強制徴用されて慰安婦になった。だからドイツは私に謝れ、と申し立てたときは一蹴されるのが落ちである。韓国人慰安婦の主張もそれと同じだ、などとも歴史修正主義者は強弁する。しかし繰り返すが、論点はそこではなく、慰安婦の存在が現代の感覚や価値観では悪である、というのが問題の核心なのだ。

世界の論調とは大きくずれる「軍隊による強制性があったかどうか」を問題視する見解は、遺憾なことに日本国内に多い「世界から目を逸らしたまま民族主義を声高に強弁する<引き籠りの暴力愛好家>」たちに支持されて、小さな閉じたサークルの中で熱気を帯びて行き、膨張し、増長してやがて熱狂となる。それがネット上の従軍慰安婦問題にまつわるネトウヨや「中道を騙る隠れネトウヨ」論者らの正体だ。

誤解なきようにここで強調しておきたい。日本による韓国併合は侵略であり悪であり指弾されるべきである。それは直接には関与していない戦後世代の我われ自身にも責任がある。繰り返す。「罪はないが責任はある」のだ。過去なくしては現在の我われは存在しないからだ。

また朝日新聞は、従軍慰安婦問題に関して誤報と捏造(今となってはそうとしか考えられない「誤報」が多過ぎる)を繰り返してきた責任を十分に取って、最終的には世界の主要メデァ(例えばNYタイムズ)にそのことを認める論文を発表するべきである。なぜなら同紙の誤報が国際世論に与えた影響は無視できないものだからだ。

論文が認められない(ボツになる)ようなら、誤報の事実と謝罪広告を「金を払って」掲載するべきである。この場合の謝罪とは韓国国民に向けて、彼らをミスリードしたことを詫びる、という趣旨であり日本国民や世界に向けての謝罪という意味ではない。

なぜなら同紙は世界に向けては謝罪をする理由はなく、同紙が誤報を流し続けたという事実が世界に向けて発信されれば良い。また日本国民への謝罪とは、同紙購読者への謝罪という意味だから、それは日本語で成されるべきであり、実際に木村社長の謝罪、という形で実行されていて解決済みである。

その上で主張したい。韓国、特にパク・クネ大統領が、頑なに日本政府との対話を拒んでいるのは愚かであり醜悪である。対話拒否は蛮人の態度だ。自由と民主主義を信奉する韓国の姿勢にそぐわない。

頑な過ぎるパク・クネ大統領の態度は、もはや私怨としか見なせない域にまで落ちた、と批判されても仕方がない。彼女の態度は、国粋主義的な思想信条を隠して、米国を始めとする世界世論の顔色をうかがっては右顧左眄する、安倍晋三首相の態度と何も違わない。

パク・クネ氏は過去の日本を糾弾する姿勢を捨てないならば捨てないなりに、そのことを懐に抱え込んだままで、とにかく日本との対話を始めるべきだ。そうすることによって、彼女は自らの主張を日本に認めさせる道を開くことができるだろう。

また安倍首相は、頭隠して尻隠さずの滑稽な似非保守の演技を捨てて、潔く「右翼思想」を前面に出して己のスタンスを明らかにし、日本国内と国際世論に訴えてその審判を受けるべきだ。そうすることによってしか彼は日韓、日中関係の進展を図り、国際世論の賛同を得ることはできないのではないか、と考える。


僕は過去には、パク・クネ大統領が女性であることを特別に賞賛し敬仰 しつつも、日本との対話を拒否する彼女の頑なな姿勢には批判を禁じ得なかった。その後大統領は少し軟化して、日本との対話を模索する方向に動き出したが、醜聞に見舞われて沈んだ。彼女が収賄をしていたのなら全く同情の余地はない。が、残念な出来事だと思う。

パク・クネさんが女性でありながら、日本と同じ男尊女卑社会の韓国で大統領にまでなった事実を、僕はどうしても評価しないではいられない。アジアの国が世界で真の先進国になれないのは、女性の地位の低さが障害の一つになっているからだ。世界の国々の「文明度」は、女性の地位の高さに正比例する。あるいは世界の文明国のランクは、女性差別の重さに反比例する。

その意味では女性差別の撤廃に向かって積極的に歩み、且つ成就させている欧米の国々が、日本や韓国あるいは中国などよりもはるか上位にランク付けされるのは必然である。女性差別を無くさない限り真の民主主義はあり得ず、人間性の解放もない。パク・クネ大統領は東アジアに於ける女性解放気運の象徴的な存在だった。挫折したことを返す返すも遺憾に思う。


やっぱりレンツィの野望は横暴で無謀で、どうしても絶望っぽい

ダレマ+レンツィ in ベッド切り取り400pic
ダレマ(妻?愛人?)&レンツィ


2013年、マッテオ・レンツィ前イタリア首相また民主党(政権与党)前党首は、文字通り彗星のごとく政権党党首になり、2ヵ月後に実権を掌握して首相に就任した。

当時僕は、そこに至るプロセスと彼の政治手法に若干の疑問を覚えながらも、若き宰相の登場を歓迎し大いなる「変化」を期待した。彼はそのとき弱冠39歳。イタリア憲政史上最年少の首相だった。

時間とともに彼の政治手腕への違和感はさらに高まった。またしばしば傲慢だと批判される彼の性格と才幹を訝しく感じることも多くなった。

だが年老いた魑魅魍魎が多く跋扈するイタリア政界では、39歳という若い宰相には少しの横柄さも必要なのだろう、と考えてひそかに応援し続けてきた。

彼がイタリア政界最大の怪物、ベルルスコーニ元首相と選挙法を巡って取引をした時は大いに困惑した。さらに憲法改正を目指した国民投票キャンペーンで、「私を取る(イエス)かノーか」と問いかけたのには呆然とした。

レンツィ前首相は、そこで最大級の思い上がりを発揮して国民に嫌われ、ついに敗北して改革を遠ざけた。そればかりではなく、首相職も失う不手際を見せた。僕はそこに至って完全に彼を見損なっていたことを知った。

「私を取るか憲法改正ノーを取るか」という問いは、自信過剰だった英国の前首相デヴィッド・キャメロンが、EU離脱(BREXIT)を問う国民投票を実施して敗北したぽか と同じ大失態だった。

キャメロン前首相は、国民が彼の主張とは逆のEU離脱を選択することはあり得ない、と勝手に思い込んで、しなくても良い国民投票を実施して自らの政治生命を絶った。

レンツィ前首相は、そのいきさつをつぶさに見ていたにもかかわらず、「私(憲法改正イエス)かノーか」と慢心が透けて見える問いを投げかけて、見事に有権者にそっぽを向かれた。

彼はキャメロン前首相と同様に宰相職を辞任したが、与党民主党の党首(書記長)の地位には留まり続けた。そしてそこでも策士の本領を発揮して首相返り咲きを狙った権謀術策を弄した。

挙句、党内の反発を招いた。そこで懐の深い指導者らしい振舞いを見せて党内をまとめるのかと思ったら、頑なに独善を通し、ついに民主党分裂の最悪の結果を招いたのである。

僕はイタリアでの選挙権はない。選挙権を得るためにはイタリア国籍を取得する必要がある。だがイタリア国籍を得るためには日本国籍を捨てなければならない。日本の法律がそう定めている。

日本国籍を放棄する気は全くないので、僕は選挙権のない永住許可保持者の地位のままでこの国に住んでいる。選挙で投票できないということ以外には、それでほとんど不自由はない。

だが、僕は税金もこの国できちんと支払っているし、政治状況は暮らしや僕の生き様(よう)にもてきめんに影響する。家族も皆イタリア人だ。だから僕は政治動向には大いに物申すし、監視もしている。

レンツィ前首相の野望と独善は、この直前のエントリーでも論じた通り、イタリアの政局を混乱させるというローカルな問題に留まらず、極右の北部同盟とポピュリスト勢力の五つ星運動を利して、それがひいては欧州全体のトランプ主義化にも資していく、というのが僕の懸念だ。

レンツィ前首相は今日現在、ベルサーニ元民主党党首が率いる分離派を裏で操ったのは、ダレマ元首相だと攻撃の矛先を変えて声高に主張している。ダレマ元首相は奸物の印象が強い。そういうこともありそうである。

しかし、それを言えば、レンツィ前首相も同じ穴のムジナだ。またベルサーニ元民主党党首も、さらにいえばベルルスコーニ元首相も同じ。皆、奸物。政界の魑魅魍魎たちだ。

ここで国民の支持を得たいなら、前首相は「他者への攻撃をやめて沈黙する」のが得策だと思う。また近い将来の総選挙で民主党が勝っても、過半数に届く可能性は皆無。従って連立を組まざるを得ない。

その時の縁組相手として温存するためにも、昨日までの仲間を追い詰めるのは控えたほうが良い。が、自意識過剰で喧嘩好きのレンツィ前首相は聞く耳を持たないだろう。しかしそれは、再び言うが、相手方も同じ。

情けない体たらくの民主党だが、それでも僕は「今のところは」彼らに肩入れする。なぜなら民主党とその周辺は確固としたEU(欧州連合)支持派だからだ。ドロ沼のように停滞するイタリアの政治を変えよう、と叫ぶ五つ星運動にも共感するものがある。が、彼らはなにしろ反EUが旗印だ。とうてい受け入れられない。


レンツィの野望は横暴で粗暴で無謀で阿呆で泥棒にも似て絶望っぽい

renzi bersani400pic


イタリア民主党が分裂した。欧州で近く行われる選挙でフランス“国民戦線”、オランダ“自由党”、ドイツ“独の選択”などの極右勢力の躍進を暗示するような、残念な出来事である。

それというのもEU(欧州連合)支持の民主党が弱体化することで、イタリアの反ユーロ・ポピュリスト政党「五つ星運動」と、脱EU派で極右の「北部同盟」がさらに勢力を伸ばしそうだからだ。

民主党の分裂は、マッテオ・レンツィ前首相の野望と独善と権力欲に、対立勢力の愚直と視野狭窄と嫉妬がからんだ、民主党お得意の救いようのない言い争い体質ゆえの結果だ。

レンツィ氏は昨年12月、憲法改正を問う国民投票で敗れて首相を辞任。彼の内閣の外相だったジェンティローニ氏が首相に昇格した。

レンツィ氏は首相辞任後も政権与党である民主党の党首に留まり続けたが、党内での統率力には強い疑問符が付いて回っていた。

彼は2013年、民主党内の極左勢力を抑えて実権を握った。しかし、党内での内紛は絶えなかった。それでも前首相は、4月に予定されている民主党党首選で再び勝利すると見られている。

党首に再選された暁には、できるだけ早い時期に前倒し総選挙を行って、首相に返り咲きたい、というのが彼の野望である。

民主党と袂を分かつグループは、下院の任期満了(2018年)まではジェンティローニ首相の続投を支持するべき、と主張して前首相の野望に強く反発した。

反レンツィ派のリーダーはベルサーニ元民主党党首。党を割って出た後は新党を結成し、ジェンティローニ政権を支持し続けると見られている。

分裂直後の世論調査によると、民主党は2、3%の支持を即座に失った。それによって支持率は28、1%に落ち、最大野党の五つ星運動の支持率27,8%とほぼ同じになった。

ベルサーニ派は最終的には5%~8%の支持を得ると見られている。それが現実になれば、民主党は五つ星運動に支持率で逆転される可能性が極めて高くなる。

民主党の分裂によってイタリア国民の政治不信はさらに高まるだろう。それは前述したようにユーロからの離脱を主張する五つ星運動や、反EUで極右の北部同盟の躍進を呼びかねない。

最大EU支持派の民主党が弱体化すれば、イタリアのトランプ主義勢力が勢いづくことは確実であり、それは同国のみならず欧州全体の憂事である。


霧憂いあるいは霧ブルー

書斎から見下ろすブドウ園400pic
書斎からブドウ園を望む。奥に高い壁があるが全く見えない


2017年2月22日朝、ミラノからほど近いわが家の周りは深い霧に包まれた。翌23日はさらに濃い霧が立ち込めた。

12月ごろから2月ごろのミラノと周辺は、ひんぱんに深い霧に閉ざされる。霧は冬の、特に晴れた日に発生する、いわゆる放射霧。

若いころ住んでいたロンドンにもよく霧がかかった。「霧の街ロンドン」と昔から言われる。が、ミラノの霧に比較するとロンドンの霧は、僕のイメージの中では子供だましに等しい

それでも霧は、ミラノ市内では幽玄に見えないこともない。いくら深くても街の灯りに淡いベールのようにからんで、霞みとなって、いうにいわれぬ風情がある。

しかし郊外に出ると霧はたちまち怖い障害物になる。車の運転に支障をきたして、時には死の恐怖さえもたらすとんでもない代物になる。

僕は自分の事務所のあるミラノでは車ざんまいの暮らしをしてきた。郊外にある自宅との行き来も常に車だが、運転の大敵である霧には大分悩まされた。

霧は街なかよりも、人家や明かりの少ない郊外ではさらに濃くなって、行く手を阻む。

ひどい時は前後左右がまったく見えず、車のドアを開けて路上のセンターラインを確認しながらそろそろと走ることさえある。

霧中での運転にあまり自信がない僕は20数年前、霧が発生して車での帰宅が覚束なくなるときのために、ミラノ市内に小さな古いマンションを一軒確保したほどである。

年月とともに霧の中での運転にも少しは慣れていったが、霧の夜の運転は依然として不安だ。仕事柄、僕は夜遅い帰宅が多い。番組編集などがあるとなおさらだ。

高速道路で霧に出くわすと、一般道よりもさらに運転の危険が増す。

視界を遮られた霧の中では、恐怖から車を止めたくなるが、「死にたくなければ絶対に停車するな」というのが鉄則である。

みだりに停止すると視界のきかない後方車がたちまち激突しかねない。

だからといって高速で走ればもっと危ない。

霧の怖さやそれに対する心構えは当然イアタリア人は良く知っている。それにもかかわらずに彼らは、濃霧の中でも高速走行をしたがる。

運転に自信があるのだ。事実、イタリア人は一般的に運転がうまい。もっと正確にいえば、高速走行時の運転がうまい。言葉を替えれば乱暴である。

すべての車が止まらずに走り続ければ玉突き事故は起こらない、というのが彼らの言い分だが、そんなばかな話はあるはずもなく、霧中の高速運転は容易に事故を呼ぶ。

結果、数十台、時には何百台もの車が巻き込まれる玉突き事故さえ起きる。

事故の原因はいつも同じ。スピードの出し過ぎである。今さらのような言い方だが、イタリア人はスピード狂が多いのだ。

視界が閉ざされた高速道路で一台が玉突き事故を起こすと、玉突きはドミノ式に次々に起こって、結果多くの車を巻き込む壮大な事故になる。

そんな現実を見ると僕はイタリア人が分からなくなり、この国に住んでいること自体が怖くなったりすることさえある。

同時に、学生時代のロンドンの霧がひたすらロマンチックに見えたのは、車を持つ余裕などない貧しさのおかげだったのだ、とこれまた今さらながら気づいたりもするのである。



新カテゴリ 「投稿し忘れたこと」また「掲載し遅れたこと」について

則UP200pic


このブログのカテゴリにも置いている「書きそびれたこと」や「書き遅れたこと」はアイデアであったり数行のメモであったりの、「まだ書いていないテーマ」のことである。

ところが僕のPCには、そこから一歩先に行った「ある程度書き進んだネタ」や
「ほぼ書き上げて後は推敲するだけのテーマ」などというものが結構ある。

それらは時事ネタである場合がほとんどである。つまり、「書きそびれたこと」や
「書き遅れたこと」と同じだ。しかし、書き進んだテーマにはその時々の自分の思いが既にきっちりと現れている。

そこで、「投稿し忘れたこと」あるいは「掲載し遅れたこと」というカテゴリでそうした事案も公表してみようと考え付いた。自分なりのあらたなトライである。

僕はこれまで自分がかかわってきたテレビ主体の映像媒体や、紙媒体とは違う可能性や面白さを感じて、このネットメディアを活用している。

可能性および面白さの一つは、周知のように、SNSの基本コンセプトである自らが『テレビ局になり出版社や新聞社になる』ことである。もう一つは『そこでは何でもトライできる』ことである。

そんなわけで、たとえば《過ぎた時事ネタを今振り返る》みたいなコンセプトでトライしてみようと思う。つまらなければさっさとやめるつもりで。

手始めに次のエントリーかその先あたりで、韓国のパク・クネ大統領にまつわる「投稿し忘れたこと」を掲載してみようと思う。


私刑(リンチ)殺人を招いたイタリア司法の稚拙

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ディ・レッロ&ロベルタ夫妻


2016年7月1日夕刻、イタリア・アブルッツォ州ヴァストの交差点で、ヤマハのスクーターに乗った女性が、赤信号を無視して交差点に侵入してきたフィアット車に撥ねられ、単車ごと信号機に激突した。女性はすぐに病院に運ばれたが同日の夜死亡した。女性の名はロベルタ・スマルジャッシ(33歳)。加害者はイタロ・デリーザ(22歳)。

それからちょうど7ヶ月後の2017年2月1日、事故のあった同じ町のカフェ前の路上で、事故加害者のイタロ・デリーザは1人の男に至近距離から拳銃で撃たれて即死した。撃ったのはファビオ・ディ・レッロ(34歳)。デリーザの車に撥ねられて亡くなったロベルタ・スマルジャッシの夫である。彼は妻を殺された報復に4発の銃弾を若者に浴びせたのだった。

若者を殺害したディ・レッロ は、その足で墓地に向かい、妻の墓前に供え物でもするように拳銃を置いた。それから警察に自首した。ディ・レッロ は妻の死後、毎日亡き彼女の墓に参っては悲嘆に暮れていた。その行為の仕上げとして、彼は復讐を遂げたあと墓前に拳銃を安置したのである。

交通事故の加害者を被害者(の家族)が私刑で殺害する、という耳を疑うようなこの事件は、イタリア司法制度の最大の欠陥のひとつ、審理の遅滞と混乱が引き起こした悲劇である。同時に、イタリア司法制度の長所の一つである厳罰回避主義も関係しているのが皮肉だ。

加害者から一転して被害者になったイタロ・デリーザは、交差点で赤信号を無視して死亡事故を起こしたにもかかわらず、裁判所の審理を待つ間、ほとんど何の制約も受けずにヴァストの町を自由に動き回っていた。そこは人口3万8千人の町。住人の全てがお互いに顔見知りのような関係だった。

何事もなかったかのように振舞うデリーザの噂を聞くのは、ディ・レッロにとっては耐えがたい苦痛だった。彼は裁判の迅速化を主張し、人々に働きかけ、SNSでも同様の投稿を繰り返した。町の住民の多くも妻を殺されたディ・レッロに味方をした。

町には動きの遅い裁判所への批判が高まった。「早く裁判をしろ!ロベルタに正義を!」という抗議デモまで起こった。それは同時に、重大事故を起こしながら自由を謳歌しているデリーザへの問責でもあった。デリーザへの風当たりはそうやって日ごとに強くなった。

2017年2月21日には公判が予定されていたが、加害者のデリーザは恐らく刑務所に入ることもない軽い刑罰で済み、結審後もほぼ自由であろうことが予想された。なぜならイタリアの法律では、交通事故の犯人は酒気帯び、麻薬摂取、あるいは轢き逃げのような悪質なケースを除いて、刑罰が極めて軽くなるからである。

その観測が妻を殺されたディ・レッロの苦悩となっていた。事故のことを謝ろうともしないデリーザへの怒りも募った。そんな折、彼はデリーザと道で行き逢った。デリーザは、事故後に乗り回すようになったバイクのエンジンをこれ見よがしに噴かして、彼に挑むような態度に出た。

その出来事がディ・レッロに重大な決意をさせた。デリーザを殺害してしまおうと心に誓ったのだ。恐らくディ・レッロは、町の人々が彼に同情し、事故加害者のデリーザを非難する風潮にも触発されたのだろう。ディ・レッロはその時まで拳銃を扱ったことはなかったが、密かに一挺を手に入れて襲撃の準備を始めた。

彼は犯行に及ぶ直前、Facebookに映画グラディエーターの主人公マキシマス・デシマス・メレディウス の写真と共に、彼の有名なセリフ“~And I will have my vengeance...in this life or the next=~私は必ず復讐を果たす・・この世か、あるいはあの世で”と投稿した。そして事件は起きた。

この不幸な出来事には、いかにもイタリアらしいエピソードや、多くの偶然や必然や不運や誤解などが複雑に絡まっている。だが実はそれは、イタリアに限らずどこにでも起こり得る事件であり、真相は「藪の中」にしか存在しない人間劇だと僕には見える。

ここからはその人間劇について少し言及しておこうと思う。

ディ・レッロは妻の死後、毎日彼女の墓に参っては悲嘆に暮れていた。それは愛情の深さを物語るエピソードに違いないが、7ヶ月にも渡って連日墓に出向いては涙に暮れる、というのは少し異様で、彼の思い込みの強さを語るエピソードという感じがしないでもない。

その行為はFacebookにグラディエーターの一場面の模様を投稿したことや、復讐を果たした後にピストルを妻の墓前に手向けた事実などと共に、少し芝居がかっていて、やはり違和感を覚えずにはいられない。犯罪心理の専門家などが分析を試みたがる案件のようでもある。

銃撃犯のディ・レッロは、前述したように、彼にとっては妻を殺した憎むべき犯人であるデリーザが、まるで挑発するように町で行き逢った彼に対してバイクのエンジンを吹かした、と主張している。それは事実らしいがそこに至るまでには伏線がある。

デリーザの家族の言い分によると、彼は死亡事故を起こした後、強いトラウマに襲われて苦しんでいた。そこに彼を非難する町の住民の声が重なって、当人の心的苦痛はいよいよ高まった。そうした異常な精神状態にあったため、デリーザはディ・レッロと遭遇した際、思わず反抗的な態度に出たのだという。

つまりふてぶてしく生きているように見えたデリーザは実は、「普通に」死亡事故を起こした責任感に苛まれていた。罪悪感で押しつぶされそうになっていた彼に世論のバッシングが重なって、彼はますます追い詰められていった、というある意味で尋常な加害者の心理劇がそこにはあったのである。

また、デリーザは事故後に、共通の友人を介して亡くなったロベルタ・スマルジャッシの家族に謝罪をしたいと申し出たが、彼女の家族は「今はとても謝罪を受けられる心理状態ではない。時間がほしい」と拒否したとされる。

ところがこの点に関しても、前述したようにディ・レッロは逆に、デリーザから一言の謝罪の言葉もなかったと憤っている。ということはもしかすると、彼と亡くなった妻の家族との間には何らかの行き違いがあって、情報が共有されていなかったのだろうか。又は何らかの確執でもあったのだろうか。

ディ・レッロと妻の家族との関係がどうあろうとこの際は関係のない事案かもしれない。しかし、デリーザが彼に謝罪をしなかったことも、ディ・レッロが凶行に走った動機の一つになっているのだから、被害者が実は謝罪を申し出ていたというのは、無視できないエピソードのように見える。

デリーザ側の主張には、普通の感覚では中々受け入れがたいものも幾つかある。たとえば彼らは、「交差点での事故の際、ヤマハのスクーターに乗っていたロベルタ・スマルジャッシはヘルメットを被っていなかった。これは彼女の過失である」と言い張った。

また「責任を取れ。反省しろ」という街の人々の非難に対しても「デリーザは事故時には一滴の酒も飲んでいなかったし、麻薬常習者でもない。また事故後は逃げも隠れもしないで被害者の救護にも当たった。いったい何を反省し何の責任を取るのか」と開き直ったりもしている。

それらの主張は、少なくとも僕にとっては、首を傾げたくなるような強弁にしか聞こえない。加害者が信号を無視して交差点に突っ込み被害者を死亡させた厳然たる事実は、被害者のヘルメットの有無によってキャンセルしたり矮小化したりできるものでは断じてない。

飲酒や麻薬使用の有無、また事故後に救護活動をしたか否か、などの主張もやはり強弁の類であり本末転倒の議論のように思う。自らの立場を明確にしてそれを主張することが善とされる西洋的メンタリティーではOKなのだろうが、少なくとも日本人の僕には分かりづらい、というのが正直な感想だ。

しかし、だからといって、ディ・レッロはもちろん個人的なあだ討ちなどをするべきではなかった。彼は犯行に至る前には一貫して「ロベルタの悲劇は2度とあってはならない」と亡き妻の写真と共にSNSに繰り返し投稿していた。ところが彼は、不幸にも妻の悲劇を繰り返してしまった。被害者の名前が妻ロベルタからデリーザと変わりはしたものの。

僕には亡くなった2人の男はいずれもイタリアの司法制度の被害者に見える。厳罰主義を否定するイタリアの司法の精神はすばらしい。そこにはキリスト教最大の教義の一つ「赦(ゆる)し」の哲学が込められている。

「人は間違いを起こす弱い存在」である。だから、厳罰よりも赦しが優先される。飲酒運転や麻薬摂取や轢き逃げに当たらない、「普通の」死亡事故の加害者を許そうとするベクトルが働くのも、その考え方故だ。

しかし、司法の遅滞は重大問題だ。デリーザが死亡事故を起こした時点で司法による素早い介入があったならば、彼は被害者の家族も住む小さな街で自由に動くことはなく、従って加害者のディ・レッロと行き逢うこともなかった。

精神つまりソフトは優秀だが、時として実体つまりハードが稚拙な「イタリア的な仕組み」の一端がここでも発揮されたのだと思う。ハードの遅れた司法の鈍感と無神経と無能のせいで、事故の加害者と被害者が日常的に顔を合わせるという苦しくも残酷な状態が生まれ、やがて悲惨な結末が訪れたのである。


やっぱり退屈なオバケ番組「サンレモ音楽祭」

会場ヒキ+パネル400pic


2017年2月11日、5日間に渡って開催されたサンレモ音楽祭が幕を閉じた。

先日、紅白歌合戦にからめて同音楽祭のことをいろいろ言った手前、今年は頑張ってTV生中継を見ようと決めた。

しかし、いつものように挫折した。つまらぬ、好かぬ、たまらぬ、の3拍子がそろっていたのだ。「つまらぬ」のはエントリーしている楽曲。「好かぬ」のは番組の内容。「たまらぬ」のは放送時間のムチャクチャな長さである。

つまり、「いつもの理由」で、僕はサンレモ音楽祭を放送するRAIの番組視聴を貫徹することができなかった。貫徹どころか、最初は「さぁ、見るぞ」と始めたものの、たちまちウンザリしてチャンネルを替えた。

その後は「我慢して見つづけよう」と自分に言い聞かせては、やはりチャンネルを替えたり、テレビの前から立ち去ることを繰り返した。

サンレモ音楽祭は応募曲の優劣を決める音楽コンテストである。優勝曲はほぼ間違いなくイタリア国内でヒットし、欧州全体さらには世界的なヒットになる可能性もある。

それでいながら参加曲の多くが、どれも良く似た凡庸なものであるのも現実だ。カンツォーネは日本でいえば演歌(あるいは歌謡曲的な演歌)なのだから、それも仕方がない。

そこでは似たような印象のメロディー、リズム、歌詞の歌を、これまた似たような印象の歌い方をする歌手が絶唱する、というイメージである。それは僕にとっては極めて退屈だ。

もっとも演歌でなければ楽しいのか、といえば決してそうではない。演歌を「歌謡曲」や「ニューミュージック(死語?)」などを含むJ-POP(ポップス)と置き換えても事情は同じ。どのジャンルでも面白い歌は少なく、つまらない歌は盛りだくさんだ。

それらの歌の合間に、ゲストと称される有名人のダベリや、司会との掛け合い、多くがお笑い系の芸人のパフォーマンス、時の人や事物の紹介、外国人ゲストの歌やパフォーマンス等々が、これでもか、これでもかとばかりに執拗に挿入される。

実を言えば、それらの賑やかで多彩で大量のエピソードの合間に、コンテストにかけられる歌が歌われる、という方が正しい。今年はなぜか猿の着ぐるみを着たダンサーが踊りまくる演芸も加わって、例年以上に舞台が濃厚になった。

僕の個人的見解では過剰以外の何ものでもない大量の「バラエティーショー的ネタ」の合間に、陳腐な歌が次々と陳腐に上演されて行く時間の長さと、ネガティブな番組構成要素の総体は、ほとんど恐怖である。もっと言えばずばり「拷問」ですらある。

僕は前述のごとく「いつものように」我慢して番組を見ようとした。そして「いつものように」脱落した。それでも優勝曲の発表がある最終夜は、イライラしながらも懸命に見た。午後8時半に始まった番組は、途中で大量のコマーシャルを挟みつつ延々と続いた。

このコマーシャルも僕の気に触り続けた。というのも番組を流しているRAIはイタリアの公共放送局である。つまりイタリアのNHK。当然視聴料を徴収している。それでいながら大量のCMも流すのだ。きちんと視聴料を支払っている僕は普段からこのことに腹を立てている。RAIは民営化されるべき、と僕が主張する理由の一つだ。

優勝曲の発表の前にも、思わせぶりで脇道に逸れる構成が連綿と続いて、いつまでたっても結論が出ない。且つそこでもCMががんがん流される。やりきれない時間が過ぎて、ようやく優勝曲が発表された時には、日付がとっくに変わって翌日の午前1時半になっていた。

それだけでも疲れたが、もっと残念なことがあった。優勝曲が今年は良くないのだ。サンレモ音楽祭はマンネリ感満載の番組内容とエントリー曲の陳腐が退屈だが、優勝する歌はたいていいいものが多く、ひんぱんに傑作が生まれる。今年に限っては唯一の楽しみである優勝曲も凡庸でつまらない曲で終わった。

その平平とした歌の披露が済んでオンエアが完全に終わったのは1;45分だった。僕は2度とサンレモなど見ないぞ、と悪態をついていた。今後はほんとに2度と見ないつもりだ。優勝曲についてはこれまで通りチェックするとは思うけれど。

などと、呪詛の言葉を吐いているのは、全くの僕の個人的趣味である。イタリアではサンレモ音楽祭は、依然として人々の強い支持を受けている。視聴率や国民の関心度、という観点から言えば、恐らく日本における紅白歌合戦以上の、イタリアのチョー国民的番組なのである。

同番組は、今年も事前の国民の関心度や視聴率が、イタリアで1,2を争うオバケ番組であることを証明した。平均視聴率は50、7%に達し、過去12年間で最も高かった。そうはいうものの同番組は、ほとんど常に40%台後半の数字を稼ぐのだけれど。付け加えれば、今年の優勝曲発表時の瞬間視聴率は、なんと
79、5%に上った。

また年間を通しての国民の関心、という意味では「サンレモ」という語がGoogleの検索エンジンリストの第6位である事実と、音楽祭の開催期間である2月7日~11日が、文化イベント・カレンダーの重要キーワードとして、人々に意識され続けることでもその存在感の大きさが知れる。

もっとも、さらに付け加えれば、そんなオバケ番組ゆえに敵も多い。日本の紅白歌合戦に敵が多いように。僕自身に限っていえば、番組制作者たちの努力と、番組の特に舞台デザインにいつも瞠目しているファンの一人だが、番組の長さとしつこさにはほとんど敵意に近い感情さえ覚える。

しかしそれは、毎年衛星中継でしっかり見ている紅白歌合戦も同じ。紅白歌合戦は昔の2時間番組に戻したほうが僕は今の10倍くらい好きになると思う。またサンレモ音楽祭の場合は、全体が4時間程度の「1日限り」のイベントにしてくれれば、今の100倍くらいは好きになれそうな気がするのだが・・


稀勢の里の横綱昇進にケチをつけるケチ臭さ


400pic北斎漫画相撲縦組み合う


稀勢の里の横綱昇進は甘い、という説がそこかしこにある。大手新聞の論説やトップ漫才師なども言及している。が、彼らは本当に大相撲を見ているのか、と僕は違和感を抱く場合も多い。

僕はイタリアにいて衛星放送で毎場所欠かさず大相撲を観戦している。ロンドンに拠点を置くJSTVが、NHKの大相撲放送を1日3回電波に乗せるのだ。

イタリア時間では朝の9時前後からほぼ生中継で幕内の全取り組みをオンエアする。午後は日本での生放送の時間帯を意識した頃合いに、全取り組みを2時間ほど使って録画再放送する。

さらに、午後11時頃から幕内の全取り組みを再三放映する。その時は番組を大幅に編集して、仕切り部分をほぼ全てカットして一番一番の勝負だけを短く見せる。

僕はほとんどの場合、朝のほぼ生中継を録画しておいて仕事の合間に全取り組みを見る。その時は仕切り部分の絵を飛ばして見ることが多い。時間節約のためだ。

時間に余裕があれば、仕切りの様子も含めて全て見る。本当は常にそうしたいのだが、なにかと多忙で思うようにはいかない。

朝も午後も観戦のチャンスがない場合は、夜11時からの勝負のみのダイジェスト版を見逃さないようにしている。

何が言いたいのかというと、僕は遠いイタリアにいながらもきっちりと大相撲の本場所の状況を把握している。相撲が大好きなのだ。

だから、相撲に言及する人々が実際に取り組みを見て口を挟んでいるか否か、すぐに分かる。あるいは彼らが大相撲ファンかそうでないかが、感覚的に結構分かる。

その伝でいえば、前述の大手新聞の論説執筆者やトップ漫才師は大相撲を逐一見てもいないし大相撲ファンでもない、と感じる。

稀勢の里の横綱昇進は順当だ。彼は横綱昇進の条件である、2場所連続優勝かそれに準ずる成績、という基準を満たしている。

優勝に準ずる、という規定の解釈が人によって微妙に違うが、昇進直前2場所のうち、九州場所は12勝3敗の準優勝、続いて初場所は14勝1敗での優勝だから、僕は妥当だと思う。

甘いという説も理解できないことはない。というのも1990年に旭富士が2場所連続優勝で横綱に昇進して以降、曙、貴乃花、若乃花、武蔵丸、朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜の全力士が連続優勝後に横綱になっている(鶴竜のみ一場所は優勝決定戦で敗れて、優勝力士と同成績)。

しかし、旭富士以前は、今回の稀勢の里のように準優勝に続く優勝、またはその逆の形の成績で横綱に昇進したケースが多い。あの大横綱の千代の富士も準優勝場所の後に優勝して横綱になった。

2場所連続優勝なし、準優勝と優勝同点(決定戦で敗れて)で昇進した三重の海や2場所連続優勝同点で昇進の2代目若乃花というケースなどもあった。優勝なしだから彼らの横綱昇進は稀勢の里より甘いとも言える。

旭富士以降の昇進基準が厳しくなったのは、一度も優勝したことがない双羽黒が横綱に昇進(準優勝と優勝同点)した後、問題を起こして廃業したことへの反省があったからである。

旭富士以前の横綱昇進の条件は「直前の3場所の成績が36勝以上」というものだった。双羽黒の問題以降、横綱昇進の条件は「大関で2場所連続優勝、もしくはそれに準ずる成績」と厳しくなった。

稀勢の里は「直前3場所36勝」制で見た場合は最低ラインの36勝に留まるが、2016年の3、5、7月場所の合計は38勝で十分に規定をクリアし、そこで既に横綱になっていてもおかしくない強さだ。

しかし、懐疑論者たちは満足しない。彼らは稀勢の里の九州場所での準優勝が、優勝より星二つ少ないことを問題にしたがる。準優勝は優勝より勝ち星が一つだけ少ない成績であるべきだ、という訳である。

確かに稀勢の里は、優勝場所の直前の九州場所で鶴竜に次ぐ準優勝ではあったものの、鶴竜の14勝1敗での優勝に対して12勝3敗と星二つ足りなかった。

だが彼は昇進以前に12回にも渡って準優勝という成績を残している。そのうちの3回は横綱昇進直前の2016年の成績だ。加えて2016年は史上初の優勝なしでの年間最多勝も獲得した。

彼に先んじて優勝した同僚大関の琴奨菊と豪栄道が、優勝場所以外ではほとんど常にクンロク大関と呼んでも構わないほどの、不甲斐ない成績に終始している事実とは大違いだ。

稀勢の里の準優勝12回のうち11回は大関での成績である。このうち2013年7月場所、2014年1月と7月場所、2016年5月、7月、9月場所と計6回の綱取り挑戦を経験した。

6回もの綱取り場所がありながら失敗し続けたのは、ここ一番に弱いノミの心臓の持ち主だから、という批判もある。それもまた正鵠を射た意見だ。正直に言えば僕もそこが一番気になる。

しかし、その準優勝12回という数字の意味するところは、稀勢の里が長期に渡って安定した成績を残している、ということでもある。それが彼の強みではないかと思う。強みになってほしい。

長い苦しい体験が彼の横綱人生に強さを付け加えるのか。あるいはやはりプレッシャーに弱いか細い横綱で終わるのかは、いやでも来場所以降に明確になるだろう。

僕は稀勢の里が優勝回数5回前後のまあまあ強い横綱になりそうな気がする。優勝回数5回は柏鵬時代を築いた柏戸などに匹敵し、彼の師匠だった隆の里ほかの横綱を上回る成績である。

グワンバレ稀勢の里!


トランプ入国禁止令に[賛成多数]の衝撃

stara and stripes のスカーフを被ったイスラム女性400pic


トランプ米大統領が、中東・アフリカ7カ国からの人の入国を一時禁止したことなどをめぐり、全米各地で抗議活動が起きている。報道を見る限りでは米国民の大多数が大統領令に反対しているような印象を持つ。

ところが、ロイター通信が行った世論調査によると、入国禁止の大統領令に反対しているのは米国民の41%、一方賛成しているのは49%という数字が出た。この結果に僕は、少し大げさに言えば、衝撃を受けた。

ほぼ同時期に行われたギャラップ社の世論調査の結果では、賛成と反対の数字が42%と55%と逆転している。が、いずれにしても米国民の少なくとも半数が、トランプ大統領の政策を支持していることは間違いない。

選挙戦でもトランプ大統領と民主党のクリントン候補の支持率は拮抗していた。従って7カ国からの入国禁止令をめぐっても賛否がほぼ半々になるのが当たり前、という見方もできるかもしれない。

だが、米国を筆頭に世界中のメディアが連日報道しているのは、大統領令に反発して抗議活動をする人々の動きばかりである。あたかも「大統領令への反対一色」という雰囲気だ。だが現実は違っている。

インターネット、特にSNSの普及によって大手メディアの報道の中身が問われ始め、やがてそれはエスカレートして、ネット住民による「マスゴミ」呼ばわりは過激すぎるにしても、既成メディアへの不信感や懐疑論は膨らみ続ける一方だ。

今ではSNSのツイッターを駆使して世界最強の権力の座に就いたトランプ大統領が、大手メディアのテレビ画面でその大手メディアの記者に向かい、「君たちはフィエクだ。嘘を垂れ流すクズだ」と言い放つ時代になった。

大手メディアをフェイクと断罪するトランプ大統領とその陣営が、実はフェイク・ニュースを垂れ流している虚構であり、危険な嘘で塗り固められた存在、という可能性の方がもちろん依然として非常に高い。

去った選挙戦へのロシアの介入の有無や、オバマ前大統領と現職の就任式の人出の多寡をめぐる言い争い、現政権の報道官の不可解な言動など、など、疑問符満載の状況は時と共に真偽が暴かれ改善されていくだろう。

だが現在進行形で報道されている「事実」と、冒頭で述べた世論調査が示唆する「実証」との間に乖離があるのも明白な「現実」だ。僕は自身もメディアの中で生きてきた人間として、衝撃と共に目からウロコ、という思いにも強く捉われている。

叫ぶtrump醜悪顔400pic


それはトランプ大統領に賛成するという意味では毛頭ない。いや、むしろ逆だ。それらの「多様な現実」の存在を容認しつつ、僕はここ欧州に跋扈しつつある排外・差別主義者、日本に多い歴史修正論者や「反ポリコレ(ポリティカルコレクトネス)主義者」つまりネトウヨ・ヘイト扇動者、また不寛容志向者や引きこもりの暴力愛好家などに反対する。

「反ポリコレ主義者」に反対するとは、ポリコレ棒を振りかざして言うのではない。ポリコレ棒で他者を殴る者は、差別や偏見をしないという善を盾に言葉狩りの
「独善」に陥って、あらゆるものを糾弾し、多様性を認めるはずが、逆に多様性否定論者と同じになってしまうことが多い。

つまり行き過ぎたポリコレ信者は、自らの差別思想や偏見や不寛容や憎しみを秘匿して、差別用語やヘイト感情をむき出しに他人を攻撃する、「反ポリコレ主義者」と何も変わらない存在になってしまうのだ。

人種、宗教、女性差別などに始まる多くの差別感情と憎しみをあおり続けるトランプ大統領は、どこまでいっても危険なポピュリストだ。人類が多くの犠牲を払って獲得したポリコレの哲学や知恵やコンセプトは、全て無駄でつまらないことだと断定して、世界を後退させようとするネガティブな存在だ。

しかし、大多数の人々がそれを望んでいるとすれば、民主主義を標榜する限りアメリカは、トランプ大統領の目指す方向に引きずられていく可能性が極めて高い。そうなればアメリカは、自由や平等や機会の均等などを高らかに謳う、これまでのアメリカではなくなる。

いやトランプ氏を大統領に選んだ時点で、アメリカはもはや『米国民が理想とするアメリカ』の実現を目指して進む国家、ではなくなったとも言える。それは僕自身もそこに住んで実体験した偉大なアメリカ、つまり人種差別や不平等に苦しみながらも、敢然としてその撤廃に向けて歩み続ける人々の住む国ではなくなった、という意味だ。

僕は選挙戦の初めからトランプ候補の批判者であり続け、今はさらにそうだが、大統領になった彼の極論を歓迎する民衆の姿を見て、自分の立場を少し軌道修正しつつある。つまりアメリカはトランプ主義を即座には撃退できない。撃退どころかますますそれに飲み込まれていく可能性が高い、という悲観論者の立場への傾斜だ。

同時にその悲観論は、トランプ革命によって古い秩序が破壊される結果、これまでは見られなかったポジティブな方向に米国が変わり、それが世界をリードするかもしれない、というかすかな期待とも連動している。言うまでもなくそれは、過去の歴史に鑑みれば、トランプ主義は世界に否定的な打撃をもたらす運命にある、という危惧に比べてとても小さいけれど。

ミラノ北斎展の三つ子の魂 

レアーレ宮北斎ほか看板中ヒキ400pic


昨年9月22日から今年1月29日まで、 イタリア・ミラノで大きな北斎展が開かれている。先日それを見に行った

北斎展は人気の催し物で、200余点の展示品がすばらしく人出も多かった。そこでは展示物の面白さにも負けないくらいの興味深い場面にも出くわした。

おそらく幼稚園児と思われる20名ほどの小さな子供たちが、集団の前後に付き添っている2人の教師に導かれながら、つぶさに作品を鑑賞していたのだ。

グループを先導する女性教師は、どうやら「おじいさんと孫」のストーリーに託して展示物の一つ一つを説明しているらしい。切れ切れに彼女の声が聞こえた。

子供たちは真剣な面持ちで先生の声を聞きながら展示物を「見上げて」いる。文字通りきらきらと輝く瞳を見開いて、北斎の傑作を見つめている彼らの姿はかわいらしく、且つ印象的だった。

同時に彼らはそのつぶらな瞳で一体何を見ているのだろうか、と僕はいぶかった。

会場外北斎看板ヨリ400pic幼い子供にとっての芸術作品は、おそらく学問や教養や学習などとして理解されるものではなく、幼児体験のいわば「不思議」の一つとなって心に残っていくものなのだろう。

子供たちは目の前の北斎作品を理解するのではない。きっと理解できないし理解する必要もない。「良く分からないが、何か美しいもの」として記憶蓄積の中に組みこまれればいいのだ。

大人でも芸術作品を分かる必要はない。知った風な解説や理解は学者や通人にまかせておけばいい。美しいものは「好きか嫌いか」で判断すればいいのだ。

ましてや幼な子は作品の意味や哲学や意図等々に思いを寄せる必要はない。美しいものに接して喜ぶ周囲の人々の呼吸と共に、展示物の「輝き」を心に刷り込めばいいのだ。

三つ子の魂百まで、とは幼児の性格のことをいう諺だが、優れた芸術品に接触した幼な子の体験は、「魂に深く染み込む思い出」となりやすいのではないか、と彼らのいちずな瞳を見て思った。

記憶は心中に沈殿、蓄積し、やがて発酵して、将来どこかで独創力となり花開くのではないか。あるいは少なくとも花開く一助になるのではないか。

イラスト幼児+先生200pic小学校にも上がらないほどの幼い時分に美術展を巡り、鑑賞する子供たちの中からは、次の作家が多く生まれる可能性が高まるに違いない。

芸術の国イタリアには、美術館や博物館が「無数に」という言葉を使いたくなるほど多くある。僕はドキュメンタリー番組の仕事でそこをよく訪ね、いろいろな場所で課外学習や鑑賞ツアーの学生集団に出会った。

その度に優れた芸術作品に容易に接近できる彼らの幸運をうらやましく思った。彼らの中からは、繰り返しになるが、次代の芸術家が生まれ易くなる。芸術品の宝庫であるイタリアは、未来の芸術家の宝庫でもあるのだ。

そうはいうものの、しかし、北斎展で出会った子供たちの幼さは格別だった。僕はそこに独創的と賞賛されるこの国の底力の一つを見みたような気がして、素直に「すごいなぁ」つぶやいた。同時に、ため息も出た。

次代を担う日本の子供たちを思ったのだ。彼らには北斎展で出会ったイタリアの子供たちのような幸運はあるのだろうか、と自問した。きっとあるのだろう。しかし、なぜか受験勉強に忙殺される子供の姿ばかりが頭に浮かんで、僕は再びため息をついたのだった。


ヤ~ッホーッ! きっせのさとおおおおおおお~!!!!


可愛い丸顔


稀勢の里がついに優勝した。本物の優勝だ。つまりマグレではなく、実力での優勝ということだ。

稀勢の里はここ数年横綱を目指しても全くおかしくない成績を上げ続けてきた。昨年は年間最多勝のタイトルまで掴んだ。

ところが初優勝は彼の朋輩大関、琴奨菊と豪栄道に先を越され、彼自身はもう一歩のところで優勝を逃し、従って横綱昇進もままならずに来た。精神力の弱さも指摘されつづけた。

めぐり合わせの不運を怖れる人々も出始めていた、僕もその1人だ。今場所も前半、3横綱と若手の台頭の影に隠れて話題にならないまま勝ち星を積み重ねる彼を、僕は「見て見ぬ振り」で見続けていた。

ブログ記事にも書かなかった。ゲンを担いだのだ。僕が期待したり、表立って期待を口にしたりすると、彼はコケることが多かったからだ。

初場所14日目、つまり昨日、稀勢の里が逸ノ城を破って白鵬の取り組みを待つ場面では、僕は「どうせ白鵬が勝って明日千秋楽の本割で稀勢の里を転がし、優勝決定戦に持ち込んでノミの心臓の稀勢の里は自滅・・」というシナリオを勝手に胸中で描いて諦めていた。

だがそれは本当の諦めではなく、悪く考えることで逆の結果を待ち望む、僕のもう一つのひそかなゲン担ぎだったのだ。

強い力士が好きな、大相撲ファンの僕のその時の本心は、「白鵬が勝って千秋楽で稀勢の里と優勝を賭けて激突。そこで稀勢の里が大横綱を気迫で破って
14勝1敗で初優勝」というシナリオだった。

なぜ14日目で白鵬が負けて稀勢の里の優勝決定、というシナリオを望まなかったのかというと、千秋楽で白鵬を倒すことで稀勢の里に箔をつけてほしかったからだ。

そうすることでノミの心臓と揶揄される気力の弱さを克服し、同時に真に強い力士として認められて初優勝。そして即横綱昇進も決める、という形のほうが今後の彼のためにいい、と考えたからだ。

ところが白鵬は、初顔合わせだった平幕の貴ノ岩に敗れて、千秋楽を待たずに稀勢の里の優勝が決まった。

仕方がない。こうなったら千秋楽で必ず白鵬を蹴散らして、優勝に花を添えて横綱へ昇進となってほしい、とその時はその時でまた思った。

同時に不安が僕の中に芽生えた。もしも千秋楽で白鵬に勝てなかった場合、相撲協会はそこにケチをつけて「もう一場所様子を見たい」とかなんとかの、相撲協会得意の思わせぶりを発揮して、彼の横綱昇進を見送るのではないか、と考えたのだ。

そこで僕は昨晩急いでブログ記事を書き始めた。その内容は次の通りだ。

白鵬に負けても稀勢の里は横綱に推挙されるべきだ。これは僕が日本人横綱を見たいからではなく、また稀勢の里が日本人だからという意味でも断じてない。彼が横綱にふさわしい力量を備えていると客観的に見て思うからだ。

そのことはここ数年の彼の成績を見れば分かることだ。彼はほぼ常に安定した成績を残し、休場もなく、ひんぱんに優勝争いにも加わっている。

幕内優勝次点の成績を過去に何度も収め、前述したように昨年は年間最多勝も獲得した。優勝回数ゼロの力士が年間最多勝のタイトルを獲得したのは大相撲史上初めての快挙だ。

稀勢の里が「めぐり合わせの悪さ故に横綱になれない」ということではマズい。そんなことになったら、幕内最高優勝を5回も果たしながら横綱になれなかった、あの魁皇の悲劇を繰り返すことになる。

横綱でも5回の優勝を成し遂げるのは至難の技だ。比較的最近の歴史を見ても、魁皇と同じ優勝回数5回の横綱は柏戸と琴櫻。また彼以下の優勝回数しかない横綱は、優勝回数4回が若乃花 (2代目)、隆の里、旭富士。3回が三重ノ海と鶴竜。以下大乃国と双羽黒だ。

稀勢の里は、5回もの優勝を果たしながら横綱になれなかった、魁皇に匹敵する強い大関だ。それは前述の幕内優勝次点の成績の多さ、昨年の年間最多勝、また大関としての勝率ダントツ一位(勝率.714 )などの実績を見ても明らかだ。

稀勢の里は十分に横綱に推挙されて然るべき力量を持っている。繰り返すが、彼が横綱に昇進してほしいというのは私的願望ではなく---いや私的願望ももちろんあるが---大相撲の現状に鑑みて極めて妥当なことだと考えるからである。

幸い、そのブログ記事をアップする前に、稀勢の里は千秋楽に白鵬を倒して優勝に花を添えた。同時に横綱昇進も確実なものにした。やっほう~。

いや~メデタイな~、ホントに!!!!!


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