「マフィアの梟雄」トト・リイナの死が意味するもの



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トト・リイナの秘密 by Kenjiandrea nakasone



リイナ死す、の報にゆれるイタリア

2017年17日未明、イタリア・マフィアの首魁トト・リイナが獄死した。87歳だった。

猛獣、ボスの中のボス、死刑執行人、大ボス、チビの殺し屋(リイナは小男だった)、などのあだ名で呼ばれて恐れられ憎まれたリイナの死は、イタリア中にあらためて衝撃波を送った。

彼の悪行の総括に始まり、巨大犯罪組織マフィアの行く末、リイナの後継者の有無、最後に彼が要求した受刑者の「尊厳死」への賛否両論、国家とマフィアの取引の有無如何、などなど、古くて新しい問題も含めた議論が活発に交わされているのだ。

台頭

リイナはライバルや目上の悪漢や仲間を容赦なく倒して、1970年代にシチリアマフィアの頂点に立った。その後も自らの力を磐石にするために、司法関係者や果てはタブーとされていた「女性や子供の殺害」さえもためらわずに決行した。

1981年に始まって3年間続いたマフィアの血の闘争、いわゆる「第2次マフィア戦争」では1000人余りの犠牲者が出たが、リイナはそのほぼ全ての殺害に関わったと目されている。また生涯では約150人の抹殺を彼自身が直接に指示したとも見られている。

リイナは女子供まで手にかけたり、殺害した遺体を硫酸で溶かして海に遺棄するなど、犯罪組織の攻撃手法のみならず、その意識もより非情残虐な方向へと改悪した、世紀の大凶漢だった。

憎まれ者

リイナの犯罪の被害者の一人は、彼の訃報を聞いてこう言った。「神が彼を許しますように。なぜなら私たちは彼を永遠に許さないから」。それはキリスト教の最大の教義の一つである「赦し」の心を解する善人が、リイナへの憎しみを消せない自らの苦しい胸のうちを語った、意義深い表現であるように思う。

またカトリック教会は、リイナの葬儀を取り行わないと正式に表明した。2015年、フランシスコ教皇がマフィアの構成員を全員破門にする、と決めたことを受けての動きである。これも極めて異例の処置。リイナの存在の奇怪を示して余りがある。

国家権力に挑む

リイナは国家権力にまで戦いを挑むことで、不気味な犯罪者としての地位を不動のものにしていった。彼は敵対する司法関係者を次々に血祭りに挙げたが、中でも人々を驚愕させたのが、反マフィアの旗手・ジョヴァンニ・ファルコーネ判事の殺害だった。

リイナに率いられたマフィアの男たちは1992年、パレルモの自動車道を高速で走行していたファルコーネ判事の車を、遠隔操作の爆破装置を使って破壊した。半トンもの爆薬が正確無比な操作によって炸裂し、判事の体は車ごと飛散した。

凶行を指揮したリィナはその夜、部下を集めてフランスから取り寄せたシャンパンで判事の死を祝った。リイナは当時、イタリア共和国そのものを相手にテロを繰り返して、「勝利を収めつつある」とさえ恐れられていた。

得意の絶頂にいた大ボスは、イタリア司法がマフィア捜査に手心を加えるなど、犯罪組織の要求を受け入れるならば、爆弾テロに始まる大量殺戮攻撃を停止してもいい、と国家に迫ったと言われている。

陰謀説

同時にファルコーネ判事の殺害には、国家権力そのものが関わったとの見方もある。つまり当時のイタリア共和国首相ジュリオ・アンドレオッティが、保身のためにシチリア人の判事の謀殺を指示した、という説である。

ファルコーネ判事殺害のちょうど1ヶ月前、1992年4月24日、3回7期に渡ってイタリア首相を務めたジュリオ・アンドレオッティの最後の内閣が倒れた。アンドレオッティ首相自身と側近が、マフィアとの癒着や汚職疑惑を糾弾されて、政権が立ち行かなくなったのである。

アンドレオッティ首相は権力の座から引きずり降ろされた後は、いかにイタリア政界を圧する実力者とはいえ、彼の政治的な影響力が低下して、司法や政界からの反撃が強まるであろうことが予想された。
 
そこで彼は将来の禍根を除こうとして、マフィアの大ボス、トト・リイナと謀って、マフィア捜査の強力なリーダーであり、反マフィア運動のシンボル的存在でもあった、ジョヴァンニ・ファルコーネ判事を爆殺したというのである。

リイナの驕り

ジュリオ・アンドレオッティ元首相は、マフィアとの癒着が強かったことで知られている。彼はボスのリイナと親しく抱擁する姿を目撃されたり、リイナが逃亡潜伏中も彼と接触し便宜を図ったことなどが明らかになっている

2017年現在も執拗にささやかれる元首相とマフィアの癒着疑惑は、僕などの目には調べるほどに真実味を帯びていくようにも写る。しかし、25年前のもう一つの事件は、その逆の真実を語るようにもまた見えてしまうのである。

ファルコーネ判事の暗殺から2ヵ月後の1992年7月19日、判事の同僚で親友のパオロ・ボルセリーノ判事が惨殺された。判事の動きを正確に察知していたマフィアが、道路脇の車中に仕掛けた爆弾を炸裂させて、彼を中空に吹き飛ばしたのである。
 
その事件もアンドレオッティとリイナの共謀によるもの、という見方はもちろんできる。が、僕の目にはファルコーネ判事殺害の成功に気をよくしたリイナが、いわば図に乗って強行した犯罪のように見えて仕方がない。彼は「やり過ぎた」と思うのである。

司法の反撃

その頃のリイナは2人の判事を爆殺して自慢 の極みにいた。が、実はそこが彼の転落の始まりだった。ファルコーネ、ボルセリーノ両判事の殺害は民衆の強い怒りを呼んだのだ。イタリア中に反マフィアの空気がみなぎった。その世論に押される形で司法は犯罪組織への反撃を開始した。

翌1993年1月、イタリア警察はほぼ四半世紀に渡って逃亡を繰り返していたリイナをついに捕縛した。するとリイナは獄中からマフィアを指揮してすぐに報復を開始した。 ローマ、ミラノ、フィレンツェの3都市に爆弾攻撃を仕掛けたのだ。

だがテロは長くは続かなかった。リイナの逮捕をきっかけにしたイタリア司法の激しい攻勢は止まず、官憲はマフィアの一斉検挙を行いつつ組織の幹部を次々に捕らえていった。当局はマフィアの壊滅を目指してひたすら突き進んだ 。

日本円で約180億円にのぼるリイナの個人資産が押収され、裁判所は彼に
26件の終身刑を科した。イタリアには死刑制度はなく、終身刑が最大刑罰である。つまりリイナは、もしもイタリアに死刑制度があったならば、飽くまでも象徴的な例えだが、26回も極刑を執行されなければならない猛悪凶徒だった。

不遜な引かれ者

リイナは逮捕から獄死までの24年間、不遜な態度を貫いた。謝罪はおろか反省や自白をほとんどしないまま司法への協力も拒み続けた。彼がたった一つ口を割ったのは、犯罪組織との関わりを認めたことだけだった。

死期が迫った今年2月、リイナは獄内に設置された盗聴器に気づかないまま、面会に来た妻との会話の中で「俺は絶対に司法に屈しない。謝罪も告白もしない。奴らが俺の刑期を30年から3000年に切り換えてもだ」という趣旨の発言をした。

リイナのその発言は、元反マフィア検事で現上院議長のピエトロ・グラッソ氏が昨年、もう一人の凶悪犯ベルナルド・プロヴェンツァーノの死に際して、「彼は多くの秘密を抱えたまま長い血糊の帯を引きずって墓場に行った」 という言葉を思い起こさせる。

グラッソ氏の言葉を借りれば、プロヴェンツァーノのさらに上にいたボスの中のボス・リイナは、彼だけが知る巨大な秘密のベールを身にまとったまま、プロヴェンツァーノが引きずって逝った長い血糊の帯をさらに圧する、いわば長大な血の川にまみれて死んでいった、とも言えるのではないか。

リイナの功績

極悪人のリイナは一つだけ良いことをした。すなわち彼は、司法への爆弾攻撃や大量殺戮などの派手な犯罪を犯すことで、それまで地下に潜んで見えにくかったマフィアとその悪行を、「良く見える存在」に変えた。

リイナは独特の手法によって組織内でのし上がっていったが、同時にそれはマフィアの衰退も呼び込む諸刃の剣でもあった。なぜならイタリア司法は、可視部分が増えて的が大きくなったマフィアを、執拗に追撃することができるようになったからだ。

25年前、反マフィアのシンボル・ファルコーネ判事を排除して、さらに力を誇示するかに見えたマフィアは、そこを頂点に実は確かに崩壊し始めた。2大ボスのリイナ、プロヴェンツァーノ以外の組織の大物も90年代以降次々に逮捕され、彼らの資産もあらかたが没収されてマフィアの弱体化が加速した。

それに伴って彼らによる大量虐殺はなくなり、殺人事件も減り、その他の凶悪犯罪も目に見えて減少している。司法の働きに加えて、故ファルコーネ判事に代表される反マフィア活動家たちの「マフィア殲滅」運動が、じわじわと効果をあげつつあるのだ。

イタリアがEU(欧州連合)に加盟している現実も、マフィアの衰勢に貢献していると考えられる。欧州の人々はイタリア人ほど「何事につけゆるい」思考法を持たない。例えばマフィアが得意のマネーロンダリングに手を染めたくても、緊密に連携し合っているEU内の銀行がこれを許さない、というような事態がそこかしこで起きているであろうことが、容易に想像できるのである。

ライバルか見せかけか

弱体化したマフィアは、イタリアの別の犯罪組織であるカモラやンドランゲッタに、「最強者」の地位を奪われているようにさえ見える。が、実態はまだ分からない。マフィアは地下に潜り、ライバルの2組織が「マフィアの黙認の元に」派手に動いているだけ、という可能性もある。

マフィアはより目立たないやり方で財界や政界に食い込みつつ、地下で組織を立て直し力を温存して再生を図っている、と考える司法関係者も多いのだ。犯罪集団の目論見が成功すれば、イタリアは元の木阿弥になって、マフィアのさらなる脅威にさらされる危険がある。

第二次マフィア戦争で排撃されたと言われるマフィアの一部が先鋭化し拡大して、La Stidda(ラ・スティッダ) という凶暴なグループを形成していることも、司法関係者の注意を引いている。マフィアの主流派と対立する彼らが暴走する可能性も高い、と考えられているのである。

後継者と未来図

リイナ亡き後のマフィア主流派を率いるのは、逃亡潜伏中のボス、マッテオ・メッシーナ・デナーロだというのが大方の見方である。しかし彼はリイナ逮捕時の1993年から地下に潜り続けている。そんな状況下では組織をまとめ経営するのは無理ではないか、という懐疑論もある。

だが昨年獄死したマフィアNO2のプロヴェンツァーノは、獄中のリイナに代わって逃亡先から犯罪組織を牛耳った。つまり1993年から2006年に逮捕されるまでの13年間、プロヴェンツァーノは地下からマフィアを動かしたのだ。メッシーナ・デナーロにその力量がないとは誰にも言えない。

マフィアはリイナの逮捕による組織の崩落開始から四半世紀が過ぎた今も、相変わらず隠然とした勢力を保っている。リイナの死によって時代の大きな節目がやっては来たが、その勢力が完全死滅することはあり得ない。順応力に優れているマフィアは、死滅するどころか、自らDNAを組み替えてあらたな組織に生まれ変わりつつある、と考えるほうがむしろ無難なのかもしれない。




イタリアなしのW杯はブラジルなしのW杯みたいにつまらない



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2006年W杯優勝時のイタリア この日にイタリアサッカーの没落が始まった


イタリア不出場はW杯の大損失

イタリアが2018年ロシアW杯への出場を逃した。60年振りのことだ。

「イタリアが出場しないW杯は、ブラジルが出ないW杯と同じくらいにがっかりだ」と言えば、イタリアファンの男のポジショントークだ、ナンセンスだ、と叩かれそうである。

攻撃的で面白いブラジルサッカーと、守備堅固だが退屈なイタリアサッカーとを同列に置くな、ふざけるな、と怒り出すサッカー通も多そうだ。

でも僕は本気で、「イタリアの欠場はブラジルの不参加と同程度のW杯の一大損失」だと思う。これを疑う人は、試しに「イタリアVSブラジル」の決勝戦を想像してみてほしい。

歴史的決戦は昔話に

その組み合わせは、ほぼ常にブラジルが有利と予想され、でも実戦では守り抜くイタリアが突然目覚ましいカウンターアタックを仕掛けて、全く予測不可能で、エクサイティングな試合展開になる可能性が高い。

それはまさに、華麗な攻撃が主体のブラジルと、カテナッチョ(かんぬき)とさえ呼ばれる堅固なイタリアの守備のせめぎあいが生み出す奥深い戦い。サッカーの醍醐味が詰まった組み合わせなのだ。

ブラジルは攻撃の集団だが守備も一流だ。一方守備堅牢のイタリアは、守り抜いてふいに反撃に転じる一流のアタック陣を持つ。そこにはバッジョがいてデルピエロがいてトッティがいる。

というのが、これまでのイタリアの強力なサッカーの魅力だった。堅い守備陣を上回るファンタジスタ(創造的攻撃者)が、ブラジルの華麗なアタックを凌ぐ襲撃で相手布陣を慌てさせるのである。

だがそんなイタリアはもはや過去の話だ。2017年現在のイタリアナショナルチームは、岩盤のように堅い守備陣を保持しながら、前述の、(現役を退いた)バッジョやデルピエロやトッティに代表されるファンタジスタを作り上げられずにいる。それがイタリアサッカーの凋落傾向の最大の原因だ。

没落開始と加速

今回イタリアがW杯出場権を逃したのは、イタリアサッカーの 傾廃 が底を突いた証である。それは起こるべくして起こったのだ。

イタリアサッカーの衰退は2006年のドイツW杯優勝時に始まった。そこにはイタリアが誇る超一流選手がごろごろいた。

すなわち、前述のデルピエロ、トッティのファンタジスタに加えて、技量抜群のもう一人のファンタジスタあるいはゲームメーカーのピルロがいて、トーニやネスタやカンナヴァーロなどもいた。

他の選手も皆「普通以上」の選手ばかりだった。イタリアサッカーはその後、
2010年、2014年のW杯で 衰勢 に「みがき」がかかり、今回ついにどん底に落ちたのである。

運命共同体のセリエA

イタリアサッカーあるいはイタリアナショナルチームの没落は、イタリアのプロサッカーリーグ「セリエA」の 挫折 と軌を一にしてきた。

「セリエA」は90年代から2000年初めにかけて欧州サッカーを席巻した。当時「セリエA」は世界のトップリーグの、さらにその上に位置するとさえ見られていた。

欧州のサッカーの頂点、つまり世界のサッカーの頂点にいたイタリア「セリエA」が、なぜ落魄 の一途をたどったかについては多くの分析考察がなされてきた。

凋落のいわれなき理由の数々

主に次のようなことなどが言われる。

イタリアが最後にW杯を制した2006年に同国を揺るがしたセリエAの大スキャンダル「八百長問題」。これによってファンのサッカー離れが進んだ。

八百長問題では、セリエAの雄ユベントスが優勝を取り消されてセリエBに降格。またミランなども勝ち点没収でチャンピオンズリーグの出場権をはく奪された。

それはクラブに大きな収入減をもたらし、各チームの財政難のきっかけになっていった。多くのスター選手がイタリアを見限って外国に移籍を始めたのもその頃である。

追い討ちをかけるようにスタジアムでの暴力沙汰が増えて、サポーターの足が遠のいた。そこには人種差別主義者らのヘイト言動が重なって事態が悪化した。

近年はイタリアに押し寄せる難民・移民への悪感情も人種差別意識を強め、セリエAに多く在籍する移民系の選手との間に溝ができた。それはサッカー界全体に暗い影を落として雰囲気がひたすら盛り下がっていった。

そうした原因のほかにも、イタリアサッカーの 頽廃 をもたらした現象が多々取りざたされてきた。

いわく、新スタジアムの建設などインフラ設備を後回しにし続けたためにプレー環境が悪化。

いわく、各クラブの資金不足が顕著になり、巨額マネーが動く国際競争の場で他国のライバに敗れ続けた。

またいわく、カテナッチョのしがらみ、つまり守備重視のプレースタイルからの脱却が遅れてライバル国に置き去りにされた、など、など。

排外主義は常にあやしい

その中でももっとも声高に言われるのが「外国人選手」の存在である。つまり、セリエAでプレーする外国人選手が多過ぎるために、イタリアサッカーがダメになったという主張だ。

外国人選手によってイタリア人選手が脇にやられ、試合に出場できないためにプレーの質が落ちた。特に若い選手がそのとばっちりを多く受けている、というのである。

だが、そんな主張はナンセンスだ。スペインにもイギリスにもフランスにも、欧州のどこのリーグにも外国人選手は多い。

そしてスペインもイギリスもフランスも、全て2018年ロシア・ワールドカップへの出場権を勝ち取った。サッカーの主要国の中ではイタリアだけが出場権を逃したのだ。

それは断じてイタリアリーグでプレーする外国人選手のせいではない。イタリアサッカー自体が弱いから出場できなくなったに過ぎない。

イタリアサッカー不振の真の理由

ならばイタリアサッカーが弱くなった真の原因は何か。それはひたすらに、一にも二にも、違いを演出できるファンタジスタが存在しないことである。

言葉を替えれば、新しいバッジョやデルピエロやトッティやピルロが育っていないことである。人材の多いイタリアサッカー界だ。それらしきプレーヤーは実はいたのだ。

それがカッサーノでありバロッテッリである。ところが才能豊かな2人は大成しないまま沈んだ。以後、イタリア人プレーヤーでカリスマ的な力を持つ選手は出ていない。

イタリアサッカーの零落の原因は前述したように数多くある。だが実はそれらの原因は、一人の優れたプレーヤーがいれば跡形もなく消える主張なのだ。

例えばポルトガルのロナウドやアルゼンチンのメッシ、あるいはブラジルのネイマールやウルグアイのスアレスがイタリアに存在するならば、イタリアサッカーはすぐにでも2006年時の強さを取り戻すと思う。

イタリアの底力は変わらずそこにある

サッカーは一人ではできない。11人のプレーヤーが必要だ。従って一人の選手によってイタリアサッカーが豹変すると考えるのはナンセンスだ、という声が聞こえてきそうだ。

ならば言おう。イタリアにはポルトガルやアルゼンチンやブラジルやウルグアイ、さらにはドイツにさえも匹敵する「10人の選手」は健在なのだ。

ディフェンスに限って言えば、イタリアはむしろそれらの強豪チームをさえ上回る布陣を持つ。また中盤も攻撃陣も世界のトップチームと互角の力量がある。

足りないのは、繰り返しになるが、優れた一人のファンタジスタだ。それさえ手に入れれば、巨大な裾野とサッカー人口の中から選ばれた優秀な「10人の選手」は、彼を活かして又彼に活かされて躍動するに違いないのだ。

早く出てきてくれ、新バッジョよ新デルピエロよ!!!








マフィアの正真正銘のボス・リイナ死す



警官に囲まれて600pic
早朝から繰り返しリイナの獄死を告げる伊メディア


ボスの中のボス、と呼ばれたマフィアの頭領トト・リイナが獄死した。87歳。

1000人以上の殺人事件に関連し、そのうち少なくとも150人の殺害を直接命令したとされる。

1993年に逮捕されたリイナは、26件もの終身刑を科されながら決して罪を認めず、獄中から巨大犯罪組織を指揮し続けていたと見られている。

トト・リイナの前にも、また彼が逮捕された後にも、マフィアの凶悪犯は数多くいた。だがリイナほどの冷酷さと残虐さで大規模殺人を計画、実行した者はいない。

彼はマフィア間のライバルや敵対する官憲の抹殺、という「伝統的」なマフィア・ビジネスを「女子供」にまで広げて容赦なく殺害する、という手法でのしあがった。

野獣と呼ばれたリイナは、イタリア共和国そのものにまで戦いを挑んだ。それを象徴的に示すのがシチリア島で起きたカパーチの悲劇

1992年5月23日、マフィアは自動車道を高速で走る「反マフィアの旗手」ジョヴァンニ・ファルコーネ判事の車を、遠隔操作の起爆装置を用いて正確に爆破、殺害した。

イタリア国家とマフィアが、食うか食われるかの激しい戦いを繰り返していた時期に起きたその事件は、マフィアがついに国家権力に勝ったのでもあるかのような衝撃をもたらした。

しかし、強い反マフィアの世論に後押しされたイタリア司法が反撃。翌年1993年には、24年間に渡って逃亡潜伏を繰り返していたリイナを逮捕した。

しかし、リイナは折れなかった。獄中でも傲岸な態度を貫き、反省や自白を一切しないままマフィアのトップに君臨し続けた。

彼の死は、昨年やはり獄死したベルナルド・プロベンツァーノに続いて、マフィアの一時代の終焉を告げるものだが、決して「マフィアの終わり」を物語ってはいない。

                                 
                                     この項つづく





安倍さんの政治の全てが悪いのではない。やり方に疑問があるのだ



イル・カゼッティーノPC画面絵を撮影


トランプ大統領のアジア歴訪が終わった。主に英語と日本語、時々イタリア語のメディアを追いかけながら、トランプさんの行き当たりばったりに見える外交が、計算づくなのかどうか考え続けたが、よく分からなかった。

トランプ懐疑派の自分としては、「行き当たりばったり」と決めつけたいところだが、北朝鮮との対話を諦めていないらしい点や商売上手な外交を見ていると、結構したたかなのかと思ったりもする。

トランプ大統領に先がけて娘のイヴァンカさんが日本を訪ねたニュースは、ここイタリアでも少しく報道された。僕が知る限りの欧州メディアも同じだった。

同時に僕はNHKほかの日本のテレビや、新聞やインターネット情報も眺めていた。日本でのメディアと国民のミーハーなフィーバー振りに、驚くよりも「またか・・」とうんざりした気分になったりもした。

安倍首相が、女性政策を議論する国際会議にイヴァンカさんと共に出ている絵も日本の報道で見知った。安倍さんの軽さと無教養と臆面の無さに今さらながらため息をついた。

イヴァンカさんは米大統領補佐官である。だから安倍さんが彼女を歓待するのは当たり前だ。女性の活躍と地位向上を目指す国際シンポジウムの場に、イヴァンカさんが顔を出すのも理にかなっている。

だがその会場の、イヴァンカさんが演説をする壇上の脇に座って、彼女を仰ぎ見ている首相は、トランプ大統領に阿諛する延長で、その娘に媚びているのが露骨に見えるようであまりいただけない、と思ってしまった。

トランプ大統領は異様な指導者である。彼が排外主義の強硬派であるからではない。彼が人類の叡智と呼んでも過言ではない「ポリティカルコレクトネス」を否定しているからである。

否定するのみではなく、それに鉄槌を振るう形で弱者やマイノリティーや特定の宗教等々を貶める言動を、公然と且つ声高に表明し続けているからである。

あまつさえ彼は、彼の言動は正直なものであり、正直な分ポリティカルコレクトネスの甘言に秘匿されている偽善を叩き潰している、という趣旨の物言いをさえする。

自らの中の差別思想や排外・ヘイト丸出しの心情をさておいて、「正直な物言いこそ真実」と叫び、他者への憎悪を披瀝して止まない者こそ偽善者である。

トランプさんを筆頭にするそれらの世界の排外・差別・へイト主義者らは、一歩間違えば世界をナチズムとファシズムと軍国主義が席巻した、過去の地獄に回帰させる危険さえ秘めている。

ポリティカルコレクトネスは、憎しみや偏見を即座に無くする魔法の杖では断じてない。それは憎しみや偏見や、そこから来る不寛容の精神を矯正する「きっかけ」になり得る、人類の知恵に過ぎないのだ。

従って、ポリティカルコレクトネスを神がかり的に押し売りする「ポリコレ棒」保持者もまた間違っている。何事も極端になれば他者を排撃する「~狂」の様相を帯び始める。それはトランプ主義者にも通底するコンセプトだ。

トランプ大統領の娘であり、大統領補佐官であり、実は「トランプ主義に懐疑的」であるらしいイヴァンカさんは、トランプ米政権の希望である可能性を秘めている。

従って彼女にアプローチをして、トランプ政権に揺さぶりをかけるのは益のあることだ。トランプ主義を憎み、トランプ大統領個人とも疎遠な独メルケル首相でさえ、今年4月の女性20サミットではイヴァンカさんを招待して議論を戦わせている。

安倍首相はトランプさんが大統領選に勝利したとき、世界の首脳に先駆けてトランプタワーに乗り込んで、彼を祝福し友好親善を推し進めた。

それは日本のトップとしては理解できる行為だ。なぜなら安倍さんはトランプさんが「何者であれ」米国大統領に当選したのだから、「日本の国益のために」彼に挨拶をしておこうとして動いたからだ。

世界の大半がトランプ勝利に眉をひそめている最中に、「何らの批判精神もなく」彼に取り入った安倍さんの行為は世界を驚かせた。そこには安倍さんならではの無恥と無知が如実に現れていた。

厚顔と無教養を、「政治的育ちの良さ」で無意識にオブラートに包んで、見えなくしてしまうのが安倍晋三さんの怖いところである。危険な彼の言動が危険ではないように映るのがその典型だ。

しかし、安倍さんは特定秘密保護法や安保法制に続いて、森友・加計問題でも横暴な国会運営をした。それは彼特有の無恥と無教養に基づく思い上がりの所産だったと言えなくもない。

そこに至って、彼を支持まではしないが批判もまたしない多くの「羊的国民」の声なき声も、さすがに安倍政権の尊大にいら立ちを感じ始めた。まさにその時、首相は突然衆院を解散した。

直後に小池百合子都知事の「希望の党竜巻」が発生して、明らかに政局を読み違えた安倍さんも今回ばかりはついに失脚かと見えた。途端に小池都知事が自爆「排除」発言。

安倍さんへの逆風がふいに順風に変わった「悪運の強さ」が、安倍さんの持って生まれた「運の強さ」である。あるいは「悪運の強さ」と並存する政治力の巧みさ、が彼の強運である。

彼がほんの少しの羞恥心と理想主義、また世界を動かす指導者に共通する教養を身につければ、あるいは日本の将来を希望に満ちた方向に進めることができるのかもしれない。

しかしイヴァンカさんを追いかけて訪日したトランプさんを、娘同様に持ち上げ追従するだけだった彼の動きには、残念ながらその兆候は見えなかったように思う。

日米の首脳は、北朝鮮問題を強い圧力で解決する、と十年一日のごとき陳腐な文言で語り確認しあった。が、例によって圧力が戦争を誘発する危険には触れない無責任さだった。

その一方で安倍首相は、いつものように目先の利益追求に走るトランプさんが、アメリカの武器を買って貿易不均衡を解消しろ、と迫る商売外交にも唯々諾々と従った。

安倍さんのそうした「批判精神なき言動」は正視するにしのびないものであり、首相の意図するところは決して悪ばかりではないのに、僕はやはりどうしても彼の政権と政策には賛成できずにいるのである。




カタルーニャ独立問題は世界の日常茶飯事



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カタルーニャ問題でドメスティックに驚くな

カタルーニャ独立問題を綴る英語伊語日本語のメディアをつらつら眺めていると、「多様性」というコンセプトが国内にほとんど存在しない日本の報道の異常ぶりが目立って感慨深い。

なぜ独立なのか、カタルーニャの人々の気持ちが理解できない、スペインの分裂なんてあり得ない等々、スペイン中央政権と日本人の多数派の思いをにじませた内容が多く、且つ混乱しているものも少なくないのだ。

日本人には分かりづらいかもしれないが、カタルーニャのような分離独立の動きは世界の常識であり日常茶飯の出来事である。

島国に閉塞して、国民国家というごく最近の仕組みがあたかも万年も続いているかのように錯覚している日本人のほうが、世界では異常であり非常識なのである。

無数の「地方自立国」と統一国民国家

今回独立を宣言したスペインのカタルーニャ州は、元々「スペインの」カタルーニャではなく、カタルーニャというネーションである。あるいはカタルーニャという「地方自立国」である。

その国が近代になって「統一国民国家」であるスペインに組み込まれた。組み込まれたのはカタルーニャだけではない。スペインの17の州及び50の県が正式に統一国家の一員になった。

それは分かりやすく言えば、幕藩体制の日本が明治維新によって「統一国民国家」となったいきさつと同じである。大きな違いは、スペインが内部に多様性を維持・温存したのに比べ、日本の全体がまたたく間に画一化していったことだ。

幕藩体制下では各藩を自国と信じていた人々が、西洋列強に追いつきたい明治政府の思惑に旨く誘導されて、天皇の臣民として「統一日本人オンリー」へと意識改革をさせられていった。

そうやって各々が個性的だった「地方自立国(藩あるいは領分、また家中)」は跡形もなくなり、日本国だけが実務的にも意識的にも存在する現在の世界の不思議、「普通ではない国・日本国と日本人」が誕生した。

文化・風習・言語などに多様性があった各藩や地方の「独自性」が忘れられて、統一「日本人」意識のみが一人歩きをしている国民国家。それが現在の日本国の、そして日本人の正体である。

沖縄でさえ独立を志向しない日本の不思議

明治政府によって琉球王国から沖縄県になった独自性の強い沖縄地方においてさえ、「日本人」意識が浸透し、一部のごくわずかな人々を除いて分離独立を思い描く者は存在しない。

かつての琉球王国の版図の一部である沖縄は、沖縄人自身の独自性への偏向志向よりも日本本土との同一化意識が強い、という世界の非常識の遍在、つまり人々の中の、まさに「日本人的意識の強さ」故にまぎれもなく日本なのである。

スペインの事情は違った。そこには多くの沖縄があり、しかも沖縄とは違って独自性を強調することに生きがいを見出す事実上の、あるいはメンタル上の
「自立国」が、「数え切れない」という形容を使いたくなるほど多く存在する。

それはヨーロッパのあらゆる地域に共通するコンセプトだが、ここでは先ずカタルーニャ州問題で揺れるスペインを例にとって話を進める。

分離独立を目指すのが当たり前のスペインの各州

スペインでは「バスク祖国と自由(ETA)」が、バスク州のスペインからの分離独立を求めてつい最近まで激しい暴力闘争(※註1)を 続けてきた。彼らは1968年に武力闘争を開始して、2010年にそれを停止するまでの間に800人以上を殺害。今年の4月にようやく完全武装解除をしたが、分離独立を目指す活動は続けている。

スペインにはそのバスク地方を筆頭に、本土から離れたカナリア諸島州、アラゴン州やガリシア州、果てはアンダルシア州などにさえ分離独立を目指す勢力があり、それを代弁する政党や組織が存在する。

もっと具体的に言えばスペインでは、17の自治州のうちのカタルーニャ州を含む少なくとも11もの州や地域に、分離独立を目指す勢力、つまり政党や民衆が存在するのである。分離独立志向者のいない州の方が少数派なのだ。


分裂国家イタリアの事情

かつての都市国家の集合体であるここイタリアの場合は、スペインよりもさらに多くの州や地域が各々の独自性を強調し、自治権の拡大を要求して止むことがない。

それらの全てが今すぐに分離独立を目指したり主張しているわけではないが、きっかけになる事件さえあれば、たちまちイタリア共和国からの分離独立を策謀してもおかしくないメンタリティーが、厳然として存在するのである。

例えばドイツ語圏の南チロルは、今現在は平穏を保っているが、何かあればすぐに独立を画策する爆薬庫だし、シチリア島などにも事あるごとに独立をチラつかせる強い勢 力がある。イタリア南部を斬り捨てて、北部だけで独立しようと主張する「北部同盟」のような政党が存在するのも周知の事実である。  

イタリアが統一国家となったのは今からおよそ150年前のことに過ぎない。それまでは海にへだてられたサルデーニャ島とシチリア島は言 うまでもなく、半島の各地域が細かく分断されて、それぞれが共和国や公国や王国や自由都市などの独立国家として勝手に存在を主張してい た。

その中には欧州全体で見ても屈指の強国も多くあった。良く知られているのが、例えばルネッサンスを生み出したフィレンツェであり、東 方貿易 と海運業で栄えたヴェネツィアやジェノヴァなどである。そうやって独立国家が乱立していた頃のイタリアの人々の心性は、統一から少し時間がたった今も実はほとんど変わっていない。  

EUの他の大国も事情は同じ

フランスもスペインとの国境にある北カタルーニャ(スペインのカタルーニャ州と一体。同一民族)、島嶼部のコルシカ、ブルターニュ、バスク(スペインバスクと同一民族)に近い ガスコーニュ、アルザス・ロレーヌ、 オクシタニア 、ノルマンディー などに分断されている。

分断というネガティブなイメージを伴う言葉が当たらないなら、フランス共和国は独立・自立地帯の集合体でもある、とでも言えば少しは分かりやすいだろうか。

また連邦国家制を取っているため余り目立たないドイツにおいてさえ、バイエルン王国としての独立を願うバイエルン愛国党 (Bavaria Party) が存在し、近隣のアレマン地方にも分離独立を目指す人々が多数存在する。

また 旧東ドイツの分離を望む勢力も、東ドイツ人と西ドイツ人の両方に存在するのは周知の事実である。 一説では5人に1人のドイツ人が、東ドイツの分離を必要なことと考えている、とさえ言われる。

EUからの離脱を決めたイギリスも多くの分離独立問題を抱えている。独立の是非を住民投票にかけたスコットランドはもちろん、IRAのテロが長く続いた北アイルランドの民族問題、ウェールズのそれ等はよく知られている。

南イングランドには、古代文化に基づく「コーンウォール国」の建国を願う人々が住むコーンウォール州がある。果てはイギリスの中核を成すイングランドでさえ、イングランド独自の 「イングランド王国」を作りたいと望む人々が少なからず存在しているのである。

プチデモン州首相が庇護を求めたベルギーはどうなの?

プチデモン州首相が庇護を求めたベルギー自体も、フランドル地方の分離独立問題を抱えている。フランス語系住民から権力を奪いたい多数派のオランダ語系住民と、当のフランス語系住民の対立は無視できない問題である。

オランダ語系住民のうちの分離独立派を代弁するのは N-VA(新フラームス同盟)。 N-VAはベルギーの国会・代議院における第1党である。連立政権の中核であり、カタルーニャと同州のプチデモン首相を強く支持している。

そうは言うものの、N-VAの真の狙いは実は分離独立ではなく、ベルギー国内で完全に主導権を握ることである。その意味ではカタルーニャの狙いとは異なるが、彼らはそれぞれの国内で抑圧されてきた民族同士として、親近感以上の強い連帯意識を持っているように見える。

N-VAは、カタルーニャ住民投票を暴力で押さえ込もうとしたスペインのラホイ政権を、「独裁者フランコの申し子」と呼んで非難。これに対してスペイン側は、「N-VAは過去にナチスに協力した過去がある」と応酬して、お互いを「ファシスト」呼ばわりしている。

欧州の多様性の来し方

欧州では古来、ここまで述べた「自立地方国家群」が利害と欲と傲慢にからめとられて争い、いがみ合い、闘い、殺戮しあってきた。

それらの分散小国家群は、強者によって支配され抑圧され統一されていったり、それへの反動から革命を誘発しながら、やがて民主主義を発見していく。

民主主義を見出し育てていく流れの中で、人々はそれぞれが「違う」ことを認める「多様性の文化」こそ最善のものだと気づいた。それは人間にもまた国家にも当てはまるコンセプトになっていった。

欧州は特にそのことを重視して、自由と寛容と民主主義を死守し、少数派や少数民族の権利を含む人権の尊重を旗印にして歴史を歩み始め、そして現在に至った。欧州また欧米が世界の先進地域であり続ける所以だ。

欧米の原理原則を十全に実践している、あるいは実践しようと切望しているのがEU(欧州連合)だと規定できるだろう。そのEUは、理不尽なことに、まさに彼らの原理原則と同じ哲学を忠実に履行しているカタルーニャ州をないがしろにしているのだ。

EUのジレンマ~プチデモンかラホイか~

ここまでのEUの立ち位置は、カタルーニャ州の住民投票を暴力で阻止しようとしたスペイン・ラホイ政権に寄り添ったものである。マリアーノ・ラホイ首相は、
1939年から75年までスペインに恐怖政治を敷いた、フランコ独裁政権の流れを汲む国民党党首。強権的な政権運営をするのは偶然ではない。

EUが神聖視する多様性のうちの、少数派であり且つ弱者を代弁する勢力の一つが、カタルーニャ州である。だがEUはこれまでのところ、ラホイ政権への抗議を込めてEU本部のあるブリュッセルに滞在し続けている、プチデモン・カタルーニャ州首相を冷たい目で眺めている。

EU首脳は、EU構成国間の大きな「結束」を重視する余り、彼らが否定しているはずの「抑圧と暴力と強権的手法」を用いて、カタルーニャ問題に対しているラホイ政権を支持する、というジレンマに陥っている。

リベラルな思考法が主流のEUにとっては、過去の亡霊であるフランコ独裁政権の影を背負うようにも見えるラホイ首相は、違和感を覚える存在に違いない。だが同時にラホイ首相が、EUの重要なメンバー国であるスペインの「安定と統一」を維持しようと画策している事実は、EU全体の結束・団結もまた重視する彼らにとってはありがたい存在でもあるのだ。

EUは、プチデモン州首相の正義とラホイ政権の正統あるいは「理」をいかにして両立させるか、という難しい舵取りを迫られている。EUはこれまでカタルーニャ騒動を、スペインの内政問題と無理に規定して、ほっかむりを決め込んできた。しかしもはやそれは許されない。

EUは必ず行動を起こさなければならない。理想的にはスペインの統一が保たれたまま、従ってEUの結束も維持しつつ、カタルーニャ州の「自立心」が十分に尊重されている、と『カタルーニャ人自身が実感できる』だけの広範な自治権を、ラホイ政権が保障するように強く促すべきである。


(※註1) スペイン中央政権側から見ればテロだが、バスク側から見れば自らの自由と解放を獲得するための手段なので敢えてテロという呼び方を控える。



クレタ島の食日記(番外編)~こってり刺身



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レストランMulinoのマグロのたたき(実はカツオのたたきマリネ風か?)


クレタ島からイタリアに帰還してちょうど20日後の10月13日、再びギリシャを訪ねた。ヨットでドデカネス諸島のうちのいくつかの島々を巡ったのだ。

夏のバカンスをヨット上で過ごす友人に、もう10年以上も誘われていた。断りきれずに今回ようやく実現した。季節はずれの10月の誘い、というのが決め手だった。

もっとも「季節はずれ」とは、7月と8月がピークのバカンス期はいうまでもなく、その前後の6月と9月の準ピーク時にも入らない「10月の静かな時間」と言う意味で、島々の日中の陽射しの強さはまだまだ夏そのものだった。

ヨットは14メートルのかなり大きな船でキャビンが4室あり、中央には6~8人が食事できるリビングがある。快適だが、狭い空間に慣れない自分には息苦しさも伴った。できる限り船外で過ごした。昼と夜の2回の食事も、なるべく船を離れて上陸して、レストランに行った。

島々の食材は、大陸的な風貌をしたクレタ島の肉類とは違って「島らしく」魚介が主体である。それは再び「島らしく」ほぼ全てが新鮮だった。

レシピは欧州のほとんどの地域の魚料理と同様に「焼く、煮る、揚げる」の3形態。単純だが食材が新鮮なだけにどれも美味だった。魚介は新鮮である限り何でも美味い、というのが僕の思いだ。刺身が美味なのも基本的にはそれが理由だ。


2017年10月21日のレロス島のビーチ
2017年10月21日のレロス島のビーチ。11月初めまでこんな風だという

島巡りの拠点だったレロス島には、多くのレストランが軒を連ねていた。ごく普通の観光客やバカンス客のほかに、ヨット愛好家の友人らを含めて僕が勝手に「Barca vela zingari(ヨット・ジプシー族)」と名づけた船上滞在者が多い。ドデカネス諸島最大のヨットハーバーが島にあるからだ。

沖縄県宮古島の半分弱の面積しかない小さな島には、そうした事情もあって夏の間は訪問客があふれる。それらの人々をターゲットにした歓楽施設も多い。その最たるものがレストラン。施設が多い分おいしい店も少なくない。


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レストラン「風車」と風車小屋

島にイタリア語の「風車(Mulino)」という名を冠した店がある。そこは島におけるいわゆる高級店で値段も高いという評判である。訪ねてみると、海際の風車小屋につづくシンプルな造りの店でとても雰囲気が良い。

もちろん魚介がメインのレストランである。シェフが日本食贔屓で刺身も出す。普通に提供しているのは、イタリア語のRicciola(カンパチまたはヒラマサ)とマグロの刺身。新鮮なものが手に入ればイカとエビの刺身も造るらしい。

まずマグロの刺身を頼んだ。普通の刺身と「特別仕立て」があるという。マグロはもはやイタリアでも普通に刺身が食べられるので、どうせなら「特別仕立て」に挑戦したいと思い、それを頼んだ。

出てきたのはどこから見てもカツオのたたき風の一品。イタリアではカツオを
「Tonnetto(小さなマグロ)」と呼ぶので、イタリア風の名を付けているこの店のマグロも、もしかするとカツオのことではないかと思った。だが食べてみるとカツオとは違うようだ。

どちらかといえば大味な感じがあった。正直、マグロの(日本風の)刺身やカツオのたたきのほうが味がデリケートだ。どっちつかずの不思議な味がした。調理されているせいか、カツオかマグロか正確には分からなかったが、素材は極めて新鮮であることはよく分かった。

次に出たのがRicciolaの刺身。オリーブ油やプチトマトの薄切り、唐辛子の千切りに上品なヴィネガ(酢)を和えたソースがかかっている。刺身というよりもマリネだと思った。見栄えが良くて味も悪くはなかった。

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Ricciola(カンパチ)の刺身

イタリアでも、日本食レストラン以外の店の刺身は、マリネ風で提供される場合がほとんどだ。醤油とわさびのみを添えて、素材そのものの味と風味を楽しむ日本風の「サシミ」はあまり受けない。「生の魚肉」をいかに味付けするかが、海外の刺身料理の主流といっても良いだろう。

僕はイタリアでは、ヨーグルトをベースにしたソースで和えた刺身も食べた。それは刺身ではないが、刺身を基にしたフゥージョン料理、というほうが正確なのだろうと思う。不思議な味だが、決して不味いとは言えない。だが僕はまた、これまでのところは、「美味い」と心から思ったことも正直ない。

Ricciolaのマリネはそれなりに美味いと感じた。しかし、舌に重く、味のこってり感がいつまでも残った。シェフの創意工夫と想像力と努力は大いに認めるが、自分が腹から「美味い」とうなり声を上げるような料理ではなかった。

続いてイカとエビの刺身も味わってみた。どちらもやはり味つけ(マリネ)の濃さが気になった。器は趣味や形や色が日本風でどれも趣があった。特に青磁風の皿が上品で良かった。

何でも日本風がベスト、というわけでは毛頭ないが、一応「刺身」と日本風の名前と味を売りにしている料理なので、やはり日本オリジナルのあれこれと比較したくなってしまうのである。

最後に-食事作法としては本末転倒だが-パスタを頼んでみた。店のシェフが刺身をギリシャあるいは「Mulino」風に作り変えたように、パスタもギリシャ風にアレンジするのかどうか見てみたかったのだ。

出てきたのは、イタリアの美味い店のものと寸分違わないひと皿だった。アサリの新鮮なうま味と、完璧なアルデンテ(歯ごたえのある)のパスタががからまっていた。

レロス島の隣のリプスィ島で、魚の卵ソース(ボッタルガではない)和えの秀逸なパスタに出会ったが、それに匹敵するほどのおいしさだった。

どうやらその店では、同じ欧州文化圏の名品「パスタ」は完全に自家薬籠中の物としたようだが、遠い東洋の名品「刺身」の場合は、未だ「試行錯誤の途中」ということらしかった。





カタルーニャ独立は「スペイン問題」から「EUの問題」へと進化した



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先日独立を宣言したスペイン・カタルーニャ州のプチデモン首相が、EU(欧州連合)の本拠地ブリュッセルに移動したのは、EU幹部を含む誰も予期できなかった事態であり、同時にEUにとっては大迷惑な話である。

それは言い換えれば、プチデモン州首相は突然ブリュッセルに乗り込むことによって、「カタルーニャ独立をスペインではなくEU全体の問題にすることに成功した」ということである。

EUの結束は、2009年に始まった欧州ソブリン危機、2015年にピークを迎えた難民問題、2016年のBrexit(英国のEU]離脱)決定などで、大幅に乱れてきた。

またそれらの問題と並行する形で、EU参加国の間には極右政党や極左勢力が台頭して、欧州の核である民主主義や自由や寛容や平和主義の精神が貶められかねない状況が生まれた。

それは米国に誕生したトランプ反動政権と通底する政治の地殻変動である。自由と寛容と民主主義を死守しようとするEUの主流勢力は、欧州と米国の「トランプ主義」勢力に対抗する必要に迫られている。

EUは同時に、ロシアと中国の勢力拡大にも目を配らなければならない。変形共産主義の2大国は、EUおよび欧州にとっては、ほぼ永遠に協調と警戒を平行して遂行しなければならない厄介な相手である。

内外に難問を抱えて正念場に立たされているEUは、特にBrexitによって大きく後退した連帯意識を再構築して、団結して事態に対面していかなければならない。

そんな折に、EUの重要国の一つであるスペインが分断の危機にさらされた。EU首脳は、内心の動揺を隠して不干渉を決め込んだ。スペインがどうにかして
「ひとりで問題を解決してくれる」ことを祈ったのである。

スペイン一国の内政問題、と規定して事態を矮小化し、EUのさらなる混乱と分裂を避けようとしたEU指導部の姑息な思惑は、プチデモン・カタルーニャ州首相のブリュッセルへの闖入によって粉々に打ち砕かれた。

EUは突然、カタルーニャ危機の当事者になった。あるいは当事者にさせられた。プチデモン州首相は民主主義を全うしてカタルーニャで住民投票を実施し、スペイン当局はそれに対して愚かにも暴力と抑圧で対抗した。

EUの原理原則である自由と民主主義と寛容と平和主義を遵守しているのは、スペインのラホイ政権ではなくカタルーニャ州とプチデモン州首相である。EUはこれを庇護しなければならない。

同時にEUは、安定と秩序と統一を守ろうとするスペイン中央政府の立場もまた支持しなければならない。カタルーニャ問題を見て見ぬ振りをしてきたEUの偽善のツケは大きい。

EUと足並みをそろえて無関心を装ってきたドイツ・メルケル、フランス・マクロン、英国・メイなど大国首脳の責任も重大である。その他のEU諸国にも連帯責任がある。

スペインを分断しているカタルーニャ独立問題は、EUにとっては前述した「多くの危機・難問」にも匹敵する重要課題だ。EUはスペインの統一を維持し、且つ民主主義と非暴力を貫くカタルーニャ州の魂も救わなければならない。

最善の道は、スペイン・ラホイ政権がカタルーニャ州の自治権をさらに拡大して、双方が納得した形で統一国家を維持することだ。EUはそこに向けて働きかけを強めるべきだと考える。

だがそれは、僕の勝手な思いである。カタルーニャ州の人々が飽くまでも独立を志向するなら、誰もそれを止めることはできない。それに暴力が伴うかどうかは、スペイン政府次第である。それはつまり、「EU次第」と言い換えることもできる。


カタルーニャ州プチデモン首相の知恵と勇気



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亡命でも逃亡でもない動き

スペイン・カタルーニャ州の独立宣言とそれを真っ向から否定したスペイン政府の動きを受けて、カタルーニャ州のカルレス・プチデモン首相が取った行動はめざましいものだった。

プチデモン州首相は10月30日、誰も予期しなかった形でスペイン・カタルーニャから陸路フランスに渡り、そこから空路ベルギーの首都ブリュッセルに入った。

強権的なスペイン・ラホイ政権の攻勢を“座して死を待つ”状況で受け入れるよりも、EU(欧州連合)の首都であるブリュッセルに身を寄せて難を避けたのである。

それは同時に、自由と民主主義と非暴力と平和主義を旗印にするEUに、カタルーニャ人民が同じ価値観を共有することを、EU首脳部に直に訴えかける手段でもあった。

駆け込み寺

カタルーニャ州は自由と民主主義に基づいて独立か否かを問う住民投票を実施し、賛成多数の実績を踏まえて州議会が独立を宣言した。

それに対してスペイン中央政府は同州への圧力を強め、投票時には警察が暴力を行使。一方、カタルーニャ州政府と人民は非暴力を貫き、中央政府との対話を持ちかけて平和的解決を模索した。

プチデモン州首相はそうした事実を盾に、ブリュッセルで記者会見を開いて国際世論、特にEU域内世論にカタルーニャ州の立場を支持するように強く求めた。

プチデモン州首相にとっては、自由と民主主義と平和を旗印にするEUの本部があるブリュッセルは、同じ価値観を共有する文字通りの駆け込み寺となったのである。

EUほかの反応

プチデモン州首相の訴えに対するEUの反応は、表向き冷淡そのものである。昨年のBrexit(英国のEU離脱)、米トランプ反動政権の樹立、仏大統領選に於ける極右政党の躍進など、EUは多くの難問に悩まされている。

また欧州各国には極右、極左勢力の台頭が目立ち、同地を含む世界中の至る所で分離・独立運動の火種がくすぶっている。世界を揺るがす政治の地殻変動が続き、EUの結束も乱れ勝ちになって勢力の弱体化は隠すべくもない。

そんな折に、EUのメンバー国であるスペインの分裂につながりかねないカタルーニャ州の独立の動きは、断じて容認しがたい事案である。トゥスクEU大統領やユンケル欧州委員会委員長をはじめとするEU指導部は、「スペインの内政問題」と決めつけて知らん振りを装った。

またメルケル独首相、マクロン仏大統領、メイ英国首相などの大国首脳も、プチデモン州首相には冷淡な態度でいる。それどころか批判さえも辞さない構えだ。加えて米トランプ大統領もカタルーニャ独立には反対の立場である。

EUの盟主ドイツのメルケル首相は連合の分断を懸念し、メイ英首相はスコットランド独立問題への影響を憂い、マクロン仏大統領の頭の片隅には、ブルゴ-ニュ独立問題等もひっかかっているに違いない。

他人事ではないイタリアの事情

ここイタリア政府の反応はさらに複雑である。去った10月22日には、ミラノが州都のロンバルディア州と、ベネチアが州都のヴェネト州で、強い自治権を求める住民投票が行われ、いずれも賛成派が勝利した。

それらは独立を求めるものではないが、国内有数の豊かな両州が、税制の不公平を主な焦点に中央政府に圧力をかけたものである。2州はカタルーニャ州と同じく、国からの交付金が彼らの納める税金よりも少ないことに、強い不満を抱いている。

それは一歩間違えば、カタルーニャ州のように独立運動にまで発展しかねない。今は沈静化しているが、イタリアは歴史的に南チロル地方の独立問題を抱えており、今この時も独立志向の強い北部同盟が自治権の大幅拡大を求めて何かと騒ぎを起こす。一触即発の状態が永続しているのである。

イタリアはもともと都市国家メンタリティーが色濃く残る国だ。統一国家よりも地方のわが街こそ祖国、と考える人々が多く住まう国である。いつどの州が分離独立を目指して立ち上がっても少しもおかしくないのである。

いきさつ

10月1日、カタルーニャ州が実施した独立の是非を問う住民投票では、有権者の43%が投票。賛成票が90%を超えた。これを受けて10月27日、カタルーニャ州議会が独立の動議を賛成多数で可決。共和国としてスペインからの独立を宣言した。

マリアーノ・ラホイ首相率いるスペイン中央政権は、憲法違反だとしてただちにカタルーニャの自治権を剥奪。またプチデモン州首相をはじめとする州幹部も解任。直接統治に乗り出して州議会も解散し、12月21日に新たに州議会選挙を行うと発表した。

さらに10月30日、スペイン司法当局は、プチデモン州首相ほかの幹部を国家反逆罪などの容疑で捜査すると宣言。有罪になれば最高で禁固30年の可能性がある重い罪状である。

この発表がなされた直後、前述したようにプチデモン州首相は密かにスペインを脱出。EU本部のあるブリュッセルに入り事実上の「亡命政権」を樹立して、国外から独立運動を指導するとした。

法の遵守という形の抵抗

プチデモン州首相はブリュッセルでの記者会見で、「私は自由と安全を確保するためにEUの首都であるブリュッセルにやってきた」と述べた。

スペイン政府は、カタルーニア州と民衆に対して暴力的な仕打ちをしたが、われわれの側は非暴力を貫いた。同時にスペイン司法の判断を尊重する、とも示唆。その代償にEUとの対話を求める、とした。

また彼は、再び暴力を避ける意味合いと、カタルーニア州政府の仕組みを維持する目的から、スペイン中央政府がカタルーニア州を直接統治することには抵抗しない、とも表明した。

プチデモン氏はさらに、12月21日に行われる州議会選挙も、結果がどうであれ尊重する。スペイン中央政府もわれわれと同じようにすることを期待する、という趣旨の発言も行った

州首相は最後に、われわれは欧州の価値観である自由、非暴力、平和主義を共有している。それらの価値観を尊重し、そのように行動する、と国際世論に約束し世論の後押しを請いたい、などとも述べた。

独立運動の歴史

カタルーニャ州での出来事は、政治的な立ち居地や見方によっていろいろと変わるだろうが、「強者に対抗する弱者の行動様式」としては、プチデモン氏の言動は理解できるものである。

スペイン国内におけるカタルーニャ州の立場は、経済力を別にすれば弱者のそれである。「多数派対少数派」というくくりで見た場合には、それはさらに鮮明になる。

独自の歴史、文化、伝統、言語などを持つカタルーニャ州は、スペイン国内で抑圧され数世紀にわたって独立志向の精神を育んできた。それは1939年~75年のフランコ独裁政権下で、カタルーニャ語の使用を禁止されたことでさらに強まった。

1979年に自治州となってからは、カタールニャ州は中央政府と折り合いをつけながら徐々に自治権を拡大させてきた。だが2000年に転機がきた。

スペイン民族主義を標榜する国民党のアスナール政権が、総選挙で絶対過半数を獲得して中央集権化を推し進め、カタールニャ州の自治権が縮小されて対立が深まって行くのである。

カタールニャ州は2005年、独自の自治憲章を制定してスペインを連邦国家的な仕組みに作り変えることを目指した。これには中央政府や他の自治州が反発した。

スペイン憲法裁判所は2010年、カタルーニャの自治憲章は「スペインの揺るぎなき統一」に反する、として違憲判決を下した。このことがカタルーニャの独立運動の火に油をそそぐこととなった。

窮鼠猫を噛む

テロリズムは、テロリストの反対勢力から見た「抵抗運動の一形式」である。テロリズムを行う側から見れば、彼らの暴力は自らの自由と解放を目指す手段であり闘争である。

テロリズムは断じて許されるべきことではない。だがテロリズムには、切羽詰まった弱者が巨大な権力に歯向かう手段、という側面もあることは誰にも否定できない。

例えばイスラム過激派が欧米に仕掛けているテロは本を正せば、権力者の欧米が中東などで犯した過去の罪の因果応報、という見方もできる。強者の横暴に対する弱者の反発がテロリズムなのである。

スペイン中央政権に対抗するカタルーニャ州の戦いにもテロに似た側面がある。もっともカタルーニャ州側は、無抵抗と非暴力を押し通しているのでその呼称は言葉の矛盾だが、事態の成り行きは「強者対弱者の戦い」そのものである。

抑圧また差別の正体

強者あるいは多数派による弱者や少数派への抑圧や差別は、能動側の強者や多数派には分かり辛い側面もある。しかし抑圧され差別される弱者や少数派が、「抑圧され差別されていると感じたり、あるいは違和感を持っている」限り、そこには何かがある。その何かの正体が抑圧であり差別なのである。

差別や抑圧が無ければ、差別され抑圧されている側は、差別し抑圧している側と同じように「何も感じない」はずなのである。そう考えてみれば、差別し抑圧する側がよく口にしたがる「被害者意識」という言葉も、差別し抑圧する側の思い違いである可能性がある。

抑圧や差別には憎悪と痛みが伴うが、そのうちの痛みは差別や抑圧を「受ける側だけ」が感じるものである。抑圧者や差別を「する側」の人間には痛みはない。だから抑圧も差別もそれを「する側」の感情は関係がない。「される側」の感情だけが問題である。

なぜなら痛みがあるのは異常事態であり、痛みがない状態が人間のあるべき姿だ。従って抑圧や差別を「される側」のその痛みは取り除かれなければならない。カタルーニャ州の人々が感じている痛みももちろん同じである。

暴力ではなく対話で問題解決を

カタルーニャ州と人民の言い分には理がある。同時に統一と秩序を優先するラホイ政権側にもまた理があるのだ。双方に理がありながら対立しているのだから、残された道はさらなる力による抑圧か、逆に対話による解決かである。

ラホイ首相はこれまで強権的な手法でカタルーニヤ州側に対応し、住民投票にあたっては警察の暴力沙汰まで引き起こしてしまった。また、対話を希求するプチデモン州首相の要求を無視して専横的に動いた。

ラホイ首相はそれらの間違いを2度と繰り返してはならない。対話によってお互いの言い分を吟味し妥協して合意に至るべきである。それが民主主義であり文明社会の進むべき道であり開明である。暴力による解決は必ず避けるべきと考える。

鍵を握るのはEU(欧州連合)と、EU内で強い力を持つ独仏英などの動きである。彼らは庇護を求めてEUの胸中、つまりブリュッセルに飛び込んできた小鳥・プチデモン州首相をないがしろにしてはならない。これを保護すると共に、スペイン中央政権に働きかけて、両者の対話を促すべきだ。






漁師の命と百姓の政治



2017年10月末収穫の作物800pic
種まき、少しの水遣りの後、放っておいた野菜たち(2017年10月末収穫)



菜園を耕してわかったことの一つは、野菜は土が育ててくれる、という真理である。

土作りを怠らず、草を摘み、水や肥料を与え、虫を駆除し、風雪から保護するなどして働きつづければ、作物は大きく育ち収穫は飛躍的に伸びる。

しかし、種をまいてあとは放っておいても、大地は最小限の作物を育ててくれるのである。

百姓はそうやって自然の恵みを受け、恵みを食べて命をつなぐ。百姓は大地に命を守られている。

大地が働いてくれる分、百姓には時間の余裕がある。余った時間に百姓は三々五々集まる。するとそこには政治が生まれる。

1人では政治はできない。2人でも政治は生まれない。2人の男は殺し合うか助け合うだけだ。

百姓が3人以上集まると、そこに政治が動き出し人事が発生する。政治は原初、百姓のものだった。政治家の多くが今も百姓面をしているのは偶然ではないのである。

漁師の生は百姓とは違う。漁師は日常的に命を賭して生きる糧を得る。

漁師は船で漁に出る。近場に魚がいなければ彼は沖に漕ぎ進める。そこも不漁なら彼はさらに沖合いを目指す。

彼は家族の空腹をいやすために、魚影を探してひたすら遠くに船を動かす。

ふいに嵐や突風や大波が襲う。逃げ遅れた漁師はそこで命を落とす。

古来、海の男たちはそうやって死と隣り合わせの生業で家族を養い、実際に死んでいった。彼らの心情が、土とともに暮らす百姓よりもすさみ且つ刹那的になりがちなのはそれが理由である。

船底の板1枚を経ただけの地獄と格闘する、漁師の生き様は劇的である。劇的なものは歌になりやすい。演歌のテーマが往々にして漁師であるのは、故なきことではないのである。

現代の漁師は馬力のある高速船を手にしたがる。格好つけや美意識のためではない。沖で危険が迫ったとき、一目散に港に逃げ帰るためである。

また高速船には他者を出し抜いて速く漁場に着いて、漁獲高を伸ばす、という効用もある。

そうやって現代の漁師の生は死から少し遠ざかり、欲が少し増して昔風の「荒ぶる純朴な生き様」は薄れた。

産業全体が「獲る漁業」から養殖中心の「育てる漁業」に変貌しつつあることも、往時の漁師の流儀が廃れる原因になった。

今日の漁師の仕事の多くは、近海に定位置を確保してそこで「獲物を育てる」漁法に変わった。百姓が田畑で働く姿に似てきたのだ。

それでも漁師の歌は作られる。北海の嵐に向かって漕ぎ出す漁師の生き様は、男の冒険心をくすぐって止まない。

人の想像力がある限り、演歌の中の荒ぶる漁師は永遠なのである。





「ヨハネの黙示録」の島を行く


聖ヨハネの修道院ロング800
丘の上にそびえる「聖ヨハネ修道院」


ギリシャのドデカネス諸島を訪ねた。9月のクレタ島につづいて今年2度目のギリシャ旅。

ミラノ→アテネ→レロス島と飛行機で移動し、ヨットでリプスィ島→アルキ島→パトモス島と巡って再びレロス島に戻った。

主にレロス島を拠点に夏のバカンスをヨット上で過ごす友人たちがいる。そのうちの1人にかねてから誘われていた。

夏の盛りに、ヨットの狭いキャビンで他人と共同生活をするのは気が引ける。ずっと断りつづけてきたが、今回は断りきれなかった。

季節外れの10月半ば過ぎなので人出が少なく、ヨットのキャビン内の窮屈は、船外の開放感で埋め合わせられるのではないか、という思いがあった。それは的外れな予見ではなかった。

ヨット船内の狭苦しさはやはりつらかったものの、甲板に立てば、エーゲ海上のまだまだ暑い日差しと、乾いた風に救われた。

上陸した島々の素朴な美しさと人出の少なさも予想通り気分を良くしてくれた。食事もうまかった。ひと月前のクレタ島の食とは違い、どの島でも魚介類が中心食材である。

今回の旅の主な目的は、使徒ヨハネが「ヨハネの黙示録」を書いた場所とされるパトモス島の見聞だった。

修道院からスカラ街を見下ろす800
「聖ヨハネ修道院」から見下ろす港街

ヨハネが神からの啓示を与えられたとする洞窟内の礼拝所と、その上の広大な「聖ヨハネの修道院」は圧巻だった。

だがそこに人がからむと少し興ざめの光景もあった。明らかに観光客用のパフォーマンスと見える司祭らの動きが垣間見えたのである。

たとえばクレタ島のゴニア修道院では、カメラを向けられた神父が顔を隠して急ぎ足に通り過ぎた。そこには俗に汚されまいとする気概が見えて新鮮だった。

ところが「聖ヨハネの修道院」では、歩いている神父がカメラに向かってそ知らぬ振りでポーズを取り、洞窟内の礼拝所では、神父の祈りの声が観光客の団体が着くたびに高くなる、というふうだった。

僕は苦笑しながら、それでも神気と高貴と清廉が満ちた雰囲気を、厳粛な思いで検分し楽しんだ。

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修道院内は隅々まで美と緊張に満ちている

パトモス島にほど近い、リプスィ島とアルキ島はどちらも小さな島。特にアルキ島はミニチュアのようにかわいい。面積はたった2.15 km2 である。

小なりとはいうものの、どちらの島にも誇り高く且つ友好的なギリシャの島人が住んでいる。間もなく観光シーズンが終わる10月半ばでもバカンス客がけっこう滞在している。

両島ともに観光が主な産業であり、観光客また長期滞在のバカンス客を当てにしての漁業も盛んだ。魚介料理が島の目玉なのである。

島の魚料理は、ほぼ常に焼く、煮る、揚げる、の単純なものだが、地中海域のあらゆる島の魚介膳と同様に、素材の新鮮がレシピの貧困を補って余りあるおいしさだった。


異常気象と遺伝子

搾り出されるトマトヨリ1800pic
夏恒例のトマトソース作り


異常気象、といっても異常が通常になっていて、もはやあまり意味をなさない。だがイタリアでは今年は、水不足と暑さのせいなのか野菜の成長が急激で、サラダ菜などは7月中に花が咲いたり、老いて硬くなったり、枯れたりしてほとんど食べられないものが多くあった。

トマトの出来も良くなかった。主茎も側枝 も大きく育って木のようになったにもかかわらず、実があまり成らなかったのだ。それでも7月19日に第一回目の収穫をした。昨年に比べると10日ほど早かった。実の数は少ないが成長が早かった、ということだ。その後、どちらもひどく少ない量だがさらに2回トマトソース作りをした。

ここ北イタリアは3月以降は極端な少雨で4月、5月は冷えた。6月になると相変わらず少雨ながら日差しは強かった。おかげで野菜の成長は早くなった。7月に入ると気温が高くなり野菜はますます良く育った。雨もテンポラーレ(強風を伴う雷雨)が適度に襲って結構降った。

ところがその時期、北イタリアの一部を除くイタリアの大部分は雨がほとんど降らず、旱魃に見舞われていた。ローマでは給水制限が検討されるほど事態は深刻だった。

不思議に思うのは、4月~5月の寒さを除いて、ここ北イタリアのロンバルディア州一帯では結構な日差しと降雨があったにもかかわらず、つまり割りと通常の天候であったにもかかわらず、野菜の成長が異常に早かったという点である。

イタリア半島全体が暑さと水不足になることを察知して、野菜の多くは自ら成長を早めて花を咲かせ種を実らせたのではないか、と思ったりしている。

今夏よりも日差しが強く、日照時間も長く、且つ暑いイタリアの夏は過去に何度もあった。当年が過去と違うのは、3月~6月の間に雨がほとんど降らなかったことだ。今年は過去60年間で2番目に乾いた春期だったのである。

奇態な春の気象状況は夏になってもそのまま続き、北イタリアの一部を除くイタリア半島は高温と旱魃に苦しんだ。水不足は農作物を直撃して大きな損害をもたらした。飲料水にまで影響が出て、首都ローマは給水制限にまでは至らなかったものの、噴水や水飲み場の閉鎖を強いられた。

僕は小さな菜園に多種類の野菜を少量づつ作って、多彩な生態を楽しみ多様な味をエンジョイしている。もとよりそれは趣味の域を出ず、野菜たちの世話も時間があまりない関係で十分と言うには程遠いものだが、おかげで季節変化や天気の動きに以前よりも敏感になった。

いくつかの野菜の今年の奇妙な成長振りを見てふと思った。もしかするとそれらの植物は、春から夏に至る季節の乾きをなんらかの途方で事前に悟って、子孫を残すため、つまり種の保存のために、速く成長し花を付けて種子を得ようとするのではないか。

それが事実ならその途方とは、要するに遺伝子である。遺伝子には子孫を残そうとする強制力がある。子孫を残そうとしない生物はたちまち淘汰され絶滅するからだ。野菜たちは意思や原因や目的とは全く関係なく、今年は遺伝子の働きで急いで種(たね)を作ろうとした。。。

ということは、野菜には意思はないが、遺伝子にはそれに近い何かがある、という結論になる。今現在そこに存在している生物とは、子孫を残そうとする遺伝子を持つ生物、のことである。そこには機械的なプログラムが存在しているだけだ。自然の摂理と言ってもいい。

だが、この先の乾き(水不足)を感知して今年は速く成長しよう、と遺伝子がはたらきかけたのであれば、それは遺伝子の意思とも呼べるべきものである。子孫を残そうとする通常の機械的なプログラミングに加えて、遺伝子には特殊状況に対応する意思や手段も備わっている。

という具合に考える先から、それはおかしい、とも僕はまた考えた。遺伝子にそのような力があるならば、全ての生物(の遺伝子)が「先の危険」を予測し、それを避けようとして何らかの方策を企てるのではないか。僕の菜園の野菜たちが種を残すために急速に成長したように。

その思考過程を経て僕はまたあらたな発見をした。つまり今年は多くの農作物が水不足でいびつな育ち方をしたり、結実しなかったり、果ては枯れたりしたが、実はそうした弊害は、それらの作物が僕の菜園の野菜同様に「急激に成長しようとした結果」もたらされた毀損なのではないか、と。

それならば作物の不作は、来年の豊作へ向けての準備段階、という考え方もできる。つまり不作は豊作の予兆。従って喜ぶべきこと、と捉えられないこともない。こんなことを口にすれば、耕作で生計を立てている農家から「オチャラケを言うな。俺たちにとっては今年の不作、つまり生活が破壊される現実だけが問題だ」と憤慨されるだろうが。。。

楽しみと同時に、いろいろなことに気づかせてくれるのが菜園である。





夏の終わりのリゾート地の、いつもの少し気になる光景 


gargnanoポート


北イタリアのガルダ湖畔はドイツ人が愛してやまないリゾート地である。5月から10月にかけて多くのドイツ人バカンス客が訪れる。同地に住まいを得て移り住むドイツ人も少なくない。

7月から9月半ばの間はイタリア人バカンス客も押し寄せる。その他の国々からの旅人もけっこういる。その時期のドイツ人は多数派だが、決して「彼らのみ」の存在ではなく、言わば「他国民との共存」状態である。

ところが9月半ば頃を境に、イタリア人やその他の国からのバカンス客が一気に姿を消して、あたりはドイツ人だらけになる。彼らは時間差休暇を利用して
10月頃にも多くやって来るのだ。

たまたま湖畔に家がある関係で僕はよくそこに行く。すると一帯のホテルやレストランやカフェなどにドイツ人客だけがあふれている状況に出会う。

普通彼らは礼儀正しく、静かで、友好的でさえある。観光産業で生きている地元の人々にも大いに歓迎されている。

ところがドイツ人同士が集まると、彼らは少し人が変わったようになる場合がある。例えばドイツ人バカンス客のほぼ貸切り状態になった夜のバールなどで、声高に話し始める。

ビールの大ジョッキを頻繁に空にしながらうるさく議論をする。果ては酔って放歌高吟し騒ぎ出すようなことも起こったりする。

そこでは他国民と混じりあっているときのドイツ人の文化文明的な雰囲気が失せて、彼らは少々粗野になり時として傍若無人と形容してもいいような動きを見せることさえある。

ドイツ人とは違って普段から少し騒々しく、友好的だが礼儀を欠くこともなくはないイタリア人たちは、ドイツ人の「突然の」変貌を醒めた目で見つめる。

彼らはドイツ人が集団になると、傲岸で危険な存在になる要素を秘めていることを知っている。歴史がそれを物語っている。

ドイツ人自身もそのことを知っている。だから彼らは抑制し羽目を外し過ぎないようにしようとしている。周りの目も気にしている。それでも時としてある種のドイツ人はその性癖の露見を止めることができないようだ。

酒が入ったりすると、つい彼らの本性が出てしまう。そのような変化はどの国民にでも起こることだが、素面の時は物静かで大人しいドイツ人の場合は、普段との落差が大きいと人々は感じる。

全てのドイツ人バカンス客が野放図であるわけでは無論ない。むしろ威儀を保ち続ける者のほうが多数派だ。その多数派が今のドイツ人の実相である。群れて騒ぐ人々はドイツ人のうちの少数派だ。

その少数派の行動が、大多数の「良いイメージのドイツ人」を悪く見せてしまい、「群れると崩れかねない危うさを内包しているドイツ人」という過去の亡霊を人々に思い起こさせる。

酒に浮かれて放歌高吟するのは、日本人とドイツ人、とよく言われる。また両国民は1人では何もできないが集団になると手ごわく、野卑で不遜で攻撃的になる、とも言われる。

あるいは2国民は「かつて」はそう言われた。だが少なくとも日本人は、敗戦を境にたとえ集団になっても昔日の傲岸不遜の傾向は失くしたように見える。優越意識のようなものもちらつかせない。

むろん、中韓やアジアなどを蔑視するネトウヨヘイト系の日本人は少なからず存在する。だがまともな日本人は、戦前の愚かな心根からは開放されたように見えなくもない。

敗戦でボロボロになったドイツ人も日本人と同じ道筋をたどった。だが白人種ではない日本人が、真の意味での謙虚を学んだようにはいかなかった。

ドイツ人の中には、誤解を恐れずに言えば、白人種の優越意識があり、さらに白人種の中でも彼らこそもっと優越だ、という秘めた自負がある。

そうした秘密の心根は、ナチスの巨大な負の遺産を(ほぼ)帳消しにして世界の信頼を勝ち取り、自らの手でドイツ国家の大いなる繁栄を築いた、という自信に基づいている。

だが彼らは一歩間違えばそれが尊大な物腰になり、荒い声音に変わり、攻撃的な振る舞いに変容して「かつてのドイツ」の再来を彷彿とさせる事態になる可能性を知っている。

危険を自覚し、決してそこに向かわないように自制しているドイツ人は、欧米の人々の尊敬も集めている。それは疑いようがない。だが人々の中の一抹の不信感は断じて消えていないのだ。

ドイツ人が彼ら同士で固まって盛り上がる様子を見ながら、バールのイタリア人従業員や客の心中にかかすかな警戒感が頭をもたげる。

それはイタリアだけに見られる特殊な状況ではない。ドイツを除くヨーロッパ中のリゾート地や行楽地や観光地で、飽きもせずに毎年繰り返されている光景なのである。

今年はそこにさらなる負の要素が加わった。先のドイツの総選挙で極右の「ドイツのための選択肢」党が飛躍した事実だ。

欧州に台頭する極右勢力は、EU(欧州連合)の弱体化と相まって世界に暗い影を投げかけている。中でもドイツのそれがもっとも人々に恐れられている。

ナチスと、極右党の「ドイツのための選択肢」と、リゾート地のバールで騒ぐ「一部のドイツ人」が人々の心の中でぴたりと重なり合って、それらを真っ向から否定する「大方のドイツ人」にまで偏見が及びかねない状況が出来上がる。

人々の偏見は、ドイツ人が戦後一貫して続けてきた反省と謝罪と贖罪の努力を今後も怠らないことで必ず消えていくだろう。だが極右の台頭をドイツ国民が許し続けるなら、人々の偏見は偏見ではなくなって、ドイツ人への敵愾心をあおる結果にもなるだろう。

僕はバールの片隅で、騒ぐドイツ人バカンス客をイタリア人の友人らとともに眺めながら、密かに彼らに同情したり心配したりする。やがてその心は、もしかすると日本人も近隣のアジアなどでドイツ人と同じ轍を踏んではいないか、という忘れかけた不安におおわれて行ったりたりもするのである。

ギリシャ・クレタ島の食日記~おいしい味覚史



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肉・野菜・魚介・カタツムり-なんでもありのクレタ料理惣菜



世界で一番美味いのは日本料理、というのが僕の偽らざる思いである。以下ランク順にイタメシ、中華、トルコ料理、ギリシャ料理と続く。

多くの人が世界一と考えるフランス料理は5本の指に入らない。フランス料理にはなんの恨みもない。仏メシの「こってり感と気取り感」が僕の中ではランクを下げる、というだけの話。

僕の独断と偏見では世界第5番目においしいのがギリシャ料理。そのギリシャ料理の中では国の最南端にあるクレタ島の食が、これまでのところはもっとも美味いと感じる。

この直前の2稿でも言及したように、クレタ島の食は魚介類が少なく、肉が主体である。それはギリシャ全体にも言えることだが、クレタ料理が「島の食」である事実を思えば興味は尽きない。

四方を海に囲まれた島でありながら、魚料理よりも肉料理が豊富なところは、クレタ島と同じく地中海に浮かぶ島、イタリアのサルデーニャ島の状況によく似ている。

サルデーニャ島は歴史的に多くの民族の侵略を受けた。特にイスラム教徒のそれは過酷で殺戮が多発した。そのため島人は内陸の山間部に逃げた。

四国ほどの大きさのサルデーニャ島は山深い土地である。侵略者から逃れた人々は、海から遠い内陸の山里に定住した。魚介よりも羊肉を中心とする肉料理が好まれたのはそのせいである。

いや、肉料理が好まれたというよりも、山峡に住まうことを強いられた人々は、いやでも肉料理に向かわざるを得なかった。海際の住民が魚介を主な糧とするように。

そうした歴史もあって、美食の国イタリアの一部でありながら、サルデーニャ島の魚料理にはあまり見るべきものがない。これは僕が実際に現地で体験しての感想である。

少し前の話になるが、キャンピングカーを借りて家族4人でサルデーニャ島に長期滞在をした。その時にレストランで食べた魚介料理はつまらなかった。

島だけに素材は新鮮な場合が多かったが、料理の味が良くないのである。明らかに魚介類への思い入れが薄いことから来る弊害と見えた。

僕はしばらくすると、魚介類をレストランで食べることをやめた。代わりに鮮魚店や市場で新鮮な素材を手に入れて、家族のために自分で料理をした。

たいした料理ではなかったが、妻も子供たちもそっちの方を喜んで食べた。キャンピングカーでの旅なのでそういうことができたのである。

現在、サルデーニャ島の魚介料理に見える少しの進展は、イタリア北部の金持ちたちによってもたらされたものだと考えられる。

彼らはバカンスで島を訪れる度に沿岸地帯の魚料理を少しづつ改良した。あるいは彼らの要求によって、島の魚介料理は変わることを余儀なくされたのである。

サルデーニャ島に限らずイタリアの魚料理は、パスタにからめたものを別にすれば肉料理ほどのインパクトはない。日本料理における魚介膳のような奥深さはないのだ。

従ってイタリア北部のバカンス客がサルデーニア島に持ちこんだ魚介料理も、日本食に比べた場合はそれほど目覚ましいものではない、と僕には見える。

そうはいうものの魚介類のたとえばパスタは、サルデーニャ島を含むイタリアのそれが世界一の味であることは、幾重にも付け加えておきたい。

あえて簡略化したサルデーニャ島の歴史事実は、ある程度クレタ島にも当てはまるように思う。サルデーニャよりも小さいがクレタ島も山深い土地である。

海からの侵略者に翻弄され続けたクレタ島民も、内陸部を主な居住地とした。そのために島には、魚介ではなく豚、鶏、牛、羊肉などの肉料理が発達した。

そう考えれば、海が間近に広がる島で、魚介膳が大きく進化しなかった理由が説明できるのではないか。ただし繰り返しになるが、島の魚介料理は素朴ではあるものの、素材が新鮮な分うまいことは美味いと付け加えておきたい。

島にやって来たのは侵略者ばかりではなかった。交易や友好を望む者や旅人も多く訪れた。また近年は、島の温暖な気候や鮮やかな景観に魅せられたバカンス客も群れをなして来訪する。

世界中から島に足を運ぶそれらの人々は、彼らの国のレシピを島民に伝え、あるいは彼らの嗜好で島伝来のレシピに改良や変化を求めた。

古来、欧州とアフリカと西アジアの人々が行き交う地中海の要衝であったクレタ島には、そうやって外来の煮炊きも多く根付いていった。

それらのほとんどもやはり肉料理だった。バルカン半島やトルコや西アジアにルーツを持つと見られる、スヴラギやギロスなどの肉料理がもっとも顕著な例である。

またクレタ島の魚介料理も外からの影響によって少なからず変貌していった。その最たるものはイタリア料理である。

クレタ島は13世紀初頭にヴェネツィア共和国の支配下に入った。以後、海の民ヴェネツィア人の魚介レシピが紹介され試されて、次第に島料理に取り込まれていった。

それでも、先に何度も述べたように、クレタ島の食は主に肉料理にかたよって、野菜、オリーブ油、チーズなどの乳製品をからめて発展した。魚介料理は少数派であり続けたのである。

そうしたところもクレタ島とサルデーニャ島の食の容貌は相似している。サルデーニャ島はヴェネツィア共和国に支配されたことはない。が、同島はイタリアの一部であることに変わりはない。

いうまでもなくサルデーニャ島の魚介料理は、イタリア本土のそれの影響下にはある。そしてヴェネツィア(共和国)はイタリア本土の一角にほかならないのである。

ついでに住民の気質についても言及しておくと、2島の住民はどちらかと言えば頑固でとっつきにくい、という評判がある。やはり山の民なのである。

しかし僕が知る限り、気難しい彼らは一度ふところに飛び込んで親しくなってしまうと、逆に大いなる友人となって心あたたかく寛大、且つとびきり明るい素顔を見せてくれる。

そして山の民である彼らが、友好の証として料理のもてなしをしてくれる場合には、今まさに獲れ立ての魚介類がない限り、たとえ島の沿岸部であっても圧倒的に肉料理が多い、とされるのである。


ノーベル文学賞って大丈夫?



ダイナマイトを頭に付けたアルフレッド・ノーベル400picに拡大


日本生まれの英国人作家カズオ・イシグロが、2017年度のノーベルを受賞した。すばらしい出来事である。心から賛称したい。

カズオ・イシグロはあくまでも英国人

そのことを明確に踏まえたうえで、自分の中で少しひっかかっている事どもを述べておきたい。それは多少ノーベル賞に批判的な内容になるかもしれない。

だがそれはあくまでもノーベル賞と選考委員会への異論申し立てであって、作家カズオ・イシグロへの僕の三嘆の気持ちはいささかも変わらない。

本題に入る前に、カズオ・イシグロが日本生まれであることを理由に大騒ぎをする日本の風潮に、先ず異議を唱えておきたい。

カズオ・イシグロは日本生まれかもしれないが、あくまでも英国人である。騒ぐならば彼が日本生まれである点ではなく、彼の作品が「優れているか否か」を検証して騒ぐべきである。

またカズオ・イシグロは日本国籍を捨てて英国に帰化した人だ。ことさら国籍にこだわって騒ぐのなら、かつて日本国籍が「あった」ことではなく「日本国籍を捨てたこと」を問題にするべきだ。

英国人作家のサルマン・ラシュディをインド人と呼ぶ人は少ないだろう。英国に帰化したカズオ・イシグロも同じ。彼は日本と日本国籍を捨てた英国人だ。

少子高齢化と人口減少が進む日本なのだから、日本を捨てた人を大事にするのではなく、日本に帰化してくれる人や日本を愛し日本にこだわる人たちをこそ大事にしたほうがいい。

文学賞の良さと限界

ノーベル文学賞を含むあらゆる文学賞は主観的なものである。主観を投影するのは個人であり集団である。彼または彼らが独断と偏見によって、彼らの良しとする基準を満たす作品あるいは作家を選んで賞を与える。

今年ノーベル財団はカズオ・イシグロを文学賞に選んだ。だがそれは村上春樹でも宮本輝でも吉本ばななでも、はたまたイタリアの誰それや中国の誰それでもよかった。要するに選考委員会が気に入るなら誰でもいいのだ。

自然科学部門の物理学賞や生理学・医学賞や化学賞などは、その対象の優劣を客観的に判断できるものだから分かりやすい。経済学賞も経済学者が実体経済に疎く、しばしば理路整然と間違う笑い話を別にすれば、文学よりはずっと明晰な分野だ。

選考基準があいまいな平和賞にしても、選考委員の主観が入りつつも平和活動をしている個人や団体を受賞対象にしている点で、選択の基準がまったく見えない文学賞よりはやはりまだ分かりやすい。

ノーベル文学賞選考委員会は、彼らの主観でカズオ・イシグロを選んだ。繰り返しなるがそれはそれですばらしいことである。そこで僕は僕の主観に基づいて、なぜ村上春樹ではなくカズオ・イシグロなの?と問いたいのである。

ノーベル文学賞に値する日本人はうようよいるよ

言うまでもなく僕は、カズオ・イシグロよりは村上春樹のほうが先に受賞するべき、と考える者である。僕の中ではノーベル文学賞にふさわしい日本人作家は今のところ2人いる。村上春樹と宮本輝である。

また僕の独断と偏見によるノーベル文学賞に値する日本人作家はランク順に:
1.安部公房 2.村上春樹 3.夏目漱石  4.三島由紀夫 5.藤沢周平 6.谷崎潤一郎 7.山本周五郎 8.司馬遼太郎 9.大江健三郎 10.川端康成 11.宮本輝 の11人である。 

このうち実際に受賞したのは周知のように大江健三郎と川端康成。ノーベル賞は存命中の者に授与される賞だから、今後可能性のあるのは村上春樹と宮本輝の2人になる。

なお、ノーベル文学賞の日本人候補として吉本ばななも取り沙汰されるようだが、僕は彼女の本は読んでいなので判断のしようがない。ちなみに僕は前述の11作家の著作はほぼ全て読んでいる。

ほかの日本人作家のことは知らない。またここイタリアをはじめとする欧米やその他の世界の作家のことも知らない。僕の主観では賞にふさわしい作家はいない。いや、ふさわしい作家を知らない。

村上春樹がノーベル賞をもらえない理由にならない理由

文学賞を含むノーベル賞の選考過程は50年後まで公表されない。従って誰が候補に上がっているかは現在はわからない。村上春樹が候補者として取り沙汰されるのは、彼がカフカ賞を受賞したからだ。

チェコのフランツ・カフカ賞は、ノーベル文学賞への登竜門とも目される。これを受賞したことで村上春樹はノーベル文学賞候補とみなされるようになった。しかし、正式なノーベル賞候補というのは存在しない。あくまでも憶測である。

ノーベル文学賞には政治的なバイアスがかかっていると思えるフシが多くある。かつては各国のペンクラブの会長であること、あるいは少なくともペンクラブに属していることが受賞の条件、という噂もあった。

ノーベル文学賞はまた欧州と北米、アジアとアフリカ、また南米その他にバランス良く振り分けられる、という分析もある。それが事実ならば、そろそろ日本人作家が受賞してもいいのではないか、という見方も広がった。

だが村上春樹は、長い間その候補と噂されながら受賞を逃し続けている。ノーベル賞は人道主義的な作風の作家が取ることが多い 。村上春樹にはそういう題材の作品がほとんどない。

また村上春樹は、イスラエルでの「卵と壁」発言の後で沈黙するなど、政治的人道的な活動が少ないから受賞しない、という説もある。

だが「卵と壁」発言は、パレスチナに対するイスラエルの圧倒的な軍事力を壁に譬え、抑圧された民衆を卵にたとえて、イスラエルの地で当のイスラエルを真っ向から批判したものだ。それは極めて大きな政治的発言であり行動だ。

爆弾受賞

つまり村上春樹が受賞しないのはそういうことでもないらしい。要するに理由が分からない。そうこうするうちにノーベル文学賞は、ボブ・ディランの昨年の爆弾受賞でますます分からなくなった。

ボブ・ディランのあっとおどろくノーベル文学賞獲得によって、同賞の受賞対象は「誰でも良い」という実体をさらけ出した、と僕は思う。

爆弾受賞を受けて昨年は、ボブ・ディランの受賞は画期的。ノーベル文学賞選考委員会は創造的。すばらしい。さすがはノーベル賞、などと無責任な賞賛の声が上がった。

ばかばかしい。ボブ・ディランは天才的なアーティストだが、音楽家であって物書きではない。ボブ・ディランが文学賞を受賞するのなら、井上陽水と小椋佳、ここイタリアのファブリツィオ・デ・アンドレとピノ・ダニエレも十分に資格がある。

もっとも残念ながらイタリアのアーティスト2人は亡くなったので、存命者が条件のノーベル賞の対象にはならない。だが両者はボブ・ディランと日本の2人に勝るとも劣らない天才だ。

あえて亡くなった2人の名前を出したのは、僕が知らないだけでイタリアには2人に迫るあるいは凌駕するシンガーソングライターが必ずいると思うからだ。

他の国にもおそらくそれらのアーティストに匹敵する優れたシンガーソングライターがいるに違いない。さあ、ノーベル賞よどうする?と問いかけたいものだ。

あ、あぶなく忘れかけたが、吉田拓郎も「旅の宿」1曲だけでノーベル賞はもらった、と言いたいところだ。しかし、作詞は残念ながら彼本人ではないので厳しいかも。

奇をてらうノーベル文学賞

ボブ・ディランの受賞理由は「偉大な米国の歌の伝統に、新たな詩的表現を創造した」というものだった。ところが世界中には「それぞれの国の歌の伝統に、新たな詩的表現を創造した」アーティストがゴマンといる。米国だけには限らないのだ。

国際的な認知度ではなく「米国(一国)の歌の伝統」というボブ・ディランの受賞理由に従えば、彼らの全員も「ノーベル文学賞」の対象でなければならない。それがバカバカしいというのなら、ノーベル文学賞そのものがバカバカしいのである。

文学賞をまともなコンセプトに戻したいならば、財団はボブ・ディランの文学賞を没収した上で「ノーベル音楽賞」を新たに設定し、彼をその第一回目の受賞者に認定すればいい。

カズオ・イシグロの受賞は、あるいはボブ・ディランのそれに続くノーベル文学賞の、近年の隠れたテーマ「奇をてらう」の一環である可能性がある。

つまり、村上春樹という王道の受賞候補があまりにも人気が高いため、嫉妬した選考委員(会)が「今年もまた」村上春樹を無視して意表をつく選択をした。

いや、無視したというよりも、出生地を出身国と見なす彼らの考えでは、「長崎県生まれの日本人」であるカズオ・イシグロに賞を授与することで、そろそろ日本人が受賞するべきという人々の思いに応えた。

村上春樹の受賞をわざと外しているようなノーベル財団の動きは、米国アカデミー賞がスピルバーグ監督の受賞を嫌い続けた事実に通底している。アカデミーショーはスピルバーグの人気に嫉妬して彼の受賞を拒み続けた疑いがる。

しかし、アカデミーショー委員会はやがてスピルバーグに賞を与えた。理不尽な態度を批判されたからだ。ノーベル文学賞選考委員会も、間もなく実力絶大な作家の村上春樹に賞を授与せざるを得なくなるのではないか。ぜひそうであってほしいものである。



ギリシャ・クレタ島の食日記~珍味という名のゲテモノ料理



2則食べ分に近い
パツァス


ギリシャ料理は僕の勝手なランク付けでは、世界で第5番目に美味い食べ物だが、中でもギリシャ南端のクレタ島料理が特に美味い。

クレタの島料理は、素材が新鮮でそれなりにおいしい魚介レシピよりも、肉料理のほうが豊かである。豚肉と鶏肉が上等で牛肉も美味い。また羊肉料理も秀逸である。

それらの肉料理は、ほとんど全て島の野菜と共に提供される。クレタの島野菜は、まるで家庭菜園の産物でもあるかのように色鮮やかで味が濃く、新鮮そのものである。

サラダで食べても一級品だが、肉に合わせて煮たり焼いたり味付けされたりした野菜もすばらしい。クレタ島は地味豊かな且つ陽光目覚ましい土地柄。野菜の風味も芳醇なのである。

野菜をサラダで食べるときにはオリーブ油が欠かせない。クレタ島はオリーブ油の一大産地であり消費地。ギリシャ全体の約50%を産出し住民の1人当たりの消費量は世界一である。

今年9月に滞在したときは、島産のオリーブ油と醤油で味付をしたサラダを文字通り毎日食べた。僕はもう40年近くサラダをオリーブ油と醤油のドレッシングで食べている。もちろんイタリアでも。

休暇の終わりにはクレタ島第2の街ハニアで、ロンドンの映画学校時代の友人と会食をした。ギリシャのアテネ出身の友人は先年、英国人の奥さん共々クレタ島に移住したのだ。

ハニアの中心街にある市場の中の店で、友人が勧めてくれたパツァスを食べてみることにした。パツァスは豚の胃や腸その他の内臓を煮込んだスープ。牛や羊の内臓も使うという。

僕はその料理を、日本のもつ煮込みやイタリアのトリッパ(牛の胃の煮込み)を想像しながら注文した。ところが出てきたのは、内臓のエグい臭いが沸き立つ代物。良く言えば珍味、はっきり言えばゲテモノ料理だった。

大げさではなく吐き気を催すほどの臭みをぐっとこらえて、僕は口の中の異物を喉に流し込んだ。友人自慢のギリシャ料理を吐き出すのはとてもできなかった。

僕はその後、唐辛子のエキスが詰った激辛のスパイスを大量にスープにぶち込んで、味も臭味もわからないようにした上で必死に、おもむろに、だが完食した。

食べ終わったあとに友人が言った。「良くそんなまずい物が食べられるね」と。実はそれは、イタリアのトリッパと同じで人の好き嫌いが大きく分かれる食べ物であり、彼は大嫌いなほうなのだという。

それを早く言え、と思ったが後の祭りだった。それにしても、日本のもつ煮込みは言うまでもなくイタメシのトリッパにも内臓の臭味はない。パツァスの腐臭じみたにおいは驚きだった。

僕はそこで故郷の沖縄のヤギ汁のにおいを思った。好きな人にとっては強い「風味」であるヤギ汁の臭みは、ヤギ汁が嫌いな人や慣れない人には風味ではなく「異臭」として感じられる。

パツァスの独特のにおいもおそらくそれと同じものである。ある食べ物の「特異な風味」は、それが好きではない者にとっては、「ゲテモノ」とほぼ同義語なのである。

世界の観光地では地元の味をかたくなに守る店がその狷介ゆえに人気がある場合と、観光客向けに味を改良あるいは改悪して人気が出るケースがある。

クレタ島のハニアで僕が食したパツァスは、古いレシピを頑固に守っているという店のひと皿なので、島内の他の店のパツァスとは違っている可能性がある。

その店には地元民らしい客が多かったが、観光地のクレタには、旅行者の嗜好に合わせて、臭いを抑えたパツァスもきっと提供されているに違いない。

伝統料理パツァスの名誉のためにもそう付け加えておく。が、しかし、たとえにおいを制御したパツァスであっても、僕は今のところはもう一度それを食べようという気にはならない。

                                      つづく





ギリシャ・クレタ島の食日記~肉料理



800pic「ギロピタ」あるいは「ピタ・ギロス」
レストラン店内でも注文できるファーストフードのギリシャ版ケバブ「ピタ・ギロス」


独断と偏見であえて世界の食のランク付けをすれば、ギリシャ料理は僕の中では世界で5番目に美味い膳である。

僕にとって世界で一番美味いのは日本料理。以下イタメシ、中華、トルコ料理、と続いてギリシャ料理がそれらの後を追う。

ギリシャ料理の中でも、国の最南端にあるクレタ島の食べ物が、これまでのところはもっとも美味しいと僕は感じる。

島なのだからクレタ料理には魚介類が多そうである。ところがクレタの島料理は肉が主体である。魚介膳はギリシャ本土よりも少ないのではないか、とさえ思う。

クレタ島の魚料理は、焼いたり煮たり揚げたりするだけのシンプルなものがほとんどだ。だが島だけに素材は新鮮である。

新鮮であれば魚介料理は常に美味い。刺身が美味いのも基本的にはそういうことだ。つまりレシピの単純を補って余りあるのが、魚介の活きの良さなのである。

深みのないクレタ島の魚料理の中で秀逸なのがタコ料理。タコ料理はギリシャ全体で好まれてさまざまな調理法があるが、ワインで煮込んだクレタ島のものが特に美味しいと思う。

前述したようにクレタ島は肉料理がメインの土地柄だ。主な素材は、牛肉、豚肉、鶏肉、羊肉である。ヤギ肉もあるのだろうが今回は出会わなかった。

ギリシャでもっともポピュラーな肉料理はおそらく「ギロス」と「スヴラキ」だろう。ギロスは肉をぐるぐる回しながら焼く料理。スヴラキは肉の串焼きである。

スヴラギに用いられる肉はいろいろだが、ギロスの素材は豚肉がほとんど。調理法や食べ方はトルコ料理のドネルケバブと同じである。イスラム教国のトルコでは豚肉の代わりに羊肉を使う。

ギロスは皿盛りでも提供されるが、ピタという薄いパンで包んでファーストフードとしても売られる。いわゆるギロピタあるいはピタ・ギロス。僕はレストランで両方を食べた。どちらもトルコの羊肉ドネルケバブに劣らないすばらしい味がした。

鶏肉料理も美味しい。ほぼ連日通ったレストランのカレー味のチキンは絶品だった。ビーチと宿泊先のほぼ中間に位置するその店は全ての料理が出色だった。

出される料理のどれもが絶巧なので、僕は一度あえてイタリア料理のパスタを頼んだ。クレタ島のレストランはほぼどこでも、イタメシのパスタとピザをメニューに組み入れている。

出てくる料理のすべてが美味しいその店で、もしもパスタがイタリア並みにうまければすごいことだと思った。シェフの力量を見てみたくなった。

だが、提供されたカルボナーラは最悪だった。いや、風味は良いのだが、パスタが茹で過ぎというのもばかばかしいくらいにやわらかくて、フォークにからまらずにちぎれてしまうほどだった。

イタリア以外の国では、専門のイタリアレストランでもない限りアルデンテ(歯ごたえのある)なパスタは余り期待できない。そこの店もさすがにイタリア風のパスタにまでは手が回らないようだった。

同店では、地中海旅行で僕が追求しているヤギ料理および羊肉料理のうち、後者も堪能した。子羊肉を柔らかく煮込んだ一品と羊肉をチーズと共に素焼鉢の中で焼いたひと皿。どちらも絶妙な味がした。

羊肉を素焼鉢に詰めて鉢ごと窯に入れて焼く料理は、トルコのカッパドキアの名物「壷焼きケバブ」の流れをくむように見えた。

カッパドキアでは壷をナイフでカチ割る演出が面白かったが、それ以上に味が印象的だった。店の素焼鉢の羊肉はカッパドキアのひと皿に勝るとも劣らない味がした。

車で遠出をした島の西北端に近いキサモスのレストランでは、羊の成獣の肉を巧妙に焼き上げた一品にも出会った。強烈な臭みを「風味」以外のなにものでもない、というところまで消し去った手腕は素晴らしいと思った。

今年はスペインのカナリア諸島のうちのフエルテベントゥーラ島で、ヤギの成獣の絶品料理にも出会った。クレタ島で食べた羊の成獣の味は、カナリア諸島のそれを彷彿とさせる美味しさだった。ムスリム圏を含む地中海の羊&山羊料理の奥はひたすら深い。。。。

                               
                                    つづく

                                                    




安倍VS小池なら消去法でまだ小池のほうがましな訳



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小池新党と民進党が事実上合流することで起きている、日本政界の激震は歓迎するべきことだ。保守自民と保守希望の党のうちのどちらを選ぶか、と問われれば僕は「思い上がった」安倍政権にはここで一度退陣してもらって、小池政権で日本の再出発を試みてもいいのではないか、と答えるだろう

希望の党の突然の台頭は、アメリカのトランプ主義旋風やフランスの共和国前進の躍進、また(政権奪取には至っていないものの)ここイタリアの五つ星運動の急伸などに通底した、社会変革を求める市民の抗議活動の一環として捉えることもできる。日本国内の卑近な例で言えば、先の都議選における「都民ファースの会」の飛躍と同じものだ。

小池百合子希望の党代表は、短期間のうちに2つもの大きな政治変革運動を起こして、今度もまた勝利しようとしているように見える。いや、たとえ今回選挙で政権奪取までいかなくても、最後まで「失速することなく」選挙戦を戦いぬくことができれば、彼女の変革は成功したも同然だろう。

それは少なくとも、安倍政権が唱える空疎な変革よりはましなものである可能性が高い。なぜなら彼女は安倍政権の抱える問題点を客観的に勘案して、それを軌道修正した「保守政策」を推し進める、と見るのが妥当だからだ。同時にその政策は、理念も形も熱意も何も見えない民進党のそれに比較しても、まだしも救われるものになるだろう。

民進党の消滅によって、リベラル勢力のさらなる弱体化が進む、という見方もある。しかし、逆の効果を生む可能性も同じ程度にあるのではないか。民進党内の左派勢力は、保守派が希望の党に移ったことを幸いに結集し新党を作るなどして、共産党以外の小勢力との合流も視野に、リベラルの再構築を図るべきだ。民進党の壊滅が、リベラルの死ではなくむしろ「再生の始まり」となってほしい。

希望の党と民進党の合体にはさまざまな批判が浴びせられている。期待する声はほとんど聞こえないくらいだ。たとえば曰く、希望の党の小池代表は独裁者。民進党リベラル派を虐殺しようとしている。彼女の原発ゼロ公約は口からでまかせ。なぜなら彼女は核武装論者、云々。

また民進党前原代表は、希望の党と合流することによって党内のリベラル派を体よく切り捨てようとする詐欺師。前原代表は民進党を破壊し、小池党首に追従するだけの理念なき政治家。「言うだけ番長」が初めて行動したと思ったら、それは党への大いなる裏切り行為だった、云々。

さらに保守自民党と保守派の希望の党が対立するのは、対立ではなく将来の2党の連立から大政翼賛会にまでつながりかねない由々しき事態。改憲勢力が国会の3分の2どころか8割を占めて、日本はますます「戦争のできる国」へと暗転・進行していく、など、など。

改憲がすぐに「戦争」へと結びつく思考は、「思考していない」と同義語の無意味な主張である。僕は「戦争を避けるための改憲」に賛成する。日本は70年以上にわたって平和をエンジョイしてきた。そこに平和憲法があったからではない。アメリカの保護があったからだ。保護の代償に日本は、イタリア語でいう「アメリカのケツ舐め(lecca culo)」外交を強いられてきた。

それは今後も続くことが確実だ。自民党政権であろうが希望の党政権であろうが同じだ。だが、希望の党政権になれば、「アメリカのケツを舐める」だけの屈辱的な生き方から、自主独立国へ向けての「舵取りが始まる」かもしれない。たとえそうはならなくとも、自民党と一線を画す政策を推し進める、と主張するのだから少なくとも自民党政権より後退することはないだろう。

変革はあらたな変革を呼ぶ可能性が高い。アメリカとの友好同盟関係は維持しながら、日本は中韓をはじめとする近隣諸国との平和共存に向けて「対話」による外交を強烈に推し進めるべきだ。対話による外交は、北朝鮮との場合にも当てはまる。武力による解決は日本を含む近隣国の多大な人命喪失を意味するのだから、断じてあってはならないことだ。

安倍首相は、先の国連演説で「北朝鮮との対話はもはやあり得ない。圧力あるのみだ」と、例によって「引き籠もりの暴力愛好家」丸出しの無茶な演説をした。北朝鮮の出方次第では同国を破壊するしかない、などとするトランプ大統領の大言に合わせたつもりなのかもしれないが、実はその傍若無人な米大統領ですら、決して「北朝鮮との対話を拒否する」とは言わない重大点を、安倍首相は見逃しているとしか考えられない。

安倍首相の発言は、アメリカと北朝鮮の交戦を心のどこかで期待しているようにさえ聞こえる。米朝が砲火を交えれば、日本にも必ず巨大な危険が及ぶ、という極めて現実的な事態が想像できないのだろうか。危険は及ぶが米軍と自衛隊が協力して防衛に当たれば危険はゼロになる、とでもいうのだろうか?もしそうだとすれば、あまりにも荒唐無稽でもはや議論をする価値さえない。

小池百合子希望の党党首も前原誠司民進党代表も、どちらかといえば安倍晋三首相の政治姿勢(あえて思想とは言わない)に親和的な立場である。だが2人は自民党を抜け出して、自民党とは相容れない政治勢力や政治家とも和し、あるいはぶつかり合いながら政界を泳いできた。おのずから安倍氏とは違う体質を持っている。

民進党を飲みこんで勢力を拡大した希望の党が、何らかの形で政権を奪取すれば対米政策も変わる余地ができると考えたい。つまり新政権がアメリカとの同盟関係を維持しつつ、「両国の対等な立場」を強力に主張・推進することを期待したいのだ。その可能性は、小沢一郎氏が希望の党に参画することなどでかなり高まるのではないか、と個人的には考える。





あるいは政治家メルケルの強さの秘密みたいなもの、について




切り取り無題
右顧左眄するメルケルさんの目動き?


ドイツのアンゲラ・メルケル首相は、見方によっては変わり身の速い右顧左眄
(うこさべん)型の策士である。

分かりやすい例を挙げると、彼女は2015年、100万人近い難民・移民を一気に、無条件に受け入れて世界を感動させた

ところがそのことに批判が集まると、首相はすぐさま方針転換に走った。

トルコを説得してEUに流入した難民・移民の送還受け入れを承諾させ、難民認定のハードルも引き上げた。

またシリアとイラク以外の国からの難民申請は認めないとし、シリア・イラク難民の滞在許可も3年ごとに見直す、とするなどの強硬措置を取った。

同時に国境閉鎖を行う欧州の国々を支持し、ドイツ自身の国境も一時閉鎖した上で、犯罪を犯した難民申請者の強制送還を容易にするなどした。

そうした不寛容な政策で彼女は批判されたが、実はそれはプラグラマティズム(実学主義)とも称される政治手法に過ぎない。独首相は現実主義者なのである。

メルケル首相は、米トランプ大統領の政策に正面切って異を唱えるなど、民主主義と自由と欧州の価値観を死守する「理想主義」と共に、現実主義も採用する。

3期12年にわたってドイツ首相を務めたメルケル氏は同時に、EU(欧州連合)最強のリーダーでもあり続けてきた。

メルケル首相は理想と没理想を巧みに組み合わせて「安定」を演出し、国民の信頼とEU、ひいては国際世論の強い支持も受け続けたのだ。

24日に実施されたドイツ連邦議会選挙で、メルケル首相率いる中道右派のキリスト教民主・社会同盟は、第一党にはなったものの戦後(1949年以来)最低の得票率に留まった。

彼女が戦った選挙の中でももちろん最悪の結果になったのだが、メルケル氏は勝利宣言とも敗北宣言とも取れるあいまいな結果報告の演説の中で、目覚しい言葉を放った。

僕の見立てではその発言は、いわば政治家アンゲラ・メルケルのツボあるいはヘソとも目されるべき重要なものである。

メルケル首相は、自らが率いるCDU・CSU同盟支持者のうちの約100万票が、極右の「ドイツのための選択肢(AfD)」に流れたことを認めた上で、次のように発言した。

「私は今後、“ドイツのための選択肢”に投票した人たちが抱える問題を解決し、彼らの不安を取り除き、より良い政策を実行して必ず彼らの信頼を取り戻します」と。

彼女は極右政党支持に回った人々を非難したり、否定したり、嘆いたリするのではなく、彼らの不満に耳を傾け、彼らに寄り添って、再び彼らの信頼と支持を獲得する、と明言したのである。

僕はそうしたメルケル氏の謙虚な態度と、(元)支持者への思いやりと、決意に満ちた意表を突くレトリックの中に、彼女の政治家としての類まれな資質を見る思いがする。

理想と現実を巧みに操る能力と、支持者の心をつかむ絶妙な言い回しに長けたところが、政治家アンゲラ・メルケルの正体ではないかとさえ考える。

それはたとえば安倍首相が都議会選挙の応援演説の際、反対派の聴衆を指して「こんな人たちには負けられない」と侮辱して、醜態をさらけ出したのとは対極にある大人の対応だ。

同じように米トランプ大統領が、批判者を名指しで罵る野蛮傲慢な言動ともほど遠い、知性と教養にあふれた熟練の振る舞いだ。

今回の総選挙で「敗北気味の勝利」を得ただけのメルケル首相は、求心力の低下を懸念され、「メルケル政権の終わりの始まり」ではないか、と疑問視する意見さえある。

だが僕は、希望的観測も含めてだが、メルケル首相の「変わり身の速さ」と政局を巧みに操る豪腕に期待して、ダメもとで彼女の再三再四の飛翔を予言してみたくなった。




メルケルの勝利?それとも極右の栄光?



切り取り無題
メルケル首相の目の不安?断固たる意志?


9月24日に投開票が行われたドイツ連邦議会選挙では、全709議席のうち、メルケル首相率いる中道右派のキリスト教民主・社会同盟が246議席を獲得して第1党の座を確保した。

最近ほぼ100万人にも上る難民移民を受け入れたメルケル首相は、激しい非難を浴びて一時期支持率が大幅に低下。4選は不可能ではないか、というところまで追い込まれた。その後支持率は回復し、総選挙での勝利が確実視されていた。

しかし、今回は選挙前の309議席から246議席へと大幅に後退しての勝利であり、連立政権の樹立が難航しそうなほどに彼女の求心力は低下した。代わって大きな勝ちを収めたのは極右政党の「ドイツのための選択肢(AfD)」である。

「ドイツのための選択肢(AfD)」はメルケル首相が進めてきた難民・移民政策への反発を糧に成長してきた。強硬な反移民政策を掲げ、特に反イスラム色が強い。モスクの尖塔・ミナレットを破壊するとまで公言し、イスラム教はドイツ文化の敵と主張する。

要するに米国のトランプ主義やフランスの極右国民戦線、オランダの自由党、またここイタリアの北部同盟などと同じ、排外主義を旗印に不寛容と差別とヘイトに凝り固まった、あるいは凝り固まる可能性を秘めた危険な集団である。

それらの極右勢力は、アメリカのトランプ大統領誕生をきっかけに大きく台頭し、第2次大戦前のナチスドイツやイタリアファシズム、また日本軍国主義などに匹敵する悪となって世界を席巻するのではないか、とさえ懸念された。

しかし、昨年末のオーストリア大統領選で、極右候補が敗れたのに続いて今年3月、オランダ総選挙でも極右の自由党が敗退した。また4月-5月に行われたフランス大統領選でも極右のルペン候補が退けられ、極右ポピュリズムの大波は実はトランプ大統領誕生をピークに萎縮し始めたのだと僕は考えた

極右の減退傾向は、反トランプ主義の旗手とも呼べるメルケル首相が、ドイツの総選挙で勝利することによって決定的になり、極端な場合は第2次大戦前の世相が復活するかもしれないという危険は、世界から徐々に消え去るものと見えた。そしてドイツのメルケル首相は予定通り4選を果たした。

ところが今回のメルケル氏の勝利は、辛勝と形容しても良いほろ苦い勝ちに過ぎず、選挙の真の勝者は日陰者であるはずの極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」だったのである。同党は 議席獲得に必要な最低得票率の5%を軽く突破したばかりではなく、94議席も獲得して一気に第3党に躍り出た。

ドイツ総選挙の驚きの結果は、トランプ米大統領誕生ほどのインパクトはもたらさなかったものの、下火になるかと見えた排外差別不寛容主義勢力が無視できない力を維持し、それは今後の風向きによっては大きく燃え上がる可能性を秘めている、という厳然たる事実を示している。

そうした動きは、あたかも北朝鮮と米国の交戦を期待してでもいるような安倍首相の「北へは圧力あるのみ」発言や、「北朝鮮を完全破壊する」と叫ぶトランプ節などとも連動している。ここイタリアにおいては「北部同盟」が同じ主張をしているが、抗議政党の五つ星運動もポピュリズムを武器に政治を弄んでいる、という意味では同じ穴のムジナである。

世界政治は今後も波乱万丈のドタバタ劇を演じながら、一歩間違えば前述した「第2次大戦前のナチスやファシズムや軍国主義などの悪」がはびこる地獄の再来、という未来図があながち荒唐無稽とばかりは言えない闇をはらみつつ進んでいるようにも見える。





島々の死者たち



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ひとつひとつの墓石は普通のそれの4~5倍の大きさがある


9月初めから半ばにかけて、ギリシャのクレタ島に滞在した。

借りたアパートからビーチに向かう途中に墓地があった。そこには大理石を用いた巨大な石棺型墓石が並んでいた。

墓石はどれもイタリアなどで見られる墓標の4~5倍の大きさがある。僕はそれを見たときすぐに日本の南の島々の異様に大きな墓を想った。

先年、母を亡くした折に僕は新聞に次のような内容の文章を寄稿した。

生者と死者と


死者は生者の邪魔をしてはならない。僕は故郷の島に帰ってそこかしこに存在する巨大な墓を見るたびに良くそう思う。これは決して死者を冒涜したりばち当たりな慢心から言うのではない。生者の生きるスペースもないような狭い島の土地に大きな墓地があってはならない。  

島々の墓地の在り方は昔ならいざ知らず、現代の状況では言語道断である。巨大墓の奇怪さは時代錯誤である。時代は変わっていく。時代が変わるとは生者が変わっていくことである。生者が変われば死者の在り方も変わるのが摂理である。

僕は死んだら広いスペースなどいらない。生きている僕の息子や孫や甥っ子や姪っ子たちが使えばいい。日当りの良い場所もいらない。片隅に小さく住まわしてもらえれば十分。われわれの親たちもきっとそう思っている。

僕は最近母を亡くした。灰となった母の亡き骸の残滓は墓地に眠っている。しかしそれは母ではない。母はかけがえのない祖霊となって僕の中にいるのである。霊魂が暗い墓の中にいると考えるのは死者への差別だ。母の御霊は墓にはいない。仏壇にもいない。

母の御霊は墓を飛び出し、現益施設に過ぎない仏壇も忌避し、母自身が生まれ育ちそして死んだ島さえも超越して、遍在する。

肉体を持たない母は完全に自由だ。自在な母は僕と共に、たとえば日本とイタリアの間に横たわる巨大空間さえも軽々と行き来しては笑っている。僕はそのことを実感することができる。

われわれが生きている限り御霊も生きている。そして自由に生きている御霊は間違っても生者の邪魔をしようとは考えていない。僕と共に生きている母もきっと生者に道を譲る。

母の教えを受けて、母と同じ気持ちを持つ僕も母と同じことをするであろう。僕は死者となったら生者に生きるスペースを譲る。人の見栄と欺瞞に過ぎない巨大墓などいらない。僕は生者の心の中だけで生きたいのである。


島々の墓が巨大なのは、家族のみならず一族が共同で運営するからである。生者は供養を口実に大きな墓の敷地に集まって遊宴し、親睦を深める。

そこは死者と生者の距離が近い「この世とあの世が混在する共同体」である。生者たちは死者をダシにして交歓し親しみあうのだ。古き良き島々の伝統である。

ところが、従前の使命が希薄になった現代の墓を作る際も、人々は虚栄に満ちた大きな墓を演出したがる。僕はそこに強い違和感を覚えるのである。

ギリシャ南端のクレタ島には、ギリシャの島々の街並みによくみられる白色のイメージが少ない。山の多い島の景色は乾いて赤茶けていて、むしろアフリカ的である。

その中にあって、大理石を用いた石棺型墓石が並ぶ霊園は明るく、強い陽ざしをあびて全体がほぼ白一色に統一されている。

大きな墓石のひとつひとつは、島の遅い夏の、しかし肌を突き刺すような陽光を反射してさらに純白にかがやいている。

死の暗黒を必死に拒絶しているような異様な白さ、とでも形容したいところだが、実はそこにはそんな重い空気は一切漂っていない。

墓地はあっけらかんとして清廉、ひたすら軽く、埋葬地を抱いて広がる集落の向こうの、エーゲ海のように心はずむ光景にさえ見えた。

ギリシャと日本の南の島々の巨大墓には、死者への過剰な思い入れと生者の虚栄心が込められている。そして死者への思い入れも生者の精神作用に他ならないことを考えれば、巨大墓はつまるところ「生者のための」施設なのである。

あらゆる葬送の儀式は死者のためにあるのではない。それは残された遺族をはじめとする生者のためにあるのだ。死者は自らの墓がいかなるものかを知らないし、知るよすがもない。

墓も、葬儀も、また供養の行事も、死者をしのぶ口実で生者(遺族)が集い、お互いの絆を確かめ、親睦を図るための施設であり儀式である。

死者たちはそうやって生者のわれわれに生きる道筋を示唆する。死者は生者の中で生きている。巨大墓地などを作って死者をたぶらかし、暗闇の中に閉じ込めてはならない。

死者は生者と共に自由に生きるべきだ。それどころか生者の限界を超えてさらに自由な存在となって空を飛び、世界を巡り、「死者の生」を生きるべきなのである。



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