EUはやはり極右の巣窟になるのか



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EU(欧州連合)の議会選挙が5月23日から26日に行われる。加盟28カ国の有権者の合計がインドに次いで世界で2番目に多い巨大選挙。EU離脱を延期した英国の有権者も投票することになった。

選挙で注目されるのは、EUのほぼ全域で勢いを増している極右政党がどこまで議席を伸ばすかである。特にドイツのAfD(ドイツのための選択肢)、フランスの国民連合などのEU懐疑派の政党が大きく議席を伸ばせば、EUの立法・経済政策その他に大きな絵影響が出ることになる。

世論調査によれば、極右ナショナリスト勢力が議席を伸ばす可能性が高い。が、EUを根底から揺るがすほどの力には「まだ」ならない、と見られている。

しかしながら、イタリアで極右政党の同盟が左派ポピュリストの五つ星運動と連立政権を樹立し、その後五つ星運動を差し置いて支持率を伸ばしているように、主として移民問題を争点にしての極右政党の勢力拡大は続いている。

そうはいうものの同盟は-今回選挙でさらに勢力を拡大することが確実視されながらも-例えば前述のフランス極右やドイツ極右ほどの影響力は持たないと考えられる。なぜなら同党は、大国とはいえ、世界および欧州政治の勢力図上は日本と同じで「小国」に過ぎないイタリアの政党だからだ。

欧州では2014年の選挙でもイギリスやフランスなどを中心にEU懐疑派の極右政党が躍進した。今回はそれを上回る議席獲得が予想されている。

極右政党の台頭はいやでもファシズムやナチズムを髣髴とさせる。欧州のほとんどの極右勢力と米トランプ政権は連動し、ひいてはそれは日本の安倍政権とも通底している。

今回選挙ではもう一つ注目すべき点がる。3月にEUを離脱するはずだった英国が、国内の分裂で混乱し再び欧州議会選挙に参加することである。

英国にとってはこの選挙が、EU離脱の是非を問う2度目の国民投票と同じ意味を持つ、という見方もある。

その英国の混乱の原因もまた、EU離脱を叫ぶ極右ナショナリストとEU残留を主張するグローバル穏健派の対立にほかならない。


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安倍ノ道鏡?それとも道化?

天皇夫妻&安倍鮮明切り取り
前記事「奇妙なカップル」を読んだ読者から安倍晋三さんを弓削道鏡(ゆげのどうきょう)にたとえるのはけしからん、という趣旨のメッセージをいただいた。

安倍ファンのその方は、道鏡が平将門、足利尊氏と共に日本3大悪人の1人に数えられていることから、安倍さんを彼になぞらえるのが面白くないらしい。

歴史上の3人の人物が悪人とされるのは、戦前の日本の軍国主義体制の核心を成した皇国史観、つまり歴史が天皇を中心に形成された、という非科学的な考えによって断罪されたものである。

3人は天皇に背いた或いは天皇の座をおびやかした者として、極右国粋主義の権力中枢によって 指弾 され、当時の無知且つ大勢迎合主義の民衆が支持した結果確立したように見える虚偽である。

先日退位した平成の天皇に安倍さんが盾ついた事実と、即位した新天皇を取り込もうと画策しているとされる噂は、安倍首相を反天皇主義者と決め付ける十分な証拠となりうるかもしれない。

ところが安倍さんは、極右の政治家という海外メディアの規定を持ち出すまでもなく、保守強硬論に基づく政治行動が身上の男だ。つまり体質的に皇国史観を信奉していてもおかしくない種類の政治家である。

そう考えてみると、安倍さんは天皇を崇拝しつつ天皇に背くことも辞さない政治家、という見方も当たりそうである。矛盾しているがそれもまた安倍さんの体質であり政治手法なのだから当然の成り行きではある。

閑話休題

ここから先は、多くの人が架空無稽な話、と一蹴することも承知であえて書き記しておくことにした。

実は僕は、安倍さんが道鏡のように天皇になりたい意思を秘めた男だとは考えない。だがたとえば安倍一強体制とか安倍独裁などと呼ばれる今のような政治状況が、さらに長く続くと考えてみると様相が違う可能性も出てくる。

その暁には安倍首相の周囲がもっとさらにイエスマンで固められて、彼の驕りは膨張し、祭り上げられ、唯我独尊の思いが極限にまで達するだろう。そこに国内の政治変動や世界規模の恐慌などが起きたと仮定する。

動乱に乗じて、あるいは自然の流れで安倍さんが文字通りの独裁者となり、天皇制を廃して自らが天皇となる体制、あるいはそれに準ずる政治体制を敷いて我が世の春を謳歌する、という事態が絶対に起こらないとは誰にも断言できない。

バカバカしいと考える者は天皇の成り立ちを思い出せばいい。天皇は神話的存在でもあるがその成り立ちは決して神話ではない。国の前身とも呼べる種族群雄が割拠して万族が万族を殺そうと競い合っていた有史以前の混沌の中で、周囲を平定したボスを祖先に持つのが天皇であり天皇家である。

天皇が天皇家の長として権力を受け継ぐ体制がそこから生まれた。以後、権力闘争や下克上や混乱の中での入れ替わりや成りすましや様々の流転変遷を経て、天皇は神となり絶対の存在となっていった。

真の革命が起きなかった日本では天皇の神聖は常に保たれ、それに挑む者が逆賊と見なされる社会体制が形成された。それはずっと後の皇国史観によって強調されて、天皇の地位を脅かす者の存在を考えることさえできない状況に至った。

やがて第2次世界大戦という巨大な世直しがやってきて天皇は普通の人になった。普通の人になった天皇だが、平成の明仁天皇という「人間力」の優れた陛下の努力も相まって、天皇は神あるいはそれに準ずる存在としてではなく、飽くまでも普通の「人間として」深く敬愛される存在になった。

一方で天皇を神として崇める土着日本人の古代的精神も根底でしっかりと生き延びた。昭和天皇が人間宣言をしても、天皇を神と崇める原始土着の蒙昧な人心は変わらなかったのである。そうやって自らと同じ人間である天皇を、神に近い存在、ととらえる未開稚拙な心根は温存された。

代変わりの今日、国民大半の偶像崇拝心と人間力あふれた平成の天皇への深い敬慕の情が相まって、新天皇と天皇家への忠誠心はかつてないほどに高まっている。そんな中では天皇への挑戦など考えられない。だから安倍さんが天皇に反旗を翻すなどというのは荒唐無稽な妄想、と結論づけられても少しも不思議ではない。むしろ当然の成り行きである。

安倍さんに関してはもちろんその通りだろうと僕も思う。だが天皇という存在があって、天皇制という仕組みが日本の国体を規定しているのだから、歴史に鑑みてその実体と正体とひいては真理とをひもとき、且つそれらによって形成された神話にも目を向ける必要がある。

既述したように天皇は神話だが、その神話は実体のある武力闘争と政治闘争を経て形成されたものだ。そして権力者として望月が欠ける状況も知らない程に我が世の春を満喫しまくるらしい安倍さんは、政治闘争の真っただ中にあって、状況が許せば武力闘争も辞さない本質を持った政治家であり指導者であることを忘れてはならない。

つまり安倍さんは、天変地異とも呼ぶべき動乱や事件が起きて日本と世界の現体制がひっくり返る場合、天皇にさえ挑もうとする多くの野心家の先頭を切って突っ走る類の「政治的存在」であろうことは、疑う余地がない。天皇の地位に挑もうとする日本人が実際に生まれる可能性は、おそらく女王の地位に挑もうとする英国人の存在の可能性よりも、1億倍程度は低いと思うけれど。



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平気で生きる

菊


僕は以前、次のようなコラムを新聞に書いた。それと前後してブログほかの媒体にも寄稿しそこかしこで同じ趣旨の話も多くした。

悟りとは「いつでもどんな状況でも平気で死ぬ」こと、という説がある。

死を恐れない悟りとは、暴力を孕んだいわば筋肉の悟りであり、勇者の悟りである。

一方「いつでもどんな状況でも平気で生きる」という悟りもある。

不幸や病気や悲しみのどん底にあっても、平然と生き続ける。

そんな悟りを開いた市井の一人が僕の母である。

子沢山だった母は、家族に愛情を注ぎつくして歳月を過ごし、88歳で病に倒れた。

それから4年間の厳しい闘病生活の間、母はひと言の愚痴もこぼさずに静かに生きて、最後は何も分からなくなって眠るように息を引き取った。

療養中も死ぬ時も、母は彼女が生き抜いた年月のように平穏そのものだった。
 
僕は母の温和な生き方に、本人もそれとは自覚しない強い気高い悟りを見たのである。

同時に僕はここイタリアの母、つまり妻の母親にも悟りを開いた人の平穏を見ている。

義母は数年前、子宮ガンを患い全摘出をした。その後、苛烈な化学療法を続けたが、副作用や恐怖や痛みなどの陰惨をおくびにも出さずに毎日を淡々と生きた。

治療が終わった後も義母は無事に日々を過ごして、今年で87歳。ほぼ母が病気で倒れた年齢に達した。

日本の最果ての小さな島で生まれ育った僕の母には、学歴も学問も知識もなかった。あったのは生きる知恵と家族への深い愛情だけである。

片やイタリアの母は、この国の上流階級に生まれてフィレンツェの聖心女学院に学び、常に時代の最先端を歩む女性の一人として人生を送ってきた。学問も知識も後ろ盾もある。

天と地ほども違う境涯を生きてきた二人は、母が知恵と愛によって、また義母は学識と理性によって「悟り」の境地に達したと僕は考えている。

僕の将来の人生の目標は、いつか二人の母親にならうことである。


僕はこの話を修正しなければならなくなった。義母がその後こわれてしまったからだ。いや、こわれたのではなく、死の直前になって彼女の本性があらわれた、ということのようだった。

義母は昨年90歳で亡くなったのだが、死ぬまでの2年間は愚痴と怒りと不満にまみれた「やっかいな老人」になって、ひとり娘である僕の妻をさんざんてこずらせた。

義母はこわれる以前、日本の「老人の日」に際して「今どきの老人はもう誰も死なない。いつまでも死なない老人を敬う必要はない」と言い放ったツワモノだった。

老人の義母は老人が嫌いだった。老人は愚痴が多く自立心が希薄で面倒くさい、というのが彼女の老人観だった。その義母自身は当時、愚痴が少なく自立心旺盛で面倒くさくない老人だった。

こわれた義母は、朝の起床から就寝まで不機嫌でなにもかもが気に入らなかった。子供時代から甘やかされて育った地が出た、というふうにも見える荒れ狂う姿は少々怖いくらいだった。

義母の急変は周囲をおどろかせたが、彼女の理性と老いてなお潔い生き方を敬愛していた僕は、内心かなり落胆したことを告白しなければならない。

義母はほぼ付きっ切りで世話をする妻を思いが足りないとなじり、気がきかないと面罵し、挙句には自ら望んだ死後の火葬を「異教徒の風習だからいやだ。私が死んだら埋葬にしろ」と咆哮したりした。

怒鳴り、わめき、苛立つ義母の姿は、最後まで平穏を保って逝った母への敬慕を、僕の中につのらせるようでさえあった。

義母を掻き乱しているのは、病気や痛みや不自由ではなく「死への恐怖」のように僕には見えた。するとそれは、あるいは命が終わろうとする老人の、「普通の」あり方だったのかもしれない。

そう考えてみると、「いつでもどんな状況でも平気で生きる」という母の生き方が、いかにむつかしく尊い生き様であるかが僕にはあらめてわかったように思えた。

いうまでもなく母の生き方を理解することとそれを実践することとは違う。僕はこれまでの人生を母のように穏やかに生きてはこなかった。

戦い、もがき、心を波立たせて、平穏とは遠い毎日を過ごしてきた。そのことを悔いはしないが、「いかに死ぬか」という命題を他人事とばかりは感じなくなった現在、晩年の母のようでありたい、とひそかに思うことはある。

死は静謐である。一方、生きるとは心が揺れ体が動くことだ。すなわち生きるとは文字通り心身が動揺することである。したがって義母の最晩年の狼狽と震撼と分裂は、彼女が生きている証しだった、と考えることもできる。

そうした状況での悟りとはおそらく、心身の動揺が生きている者を巻き込んでポジティブな方向へと進むこと、つまり老境にある者が家族と共にそれを受け入れ喜びさえすること、なのではないか。

それは言うのはたやすく、行うのは難しい話の典型のようなコンセプトだ。だが同時に、老境を喜ぶことはさておき、それを受け入れる態度は高齢者にとっては必須といってもよいほど重要なことだ。

なぜなら老境を受け入れない限り、人は必ず不平不満を言う。それが老人の愚痴である。愚痴はさらなる愚痴を誘発し不満を募らせ怒りを呼んで、生きていること自体が地獄のような日々を招く。

「いつでもどんな状況でも平気で生きる」とは、言い方を変えれば、老いにからむあらゆる不快や不自由や不都合を受け入れて、老いを納得しつつ生きることだ。それがつまり真の悟りなのだろう。

苦しいのは、それが「悟り」という高い境地であるために実践することが難しい、ということなのではないか。決して若くはないものの、未だ老境を実感するには至らない僕は、時々そうやって想像してみるだけである。

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奇妙なカップル



切り取りハートbest



天皇代替わりに合わせるように、安倍首相とトランプ大統領が4月、5月、6月と3回連続で首脳会談を行うという不思議な話は、日本のメディアの関心をあまり買っていないようだ。

トランプ大統領は5月に国賓として来日し新天皇と会見する。新天皇が即位後初めて会見する外国首脳がトランプ大統領、という仕組みだ。一連の行事の主要目的はそこにあるように見える。

日本の主要メディアは政府発表のスケジュールを短く伝えただけだ。立て続けに3度も首脳会談を行うべき緊急課題があるとも思えないのに、あえて強行する異様な状況には口をつぐんでいる。

異様さに気づかないわけではなく、例によって安倍一強政権への恐れや忖度があるのだろうか。たとえそうではなくても、今回の場合は皇室への遠慮もからんでいるのかもしれない。

忖度や遠慮がジャーナリズムさえ凌駕するのが日本の神秘だ。いつになったら権力への監視や批判がジャーナリズムの生命線であることを理解するのだろうか。

トランプ大統領はその後、6月28、29日にも来日して大阪でのG20会議に出席し安倍首相とまた会談する予定。4月の安倍首相の米国訪問に始まった不可解な3連続会談がそこで終了するのである。

5月の訪日ではトランプ大統領は、新天皇と会う以外には大相撲観戦をしたり、安倍首相と例によってノーテンキなゴルフ遊びに興じるだけだ。結局、世界の首脳に先がけて、同大統領を新天皇に会わせることが主題だからだろう。

退位して上皇になったばかりの前天皇はひそかに、だが気をつけて吟味すれば時にはあからさまな言辞で、安倍首相に敵対していた。憲法護持、国民重視、沖縄擁護、日本の戦争責任追及などなど、安倍首相がいやがる内容ばかりだ。

そこで安倍首相は、目の上のたんこぶ的存在だった前天皇が退位した機をとらえて、新天皇を取り込む画策を立てた。その作戦の一環としてトランプ大統領にも協力を頼んでいる、という見方は荒唐無稽に過ぎるだろうか。

そんな策略に乗るトランプさんは-いまさらおどろくようなことではないが-人としての器のレベルが相棒の安倍さんとどっこいどっこいの寂しい資質であることを露呈しているようで、見ていて空しい限りである。

それにしても、安倍さんが目立たない動きや術策で、やりたい放題をやっているように見える現行の日本の政治状況は驚くばかりだ。それが高じて天皇までも思い通りに動かそうとしているらしい姿は、まるで8世紀に登場して世間を騒がせた道鏡のようだ。

道鏡は天皇になる野心まで抱いていた。さすがに安倍さんにはそこまでの山気 はないだろうが、憲法改正に向けて新天皇を何とか懐柔したい意志があっても不思議ではない。

政治家としてまた国のトップとして、安倍さんがそういう風に動くのは、事態への賛否は別にして、理解できることだ。彼は憲法改正という自らの政治目的を達成するためにそう策しているのだから。

安倍さんのスタンスに穏便な形ながら断固として異議を唱え続けた前天皇が、平和憲法護持の立場であったのは隠しようもない事実である。安倍首相は新天皇が上皇の意思を受け継いでいるかもしれないことが不安なのだろう。

新天皇の「おことば」などに微妙にあらわれる変化から、安倍政権が天皇即位の前の皇太子さんに近づき、揺さぶりをかけてきたであろうことが推測できる。安倍首相は本気で天皇の籠絡を試みているようだ。

彼は政治目的の達成のためには手段を選ばない構えだ。日本の真の独立を阻むアメリカのトランプ大統領に借りを作ってでも、天皇の抱き込みを試みようとしているように見える。

それは大胆であると同時に危険な動きだ。なぜなら世話になったトランプさんにますます逆らえなくなって、今後も長きにわたって彼の阿諛外交が続き、日本のアメリカ従属がさらに深まりかねないからだ。

安倍首相の大胆さは無知と無恥から来るものである。それはトランプ氏が大統領当選を決めたとき、就任前にもかかわらずに彼のもとに駆けつけて諂笑して以来、一貫して続いている安倍さんの最大の特徴だ。

世界の大半がトランプ勝利に眉をひそめている最中に、「何らの批判精神もなく」彼に取り入った安倍さんの行為は世界を驚かせた。繰り返しになるがそこには安倍さんならではの無恥と無知が如実に現れていた。

しかし、矛盾するようだが、ここでは安倍首相に対してフェアなことも言っておきたい。

トランプさんが大統領選に勝利した2016年、安倍首相が世界の首脳に先駆けてトランプタワーに乗り込んで、彼を祝福し友好親善を推し進めたのは日本のトップとしては十分に理解できる行為だ。

なぜならトランプさんがたとえ「何者であれ」彼は米国大統領に当選したのだから、安倍さんは「日本の国益のために」未来のアメリカ大統領に挨拶をしておこうとして動いた側面もあるからだ。

安倍さんの行動のすべてが悪いのではない。だが安倍さんはトランプさんとのお友達関係を一方的に、かつ懸命に強調しつづけるものの、実は彼のポチでしかない卑屈な立ち回りに終始している。

自尊心のかけらもないような追従外交方ばかりを続けている。それでいて、一向にその事実に気づいていないように見える。そこが大きな問題なのである。

トランプ大統領は、異様な指導者だ。彼の施策はこれまでのところネガティブなものが多い。だがフェイクニュースを流して彼の主張こそ真実だと言い張る行動によって、それまで完璧に見えた大手メディアにもまたフェイクな顔がある、という事実を暴き出した功績は大きい。

同時にトランプ氏は、「差別や憎しみや偏見などを隠さずに、しかも汚い言葉を使って公言しても構わない」という考えを人々の頭に植え付けてしまった。つい最近までタブーだった「罵詈や雑言も許される」といった間違ったメッセージを全世界に送ってしまったのだ。

それはつまり、人類が多くの犠牲と長い時間を費やして獲得した「寛容で自由で且つ差別や偏見のない社会の構築こそ重要だ」というコンセプトを粉々に砕いてしまったことを意味する。その罪は重い。異様な指導者であるトランプ大統領の奇異に気づかない安倍首相もまた異様だ。

2人の異様は、これまでのところ、安倍首相がトランプ大統領をノーベル平和賞候補に推薦した、という噴飯茶番によって極限に至った。だがノーベル賞の茶番は、オバマ前大統領への平和賞やボブ・ディランへの文学賞授与などでも示されたから、おどろくほどのことではないのかもしれない。

安倍政権に遠慮する大手メディアと、ネトウヨ排外差別主義者らが声高にネットを席巻する日本国内にいるとあるいはよく見えないかもしれないが、欧州を含む世界の良心は、安倍&トランプという奇妙なカップルの、友情なのか政治パフォーマンスなのか判別できない「奇怪なダンス」を窃笑しつつ“遠巻き”に監視している。



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連休という果報、飛び石連休という貧困



サントリーニ見下ろし海パラソル客船800を600に



2019年、日本のゴールデンウイークが10連休になるというニュースは、イタリアにいても日本の衛星放送やネットを介していやというほど見、聞き、知っていた。

それに関連していわゆる識者や文化人なる人々が意見を開陳していたが、その中にまるで正義漢のカタマリのような少し首を傾げたくなる主張があった。

10連休は余裕のあるリッチな人々の特権で休みの取れない不運な貧しい人々も多い。だから、10連休を手放しで喜ぶな。貧者のことを思え、と喧嘩腰で言い立てるのである。

10連休中に休めない人は、ホテルやレストランやテーマパークなど、など、の歓楽・サービス業を中心にもちろん多いだろう。

だが、まず休める人から休む、という原則を基に休暇を設定し増やしていかないと「休む文化」あるいは「ゆとり優先のメンタリティー」は国全体に浸透していかない。10連休は飽くまでも善だったと僕は思う。

休める人が休めば、その分休む人たちの消費が増えて観光業などの売り上げが伸びる。その伸びた売り上げから生まれる利益を従業員にも回せば波及効果も伴って経済がうまく回る。

利益を従業員に回す、とは文字通り給与として彼らに割増し金を支払うことであり、あるいは休暇という形で連休中に休めなかった分の休息をどこかで与えることだ。

他人が休むときに休めない人は別の機会に休む、あるいは割り増しの賃金が出るなどの規則を法律として制定するすることが、真の豊かさのバロメーターなのである。

そうしたことは強欲な営業者などがいてうまく作用しないことが多い。そこで国が法整備をして労働者にも利益がもたらされる仕組みや原理原則を強制するのである。

たとえばここイタリアを含む欧州では従業員の権利を守るために、日曜日に店を開けたなら翌日の月曜日を閉める。旗日に営業をする場合には割り増しの賃金を支払う、など労働者を守る法律が次々に整備されてきた。

そうした歴史を経て、欧州のバカンス文化や「ゆとり優先」のメンタリティ-は発達した。それもこれも先ず休める者から休む、という大本の原則があったからである。

休めない人々の窮状を忘れてはならないが、休める人々や休める仕組みを非難する前に、窮状をもたらしている社会の欠陥にこそ目を向けるべきなのである。

休むことは徹頭徹尾「良いこと」だ。人間は働くために生きているのではない。生きるために働くのである。

そして生きている限りは、人間らしい生き方をするべきであり、人間らしい生き方をするためには休暇は大いに必要なものである。

人生はできれば休みが多い方が心豊かに生きられる。特に長めの休暇は大切だ。夏休みがほとんど無いか、あっても数日程度の多くの働く日本人を見るたびに、僕はそういう思いを強くする。

バカンス大国ここイタリアには、たとえば飛び石連休というケチなつまらないものは存在しない。飛び石連休は「ポンテ(ponte)」=橋または連繋」と呼ばれる“休み”で繋(つな)げられて「全連休」になるのだ。

つまり 飛び石連休の「飛び石」は無視して全て休みにしてしまうのである。要するに、飛び飛びに散らばっている「休みの島々」は、全体が橋で結ばれて見事な「休暇の大陸」になるのだ。

 長い夏休みやクリスマス休暇あるいは春休みなどに重なる場合もあるが、それとは全く別の時期にも、イタリアではそうしたことが一年を通して当たり前に起こっている。

たとえばことしは、日本のゴールデンウイーク前の時節(期間、時分)にもポンテを含む連休があった。復活祭と終戦記念の旗日がからんだ4月20日から28日までの9連休である。

4月20日(土)、21日(日“復活祭”)、22日(月“小復活祭=主顕節”・旗日)23日(火“ポンテ”)24日(水“ポンテ”)25日(木“イタリア解放(終戦)記念日”・旗日)26日(金“ポンテ”)27日(土)28日(日)の9連休である。

もちろん誰もが9連休を取る(取れる)わけではない。23日(火)と24日(水)は働いて25日から28日の間を休む。つまり26日(金)だけをポンテとして休む、という人も相当数いた。だが20日から28日までの長い休暇を取った人もまた多かったのである。

そうした事実もさることながら、旗日と旗日の間をポンテでつなげて連休にする、という考え方がイタリア国民の間に「当たり前のこと」として受け入れられている点が重要である。

飛び石、つまり断続または単発という発想ではなく、逆に「連続」にしてしまうのがイタリア人の休みに対する考え方である。休日を切り離すのではなく、できるだけつなげてしまうのだ。

連休や代休という言葉があるぐらいだからもちろん日本にもその考え方はあるわけだが、その徹底振りが日本とイタリアでは違う。勤勉な日本社会がまだまだ休暇に罪悪感を抱いてるらしいことは、飛び石連休という考え方が依然として存在していることで分かるように思う。

一方でイタリア人は、何かのきっかけや理由を見つけては「できるだ長く休む」ことを願っている。休みという喜びを見出すことに大いなる生き甲斐を感じている。

そんな態度を「怠け者」と言下に切り捨てて悦に入っている日本人がたまにいる。が、彼らはイタリア的な磊落がはらむ豊穣 が理解できないのである。あるいは生活の質と量を履き違えているだけの心の貧者なのである。

休みを希求するのは人生を楽しむ者の行動規範であり「人間賛歌」の表出である。それは、ただ働きずくめに働いているだけの日々の中では見えてこない。休暇が人の心身、特に「心」にもたらす価値は、休暇を取ることによってのみ理解できるように思う。

2019年に出現した10連休は、日本の豊かさを示す重要なイベントだった。日本社会は今後も飛び石連休を「全連休」にする努力と、連休中に休めなかった人々が休める方策も含めて、もっとさらに休みを増やしていく取り組みを続けるべきなのである。



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能のない過激派には隠す爪もない


イタリア半島挟んで5星と同盟



伊連立政権は極左の「五つ星運動」と極右の「同盟」で成るが、両者は喧嘩ばかりで間もなく政権崩壊かという危機に直面している。

左寄りと右寄りの思想信条また行動は政治の常識である。両者の対話と、対話から生まれる妥協を民主主義という。

まずいのは「極」左と「極」右だ。2者は英語にいうExtremistつまり過激な者。極論支持者であり過激論者。要するに過激派。

彼ら過激派は対話を拒否し、自らを絶対善として突っ走り、究極的にはテロさえも厭わなくなる。

極右と極左は異なるものに見えて、実は「極」で融合する一卵性双生児。そっくりさん。

なのに仲が悪い。なぜか。

どちらも吼えまくり噛みつき殴りかかる本性を持つ厄介者だから、似た者同士でも吼え合い、噛み付き合い、殴り合うのである。

五つ星運動と同盟に極左と極右のレッテルを貼るのはどうか、という意見もある。もっともな話だ

右と左は立ち位置によって違って見える。左寄りの目には中道も右に映り、右寄りの目には中道も極左に見えかねない。

五つ星運動は自らを左にも右にも属さない政治勢力だという。同盟も、私は極右です、とは口が裂けても言わない。

だが彼らの正体は極左と極右だと僕は思う。能があるかどうかは別にして、両者とも今のところは過激派の爪を隠している。お互いに牽制し合っている。

だが、牽制のタガが外れたとき、つまり両者のうちのどちらかが単独で政権を握ったときは危ない。

五つ星運動はイタリア共和国をアナキストの巣窟に変えてしまうだろう。同盟が単独で議会過半数を制して政権の座に就けば、ファシズムの足音が高く響き出すだろう。

彼らは連立を組んで互いに牽制し合うから、政権運営を任せてみる価値があるのだ。または「あった」のだ。

異なる者同士が手を組んで、お互いの極論を抑えつつ新しい発想で国の舵を取る。彼らに期待されたのはそういう政治だ。

だが本性むき出しで喧嘩ばかりをしているなら、両者が単独で政権を握った場合と同じくらいにイタリア共和国のためにならない。

両者は冷静に対話をし、妥協点を見出し、且つ守旧派の政治勢力とは違うめざましい施策を打ち出せないなら、さっさと政権の座から去るべきなのである。


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また犯した「子ヤギ食らい」という自罪


皿盛り食べかけヨリ600



4月21日はイタリアのパスクアだった。イギリスではイースター。日本語では復活祭。イエス・キリストの復活を寿ぐキリスト教最大のイベント。ハイライトは祭り当日に供される子ヤギまたは子羊料理。

不信心者の僕にとっては、パスクアは神様の日というよりも、ほぼ一年に一度だけ食べる子ヤギ料理の日。イタリアでは子羊料理は一年中食べられるが、子ヤギのそれはきわめて難しい。

ことしは初めてレストランで子ヤギ料理を食べた。去年までは家族一同が自宅で、または親戚や友人宅に招かれて食べるのが習いだった。

実はことしも親戚に招かれていたが、子ヤギも子羊も供されない普通の肉料理の食事会、と知って遠慮した。年に一度くらいは特別料理を食べたい。

復活祭前夜の一昨日、友人からも子ヤギ料理への誘いがあった。しかし、レストランを予約してしまっているという不都合もあったので、そちらもやはり遠慮した。

結論をいえば、レストランでの食事は大成功だった。12時半から4時間にも渡った盛りだくさんの料理のメインコースは、もちろん子ヤギのオーブン焼きである。

それは成獣肉を含むこれまでに食べたヤギおよび羊肉料理の中でも第一級の味だった。来年も同じ店で食べてもいいとさえ思っている。

イタリアのレストランでは子羊料理は一年中提供される。だが子ヤギ料理は復活祭が過ぎるとほぼ完全に姿を消す。理由はよく分からない。単純に子ヤギの絶対量が子羊に比べて少ないからではないかと思う。
 
この国を旅すると、羊飼いと牧羊犬に連れられた羊の大群によく出会う。牧草地ばかりではなく、時には田舎町の道路を羊の群れが渡っているのに出くわしたりもする。

羊は数が多い。羊には羊毛の需要もあるから数が多くなるのだろう。それに比べてヤギの姿はめったに見かけない。探せば見つかるが、羊のように頻繁に目にすることはない。

ヤギは山羊、つまり「山の羊」と呼ばれるくらいだから、飼育や繁殖がむつかしくて数が少ないということもあるのかもしれない。

復活祭になぜ子羊や子ヤギ料理を食べるのかというと、由来はキリスト教の前身ともいえるユダヤ教にある。古代、ユダヤ教では神に捧げる生贄として子羊が差し出された。

子羊は犠牲と同義語である。イエス・キリストは人間の罪を贖(あがな)って磔(はりつけ)にされて死んだ。つまり犠牲になったのである。

そこで犠牲になったもの同士の子羊とイエス・キリストが結びつけられて、イエス・キリストは贖罪のために神に捧げられる子ヒツジ、すなわち「神の子羊」とみなされるようになった。そこから復活祭に子羊を食べてイエス・キリストに感謝をする習慣ができた。

復活祭に子羊を食べるのは、そのようにユダヤ教の影響であると同時に、「人類のために犠牲になった子羊」であるイエス・キリストを食する、という意味がある。

救世主イエスを食べる、という感覚はなかなか理解できないという日本人も多い。だがよく考えてみれば、実はそれはわれわれ日本人が神仏に捧げたご馳走や酒を後でいただく、という行為と同じことである。

神棚や仏壇に供された飲食物は、先ず神様や仏様が食べてお腹の中に入ったものである。その後でわれわれ人間は供物を押し頂いて食べる。それはつまり神仏を食するということでもある。

われわれは供物とともに神様や仏様を食べて、神仏と一体化して煩悩にまみれた自身の存在を浄化しようと願う。キリスト教でもそれは同じ。そんなありがたい食べ物が子羊料理なのである。

僕は冒頭でことわったように不信心者なので、神や霊魂や仏や神々と交信するありがたさは理解できない。ただ、おいしいものを食べる幸せを何ものかに感謝したい、とは常々思う。

イタリアでは復活祭の期間中に、通常400万頭内外の子羊や子ヤギが食肉処理されてきたとされる。それ以外の期間にも80万頭が消費されてきた。

しかし、その数字は年々減ってきて、ここ数年は200万頭前後に減少したという統計もある。不景気のあおりで人々の財布のヒモが堅いのが理由だ。子ヤギや子羊の肉は、豚肉や牛肉などのありふれた食材に比べて値段が張るのだ。

一方で消費の落ち込みは主に、動物愛護家や菜食主義者たちの反対運動が功を奏しているという見方もある。最近はいたいけな子ヤギや子羊を食肉処理して食らうことへの批判も少なくないのである。

2017年にはあのベルルスコーニ元首相が「復活祭に子羊を食べるのはやめよう」というキャンペーンを張って、食肉業者らの怒りを買った。

ベジタリアンに転向したという元首相は、彼の内閣で観光大臣を務めたブランビッラ女史と組んで、動物愛護を呼びかけるようになった。アニマリストから拍手喝采が起こる一方で、ビジネス界からは反発が出た。

僕は正直に言ってその胡散臭さに苦笑する。突然ベジタリアンになったり動物愛護家に変身する元首相も驚きだが、子羊だけに狙いを定めた喧伝が不思議なのである。食肉処理される他の家畜はどうでもいいのだろうか。

動物の食肉処理の現場は凄惨なものである。僕は以前、英国で豚の食肉処理場のドキュメンタリー制作に関わった経験がある。屠殺される全ての動物は、次に記す豚たちと同じ運命にさらされる。

彼らは1頭1頭がまず電気で気絶させられ、失神している20秒~40秒の間に逆さまに吊り上げられて喉を掻き切られ、血液を抜かれ、皮を剥がれ、解体されて、またたく間に「食肉」になっていく。

その工程は全て流れ作業だ。すさまじい光景だが、工程が余りにも単純化され操作がスムースに運ばれるので、ほとんど現実感がない。肉屋やスーパーに並べられている食肉は全てそうやって生産されたものだ。

菜食主義者や動物愛護家の皆さんが、動物を殺すな、肉を食べるな、と声を上げるのは尊いことだと思う。それにはわれわれ自身の残虐性をあらためて気づかせてくれる効果がある。

だが、人間が生きるとは「殺すこと」にほかならない。なぜなら人は人間以外の多くの生物を殺して食べ、そのおかげで生きている。肉や魚を食べない菜食主義者でさえ、植物という生物を殺して食べて生命を保っている。

人間が他の生き物の命を糧に、自らの命をつなぐ生き方は誰にもどうしようもないことだ。それが人間の定めだ。他の生命を殺して食べるのは、人間の業であり、業こそが人間存在の真実だ。

大切なことはその真実を真っ向から見据えることだ。子羊や子ヤギを始めとする小動物を慈しむ心と、それを食肉処理して食らう性癖の間には何らの矛盾もない。

それを食らうも人間の正直であり、食わないと決意するのもまた人間の正直である。僕はイタリアにいる限りは、復活祭に提供される子ヤギあるいは子羊料理を食べる、と心に決めている。



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ノートルダム大聖堂とミラノ・ドゥオーモ



崩れる尖塔貼り付け時に横拡大600


最近大きく生活習慣が変わって、夜9時前後にベッドで読書を始め眠気の赴くままに9時半~10時頃には寝てしまう。その代わりに朝は早く、午前5時~6時には起きだして執筆を中心に仕事を始める。

ところが昨夜(4月15日)は19時過ぎからテレビの前に釘付けになった。BBCほかの国際放送が、衛星生中継でパリのノートルダム大聖堂の火災の模様を逐一伝え始めたからだ。

ユーロニュース、アルジャジーラ、BBC3局の衛星中継放送をリモコン片手に行き来したあと、結局BBCに絞って、火の勢いが衰えた12時近くまで熱心に見入った。

大ケガをした消防隊員を除けば死者や負傷者はいなかったものの、大惨事と形容しても構わないだろう火災の推移をつぶさに見ながら考えたことの一つは、火災は事故なのかテロなのか、という疑問だった。

その疑問にとらわれつつ、5月の欧州議会選挙を控えたこの時期の出来事だから、おそらくフランス極右「国民連合」のマリーヌ・ルペン党首は、火災がイスラム過激派のテロであってほしい、と心中で痛切に願っているだろうと思った。

そして彼女に呼応して、ここイタリアの極右政党「同盟」のサルヴィーニ党首もそれを切望しているに違いない、などとも考えた。

2人ともまさか大聖堂の火災を喜んではいないだろうが、起きてしまった悲劇を政治利用することは恐らくいとわないだろう。政治家のほとんど全てがそうであるように。

僕は学生時代の遠い昔にノートルダム大聖堂を訪れている。その記憶は僕の中では、後に仕事でもプライベートでもさんざん訪問したミラノのドゥオーモと並んで、だが、ドゥオーモよりもはるかに小さく薄い印象で脳裏に刻み込まれている。

大聖堂とドゥオーモを連想するのは、いうまでもなく両者が甲乙つけがたいゴシック様式の大建築物だからである。どちらも息をのむように美しく威厳のある建物だが、時代が新しい分ドゥオーモのほうが大きい印象だ。後発の建物には、先発の同種のものの規模を凌ぎたい人の気持ちがしばしば反映される。

ところが災に呑み込まれた凄惨な姿でふいに目の前に現れた大聖堂は、ミラノのドゥオーモを凌駕する巨大な、だが重い憂いを帯びた存在となって僕の記憶蓄積の中に聳え立った。

やがてそれはそのままの姿でミラノのドゥオーモを気遣う僕の心に重なった。つまり僕は卑劣・不謹慎にも、火災がミラノで起きていないことに密かに胸をなで下ろすような気分になっていたのだ。

断じて火災を喜ぶのではないが、いわば他人の不幸が身内に起きなかったことをそっと神に感謝するような、独善的な心の動きだった。それだけミラノのドゥオーモが僕にとって近しい存在だということだが、それは決してエゴイズムの釈明にはならない。

そういう心理は、ルペン党首やサルヴィーニ党首が、イスラム教徒系移民に対する有権者の憎しみをあおって選挙戦を有利に進めたい思惑から、大聖堂の火災がどうせならイスラム過激派のテロであってほしい、と願う陋劣と何も違わない。

そのことを十分に知りつつも、僕は湧き起こったかすかな我執を制御することができずに戸惑ったりもした。


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負け馬たちの功績


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負け馬御三家:左からキャメロン・レンツィ・メイ各氏


いま英国議会下院で起きているBrexit(英国のEU離脱)をめぐる議論の嵐は、民主主義の雄偉を証明しようとする壮大な実験である。それが民主主義体制の先導国である英国で起きているからだ。

そこでは民主主義の最大特徴である多数決(国民投票)を多数決(議会)が否定あるいは疑問視して、煩悶し戸惑い恐れ混乱する状況が続いている。それでも、そしてまさに民主主義ゆえに、直面する難題を克服して進行しようとする強い意志もまた働いている。

2016年、英国議会はBrexitの是非を決められず、結果として市民の要請に応える形で国民投票を行った。国民の代表であるはずの議会が離脱の当否を決定できなかったのはそれ自体が既に敗北である。だが国民投票を誘導した時の首相ディヴィッド・キャメロンと議会はそのことに気づかなかった。

国民投票の結果、Brexitイエスの結果が出た。民主主義の正当な手法によって決定された事案はすぐに実行に移されるべきだった。事実、実行しようとして議会は次の手続きに入った。そこでEUとの話し合いが進められ、責任者のメイ首相は相手との離脱合意に達した。

ところが英国議会はメイ首相とEUの離脱合意の中身を不満としてこれを批准せず、そこから議会の混乱が始まった。それはひと言でいえば、メイ首相の無能が招いた結果だったが、同時にそれは英国民主主義の偉大と限界の証明でもあった。

議会とメイ首相が反目し停滞し混乱する中、彼女はもう一方の巨大な民主主義勢力・EUとの駆け引きにも挑み続けた。そこではBrexitの是非を問う国民投票が、英国民の十分な理解がないまま離脱派によって巧妙に誘導されたもので無効であり、再度の国民投票がなされるべき、という意見が一貫してくすぶり続けた。

だがそれは、民主主義によって選択された国民の意志を、同じ国民が民主主義によって否定することを意味する。それは矛盾であり大いなる誤謬である。再度の国民投票は従って、まさに民主主義の鉄則によって否定されなければならない。

そこで議会で解決の道が探られるべき、という至極当たり前の考えから論戦が展開された。審議が続き採決がなされ、それが否定され、さらなる主張と論駁と激論が交わされた。結果、事態はいよいよ紛糾し混乱してドロ沼化している、というのが今の英国の状況である。

そうこうしているうちに時限が来て、EUは英国メイ首相の離脱延期要請を受け入れた。それでも、いやそれだからこそ、英国議会は今後も喧々諤々の論戦を続けるだろう。それはそれで構わない。構わないどころか民主主義体制ではそうあるべきだ。

だが民主主義に則った議会での議論が尽くされた感もある今、ふたたび民主主義の名において、何かの打開策が考案されて然るべき、というふうにも僕には見える。その最大最良の案が再度の国民投票ではないか。

なぜ否定されている「再国民投票案」なのかといえば、2016年の国民投票は既に“死に体”になっている、とも考えられるからだ。民意は移ろい世論は変遷する。その変化は国民が学習することによって起きる紆余曲折であり、且つ進歩である。

つまり再度の国民投票は「2度目」の国民投票ではなく、新しい知識と意見を得た国民による「新たな」国民投票なのである。経過3年という月日が十分に長いかどうかは別にして、2016年の国民投票以降の英国の激動は、民主主義大国の成熟した民意が、民主主義の改善と進展を学ぶのに十二分以上の影響を及ぼした、と考えることもできる。

いうまでもなく英国議会は、メイ首相を信任あるいは排除する動きを含めてBrexitの行方を自在に操る権限を持っている。同時にこれまでのいきさつから見て、同議会はさらなる混乱と停滞と無力を露呈する可能性も高い。ならば新たな国民投票の是非も議論されなければならないのではないか。

そうなった暁には、投票率にも十分に目が向けられなければならない。そこでは前回の72,1%を上回る投票率が望ましい。2016年の国民投票後の分析では、EU残留派の若者が投票しなかったことが、離脱派勝利の大きな一因とされた。

もしもその分析が正しいならば、投票率の増加は若者層の意思表示が増えたことを意味し、同時にその結果がもたらす意味を熟知する離脱派の「熟年国民」の投票率もまた伸びて、多くの国民による真の意思決定がなされた、と見なすことができるだろう。

要するにBrexitをめぐる英国の混乱と殷賑は、既述したように民主主義の限界と悪と欺瞞と、同時にその良さと善と可能性を提示する大いなる実験なのである。それは民主主義の改革と前進に資する坩堝(るつぼ)なのであって、決してネガティブなだけの動乱ではない。

EU内の紛糾と見た場合、その大きな変革の波は、先ず英国と欧州の成熟した民主主義の上に、Brexit国民投票を実施した英国のデイヴィッド・キャメロン前首相という負け馬がいて、それにイタリアの負け馬マッテオ・レンツィ前首相が続き、テリーザ・メイ英国首相というあらたな負け馬が総仕上げを行っている、という構図である。

民主主義の捨て石となっている彼ら「負け馬」たちに僕はカンパイ!とエールを送りたい。なぜなら3人は民主主義の捨て石であると同時に、疑いなくそれのマイルストーンともなる重要な役割を果たしていて、民主主義そのものに大きく貢献している、と考えるからだ。



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負け馬の人徳



ユニオンジャック&メイ800切り取り②

EU(ヨーロッパ連合)と英国のメイ首相は、2019年4月12日としていたBrexit
(英国のEU離脱)の期日を、ことし10月31日まで延期することで合意した。

メイ首相は2016年、Brexitの是非を問う国民投票の結果を受けてデーヴィッド・キャメロン前首相が辞任した後、タナボタよろしく無投票で英国首相になった。

以後彼女は、国民投票でイエスと決定したEU離脱に向けて動き出した。ところが、元はEU残留派だった本人が、離脱派に鞍替えした風見鶏的な体質が影響したのでもあるかのように、彼女の政策はことごとく失敗。

首相就任1年後には、野党労働党の困窮を見て自らの権力基盤を固めたい野心にとらわれる。そこでEU離脱に向けた党内のさらなる結束が必要、ともっともらしい口実を作って議会を解散、総選挙を実施する。だがみごとに敗退。保守党は議会過半数をのがした。

それは彼女の前任者のキャメロン首相が、「私を取るかEU離脱を取るか」と思い上がったスローガンをかかげて国民投票を戦い、まさかの敗北を喫した失策とウリふたつの慢心行為だった。

キャメロン氏の失脚の半年後、イタリアの若き「政治屋」マッテオ・レンツィ首相も、「私を取るか上院改革ノーを取るか」と英国の失敗を無視したうぬぼれ行為に走って敗北・失脚した。が、メイ首相はその例にも習わなかった。

メイさんは間抜けな行為の責任を取って首相職を辞めるのかと思ったら、ふてぶてしく居座った。北アイルランドの弱小政党を取り込んでようやく過半数を達成して、EU離脱に向けての権謀術策を再開したのである。

しかし野党労働党はおろか、身内の保守党内からも造反者が続出して、繰り出す政策や施策案はことごとく沈没。ついに「EUのお情け」ともいえる今回の半年間の離脱延期となった。

それを受けて、メイ首相は何を血迷ったのか、身内の保守党から顔をそむけるようにして野党の労働党との妥協を探る、などと表明し先行きの不透明感は増すばかりである。

「民主主義は、それ以外の全ての政治体制を除けば最悪の政治である」というウィンストン・チャーチルの名言は、メイ首相が日々格闘しているまさに同じ場所である英国議会の、けたたましい論戦と智謀と策略のぶつかり合いの中から生まれた。

その民主主義の最大の美点とは、武力を排除した舞台で議員(従って国民)が知恵と意見とアイデアをぶつけ合い、しかる後に生まれる「妥協」である。また民主主義の最大の欠点とは多数決と多数派による横暴である。

多数派による暴虐を殺ぐために考案されたのが、「少数派の意見を尊重する」というコンセプトである。それは実行されることは稀だが、現代のまともな民主主義体制の中では、そのことは強く意識されている。そして意識されていること自体が既に民主主義の改善である。

つまるところ民主主義とは、民主主義体制の不完全性を認めつつ、より最善のあり方を目指して進もうとする際の不都合や危険や混乱や不手際等々を真正面から見つめ、これに挑み、自らを改革・改善しようと執拗に努力する政治体制のことなのである。

僕はメイ首相が対峙する英国下院での論戦の渦と、同時に叱咤と欲望と雄叫び、そして何よりも「混乱」の模様を衛星TV報道画面で確認しつつ、その持論にますます自信を深めたりもするのである。

ひと言でいえば、議会に翻弄されているメイ首相は無能である。彼女の政策の善悪や好悪や是非に関わらず、一国の指導者が自らの政策に対して議会の賛同が得られない状況に長く居つづけるのは、無能以外の何ものでもない。

それにもかかわらずにメイ首相がめざましいのは、状況に決してめげない姿勢と行動力、しぶとい意志と厚顔、起き上がりこぼしもマッサオな打たれ強さ、執拗さ、愚直さ、鈍感さで議会に挑む姿だ。ある意味で政治家の鑑でさえある。

恐らくそれが見えるからなのだろう、EU幹部の彼女を見る目は意外と優しい。むろんその前に、EU幹部がメイ首相との離脱交渉において、彼らの思惑を押し通し有利な合意に達している、という現実があり、その現実から生まれる余裕がある。

そのことを知ってか知らでか、自国の議会でこてんぱんにやられたメイさんは、足しげくEU本部に出向いては、離脱合意の中身の見直しを頼んだり離脱延期を要請したりする。そのことも彼女のめげないしぶとさ、を印象付ける

メイ首相が泣きつく度に、EUのユンケル委員長やトゥスク大統領らは、彼女を慰め励まし協力し援助の手を差し伸べる。独仏のメルケル、マクロン両首脳をはじめとするEU加盟国の全首脳も同じ。メイ首相を非難するのは英国内の反対勢力だけ、というふうにさえ見える。

EU内のこちら側、つまり欧州大陸からイギリス島を観察しているとBrexitに関する限りそんな印象がある。その印象は連日繰り返し流れる英国議会論戦の映像や、EU幹部や加盟各国の首脳と会うメイさんの様子などによってさらに強調される。

EU側は誰もがメイさんに親切だ。首脳らは彼女をいつも歓迎し、抱擁し、激励し、心からの親愛の情を行動で示す。映像には彼らの誠実が素直に露見していて見ていてすがすがしいくらいだ。不思議な情景である。

EU幹部にもまた加盟各国首脳にも、英国がEUに残留してほしいという心底での願いがある、と僕はポジショントークながら思う。だが現実には英国は離脱の道を選び、メイ首相自身もそれを目指して政治的駆け引きを繰り返している。

彼女がひんぱんにEU]本部や加盟国を訪れるのも、すみやかなEU離脱の道を模索してのことである。決してEU残留を願って行動しているのではない。

EUはそのことを熟知しつつ、懸命にメイ首相を応援している。むろん、合意なき離脱になれば英国はいうまでもなくEUにも大きな損害と混乱がもたらされることが予想される。それを避けるためにはEUは、メイ首相との合意に基づく離脱を目指したほうがいい。

その実利を十分に理解したうえで見ても、繰り返しになるが、EUのメイさんを見つめる目は寛大だ。これはもうテリーザ・メイというしぶとくて愚直で鈍感な政治家の「人徳」によるもの、といっても過言ではない感じさえする。

EU支持者で英国ファンの僕は、どんな理由であれ英国の離脱が先延ばしにされるのは喜ばしい。延期を繰り返していけば、最終的には離脱そのものがなくなるかもしれない、という可能性がゼロではない展開へのひそかな期待もある。

一方、たとえそうはならなくても、離脱延期が実現したことで「合意なき離脱」という最悪のシナリオが避けられた、という見方が巷には根強く残っている。だがそれは間違っている可能性も高い。

離脱が延期される度に英国内では離脱強硬派の反発が高まるという現実がある。するとメイ首相は保守党内右派の支持を取り付けるのを諦めて別の道を探す。彼女がEUとの離脱延期合意直後に「野党労働党との協議を進めたい」と明言したもそれが理由だ。

すると自らの拠り所である保守党とその他の離脱強硬派の反発がますます高まって議会が紛糾する。結果、EUとの「離脱合意案」への承認が得られないまま時間切れとなって(延期期間の終わりが来て)なし崩しに「合意なき離脱」に至る可能性も極めて高い、と思うのである。



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「胸部戦線異状なし」やありや?・・


心臓&心臓波形&医師の両手



狭心症の風船治療が成功したはずなのに、退院帰宅後に痛みが戻って再入院。再びカテーテルを血管から胸に差し込む冠動脈造影検査を受けた。一週間のあいだに2回目、という異常事態。

幸い執刀医を含む最初のオペを遂行したスタッフによる施術の結果はネガティブと出た。いわば狭心症はいったん完治、という結果である。

2日後には再退院した。冠動脈造影検査では針金(チューブ)を心臓冠動脈までいわば刺し通す。それだけを聞くと怖い療法である。実際に怖い事故も起こる。

だが世界中で実施され、医師らの経験が積み重ねられ共有されて、技術が進歩した現在は安全なものになった。体に傷がつくのは針金を差し入れるために血管に穴を開けることぐらい。

カテーテルは血管の中を心臓まで進むのでそこには傷はつかない。その後に施される風船治療も血管をふくらませる術で「切る」作業ではない。だからここでも体は基本的に傷つかない。

体への負担が少ない治療法なので、術後の経過が順調ならすぐにでも退院となる。僕の場合、2度目の検査の際は特に、「問題ない」状況だったのでほぼ即退院ともいえる経過になった。

ところが問題はその後である。今はいわば心臓の保全と狭心症の癒しと予防を兼ねた大量の薬を服用しながら静養中、というイメージだとおもう。

ところが最初の手術と再入院の原因になった胸の痛みが相変わらず消えないのである。その痛みは狭心症の発作を抑える薬を服用しても効かない。

つまり心臓周りの欠陥からくる痛みではない、という結論である。不思議な話だ。なにしろいわばその痛みのおかげで、消えつつあった狭心症の大きなぶり返しがみつかり僕は命拾いをしたのだから。

いろいろと悩ましい状況が続くので、この記事のタイトルも映画「西部戦線異状なし」にかけて「胸部戦線異状なしやありや?」とふざけておくことにした。

今回担当した心臓専門医らはそろって胃に疑念を持っている。心臓がいまのところ問題ない状況で起きる胸痛は、胃に問題がある場合のそれに酷似しているとのこと。

きょう現在は胃カメラを含む本格的な胃の検査を待っている状況。そこでなにか判ればよし。判らなければ・・ま、なるようになるだろう。

医師の見立て通り心臓の欠陥ではないのならば、直ちに命にかかわるというものではないのだろうと考えて、気持ちはさらに平穏である。

だが薬漬けの毎日と、明け方頃に決まってやってくる正体不明の胸痛は死ぬほど楽しいというものでもない。薬と痛みのせいなのか体力も落ち込んでいると感じる。

というふうな今現在の状況を、検査を待ちつつ書いておくことにした。はじめから黙っていれば何も書くことはないのだが、最初の入院の際ついここに報告してしまったので経過を書き続けている。

だが本心をいえばあまり気分はよくない。なんだが病気自慢をしているようで読者に申しわけない。そこで次回からはイタリアの医療や病院事情を中心に書こうとおもう。

TVドキュメンタリーや報道番組、また新聞雑誌の記事執筆などの仕事をやってきた関係で、実は僕は今回世話になった北イタリアの公立病院や医療機関とも多少のかかわりを持っている。

そうしたことも含めて「イタリア情報」をすこしでも盛り込めば、「病気の私的報告」じみた記事も、少しは読者の皆さんの役に立つものになってくれるかも、と期待しつつ・・



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ふたたびの。。。


600脈拍監視器?



退院後の経過が悪く再入院へ。

16~7年前の発病時から世話になっている友人の医師と、彼の同僚である執刀医をはじめとする病院の専門スタッフの決定。

以前と同じ痛み(発作)が戻って薬が効いたり効かなかったりしているのが理由。

風船治療で冠動脈を広げたはずだが、見過ごした箇所でもあるのだろうか。

いずれにしても病院はイタリアでも有数の施設なので気持ちは平穏。

この投稿をさんざん迷ったが、FBなどでメッセージをいただいた方々、またブログを読んでくださっている方々などのためにも記しておくことにした。

まだまだ書きたいことが多いので、死んでも生還してやるゾ、という気持ち。

マジで。


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いのちあそび



天敵瓶up600



心臓の不調で入院し外科手術を受けた。「いのちびろいをした」というほどの深刻な経緯だったが、あまりその実感はない。

退院後2日目の今日、大量の薬を服用しながら、また気のせいか慣れないからか、一抹のひっかかりを感じなくもないが、施術は成功したという医師の言葉を思っている。

2000年代に入った頃からときどき胸が痛むようになった。時間とともに悪化するようなので医者に診てもらった。狭心症の疑いがあると診断された。

心電図、血液検査、負荷心電図等々の検査をしたが何も異常はなかった。痙攣性の狭心症ではないか、という話もあった。

残るのは冠動脈造影検査 、いわゆるカテーテルだった。当時、仕事が忙しくイタリアと日本をせわしなく往復していた。

イタリアでの診察結果を手に日本でも医者にかかった。そこでミリステープ という狭心症治療の貼り薬をすすめられて使用を始めた。すると痛みがなくなった。

ところがイタリアの医者はそれに反対。貼り薬は狭心症の発作が起きないときにもニトログリセリンを供給し続けて体によくない。貼り薬を使うのは早すぎるし年齢が若すぎると指摘された。

数ヶ月使用したあと、発作が起きるときだけ服用する舌下薬・トリニティーナ(ニトログリセリン)を持ち歩くようになった。2003年頃のことである。

時を同じくして禁煙にも成功した。それまで30年近くにわたって一日平均で3箱60本の煙草を吸い続けていた。ある時期は一日7箱を吸う気の狂ったような状況もあった。

禁煙後、胸が痛む発作の回数が急激に減った。それに惑わされて病気は治りつつあると思い込んだ。喫煙が病の一番の原因、と自分が思い込み医者もそう見なす雰囲気になっていた。

そうやって冠動脈造影検査・カテーテルを行うのを先送りにした。

時間とともに発作の回数は減り続け、最近は忘れた頃にやってきて、しかも舌下薬のニトログリセリンを服用しなくても痛みが治まるようになっていた。

そうやって16年余が過ぎた。禁煙もほぼ同じ年数になった。胸の痛みはやはり無茶な喫煙のせいで、もう間もなく完治するだろう、と素人頭で考えているまさにそのとき、重い発作が来た。

入院させられ、検査をし、カテーテルを差し込まれた。冠動脈の3ヶ所が詰まっていてそのうち一ヶ所は重篤だった。少し処置が遅れていればほぼ確実に心筋梗塞を引き起こしていた、と告げられた。

心筋梗塞は心臓の一部が壊死する重大疾患である。最悪の場合はそのまま死亡することも珍しくない。そういう状況なのだから、僕はやはり「いのちびろいをした」と言わなくてはならないのだろうが、どうしてもそこまでの深刻な感じがしない。

病名も明確にされないまま、16年間にわたって発作が収縮し続けた(収縮し続けるように見えた)こと、また今回の発作が死の恐怖を感じさせるような異様かつ巨大なものではなかったこと。

さらにカテーテル検査に続いた「バルーンによる冠動脈形成術」、いわゆる風船療法もスムースに 運んで成功したこと、などが僕の気持ちをどこかでやや呑気にしているようだ。

だがそれらのイベントは、還暦を過ぎた僕の体の状況を断じて楽観的に語るものではない。僕の体は確実に老いて行っている。

一昨年は生まれて始めての入院手術を経験し、昨年末から年始にかけてはひどい食物アレルギー症に襲われた。その問題がまだ解決しないうちに今回の
「事件」が起きた。

それらは少し意外な出来事だった。それというのも、老いにからむ病気の数々は、おそらく70歳代に入ってから始まるのだろうと僕は漠然と考えていた。

そう考えるほどに僕の体はいたって壮健だった。唯一の気がかりだった狭心症疑念も、既述のように無くなりつつあるように見え、その他の不具合も深刻な事態には至っていなかった。

老いとともにやってきて、日々まとわりつくはずの病との共存は、正直にいって
10年ほど先以降の話だろう、とぼんやりと考えていたのだ。

だが、どうやらそれは大きな間違いだったようだ。

嘆いても仕方がない。現実を受容し真正面から見つめながら、この先の時間をすごして行こうと思う。

何だかんだといっても、40歳代や50歳代で逝ってしまった少なくない数の友人たちに比べれば、僕は十分に長く生き、十分に幸運に恵まれているのだから。



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タイラントの犬



Nazarbayev
ヌルスルタン・ナザルバーエフ


まったくの思い違い、徹頭徹尾の錯覚というものがある。カザフスタンのヌルスルタン・ナザルバーエフ大統領に対する僕の印象がまさにそれだった。

ナザルバーエフ・カザフスタン大統領が、ほぼ30年にわたった長期政権を手放して退任したとのニュースを聞き、ネットその他で確認をするうちに僕は自分の思い違いに気づいた。

僕の中ではナザルバーエフ大統領は、旧ソビエト連邦の恐怖政治を終わらせたゴルバチョフやシェワルナゼの系譜の政治家で、どちらかというとリベラルな印象があった。

シェワルナゼとナザルバーエフはソビエト崩壊後に独立したグルジア(ジョージア)とカザフスタンの大統領として鮮烈な印象を残した。

ソ連ゴルバチョフの右腕であり政権の外相だったシェワルナゼは、新生グルジアの大統領として2003年まで務めた。一方ナザルバーエフは1991年からつい先日まで政権の座にあった。

30年近くも権力の座に居すわるのは独裁者以外にはありえない。それにもかかわらずに僕は彼を民主的な政治家と思い込んでいたのだ。

その理由は:

1.彼が「リベラル」派のゴルバチョフやシェワルナゼに加担してソ連を崩壊させたこと。
2.1の結果としてカザフスタンの独立に貢献しこと。
3.カザフスタン大統領として民主政治を行ったこと。
4.日本人的な風貌で親しみが持て、従って信用できること。

そうした理由はほとんどすべて僕の思い込みである。誤解の最大の原因は僕がカザフスタン情勢に無知だったことだ。

事実、僕はカザフスタンについてあまり興味もなかったし、勉強することもなかった。1から4を漠然と心に思い描いていた。

先日の彼の退任のニュースの内容さえ僕は誤解、錯覚した。つまり彼が政権を「自主的かつ民主的に」委譲し退任した、と考えたのだ。

だがその内容は自主的ではあるものの、断じて民主的なものではないと分かった。それは独裁者の自主的な権限委譲に酷似しているのである。

念入りに調べてみるまでもなく、彼は自分の後継者として議会上院のトカエフ議長を大統領代行にすえ、自身は国家安全保障会議議長などの要職のポストについた。

要するに今後も黒幕として、あるいは「上皇」として背後から権力を行使するということだ。トカエフ大統領代行はナザレバーエフ大統領の傀儡にすぎない。

パペットのトカエフ大統領代行は早速、カザフスタンの首都の名称をアスタナからナザルバーエフ大統領の名前であるヌルスルタンに変更すると表明した。

さらにむしずが走る情報がある。ナザルバーエフ大統領は自分の長女をトカエフ上院議長の後釜にすえ、且つ彼女は来年春に行われる大統領選に出馬することが決まっているという。

おそらく彼女の当選そのものも実は既に決まっているのではないか。そうしたことを思わずにはいられないほど一連の出来事には茶番の色合いが濃い。

要するにナザルバーエフ大統領は、中・露・北朝鮮また中東ほかの世界中のあらゆる形の反民主主義、横暴独裁政権のタイラントと「同じ穴のムジナ」に過ぎないのである。


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中国を手玉に取るイタリアよ



マタレッラ&習握手600



中国の習近平主席がイタリアを公式訪問し、一路一帯構想への協力を盛り込んだ覚え書きを伊政府との間に交わした。G7国初の動きである。

その類の覚え書きは、ギリシャやポルトガルを始めとするEUメンバー国やEU域外国など、欧州の多くの国々とすでに交わされている。目あたらしいものではない。

ところがEU本部やアメリカ政府は、中国の野望に手を貸すな、とイタリアを盛んにけん制した。それもこれもイタリアがまがりなりにもG7の一角を占める大国だからだ。

EUやアメリカの意向に迎合して、やれイタリアはお終いだの中国の債務の罠だの財政破綻を招くだの、と半可通の論評や批判を展開するジャーナリストや評論家などが続々出てきた。

だが中伊の覚え書きの交換は、EUやアメリカの高官また日本の論者などが不安がり危機感をあおるほどの大層な意味を持つものではないと思う。

もちろん将来そうなる可能性はゼロではない。だがそうなった暁にはEUもアメリカも世界の誰もが中国の足元にひれ伏しているはず。それはお伽話の世界だ。

覚え書きには、中国がこれまでイタリア・ジェノバなどの港湾施設に出資したのと同様の投資など、経済関係の強化が盛り込まれている。

そこに示されたイタリアと中国の連携による経済波及効果は200億ユーロ(約2兆5千億円)規模になる、などとも言われている。

それが事実なら財政危機にあえいでいるイタリアにとっては願ってもない機会である。実のところイタリアはそうした利益を期待して中国の提案を受け入れた。

イタリアにとっては実現すれば良し、コケればコケたで失うものは何もない、という程度の取引だと考えてもあながち間違いではない。

覚え書きの交換を批判するアメリカは、周知のように世界経済の覇者の地位を中国に奪われまいとして、対抗意識を向き出しに貿易戦争などを仕掛けている。

一方EUは、Brexitで揺れる英国を除く27カ国が結束してアメリカに比肩すると同時に、対中国ではアメリカとも手を組んで世界における欧米の優位性を保ちたいと切望している。

イタリアはそのEUの結束を乱しかねない、というのがEU本部の懸念だ。だがイタリアはいざとなれば、中国との単独の覚え書きなど破棄してしまうだろう。

覚え書きには拘束力はない、とイタリア側は弁明している。だが、覚え書きにはイタリア政府代表が署名しているのだから、何らかの拘束力はあるものと考えられる。

それにもかかわらずにイタリア政府が、覚え書きに拘束力はない、と繰り返し表明しているのは、おそらく将来の不都合に向けての布石だ。

EU自体も実は、極めて慎重な態度ではあるものの、欧州の独自性と優位性を保ちながら中国と経済的に協力できるのならそうしたい、と望んでいる。

イタリアはいわばそこからの「抜けがけ」をEU本体に責められている形だが、将来同国がうまく中国と付き合いEUもその流れに乗る状況になった時は、「先見の明があった」と賞賛されるだろう。

逆にEUと中国が対立する政治環境に陥った場合には、イタリアが両者の間の仲介役として縦横に動き回る事態が発生するかもしれない。

しかし両者の対立が決定的になった時には、イタリアは中国を見限ってEUと行動を共にするだろう。なぜならEUこそイタリアの仲間であり家族であり同じルーツを持つ血族だからだ。

イタリア連立政権の担い手であるポピュリストの五つ星運動と同盟は、心情的に反EUとはいえ結局「欧州内の」政治勢力だ。彼らの家も欧州であり、彼らの家族も欧州人なのである。

異文化を全身に纏ったうえに、反自由主義市場の一党独裁国家である中国とは、最終的には誰もが折り合うことなく決別すると考えるべきだ。

もちろん懸念はある。五つ星運動と同盟は基本的にEU懐疑派の集団だ。EUが対応を誤って彼らを刺激しつづければ、反EUの機運が高まりかねない。それは避けるべきだ。

イタリアには「フルボ」という日常語がある。それは知恵者というポジティブな意味と、同時に狡猾漢、ずるがしこい、抜けめない、などネガティブな意味を併せ持つ言葉だ。

人々は誰かをフルボと規定するとき、両方の意味合いをこめて言葉を発する。善人でもあり悪人でもあるのがフルボな人物だ。

複雑な心理は、イタリアの各地方が生き残りをかけて侵略と謀略と闘争に明け暮れた、かつての都市国家メンタリティーの中で培われたものだ。

生き馬の目を抜く非情な生存競争の中では、知恵があって抜け目のない者、つまりフルボが勝利するのが理の当然である。イタリア人は肯定的にそう考える。考えは態度に出る。

にぎやかで楽しく、親切で優しいイタリア人が時折り、特に日本人などの旅人の目に「ずるがしこくも油断ができない存在」に見えてしまったりするのは、決して偶然ではない。

イタリアは国益と生き残りをかけて「フルボな中国」を手玉に取ろうと「フルボに動いている」に過ぎない、というのが今回の覚え書き交換の真相のように僕には見える。




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いいぞ稀勢の里あらため荒磯親方の大相撲解説



可愛い丸顔400に拡大



横綱稀勢の里は引退して荒磯親方となった。その荒磯親方が、大相撲3月場所の7日目にNHKの大相撲中継の解説者として登場した。

無口だった現役時代とは打って変わってよくしゃべり、うまく解説し、明るく、いきいきとした雰囲気を発散していてとても感じが良かった。

僕は相変わらずNHKの大相撲中継を衛星放送で観ている。仕事や旅で家を留守にしていない限り毎場所。毎日。

だが最近は、解説の北の富士勝昭さんが出演する日以外は、番組の全てを通しで観ることはほとんどない。録画をしておき、仕切りの部分を早送りでスキップして、勝負の映像だけを楽しむ。

大相撲観戦法としては邪道かもしれないが、本来は気合を高揚させて時間前でも立つべき仕切りの内容は、ただ制限時間を待つだけのだらけた儀式に成り下がっていてつまらない。

もっとつまらないのは、緩慢な儀式の間に聞かされる番組解説者の親方たちのダベリだ。ほとんどが陳腐で無内容で、且つ致命的なのは聞いていて少しも楽しめない。

唯一の例外が北の富士勝昭さん。かつては強い横綱のひとりだった男らしく、取り組みの技術解説が明快な上に、力士への厳しい愛が言葉にこもり、さりげなく口に出される人生論も屈折があって味わい深い。なによりも聞いていて楽しい。

ついでだから言及しておくが、彼の対極にいた解説者が角界から完全に姿を消した貴乃花親方だ。北の富士よりもはるかに強い横綱だった貴乃花の解説は、下手を通り越して異様だった。

断っておくけれども僕は現役時代の貴乃花の大ファンだった。引退後の貴乃花親方もストイックな印象が良かった。しかし、相撲協会との確執が明らかになっていく過程で、強い違和感を覚えるようになった。

貴乃花親方が、相撲は日本国体を担うものであり (相撲を通して)日本を取り戻すことのみが、私の大義であり大道である、などと神がかり的な言動をし始めたからだ。

彼の奇怪な思想と、相撲番組の解説者としては完全失格とも見えた解説振りは、おそらく通底している。解説になっていない解説、というのが彼のしゃべりの特徴だったが、相撲を国体に結びつける勘違い振りは、笑止を超えて不気味でさえある。


閑話休題

最低の解説者貴乃花と、最高の解説者北の富士のあいだにいるのが、稀勢の里あらため荒磯親方である。彼の解説は、初々しい中にもプロのたたずまいがあって、将来とても有望に見えた。

僕は5年前、次のような内容の話をここに書いた。

NHK大相撲解説者番付:

東横綱 - 北の富士勝昭   西横綱 - 不在

大関 - 九重親方 

小結 - 舞の海  琴欧州

平幕 - 貴乃花親方を除く全員

序の口 - 貴乃花親方

貴乃花親方は、テレビの解説者席などに座ってはいけない。元「天才ガチンコ横綱」のままでいるべきだ。解説者として登場するたびに、過去の栄光に傷をつ けてしまっている。解説者の資質、つまりシャベリの能力はほぼゼロだということにNHKも気づいて、どうやら彼を呼ばない方向でいるらしいのは喜ばしいことだ。

琴欧州親方は、引退直後の今年5月場所の6日目に、NHK大相撲中継の解説者として放送席に座った。それには現役を引退したばかりの彼への慰労の意味合いもあっただろう。ヨーロッパ人初の大関、そして ヨーロッパ人初の親方へ、という経歴への物珍しさもあっただろう。また、NHKとしては彼に解説者としての資質があるかどうかを試す意味合いもあっただろ う。あるいは解説者としての資質ありと見抜いていて、実際に力量を測ろうとしたのかもしれない。

結論を先に言うと、琴欧州は僕がいつも感 じてきたように、人柄が良くて謙虚で礼儀正しいりっぱな元大関だった。そして解説者としても間違いなくうまくやっていけると思った。その後九州場所を含めて彼は何度かNHKの解説者席に座った。現在のNHKの大相撲中継の解説者は、前述したように北の富士勝昭さんが最上、貴乃花親方が最低、という図式だが、琴欧州親方は既に中の上くらいの力量があると僕は感じている。

多くの日本人親方を差し置いて彼を番付で小結に格付けしたのは、僕からのご祝儀の意味合いももちろんある。だがそればかりではなく、通り一遍のことしか言わない(言えない)解説者群の中にあって、ちょっと相撲にうるさい人々も頷く視点での意見開陳ができる実力をも考慮してのことである。


以前のこの記事では書きそびれてしまったが、NHK解説者のうち元大関琴風の尾車親方は、解説者としては大関級の九重親方(故人)と小結の舞の海&琴欧州の間くらいの力量、また魅力があると思う。

今回初出演の稀勢の里・荒磯親方は、さすがに北の富士さんには及ばない。が、新鮮で魅力的という観点から大関の九重親方の上を行くと思う。九重親方は無念にも亡くなってしまっているが。

横綱としてのキャリアと、男っぷりを競う人生経験では、稀勢の里・荒磯親方は北の富士さんを越えることはできない。優勝10回と2回が2人の生涯成績で、ダンディな夜の帝王が北の富士、生真面目な茨城の好青年が稀勢の里、という具合なのだから。

だが今後の相撲解説者人生においては、勝負の行方は誰にもわからない。北の富士さんはすでに全容が明らかな解説者だが、荒磯親方は未知の、糊しろの大きなスター解説者候補なのだから。

今後は彼の解説の日の相撲中継もじっくりと観ていこうと思う。

やれやれ、またやることが増えてしまった・・人生短かくて時間がなさ過ぎるというのに。。。


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独立自尊こそ島の心意気



サルデーニャ島に関する8本目の論考。この稿をもってサルデーニャ島の話は“いったん”終わりにする。むろん、将来なにかがあればまた書く計画。そして将来なにもないわけがない、というのが僕の正直な気持ちだ。それだけ面白いのである。サルデーニャ島は。


目隠し絵風になびく600


イタリア・サルデーニャ島にのしかかかった政治的「植民地主義」は近世以降、重く厳しい現実を島民にもたらし続けた。

2017年7月、サルデーニャ独立運動家のサルヴァトーレ・メローニ氏(74歳)は、収監中の刑務所で2ヶ月間のハンガーストライキを実行し、最後は病院に運ばれたがそこで死亡した。

元長距離トラック運転手だったメローニ氏は2008年、サルデーニャの小さな離島マル・ディ・ヴェントゥレ(Mal di Ventre)島に上陸占拠して独立を宣言。マルエントゥ共和国と称し自らを大統領に指名した。それは彼がサルデーニャ島(州)全体の独立を目指して起こした行動だった。

だが2012年、メローニ氏は彼に賛同して島に移り住んだ5人と共に、脱税と環境破壊の罪で起訴される。またそれ以前の1980年、彼はリビアの独裁者ガダフィと組んで「違法にサルデーニャ独立を画策した」として9年間の禁固刑も受けていた。

過激、且つ多くの人々にとっては笑止千万、とさえ見えたメローニ氏の活動は実は、サルデーニャ島の置かれた特殊な状況に根ざしたもので、大半のサルデーニャ島民の心情を代弁する、と断言しても良いものだった。

サルデーニャ島は古代から中世にかけてアラブ人などの非西洋人勢力に多く統治された後、近世にはスペインのアラゴン王国に支配された。そして1720年、シチリア島と交換される形で、イタリア本土のピエモンテを本拠とするサヴォイア公国に譲り渡された。

サルデーニャを獲得したサヴォイア公国は、以後自らの領土を「サルデーニャ王国」と称した。国名こそサルデーニャ王国になったが、王国の一部であるサルデーニャ島民は、サヴォイア家を始めとする権力中枢からは2等国民と見なされた。

王国の領土の中心も現在のフランス南部とイタリア・ピエモンテという大陸の一部であり、首都もサヴォイア公国時代と変わらずピエモンテのトリノに置かれた。サルデーニャ王国の「サルデーニャ」とは、サヴォイア家がいわば戦利品を自慢する程度の意味合いで付けた名称に過ぎなかったのである。

1861年、大陸の領地とサルデニャ島を合わせて全体を「サルデーニャ王国」と称した前述のサヴォイァ家がイタリアを統一したため、サルデーニャ島は統一イタリア王国の一部となり、第2次大戦後の1948年には他の4州と共に「サルデーニャ特別自治州」となった。

統一イタリアの一部にはなったものの、サルデーニャ島は「依然として」サヴォイア家とその周辺やイタリア本土のエリート階級にとっては、異民族にも見える特殊なメンタリティーを持つ人々が住む、低人口の「どうでもよい」島であり続けた。

その証拠にイタリア統一運動の貢献者の一人であるジュゼッペ・マッツィーニ
(Giuseppe Mazzini)は、フランスがイタリア(半島)の統一を支持してくれるなら「喜んでサルデーニャをフランスに譲り渡す」とさえ公言し、その後のローマの中央政府もオーストリアなどに島を売り飛ばすことをしきりに且つ真剣に考えた。

[イタリアという4輪車]にとっては“5つ目の車輪”でしかなかったサルデーニャ島は、そうやってまたもや無視され、差別され、抑圧された。島にとってさらに悪いことには、第2次大戦後イタリア本土に民主主義がもたらされても、島はその恩恵に浴することなく植民地同様の扱いを受けた。

政治のみならず経済でもサルデーニャ島は差別された。イタリア共和国が奇跡の経済成長を成し遂げた60~70年代になっても、中央政府に軽視され或いは無視され、近代化の流れから取り残されて国内の最貧地域であり続けたのである。

そうした現実は、外部からの力に繰り返し翻弄されてきたサルデーニャ島民の心中に潜む不満の火に油を注ぎ、彼らが独立論者の主張に同調する気運を高めた。そうやって島には一時期、独立志向の心情が充満するようになった。

第2次大戦後のサルデーニャの独立運動は、主に「サルデーニャ行動党(Partito Sardo d’Azione)」と「サルデーニャ統一民主党(Unione Democratica Sarda)」が中心になって進められ、1984年の選挙では独立系の政党が躍進した。

だがその時代をピークに、サルデーニャ島の政党による独立運動は下火になる。その間隙をぬって台頭したのが‘一匹狼’的な独立運動家たちである。その最たる者が冒頭に言及したサルヴァトーレ・メローニ氏だった。

サルデーニャ島民は彼ら独自のアイデンティティー観とは別に、ローマの中央政府に対して多くの不満を抱き続けている。その一つが例えば、イタリア駐在NATO軍全体の60%にも当たる部隊がサルデーニャ島に置かれている現実だ。また洪水のようにサルデーニャ島に進出する本土企業の存在や島の意思を無視したリゾート開発競争等も多くの島民をいらだたせる。

しかしながら現在のサルデーニャ島には、深刻な独立運動は起こっていない。不当な扱いを受けながらも、イタリア本土由来の経済発展が島にも徐々にもたらされている現実があるからだ。2015年には「イタリアから独立してスイスの一部になろう」と主張する人々の動きが、そのユニークな発想ゆえにあたかもジョークを楽しむように世界中の人々の注目を集めたぐらいだ。

イタリアには独立を主張する州や地域が数多くある。サルデーニャとシチリアの島嶼州を始めとする5つの特別州(※註1)は言うまでもなく、約160年前のイタリア統一まで都市国家や公国やローマ教皇国等として分離独立していた半島各地は、それぞれが強い独立志向を内に秘めている。

2014年3月にはヴェネト州で住民による独立の是非を問うインターネット投票が実施され、200万人が参加。その89%が独立賛成票だった。それは英国スコットランドの独立運動やスペイン・カタルーニャ州問題などに触発された動きだったが、似たような出来事はイタリアでは割とよく起こる。

イタリアは国家の中に地方があるのではなく、心理的にはそれぞれが独立している地方が寄り集まって統一国家を形成しているいわば連邦国家だ。サルデーニャ島(州)の独立志向もそのうちの一つという考え方もできるかもしれない。

ところが人口約160万人に過ぎないサルデーニャ島には、イタリアからの分離独立を求める政党が10以上も存在し、そのどれもがサルデーニャ島の文化や言葉また由緒などの全てがイタリア本土とは異なる、と訴えている。

例えそれではなくとも、有史以来サルデーニャ島が辿ってきた特殊な時間の流れを見れば、同地の独立志向の胸懐は、イタリア共和国の他の地方とはやはり一味も二味も違う、と言わなければならないように思うのである。

(※註1)シチリア、サルデーニャ、ヴァッレ・ダオスタ、トレンティーノ=アル ト・アディジェ、フリウリ=ヴェネイア・ジュリアの各州。イタリアには州が20あ り、そのうち15州が通常州、5州 が特別自治州である。特別自治州は通常州よりも大きな地方自治権を有している。



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スイスの海で泳いでみたい



スイス旗+サルデーニャ旗並び合成600



イタリアのサルデーニャ島は古代からイタリア本土とは異なる歴史を歩んできた。それゆえにサルデーニャ島人は独自のアイデンティティー観を持っていて、自立・独立志向が強い、ということも何度か言及した。

ローマ帝国の滅亡後、イタリアでは半島の各地が都市国家や公国や海洋国家や教皇国などに分かれて勝手に存在を主張していた。

そこでは1861年の統一国家誕生後も、独立自尊のメンタリティーが消えることはなく、それぞれの土地が自立あるいは独立を模索する傾向がある。あるいはその傾向に向かう意志を秘めて存在している。

サルデーニャ島(州)ももちろんそうした「潜在独立国家」群の一つ。だが同島の場合、島だけで独立していたことはない。イタリア共和国に組み込まれる以前はアラブやスペインの支配を受け、イタリア半島の強国の一つピエモンテのサヴォイア公国にも統治された。

現在はイタリア共和国の同じ一員でありながら、サルデーニャ島民が他州の人々、特にイタリア本土の住民とは出自が違いルーツが違う、と強く感じているのは島がたどってきた独自の歴史ゆえである。
抑圧され続けた歴史への怨恨と島人としての誇りから、サルデーニャ島の人々は、独立志向が強いイタリア半島の各地方の中でも特に、イタリア共和国からの独立を企てる傾向が強いと見られている。

1970年代には38%のサルデーニャ島民が独立賛成の意思を示していた。また2012年のカリアリ大学とエジンバラ大学合同の世論調査では、41%もの島民が独立賛成と答えた。

その内訳は「イタリアからは独立するものの欧州連合(EU)には留まる」が31%。「イタリアから独立しEUからも離脱する」が10%だった。

今日現在のサルデーニャ島には深刻な独立運動は存在しない。しかしそれらの統計からも推測できるように、島には政党等の指導による独立運動が盛んな時期もあった。そして島の独立を主張する政党は今でも10以上を数えるのである。

それらの政党にかつての勢いはなく、2019年現在のサルデーニャ州の独立運動は、個人的な活動とも呼べる小規模な動きに留まっているのがほとんどだ。

その中にはイタリアから独立し、且つEU(欧州連合)からも抜け出してスイスへの編入・統合を目指そう、と主張するユニークなグループもある。なぜスイスなのか、と考えてみると次のような理由が挙げられそうだ。

独立を目指すサルデーニャ島民の間には、先ずイタリア本土への反感があり、そのサルデーニャ島民を含むイタリア共和国の全体には欧州連合(EU)への不信感がある。最近イタリアに反EUのポピュリスト政権が誕生したのもそれが理由の一つだ。

イタリア本土とEUを嫌うサルデーニャ島が、欧州内でどこかの国と手を結ぶとするなら、非EU加盟国のスイスとノルウェーしかない。バルカン半島の幾つかの国もあるが、それらは元共産主義圏の貧しい国々。一緒になってもサルデーニ島にメリットはない。

さて、スイスとノルウェーのどちらがサルデーニャにとって得かと考えると、これはもう断然スイスである。金持ちで、EU圏外で、しかも永世中立国。さらに国内にはティチーノ州というイタリア語圏の地域さえある。このことの心理的影響も少なくないと思う。

ノルウェーもリッチな国だが豊かさの大半は石油資源によるもの。石油はいつかなくなるから将来性に不安がある。また人口も約500万人とスイスの約800万人より少ない。従って後者の方が経済的にも受け入れの可能性が高い、など、など、の理由があると考えられる。

仮に島が分離・独立を果たしたとする。その場合にはスイスは、あるいは喜んでサルデーニャを受け入れるかもしれない。なにしろ自国の半分以上の面積を有する欧州の島が、一気にスイスの国土に加わるのだから悪くない話だ。

しかも島の人口はスイスの5分の一以下。サルデーニャの一人当たりの国民所得はスイスよりもはるかに少ないが、豊かなスイス国民は新たに加わる領土と引き換えに、島民に富を分配することを厭わないかもしれない。

スイス政府はこれまでのところ、サルデーニャ島からのラブコールをイタリアの内政問題だとして沈黙を押し通している。それは隣国に対する礼儀だが、敢えてノーと言わずに沈黙を貫き通していること自体が、イエスの意思表示のように見えないこともない、と僕は思う。

ただスイスと一緒になるためには、島は先ずイタリアからの分離あるいは独立を果たさなければならない。イタリア共和国憲法は国内各州の分離・独立を認めていないからだ。分離・独立を目指すならサルデーニャ島は憲法を否定し、従ってイタリア共和国も否定して、武力闘争を含む政治戦争を勝ち抜く必要がある。これは至難の業だ。

分離・独立の主張は、イタリア本土から不当な扱いを受けてきたと感じている島人たちの、不満や恨みが発露されたものだ。イタリア本土の豊かな地域、特に北部イタリアなどに比較すると島は決して裕福とは言えない、

経済的な不満も相まって、島民がこの際イタリアを見限って、同時に、欧州連合内の末端の地域の経済的困窮に冷淡、と批判されるEUそのものさえも捨てて、EU圏外のスイス連邦と手を組もうというのは面白い考えだと思う。

ただし誤解のないように付け加えておきたい。スイスへの編入・統合を主張しているのは今のところ、サルデーニャ島の島民の一方的な声である。片思いなのだ。しかも声高に言い張るのは、これまた今のところはサルデーニャ島民のうちの極く小さなグループに過ぎない。

面白いアイデアながらグループの主張には僕はは違和感も覚える。つまり彼らが独立を求めるようでいながら、最終的には独立ではなく、イタリア本土とは別のスイスという「新たな従属先」を求めているだけの、事大主義的主張をしている点だ。どうせなら彼らは独立自尊の純粋な「独立」を追求するべきだ。

僕はサルデーニャ島の独立にも、そこに似た日本の沖縄の独立にも真っ向から反対の立場だが、「独立を志向する精神」には大賛成だ。島に限らず、国に限らず、人に限らず、あらゆる存在は「独立自尊」の気概を持つべき、というのが僕の立場だ。そしてそういう考えが出てくるほどの多様性にあふれた世界こそが、理想的な「あるべき姿」だと考える。

「イタリアを捨ててスイスに合流する」というサルデーニャ島民の荒唐無稽に見える言い分は、それをまさに荒唐無稽ととらえる欧州や世界の人々の笑いと拍手と喝采を集めた。しかしながら僕の目にはそれは、どうしても荒唐無稽とばかりは言えないアイデアにも映るのだ。

暴力と憎しみと悲哀のみを生みかねない政治闘争の可能性はさておき、海のないスイス連邦に美しいティレニア海と温暖で緑豊かなサルデーニャ島が国土として加わる、というファンタジーは僕の心を躍らせる。スイス連邦サルデーニャ州のビーチで食べるアイスクリームは、あるいはイタリアのサルデーニャ島で食べるそれとは違う味がするかもしれないではないか。




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アートに救われた人殺しの村



加筆再録

前景老人&奥の3階家壁600
 


イタリア、サルデーニャ島に集落中の建物が壁画で覆われた村があります。深い山中にあるオルゴーソロ(Orgosolo)です。人口約4500人のその村は、かつて「人殺しの巣窟」とまで呼ばれて悪名を馳せていた犯罪者の拠点集落。

犯罪者の拠る場所は往々にして貧民の集落と同義語です。山賊や殺人鬼や誘拐犯らがたむろしたかつてのオルゴーソロは、まさにそんな貧しい村でした。イタリア本土の発展から取り残された島嶼州サルデーニャの、さらに奥の陸の孤島に位置していたからです。

一般社会から隔絶された山中の村人は、困窮する経済状況に追い詰められながらも、外の世界との付き合いが下手で不器用なために、それを改善する方策を知りませんでした。貧しさの中に溺れ、あがき続けていたのです。

そのためにある者は盗みに走り、ある者は誘拐、また別の者は強盗や家畜略奪などに手を染めました。また残りの村人たちは、隣人であるそれらの実行犯を助け、庇護し、官憲への協力を拒むことで共犯者となっていきました。

犯罪に基盤を置く村の経済状況が良くなることはありませんでした。それどころか、外部社会から後ろ指を指される無法地帯となってさらに孤立を深め、貧困は進行しました。かつてのオルゴーソロの現実は、イタリア本土の発展に乗り遅れたサルデーニャ島全体の貧しさを象徴するものでもあります。

イタリア半島の統一に伴ってイタリア共和国に組み込まれたサルデーニャ島は、イタリア国家の経済繁栄にあずかって徐々に豊かになり、おかげでオルゴーソロの極端な貧困とそこから発生する犯罪も少づつ姿を消していきました。

第2次大戦後初の経済危機がイタリアを襲った際、国が村の土地を接収しようとしました。それをきっかけに村人の反骨精神が燃え上がります。彼らは国への怒りを壁画アートで表現し始めました。山賊や殺人犯や誘拐犯らはイタリア本土の支配に反発する愛郷心の強烈な人々でもあったのです。

アナキストなどが先導する反骨アーチスト集団は、村中の家の壁に地元の文化や日常を点描する一方、多くの政治主張や、中央政府への抗議や、歴史告発や、世界政治への批判や弾劾などを描きこんで徹底的に抵抗しました。1960年代終わりのことです。

だが実は、オルゴーソロはサルデーニャ島における壁画アートの最大の担い手ではありますが、それの先駆者ではありません。島南部の小さな町サン・スペラーテの住民が、観光による村興しを目指して家々の壁に絵を描いたのが始まりでした。

それは島の集落の各地に広まって、今では壁画アートはサルデーニャ島全体の集落で見られるようになりました。特に内陸部の僻地などにに多いのが特徴です。そこは昔から貧しく。今日も決して豊かとは言えない村や町が大半を占めています。

そうした中、かつての犯罪者の巣窟オルゴーソロは、インパクトが大きい強烈な政治主張を盛り込んだ壁画を発表し続けました。それが注目を集め、イタリアは言うに及ばず世界中から見物者が訪れるようになっています。

外部からの侵略と抑圧にさらされ続けた島人が、「反骨の血」を体中にみなぎらせて行くのは当然の帰結です。そこに加えて貧困があり、「反骨の血」を持つ者の多くは、既述のように貧困から逃れようとして犯罪に走りました。

イタリア共和国の経済繁栄に伴って村が犯罪の巣窟であることを止めたとき、そこには社会の多数派や主流派に歯向かう反骨の精神のみが残りました。そして「反骨の血」を持つ者らが中心となって壁画を描き始め、それが大きく花開いたのがオルゴーソロの壁画アートなのです。

サルデーニャ島は、イタリア共和国の中でも経済的に遅れた地域としての歩みを続けてきました。それはイタリアの南北問題、つまり南部イタリアの慢性化した経済不振のうちの一つと捉えられるべきものですが、サルデーニャ島の状況は例えば立場がよく似ているシチリア島などとは異なります。

まず地理的に考えれば、サルデーニャ島はイタリア本土とかけ離れたところにあります。地中海の北部ではイタリア本土と島は割合近いものの、イタリア半島が南に延びるに従って本土はサルデーニャ島から離れていく形状になっています。

一見なんでもないことのように見えますが、その地理的な配置がサルデーニャ島を孤立させ、歴史の主要舞台から遠ざける役割も果たしました。イタリア半島から見て西方、あるいは「アフリカ側にある」と考えられた島は軽視されたのです。

錯覚に近い人々の思い込みは、先史時代のアラブの侵略や後年のイスラム教徒による何世紀にも渡る進入・支配など、島が歩んで来た独特の歴史と相俟って、サルデーニャをイタリアの中でもより異質な土地へと仕立て上げていきました。

島の支配者はアラブからスペインに変り、次にオーストリアが名乗りを上げて最終的にイタリア共和国になりました。以後サルデーニャ島は、イタリアへの同化と同時に自らの独自性も強く主張する場所へと変貌し、今もそうであり続けています。

島が政治・経済・文化的に本土の強い影響を受けるのは、あらゆる国の島嶼部に共通する運命です。また島が多数派である本土人に圧倒され、時には抑圧されるのも良くあることです。

島は長いものに巻かれることで損害をこうむりますが、同時に経済規模の大きい本土の発展の恩恵も受けます。島と本土は、島人の不満と本土人の島への無関心あるいは無理解を内包しつつ、「持ちつ持たれつ」の関係を構築するのが宿命です。

ある国における島人の疎外感は、本土との物理的な距離ではなく本土との精神的距離感によって決定されます。サルデーニャ島の人々は、イタリアの他の島々の住民と比べると、「本土との精神的距離が遠いと感じている」ように筆者には見えます。

そうしたサルデーニャ人の思いが象徴的に表れているのが、オルゴーソロの「怒れるアート壁画」ではないか、と筆者は以前から考えていました。だから島に着くとほぼ同時に筆者はそれを見に行かずにはいられませんでした。

抗議や怒りや不満や疑問や皮肉などが、家々の壁いっぱいに描かれたアート壁画は、芸術的に優れていると同時に、村人たちの反骨の情熱が充溢していて、筆者は自らの思いが当たらずとも遠からず、という確信を持ったのでした。


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オ~イ沖縄!今のままでいいんか~いイイイい!



県民投票公式サイトから



辺野古移設反対が多数を占めた県民投票の結果を受けても、安倍政権が「基地負担を軽減するため辺野古に新基地を作る」と沖縄を愚弄する言葉を吐き続けるなら、もはや島はさらなる苦難を承知で独立を志向したほうがいいのかもしれない。

その場合沖縄が味方に付けるべき相手は中・露・北朝鮮のうちの1国。または3国全て。民意を無視する安倍一強はしょせん独裁体制。毒をもって毒を制する。

逆転の発想もある。アメリカをたきつけて沖縄独立を後押しさせるのだ。これも毒をもって毒を制するコンセプトの一つである。

トランプ米大統領はゴロツキ独裁政治家という意味で習近平、プーチン、金正恩と何も変わらない。彼が北朝鮮の独裁者とウマが合うのもそれが理由だ。

安倍強権内閣と鋭く対立している今の韓国も沖縄のパートナーになり得る。韓国に「恨の心」がある限り彼らは沖縄の屈辱も理解するだろう。

懸念は沖縄がそれらの大国に呑み込まれて、安倍政権下の“植民地”状態を脱して新たに彼らの「植民地」になってしまうことだ。韓国や北朝鮮でさえ沖縄に較べれば大国だ。

沖縄が中国に於ける「チベット化」を避けるには、大きな知恵と肝とキンタマが必要だ。そこを踏まえて熟考に熟考を重ねて行動を起こさなければならない。

幸い沖縄には、大国の間隙を縫って独立を保った奇跡のミニ国家、琉球王国の伝統とノウハウがある。それを活かせば道が開けるだろう。

だが沖縄が目指すべきは断じて琉球王国の再興ではない。琉球王国とはなにか?それは幕藩体制の日本や当時の世界のほとんどの国と同様の、未開で野蛮な超独裁国家に過ぎない。

琉球王国の場合は、その上に「ミニチュアの」というまくら言葉が付くだけだ。未開の、超ミニチュアの、超独裁国家が琉球王国なのである。

沖縄はそんな邪悪な国家体制を目標にしてはならない。琉球王国は蔭なるものである。

沖縄は民主主義体制の、貧しくても「“明るい”沖縄共和国」を作り上げるべきだ。

個人的には僕は沖縄の独立には真っ向から反対する立場である。

だが沖縄が本気で独立に向けて立ち上がるなら、そしてもしも必要なら、僕はここイタリアを引き払ってでも、故郷の島に移り住み闘いに参加しようと思う。

そうなった暁には、人生またさらに面白くなるゾ。




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