2011年04月

スケベで嘘つきで怠け者のイタリア人?



3月26日の記事「“違う”ことは美しい」の中でチラと書いたことにも重なるが、イタリア人(特にイタリア男)のイメージの一つ「スケベで怠け者で嘘つきが多く、スパゲティーやピザをたらふく食って、日がな一日カンツォーネにうつつを抜かしているノーテンキな人々」というステレオタイプ像の真偽について、僕なりの考えを再び少し述べたい。

 

イタリア人は恋を語ることが好きである。男も女もそうだが、特に男はそうである。恋を語る男は、おしゃべりで軽薄に見える分だけ、恋の実践者よりも恋多き人間に見える。

 

ここからイタリア野郎は、手が早くてスケベだという羨(うらや)ましい(!)評判が生まれる。

 

しかも彼らは恋を語るのだから当然嘘つきである。嘘の介在しない恋というのは、人類はじまって以来あったためしがない。

 

ところで、恋を語る場所はたくさんあるけれども、大人のそれとしてもっともふさわしいのは、なんと言っても洒落たレストランあたりではないだろうか。イタリアには日本の各種酒場のような場所がほとんどない代わりに、レストランが掃(は)いて捨てるほどあって、そのすべてが洒落ている。なにしろ一つ一つがイタリアレストランだから・・。

 

イタリア人は昼も夜もしきりにレストランに足を運んで、ぺちゃクチャぐちゃグチャざわザワとしゃべることが好きな国民である。そこで語られることはいろいろあるが、もっとも多いのはセックスを含む恋の話だ。

 

実際の恋の相手に恋を語り、友人知人のだれ彼に恋の自慢話をし、あるいは恋のうわさ話に花を咲かせたりしながら、彼らはスパゲティーやピザに代表されるイタリア料理のフルコースをぺろりと平らげてしまう。

 

こう書くと単純に聞こえるが、イタリア料理のフルコースというのは実にもってボー大な量だ。したがって彼らが普通に食事を終えるころには、二時間や三時間は軽くたっている。そのあいだ彼らは、全身全霊をかけて食事と会話に熱中する。どちらも決しておろそかにしない。その集中力というか、喜びにひたる様というか、太っ腹な時間のつぶし方、というのは見ていてほとんどコワイ。

 

そうやって昼日なかからレストランでたっぷりと時間をかけて食事をしながら、止めどもなくしゃべり続けている人間は、どうひいき目に見ても働くことが死ぬほど好きな人種には見えない。

 

そういうところが原因の一つになって、怠け者のイタリア人のイメージができあがる。

 

さて、次が歌狂いのイタリア人の話である。

この国に長く暮らして見ていると、実は「カンツォーネにうつつを抜かしているイタリア人」というイメージがいちばん良く分からない。

 

おそらくこれはカンツォーネとかオペラとかいうものが、往々にして絶叫調の歌い方をする音楽であるために、いちど耳にすると強烈に印象に残って、それがやたらと歌いまくるイタリア人、というイメージにつながっていったように思う。

イタリア人は疑いもなく音楽や歌の大好きな国民ではあるが、人前で声高らかに歌を歌いまくって少しも恥じ入らない、という質(たち)の人々では断じてない。むしろそういう意味では、カラオケで歌いまくるのが得意な日本人の方が、よっぽどイタリア人的(!)である。

 

そればかりではなく、スケベさにおいても実はイタリア人は日本人に一歩譲るのではないか、と僕は考えている。

イタリア人は確かにしゃあしゃあと女性に言い寄ったり、セックスのあることないことの自慢話や噂話をしたりすることが多いが、日本の風俗産業とか、セックスの氾濫(はんらん)する青少年向けの漫画雑誌、とかいうものを生み出したことは一度もない。

 

嘘つきという点でも、恋やセックスを盾に大ボラを吹くイタリア人の嘘より、本音と建て前を巧みに使い分ける日本人の、その建て前という名の嘘の方がはるかに始末が悪かったりする。

 

またイタリア人の大食らい伝説は、彼らが普通一日のうちの一食だけをたっぷりと食べるに過ぎない習慣を知れば、それほど驚くには値しないとも考えられる。それは伝統的に昼食になるケースが多いが、二時間も三時間もかけてゆっくりと食べてみると、意外にわれわれ日本人でもこなせる量だったりする。

 

さらにもう一つ、イタリア人が怠け者であるかどうかも、少し見方を変えると様相が違ってくる。

イタリアは自由主義社会(こういう言い方は最早通用しないがイタリアを語るにはいかにもふさわしい語感である。また自由主義社会だから中国を排除する)で、米日独仏につづいて第5番目の経済力を持つ。イギリスよりもイタリアが上だと考えられるのだ。これには諸説あるが、正式の統計には出てこないいわゆる「闇経済」の数字を考慮に入れると、イタリアの経済力が見た目よりもはるかに強力なものであることは、周知の事実である。

 

ところで、恋と食事とカンツォーネと遊びにうつつを抜かしているだけの怠け者が、なおかつそれだけの経済力を持つということが本当にできるのだろうか?

 

何が言いたいのかというと・・

要するにイタリア人というのは、結局、日本人やアメリカ人やイギリス人やその他もろもろの国民とどっこいどっこいの、スケベで嘘つきで怠け者で大食らいのカンツォーネ野郎に過ぎない、と僕は考えているのである・・

それでも、やっぱりイタリア人には、他のどの国民よりももっともっと「スケベで嘘つきで怠け者で大食らいのカンツォーネ野郎」でいてほしい。せめて激しくその「振り」をし続けてほしい。それでなければ世界は少し寂しく、つまらなく見える。



今のところは・・



ブログ記事にしろ何にしろ、人は知っていることしか書けない。知らないことは逆立ちしても書けないのである。

そして一人の人間が知っていることはとても少ない。知らないことが多過ぎるばかりではなく、知っていることでも中途半端な知識だったり、うろ覚えだったり、思い込みだったりすることも珍しくない。

 


あいまいな知識は調べたり勉強したりして確実なものにすることができる。あるいは限りなく確実に近いものにすることができる。

 


しかし、調べても勉強しても、考えても分からないことがある。

 


そこで僕は、考え続けても分からないことや結論付けられないあらゆることに「今のところは」と枕詞をつけることにしている。というか、それが僕の主義であり原理原則である。

 


「今のところは、~」という言い方や考え方は、日和見(ひよりみ)主義や風見鶏的なずるさにつながる危(あや)うさをはらんでいる。それでも僕は、いや、だからこそ僕は、あえて「今のところは」と断わりをおいて考えることにしている。

 


なぜなら人は死ぬまでは変わり続けるのであり、流転変遷こそが生の証(あかし)であり人生の華である。そして、変わるのが人の宿命なら、変わる人の、思想や考えも変わるのが道理である。変わらないなら、それは死人の思想であり膠着(こうちゃく)した危険な思想である可能性がある。

考え続けているが良く分からないこと、結論付けられないことは僕の中に無数にあるが、今思いつくままに10個を書き出すと:

 


1.今のところ僕は、原発に99%反対

2.今のところ僕は、死刑制度に賛成

3.今のところ僕は、安楽死に賛成

4.今のところ僕は、捕鯨に反対

5.今のところ僕は、外国人参政権に反対

6.今のところ僕は、多国籍軍によるリビア攻撃に賛成

7.今のところ僕は、日米同盟に賛成(日米安保に賛成)

8.今のところ僕は、同性愛者が子供を持つこと、生み育てることに反対

9.今のところ僕は、NHKの民営化に反対、でもイタリアのNHKであるRAIの民営化には賛成

10.今のところ僕は、イタリア風の共和国体制に賛成

 


死刑制度に賛成とか、同性愛者が子供を持つことに反対などというのは、たちまち激しいバッシングを受けても仕方のない表現だが、僕は決して死刑制度を積極的に支持しているわけでもなく、同性愛者を差別する者でもない。僕の乏(とぼ)しい知識や思考力では「今のところ」はそんな風に考えるしかなく、もちろんそれは今後変わっていく可能性がある。

 


そしてここにこうして書き出した以上は、言うまでもなくなぜ僕が「今のところ」そういう風に考えるかを、少しづつ話していくつもりでいる。ただし、時間が経てば前述の僕の考えは既に変わっているかもしれないことは、これまた言うまでもない・・

 



復活祭のごちそう②



復活祭の時期にイタリアでたくさん食べられる子やぎの肉は、祭りが終わるとほとんど需要がなくなる。

一方、子羊の肉(英語で言うラム)は一年を通してよく食べられる。肉屋やスーパーでも一年中売られているし、レストランなどのメニューでも子羊(agnelloアニエッロ)料理を見つけるのは難しくない。しかし、子やぎ(caprettoカプレット)料理の文字を見ることは稀(まれ)である。その理由は分からないが、単純に子やぎの絶対量が少ないからではないか、と僕は思う。

 

ドキュメンタリーや報道番組の撮影、リサーチなどでイタリア中を巡っていると、羊飼いと牧羊犬に連れられた羊の群れによく出会う。牧草地ばかりではなく、時には田舎町の道路を羊の大群が渡っているのに出くわしたりする。シチリア島では僕は実際にそういう場面を何度も撮影したりもした。映画「ゴッド・ファーザー」の一場面かと見まがうようなシーンが、ごく普通に見られるのである。

 

羊には羊毛の需要もあるから数が多くなるのであろう。それに比べてやぎの姿はめったに見かけない。探せば見つかるが、羊のように頻繁に目にすることはない。もしかすると、やぎの場合は山羊、つまり「山の羊」と呼ばれるくらいだから、飼育や繁殖がむつかしくて数が少ないということもあるのかもしれない。

 

羊とやぎの乳からは、ペコリーノとカプリーノという独特のチーズが作られる。世界最古のチーズの一つ、いわゆるロマーノ・チーズで、どちらも肉の臭みに近い独特の風味がある。ここでも羊乳から作られるペコリーノの方が、やぎ乳が原料のカプリーノよりも一般的である。

 

食肉という観点からは、羊もやぎも成獣の肉はほとんど価値がなく、イタリアでは市場に出回ることはまずない。どちらの家畜の肉も、もしも食べられる場合には、それを飼っている農家とその周辺でひっそりと消費されるだけらしい。成獣の肉は、羊もやぎもそれほどにおうので人の口には入りにくい、ということなのだろう。

 

そういうわけで市場に出回り食卓にものぼるのは、子羊と子やぎの肉だけである。そして両者は、実はここが一番言いたかったのだが、味に大差はないと僕は思う。どちらもおいしいのである。

 

ただし、レストランなどで出される子羊料理は、僕が知る限りたいしたものはない。骨付き肉を炭火でさっと焼き上げたシンプルな料理が多く、仕上がりの少しの違いで、肉がやわらかかったり固かったりすることはあるが、どこでもほぼ同じ味という印象がある。2時間も3時間もかけてじっくりと調理をする分、あくまでも復活祭などで出される家庭料理の方がうまいのである。

 

子羊や子やぎの料理は、イタメシの中ではマイナーな存在である。ところが、イタリアを少し離れて東ヨーロッパのイスラム教国やギリシャやトルコなどに移動すると、特に子羊の肉はメジャーな食材に変貌して、料理法も多彩になる。もちろん味も素晴らしい。

 

僕がこれまでに食べた子やぎ料理のベストは、ギリシャのロードス島の山中の食堂、また子羊料理の筆頭は、クロアチア国境に近いボスニア・ヘルツェゴビナのレストランの一品である。

 

僕は今後10年くらいをかけて、地中海の国々を少しづつ巡り歩く計画を立てている。そこのイスラム教国では子羊の肉がよく食べられる。僕は今から、ボスニア・ヘルツェゴビナで食べた子羊料理を上回る味に出会うこともあるのではないか、とひそかに期待している。

 

しかし子やぎ料理の場合は、恐らくロードス島で食べたもの以上の味には出会えないような気がする。なぜならそれらの国々でも子やぎの肉は一般的ではないから・・

 

復活祭のごちそう①



4月24日の日曜日は復活祭(伊語パスクア、英語イースター)である。十字架にかけられて死んだイエス・キリストが、三日目に復活したことを祝う祭り。

 

復活祭の僕の楽しみは、招かれて行く妻の実家で必ず食卓に出るやぎ料理である。

 

イタリアのやぎ料理には、やぎ独特の強烈なにおいがない。料理に使われているのが、まだ乳離れもしない生まれたての子やぎ(caprettoカプレット)の肉だからである。子やぎは乳離れをしてひとくちでも草を食むと、その肉にはやぎ独特の臭(くさ)みがこもり始めるという。従って良い肉ほど若いやぎのそれということになる。


炭火やオーブンでじっくりと焼き上げられた子やぎの肉は香ばしく、口にいれると柔らかく舌にからんで、とても上品な味がする。

 

イタリアには「さすがはグルメの国」と感心させられるような料理がたくさんあるが、僕にとっては、復活祭の子やぎ料理もそんな食べ物の一つである。

 

復活祭になぜやぎ料理なのかというと、イエス・キリストが贖罪のために神に捧げられる子羊、すなわち「神の子羊」だとみなされることからくる。そこで復活祭に子羊を食べてイエス・キリストに感謝をする習慣ができたが、子羊の肉はやがてそれに似た子やぎの肉にも広がっていった。

 

日本のやぎ料理といえば南の島々のそれであろう。また北海道のジンギスカン料理も島のやぎ料理に少し近いかもしれない。

 

島々のやぎ料理は良く言えば珍味、もっと良く言えばゲテモノ(笑)である。

 

やぎの成獣は羊よりもくさい。その肉はもっとくさい。初めてやぎ料理を食べる人が仰天するのは、鼻もひん曲がるようなその強烈なにおいである。僕の意見では料理法にも問題があると思うが、なによりもまず肉の刺激臭が初心者の障害になる。

 

食べ慣れた人にはやぎ肉のにおいはもちろん気にならない。いわば納豆やくさややブルーチーズなどの「におう」食べ物と同じで、好きな人にはむしろその独特の臭みがおいしさの源の一つになったりする。

 

それにしても、生まれて間もない子やぎをつぶして食べるとは、なんというゼイタクだろうか。カワイソーなどと偽善的な言葉は口に出すまい。そんなことを言えば成長したやぎをつぶすことだってカワイソーということになるのだから。


島の古人たちが子やぎを食べることを思いつかなかったのは、それを「かわいそう」などと思ったからでは断じてない。

 

貧しかったからだ。

 

やぎは大きく育ててからつぶす方がより大量の食材になる。より多くのひもじい人々の口に行き渡る。だから大きく育ててから食べた。成長したやぎの肉はにおう。だが、においよりは空腹の方がはるかに切実な問題だから、くさくても食べた。

 

食べるうちに人は臭みに慣れる。やがて臭みは臭みではなくなって食材の個性になる。むしろ臭みがないと物足りないという風に味覚が変化していく。それが島々のやぎ料理である。 

 

一方ローマ帝国を持ったこともある豊かなイタリア人は、空腹を満たそうとする切実な行動よりも、より美味いものを食べたいというグルメな欲求を優先させてやぎ料理を考えることができた。

 

だから量は多いが、くさい成熟したやぎ肉よりも、少量だがおよそくさみとは無縁の、子やぎの肉を使って料理をする方法を編み出した。それが洗練されたイタリアのやぎ料理であろう。

 

僕は妻の実家で子やぎ料理のレシピを習って、ときどき自分でも試したりする。長い伝統のある料理法だから簡単にはものにできないが、ときどき「それらしく」仕上がることもある。

 

レシピは僕の大ざっぱなやり方では次のようになる。

1)  オーブン用の皿にバターをたっぷりと敷く。

2)  その上に食べやすい大きさに切った肉を載せ敷く。

3)  塩を振る。その時さらにバターも少々肉に塗る。

4)  薬味のサルビアとローズマリーを大量に載せる。

5)  白ワインとコニャックを上にかける。

6)  ときどき肉を裏返しながら、180℃で2時間じっくりと焼く。 

※あるいは少し低い温度で3時間前後焼く場合も。
※どちらの場合も肉が干上がらずに適度な湿り気を保つよう、溶けたバターや脂をスプーンなどですくっては、肉にかける作業を続けることが肝心。



イタリアVS砂漠の猛獣


ついに来た、という感じである。

 

760名のリビア人難民を乗せた漁船が、いつものように地中海のイタリア領ランペドゥーサ島に漂着した。きのうの出来事である。760名は一隻の漁船がイタリアに運んだ難民の数では、中東危機で過去最大である。

 

「ついに来た」というのは、リビアのカダフィ大佐が自国民を難民に仕立て上げて、無理やり船に乗せてイタリアに向かって放つ計画を持っているからである。

 

新生児を含む子供17人と複数の妊婦が混じる難民760名が、大佐の横暴の直接の犠牲者かどうかはまだ分からないが、イタリア政府は何でもありの独裁者の動きに神経をとがらせている。

 

ランペドゥーサ島には、今回の中東危機にはかかわりなく、慢性的に北アフリカからの難民や不法移民が流入している。2005年から2010年までを見ると、その数は年平均で2万人弱である。

 

ところが今年は1月から4月初頭までの3ヶ月間で、ランペドゥーサ島に上陸した難民は既に3万人近くにのぼっている。中東危機の影響であることは言うまでもない。

 

そのうちチュニジアからは372隻の船で2万4千人弱、またリビアからは18隻の船で4千人余りが漂着している。しかし、リビアからは多数の住民が内戦を逃れてチュニジアに移動していて、このうちの相当数がチュニジア人を装ってイタリアに入ったとする見方もある。

 

さらにカダフィ大佐は1万人以上の囚人を解放してイタリアに送り込む画策もしているらしい。それらの噂や情報は荒唐無稽とばかりは言えない。

 

リビアがイタリアの植民地だった歴史的ないきさつとは別に、両国は近年きわめて友好的な関係を築きつつあった。特に2009年のリビア革命40周年記念式典に、イタリアのベルルスコーニ首相が植民地支配の謝罪と賠償約束のために同国を訪問して以来、友好関係は促進された。

 

イタリアがリビアの石油の主要な輸出国である事実なども相俟(ま)って、ベルルスコーニ首相とカダフィ大佐は個人的にも親交を深めていたほどである。

 

それだけにカダフィ大佐は、リビアを攻撃する多国籍軍にイタリアが参加し、しかも爆撃を有利にする七ヶ所もの基地を提供している事実に激昂している。彼は「ローマに裏切られた」「地中海沿いのイタリアの街を火の海にする」などと宣言して、イタリアへの恨みを募らせているのである。

 

ベルルスコーニ首相は、多国籍軍に基地も戦闘機も提供するが、リビア爆撃には参加しないとか、カダフィ大佐にはまだ友情を感じているなどと、苦しい言い訳をしているが、恐らくカダフィ大佐は聞く耳を持たないだろう。

 

それどころか彼は、難民問題に関するフランスとイタリアの確執など、欧州連合内の各国が一枚岩ではないことを先刻承知している。そこでさらなる撹乱(かくらん)を狙って、反対勢力の自国民を難民に仕立てて地中海におっぽり出す、というわけである。

 

大佐は砂漠の猛獣とも狂犬とも呼ばれてきた、一筋縄ではいかない独裁者だ。それくらいのことはいとも簡単にやりかねない気もする。

 


普天間基地を災害避難所にしろⅡ

 

イタリア政府が、基地をたてにEUに対して難民問題での譲歩を迫ったらしいことに気づいて、僕は普天間基地のことを思い出した。

 

基地問題を話すのは暗い。疲れる。うっとうしい。

 

出版社の友人によると「基地問題の本は売れない」のが通例らしい。基地問題のこのブログ記事も恐らく誰にも読まれないのだろう。

特に沖縄の基地問題の場合には、島の持つ本来の明るさの反動からか、暗さに拍車がかかるように僕には感じられる。

 

青い海と、さんさんと降りそそぐ太陽と、のん気で陽気な人々の島、沖縄。  癒やしの島、沖縄。  明るい歌の島沖縄は、基地という言葉が絡んだ瞬間に、ツライ、クライ、オモイ、イタイ、の四拍子がそろった恐怖の島になる。しかし、それも島の現実なのだから仕方があるまい。

 

普天間基地問題に関しては、僕は言うなれば過激派である。つまり基地の地元の皆さんに「もっと怒れ」「もっと叫べ」とけしかけている。なぜなら人々は大人しすぎると僕には見えるし、今の状況では、地元が激しく怒ること以外には問題の道筋はつけられないと考えるからである。

 

僕は米国が好きである。日米が対等に向かい合うという条件付で、日米安保条約にも賛成である。また米軍が自衛隊とともに、東日本大震災の被災地を助けた事実には深く感謝したい。

 

そのことと、日米地位協定をたてに米軍が取る横暴の数々はまったく別の話だ。僕はそのことについては、今よりももっと激しく怒るべきだと考える。また小さな島の面積に照らしてみて、明らかに過重負担である米軍基地の割合は減らされるべきだと思うが、民主党現政権を含む歴代政権は、それをどうやって減らすかを考える代わりに、基地の沖縄県内でのたらい回しだけを考え、そう行動してきた。

 

そこには鳩山前首相が政権を投げ出したあとに白状した

 

「普天間基地の移設は、これまでの積み重ねの中での防衛、外務両省の発想があり、国外は言うまでもなく県外も無理だという思いが政府内にまん延していたし、今でもしている」

「“普天間基地を国外、最低でも県外へ”という私のようなアイデアは一笑に付されていたようだ。本当は私と一緒に移設問題を考えるべき防衛省、外務省が、実は米国との間のベース(県内移設)を大事にしたかった」

「防衛省も外務省も沖縄の米軍基地に対する“存在の当然視”があり、数十年の彼らの発想の中で、かなり凝り固まっている。動かそうとしたが、元に舞い戻ってしまう云々・・」

 

などの発言に見られる、歴代政権と官僚機構の「沖縄差別」と言われても仕方のない、不公平そのものの政策や発想がある。

 

また北海道から鹿児島県までの地方自治体の誰もが、自らの土地に基地を受け入れようとは言わない。それは理解できることだ。誰だって面倒で危険な基地など受け入れたくはない。また沖縄県民も、県外のどこそこに基地を持って行け、とは口が裂けても言えないだろう。それは彼らと同じ苦しみをその「どこかの地」に持って行けということだから。

 

地元の人々はただ基地の重圧を軽減してくれ、と言っているだけだが、他の日本国民が見て見ぬ振りをしている。見て見ぬ振りをしているように見える。そして政府はそれを敏感に察して、県内でのたらい回しを画策する。

 

つまりそれは、普天間基地問題では日本国内のどこからも援助の手はやってこない、ということである。

 

それならば仕方がない。

 

怒って怒って、憤死するまでさらに怒って怒りまくれ、というのが僕の主張である。

これは日常の人付き合いの話ではない。政治の話であり国を相手の話であり米国と米軍を相手の話である。誰かが助け船を出すだろう、みたいな甘い考えでは何も解決しない。そこでもっと怒れ、必要なら暴動を起こせとさえ僕は言う。


暴動とは、たとえば今から40年前に沖縄市で起こった、米軍車両や施設への焼き討ち事件、コザ騒動のようなことである。米兵が問題を起こすような時には、街にある米軍人の車をひっくり返して火をつけてしまえ、というぐらいの怒りを示せというのが僕の主張だ。

 

何も恐れることはない。

 

そういう動きは国際社会が見ているから、米軍は丸腰の住民を銃剣で圧することなどできない。必要ならばツイッターやフェイスブックなどを駆使して国際世論に訴えればいい。

 

日本と同じ敗戦国のイタリアにも米軍基地はある。が、米軍が住民を無視して騒音をまき散らしたり、犯罪者の兵をかくまうような横暴が許されることは決してない。

 

沖縄で、また別の基地の地元で、米軍が平然とそんな行動に出るのは、不公平な日米地位協定があり人種差別意識があるからだ。

 

日米両国が対等な立場で手を組み、沖縄に限らずすべての基地を抱える地元の理解を得て、不公平感をなくしていくべきだ、というのが僕の最終的な主張だ。

 

県内外の基地利権や利害にからむ人々の動きに負けて、もしもこの先沖縄の民意が辺野古移設に傾き、現在の日米合意を容認する方向に動いたなら、僕はあきらめて口を閉ざそうと思う。

その程度の民度の島なら日米両政府に翻弄されても仕方がない。

 

僕は帰国の際は、怒ることをやめて、自分の好きな宮古島や石垣島での滞在を、静かにエンジョイするだけにしようと思う。

なぜなら、普天間基地が辺野古に移設された場合、基地問題に関する僕の考えは間違っていたということだろうから。

いや、違う・・

今度は辺野古の基地を国営の災害避難所にしろ、と主張しなければならない。つまり、また怒り続けなければならない。

やっぱり基地問題は暗い。疲れる。うっとうしい・・・


 

 

したたかなイタリア



中東危機を逃れて流入して来る難民の増大に悲鳴を上げたイタリアは、EU(欧州連合)に助けを求めたり、大部分の難民の祖国であるチュニジアに対応を求めるなどの動きを活発化させる一方で、人道的措置として今年1月1日から4月5日までの間にイタリアに上陸した難民2万人に、一律に六ヶ月間の滞在許可証を与えた。

 

そこまでは良かったのだが、滞在許可証はいわゆるシェンゲン協定に基づいてEU内を自由に移動することができる、としたためフランスやドイツを始めとする国々が難色を示して騒ぎになった。EU加盟国の多くは不法移民や不法滞在者の増大に神経を尖らせているから、フランスやドイツの反応はある意味当たり前だった。マルタを除く加盟国の全てが、イタリアの決定に反対したことを見てもそれは分かる。


EUはイタリアの滞在許可証を認めない、と正式にこの国に通告した。
 

それに対して今度はイタリアが怒った。北部同盟所属のマローニ内務大臣は、中東問題はEU全体の課題であり難民問題もそのうちの一つだ。それにも関わらずイタリアだけがひとり取り残されて難民を押し付けられるなら、EUに加盟している意味はないとして連合からの離脱をほのめかし、別の閣僚はEUと足並みをそろえて国外に派遣している兵士を召還して、難民排除のための国境警備に就かせるべきだと主張した。

 

意外に思えるかもしれないが、イタリアはアフガニスタンを筆頭にコソボ、ボスニア、イラク、レバノン、バーレーン等々、世界の 30の国と地域に軍隊を派遣している。EUが移民問題でイタリアを見捨てるなら、イタリアはEUとの協調派兵を止めるというのである。

また、別の閣僚はイタリアがリビア攻撃の多国籍軍に7つの基地を提供している事実を揚げて、
EUの態度を強く批判した。

 

再び、3月30日の記事「東日本大震災でイタリアも揺れているⅥ」でも書いたが、難民問題はイタリア一国で解決できる事案ではないので、EUの主要加盟国が動いて共同で解決に当たるだろうと僕は考えていた。でもそれはすぐには起こらず紆余曲折があるもの、とも考えた。

 

ところが驚いたことに、EUはイタリアの主張にあっけなく折れた。

 

これは恐らく、リビア攻撃を遂行している多国籍軍が、イタリアの基地を使えなくなる可能性を危惧したフランスとイギリスが中心になって、EU本部に掛け合ったのではないか。もちろんアメリカの後押しもあっただろう。

 

イタリアがEUから離脱することはまず考えられない。そんなことをしたらイタリアはヨーロッパの孤児になって破滅してしまうだろう。また東欧やアフリカや中近東などに送っている兵士を呼び戻して、難民阻止の任務を負わせる、というのも駄々っ子の主張のようにしか聞こえない。

国外の軍隊を呼び寄せて国境警備に当たらせて、常に海にこぼれ落ちそうなほどの人数の難民が乗り込んでいる船やボートに向かって、発砲しようとでも言うのだろうか。そんなことをしたら、イタリアは世界中の世論の袋だだきにあって、
EU離脱以上の破滅におちいるだろう。また、なんだかんだ言いながらも心優しいイタリア国民が、そんな蛮行を許すはずもない。

 

しかし、イタリアがほとんど無条件に受け入れている7つの基地の使用を禁止するのはどうだろうか。これなら間違いなく実現が可能だと考えられる。米英仏が中心の多国籍軍は、航空基地を失ってリビアへの軍事活動がたちまち行き詰まるだろう。

 

イタリアにとってもそれはいいことだ。なぜならリビアはイタリアのかつての植民地だ。イタリアにはそのことに対する負い目もある。またリビアのカダフィ政権が、欧米と協調する姿勢を見せて以来、両国は親密と言ってもいいくらいの良好な関係になっていた。イタリアは元々リビア攻撃には積極的ではなかったのである。

 

そうした事情を背景にして、基地を切り札に揺さぶりをかけるイタリアに、軍事行動の困難と多国籍軍内の足並みの乱れを恐れた英米仏、特にフランスが中心になって各国を説得して、EU内の素早い妥協が形成された、というあたりが真相ではないか。

イタリアという国は、ノーテンキなようでいて、意外としたたかなのである。

 

とは言うものの、難民問題がこのまますんなりと落ち着くとはとうてい考えられない。中東危機はまだ収束する気配がないし、イタリアの隣のリビアでは、内戦に加えて多国籍軍の爆撃も続いている。難民問題は解決どころか、ますます混迷の度を深めていくのではないか、と僕は思う。

 

 

 

震災支援 チャリティコンサートⅡ


コンサートの一番の目玉は言うまでもなく出演者と演目である。現在はコンサートの趣旨に賛同して、協力してくれるアーチストの人選を進めているところ。出演者が決まれば演目も自ずと決まってくるだろう。

 

昨年の自宅での慈善コンサートの構成は、フルート、オーボエ、クラリネット、ピアノの4楽器だった。抜群の出来でクラシック音楽オンチの僕でさえ本当に楽しんだ。できれば3~4種類の楽器は欲しいと素人なりに考えているが・・

 

実はコンサートの開催を決めたとき、僕は早速4人のアーチストに連絡を取った。このうち日本人ピアニストの吉川隆弘さんからはOKをもらったが、スカラ楽団員の3人は無理らしいことが分かってきた。

 

フルート担当で友人でもあるマウリツオ・シメオリを通して連絡を取っているのだが、マウリツィオを含む3人のアーチストは全員が、5月から6月にかけてスペインでのコンサート活動で忙しいらしい。残念だが諦めざるを得ない。

 

しかし、ミラノの友人たちが技量抜群のギタリストの出演OKをもらった。この先、もう一人か二人、聴衆を楽しませてくれる優秀でしかも篤志家のアーチストが現れることを期待したい。イタリアには素晴らしい音楽家が世界中から集まってきているのだから、きっと大丈夫だろう。

今回の場合は、二番目に重要なのがコンサート会場である。舞台になるわが家は田園地帯の中にある古い屋敷。国の史跡に指定されている妻の実家・本家の建物ほど重要ではないが、ここも文化財監督局の管轄下にある歴史的な建築物である。妻の実家の伯爵家が昔、このあたりの、ま、いわばお殿様のような存在の家と婚姻関係によって合体して、ここも伯爵家の持ち家になった。伯爵家の中では傍系の、いわば分家のような立場だが、ブドウ園と古い城壁に囲まれた美しい場所である。

 

コンサートの聴衆は、普段は立ち入れない私邸の会場に遠慮なく入ることができる。それもアトラクションの一つになる。わが家でコンサートをする意味はまさにそこにある。

 

自宅で開催される慈善コンサートでは、イベント終了後に茶菓や軽食や飲み物などを提供するのが習わしである。これはこの家での催し物に限らず、多くの場合は同じような形を取るのが普通らしい。

 

最低でも生ハムやサラミを中心にした軽食とスイート、それにワインぐらいは供したい。ワインは今回はスプマンテ(イタリア・シャンパン)になるだろう。自宅はイタリア一番のスプマンテの産地、フランチャコルタの中にある。スプマンテも少しはイベントの助けになるだろう。

 

あとは僕とミラノの友人、さらに妻が関係する慈善ボランティア団体の友人たちの働き。僕ら日本人はイベント開催では素人だが、協力してくれる「マトグロッソ」という大きな慈善団体に所属するイタリアの友人たちは、その道のプロだからいろいろと助けになってくれるに違いない。僕はグループのリーダーのブルーノと連絡を取って、オーガナイズの仕方に始まるさまざまなノウハウを懸命に習っている。

 

理想は一切のものを無料で、つまり寄付や義捐や協賛の形で提供してもらうことである。できる限り出費を抑えなければ、被災地への最終的な義援金が減ってしまって余り意味がない。「マトグロッソ」のブルーノの話では、去年のコンサートの場合、彼らの実費負担はピアノの貸し出しと調律と運搬設定の全てを引き受けてくれた、地方の楽器店への少額の支払いだけだった。

楽器店はトラックをレンタルしたり、設定や後片付けに人を派遣したりして大変だったために、さすがに全て無料とはいかず、トラック代などの実費を支払ったのだという。

それ以外は人件費はもちろん、全てが個人や法人や役場などの篤志によってまかなわれた。僕ももちろんそういうイベントを目指している。

少し気がかりがある。というか、一番の心配点がある。果たしてどれだけの聴衆が集まってくれるのだろうか、ということ。

日本への支援、というのがどれくらいの人に説得力を持つのかが分からない。というのも、日本は豊かな国、という思い込みが人々にはある。また実際に豊かであることには変わりがないから、人が集まりにくいのではないか、と不安になるのだ。

 

イタリアはもちろん、欧米には数え切れないほどの慈善団体がある。それらは、アフリカやアジアや南米などを中心とする、貧しい国々を援助する目的で作られている場合が多い。たとえば僕の妻は二つの大きな慈善団体に所属し、それよりも小さいもう一つの慈善団体ともかかわっているが、そのうちの二つはアフリカ支援を主に行う団体であり、もう一つは主に南米支援を行っている。そのほかにも個人的に世界の貧しい子供たちを助ける活動もしている。

 

妻の例からも分かるように、欧米人は世界の貧しい国や人々への援助には積極的である。そして慈善事業にも慣れている。しかし、豊かな国日本に対してはどうだろうか。東日本大震災の惨劇のことは誰でも知っているが、日本の被災者は彼らの支援が無くても立ち上がるし、復興していくだろう、と人々が考えてしまうと集まりが悪くなってしまうかもしれない。

 

欧米を始めとする世界中の人々は、阪神淡路大震災の廃墟から速やかに復興した日本を賞賛のまなざしで見た。人々にはまだその記憶が鮮明に残っている。だから今回も大丈夫、と考えてしまうかもしれない。それが僕は少し心配である。ここはやはり、できるだけ多くのイタリア在住の日本人にも声をかけるべきだろう・・

 

 

東日本大震災でイタリアも揺れているⅨ


ブログ記事を一日一本の割合で書くというのは無理があると分かった。きのうは時間がなくて書けず、早くもノルマを果たせなかった。書ける日に何本でも書く、というのが妥当な考え方だろう。その方が現実的だし長続きもしそうだ。今後はその方針で行こうと思う。

 

閑話休題

 

世界中のメディアが同じような動きをしているが、イタリア民放局の最大手、5チャンネルの今朝(4月12日)の報道番組「トップ・ページ」にも、福島原発の話題が復活してしまった。しかも「トップ・ページ」のうちのトップニュースとして。

 

現在イタリアでは中東危機による難民流入が大きな問題になっていて、連日そのニュースが矢継ぎ早に報道されている。そんな中で久しぶりに東日本大震災関連の情報が、あらゆるニュースに優先して電波に乗ったわけである。これはもちろん、福島原発事故が、原子力史上最悪のチェルノブイリ原発事故に匹敵するレベル7に引き上げられたことが原因である。

 

僕は3月30日の記事「東日本大震災でイタリアも揺れているⅥ」で、原発問題が再び5チャンネルの「トップ・ページ」で取り上げられるのが気がかりだと書いたが、早くもそうなってしまった。

 

放射能汚染がこれ以上進まないことを祈りつつ、政府と東京電力が正確な情報を国内はもちろん、国外に向けても発信するように強く求めたい。世界中が固唾を呑んで福島原発を見つめているのは周知のことだと思うが、日本政府がいつになっても「ただちに健康被害は起こさない」と言いつづけ、事故がレベル7に引き上げられても「チェルノブイリと違って直接的な健康被害はない」と言う神経は、正確な情報という観点からはとても信用できるものとは言いがたい。

 

「ただちに健康被害は起こさない」とは、将来は健康被害が起こるということかもしれないし、「チェルノブイリと違って直接的な健康被害はない」というのも、現在進行形の原発事故の前では空しい言葉だ。先のことは分からないのだから、嘘と言われても仕方がないのではないか。

 

原子力安全・保安院が、福島原発事故をスリーマイル島原発事故と同じレベル5と評価発表した時から、世界の多くの専門家は日本政府が事故を実際よりも小さく見せようとしているのではないか、と疑い始めた。

というのも、スリーマイル島原発事故は一週間程度で収束したのに、福島の事故は原子力安全・保安院がレベル5と評価した一週間後の当時も、全く収束する気配は見られず現在進行形だった。従って、その時点で世界は、スリーマイル島原発事故よりも深刻、と考えたのである。

 

その後の日本政府や東京電力の情報開示に対しても、海外世論は少なからず疑問を抱きつつ今日まで来た、という雰囲気がある。そんな中で事故が最悪のレベル7まで引き上げられてしまったのだから、政府や東京電力は希望的観測に基づいた情報とさえ受け取られかねない発表をやめて、正確な情報を逐一きちんと開示して真摯に世界と向き合うべきである。

 

それでなけば、これまで日本に向けられていた世界中の好意が逆の方向に動きかねない。いや、わずかだがもうそういう気分が生まれつつあるようにも見える。

 

何よりも福島原発事故を収束させることが第一義であることは言うまでもないが、世界への説明を忘れて、あるいは軽視してゴマカシと受け取られかねない動きをすれば、日本政府への批判が沸き起こって国民が巻き込まれ、ついには苦しんでいる被災者の皆さんまでが肩身の狭い思いをしなければならないような、とんでもない事態がやって来ないとも限らない・・

まさかとは思うけれど・・・

 

 

パスタ



ブログ記事は最低でも一日一本の割合で書こう、と意気込んで始めたが、中々思い通りにはいかない。

 

ドキュメンタリーのリサーチのかたわら、知人のプロダクションを手伝ったり、別口でコンサルタントとして動いたり、はたまた自家のワイナリーの仕事もあったりして猛烈に忙しい。そこに慈善コンサートの準備も加わったからなおさら。

 

できるだけ早くリサーチとワイナリーの仕事だけにしぼって行くつもりである。それでなければ、せっかくフリーになって時間に余裕ができたはずなのに、忙しさばかりがつのってどうにもならない。

 

でもブログは頑張って最初の目標を目指していくつもり。

 

それはさておき

 

以前、日本のオヤジ世代にはスパゲティをパスタと言うと怒る者がいると聞いた。それはきっとパスタという言葉に、気取りや若者言葉のような軽さを感じて反発するからではないかと思う。

僕もれっきとしたオヤジで、しかも言葉が気になる類の人間だから、日本に住んでいたら「パスタ」という新語(?)には彼らのように反感を抱いていたかもしれない。

ところがイタリアに住んでいるおかげで、日本における「パスタ」という言葉の普及には腹を立てるどころか、少し大げさに言えば、むしろ快哉(かいさい)を叫んでいる。 

「パスタ」とは、たとえて言えば「ごはん」というような言葉である。麺類をまとめて言い表す単語だ。スパゲティを気取って言っている表現ではないのだ。

スパゲティは多彩なパスタ(麺)料理のうちの一つである。つまり、焼き飯、かま飯、炊き込みご飯、雑炊、赤飯、茶漬け、おにぎりなどなど・・、無数にある「ごはん」料理の一つと同じようなものだ。
 

焼き飯や雑炊を「ごはん」とは言わないが、イタリアでは個別のパスタ料理を一様に「パスタ」と呼ぶ習慣もある。スパゲティも日常生活の中では、単にパスタと呼ばれる割合の方が高いように思う。

従ってスパゲティを「パスタ」と呼ぶのは正し
い。
 

僕はここで言葉のうんちくを傾けて得意になろうとしているのではもちろんない。

いしくて楽しくて種類が豊富なイタリア料理の王様「パスタ」を、スパゲティだけに限定しないで、多彩に、かろやかに、おおいに味わってほしいという願いを込めて、日本中の傷つきやすいわがオヤジ仲間の皆さんに、エールを送ろうと思うのである。



震災支援 チャリティコンサート


被災地支援の催し物を、晩餐会ではなくコンサートと決めて以来、主に北イタリアの日伊双方の友人たちに連絡を取って協力を頼んでいる。皆こころよく賛同してくれるのが嬉しい。励みになる。

 

今のところ僕が目指しているのは、去年わが家で開かれた慈善コンサートに近いものである。その時は三人のスカラ座の楽団員と日本人ピアニストの吉川隆弘さんが出演して大成功を収めた。

 

これまでに自宅と妻の実家で開催された慈善コンサートを見ると、催し物がいつも成功するとは限らない。ある年は、れっきとしたスカラ座の二人の楽団員が出演してくれたにもかかわらず、パフォーマンスがかなり難しくて僕のような音楽の素人には良く理解できなかった。

 

それはアーチストが、いわゆる音楽通と呼ばれる高度な聴衆を目安に演奏をするときや、聴衆への音楽教育を意識したパフォーマンスをする時などに起こるようである。

 

それでも、人々の善意がいっぱいに詰め込まれているから、チャリティコンサートはいつ見ても心があたたまる行事ではある。しかし、内容に差が出るのもまた事実なのである。

 

義援金を用意してコンサートを聴きに来る皆さんは、その時点でイベントの趣旨に賛同して参加してくれている。従ってコンサートの内容がたとえ思ったほどの盛り上がりを見せなくても、誰も文句を言ったり不満を感じたりすることはない。いや、たとえ心中で少し残念に感じても、それを表に出すようなことはしない。慈善コンサートとはそういうものである。

 

だからこそ僕は、できれば足を運んでくれる皆さんが喜ぶようなイベントにしたい。誠意を持ってくる皆さんに、お願いをするこちらも良いイベントを用意して心からの感謝を示したい。

 

自宅で催された昨年のコンサートは秀逸だった。何度もアンコールの拍手が起こって感動的だった。どうせならそういうコンサートにしたい。
 

ミラノの友人達がジョイントしてくれるとはいえ、イベントの開催では素人のわれわれがどこまでやれるかは分からない。しかし、あくまでも昨年のレベルに挑戦するつもりで頑張ってみようと思う。

 

コンサートの時期についても考えた。できれば早いほうがいい。震災の記憶がイタリアの人々の心の中から消えないうちに開催するほうが、きっと成功の確率が高くなるだろう。

 

なんとか4月中にと考えたが、それでは準備期間がなさ過ぎる。会場は自宅だから良いとして、アーチストの都合や開催方式や招待状の制作や発送や広報活動などなど・・余りにもやることが多すぎる。

 

しかし、5月になるとわが家は別のイベントで埋まって空きがなくなる。コムーネ(村)が自宅の敷地を含む村の一画を隔離して大会場を造って、盛大な園芸祭を開くのである。

 

祭りは5月半ばの三日間だが、規模が大きいために、5月に入るとすぐに準備や根回しや設定等々であわただしくなる。

 

諸々を勘案すると、コンサートは5月末から6月初め頃の開催になりそうである。

 

 

心ばかりの被災地へのエールを



大震災の被災者支援に何かできないかと自分なりに考えて少し動いてきた。

 

どうやらミラノの友人たちと組んで、わが家でチャリティーコンサートが開けそうである。いくらか心が晴れた気分。ささやかでも被災者の皆さんの助けになれば嬉しい。

 

僕が当初から考えたのは、自宅を会場にしての何らかのチャリティーイベントだった。わが家では食事会や園芸祭りやコンサートや展示会などの慈善活動がよく行われる。村役場(コムーネ)や妻がかかわる慈善団体などが主催するのである。

 

そういうイベントには、ロケやリサーチなどの仕事で家を空けていない限り、僕も積極的に参加してきた。しかし、それはどちらかというと受身の活動である。僕自身が動いてイベントを催してきたわけではない。

 

言うまでもないことだが、ひそかに個人的に寄付をすることと、広く寄付をお願いすることとはまるっきり意味合いが違う。

 

大震災の惨劇に激しく動揺しながら、僕はまったくの泥縄ではあるけれども、広く寄付をお願いするチャリティーの開催方法を考え始めたのだった。

 

チャリティー活動に熱心な妻のアドバイスを受けながら、彼女がかかわる慈善団体の人々にも会って話を聞いたりしていた。

 

そうしながら僕が考えていたのはチャリティー晩餐会である。

 

数年前、妻のかかわる慈善団体が、南米で活動するウーゴ神父を囲む晩餐会を自宅で催した。裕福なビジネスマンを中心に30人ほどを招いたその晩餐会では、僕が知る限り、自宅で開かれたイベントでは一番多い寄付金が集まった。桁違いと言ってもいい額だった。

 

僕はそれにあやかろうかと考えた。でも、多くのビジネスマンを知っているわけではないので、少し二の足を踏んでいた。

 

そこに、かつて僕の事務所でも一緒に仕事をしてくれた友人の田中基子さんから、コンサートをしないかと連絡が入った。ミラノの日本人仲間で慈善団体を立ち上げたのだという。僕は渡りに船と二つ返事で引き受けた。

 

 

わが家では、ミラノのスカラ座の楽団員に協力を願って、ほぼ毎年慈善コンサートを催している。自宅で行わないときは妻の実家を使う。昨年のコンサートには、初めて日本人のピアニストにも参加してもらった。吉川隆弘さんという優秀なアーチストである。彼はスカラ座の楽団員ではないが、技量抜群で観客の大きな喝采を浴びた。

 

そうしたいきさつもあって、コンサートは晩餐会の次に開催可能なイベントとして僕も考えていた。まさにグッドタイミングだった。

 

これからいろいろと手筈を整えなければならない。長い準備期間が必要になるが、僕は早速、去年出演してくれた吉川さんに連絡を入れて快諾をもらい、ミラノ日本総領事館の主席領事、坂口尚隆さんにも連携をお願いしたりして動き出した。また、毎年協力をしてくれるスカラ座の楽団員たちにも連絡を取り始めた。

 

ミラノの友人たちが探してくれるアーチストと合わせれば、それなりの陣容できっと聴衆を魅了できるはずである。

 

イベントはもちろん、東日本大震災の被災者の皆さんへの義援金集めが目的である。でも僕はこの催しを通して、僕の住む地域を含むミラノ近辺の日本人の連帯が深まることも期待している。できるだけ多くの日本人に声をかけて参加をお願いするつもりでいる。

 

日本人なら誰もが、僕と同じように故国の不幸に胸を痛めているに違いない。田中さんたちが慈善組織を作ったのも、結局そういうことなのだろう。皆が協力しあうことで、それぞれの痛恨の思いが少しでもやわらげばとても嬉しい。

微力ながら、被災者の皆さんを助けることは、われわれ自身を助けることでもあるのだと僕は強く感じている。

 

東日本大震災でイタリアも揺れているⅧ



小田原の皆さんがわが家を訪ねてくれたことを機に、大震災を忘れるわけではないが、心の中で少し距離をおいて前に進もうと心に決めた。が、それはまだ無理だと分かった。

 

昨夜、被災地の子供たちを取り上げたNHKの「クローズアップ現代」を見た。とつぜん親や家族を奪われ、家をなくし、自身も津波の恐怖を体験した子供たちの心の闇を思って暗澹(あんたん)とした。僕はまた泣いた。

 

いったいなぜこんな酷いことが起こるのか。何度も何度も繰り返した自問を胸中でふたたびつぶやき、無力感と苦しく対峙しつづけた。

 

NHKは震災二日後の19時のニュース以来、渾身の力で被災地に密着した報道を続けている。僕がイタリアで追いかけているCNN、BBC、アルジャジーラなどの衛星局も、NHKに遅れて取材クルーを被災地に送り込んで見ごたえのある報道を続けた。今は原発事故にしぼってニュースとして触れることがほとんどで、現場に入り込んでの報告はぐんと少なくなった。それでもアルジャジーラは、今朝も現場からの特派員レポートを流した。

 

被災地のさまざまな問題や苦しみや痛み、そしてわずかばかりだが灯りだした希望の光、といった情報を現地の皆さんに密着してきめ細かく伝えるのはNHKだが、国外メディアも依然として頑張っている。

 

心の中で少し距離をおこうと考えた土曜日とは逆に、今日は無理に大震災から目をそらすのはやめた方がいいのではないか、と感じはじめている。我ながら落ち着きのない心理状態がつづく。

 

そうやって自分の気持ちが揺れ動くのは、まだまだ続く被災地の業苦と平穏な自らの日常を比較して、心中に強い負い目がわき起こるからである。

 

それは嘘でも偽善でもない。日本人としての、あるいは人間としての心の揺れである。

 

もどかしいが、しばらくは一方に決め付けることをやめて、震災にも正面から向かい合い、自らの日常にもありのままに対峙していくべきなのだろう。


昨夜、被災地の子供たちに泣かされて、今朝は7時前に起きだして、自宅の2回にある書斎兼仕事場に入った。

そこからはブドウ園の広がりが見渡せる。急速に春めいていく畑地には、緑が芽吹いてすがすがしい。

 

ふと窓に寄って下を見た。ブドウ園の端の草地で2匹のウサギが戯れている。白と灰色に近い茶色の毛の子ウサギである。

 

近くの農夫が、食用に飼っていたものを放し飼いにさせてくれと頼んできた。わけを聞くと、2匹は体が小さく、兄弟ウサギに食料を横取りされてこのままでは育たない。だから、ブドウ園においてくれと言う。

 

一も二もなくオーケーしたのが一週間ほど前。

2匹は食べたいだけ草を食べて元気に遊んでいる。僕はときどき2匹に近づいたり、今のように窓から見下ろしたりしてひどく癒やされている・・・

 

僕の前にある平穏で美しくさえある日常。そして遠い故国には地獄のような被災地の日常がある。

 

これはいったい何を意味するのだろうか。世界はなぜ酷薄な不条理を体現して、平然とそこに広がっているのだろうか。

 

僕は考えても答えの得られるはずのない疑問を、また考えずにはいられない・・・


カミングアウト、に続いての話



言うまでもなく、共和国制のイタリアには法的な制度としての爵位はない。第二次世界大戦後に廃止されたのである。しかし社会通念としてのそれは厳然として存在する。これは革命が起こったフランスにおいてさえそうなのだから、いわんやイタリアにおいてをや、というところである。

 

たとえば妻の実家の家族を、人々はほとんど常に伯爵の称号をつけて呼ぶし、郵便物や届け物や書類などにも伯爵という枕詞が添えられている場合が多い。

 

イタリアの爵位は廃止されたけれども、法律では苗字に取り込んで姓の一部として名乗っても良いことになっている。しかし、そういう形を取った貴族家はあまりないようである。少なくとも僕はそういう家を一つも知らない。もちろん妻の実家もそんなことはしていない。

そういうことをしなくても、社会通念としての爵位の存在が十分に大きいから、改名をする必要がなかったのではないかと思う。

 

また、敗戦によって国民の全てが法の前では平等であるとうたわれている時代に、あえて過去の特権にしがみつくような改名をして、威をかざしたいと考える驕慢(きょうまん)は、さすがに出にくかったのではないか。

 

さらに言えば、多くの貴族家はほとんどの場合、その地域で極めて目立つ建物を所有し住居としている。爵位を持つ場合も持たない場合も、人目を引く歴史的建造物によって、貴族の館と分かることがほとんどだから、隠しようもないのである。そのあたりにも、あえて改名までして爵位にこだわろうとする貴族が少なかった原因があるように思う。

 

さて、僕は「カミングアウト 」の記事で、妻が伯爵だと書いた。が、それでは、その言葉が彼女や僕にとってどれだけの意味を持つのかと言うと、ほとんどゼロ、何の意味もないというのが真実である。

だからこそ僕はあえて伯爵と言った。分かりやすくて、しかも軽佻な感じが出て、カミングアウトという軽いタイトルにふさわしいと思ったのである。

 

実際に僕は、ふざける時によく妻を「伯爵(Signora Contessaシニョーラ コンテッサ)さん」と呼んでからかう。僕らの中では、伯爵などという時代錯誤な称号はその程度の意味しか持たない。

 

ただ前述した、妻の実家の家族を伯爵と呼ぶ人々や、その周りにある制度、あるいは習慣などにまつわる社会通念の中では、妻は今でも伯爵(Contessa、男性形はConte)と呼ばれることがよくある。

 

妻はそれには何も反応しない。そういうときに一緒に行動していることが多い僕も、ほとんど無関心である。それが形式だけの、無意味な呼びかけであることを知っているからだ。

 

妻がかつて爵位を持っていた家に生まれた現実が、妻自身はもちろん、僕や息子たちにも大きな影響を与えるのはもっと別なところにある。

そのことはまたおいおい書いて行ければと思う。

 

東日本大震災でイタリアも揺れているⅦ



今日、4月2日の土曜日にわが家を訪問してくれたのは、小田原から来たオーケストラの子供達だった。村役場(コムーネ)からは合唱団だと聞かされていたが、明らかな誤報である。


時期が時期だけに僕は少し困惑してあれこれ考え過ぎたが、子供達の明るい顔や引率の大人の皆さんの節度ある笑顔に接して、とても心が安らいだ。全てを大震災にからめて否定的に捉えたり、大げさに反応したりすることはもうそろそろやめるべきだと感じた。

 

日本人なら誰もが大震災に心を痛め、悲しみ、苦しい気持ちでいる。しかし、いつまでもそれにこだわっていても問題の解決にはならない。苦境を乗り越えるには未来志向で前進するしかない。今日わが家を訪ねてくれたオーケストラの皆さんの活動は、僕が心の底で少し否定的に捉えかけた動きではなく、今まさに日本人に必要なプラス思考の象徴であり典型だということに僕は気づいた。

 

彼らは大人も子供も誰もが、大震災の影を心に刻みながら、イタリアの人々との友好親善や交流という活動を通して、未来に向かって進もうとしている。

 

われわれは誰もが被災地の皆さんと共に泣いた。これからは涙をぬぐって、小田原のオーケストラの皆さんのように前向きに行動するべきであろう。そうすることが、被災地への大きなエールになるに違いない。いや、強い日本人のことだ、国内ではきっと誰もが被災地を気にかけつつ、もうそういう動きになっているのではないか、とも気づく。とても嬉しい一日になった。

 

そのことに加えて、今日4月2日はさらに特別な日になった。わが家を、僕が招いた人以外の日本人が訪ねてきた、初めての日になったのである。しかも大勢で。

 

少しふざける気分で「カミングアウト」と名付けて記事を書いたばかりだから、僕は何か因縁のようなものを感じている・・・

 

 

 

カミングアウト



僕の妻の実家は北イタリアの古い貴族家である。文献や家系図では、家の興りは13世紀頃まで遡(さかのぼ)ることができる。

一家はオーストリア女王のマリアテレジアによって伯爵に叙せられた。マリアテレジアはイタリア語ではマリアテレザである。女王にあやかって付けられた名前はイタリアにも多いが、妻の名もたまたまそのうちのひとつでマリアテレザという。

女王が家に与えた爵位には男女の区別はない。従って、呼び方が女性形になるが、妻自身も伯爵である。同時に彼女は伯爵家の18代目の跡取りでもある。

つまり僕は、ヨーロッパの女伯爵を妻に持つ一介の日本人である。これが僕のカミングアウトだ。

こう書くと大変な女傑と暮しているように聞こえるかも知れないが、妻はいたって普通の大人しい女性である。若い頃はイタリア人らしくピーチクパーチク良くしゃべったが、最近は少し年を取ってきてカラスみたいにギャーギャーわめくこともある。

僕は最近まで、妻と妻の実家の事情を隠す努力をずっと続けてきた。


理由は、今でも大きな存在感を持つ彼女の実家に、僕が経済的に世話になっているのではないか、と人に勘ぐられるのがシャクだったからである。

僕は妻の実家とは良好な関係にあるが、彼女の実家からは一銭の援助も受けたことはない。自分の甲斐性で妻と二人の息子をきちんと養ってきた。しかし、伯爵家のことを知れば、人は必ず玉の輿ならぬ「逆玉の輿」などと陰口をたたくだろう。その方が話が面白い。僕がいくら弁解をしようとも、人の口に戸は立てられない。僕もヤジウマ根性盛んなテレビ屋の端くれだ。それぐらいの認識はある。

とは言うものの、僕はヨーロッパの歴史がいっぱいに詰まった伯爵家の有り様(よう)を、日本人にも知ってほしいと強く思ってもきた。家屋が博物館などになって過去の遺産として展示されている貴族の歴史などではなく、今でも実際に人が住まい、呼吸し、生き生きと活動している貴族館の様子を実体験として味わってもらう。

それはめったにできないことだし、面白くて少しはためにもなる貴重な体験だと僕はいつも信じていた。なぜなら、僕自身にとっての伯爵家とは、いつもそういうものであり続けていたから。

そこで自分の中で基準を設けて、それに当てはまる人だけを家に招待した。その基準とは「僕がギャクタマ男の、怠惰なヨタロー
的人物ではないことを知っている人々(笑)」というものだった。

その筆頭は家族や友人である。でも日本で普通に仕事をこなし、生活をしている彼らは、そう簡単にはイタリア旅行はできない。従って数は限られた。

次には仕事関係の友人知人。仕事上の付き合いだから、当然彼らは僕の仕事振りを知っているし信頼関係もある。その流れで、大きくお世話になったNHKとWOWOWのプロデュサーやスタッフを中心とする人々に落ち着いた。つまり僕にとってのいわば内輪の皆さんには、妻と伯爵家のことは実は周知のことではあったのである。

このブログを書き続けるなら、僕はどこかで伯爵家のことを話さなければならないと分かっていた。なぜなら、僕が伯爵家から金銭的な援助を受けていない事実を別にすれば、その家の存在は、イタリアに移住してからの僕と僕の家族の生活に深く関わりを持ち続けてきたし、これからも関わり続ける。僕と妻はロンドンで出会い、結婚して東京に移住し、そこからニューヨークに移り住んで、最後に妻の国ここイタリアにやって来たのである。

また、ブログに記す事柄の中には、伯爵家のことを話しておかなければ、恐らく意味が良く分からないような内容も出てくるに違いない。

僕は思い迷った末にこうしてカミングアウトすることにした。

そうすることで、もしかすると自慢だ、気取りだ、威張っているなどと誤解や曲解を受けることがあるかも知れない、とチラと考えないでもなかった。しかし、そういうことは何をどう書いても必ず起こることだから悩んでも仕方がない。あえて無視して僕は早いうちにこうして告白をしておこうと決めたのである。

僕は妻の出自を自慢したりする気は毛頭ないけれども、根が軽佻浮薄でアバウトでノーテンキな男だから、またできれば常にそうありたいと努力をしているつもりの人間だから、伯爵家の在り方や歴史などをひどく面白がる傾向がある。

カミングアウトをした以上は、そうしたことも今後できるだけ書いていくつもりだが、それを自慢や得意やおごりなどと捉えられても困る。

なぜなら、もしかすると、まさにそれが僕のねらいかもしれないではないか!

 

 

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