2011年06月

9月に会いましょう



イタリアでは毎年6月にもなると、それほどひんぱんには会わない人同士の別れの挨拶として、「9月に会いましょう」というのが多くなる。

 

夏のバカンス後にまたお会いしましょうね、という意味である。

 

さらに7月にもなると、しょっちゅう会っている人同士でも、この「9月に会いましょう」が別れの常套句、あるいは合言葉のようになる。

 

何が言いたいのかというと、イタリア人にとっては夏の長期休暇というのはそれほどに当然のことで、人々の日常の挨拶にも如実にあらわれるということである。

 

良く言われるように、長い人は1ヶ月の休みを取ることも珍しくない。もちろんそれ以上に長いバカンスを過ごす者もいる。休暇の長さは、人それぞれの仕事状況と経済状況によって、文字通り千差万別である。

 

裕福な人々や幸運な道楽者のうちには、子供の学校の休みに合わせて、3ヶ月の休暇を取るようなトンデモ人間もいたりするが、さすがにそれはごく少数派。

 

それでも、子供の休みに合わせて、妻以下の家族が6月から8月の間海や山のセカンドハウスに移住し、夫は都市部に残って通常通りに働きながら週末だけ家族の元に通う、いわゆる「通勤バカンス」と僕が勝手に呼んでいる時間を過ごす人々の姿もよく見かける。そしてそんな男たちも、もちろんどこかで長期の完全休暇を取るのは言うまでもない。

 

休むことに罪悪感を覚えるどころか、それを大いに賞賛し、鼓舞し、喜ぶ人々が住むこの国では、そんな風にさまざまなバカンス模様を見ることができる。が、実は大多数のイタリア国民、つまり一般の勤め人たちは、最低保証の年間5週間の有給休暇のうち、2週間の夏休みを取るのが普通である。

 

それは法律で決まっている最低限の夏期休暇の日数で、たとえば僕がつい最近まで経営していた番組制作会社のような、個人事務所に毛が生えただけのささやかな会社でも、スタッフには最低2週間の有給休暇を与えなければならない。零細企業にとっては大変な負担である。

 

しかし、それは働く人々にとってはとても大切なことだと僕は感じる。

人間は働くために生きているのではない。生きるために働くのである。

そして生きている限りは、人間らしい生き方をするべきであり、人間らしい生き方をするためには休暇は大いに必要なものである。夏休みがほとんど無いか、あっても数日程度の多くの日本のサラリーマンの皆さんを見るたびに、僕はそういう思いをさらに強くする。

 

イタリアでは2週間の夏の休みは、8月初めから同月の半ば頃までの間に取る人が圧倒的に多い。会社や工場などもこの期間は完全休業になる。

 

ところが、時間差休暇というものがあって、時間に融通のきく仕事を持っている人々の中には、多くの人の休暇が集中する8月の混乱期を避けて、バカンスを前倒しにしたり、逆に遅らせて出かける者も相当数いる。

 

そうすると、どんな仕事でも相手があって成り立っているものだから、普通の期間に休みを取る人々は、休暇前や休暇後に相方不在の状況に陥って、仕事の能率ががくんと落ちる。仕事量が減ることで、やる気もなくなって半分休み状態になることもしばしばである。

 

そこに長期休暇を取る人々の仕事の空白なども加わって、7月から8月末までのイタリアは、国中が総バカンス状態のようになってしまうのである。

 

だから6月にもなると、7月と8月を飛び越して、「9月に会いましょう」が人々の合言葉になるわけである。

 

ロンドン、東京、ニューヨークと仕事をした後にこの国に来た僕は、当初は仕事の能率の上がらないイタリアの夏の状況を怒りまくり、ののしりまくっていたものである。

 

しかし今はまったく違う。これだけ休み、これだけのんびりしながらも、イタリアは一級の富裕国である。働く人々の長期休暇が極端に少ない日本などよりも、豊かさの質がはるかに上だとさえ僕は感じる。とういうことは、イタリア的に休みまくるのはいいことなのではないか、とつくづく考えるようになったのである。

 



※閑話休題


僕の今年の夏の休暇は8月20日以降の予定。行き先はシチリア島。

その前に明後日から地中海沿岸リサーチ旅+義務旅+3日間の休み。それなのでこのブログもしばらく開店休業です。

営業再開予定の7月アタマにまたお会いしましょう。


チャオ~~~~~~~   ~~~~~~~~~!
  

「脱原発クラブ」



12、13日に行われた、原発の是非を問うイタリアの国民投票で「反原発」派が勝利した。

 

ドイツとスイスに次いでイタリアも脱原発に舵を切ったわけだが、イタリアの場合は、福島原発事故後「世界初の国民審判」による「原発ノー」の強い意思表示だけに、その意味するところは大きいというべきだろう。

 

この国ではチェルノブイリ原発事故の翌年87年に、やはり国民投票で「反原発」の結果が出た。それを受けて、90年までに稼動中の全ての原発が閉鎖された。

 

ところが2009年、現在のベルルスコーニ政権が「原発再開法」を制定して原発の再稼動を目指した。しかし前述の通り、国民はその政策を明確に否定したのである。

 

90年以来、先進国の中で唯一原発を持たずにきたイタリアの電気料金は欧州一高い。原発大国フランスの2倍近くにのぼり、国は全電力の1割近くをそのフランスとスイスから輸入しているのが現状である。

 

ベルルスコーニは電力コスト削減を理由に原発再開を目論んだのだが、国民はそっぽを向いた。高い電気料金を黙認してまで・・なんてすばらしいことだろう!

 

僕は以前、今のところは原発に99%反対と書いた。

今のところは・・

 

99%の反対とは

 

「原発には100%反対。ただし核や原発の研究は続けるべき」

 

という意味で1%の賛成を込めて、反対99%と言ってみたのである。

 

その気持ちは今も全く変わらない。

 

いや、わが国がドイツ、スイス、イタリアの欧州三国が発起(ほっき)した「脱原発クラブ」に入会する願いを込めて、原発には120%も150%も反対と言おう。

 

それでもやっぱり1%の賛成も忘れずに込めておこうと思う。《化け物》の核や原発に負けるのはシャクだ。人類は必ずそれを征服するべきだと信じるから・・

 

閑話休題

 

「脱原発クラブ」は本来なら日本が真っ先に旗振りをして結成するべきだった。

ヒロシマを持ちナガサキを持ち、そして不運にもフクシマまで持ってしまったわが国は、なぜ誰よりも先に「脱原発」と叫ばないのだろうか。

 

経済に詳しいと思い上がっている人々、産業だけが国益だと信じ込んでいる人々、金と便利だけを追いかけながら憂い顔で国家を論ずるエセ憂国者、理念や理想をあざ笑うのが癖の原発及びビジネス利権屋などなど・・魑魅魍魎(ちみもうりょう)たちが跋扈(ばっこ)して脱原発を理想主義、ユートピア論などと冷笑する。

 

だがもうたくさんだ。彼らが皮肉たっぷりに言いたがる「少しの不便」や「少しの後退を」覚悟して、脱原発を叫ぼうよ。

 

日本の総電力の3割を担っている原発を止めれば、問題が起こらないはずはない。30%は小さくない数字だ。ドイツの22%よりも大きい。それでも日本はドイツよりも先に脱原発を宣言してしかるべきだった。

 

ドイツには広島も長崎も福島もない。また代替エネルギーの先行きが不透明であることも承知で脱原発を決定した。決定したことで、国を挙げて自然エネルギーの獲得を目指して模索し前進することになる。

 

多くのドイツ国民、特に産業界の人々はもちろんドイツ経済が失速するのではないか、と懸念を抱いている。彼らは脱原発を決めたドイツ国家を相手取って裁判を起こすことさえ考えている。

それでもドイツは自然エネルギーを模索する道を選んだのだ。彼らは創意工夫によって、原発に替わるエネルギーを必ず獲得するだろう。スイスもそうなるだろう。そして、遅ればせながらイタリアも・・

ところで

「創意工夫」こそわが国の専売特許ではなかったか。専売特許が言い過ぎなら、恐らくドイツやスイスさえも凌駕(りょうが)する日本のお家芸ではなかったか。

 

「脱原発」と国が明確に道筋を立てれば、世界一の創意工夫の民は、ドイツよりもスイスよりも先を行く技術や知恵を必ず探し当てる。現に省エネの分野では、電力供給がままならないと分かった大震災以降、多くの発明や工夫をこらした技術や製品が既に生み出されている。

 

脱原発は厳しい道のりを選択することである。だが原発推進は破滅を選択することである。少なくとも、破滅に至るかも知れない恐怖を抱えて生きること、を選択することである。

 

産業は重要である。経済には国の浮沈がかかっている。国が貧しくなれば、国民が不利益や不便をこうむることもある。当たり前だ。

 

だが、人は経済だけで生きているのではない。理念や尊厳や品位を持って生きることも重要だ。少しの不利益や不便を覚悟で、今こそわが国は「脱原発」の意思表示をして「脱原発クラブ」に入会するべきだと思う。

 

入会して、広島と長崎と福島の深い悲しみを力にして世界をリードするべきである。それが日本の義務ではないか。

 

恐らく僕がここで言うまでもなく、多くの日本人はそう思っている。それに気づかないのは愚劣な政争に明け暮れている、民主党政権や野党の政治家らだ。

「国民一流、国家三流」と世界から見なされるゆえんがそこにある。

デザートを食う助手が怖い①



「えーと、何にしようかな。ブディーノ、クロスタータ、パンナコッタ、ティラミス、メリンガータ・・お、カサータ・シチリアーナもいいな。いや、やっぱりジェラート(アイスクリーム)にしようかな・・」

 

カメラ助手のフィリッポが、人生最大のシアワセです、と言わんばかりのニコニコ顔で、デザートのメニューをためつすがめつ読み上げた。


それにつられて、いったん食事を切り上げて仕事に向かうつもりになっていたスタッフの気持ちが、大きくゆらぐのが分かる。

 

ゆらいだ気持ちは、もう元にはもどらない。

椅子から腰を浮かせかけていた音声のアントニオ、照明のミケーレ、運転手兼アシスタントのダニエレの三人が、フィリッポに同調する形でいっせいにデザートの吟味をはじめた。

「時間はだいじょうぶかな」 


カメラマンのロベルトは、さすがに技術スタッフの中心だけあって少しは仕事のことを気にし、同時にせっかちな僕の胸のうちも察して、助監督で制作進行も兼ねるマリアンナにともなく僕にともなく問いかける。


マリアンナは、腕時計と僕の横顔をちらと見くらべて、一瞬だけ迷う振りをしてから言った。


「時間はまだだいじょうぶ。デザート、急いで食べちゃいましょ!」

 

こうして既に2時間以上が過ぎている昼食時間が、さらに三十分程度はのびることが確定した。

 

僕は内心のいらだちを隠して、つとめて平静をよそおってデザートの代わりにコーヒーを注文した。

デザートなど食ってる場合か、と僕なりに抗議をしたつもりだった。

 

ディレクターの僕はロケ隊のボスであり責任者である。仕事中にはスタッフを怒鳴りつける事もある。スタッフに文句を言ったり抗議をしたり、あるいは逆になだめたりすかしたりしながらチームを統率していくのも、ディレクターの仕事の一つだ。

それでいながら僕は、話が今のように食事まわりのあれこれになると、けっこう弱気になる。

”食事はどんなときでもたっぷりと時間をかけて、楽しみながら大いにたらふく食べましょう。それでもって時間がもし許せば、少しだけ仕事をしてもバチは当たらないかも知れない”

みたいなのが、僕のスタッフを含むイタリア人の基本的な生活哲学である。

そのおそるべき食い意地とボージャクブジンな楽天思想を、僕はいつも内心でバカヤローとののしりつつ、同じ心の片隅でなぜか彼らに同調しちゃったりもしてしまう。だからあまり強気になれないのだ。

それにここは僕のアシスタントのマリアンナの顔も立ててやらなければならない。

制作進行は彼女の責任である。それには撮影の時間割や食事時間の振り分けなども含まれる。

僕が口を出すのは簡単だが、余ほどせっぱつまった状況でもない限り、スタッフの役割分担は尊重した方が仕事がうまく行くのだ。

 

苦いコーヒーをすすりながら、僕はデザートのために三十分もの食事時間の延長をもたらすことになった言いだしっぺのフィリッポと、デザートに向かってなだれこんで行く、スタッフのゆるんだ心根と食い気を制止できなかったマリアンナの首を、仕事が終わり次第バッサリと切ってやる、とココロの中ですごんで見せる。

(このクソ忙しいロケの最中に、2時間もかけてメシを食うことさえアキレカエッタ所業なのに、今度はデザートだと~! フィリッポとマリアンナだけじゃない。アントニオもミケーレもダニエレもロベルトも、デザートなんか食う奴は皆んなみんな同じように首を切ってやる。ガオーッ!ガオーッ!)


僕は、表向きは相変わらず平静をよそおっているが、内心ではひたすらに考えをエスカレートさせて、ひとりでコーフンしている。

六人のイタリア人スタッフは、それぞれのお気に入りのデザートをかき抱くようにして、一口食べてはしゃべり、しゃべっては笑い合い、また一口食べてはしゃべってはしゃべってはしゃべっては又しゃべる。

どいつもこいつもとろけたアイスクリームみたいにノーテンキでシアワセイッパイの表情だ。

今の彼らのドタマの中には、仕事のことなんかノミの毛穴ほどの痕跡もないのが見ていて死ぬほど良くわかる。

 

(つづく)

 

 

デザートを食う助手が怖い②



僕らは南イタリアでドキュメンタリーのロケをしている。

今回のような長期ロケの場合は、スタッフ構成はディレクターの僕を含めて4人程度が基本だ。そうしておいて必要があれば、ミラノやローマのみならず、ロケ地に近いイタリア各地から応援のスタッフを呼ぶのが僕のやり方である。

その日と翌日は、夕方から夜にかけて大きな撮影が入っていたため、助っ人の証明マンと助手が加わってスタッフの人数が増え、ワイワイと騒ぐ雰囲気が大きくなって、彼らの気分がさらに仕事から遠ざかりやすくなっていた。

ドキュメンタリーのロケの場合、スタッフは撮影の対象になる出来事や人物やイベントや事件や物の動き等々に合わせて、時間を調整してスタンバイしていなければならない。ロケがたとえば午後四時に始まるならば、普通の場合、どんなに遅くても三時半には現場にいることが要求される。

普通の場合というのは、たとえて言えば、何の変哲もない街や田園の風景を単純に撮影するようなときである。

街とか田園というのは、いつでもそこにあって、動いたり走ったり消えたりすることはない。だからそれをありのままに撮影するときは、カメラを好きなところに据えてそのまま風景を切り取れば良い。

そういうときでも、撮影をはじめる三十分前には現場に行っているのがプロというものである。なぜならプロは撮影の前に充分に時間をかけて準備をするものだからだ。


ディレクターである僕が、切り取りたい風景のイメージをカメラマンに告げ、カメラマンはそれによってカメラ位置やレンズや構図やフレームや光の具合などのいろいろな条件を考慮してテストをくり返した後に、ようやくカメラが回されることになる。

腕の良いカメラマンならば、一連の作業をあっという間に済ませて撮影を終えてしまうが、少しでもいい絵を撮ろうと思えば、それでも準備や設定に三十分程度は軽くかかってしまうものなのだ。

いちばん単純な撮影でさえそうなのだから、照明や音声を設定したり、複雑なカメラワークが必要な撮影だったりすると、準備時間はいくらあっても足りない。

それに加えて、僕が作るドキュメンタリーは、撮影対象が生身の人間だったり、生身の人間にまつわるでき事であったりする場合がほとんどである。 生身の人間が相手だから、物事が撮影の予定時間よりも早く進行したり、撮影直前になって何かが変更になったりキャンセルされたりすることは日常茶飯事だ。

相手の都合ばかりではなく、こちらに起こりうる問題も気に留めておかなければならない。

ロケ現場でいざ撮影をしようとした時に、カメラや照明や音声に不具合が生じることだってないとは限らないのだ。

フィクションの撮影なら、そういう時ゆっくりと構えて機材を調整することもできるが、ドキュメンタリーの場合は撮影する対象が一過性のものであるケースが多いから、その時どきのチャンスを逃してしまうと取り返しがつかない。

そうしたことにすばやく対応するためにも、ロケの現場にはなるべく早く着いていた方が良いのである。

もちろん早めにスタンバイはしたものの、予定の時間よりも逆に遅れて物事が進行することもある。イタリアではむしろその方が多いくらいだ。だからといって、それを期待して時間ぎりぎりに動いたり予定を決めたりするようでは、最早これはプロではない。アマチュアでさえない。単なるバカである。

いまノーテンキな顔でデザートを食っている僕のスタッフは、全員がプロである。

従ってデザートを食っても、次の撮影開始時間の少なくとも三十分前には現場に到達できることを知っている。たとえ全員ではなくても、制作進行を兼ねる監督助手のマリアンナは、そのことを充分に計算している・・・・ように見える。

ところが、これが全くあてにならないのである。メシのため、デザートのためならば、バカと言われようがアマチュアとののしられようが、断固として食卓にへばりついているのがイタリア人である。

(メシもデザートもその日の撮影がすべて終わったところで、いくらでも時間と金をかけて好きなだけ食わしてやる。それだけの予算はちゃんと計上されているのだ。だからロケが進行中は、フツーの人類のように昼食は一時間程度ですませて、早め早めに現場に行ってスタンバイをしようよ)

というのが僕の偽らざる心境である。

僕はできるだけ早くロケ現場に行って、撮影が始まるまでの間に撮影項目や設定や構成や人物や話の流れや・・・といった作品の基本になる様々な事柄をもう一度確認し、あるいは練り直しておきたいのだ。

だからたとえ待ち時間が長くても、それは決してムダな時間ではないのである。

胃潰瘍のウシじゃあるまいし、クチャクチャクチャクチャ食いつづけている時間などないのだ!

 

(つづく)

 

 

デザートを食う助手が怖い③



 

そうは言うものの、できれば食事時間を短く、デザートもほどほどにして仕事にまい進しよう!などというのは、実はディレクターである僕の勝手な言い分である。

ドキュメンタリーに限らず、映画やテレビの撮影の仕事というのは、いつも大変な肉体労働である。肉体的にキツイという意味では、それこそ道路工事や建設現場の重労働と少しもかわらないところがあるのだ。

仕事場の責任者が’監督’と呼ばれるところも共通している。いや、時間が不規則でかつ長時間の拘束になったりすることを考えると、むしろ工事現場の労働よりも辛い、と言い切っても良いかもしれない。

そういう飛んでもない仕事なので、スタッフが休めるときに休んでおきたい、という気持ちになるのも仕方のないことである・・・と僕はときどき部下をいたわる良いボスを気取って思ったりすることもないではない。

 

実際に、イギリスと日本とアメリカで同じ状況に置かれていた時は、僕はそういうヨイボスであったのだ。

しかしイタリアではそうはいかない。そんな甘いことを 口に出した日には、彼らウラヤマシクもイラダタシイ怠け者たちは、いつまでたっても食べることを止めようとはしないのだ!

 

 

イタリアの食事のフルコースは、先ずアペリティブ(食前酒)に始まる。このアペリティブは、いわゆるカクテルの類の軽い酒である。それを飲み終わってから出てくるのが、アンティパスト(前菜)である。このあたりでワインも注文する。ワインを頼んだらミネラルウォターも同時に持ってきてもらうのがふつうである。

アンティパストは、サラミや生ハムや魚介の酢の物や各種の揚げ物などが、一種類か又は盛り合わせになって出てくる。

その次にプリモ(ファーストコース)を食べる。プリモは九割方がスパゲッティーやマカロニなどの、いわゆるパスタである。もちろんここではパスタの代わりにスープ類をたのんでもかまわない。

プリモを食べ終わったところで、ようやくセコンド(メインコース)の登場となる。セコンドはその時どきの食事のハイライトだから、ボリュームたっぷりの肉料理か魚料理になるのが常道である。

 

セコンドの主料理には、コントルノ(付け合わせ)の一品をあわせて頼むことが多い。コントルノはサラダや野菜の煮たものになるのがふつうである。

セコンドにつづいて食べるのが、いわずと知れたデザートである。アイスクリームやケーキにはじまるデザートは、非常に種類が豊富で、選ぶのにも見ていていらいらするくらいに時間がかかることは既に述べた。このデザートの代わりに新鮮なフルーツを食べる人もいる。

デザートやフルーツを食べ終わるころには、ワインの何本かが既に飲みつくされている。そこでアルコール度の強いディジェスティボ(食後酒)が登場し、それを飲み終わったら、仕上げとしてタールのように濃いエスプレッソコーヒーを飲むのである。そこでようやく食事の全行程が終わる。

それらの飲食物が、いっぺんにではなく順を追って出てくるから、それだけでも時間がかかる。加えて、彼らの食べ方がまたのんびりしているために、食事にはいつもおそろしく時間がかかってしまうのだ。

食べ方がのんびりしているというのは、イタリア人が牛のように食べ物をゆっくりと咀嚼(そしゃく)するということではない。彼らは食事の間じゅう片時も休むことなく会話をしつづけるのである。

何度も言うようだが、一口食べてはしゃべってはしゃべってはしゃべり、もう一口食べて、しゃべってはしゃべってはしゃべってはしゃべっては又しゃべってはしゃべる、というのがイタリア人の食事の仕方だ。

イタリア人が一食ごとにボーダイな量の食べ物を平らげることができるのは、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃしゃべりつづける間に、つぎつぎに食べ物を消化していくからではないか、と僕は疑っている。

 

(つづく)


デザートを食う助手が怖い④



昼間っから大食らいをするイタリア人は、食後は当然に眠くなって仕事どころではなくなる。そこで古来この国には、昼休みを長く取って食後は本当に一眠りをしてしまうという、うらやましいようなアホらしいような習慣ができあがった。

イタリアを含む南ヨーロッパの国々では、夏の暑さを避けるために昼食休みを長く取る習慣ができた、というもっともらしい説もあるが、それじゃ冬でも昼休みが長いのはどいうわけ?って聞いてみれば、それが真っ赤なウソであることは明らかだ。

要するに、昼食をたらふく食べるために昼休みがムチャクチャに長くなった、というのがイタリアの真実なのではないかと僕は考えている。

ミラノなどの都市部のサラリーマンの中には、何か特別のことでもない限り昼食はどんなに長くても一時間程度で済ませて、夕食を家族と共にゆっくりとたくさん食べるという人も最近は増えている。それでも大方のイタリア人は、今日も昼食に重きを置いてしっかりと食べまくるのが当たり前なのである。

僕のスタッフはもちろんサラリーマンではない。昼食は時間をかけてたっぷりと食べるもの、と誰もが考えまたその通りに生活をしている者ばかりである。

それでも、しかし、なんといっても、ほんとうに !

今は厳しいロケの真っ最中なのである。僕はなかなか人間のでき上がらない者の悲しさで、スタッフが長々と時間をかけてデザートなどを食い出すのをみると、つい「イイカゲンニシロ!」と心の中で叫ばずにはいられないのである。

一日の仕事が終わったとき、特に夜ならば、ホントは僕はめっぽう良いボスになれるのである。前にも言ったように、彼らが食事にいくら時間と金をかけても、またデザートをガツガツ食いまくっても、少しも文句を言う気になんかならない。

むしろ僕はそうして欲しいとひそかに願っている。なぜかと言うと、僕は彼らが食べている間じゅう好きなだけ酒を飲むことができる。酔うほどに飲むことができる。

僕は口癖に
[イタリアでは酒に酔って一度ハメをはずしてしまうと、よほど特殊な状況でもない限り、その人はもう翌日からはまともな人間として扱ってもらえない]
と言うが、

実は僕にとっては、その数少ない特殊な状況の一つが、ロケのスタッフと共に食べたり飲んだりしている時なのである。

彼らは映画屋やテレビ屋だけあって、皆それなりにくだけている。だからスタッフの中に僕のような本物の酔っぱらいがいても、それほど驚いたりはしない。

言い訳をしておくと、僕は日本でならばなんの変哲もない当たり前の酔っぱらいである。

酔うと楽しくなり、良くしゃべるようになり、くどくなり、からんだり、ヒトの迷惑をカエリミズに歌いまくったりする。ふだんは必死にかくす努力をしているスケベオヤジの本性も出たりするらしい。

要するに、僕は酔ったおかげで、「素面のイタリア人と張り合うだけのエネルギーを持つ男」に変身するのである。

デザートに手を出したフィリッポは、その僕の夜の楽しみまで奪おうとしている。

なぜなら昼食にこれほど大がかりな時間と食欲を費やしてしまったスタッフは、もしかすると彼らの中にほんのわずかに残っているかも知れない良心の呵責 --つまりメシを仕事に優先させたことへの後ろめたさ--にさいなまれることになって、今夜は夕食時間を早めに切り上げてそれぞれがさっさとホテルの自室に引き上げてしまう可能性がないとは言えない。

そうなると僕は、相手の迷惑をかえりみずに飲んで酔っぱらう当の相手がいなくなって、はなはだ面白くないということになる。酔っぱらいの楽しみはとにもかくにも相手がいなければ始まらないのだ。

もしもそういう事態になったときは、僕は今夜はフィリッポをとっつかまえて、朝まで僕の酒の相手をさせてやろうと考えている。

イタリア人の彼にとっては、仕事をクビになったり殺されたりするよりも、酔っぱらいの相手をすることの方がきっと辛い罰になるはずだから・・・

(おわり)

 


国際的味覚



値段の高いものを人がおいしいと感じるのは、下品どころか、感情を備えた人間特有の崇高な性質ではないだろうか。

 

例えば僕は、今が旬のサクランボが大好きだが、イタリアで食べるサクランボは日本で食べるよりもはるかにおいしい。

 

日本とイタリアのサクランボの味は「物理的」にはあまり変わりがないのかも知れない。だが僕は明らかにイタリアのものがおいしいと感じる。なぜか。

 

イタリアのサクランボはドカンと量が多いからである。

 

サクランボを大量に、口いっぱいにほおばっているとき、僕は日本ではあんなにも値段の高い高級品を、今はこんなにもいっぱい食べまくっている、という喜びで心の中のおいしさのボルテージが跳(は)ね上がっているのだ。

 

恐らくこれはイタリア人が感じているものよりも、ずっとずっと大きなおいしさに違いない。

 

なぜなら彼らは、サクランボの「物理的な」おいしさだけを感じていて、日本の山形あたりのサクランボの「超高級品」という実態を知らないから、従って「ああ、トクをしている」という気分が起こらない。

 

僕は日本を出て外国に暮らしているおかげで、時にはこういういわば「味の国際化」の恩恵を受けることがある。

 

しかし、これはいいことばかりとは限らない。

 
というのも僕は日本に帰ってサクランボを食べるとき、そのあまりの量の少なさに、ありがたみを覚えるどころか、なんだかケチくさい悲しみを感じ、もっとたくさん食わせろと怒って、おいしさのボルテージが下がってしまう。

 

このように、何事につけ国際化というものは善(よ)しあしなのである。


民間大使




元大関小錦のKONISHIKIさんが、ハワイと沖縄を結ぶ架け橋になりたい、と宣言して沖縄県の「民間大使」になったそうである。東京の僕の友人の「沖縄病」患者、つまり沖縄大好き男からの知らせである。

 

僕は思わず、ほう、とつぶやいた。実は僕も沖縄県から請(こ)われて「民間大使」になったことがある。昔、アメリカで制作したテレビ番組が、全くのまぐれ当たりで向こうの監督賞をもらったことがきっかけだった。

 

沖縄県というのは愉快なところで、世界に広がる沖縄県人のネットワーク構築と国際交流を目的とした文化の祭典、と銘打って5年に1度「世界のウチナーンチュ大会」という祭りを開催している。

 

ウチナーンチュとは沖縄弁で沖縄県人や沖縄人というような意味。ウチナーは沖縄。チュは「人」のこと。ひと⇒ひとぅ⇒ひちゅ⇒ちゅと変化した言葉である。たとえば漁師のことは「海人(うみんちゅ)」島の人間は「島人(しまんちゅ)」などと使う。

 

僕はアメリカで受賞したことが地元で評価されて、世界に羽ばたくウチナーンチュ(笑)、ということで第1回大会に招待されて、そこで「民間大使」に任命されたのである。

 

大会に招待されたとき、僕は祭りの大げさなコンセプトと、いかにも沖縄らしい「こだわり」が気に入って、いつものように面白がりつつ喜んで帰国した。

 

でも僕が面白がったのはそこまでである。

 

それは主として南米各国に移住した沖縄県出身の皆さんを慰労する会、とでもいうような集まりだった。参加している「世界の」ウチナーンチュの皆さんのほとんども南米からの訪問者だった。日本全国から移民として外国に渡って行った人々の大半がそうであるように、彼らも主に経済的困窮から必要に迫られて祖国を後にし、見知らぬ土地で頑張り抜いて今の生活を手に入れた方々である。

 

多分そのせいだと思うが、僕のように生活苦から移民になったのではなく、「好き好んで」外国に出て行った者にとっては、それはちょっと場違いな祭典に感じられた。

僕は東京で大学を卒業すると同時に「喜び勇んで」外国に飛び出したような軽い人間である。そんな僕が、多くの苦難を経て来たに違いない南米移民の方々と並び立つのは、とても申し訳ない気分がして仕方がなかった。

 
そこで任命された民間大使は一体なにをやるのかというと、それぞれの滞在国に戻って、いわば「県人会」のようなものでも立ち上げて交流しなさい、みたいなことで曖昧模糊(あいまいもこ)としてさっぱり意味が分からなかった。

 

まだ若かったその頃の僕は、ぶっちゃけ県人会とか日本人会とかいうものには全く関心がなかった。ましてや自分でそうしたものを立ち上げるなんて考えも及ばなかった。僕は民間大使としては結局なにもせず(できず)、2年かそこらの任期のあとは自然消滅という感じで終わった。

 

でも新しい民間大使のKONISHIKIさんは、僕などとは違っていろいろと楽しいことができそうに見える。トロピカルなハワイと南国の沖縄。似たもの同士が仲良くできる大いなる架け橋になりそうである。ぜひそうなってほしい。

それはさておき、僕は自分の故郷である沖縄の人々の「こだわり」に少し懸念を抱いたりすることがある。正確に言えば「こだわり過ぎ」に。


例えば「ウチナーンチュ大会」は、南米などに移住し苦労して現在の地位を築き上げた、移民の皆さんを故郷に呼んで慰労するという、とても良い企画である。

でもそれは、僕の見た感じでは、
ひたすら地元の環境だけにこだわっている内向きな祝典である。せっかく沖縄という極小の島社会を抜け出し、日本という小さな島国も飛び出して大きな世界で生きている人々を招いておきながら、外に向かって開かれているようには見えない。

 

そこには例えば、どちらかというと日本社会から冷たく扱われることが多い、全ての日本人移民や日系人の皆さんを等しく大会に呼んで、彼らの功績を大会で顕彰したり交流をしたり、というような大らかな発想があまりないように見える。 

 

こだわりのない人やこだわりのない物はつまらない。でも「こだわり過ぎる」のは何ごとにつけ鬱陶(うっとう)しい。

 

僕は沖縄にも適度にこだわりつつ、それよりもさらに強く「島」というものにこだわりを持ち続けている。例えば島である「沖縄」とはひどく限定されたある特殊なコンセプトだが、沖縄という枕詞を消したただの「島」とは、限定されながら大きな広がりも持つ豊かな概念である。

  

つまり「島」とは、例えば僕の生まれた極小原始の島であり、それより少し大きな宮古島や石垣島であり、また少し大きな九州島でもあり本州島でもある。さらにそれは一段と大きな日本という島国でもあり、ついには大陸と称される世界の島々にまで広がる。

面積がオーストラリア島以上の陸地を「大陸」と呼ぶのはただの方便で、地球上のどの陸地も実は全て日本国と同じ島なのである。日本を含むそれらの島は、やがて地球という島になる。

 

さらに、地球島というのは太陽系という海に浮かぶ島であり、太陽系はそれより大きな銀河系の中の一つの島、さらにさらに、銀河系も宇宙の広がりの中の一つの島で・・というふうに果てしもなく広がって行くのが「島」なのである。 


僕はその「島」にこだわる。

 

でも決して「こだわり過ぎる」ことがないように気をつけようとも考える。

 

なぜならこだわり過ぎると、足元の小さな島の強烈な柵(しがらみ)にからめ取られて、島以外の世界を全て「よそ」と見なしてしまうような、「島国根性」のカタマリに陥(おちい)ってしまう危険性も大だから・・

 



気分転換



僕はイタリアのミラノにある自分の事務所兼プロダクションを基点に、ほぼ20年に渡ってテレビドキュメンタリーのディレクターの仕事をしてきた。ロケでイタリア中を駆け巡っていない時は、ミラノの事務所で編集作業やリサーチその他のデスク仕事をこなすのである。

 

番組編集などで徹夜仕事になった場合は、事務所近くに確保している小さなマンションに泊まったりもするが、基本的には毎日車で40分ほどの自宅に帰る生活。

 

自宅はイタリア特産のシャンパン「スプマンテ」の里として知られる、フランチャコルタ地方の一角にある。まわりをブドウ園に囲まれたのどかな美しい場所である。

 

ミラノでの仕事に疲れて帰る田舎のわが家は、既に十分に気分転換のできる安らかな場所だが、僕はもう少しリフレッシュしたい時には、よく自宅とは反対方向に30分ほど車を走らせた。するとそこはもうスイスである。

 

つまり僕の仕事場からは自宅よりも外国のスイスの方が近いのである。

 

山国のスイスは言うまでもなく美しい国である。が、南アルプスの山々や、地中海や、強い太陽の光や、ローマ、ベニス、フレンツェなどに代表される歴史都市を懐に抱いているイタリアはそれ以上に美しい、と僕は感じている。

 

ではなぜわざわざ外国のスイスに気分転換に行くのかというと、仕事場から近いという理由もあるが、そこがスイスだから僕は喜んで気晴らしに向かったのである。

 

スイスは町並が整然としていて小奇麗で清潔な上に、人を含めた全体の雰囲気が穏やかである。

 

僕が行くのはせいぜいルガノやロカルノなどのイタリア語圏の街で、湖畔の街頭カフェやリゾートホテルのバーや、うっそうとした木々の緑におおわれた、街はずれのビアガーデンなどでのんびりする。

イタリア語圏だから、そこではミラノにいる時とまったく変わらない言葉でやりとりをする。

 

ところがそこには、イタリアにいる時の、人も自分もいつも躁(そう)状態で叫び合っているかのような騒々しさや高揚がない。雰囲気が静かで落ち着く。 

 

その気分を味わうためだけに僕はあえて国境を越えてスイスに行くのである。

 

要するに僕は、肉やパスタのようにこってりとしたイタリアの喧騒(けんそう)が大好きだが、時々それに飽きて、漬物やお茶漬けみたいにあっさりとしたスイスの平穏の中に浸るのも好きなのである。

 

仕事場を自宅の一角に移してからは、僕はまだ一度も気晴らしの「スイス往復」をやっていない。が、震災支援のコンサートも終わったし、そろそろ夏が来てビールが美味くなる季節でもあるから、スイス直通の高速道路をしばらく走って、ルガノ湖畔にビールでも飲みに行こうかと考えたりしている。

毎年6月恒例の、地中海沿岸巡りの旅に出る前に・・


震災支援 チャリティーコンサートⅦ



わが家のコンサートで集められた義援金は、ミラノの震災支援グループ「l’Isola della speranza(希望の島)」が全て管理し、陸前高田市で炊き出しなどを行っているボランティア団体の藤澤康彦さん宛てに送ることになっている。

 

イベントに参加してくれた皆さんの善意が、素早くそして真っすぐに被災者の皆さんの元に届けば嬉しい限りである。

 

l’Isola della speranza(希望の島)」の友人たちが頑張ったミラノからは、在ミラノ総領事の城守茂美夫妻をはじめとして、多くの日本人の皆さんがコンサートに参加してくれた。

 

僕ら夫婦と慈善団体の「マトグロッソ」の招待客は主にイタリア人だが、わが家のあるブレッシャ県に住む日本人の皆さんにも声をかけ、相当数が参加してくれた。そちらは主に僕ら夫婦と同じ日伊国際結婚カップル。ほとんどがイタリア人の夫と日本人の妻という組み合わせである。

 

最終的な参加者は大ざっぱに言って、イタリア人と日本人の割合が4:1程度のように見えたから、日伊連帯という観点からも、まずは成功と言っていいのではないか、と自画自賛しておこうと思う。

 

スタッフ全員の頑張りでコンサートは成功裡に終わった。おかげで安堵感も喜びもある。

 

しかし、正直に言って、達成感のようなものはあまりない。被災地の巨大な不幸が、われわれのささやかな援助でたちまち癒やされるようなものではないことを知っているからである。

 

被災者の皆さんの復興への苦しい戦いはこれからも続く。

今後、自分に何ができるかは分からないが、少なくともそのことは決して忘れずにいようと思う。

 

忘れなければ、何かの道は必ず開けると思うから・・

 

 

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