2012年08月

想い雨



待ちに待った雨が降った。この直前の記事「ブログ日和」を書いてすぐに。


北イタリアのみ。


南の方はまだ乾いた日々が続きそうだ。でも、雨雲もそのうちに南下するだろう。


季節の変わり目なのに、雷鳴を伴わない静かな降雨である。つまり、テンポラーレ(豆台風)ではない普通の雨。


長い間雨が降らなかったから、今度は逆に多過ぎるほどの雨が降り続ける、とまるで見てきたように確信をこめて話す人々が結構いる。

誰もが異常気象に慣れてきたのだ。


異常気象が続けばそれが常態になる。気温が上昇傾向にあるのはどうやら間違いないらしいから、もう既に異常は「普通」になっているのかもしれない。


そうなったらそれで、人も自然も世界も、しぶとく順応して行くのだろう。ある程度の犠牲や、混乱や、痛みを克服しながら。


歴史はいつもそうやって作られてきた。


人も自然も世界も、しぶとい。


幸いなことに・・


今ガルダ湖畔にいる。大湖の水嵩はかなり低い。灌漑用に抜き取られたのだ。例年のことだが、今夏は特に多くの水が灌漑に使われた。


今回の雨量程度では大湖の渇きは癒されない。水位が戻るのは、アルプスの雪解け水が流れ込む来年の春だろう。


冬、雪が十分に降れば・・ 異常気象でなければ・・


明日はスピエド・パーティの日。雨が降り続けなければいいが。と自分の都合に合わせて考え、祈る。


昨日まで、そして夏の間中、あれほど雨を待ち続けていたくせに。


人間はほんとに自己チューで、しぶとい・・




ブログ日和



ブログを書く良さの一つは、それぞれの記事が、カレンダーのような役割も果たしてくれることである。


必ず日付がついて回るから、文字通り暦にもなるばかりではなく、その記事を書いたころの自分の気分や暮らしぶりや出来事なども連想される。まるで流行(はや)り歌みたい。


ほら、昔流行った歌を久し振りに聞くと、当時の思い出が走馬灯のようによみがえるじゃないですか。あれと同じ。


日記というものをほとんど書いたことがない僕にとっては、ブログが担(にな)ってくれるカレンダーの役割がとても新鮮である。役にも立つ。


たとえばここ最近は、自分のブログを読み返して、去年の夏の天候を確認しては感慨にふけることが多い。


去年は10月まで暑かったりした。が、雨は適当に降った。今年は8月終わりの今現在、イタリアは旱魃の危機にある。


イタリアの大半の地域では雨が降らない。


もう三ヶ月も。


大地が乾ききって農作物にかなりの被害が出ている。


昨日、田舎道を車で走っていると、立ち枯れているトウモロコシ畑がそこかしこに見えた。結構ショッキングな光景だった。


誰もが雨を待っている。


僕は荒々しくて爽快なテンポラーレ(豆台風)を待っている。


実は、ここ2、3週間、雨をもたらすテンポラーレの予報が何度も出た。ところがそれはまったくやって来ない。


いや、予報通りに雲が湧き、風が吹いて、ほんの申し訳程度の雨のしずくが落ちたりもする。でも、本物の雨は訪れない。


今日も雲が湧き、雨、もしくは豆台風・テンポラーレへの期待が高まった。でも、また肩透かしに終わった。


あさって土曜日、友人たちを招いてスピエド会を開く。スピエドは北イタリア独特のジビエ料理。元々は狩猟の獲物の肉を串焼きにした。


今は豚肉、スペアリブ、鶏肉、野鳥、ジャガイモなどを基本に串にして5、6時間かけてじっくりと 炙り焼く。


スピエド食事会の土曜日は晴れてほしい。予報も晴れ。

 

でもそれは、今日(木曜日)、昨日、さらに週初の日々に雨が降って、その後は晴れる、という予測、セオリーからの予報のようだった。


今のところ、予報は当たっていないようだ。そうすると、土曜日が大雨の日・・という最悪のシナリオも考えられる。


そうなるとちょっとつらいが、でも、正直それもまた面白い・・


ような・・・


 

アスマ・アサド、シリア大統領夫人への公開状



かわいそうなアスマ・・

シリア危機が勃発して以来、僕はあなたに関するニュースを目にする度に、強い憐れみの念が湧くのを禁じ得ません。骨の髄までアジア人女性であるあなたに、同じアジア人として深く同情してしまうのです。あなたはシリア移民の子としてロンドンで生まれ、そこで育ち、民主主義大国の教育を一貫して受けています。出生地優先の理念から自動的にイギリス国籍を獲得し、同時にシリア人である両親の国籍も受け継ぎました。でも人々はあなたを「シリア国籍も有するイギリス人」だと考えました。「イギリス国籍も持つシリア人」とは誰も考えなかったのです。だってあなたはロンドンで生まれ、育ち、英語を母国語としてずっと生きていたのですから。

 

あなたは欧米のメディアから「中東のダイアナ妃」という美しい呼び名さえ与えられていたことがあります。人権意識の乏しいシリア国内で、女性の地位向上に向けて働く一方、貧しい子供たちを救うために精力的に慈善事業に関わっているという「噂」が、生前多くの慈善行為を行って世界を感動させた、あのダイアナ妃に似ているという軽率な命名でした。あなたは断じてダイアナ妃などではない。エイズに掛かったアフリカの幼な子を抱きかかえて苦悩する姿が、若い慈母のほとばしる真実を表して感動的だったダイアナ妃とは似ても似つかない。ダイアナ妃の行為にはあふれ出るまごころだけがもたらす美と高潔があった。あなたの行為には、見られることを意識して振舞うパフォーマンスと計算の臭いが漂っている。それはパレスチナの子供たちを憂慮する振りで、イスラエルを口汚くののしっているだけの陳腐な政治ショーに満ちたTVインタビューや、貧しい子供たちを抱擁し慈しんでいる「らしい」多くの写真や、夫と共に外国首脳や元首に相対する聡明そうな写真などなど、全てに共通する特徴です。

あなたはロンドン大学を卒業後にJPモルガンに勤務したこともあるモダンなキャリアウーマンという一面も持つ。従って自己演出をうまく行って、公共イメージを高めることの重要性も恐らく知っているのでしょう。あなたはファッションのセンスも群を抜いて優れています。体形も三人の子供を生んだとは思えない理想的な姿に見えます。フォトジェニックな美貌とセンスの良いファッションは、世界中の女性たちの羨望を呼び起こすほどです。あなたはきっとパブリシティのプロを雇って、一挙手一投足を制御管理し、最高のパフォーマンス効果とイメージの向上に躍起になっているに違いない。そうとしか考えられない「わざとらしさ」が、あなたのやることなすことの全てにはにじみ出ています。

あなたが最後にパフォーマンスをしたのは6月の末です。ジーンズにTシャツ、しかも裸足というラフな格好でバドミントンをしていましたね。普段のエレガントなファッションをかなぐり捨てて遊ぶ姿は、ほとんど女学生かと見えるほどに若々しく健康的で生気に満ちていました。どこから見ても市街戦の恐怖に苛まれている国の、当事者中の当事者である大統領の妻とはとても思えない。それもその筈です。Tシャツにはアラビア語で大きく「私の国シリアは情け深いやさしい国」と書かれていました。それは世界に向けてのプロパガンダ写真だったのです。だからあなたは思い切り明るく楽しげに振舞ったのですね。なかなかの役者ですが、この期に及んで見え透いた喧伝文句をTシャツにプリントする感覚は、遅れたお国のおバカさん、としか僕には見えませんでした。おどろくほどに愚劣で幼い、世界との感覚の齟齬が露呈したパフォーマンスでした。きっとあなたも、あなたのスタッフや優秀なアドバイザーたちも、追い詰められてまともな思考ができなくなっているのでないか、と僕は推測しています。

あなたはそのあとに起きた7月のダマスカス中心部での閣僚爆死事件以来、公に姿を現していませんが、今のところ国外に逃亡した様子もないようです。昨年民衆に殺害されたリビアのカダフィ大佐は、妻と娘を含む家族たちを政権が崩壊する前に国外に逃亡させましたが、あなたの夫はあなたとまだ幼い3人の息子たちを安全な場所に非難させるつもりはないのでしょうか。なにしろ民衆を虫けらのように虐殺しながら、卑怯千万にも自分の身や家族は最後までかばい、守ろうとしたり、安全な場所に避難させたりするのが、独裁者の十八番ですから。

あなたが生まれ育ったロンドンは世界でもっとも国際的な街、グローバル化の進んだ開明的な都会です。たとえば同じ国際都市でもニューヨークの場合は白人と黒人がせめぎあう街と言うことができます。世界中からあらゆる人種の人々が流れ込み住み着いてはいるものの、そこでの主役はあくまでも白人と黒人なのです。少なくとも圧倒的に彼らの存在感が大きい。ロンドンは違います。そこはニューヨーク同様に西洋の都会でありながら、住まう人々の肌の色は白も黒も黄色も褐色も緑も青も、なにもかもが一緒くたになっています。白人と黒人ばかりではなく、インド・パキスタン系、中近東・アラブ系、中国・日本・韓国などの東洋系、南米インディオ系などなど、世界中の人種が坩堝(るつぼ)になり入り乱れて主役を演じているのがロンドンです。

人種混合に寛容なロンドンはまた、世界でもっとも女性解放の進んだ都会でもあります。非欧米世界からロンドンにやって来た多くの者は、そこで生まれて初めて女性の人権と解放についても真剣に考えさせられることになります。女性は我われ男性と同等の権利と能力を持つ相棒であり、かけがえのないオルター・エゴです。それは男女が同じ存在という意味ではなく、「男女は違うものであり且つ違いは優劣ではない」という基本精神に基づく、真の意味での男女同権論のことです。女性差別を無くさない限り真の民主主義はあり得ず、人間性の解放もない。世界の文化・文明国のランクは、女性差別の重さと反比例する。従って女性差別の撤廃に向かって積極的に歩む欧米の国々が上位にランクインするのは論を待たないところです。

あなたは、イスラム教徒であるシリア人を両親に持つ女性です。従ってあなたの家の中にはきっと男性上位の戒律、掟、道徳が満ち満ちていて、あなたはそれにまみれて育ったものと思います。しかしロンドンのあなたの自宅を一歩出れば、アメリカなどと並んで女性解放の大きく進んだ国の、風通しの良い進歩的な社会が広がっていた。聡明なあなたは、きっといち早く自分の家族のあり方について、男尊女卑の理不尽について気づいたのではないでしょうか。ロンドンで最高学府まで学び、JPモルガンという世界屈指の投資銀行で働いたこともあるあなたはまた、堂々たるフェミニストでもあったでしょう。あなたがフェミニストになるのは、サナギが蝶になるように全く自然で確実な道のりだったように僕には感じられます。

事実あなたは、シリアの独裁者一族の中では、もっとも開明的な男だった眼科医のバシャール・アサドと出会い、結婚します。結婚後はヒジャブなどのアラブ女性の服装は一切身にまとわず、欧米の首脳夫人と一寸も違わない物腰で、大統領となった夫のバシャール・アサドと共に外国訪問などをこなし、世界各国の首脳はもちろんあなたの母国でもあるイギリスのエリザベス女王にさえ謁見しています。あなたは欧米の国々のファーストレディとそっくり同じでした。そればかりではなく、シリア国内の貧しい人々、特に子供たちに心をよせる、慈悲深い女性「中東のダイアナ妃」という称号さえ得たのでした。

ところがあなたは、シリア危機勃発後は自国民を弾圧する夫を尻目に沈黙を続け、それを不審に思う欧米のメディアの間では「あなたはきっと夫のアサドに脅迫されて沈黙を強いられている」とか「監禁されている」とか、果ては「子供を人質にされて身動きができずにいる」などという噂が飛び交いました。欧米のメディアにとっては、進歩的な「イギリス人女性」であるあなたが、バシャール・アサドという野蛮な独裁者の凶行を黙って見ている筈がない、すぐに立ち上がって夫を諭すか反旗を翻すにちがいない、と誰もが思い込んだのです。シリアの国内外の反政府勢力が、アスマ・アサドは自国民を弾圧・虐殺する夫と行動を共にしている魔女だ、といくら喧伝しても信じませんでした。あなたはそれほど欧米のメディアと人々に信用されていました。ほとんど何の根拠もなく。あるいは作られた虚像によって。

あなたは女性差別と闘う知的な女性でもなければ、慈愛深いファーストレディでもない。「中東のダイアナ妃」などという呼称に至っては噴飯ものの恥ずかしいレッテルです。あなたは、伝統という仮面を被った因習に縛られ、精神の強い閉塞と硬直に苛まれている一人の哀れなアジアの女性です。あなたが独裁者の夫に意見を言えないのは、あなたが精神的に自立していない、幼い、暗愚な女性だからです。あなたは多分夫のアサド大統領を深く愛しているのでしょう。夫の愛に包まれ守られて、揺りかごの中の赤ん坊のように夫に頼りきり寄りかかり、夫がこの世の全てとばかりに妄信して、精神的にほとんど夫の影のような存在であり続けているのではないですか?

もし僕の主張が間違っているなら、今からでも決して遅くありません。立ち上がってあなたの女性としての尊厳と、あなたの3人の息子の母としての強さと、あなたの愛する夫への真実を見せてください。夫のアサド大統領に「もう私たちの同胞を殺すのはたくさん!もうやめて!」と叫んでください。そうやってアジアの偉大な女性に生まれ変わってください。

 

イタリアがマジで燃えている



2012年8月23日(木)午前2時。

 

暑さで目が覚めた。

 

書斎兼仕事場に行き、窓外に置いてある温度計を見た。

 

なんと28℃。

 

熱帯夜。

 

イタリアに住み始めて初の体験。

 

いや、実際には過去にもあったのかも知れないが、僕はまったく覚えていない。朝、というか夜中の2時に、暑くて目が覚めた、なんていう記憶がないのだ。

 

腹からおどろいた。


自宅は古い貴族館である。分厚い石壁や柱に支えられた家の幾つかの部屋は、真夏でもひんやりするほど涼しい。

寝室はそんな部屋の一つ。昨夜(今朝は)その部屋で暑さを感じて目が覚めたのだ。

書斎兼仕事場は建物の西側に位置する。そこは西日ががんがん当たって夏は最も暑くなる。仕事にならないのでかなり前にクーラーを取り付けた。広い家の中で唯一冷房のある場所。

家の大半は真夏でも冷房はいらない。

いや、

いらなかった。

最近は日中そこかしこの部屋で暑く感じる。本当に気候は変わったようだ。

書斎兼仕事場でクーラーを除湿に設定して、そのままベッドに横たわった。そこには簡易ベッドを置いて疲れたら横たわれるようにしてある。

横になるとすぐに窓外で白光が走った。稲光。

起きて見ると、遠いアルプスの山並みの上にテンポラーレ(豆台風)が吹き荒れている様子。

立て続けに稲光が走り雷鳴もとどろく。

どちらも遠い。でも風が起こってあたりもひんやりしだした。

温度計を見ると28℃あった気温がひと息に20℃まで下がっている。僕はこういう激しい天気の変化が大好きだ。

眠気が吹き飛んでしまった。窓際に寄って遠くのテンポラーレを見つめた。

あたりにまた風が起こり、さーっという雨の音が続いた。暗い中に目をこらしてみる。

雨は見えない。

さらに目をこらしていると、見えてきた。

ような気がした。でも実際は見えない。しかし雨は確かに降っている。かすかに。

除湿が効いてきて部屋がひんやりする。

毛布を足に掛けて横になって雨の音にじっと耳を傾けた。

雨は降っている。かすかな音だが確かに降っている。どしゃ降りになってほしい、と胸中で願ううちに眠りに落ちた。

目覚めて采園に行ってみると、土は乾いている。わずかな雨量では乾ききった土は湿り気さえ帯びない。

降った先から乾いて行ったのだ。そこでも今のイタリアの空気の乾燥が分かる。

采園の野菜たちは喘いでいる。

人間も。

イタリアは本当に燃えている・・

尖閣で吠えずに世界に向けて静かに叫ぶべき



尖閣問題がついにイタリアのメディアにも「上陸」しました。イタリア随一の新聞コリエーレ・デッラ・セーラが「車両、店に放火―中国人の日本への怒りが爆発」という見出しと共に、中国の反日デモの様子を写真付きで大きく取り上げてしまったのです。他の媒体も追随しました。

 

僕は欧米のメディアとアルジャジーラなどを参照しつつ、日本のテレビ、新聞、ネット情報なども詳しく見ています。原発、エネルギー、いじめ、慰安婦、領土問題などなど、今一番ホットな話題も逐一追いかけているのは言うまでもありません。そして、それらの問題には多くの論者の皆さんが意見を開陳しているので、外国にいる自分は三面記事風の話題も含めて、あえて違うテーマの記事を書こうとそこかしこで心がけています。が、尖閣問題に関しては黙っていられなくなりました。

 

今回のトピックスに対しましても既に多くの論者の皆さんが優れた記事を書かれています。それらに目を通してもう余すことなく論点は出尽くした、自分が出る幕はないと考えていたところに、こちらのメディアへの飛び火があり黙っていられなくなったのです。尖閣問題では冷静に行動しろ、と主張する論者の皆さんに100%賛同しながら、自分なりの考えも少し付け加えて述べてみたいと思います。

 

香港の活動家の動きに対抗する形で日本の地方議員の皆さんが尖閣に上陸したのは、気持ちは大いに理解できるものの、やはり軽率だったのではないでしょうか。彼らはそうすることで中国の反日デモを呼び世界中のメディアの関心も呼びこんでしまった。影響力の強い欧米主要国のメディアは言うまでもなく、先進国の中では比較的マイナーな国ここイタリアのマスコミが、中国の反日デモの様子を大きく紹介したことでもそれは分かります。つまり彼らは行動を起すことで尖閣には領土問題が存在する、と世界に喧伝してしまったのです。中国に対しては、わが国の怒りを知らしめることになって、あるいは良しとする面があるのかも知れません。しかし、現実問題として暴力で解決できる案件ではないのは明らかですから、やはり話し合いで解決して行く道を探らなくてはならない。

 

こういうことを言うとすぐに弱腰、売国奴、事なかれ主義、などと勇ましい言葉でののしる人々がいますが、いい加減に時代錯誤な軍事優先思考はやめてもらいたいものです。日本人であるなら誰でも尖閣の中国に怒り、竹島の韓国に苛立ち、北方領土のロシアに腹を立てない訳がありません。愛国者とは何事につけ武力行使を口に出して騒ぐ皆さんのことではない。そういうやり方では国の行く末を誤ると考える僕のような人間も愛国者です。僕は平和、平和と叫んでいれば自然に平和が訪れると考える者でもなければ、軍隊を否定することでたちまち戦争が無くなり安寧がやってくると考える者でもない。究極の理想は核廃絶、非武装だとは信じているものの、人類がそこに至る道は長く、或いは永遠にやって来ないかも知れない、とさえ考える者です。そこに至るまでには軍備も止むを得ない。必要悪だと考える。ただし抑止力として。

 

くやしくても、武力行使はまずできないのですから、三つの事案に対しても経済制裁や外交圧力などに始まる強硬策を模索し実施しながら、飽くまでも対話で臨むしかないでしょう。中国や韓国やロシアといった国々にはまともな対話など通用しない。それらは一党独裁や腐敗や汚職に満ち満ちた人権抑圧国家であり、日本とは国のレベルが違うのだから対話など無理だ、という意見もネットなどでは良く散見します。特に最近の3国(北朝鮮を含めれば4国)の動静を見ていると、そうした意見に頷きたくなることも多々あります。

 

しかし、だからと言って、わが国は彼らへの対話や呼びかけを怠るべきではない。それどころか、冷静に秩序立てて「しつこく」彼らに話しかけるべきです。彼らが分からなくてもいいのです。彼らが理不尽でも野蛮でも構いません。とにかく対話を持ちかける、つまり日本の言い分を彼らに伝え続けるのです。なぜなら、そうした行動は彼ら以外の国際社会が見ています。言い変えれば日本は、国際社会が見やすい形で「戦略的に」彼らと対話を続けるべきです。それだけではありません。

 

彼らと会話を続け、或いは執拗に対話を呼びかけながら、彼ら以外の世界に向けてさらに会話をする、つまり情報を発信し続けるのです。実はこれが日本の主な目的にならなくてはなりません。彼らと対話を続けることは目的の2番目です。世界を味方につけることが第1のそして最大の目的。ではどうやって国際世論に訴えて行くのか。僕なりの考えを述べます。

 

先ず当たり前に世界中の、特に欧米と近隣のアジア諸国の媒体に「資金をふんだんに使って」日本の主張を訴え続けます。いわば国家によるロビー活動です。日本はこれまでそういう伝統的で在り来たりの手段さえ余り取ってきていません。コミュニケーション能力が欠落しているのです。ただこの点に関してはわが国の政治家や官僚やわれわれ国民自身を責めても仕方がありません。日本人は長い間「黙っていてもお互いに分かりあえる」という、思い込み、信条、メンタリティーのもとに生き、子供を教育し、国が動いて来ました。そして世界を相手にしない限り、その生き方は何の問題もなく十分に通用しました。

ところが日本が徐々にグローバル社会に組み込まれて行く過程でもわれわれはそうやって生き続け、やがて第二次世界大戦という破局を招き、その後もコミュニケーション能力の不足によって再び、いや再三再四、繰り返し国の行く末を誤ろうとしています。国と国民にコミュニケーション能力が不足しているのは、それを獲得するための教育がなされてこなかったからです。「日本人なら黙っていてもお互いに分かりあえる」という精神と態度で、世界に相対しても全く分ってもらえません。われわれは、おそらく多くの日本人にとって一番苦手な、一番辛い、「対話能力」を懸命に学び身につけていかなくてはなりません。

 

それと同時に、今ここでこうして利用しているようなインターネット・SNSを徹底的に活用することです。インターネットの特徴を生かしてあらゆる方法で掲示板やブログを立ち上げます。そこに日本の主張を書き込み、人々の参加を呼びかけて議論を誘導します。加えてツイッターやfacebookをとことん利用して世界中に語りかけるのです。日本国内だけに目が行っている人々には、或いはピンとこないことかもしれませんが、特にfacebookは有効です。実に簡単に世界とつながることができるのですから。ジャスミン革命を覚えていますか。?そしてそれに続くアラブの春を見ていますか?そこで威力を発揮し、今も強い影響力を持ち続けているのがFacebookです。同じように領土問題でもfacebookを利して世界中に働きかけるのです。

 

私事ですが、国内だけを相手にしている皆さんに一例を紹介します。僕はほんの数週間前にfacebookに登録しました。動機は世界中に散らばっているロンドンでの学生時代の「かつての」友人達と連絡を取りたい、というものでした。すると、イタリア人の友人2人から早速友達申請があり、それらにOKを出したところ、イタリア内外で爆発的に知り合いの輪が広がっています。いえ、正確に言うと僕はほとんど友達探しや承認などをしていない(facebookを利用していない)ので、知り合いの輪(友達確認)は実際には広がっていません。が、その気になれば一気にネットワークが広がることがはっきりと分かっています。

 

そうしたソーシャルネットワーク活動を個人がばらばらにやるのではなく、言語やネットの専門家を多く集めて「国家プロジェクト」として構築して、世界に向けて本気で情報を発信し、日本の立場と日本の真実をきちんと主張し対話を続ける、というのが僕の考えです。

 

最後に再び私事で恐縮ですが、とても重要なことを言わせていただきます。僕は故国日本の次にはヨーロッパが好きで、さらにアメリカも好きな人間で、そうした国々に住んだり勉強をしたり、もちろん仕事もたくさんやって来ました。好きな国々ですのでいつも楽しく過ごしてきたのですが一つだけとても辛いものがあります。それが社交です。

 

社交とは何か。それは「おしゃべり」のことです。つまり会話の実践場がいわゆる社交なのです。社交こそ、一番疲れる気の重い時間です。しかもそれは、欧米社会では社会生活の根幹を成す最も重要なものの一つと見なされます。社交、つまり「おしゃべり」ができなくては仕事も暮らしもままならないのです。

 

昔、三船敏郎が演じる「男は黙ってサッポロビール」というコマーシャルがありました。あのキャッチフレーズは、沈黙を美徳とする日本文化の中でのみ意味を持ちます。欧米では、男はしゃべることが大切です。「男はだまってしゃべりまくる」のです。特に紳士たる者は、パーティーや食事会などのあらゆる社交の場で、自己主張や表現のために、そして社交仲間、特に女性を楽しませるために、一生懸命にしゃべらなければならない。男はしゃべりまくるのが美徳なのです。例えばイタリアには人を判断するのに「シンパーティコ⇔アンティパーティコ」という基準がありますが、これは直訳すると「面白い人⇔面白くない人」という意味です。そして面白いと面白くないの分かれ目は、要するにおしゃべりかそうでないかということなのです。

 

事ほど左様に欧米社会ではしゃべりが重要視されます。西洋社会の人間関係の基本にはおしゃべり、つまり会話がドンと居座っています。社交の場はもちろん、日常生活でも人々はぺちゃくちゃとしゃべりまくる。社交とは「おしゃべり」の別名であり、日常とは「会話」の異名なのです。

 

彼らのコミュニケーション能力は、子供の頃から徹底して培われます。家庭では、例えば食事の際、子供たちはおしゃべりを奨励される。楽しく会話を交わしながら食べることを教えられます。日本の食卓で良く見られるように、子供に向かって「黙って食べなさい」とは親は決して言わない。せいぜい「まず食べ物を飲みこんで、それからお話しなさい」と言われるくらいです。

 

学校に行けば、子供たちはディベート(討論)中心の授業で対話力を鍛えられ、口頭試問の洗礼を受け続けます。そうやって彼らはコミュニケーション力を育てられ、弁論に長けるようになり、自己主張の方法を磨き上げていきます。それが国際社会です。われわれはそこに向かって、彼らに対抗しながら明確な意見を述べ続けなければなりません。幸いSNSならば顔と顔を付き合わせる会話や議論ではなく、文章によるやり取りが主ですからわれわれ日本人でも十分にこなせるように思います。国が国家プロジェクトとしてしっかりと予算を立てて取り組めば、世界世論を動かす効果的な喧伝活動も夢ではないと考えるのです。



燃えるイタリア


 

昨日、最高気温が44℃かも、と予想されたフィレンツェのそれは、結局40℃だった。

 

それがイタリアの昨日の最高気温。

 

で、隣のボローニャが39℃。

 

ローマが37℃、ミラノが35℃など、だった。

 

シロッコ交じりのむっとする風が吹く夏。

 

暑い。

 

そして

 

イタリアは燃えている。

 

文字通り燃えさかっている。

 

国中で火事が多発しているのだ。

 

先週だけでもイタリア全土で840件もの火事があった。

 

山や原野や農地で。

 

1日平均なんと110件もの火事が発生している。

 

元々イタリアの夏は火事が多い。空気が乾いていて暑くて不心得者も多い。

 

何年か前にシチリア島で夏にロケをした際、高速道路のそこかしこの路肩で、枯れ木や草が燃え盛っていてびびったことがある。

 

誰かが煙草を車窓から投げ捨ててそんな火事が起こるのだという。

 

今年、ここまでの林野火災の件数は6200。

 

煙草の投げ捨てや不注意な火起しや放火などで逮捕、起訴された者300人。

 

火事で失われた森や藪は合計3万5千ヘクタール。

 

暑さも熱さも山火事もまだまだ続く。

 

イタリアは燃えさかっている・・



盛り夏



イタリアは暑い日が続いている。

 

8月だから暑いのは当たり前だが、雨も降らずこの国特有の
テンポラーレも全くやってこない。

 

テンポラーレは僕が勝手に「豆台風」と呼んでいる、独特の夕立。

 

独特とは、黒雲が一気に湧いて風が逆巻き、雷雨が走り、冷気が満ち満ちて激しく騒ぐ現象だから。

 

夕立よりも激烈な夕立。だから豆台風。

 

去年も暑かった。

だが夏の初めから8月半ばまでは比較的涼しかった。

 

8月の半ば過ぎから急に暑くなって、9月は暑過ぎ、10月になっても夏のような日々が続いた。

だから猛暑だった印象が普通よりも強い。

もっとも去年は258年振りに9月に「ラ・ファ(蒸し暑い日)」が記録されるという画期的な夏だった。

記録的猛暑だったのだ。

9月だから記録的に暑い秋だったと言うべきか・・

 

7月、8月の今と暑い今年は、9月、10月が涼しくなるのだろうか。

 

予報によると今月(8月)は2003年以来の猛暑月になることは間違いがないらしい。

 

2003年の夏といえば、WHOの試算で、欧州主要10ヶ国内で暑さによる死者が合計7万人も出たとされる年。

 

この8月がその最悪年に次ぐ暑熱を記録しそうだというのだ。

ならば、せめて9月、10月と涼しくなってほしいが、どうも期待できそうには見えない。

 

夏は年々暑さが増し、さらに暑い期間もひたすら長くなっているのだから。

 

ちなみに今日のフィレンツェの最高気温はなんと44℃まで上がる可能性があるという。ホントかよ・・

 

空気が乾いているからイタリアの夏の気温は日本に比べると高めになることが多い。

 

日本のような湿気で、気温が40℃にでも上がったら耐え難いだろうが、空気が乾燥しているおかげで、つらいながらもイタリアではなんとか凌げる。

 

もっともイタリア人にとっては、夏の日の多くが厳しい湿気に満ちているということだが。

 

日本の夏の蒸し暑さをぜひ経験させてあげたくなる。

そういう人には。

 

そうすればここの夏の凌ぎやすさ、ありがた味がわかって、笑顔がはじけるだろう。

きっと。



いつもと違う夏の偶感



毎年8月は妻の実家の伯爵家本家があるガルダ湖畔で過ごすことが多い。伯爵家は近くに山も所有していて、最も暑い時期には標高1000Mにある山荘で避暑などという贅沢もできる。

 

ガルダ湖はイタリア最大の湖である。その周囲には、南アルプスの連山と北部ロンバルディア州の豊かな森林地帯が迫って、青い湖面に影を落とす。

 

それは幾層もの緑の帯となって湖水深く沈み、大湖をさらに重厚なエメラルド色に染め抜く。

 

湖畔には観光客が愛してやまない景勝地がたくさんある。例えばシルミオーネ、ガルドーネ、サンヴィジリオ、マルチェージネ等、おとぎの国のような美しい村々。

 

イタリアは周知の通り世界でも屈指の観光大国である。国中に数え切れないほど存在する古都や歴史遺跡や自然や人や文化や食や産業が、世界中の観光客を引き付けてやまない。

 

この国の観光資源は大きく分けると二つある。一つはローマやベニスやフィレンツェなどに代表される数多くの歴史都市とそこに詰まっている文化芸術遺産。もう一つは豊かな自然に恵まれた海や山や湖などのリゾート資源である。

 

この二大観光資源のうち、歴史都市の多くには黙っていても観光客が訪れる。

 

しかし夏のバカンス客や冬場のスキー客、あるいはその他の旅人を相手にするリゾート地の場合は、自ら客を呼び込む努力をしない限り決して土地の発展はない。

 

イタリアのリゾート地の全てはその厳しい現実を知りつくしていて、各地域がそれぞれに知恵をしぼって客を誘致するために懸命の努力をしている。

 

僕はそうした人々の努力の一環を、20年以上前に初めて訪れたガルダ湖で目の当たりにして、驚いたことがある。

 

僕はそのときの旅では遊覧船に乗って湖を巡ったのだが、最初の寄港地であるガルドーネという集落に船が近づいていったときの光景が、今も忘れられない。

 

遊覧船が近づくにつれてはっきりと見えてくる湖岸は、まるで花園のようだった。港や道路沿いや護岸など、町のあらゆる空間に花が咲き誇っているのが見えた。

 

そればかりではなく、湖畔に建っている民家やカフェやホテルなどの全ての建物の窓にも、色とりどりの花が飾られている。まるで一つ一つの建物が花に埋もれているかのような印象さえあった。

 

船がさらに岸に近づいた。そこで良く見ると、花は窓やベランダに置かれているのではなく、鉢や花かごに植えられて、窓枠やベランダの柵に「外に向かって」吊り下げられている。

 

要するにそれらの花々は、家人が鑑賞し楽しむためのものではなく、建物の外を行く人々、つまり観光客の目を楽しませるために飾られているのだった。

 

南アルプスのふもと近くに位置していることが幸いして、ガルダ湖地方には歴史的にドイツを始めとする北部ヨーロッパからの訪問客が多く、観光産業が発達してきた。そのため住人の意識も高く、誰もが地域の景観を良くするための努力を惜しまない。

 

町を花で埋め尽くす取り組みなどはそのひとつで、観光地のお手本とされ、今ではイタリアのどこのリゾート地に行っても当たり前に見られる光景になった。

 

伯爵家のある村もそんな観光地の一つである。そこでの滞在を僕はいつも楽しみにしてきた。

 

しかし今年はガルダ湖と住まいとブレシャ市を行ったり来たりして過ごしている。

 

少しも休まる暇がない。

 

湖での「いつもの」慈善事業や行事の手伝い、またこれまでに夕食会などに招かれた人々をこちらが招き返す会食などをこなしながら、イタリア政府の新増税策に伴なうあれこれで奔走しているのである。

 

伯爵家が潰れるのはまだ先のことだろうが、終わりの始まりがじわじわと近づいているように僕には見える。

 

だからといって、あわてたり、嘆いたり、悲しんだり、暗くなったりしているわけでは毛頭ないけれど。

 

渋谷君、Ho cambiato idea:ワルイけど転びます、ね。



本や新聞や雑誌や手紙などの文章と、ブログの文章は違うのではないか、と友人の渋谷君に意見された。

 

彼は僕がブログでは写真を使わない(投稿しない)、と宣言したことに疑問を投げかけたのだ。

 

少し考えた。

 

本や新聞や雑誌などの紙媒体の文章も、ブログ他の電子媒体(Webページ)の文章も、僕にとっては基本的には同じである。

 

少なくとも僕自身が文章を書くときには、文体も語彙も調子も思想も構えも、あるいは書く苦労も書く喜びも、つまり一切が両媒体で同じ。何も変わらない。


ところが


渋谷君の言う

「本や新聞や雑誌や手紙などの文章と、ブログの文章は違うのではないか」


という意見を


「本や新聞や雑誌や手紙などの『表現法』と、ブログの『表現法』は違うのではないか」


と「文章」を「表現法」に置き換えて見ると、彼の指摘が正しいようにも感じられてきた。


そこであっさりと「転ぶ」ことにした。


せっかくブログという新しい媒体で表現をしているわけだから、こだわらずに写真などの武器も使ってみようと。


その上で、やっぱり文章だけで勝負したいと感じるならば、そのときには写真はさっさとやめにすればいいじゃないか、と。


そこで


まずは先日撮ったウサギカテリーナの写真を掲載してみることにした。



IMG_3032
ブドウ園では機械による草刈が良く行なわれる。必要ならば除草剤も用いられる。
 

 

カテリーナ引き
カテリーナは草刈が済んだばかりの、赤土の露出が多い園にいた。




カテリーナ後ろ引き
草が刈り取られた後とはいえ、ブドウ園内ではカテリーナが食べる分の食料には事欠かない。

 

 カテリーナ右横寄り
カテリーナが好んで食べる草を摘み取って、何度か差し伸べてやる動きをするうち、彼女は一瞬だけ背中に触れさせてくれた。ただほんとに一瞬の出来事で、その様子を写真に収めることはできなかった。



・・と書き込んでみると、やはり写真の力は大きいと痛感する。

だって写真を見れば文章なんていらねーだろう・・・

と、腹から思う。

う~む、悩ましい・・
 


独裁者アサドの埋蔵金が暴かれる



シリアのアサド大統領とその一族の秘匿金を探し求める動きが加速している。

独裁者の終末には金を巡る憶測や風評や問責が必ずついて回る。逆に言えば、独裁者が金の噂をされるようになったら、もう「お終い」ということである。

独裁者が権力を振るっている間は、金よりも彼の政治的行動、つまり民衆抑圧のあれこれがはるかに重要だから、誰も金の話などしない。

それに独裁者というのは、ほとんどが自国の国庫金や財産を含む一切を私物化して、我が物顔で使いまくり盗みまくるのが当たり前だから、当たり前のことは誰も指摘しない。

加えて圧政下の国民の場合は、そのことを指摘して、弾圧・復讐されることへの恐怖心も働くからなおさらである。

金の周りには魑魅魍魎が群がる。独裁者の金を語るのは、その政権の腐敗そのものを語ることだから決して無視されるべきではない。

これまでに新聞を中心とするメディアで取り沙汰されたアサド関連の金の動きの主なものは:


1)世界中に分散秘匿しているアサド個人の裏金は10~15億ドルに上ると見られる。


2)シリアのGDPの60%が、アサドの承認の元に彼の従兄弟のラミ・マキロフ(Rami Makhlouf)傘下の会社や事業によって支配されている。


3)EU(欧州連合)は2012年7月までに、アサドの隠し財産を管理していると見られた129人のシリア人と49の会社の資産を凍結した。このうち英国内だけでも1億2千8百万ユーロがほぼ現金で見つかり差し止めされた。


4)アメリカ財務省は7月20日、シリアの4人の閣僚並びにシリア中央銀行総裁を含むシリア人29人に対して、アサド大統領に代わって同国の富を盗み隠匿したとして制裁を課した。


など。

ロンドンを拠点にする民間諜報会社“Alaco”のトップ、イアイン・ウイリス氏によれば、これまでに見つかったアサド大統領の隠匿資産は氷山のほんの一角に過ぎない。彼は家族や親族や政権内部の人間に託して、莫大な資産を世界中に分散秘匿している。中でもロシア、ドバイ、レバノン、モロッコ、さらに香港などが主な隠し先と考えられている、という。


だが、アサドのような独裁者の隠し資産を追い詰めるのは容易ではない。彼らはその道に長けた専門家を数多く抱えていて、資産の移動、管理、隠匿が決して表に出ないようにあらゆる方策を取っている。そうしておいて何か事が起これば、すぐさま資産を右から左に動かして、証拠のまったく残らない形で秘匿してしまうのである。


例えばこういうケースがある。かつて英国の捜査機関がイラクのサダム・フセインの違法な資産をフランスで発見し、これを差し押さえようとした。ところが1億ユーロにも及んだその裏金は、パリからパナマさらにジュネーブへと次々に移動隠匿されて行き、結局差し押さえることができなかった。


シリアのアサド大統領がありとあらゆる方法で国から盗んだ莫大な金を隠しているのは明らかだろうが、それを追い詰めて没収するのは至難の業なのである。同様なことは、2006年に死亡した前述のサダム・フセインに限らず、エジプトのムバラクやリビアのカダフィ大佐とその一族の場合にも起きている。

また英国のある財務査察官はBBCのインタビューに応えてこう話した。シリアは盗賊に支配された国、と断定しても決して間違いではない。アサド以下の支配者たちは、彼らの友人や親族などに次々に便宜を与えて国富を盗ませ、私腹を肥やし、さらに資産を国外に運んで隠すことを許可してきた。


アサド大統領の秘密資金の捜索は今始まったばかりである。

それはアサド自身が、反政府軍によって政権の座から引き摺り下ろされた後も続くことが確実な、長い忍耐の要る作業であることは疑う余地がないのである。

 

 

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