2012年09月

ペルーまで。ウーゴさんを訪ねて。



今年の夏の慈善事業が昨日、9月29日でほぼ終わった。

 

昨日の仕事は正確に言えば慈善事業ではなく、伝(つて)を通して要請があった歴史的建造物保存会の人々に伯爵家を公開することだった。

 

夏の間は伯爵家では、慈善コンサートや展示会などの催し物のほかに、そうした社会奉仕活動がしきりに舞いこむ。主に妻がそれらの仕事をこなすが、伯爵家の家族の多くが亡くなりまた老いた今は、僕も妻の手伝いに狩り出されることが多くなった。

 

伯爵家にまつわるそれらの役回りは妻の義務である。妻の義務なので僕は黙って彼女に協力する。義務でなければ、おそらく事情は少し違っていただろう。

 

10月8日にペルーに行くことが決まった。ウーゴさんに会いに行くのだ。

 

ウーゴさんとは、今年88歳になるウーゴ・デ・チェンシ神父のこと。彼はマト・グロッソという慈善団体の創始者である。

彼を慕うマト・グロッソのボランティアたちは、神父さんと言う代わりに皆「ウーゴ」と彼を実名で呼ぶ。だから僕も時どき彼らにならう。

 

マト・グロッソには妻も僕も関わりがあって、わが家でのチャリティーコンサートなどは彼らが仕切って開催される。

 

昨年、わが家で催した東日本大震災支援チャリティーコンサートも、マト・グロッソのボランティアの皆さんのおかげで成功裡に終わった。

 

今年は、例年通り6月に南米支援の慈善コンサートを行い、ペルーからイタリアに帰国していたウーゴさんもわざわざ駆けつけてくれた

 

その時に、ペルーに来ないかとウーゴさんに誘われた。僕らは喜んで行くと答えた。

 

問題があった。マト・グロッソの責任者のブルーノが、果たして僕ら夫婦とともにペルーに行けるかどうかがはっきりしなかった。ペルーでは主に山中で活動するマト・グロッソの施設を訪れることになる。マト・グロッソの誰かの案内がなくては難しかった。

 

ブルーノは妻のヴィカと共に重度の障害を持つ息子の世話をしながら仕事をし、マト・グロッソの事業にも関わっている。どこで、どのように時間が取れるかはっきりしなかった。

 

ところが障害を持っている息子のキーコが先日亡くなった。ブルーノ夫妻は36年振りに息子の世話から解放された。

 

悲しみは悲しみとして受け留めつつ、ブルーノとヴィカは息子キーコの死を淡々と見つめた。36年の苦しい年月を生き抜いた息子を誉め讃え、慈しみ、そして見送った。

 

そんな思いがけない展開があって、ブルーノはヴィカと共にペルー行きを決めた。36年振りの夫婦旅行だという。これまでは旅行の機会があっても、どちらか一方が必ずキーコの側にいなければならなかったのだ。

 

そうやって、僕ら夫婦とブルーノ夫婦の4人でウーゴさんに会いに行くことにした。

ブルーノとヴィカは僕ら夫婦よりも年上だが、とても気が合う。その上に僕は彼らの自己犠牲の精神にいつも頭が下がる思いでいる。彼らと旅行できるのは腹から嬉しい。
 

今回の旅にはハンディカメラを持って行くつもり。ウーゴさんとマトグロッソの活動の模様を撮影しておこうと思う。

 

リサーチのつもりだが、ブルーノか誰かに頼まれれば一本の作品にまとめることがあるかもしれない。カメラマンを伴なわないロケだから、たいした絵は撮れないとは思うが・・

 

イタリア戻りは10月26日。戻るとすぐにアメリカ・ニューヨークからの友人を迎える。ディック・ブリリア。優秀なTVディレクター兼プロデュサー。

アメリカ生まれのTV番組「どっきりカメラ」の現代版の創始者の一人である。

 

ニュヨークでは同僚として共に仕事をし、同時に先輩でもある彼からはずい分多くのことを教わった。

 

再会がとても待ち遠しい。

 

 

領土という武骨、秋言葉という風雅


加筆再録



尖閣、竹島、北方四島・・

ここところ、それらを思う度に心が昂ぶり体が戦闘的になるような気がします。自分自身も、また故国日本全体の世論も、ここ数週間ですっかり「兵(つわもの)振り」が身についたようにも見えます。

それはそれでいいのですが、日本には勇猛な武将でさえ花を活け和歌をたしなむ、という文武両道、硬軟融和の伝統もあります。国難を見て心が騒ぐ今こそ、その繊細な文化を思い出してみるのも一興かも知れません。

ここ北イタリアは9月の声を聞くと同時に涼しくなり、今はもうすっかり秋です。異常気象とまで言われた8月の猛暑が遠い昔のようです。秋の日はつるべ落としと言いますが、この国では秋そのものがつるべ落としに素早くやって来て、あっという間に過ぎ去ります。印象としては夏が突然冬になります。

日本の平均よりも冬が長く厳しい北イタリアですが、短い秋はそれなりに美しく、風情豊かに時間が流れて行きます。ところが、イタリア語には、枯れ葉、病葉(わくらば)、紅葉(こうよう)、落葉、朽ち葉、落ち葉、木の葉しぐれ、黄葉、木の葉ごろも、もみじ・・などなど、というたおやかな秋の言葉はありません。枯れ葉は「フォーリア・モルタ」つまり英語の「デッド・リーフ」と同じく「死んだ葉」と表現します。

少ししとやかに言おうと思えば「乾いた葉(フォーリア・セッカ)」という言い方もイタリア語には無いではない。また英語にも「Withered Leaves(ウイザード・リーブ)」、つまり「しおれ葉」という言葉もあります。が、僕が知る限りでは、どちらの言語でも理知の勝(まさ)った「死に葉」という言い方が基本であり普通です。

言葉が貧しいということは、それを愛(め)でる心がないからです。彼らにとっては「枯れ葉」は命を終えたただの死葉にすぎない。そこに美やはかなさや陰影を感じて心を揺り動かされたりはしないのです。山に行けば紅葉がきれいだと知ってはいても、そこに特別の思い入れをすることはなく、当然テレビなどのメディアが紅葉の進展を逐一報道するようなこともあり得ません。

ただイタリア人の名誉にために言っておくと、それは西洋人社会全般にあてはまるメンタリティーであって、この国の人々が特別に鈍感なわけではありません。

それと似たことは食べ物でもあります。たとえば英語では、魚類と貝類をひとまとめにして「フィッシュ」、つまり「魚」と言う場合があります。というか、魚介類はまとめてフィッシュと呼ぶことが多い。Seafood(シーフード)という言葉もありますが、日常会話の中ではやはりフィッシュと短く言ってしまうことが普通です。イタリア語もそれに近い。が、もしも日本語で、たとえひとまとめにしたとしても、貝やタコを「魚」と呼んだら気がふれたと思われるでしょう。

もっと言うと、そこでの「フッィッシュ」は海産物の一切を含むフィッシュですから、昆布やわかめなどの海藻も含むことになります。とは言うものの、欧米人が海藻を食べることはかつてはなかったのですが。タコさえも海の悪魔と呼んで口にしなかった英語圏の人々は、魚介類に疎(うと)いところが結構あるのです。

イタリアやフランスなどのラテン人は、英語圏の人々よりも多く魚介に親しんでいます。しかし、日本人に比べたら彼らでさえ、魚介を食べる頻度はやはりぐんと落ちます。また、ラテン人でもナマコなどは食べ物とは考えないし、海藻もそうです。もっとも最近は日本食ブームで、刺身と共に海藻にも人気が出てきてはいますが。

多彩な言葉や表現の背景には、その事象に対する人々の思いの深さや文化があります。秋の紅葉を愛で、水産物を「海の幸」と呼んで強く親しんできた日本人は、当然それに対する多様な表現を生み出しました。
 
もちろん西洋には西洋人の思い入れがあります。たとえば肉に関する彼らの親しみや理解は、われわれのそれをはるかに凌駕(りょうが)する。イタリアに限って言えば、パスタなどにも日本人には考えられない彼らの深い思いや豊かな情感があり、従ってそれに見合った多彩な言葉やレトリックがあるのは言うまでもありません。

さらに言えば、近代社会の大本を作っている科学全般や思想哲学などにまつわる心情は、われわれよりも西洋人の方がはるかに濃密であるのは論を待たないところだと思います。

と、書き進めても、領土問題の解決には何も役には立ちません。が、逆に領土問題も人の心の琴線を振るわせる何の役にも立ちません。むしろ心を昂ぶらせ、すさませ、虚しくさせる。領土問題ではどうしても気持ちが武闘的になります。その行き着く先は戦争です。戦争などあってはなりません。従って、やはり、われわれは中国その他の国々との問題を平和裏に解決しなくてはなりません。そのためには荒ぶる心を鎮める必要がある。その方法は多々ありますが、陳腐なように見えてもやはり、花や紅葉を愛でる日本の伝統文化に思いを馳せることなどもその一助になる、と考えたりするのはただのこじつけでしょうか。

ブログは自慢話のオンパレード?



渋谷君ではない僕の親しい人が「ブログは全て自慢話に見える」と連絡をくれた。

 

正直、僕の最初の反応は「???・・」だった。

 

それはブロガーの中には自慢話が好きな人もいるだろうが、全てのブログが自慢話というのはおかしいだろう、と思った。

 

僕自身も自慢話を書いているつもりはない。自慢話をするなら、これは自慢話だが、と断ってから書き出すと思う。

 

しかし、そのつもりがなくても、読者から見ると結局自慢話めいたものになったり、自己満足や我田引水的な主張に過ぎない話などもきっとあるに違いない。

 

でもそれは、何をどう書いても見る人によってはそういう風に見えるものだから、考えても仕方がない。と、僕は割り切っている・・

 

僕の反応「???・・」の中身を分析すると、およそそんな感じになる。

 

それで終わりかと思ったら、意外にも自分の中で引っかかっていて、考え続ける羽目になった。

そして、考えたら、「ブログは自慢話」という見方はあながち的外れなものではない、と気づいた。

 

ブログを書くとは表現をすることである。表現をするとは、自分を分ってもらおうとする行為である。

文章、絵画、音楽、劇作、建築、アートetc etc・・あらゆる芸術表現は、人の「自分を知ってほしい」という切実な願いから出ている。

 

自分を知ってほしいのだから、それは自分の自慢話になるのが落ちである。

 

自分の嫌なところ、醜いところ、暗いところを敢えて他人に伝えたい者はいない。特に個人的な表現手段であるブログではその傾向は強いと考えられる。

 

敢えて自らの醜悪な部分や心の闇も描くとそれは文学になる。

そしてその文学も、僕の親しい人の見方に固執して考えると、やはり自慢話である。

 

なぜなら暗部も含めた己自身をさらけ出すことによって、作者はやはり自分を他人に分かってもらいたいのであり、しかも己のネガティブな側面も正直に描き出すことで読者の共感を得たい、と願っている。

正直な人間、誠実な人間、己の全てをさらけ出す勇気ある人間・・などと評価されたいと密かに切望している。

 

だから、それはやっぱり自慢話なのである。

 

そうと分ったら、開き直って「自慢話」を書き続けてやる、と僕は決意した。

ような・・・

かも。

 

世界に感染拡大しようとする中国の蛮声 



昨日、中国の反日デモに関して在ミラノ領事館から次のような知らせがありました。北イタリア在住の邦人全員に送られたメールです。

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「尖閣諸島国有化に反対する中国人による抗議活動」

北イタリア治安情勢通報(2012年・第10号)
~ミラノ市内における抗議活動に関する注意喚起~

 今般,尖閣諸島国有化に反対する当地中国人により,ミラノ市内において抗議活動が行われるとの情報を入手しました。実施日時・場所及び注意事項について以下のとおりお知らせします。

1.実施日時
  2012年9月18日(火)14:00~16:00の間

2.実施場所
  ミラノ市内レプッブリカ広場周辺

3.注意事項
○抗議活動が行われている場所へ近づかない
 抗議活動が予定されている当日にレプッブリカ駅及びその周辺へ出かける予定のある方は,抗議活動等が行われている場合,必ず迂回する等して抗議活動が行われている場所を避けるようお願いします。抗議活動が行われている直近を通行した場合,抗議活動参加者から罵声を浴びせられたり,暴行等不測の事態が発生する可能性もありますので,興味本位等で近づくことのないようご注意願います。

○又,当日当館に来られる予定の方は,周囲の状況に気をつけて下さい。

平成24年9月17日 
在ミラノ日本国総領事館

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華僑を始めとするイタリア在住の中国人が、ミラノの中心地の共和国広場で反日デモを行なう、という。中国人のしつこさと熱いほどの行動力にうんざりし、やがて暗澹たる思いに捉われました。

その思いは二つの理由によっています。一つは今言った中国人の行動への疎ましさ。もう一つはわが国政府の無能、つまりコミュニケーション力の欠落と外交音痴ぶりへのがっかり感、脱力感。

多くの国のメディアや専門家が指摘しているように、反日デモは中国政府筋あるいは権力筋の肝煎りで行なわれていると見るべきでしょう。海外在住の中国人にまで彼らの管理統制は及んでいると考えられる。だからミラノでも反日デモが組織化されたのです。

ミラノには華僑が集中するチャイナタウンがあります。そこは無法地帯としてイタリア人の不評を買ったりもします。チャイナタウンをミラノ郊外に丸ごと移転させようとする計画さえあります。イタリア政府は世界のあらゆる国々と同様に、中国の経済力を無視できずにかの国に擦り寄る態度もときどき見せます。

しかし、ミラノに限らずイタリア国民の多くが、中国人に不信や苛立ちを感じているのも事実です。その原因の多くは、彼らが圧倒的な人数でこの国に押し寄せているにもかかわらず、全くと言って良いほどイタリア社会に溶け込まないことにあります。

彼らの反日デモは恐らく異様な出来事としてイタリア人の目には映るでしょう。従ってそれほど心配するには及びません。しかし、それでも、デモを異様と感じたイタリア人の中には例えば、せめてデモの意味を知ろうとする者や、また何とかそれを理解しようと努力する者、あるいはそれをきっかけに日中の確執に興味を抱き始める者等々も出て来るでしょう。そうなればそれは、デモを起した中国人たちの勝利です。

我われ日本人から見れば理不尽なことが多い彼らの主張は、それらの何も知らないイタリア人たちの関心を引き、しかもその関心は中国人側のフィルターを通して形成される確率が高くなります。なぜなら主張しているのは我われではなく中国人だから。そして、そうしたことの積み重ねが、国際世論に影響を及ぼす可能性は決して低くないのです。

彼らの策動に対抗するためには、日本政府が動かなくてはなりません。騒ぎを起せ、ということではなく、中国政府と国民に毅然として相対する一方で、世界に向けて我われの真実と言い分を喧伝しなければならないのです。世界中のメディアに「金をかけて」広告や主張を掲載し、各国政府に働きかけ、政財界のあらゆる伝を使ってわが国の立場を強く申し立てていかなければなりません。つまりコミュニケーションの構築です。黙っていてはいけないのです。好むと好まざるにかかわらず、主張する者が勝つ、或いは認められる。それが国際社会です。

でも政府民主党は党首選挙でそれどころではないようですし、自民党も同じ。一体いつになったら内向きの姿勢を正して、外に向けても働きかけることのできる政権や政治家が出て来るのか疑問です。反日デモはそのうち収まるでしょうし、また収まってほしいと願いますが、領土問題だけに限らず日本が国際社会に向かって主張し対話をし続けなければならない懸案は、今後も決して無くなることはありません。これを一つのきっかけに、世界と楽に対話のできる国造りを目指し、今回の騒動もまんざら捨てたものでもなかった、と誰もが将来笑い合えるようになることを祈りたいと思います。

観光産業の落とし穴~能動的であるべきか否か~




北イタリアのガルダ湖は、イタリア最大の湖である。その周りには、南アルプスの連山と北部ロンバルディア州の豊かな森林地帯が迫って、青い湖面に影を落とす。それは幾層もの緑の帯となって湖水深く沈み、大湖をさらに重厚なエメラルド色に染め抜く。


湖畔には観光客が愛してやまない景勝地がたくさんある。DHローレンスやゲーテなどの大作家も讃えた、例えばシルミオーネ、ガルドーネ、サンヴィジリオ、マルチェージネ等々、おとぎの国のような美しい村々。そうした湖畔の集落は、芸術家たちが住んだり旅をしたりした当時とほとんど変わらない姿で今もそこにある。


イタリアは周知の通り世界でも屈指の観光大国である。
国中に数え切れないほど存在する古都や歴史遺跡や自然や人や文化や食や産業が、世界中の観光客を引き付けてやまない。

この国の観光資源は大きく分けると二つある。一つはローマやベニスやフィレンツェなどに代表される数多くの歴史都市とそこに詰まっている文化芸術遺産。もう一つは豊かな自然に恵まれた海や山や湖などのリゾート資源である。

この二大観光資源のうち、歴史都市の多くには黙っていても観光客が訪れる。そこはいわば「受け身の観光地」という捉え方もできる。受け身でいても良い観光地の人々は、極端に言えば何もしない。何もしなくても、彼らが「もうこれ以上来てくれなくてもいい」と密かに陰口を叩くほどの訪問客が毎年ある。先に挙げた3都市などはまさにそういう場所だ。

しかし夏のバカンス客や冬場のスキー客、あるいはその他の旅人を相手にするリゾート地の場合は、自ら客を呼び込む努力をしない限り決して土地の発展はない。イタリアのリゾート地の多くはその厳しい現実を知りつくしていて、各地域がそれぞれに知恵をしぼって客を誘致するために懸命の努力をしている。そこは言わば「攻め気の観光地」、つまり住民の自発性が物を言う観光地である。

僕はそうした人々の努力の一環を、30年近く前に初めて訪れたガルダ湖で目の当たりにして、驚いたことがある。そのときの旅では遊覧船に乗って湖を巡ったのだが、最初の寄港地であるガルドーネという集落に船が近づいていったときの光景が、今も忘れられない。

遊覧船が近づくにつれてはっきりと見えてくる湖岸は、まるで花園のようだった。港や道路沿いや護岸など、町のあらゆる空間に花が咲き誇っているのが見えた。そればかりではなく、湖畔に建っている民家やカフェやホテルなどの全ての建物の窓にも、色とりどりの花が飾られている。まるで一つ一つの建物が花に埋もれているかのような印象さえあった。

船がさらに岸に近づいた。そこで良く見ると、花は窓やベランダに置かれているのではなく、鉢や花かごに植えられて、窓枠やベランダの柵に「外に向かって」吊り下げられている。要するにそれらの花々は、家人が鑑賞し楽しむためのものではなく、建物の外を行く人々、つまり観光客の目を楽しませるために飾られているのだった。

南アルプスのふもと近くに位置していることが幸いして、ガルダ湖地方には歴史的にドイツを始めとする北部ヨーロッパからの訪問客が多く、観光産業が発達してきた。そのため住人の意識も高く、誰もが地域の景観を良くするための努力を惜しまない。町を花で埋め尽くす取り組みなどはそのひとつで、観光地のお手本とされ、今ではイタリアのどこのリゾート地に行っても当たり前に見られる光景になった。

突然話が飛ぶようだが、世界の観光地の中には、受動的であるべきか能動的であるべきかの区別がつけられずに、四苦八苦している美しい土地が結構あるように思う。一例を挙げれば、僕が知る限り日本の南の島々の一部もそうである。それらの島々には例えば、古代ローマ時代からルネサンスを経て現代にいたる、イタリアの偉大な歴史遺産に匹敵する観光資源は残念ながらない。しかしガルダ湖などに代表される、イタリアのリゾート地に勝るとも劣らない観光資源なら大いにある。言うまでもなく美しい海がそうであり、冬でも暖かい気候がそうである。

そこを活かして、観光客を「楽しませ」「遊ばせる」ための自発的な行動や施策や方針や活動が必要なのに、何を勘違いするのか、地元の人々は良くムラの遺跡や文化にこだわって、観光客を呼ぶためにまずそれらのひどく「ローカルな文物」を整備しようと躍起になったりする。それらの伝統はもちろん重要である。しかし観光客はほとんどの場合、そうしたものを見るために島に足を運んだりはしない。島の自然を遊ぶために訪ねて行くのだ。その後で時間があり、しかも気が向けば歴史観光もするかもしれないという程度のものだ、と話してもなかなか分ってくれなかったりするのである。

同じようなことはイタリアでも起こる。例えば僕の住むここ北イタリアの村は、前述の日本の島のように自然豊かで、且つイタリア特産のシャンパン、スプマンテの産地としても知られる。村役場は観光客の誘致に力を入れていて、ひんぱんに祭やイベントを催したりして頑張っている。観光課の責任者たちと話をする機会が良くあるが、彼らは村の今の特徴を真っ先に考えるべきところで、一律に「文化」や「歴史」にこだわってしまい、大観光地のフィレンツェやローマを真似て歴史遺産を観光の目玉にしたいと考える者が多い。また実際に、村の貴重な税金を使って、古い建物や遺跡の整備をしたりもする。

でもそうした活動は、「村の住民の心を豊かにする」ために為されるべきことであって、「観光客の誘致」という観点からは余り意味がない。そこで整備・改善されて村人の心を癒やし続けた「村の文物」はやがて将来、長い時間の経過の後で、フィレンツェやローマの歴史芸術にも匹敵する観光資源となるかもしれない。が、旅人にとっては今のところは、例えば「未知の土地のわずらわしいオブジェや田舎の美意識の過剰な表出」のようなものでしかない、というケースも結構あるのだ。

イタリアには主要歴史都市以外にも、歴史文化遺産を多く抱える町や村や地域が吐いて捨てるほどある。だから僕が住む無名の村にあるような文化遺産では、訴求力が弱すぎて人は呼べないと思う。それよりも、例えば村域にある広大なブドウ園を結んで遊歩道を築いたり、各ワイナリーと提携して常時試飲会を開いたり、販売促進イベントを開催するなど、地域の特徴を活かすべきではないかと僕などが話すと、なるほど良いアイデアだと頷いたりするものの、中々そうした方向には動かない。ムラ人たちはいつも、歴史的観光都市や地方への密かな憧れと劣等意識を抱え込んでいて、その反動で「ムラの文化や歴史」にこだわり過ぎてしまうきらいがある。だから村の観光事業は、いつまで経っても滑走離陸しない場合が多いのである。

 


雨、テンポラーレ、カテリーナ、たち・・



シリアの話、マフィアの動き、終わったばかりのオリンピックこぼれ話、英王室がらみ、一年前から書く計画の「今のところ」のあれこれ・・

 

と、書くべき或いは書きたいテーマは多くあるのに、天気のことが気になってしょうがない。

 

というか、天気のことを書いておきたい。記録或いは記憶用に。

 

昨日(9月5日水曜日)も雨。

 

乾ききった長いcaldoafricano(アフリカ暑熱)への反動で、一度雨が降ると止まらなくなって降り続くのではないか、という人々の予想は今のところはハズレに見える。

 

でも、まだ分らないけれど。

 

今夏、もっとも僕の印象に残っているのは、異常と形容してもいいような暑さや乾燥ではなく、激しい雷雨を伴なって暴力的に吹く風(僕が豆台風と勝手に名付けている)、テンポラーレがほとんど無かった事実。

 

イタリアの夏はテンポラーレと共にあり、テンポラーレと共に終わる、と言っても良いほどそれはひんぱんに吹き募る。

 

盛夏にはテンポラーレが吹いて一時暑気を飛ばし雨が降る。暑気はすぐに戻って大気中に熱がこもり霞が沸き広がる。

 

霞やもやは鬱積して、間もなくテンポラーレがやってきて一掃する。

 

ということが繰り返される。

 

8月も半ばを過ぎると、テンポラーレの一撃ごとに涼風が募って、秋が駆け足でやって来る。

 

その秋はせわしなく、やって来た時と同じ早足で去って、するともう冬・・

 

というのが一年後半のイタリアの季節の動き。少なくとも僕の印象にある季節変化。

 

今年はそこでの主役のテンポラーレが無かったのだ。ちょっと不思議。

 

でも雨と共にやって来た涼気は、テンポラーレが運び来るそれと変わらない。早朝には冷気と言ってもいいほど気温は下がる。

 

ほんの一週間ほど前までの暑さが嘘のよう。やっぱりイタリアの季節変化は荒々しい。面白い。

 

昨日夕刻、冷たい雨に打たれてカテリーナがブドウ園にうずくまっていた。

 

ちょうど僕の書斎兼仕事場の窓に近い場所。

 

ブドウ園は広く、また敷地内には雨を凌げる場所がいくらでもあって、カテリーナは冬の間などはそこで寒さを避けながら生きているようだ。

 

なのに、昨日は冷たい雨に濡れて、わざわざ僕の目につきやすい場所にいた。

 

気になって仕方がない。

天気のことにこだわっているのは、そのことともほんの少し関係がある・・


カテリーナ引き
真ん中あたりの白いポツン・・

カテリーナ中引き
寄ってみると・・

カテリーナ寄り
もっと寄ってみると・・

う~む

ちょっと切ないぜ・・

招き招かれも人生。かも。楽しいかも。



友人を招いてのスピエド料理パーティー(昼食会)は大成功だった。

 

天気は結局最悪。

 

前日から降り出した雨が、パーティー当日の土曜日も降り続いた。むしろ前日よりも強く。

 

それでもパーティーは成功裡に終わった。

 

雨を警戒して、Aperitivo(食前酒会)を屋内用にも準備していたことと、そして何よりも昼食メイン料理のスピエドが、抜群に美味しく大好評だったのが良かった。

 

スピエドは秋の料理だが、標高1000Mの山中は涼しいので、夏でも良く食べられる。その場合には、冷凍保存していた前年の狩猟の獲物肉少々と、スペアリブや鶏肉などが多く使われる。

 

晴れてくれれば食前酒会は屋外で開く予定だった。

 

ガルダ湖を見下ろす絶景の中で飲む食前酒は、また格別の味がした筈だが、ま、仕方がない。

 

時どき晴れ間も出たので、窓から少しのパノラマも楽しめたし。

 

招いたのは40人弱。

 

1/3の親しい友人と、2/3の社交友人、つまり招かれたお返しに招いた客人。

 

ま、でもその皆さんも友人と言ってもいいだろう。

 

招待されて出た集まりやパーティーで出会う人々を、全て招くことはできないので。

 

また招くのは妻や僕ではなく、実は「伯爵家を招いている」だけというケースも多いので。

 

それぐらいの認識、見きわめはいつでもしているし(笑)。


だから今回初めて招いた2/3の客人たちは、それなりに気心の知れた友達だな。やっぱり。
 

社交はつらいところもあるけれど、ワインを少し飲めばはしゃいで少しはおしゃべりもできる。

 

本来のノーテンキな自分が表に出て、まあまあ社交的にもなる。

 

もっともノーテンキは、飲まなくてもしっかり表に出ているとは思うが(笑)。

 

9月いっぱいは、週末を中心にまたそこかしこに招(よ)ばれている。

ホントの友人らの招きもあれば、義理の友人たち(?)からのそれも。

 

後者は疲れる。

が、

でも、

義理が転じて友にもなることを信じて。

さ、

行くぞ~~~い!!

 

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