2013年03月

ローマ法王?教皇?~僕がローマ教皇と表記する訳~



バチカンに関するニュースを伝える日本のメディアでは「ローマ法王」と「ローマ教皇」で表記が分かれ、混乱している。

 

いや、正確に言えば「ローマ法王」の方が使用頻度は圧倒的に高いと思うが、「ローマ教皇」も併用されていてすっきりしない。

 

僕は2005年に亡くなったヨハネ・パウロ2世への畏敬の念から「ローマ教皇」と決めて、常にそう表記している。

調べてみると、日本のカトリック中央協議会は1981年、ヨハネ・パウロ2世の来日を機に、混乱していた表記を「ローマ教皇」に統一するとしている。その理由は「教える」という字の方が、カトリック教会最高位聖職者の職務をより良く表すからというもの。

 

それまではなぜ「法王」でも良くて、且つ当事者のカトリック教会側でもその表記の方が多かったのか、などを解説していないので、分ったような分らないようなもどかしい言い分だが、個人的には僕は「教皇」派なので、ま、いいか、というところ。

 

加えて、たまたまだが、カトリック中央協議会つまり教会にとっても、僕が敬慕するヨハネ・パウロ2世の存在が「法王」から「教皇」への《改宗》の動機だったらしいし。

 

1981年頃の僕はロンドンで必死に、且つ楽しく映画学校の学生を謳歌していた時代で、宗教にはほとんど興味がなかった。ヨハネ・パウロ2世が日本を訪問したことも知らなかった可能性さえある。ましてやカトリック中央協議会の《改宗》など知る由もない。

 

僕はカトリック教会の推奨とは全く関係なく、ヨハネ・パウロ2世個人を表現するには「教皇」が最適だと感じて、そう表記している。

 

繰り返しになるが、僕はカトリック教徒ではないにもかかわらず、一人の人間としてヨハネ・パウロ2世を深く尊敬しているのである。

 

ヨハネ・パウロ2世の偉大、つまり彼の功績と人格を知るまでは、実は僕も「法王」表記派だった。

 

「法王」という呼称には上から目線の尊大な印象があり、欺瞞の臭いが漂っている。そしてそれは、カトリック教会に対する僕の正直な感想でもある。

一人一人の人物は全て、と言っても良いくらいに神父をはじめとする聖職者の皆さんはいい人だらけなのだが、教会という組織になるとガラリと印象が変わる。世の中のあらゆる組織がそうであるように・・

だが、教会組織のその負の印象というものは、ヨハネ・パウロ2世の真実とは完全に離反している。

 

そのことに気づいて以来、僕は「教皇」という、より謙遜でより親しみやすい「印象」の呼び方が彼にはふさわしいと考えて、そう表記し始めた。

 

結果として彼に続く二人の教皇に対しても同表記を使用し、今後もそうするつもりでいる。

 

ぶっちゃけた話、僕は退位したベネディクト16世に対しては今のところ「法王」の印象を抱き続けている。

バチカンは大ヨハネ・パウロ2世の死後、ベネディクト16世と共に後退した。少なくとも停滞した。

 

でも、第266代フランシスコ教皇とともに、再び前進し謙虚になり友好的になりそうな気配がある。

新教皇フランシスコはどちらかと言えば、今のところ、ヨハネ・パウロ2世的でありベネディクト16世的ではない、と僕には思えるのである。

 

 

ついでなのでもう2点:

 

新教皇は自らをfrancescoつまり「フランシスコ」と命名した。「フランシスコ1世」ではない。でも日本語では1世を付けた方が語感的に座りが良い感じもある。しばらく併用ということになるのかもしれない。

 

教皇選出会議conclaveを僕は「コンクラーベ」ではなくわざと「コンクラーヴェ」と表記している。見方によっては気取りに聞こえかねないが、そこかしこでconclaveを「根比べ」と揶揄しているのを見て、聞き飽きたセンスの無いオヤジギャグだと反発。それでわざわざ「コンクラーヴェ」と。でもそれも大人気が無く、反発すること自体がオヤジギャグのレベルだと気づいたので、さて今後はどうするか(笑)。

パスクア2013。また新ローマ教皇。と・・



明日は復活祭。英語のイースター。イタリア語ではパスクア。

いわずと知れたイエス・キリストの復活を祝うキリスト教最大の祭。


キリスト教の祭典としては、世界的にはクリスマスが最大のものだろうが、宗教的には復活祭が最も重要な行事である。


クリスマスはイエス・キリストの誕生を祝う日。


復活祭は磔(はりつけ)にされたキリストが死から甦る奇跡を讃える日。


誕生は誰にでも訪れる奇跡だが、死からの再生という大奇跡は神の子であるキリストにしか起こり得ない。

それを信じるか否かはさておいて、宗教的にどちらが重要な出来事であるかは明白であろう。


イタリアの復活祭は、教会でも家庭でも例年にぎやかである。


教会は、キリストが磔になった聖金曜日(venerdisanto)から、復活する三日後の日曜日、そして小パスクアあるいは天使の月曜日と呼ばれる翌日まで、さまざまな催し物を繰り出して祝う。


聖金曜日は教会がミサを執り行わない日だが、その代わりに各地の教会が趣向を凝らして信者とともに祭を寿ぐのである。


例えば僕の住む村では、イエス・キリストが十字架を背負って刑場のゴルゴタの丘まで歩いた「viacrucis(悲痛の道)」をなぞって、当時の服装を身にまとった信者が村の道を練り歩く。


教会が主催するその行列は、例年夕方に始まって夜更けまで続く。けっこう大きなイベントである。

復活祭の期間中は、イタリア全国で似たような祭事が展開される。


一方、家庭では復活祭特有のご馳走の嵐


僕は今年も招かれて行く親戚の家で、思い切り
capretto(カプレット⇒子やぎの肉)料理を楽しむつもり。

ツーか、不信心者の僕にとっては、これだけが復活祭の楽しみ、と言っても良いような・・


そんな僕の個人的な都合はさておき


国民の九割以上がカトリック教徒とされるこの国の、重大祭礼である復活祭は、人々の大きな喜びであるわけだが、今年のそれはさらにひとしおである。


なぜなら、ほぼ半月前に新ローマ教皇が誕生、就任して、以来国中が祝賀ムードに包まれている。

そこにうれしいパスクア・復活祭が重なったのだから、歓喜の極みである。

新ローマ教皇は、貧者に寄り添う姿勢が鮮明な、誠実純朴な人柄が歓迎されて、イタリアといわず全てのカトリック教世界にほんのりと温かい空気が充満している。


それは素晴らしいことである。


宗教的存在、あるいはカトリック教徒の精神的支柱としてのローマ教皇は、聖人ペテロに始まり第266代現教皇のフランシスコまで、多かれ少なかれ常に人々の味方であり、救いであり、希望だった。


それは将来も、永遠に同じである。


僕はこの前の記事で「政治的存在」としてのローマ教皇にまつわる事柄に言及した。


次は「宗教的存在」としてのローマ教皇にまつわる事案についても書こうと思う。


宗教的存在としてのローマ教皇と政治的存在としてのローマ教皇は、まったく別の概念であり現実であり装置であり制度である。

新ローマ教皇が誕生した今、僕はそうしたことについて少しこだわってみようと心に決めている。


が、


今日はとりあえず、明日の子やぎ料理を楽しみに待ちながら、全員がカトリック教徒である家族と共に、復活祭を祝うことにした。


 

 

 

政治的存在としてのローマ教皇にまつわる話



ローマ教皇ってなに?

2013年3月13日、第266代ローマ教皇として、アルゼンチン・ブエノスアイレス大司教のホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿が選出された。およそ2000年の由来があるローマ教皇史上、初の「非ヨーロッパ人」教皇誕生の瞬間だった。

ローマ教皇は、全世界のカトリック教徒12億人の精神的支柱である。それは他のあらゆる宗教・宗派の最高位の司祭と同様に崇高な存在であり、カトリック教徒以外の人間にとっても、再びあらゆる宗教の指導者と同じく、深い敬畏の対象であることは論を待たない。


同時にローマ教皇は、これまた他のあらゆる宗教の司祭長と同様に、政治的存在でもある。信者ではない者から見れば、普段でもそれは同じだが、先日行なわれた教皇選出会議、いわゆるコンクラーヴェのようなイベントに即して見れば、ローマ教皇という存在の政治色はますます濃厚になる。


宗教的存在としてのローマ教皇は、あえて分りやすく言えば、日本における天皇と同じである。多くの日本人にとって天皇が常に崇高な存在であるように、多くのカトリック信者にとっては教皇は、モラル上のほぼ絶対的な存在である。

コンクラーヴェ:教皇選出秘密会議

そうした信者にとっては、カトリックの司祭である枢機卿がバチカンに集合して、教皇選出の秘密選挙を行なうコンクラーヴェでさえ、神聖崇高な宗教儀式として捉えられる。選挙が外部との接触を完全に絶った密室で行なわれ、いきさつも駆け引きも正式には知りえない、ミステリアスな設定の中で決行されることが、無邪気な信者の目を曇らせるのである。だがコンクラーヴェは、清濁の思惑、特に濁の魂胆が激しく錯綜する、極めて世俗的な政治ショーの側面も持つ。

2013年3月12日に始まったコンクラーヴェは、三つの観点からバチカンの長い歴史の中でも特筆に価するものだった。一つは非世襲の終身職と考えられていた教皇職を、第265代教皇のベネディクト16世が突然辞任する、という異様な事態を受けて召集された点。二つ目はローマ教会が聖職者による幼児への性行為、差別問題、バチカン銀行の金融不正事件など、多くの難問を抱えている渦中であること。三つ目は、バチカンが改革を迫られた結果、史上初の非ヨーロッパ人の教皇が誕生する気運が高まっていた点である。非ヨーロッパ人の教皇は、それがもしも黒人やアジア人である場合は特に、革命と呼んでも構わないバチカンの大きな変革の証になる筈だった。

今回のコンクラーヴェでは、黒人とアジア人を含む10人前後の枢機卿が教皇候補として下馬評に上っていた。が、本命と見られる候補者は存在せず、かつ非ヨーロッパ系の候補者が多くいるという特徴があった。またそこには、最終的にローマ教皇に選出されるアルゼンチンのベルゴリオ枢機卿の名前はなかった。僕が知る限り、イタリアの多くのバチカンウオッチャーの記者やジャーナリストも、誰一人として彼の名を挙げる者はなかった。完全なダークホースだったのである。

ベルゴリオ枢機卿は、退位したベネディクト16世が教皇に選出された2005年のコンクラーヴェで次点に入り、そこで教皇候補としての使命を終えた、と見なされていた。ところが彼は今回の秘密選挙で第266代教皇に選ばれた。それ自体が驚きの結果だったが、コンクラーヴェの期間が予想に反して短かったことも人々を瞠目させた。というのも、黒人とアジア人を含む多くの非ヨ-ロッパ人候補が乱立する秘密選挙は、恐らく紛糾して教皇選出までに長い時間がかかる、と見られていたからである。

クーリアの暗躍?

予想外のベルゴリオ枢機卿が、これまた予想外の短時間で選出された裏には、CURIA(クーリア)の暗躍があったに違いない、と多くのバチカンウオッチャーが考えた。クーリアとはバチカン内で教皇を補佐して、カトリック教会のあらゆる管理行政を行なう強大な政治機構である。政教ががんじがらめに絡み合うバチカン市国の、いわば内閣とも形容できる中心組織。世界各国から集まった聖職者がそのメンバーだが、当然バチカンを抱くイタリアの聖職者が大勢を占める。イタリア人を中心とするクーリアのメンバーは、教皇選出に際しても強い影響力を持っていて、コンクラーヴェの度にその動静が注目を集める。

クーリアはバチカンのいわば保守本流であり、その基本姿勢は極めて明確なものである。組織は教会の改革に立ちはだかり、伝統を守ろうとする。それは、教会の既得権益を死守しようとする行動であり、世界中のあらゆる組織や機構や政治団体が指向するものと微塵も違わない。今回のコンクラーヴェにおけるクーリアのスタンスは、おおよそ次のようなものだったと考えられている。

彼らが支援する候補者は:
一つ、退位したベネディクト16世の基本政策を継承する保守志向の者。一つ、ヨーロッパ系の白人で、できればイタリア人。なぜならば近年、教皇にはポーランド人のヨハネ・パウロ2世、ドイツ人のベネディクト16世、と続けて外国人が選出されていて、その期間は35年の長きに渡る。彼らにはイタリア人教皇が懐かしいのである。一つ、イタリア人が無理ならば、せめてヨーロッパ系の白人に固執する。一つ、もしもそれ(ヨーロッパ人)も無理ならば、南北アメリカ出身の白人候補。それもできれば反骨心の強い北米人ではなく、南アメリカ人が好ましい・・など、である。

彼らはもちろん口が裂けてもアジア人やアフリカ人の教皇の誕生を阻止するとは言わない。が、もちろんそれが望みである。ローマ教会の徹底した変革を待ち望む、バチカン外部の世界の多くの人々とは真逆のスタンスを取っていると見られている。またクーリアは、腹の底では候補に上っていた2人の非白人(フィリピンのルイス・アントニオ・タグレ大司教とガーナのピーター・タークソン枢機卿)はもとより、南北アメリカ出身の教皇の誕生にも否定的だった。飽くまでも伝統に寄り添ったヨーロッパ人教皇の出現を望んだのである。

バチカンの真の主はクーリア、という説も

クーリアの基本的なスタンスにもっとも合致するのは、イタリア人のアンジェロ・スコラ大司教だと考えられた。事実コンクラーヴェの開催が決まった当初は、スコラ大司教が本命という噂がかなり強かった。その後状況は刻々と変化して、米国と南米の候補者が交互にリードしているという情報が漏れ聞こえてきた。同じ頃、前述の2人の非白人候補者の芽が消えたらしい、という情報も密かに流れていた。

有力と見られる候補が入れ代わり立ち代り変化する状況から、今年のコンクラーヴェは長引くと誰もが推測した。周知のようにコンクラーヴェは枢機卿の互選による投票で争われ、全体の2/3の賛成票を得る者が出るまで繰り返し行なわれる。有力な候補者不在の今回のコンクラーヴェでは、誰かが短い時間で当選に必要な票数を獲得するのは困難だと見られた。過去のコンクラーヴェでも紛糾する場合は選挙期間が長引くことが多い。同時にそうした場合には、大きな変革が成就される可能性も高くなる。例えばアジア人や黒人の教皇が誕生する、というような・・

だが結果は前述したように、誰も予想しなかったアルゼンチンのベルゴリオ枢機卿が教皇職に上り詰める、というドラマを生んで終結した。

クーリアは改革推進勢力と直接間接に次のように妥協をして選挙を牛耳ったと考えられる:
先ず選ばれるべき新教皇は政治的スタンスが退位したベネディクト16世に近く、伝統的保守派であること。事実、そのことを裏付けるように、新教皇は選挙終了直後から、ベネディクト16世路線の継承を示唆する言動をしている。一方でクーリアは改革派の顔も立てた。史上初の南米出身の教皇を選出することで、バチカンの小さくはない歴史的変革の第一歩を印象付けたのである。

また一連の画策によってクーリアは、世界政治のスーパーパワーである米国の出身者をしりぞけ、アジア・アフリカ出自の教皇の誕生にも待ったをかけた。それでいながらクーリアは、そこの部分でも又したたかに益を取ることを忘れなかった。つまり、新教皇は確かに史上初の非ヨーロッパ人だが、彼はヨーロッパ移民の、しかも「イタリア人」移民の子孫なのである。クーリアの中核を成すイタリア人聖職者たちが、ほっと胸を撫で下ろす様子が見えるようである。

新教皇は改革の星?それとも・・・

新教皇は、初めての南米出身者であるばかりではなく、初めてのイエズス会出身者でもあり、しかも清貧の象徴であるアッシジの聖フランチェスコの名を史上初めて教皇名に採用する、など、初物ずくしである。それはあるいは、バチカンの本当の、大きな変革の始まりを示唆する出来事なのかもしれない。また彼は謙遜な人柄と質素な暮らしぶりで広く知られていて、そのことが早くも信者に愛され大きな人気を集めている。

しかし、新教皇フランシスコ1世の政治手腕は全く未知数である。バチカンの抱える多くの重大問題や、内外から高まっている改革推進圧力への対応、また史上初めてとなる、前教皇との共存、という課題もある。引退したベネディクト16世は、日本史に於ける上皇のように院政を敷く可能性が取り沙汰されていて、現教皇が果たして前任者の意向を無視して、自らの意志で自らが望む改革を進められるのかどうか、懸念されているのである。

そうした不安に加えて新教皇には、母国のアルゼンチンに於いて、汚い戦争と呼ばれた1970~80年代の軍事政権下で、独裁者に味方をしたのではないか、という極めて重い批判も向けられている。それは一歩間違えば、噂の虚実や真贋に関わらず、致命的なスキャンダルとして肥大強調されて彼の足元をすくう危険がある。

不透明な部分も多い新教皇の船出だが、これまでのところイタリアのメディアは、まだまだ祝儀コメントや分析や主張に終始していて、フランシスコ1世への批判や非難めいた報道はほとんどない。世界最大の宗教組織のトップとなったローマ新教皇の正念場はこれからなのである。

 

 

第266代新ローマ教皇って誰?



イタリアは、新ローマ教皇が誕生した今月13日以来、祝賀ムード一色に染まって、まだ止む気配がない。

 

カトリックの総本山バチカンを懐に抱くこの国は、財政危機に端を発した政治の混乱が続いていて、2月の総選挙以来誰も組閣できない状態に陥っている。

 

そんな折に、第265代ローマ教皇のベネディクト16世が突然辞任して、新教皇を選出する秘密会議「コンクラーヴェ」が開かれた。

 

バチカン最大のお祭り騒ぎとあって、国民の9割以上がカトリック教徒ともいわれるイタリアは大いに沸き、政治の混乱も空白もすっかり忘れ去られ、人々は宗教上の一大ショーに酔いしれた。

 

長引くと見られたコンクラーヴェは意外と短く、世界中から集まった枢機卿による秘密選挙で、ブエノスアイレス大司教のベルゴリオ枢機卿が第266代ローマ教皇に選出された。

 

今回のコンクラーヴェでは、教皇候補者としてアジアやアフリカ出身の枢機卿の名前も挙がっていて、史上初の有色人種の教皇が誕生するかどうか注目された。

 

結局、退位したベネディクト16世と2005年のコンクラーヴェで争い、次点に終わったグレゴリオ枢機卿が、いわば復活当選した。

 

そこにはコンクラーヴェで大きな力を持つ、バチカンのイタリア人聖職者らの暗躍があったと見られている。

 

バチカンは変革を求められていて、少しづつではあるがその方向に向かっている。しかし、非白人の教皇を受け入れるほどの度量はまだ備えていない。そこが黒人の大統領を生んだアメリカの進展とは異なる。

 

ローマ教皇とは言うまでもなく、カトリック教最高位の聖職者のことであり、世界中に12億人前後いるとみられるカトリック教徒の精神的支柱となる存在である。

 

非世襲のほぼ終身職で、過去およそ2000年、265人の教皇は全てヨーロッパ人が占めてきた。

 

今回初めて南米出身の教皇が誕生して、バチカンのヨーロッパ偏重主義に風穴を開けた。

 

そればかりではない。新教皇は、清貧の象徴であるイタリア・アッシジの聖人フランチェスコの名を、史上初めて自らの教皇名とした。

 

また彼は強力な宣教活動で知られるイエズス会出身の初めての教皇でもある。

 

初ものづくしの新教皇は質素な生活ぶりとつつましい性格が早くも人々の人気を集めている。

 

しかし彼が率いるローマ教会は、聖職者の幼児への性的虐待とそれを隠蔽する旧態依然とした体質、女性や同性愛者への差別問題、さらにバチカン銀行による金融不正事件など、取り組むべき難問が山積していて前途は決して平たんではない。

ああ。ハルマフジよ。



日馬富士よ、引退しないのなら勝て。勝てないなら引退せよ。

 

僕は思わずテレビの前でつぶやいてしまった。

 

9勝6敗・・く・ん・ろ・く・・

 

大相撲春場所で横綱日馬富士がまたまたやってくれました。

 

昨年の九州場所に続くクンロク横綱の誕生です。

 

相撲好きの間には「クンロクオーゼキ」という面白くも厳しい角界監視の言葉があります。

 

要するに9勝6敗の成績しか挙げられないダメ大関を嘲笑う言葉。

 

弱い大関への怒り、悲しみ、苛立ち・・

 

でも、アザケリをばねにして上を、つまり横綱を目指してほしい、という願望もこもった相撲ファンの複雑な思い。

 

ただ、それは大関へのエール。横綱じゃないんですね。あくまでもクンロク「オーゼキ」。横綱は関係ない。

 

なぜなら、横綱ともあろう者が、1場所15戦のうち半分近い6敗もする訳がない。

 

してはならない。

 

横綱はそれほど強い存在である。

 

大関とはまったく立場が違うのだ。

 

クンロク横綱はこれまでにも存在した。

 

でも、横綱在位3場所中2場所がクンロクの横綱なんてありえない。

 

それだけを見る限り、日馬富士は横綱の器じゃない。

 

僕は以前の記事

 

日馬富士は「場所ごとに15戦全勝と9勝6敗の間を行き来する、強いのか弱いのか分らない、強くないときは弱いのだからきっと弱いに違いない、トンデモ横綱になる・・」

 

とふざけて書いた。

 

ふざけて書いたので、内心は違っていて、実は彼は大横綱になる、という思いの方が強かった。

 

なのに、まるでその予言が当たったみたい・・

 

それでも、実は僕は希望を捨てていない。まだ彼を心の奥で応援している。

 

冒頭に書いた「日馬富士よ、引退しないのなら勝て。勝てないなら引退せよ」という僕のつぶやきは、ホントの話。

 

僕はそんな気分にもなった。

 

でもそれは14日目のこと。

 

千秋楽の白鵬戦を見て、日馬富士はやっぱり強い。いや、強いのか弱いのかよく分からないが、面白い、とつくづく思った。

 

横綱決戦に負けはしたが日馬富士は善戦した。見せ場を作った。ブザマなクンロク横綱の動きではなかった。

 

彼はハゲシク闘った。

 

日馬富士はつくづく面白い。

 

まだまだ目が離せない・・



忙中の記・・2013・3・17日



書きそびれていることども。 

 

第266代教皇フランシスコ1世のこと。

 

新ローマ教皇が選出された直後、僕は「がっかりこんクラーヴェ」というタイトルでこのブログの記事を書き始めた。

 

期待された南アメリカ出身の教皇ではあったが、選出されたのが予想外のベルゴリオ枢機卿だったことが、僕には期待はずれの人選と見えたのである。

 

ところが、書き始めてすぐに筆が止まった。何かが引っ掛かると感じた。少し立ち止まっただけで「何か」の正体が分った。

 

つまり、新教皇はなんと言っても史上初めてヨーロッパ圏外から選ばれた人物であり、選出過程に多くの疑問点はあるものの、やはりその重大な事実を見過ごすべきではない。

 

これは肯定的な事件ではないか、と思い直したのだった。

 

教皇選出会議が終わって4日が経ち、欧米メディア特にイタリアのメディアによる新教皇への祝儀コメントは終わりつつある。

 

が、フランシスコ1世への好意的な見方と期待は少しも衰えを見せていない。

 

僕も期待と疑問を込めた意見を今後書くつもりでいる。

 

コンクラーヴェと新教皇のニュースですっかり影が薄いイタリア政界。政府のないカオス風の状態が続いているが、国が沈む気遣いは全くない。

 

なんとかなるさ、と誰もが思っている。僕も思っている。

 

3月2日に日本からこちらに戻って以来、雨、また雨、の日々が続いている。そのため菜園の準備が全くできない。

 

土が濡れ過ぎて畑に入れないのだ。忙中の楽しみの一つなので、少し気落ちしたままの状態がつづく。


今日も未明からの雨が9時過ぎに霙(みぞれ)に変わり、間もなく雪になって降りしきっている。

積もらないだろうが、菜園に足を踏み入れられない状態がまた長引きそうだ。

Yahooニュース「個人」から執筆の誘いがあったので受けることにする。そのための資料づくりを兼ねて、あれこれと写真を漁って眺めている。

 

イタリア中のあらゆる事案のビデオロケをしたが、写真はほとんど撮っていない。ネットで幾らでも手に入れることができるが、できれば自前の写真が欲しいと痛感する。

 

これから仕事やプライベートで訪ねたイタリアの地方をもう一度回って、写真撮影をしようか、などとも考える。

 

でもそんなことをしていたら、ただでも無い時間がまた無くなって、たちまち人生が終わってしまいかねない。

 

できることとできないことの整理をするのも、生きる、ということである。

 

写真は他の人が撮ったものにもお世話になろう、と心を決めた・・

 

ペルーの話もまだ終わっていない。

 

映像がらみの話。

 

慈善団体マトグロッソがらみの話。

など。

 

でも、時間がない。


あっても、一つのテーマに意識を集中できない ことが多い。しばらくはこんな状態が続きそうである。

おそらくイタリアの財政危機の展望がひらけるあたりまで・・

か。

ピーター・タークソン枢機卿のこと



教皇ベネディクト16世の退位を受けて、ローマ教皇選出会議、いわゆるコンクラーヴェ3月12日から開かれることになった。

 

受け取る人によっては、自慢話と決めつけられそうな点が気になるが、ま、自慢話の類いと考えられないこともないので、割り切ってそれに関連した私ごとを書いておくことにした。

 

コンクラーヴェで推挙されると見られている次期ローマ教皇候補の一人、ガーナのピーター・タークソン枢機卿は僕と妻の友人である。もっと控えめに言えば、僕ら夫婦の親しい知人、というのが正しいかも知れない。

 

こうやって奥歯に物が挟まったような言い方をしてしまうのは、もちろんタークソン卿がローマ教皇候補に目された、というちょっと恐れ多い事態が明るみになったからである。

 

キリスト教どころか、どんな宗教にも完全には帰依しない自分だが、親しくしている人物が世界最大の宗派の頂点に立つかも知れない、という現実に直面して、僕はやはり深甚な感慨に襲われている、と告白しておこうと思う。

枢機卿はガーナ出身の64歳。大工の父と路上マーケットの野菜売りだった母親の間に生まれた。貧しい中で努力を重ねてニューヨークの大学に学び、その間の学資はビルの清掃の仕事をして稼いだ。2003年、教皇ヨハネ・パウロ2世によって枢機卿に任命され、2009年以来、ベネディクト16世の命によって、バチカンの「正義と平和評議会」議長を務めている。
 

タークソン卿は僕ら夫婦が関わっているアフリカ支援ボランティア団体「エフレム(EFREM:Enargy&Freedamからの造語)」の創設メンバーの一人でもある。

イタリアを拠点にするエフレムは、アフリカでの太陽光エネルギー普及活動を行なう傍ら、数ヶ月に一度ほどの割合でわが家で決算報告会を開く。僕らはその集会でタークソン卿としばしば顔を合わせるのである


ローマ教皇候補と目されるほどの人だけあって、タークソン卿は思慮深い人格者である。それでいて気さくで飾らない人柄でもある。

僕は枢機卿とはイタリア語ではなく英語で意志の疎通をする。2人とも英語の方が気楽で話し易いと感じるのだ。もっとも枢機卿は母国語の南部ガーナ語の他に、英語、イタリア語、ドイツ語、フランス語、ヘブライ語を流暢に話す。従って英語が話し易いと感じるのは、実は僕だけなのかもしれない。

最初に会ったとき、聖職者である彼を英語で何と呼べばいいのか分らず、僕は率直に聞いた。

「イタリア語では枢機卿に対して一定の呼び方がありますが、英語では何とお呼びすればいいのでしょうか?」


それに対してタークソン卿は笑って答えた。

「ピーターと呼んで下さい。私たちはエフレムの共同参加者であり、友達です」

以来われわれはお互いに名前で呼び合う仲である。

もしも枢機卿が教皇に選出されたなら、以後は中々名前では呼べない状況になるだろう。それは少し残念な気がする。が、もちろんそんなことはどうでもいいことだ。

タークソン卿が、カトリック教会の最高位聖職者であるローマ教皇に選出されるなら、それはほとんど「革命」と形容しても過言ではない歴史的な大きな出来事となる。

長い歴史を持つキリスト教カトリックの頂点のローマ教皇には、黒人はおろかアジア人も南北アメリカ人もまだ上り詰めたことがない。

聖ペテロ(英語:ピーター)に始まって265代およそ2000年、教皇の地位は常にヨーロッパの白人が占めてきたのだ。

黒人のタークソン卿がカトリック教会の最高位聖職者に就くことは、アメリカ合衆国に史上初めて黒人の大統領が誕生したことよりももっと大きな意味を持つ、歴史の輝かしいターニングポイントである。

その当事者が僕らの親しい人であることは大きな誇りである。と同時に、少しの落胆でもある。なぜなら彼は教皇に選出された瞬間に、きっと僕らからはぐんと遠い存在になってしまい、気軽に会ったり、共にアフリカ旅行の計画を練ったりするような間柄ではなくなってしまうだろうから。

しかし、繰り返しになるが、そんなことはもちろんどうでも良いことだ。

黒人のローマ教皇の誕生、という考えただけで身震いするような歴史の節目に立ち合うことができるのなら、僕は卿との友情は胸の内に封印して、彼を陰ながら支え、応援していく大衆のひとりとして、事態を大いに寿(ことほ)ごう思う。

 

 

コンクラーヴェ(ローマ教皇選出会議)の行方



ローマ教皇を選出する秘密会議、いわゆるコンクラーヴェが
2013年3月12日から開かれることになった。

 

会議はサンピエトロ大聖堂に隣接するバチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂で行なわれ、世界各地から集まったカトリック教会の枢機卿115人の互選によって新教皇が決定される。

 

今回のコンクラーヴェは、終身制だと考えられていた教皇職を、ベネディクト16世が生前辞任する、という驚きの行為を受けて召集された。教皇の生前辞任、しかも自らの自発的意志による引退は、1294年のケレスティヌス5世の辞任以来、719年振りの出来事である。

その椿事を踏まえて召集される極めて珍しい選挙集会、という事実もさることながら、多くの難問を抱えているバチカンにとっては今年のコンクラーヴェは、長い歴史を持つ教皇選出儀式の中でも極めて重要なものになると見られている。

世界中に12億人前後の信者がいるとされるカトリック教会は現在、存続の危機と形容しても過言ではない深刻な状況に陥っている。その最たるものが、聖職者による幼児への性的虐待とそれを隠蔽しようとする旧態依然とした体質であり、女性や同性愛者への偏見差別問題であり、さらにバチカン銀行による金融不正事件、マネーロンダリング疑惑など、など、である。

中世がそのまま生きているような、バチカン及びローマ・カトリック教会のそうした現状は、抜き差しならない泥沼に嵌まった重大な問題になっている。コンクラーヴェで新しく選出される教皇は、それらの難問を解決するべく厳しい責務を負うことになる。バチカンには大きな変革が求められているのである。

バチカンの病的な保守性は、極端なヨーロッパ偏重主義に原因の一つがある。世界中に12億人前後いると見られるカトリック教徒のうち、約76%が南米を筆頭に北米やアフリカやオセアニアなど、ヨーロッパ以外の地域に住んでいる。

ところが聖ペドロ以来265人いるローマ教皇の中で、ヨーロッパ人以外の人間がその地位に就いたことはない。内訳は254人がヨーロッパ人、残る11人が古代ローマ帝国の版図内にいた地中海域人だが、彼らも白人なのであり、現在の感覚で言えば全てヨーロッパ人と見なして構わないだろう。ローマ・カトリック教会においては、世界で最も信者数の多い南米出身者はもちろん、北米出身の教皇さえ歴史上存在しないのである。

12日から始まるコンクラーヴェの選挙では、本命候補はいないというのが世界のメディアの論調である。しかし、本命はいなくても有力と考えられている候補者はいる。しかも下馬評では、ヨーロッパ人以外の候補者が多く名を連ねているのが特徴である。

主な候補者は、メキシコのフランシスコ・ロブレスオルテガ大司教(63)、教皇庁文化評議会のジャンフランコ・ラヴァージ議長(70)、米国ボストンのショーン・オマリー枢機卿(68)、ハンガリー・ブダペストのペーター・エルド大司教(60)、ブラジル・サンパオロのペドロ・シェレル大司教(63)、カナダのマルク・ウエレット枢機卿(68)、ガーナのピーター・タークソン枢機卿(64)、フィリピン・マニラのルイス・アントニオ・タグレ大司教(55)、イタリア・ミラノのアンジェロ・スコラ大司教(71)、また大穴として米国ニューヨークのティモシー・ドラン大司教(63)らの名が挙がっている。

ここで注目されるのは、有力候補と見られるそれらの人々の多くが非ヨーロッパ人である点である。北米や中南米の候補者は、全員がヨーロッパからの移民の流れを汲んではいるが、フィリピンのルイス・アントニオ・タグレ大司教とガーナのピーター・タークソン枢機卿は、100パーセント「非白人」の候補者である。

南北及び中米出身の教皇が誕生すれば、それはそれで既に「歴史的な事件」だが、フィリピンとガーナ、特にガーナのピーター・タークソン枢機卿が選出された場合は、ほぼ「革命」と形容しても過言ではない歴史の巨大な転換点になるだろう。

人種差別主義の巣窟と見なされ続けてきた米国には、初の黒人大統領バラック・オバマが誕生して、負の歴史の厚い壁に風穴を開けた。もしも黒人のローマ教皇が生まれるならば、それはオバマ大統領の出現よりも遥かに大きなインパクトを持つ歴史的な事件になるだろう。

なぜならバラック・オバマはアメリカ一国の大統領に過ぎないが、ローマ教皇は、ほぼ2000年の長きに渡って存在の優越を謳歌してきた欧米の白人を含む、世界12億人のカトリック教徒の精神的支柱となる存在だから。

僕は非白人の教皇、できれば黒人教皇の誕生を熱く願っている。もしも実現するなら、彼は世界中の抑圧された民の救世主とも目される存在になり、同時に進歩発展から取り残されたローマ教会の改革も目指すだろう。

そうなれば理想的ではある。が、実は彼は何もしなくても良い。と言うのも、黒人の教皇の存在自体が既に、歴史上例のない宗教的かつ社会的な大改革になるからである。それはわれわれの住むこの世界が、差別や偏見の克服へ向けてまた一歩前進したことを意味する。

そこに至る道は平坦ではない。むしろ厳しいと見るべきである。コンクラーヴェが近づくにつれて、イタリア人を中心とするローマ在の枢機卿や聖職者のグループが暗躍して、ヨーロッパ系の特定の候補者への票の収斂を画策しているという情報もある。

またそれが叶わないなら、せめて、真摯な改革推進派であるボストンのショーン・オマリー枢機卿を排除して、保守穏健派の白人系候補者を推す動きがあるとも見られている。

ローマ・カトリック教会の地元であるイタリアの、同国人が率いるグループは、最も数が多くコンクラーヴェでは常に強い影響力を持つと言われる。彼らの中にはもちろん改革推進派も数多くいる。が、長い歴史に寄り掛かった守旧派もまた少なくない。

12日に開始されるコンクラーヴェでは、ここに紹介した候補者以外の人間が教皇に選出される可能性も高く、まったく予断を許さない。

ただ一つ確かなことは、もしも守旧派が主導権を握った場合、ローマ教会が改革路線を取ることは困難になり、特に2005年に亡くなった第264代教皇
・ヨハネ・パウロ2世が目指した、世界宗教の融和への道も閉ざされて、バチカンは再び停滞するだろう。

それはカトリック教徒はもちろん、世界中のあらゆる宗派の人々にとっても、極めて遺憾な事態だと言わなければならない。

 

 

カオス風がイタリア的秩序である



数字上の明確な勝者がいなかった2月の総選挙の後、イタリアはカオスのただ中にあるように見える。

 

政府もなく、例えて言えば国王たる教皇ベネディクト16世が退位して、国家元首もいない。大統領は健在だが、イタリア国民の精神的支柱という意味では、やはりローマ教皇が最大最強の存在である。

 

そのことを踏まえて、敢えて再び例えて言えば、今のイタリアの状況は、政府が無く、天皇もいない日本国のようなものである。

 

日本がもし本当にそんな状況に陥ったら、どうなるだろうか。

 

恐慌が社会を支配して惨憺たる有り様になるのではないか。

 

指針がなければ自らを律せない、無節操な大勢順応主義社会の限界である。

 

その点イタリアは実は、カオスなどに嵌(は)まりこんではいない。

 

カオスに絡め取られるかもしれないと誰もが警戒していて、その警戒心が崩壊しようとする社会をしっかりと支えている、という局面である。

 

ということは、イタリアは大丈夫、ということである。

 

国のガイドラインがなくてもイタリアの各地方は困らない。都市国家や自由共同体として独立し、決然として生きてきた歴史がものを言って、地方は泰然としている

 

イタリア国家が消滅するなら自らが国家になればいい、とかつての自由都市国家群、つまり旧公国や旧共和国や旧王国や旧海洋国などの自治体は、それぞれが腹の底で思っているふしがある。

 

思ってはいなくても、彼らの文化であり強いアイデンティティーである独立自尊の気風にでっぷりとひたっていて、タイヘンだタイヘンだと口先だけで危機感を煽りつつ、腹の中ではでペろりと舌を出している。

 

「イタリア国家は常に危急存亡の渦中にある(L`Italia vive sempre in crisi)」

と、イタリア人は事あるごとに呪文のように口にする。

 

それは処世術に関するイタリア人の、自虐を装った、でも実は自信たっぷりの宣言である。

 

誕生から150年しか経たないイタリア国家は、いつも危機的状況の中にある。

イタリア国家は多様な地域の集合体なのであり、国家の中に多様な地域が存在するのではない。

 

つまり地域の多様性がまず尊重されて国家は存在する。というのが、イタリア国民の国民的コンセンサスである。

 

だから彼らは国家の危機に対して少しも慌てない。慣れている。アドリブで何とか危機を脱することができると考えているし、また実際に切り抜ける。歴史的にそうやって生きてきたのだ。

 

イタリア人ではない僕でさえ、彼らがなんとか危機を克服するだろう、と楽観的に見ている。

その認識は、言うまでもないことだが、イタリアでの日々の暮らしの中で僕が実際に見聞きしてきた、多くの事象に基づいて形成されたものである。

その顕著な事例の一つが、僕がこれまで何度も行なってきた、イタリアと日本を結ぶ衛星生中継の現場。

 

衛星回線を利用してのテレビの生中継の現場は、失敗の許されない極度に緊張した空気の中で進行する。

 

ディレクターの僕は言うまでもなく、スタッフの作業を見守るプロデュサーもカメラマンも中継車スタッフも誰もかもが、それぞれの持ち場で一回限りの本番に備えて完璧を期して仕事をする。

 

そうした中で必ず起こるのがイタリア側の仕事の遅れ。あるいはミス。あるいは不正確。あるいは緊張感の無さetc・・

 

極端なケースでは、本番間近になっても衛星回線が繋がらなかったり、繋がっても映像が出なかったり、音声が途切れたりということが平然と起こる。

 

それにも関わらず、少なくとも僕が手を染めた番組では、彼らは生中継に穴を開けたことがただの一度も無い。ぎりぎりのところでいつも「なんとか」してしまうのである。

 

一時が万事、イタリア人はそんな風に当意即妙の才に長けている。あるいは反射神経が鋭い。あるいは機転がきく。

 

繰り返しになるが、それはほんの一例である。でも、あらゆる局面で見られるイタリア人の目覚ましい才覚だと僕は密かに感じ入っている。

 

そんな訳で、無政府状態に陥った今回の政治の混乱も、彼らはその才能を十二分に発揮して無事に切り抜ける、と僕は信じて一向に疑わないのである。

 

女性の日。ミモザの日。再びの。



今日は3月8日。

男が女にミモザの花を贈って祝う女性の日。

イタリアの例年の習わし。

 

今年はミモザの花が少ないように感じる。

 

開花が遅れているのか、道路脇の屋台などで売られているミモザの花束の山も、例年より薄いようである。

 

この時期に多く咲き乱れるミモザと同じ黄色の花、レンギョウも数が少ない。

 

と言うか、僕の仕事場兼書斎から見えるレンギョウの黄色い花々は、今年はまだ一切見えない。

 

2月中旬以降、雪の多い寒い日が続いたから、やっぱりきっと花々の開花が遅れているのだろう。

 

天気が回復すれば、イタリアらしく一気に春めいて花も咲き乱れるに違いない。

その日が待ち遠しい。

 

3日後の11日は東日本大震災2周年。

 

東北の被災者の皆さんにとって2011年3月11日は永遠に「今」に違いない。

 

当事者ではない僕でさえ大震災を忘れることはあり得ない

 

が、あの巨大な悲しみも恐怖も、とてつもない失意も何もかも、たった2年という時間の、記憶蓄積のベールに包まれて少し見えづらくなっている。

 

人間は薄情で利己的で忘れっぽい存在だ。

 

でも、だからこそ、凄まじい不幸や悪夢のような体験も、いつか克服することができるのかもしれない。

 

忘れることができなければ、いつまでもその重圧に押しつぶされてついには壊れてしまいかねない。

 

心の傷の回復とは、つまり「忘却」である。

 

極大の惨禍の記憶は無論消え去ることはない。

しかし凄惨な個々の出来事の詳細が、少しずつ記憶蓄積のベールに覆われて行き、やがて癒しの海に沈んで、ついに安らぐ。

 

爛漫と咲くミモザやレンギョウの花を伴なった、そんな春の日が一刻も早く被災者の方々に訪れることを祈りたい。


 

日伊往来が楽しい



一時帰国をした。

 

3月2日にイタリアに戻って、時差ボケのまっただ中にいる。

 

仕事でも遊びでもよく旅をするが、僕はいつも非同期症候群の大波に見舞われて結構つらい思いをする。

 

時差ボケは若くて体力のある人ほど症状が軽いと言われる。


が、僕は若いときから常に症状が重かった。

 

それに慣れて対処法も分ってきた分、むしろ若くなくなった今の方が変調が少ないような感じさえする。

 

ともあれ、世の中には時差ボケにならない人もいるから、僕のはきっと体質に違いなく、従ってうまく付き合って行くしかない。

 

というふうに考えると、ますます症状が軽くなるような気がしないでもないから不思議である。「日々是好日」の心境の縁に佇んでいるのだ。

 

体調不良ながら、だから、気分は少しも暗くない。気分が暗くないと、霞がかかったようにはっきりしない頭の中にも光が差すようで、考え事さえ苦痛ではなくなる。


そうやって少し考えた。


帰国以前から気づいていたことだが、最近特にイタリア旅行をしたい、という日本の友人知己が増えている。

 

彼らにとってはイタリアは非日常である。だから新鮮だし、憧れる。

 

ところが僕にとっては、イタリアは慣れきった日常である。イタリアを夢見る彼らとは逆に、僕にとっての憧れとは、実は、自分が生まれ育った国、日本である。



長い外国生活を経て僕は今、日本をすごく新鮮に感じている。長い間、平均して1年に3回強程度の割合でイタリアと日本を行き来して過ごしてきた。

 

大まかに言えば、2回強は仕事で、1回は休暇でというふうだったが、休暇は仕事を兼ねることも多く、また若いころは仕事で帰国する回数がかなり多かった。


テレビの仕事を減らしたここ数年は、仕事と休みを兼ねて1年に1度くらい帰るのが常となっている。

 

帰国する頻度が減った最近特に、イタリアと日本というのは天と地ほども違う、まことに異質の世界だ、と今更ながら感じる。

 

異質ながら似ている部分も実はまた多いのだが、違いの部分がはるかに大きく際立って見えるのである。


日伊の違いは、若いころは自分の中でいわば消化吸収されて融和していて、「違うが、でも同じだ」みたいな感覚になっていたように思う。

 

今は日伊の違いが鮮明で、かつ違いの度合いが大きいと感じる。しかもそうした違いは、僕にとってはとても心地よいものである。

 

イタリアと日本を隔てる飛行時間12時間の時空を超えるたびに、全く違う新鮮な世界に出会ったと感じて僕はとても興奮する。

 

そんな折には、日伊を往復して暮らしている自らの境遇を、結構幸せだ、と思ったりもするのである。




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