2014年02月

仮面と性の祭典~ベニスカーニバル~



ベニスカーニバルは謝肉祭の時期にイタリア全国でいっせいに行なわれるカーニバルの一つである。2月末から3月初めまでのほぼ2週間、つまり今が盛りの祭りでは、幻想的な仮面と豪華けんらんなコスチュームを身につけた人々が、古色深い水の都を練り歩く。

ベニスは街の全体が巨大な芸術作品と形容しても良いただならぬ場所である。周知のように何もない海中に人間が杭を打ち込み石を積み上げて作った都市。400余りの石橋で結ばれた運河や水路や航路が縦横無尽に張りめぐらされ、洗練されたベニス様式の建築物が街じゅうに甍を争っている。

ただでも美しいべニスの街は、カーニバルの期間中は夢幻とスリルと神秘が支配する不思議な世界に変貌して、その美しさはいよいよ筆舌に尽くしがたいものになる。

思い思いの仮面と衣装を身にまとった人々が、広場や路地裏や石橋やゴンドラや回廊や水路脇やカフェ…といった街のありとあらゆる場所に出没して、あたりの雰囲気が一変してしまうのだ。

仮面と衣装は古色あふれる水の都のたたずまいに溶け込み、霧と同化するかと思うとふいに露見して、見る者の心を騒がせ、やがて運河の水面に反射する夕陽と重なって、こ惑的なシルエットを作ってはうごめいていく。

仮面は謝肉祭には付きものの小道具である。人々はそれを身につけることで、祭りの間は自分ではない何者かに変身して好き勝手に振るまうことができた。このとき人々が最も欲したものは、純潔と貞節を重んじるカトリック教の厳しい戒律からの逃避だった。

つまり、祭りの期間中は誰もが性的に自由奔放に行動しようとし、またそれが許された。ベニスカーニバルがかつて「妻たちの浮気祭り」と冗談まじりに呼ばれたのは、そういう社会背景があったからである。

ベニス出身のカサノバが、プレイボーイとして大いに世間を騒がせていた1700年代の水の都には、カーニバルの期間中ほとんどフリーセックスに近い状態が出現したとさえ言われている。

カサノバの死と前後してベニスに侵攻したナポレオンは、街でひそかに繰り広げられる奔放自在な性の祭典に肝をつぶして、祭りの期間中は仮面 の使用を禁止する、という不粋な法律を制定しなければならないほどだった。このときからベニスカーニバルは衰退し、復活までに長い時間がかかった。

祭りの人混みの中で顔を隠して、身分を分からなくしてしまうことが目的の仮面なら、 他人のそれと似た物の方がいい。スタイルや美しさということよりも、先ず目立たないということが大切である。だから昔のベニスカーニバルでは「バウータ」 と呼ばれる四角四面で鼻の大きい単純な作りの仮面が巾をきかせた。

バウータは伝統的という意味ではそれなりに味のある仮面だが、ただそれだけのことで、創造性もなければ新しさもなく、当然驚きもない。かつてのベニスカーニバルでは、参加者のほぼ全員がバウータ仮面をかぶっていた。衣装も単純なものだった。

ところが時代が進んで性が開放されるにつれて、カーニバルの仮面は本来の意味を失った。時代と共に人々のセックス観は変化していき、カト リック教の戒律にしばられていたベニス人も性的に自由になった。現代では宗教の言ういわゆる不道徳な性は、カーニバルを待つまでもなく日常的にどこにでも 転がっていて、その気になればいつでも簡単に手に入れることができるようになった。

以来カーニバルの仮面は、顔を隠すための道具としてではなく、逆に自己顕示のためのそれとして使われるようになった。伝統的なバウータは片 隅に追いやられ、人々は祭りの舞台でひたすら目立ちたい一心からより独創的なもの、より華やかできらびやかなもの、あるいはより奇抜でおどろきにあふれた 仮面を作り出すことに熱心になった。衣装も同じ方向に進化していった。

仮面の進化する過程と平行して、ベニスカーニバルは年々ベニス人の手を離れてよそ者の祭りになっていった。というのも、カーニバルに新しい仮面や衣装を持ちこんで祭りを盛り上げていったのは、ほとんどがベニス以外の土地の人々だったからである。

現在ではそうした人々はイタリア国内ばかりではなく、ヨーロッパ各国やアメリカなどからもやってくる。彼らは一人一人が手間と時間をかけて独創的な仮面を作り上げ、それに合わせた衣装を作製してベニスに乗りこんでくる。

つまりベニスカーニバルの主役は、もはや年に一度だけの性の狂宴を求めたベニスのつつましい「浮気妻」やその夫たちではなく、世界各国からやってくる熱狂的な祭りのファンでありアーチストになったのである。

伝統的な仮面と衣装に郷愁を感じている生粋のベニス人はそれが気にくわない。彼らは「最近のカーニバルは派手になりけばけばしくなった」と良く嘆く。

しかし、地元の人間が嘆けば嘆くほどベニスカーニバルは面白い。それは言うまでもなく、より多くの独創性にあふれた仮面とコスチュームが街に集まることを意味するからである。

祭りをよそ者に奪われて悔やしがっている地元の人々には悪いが、魅惑的なベニスの街を背景に、強い美意識と想像力とスタイルに裏打ちされた 仮面や衣装があた りを徘徊している今のカーニバルは、むしろ「これこそベニスカーニバル!」と快哉を叫ばずにはいられない光景なのである。




イタリア史上最年少首相はもしかして年若い老人?



イタリア史上最年少、39歳のマッテオ・レンツィ首相が誕生した。カリスマ的な男は弱冠34歳でフィレンツェ市長になり、昨年は38歳でイタリア最大政党民主党の党首に選ばれた。

レンツィ氏には国政経験はないものの、最近は全国的な人気も高まって、政治腐敗と財政危機に苦しむイタリア共和国の救世主になるのも時間の問題と見られていた。

僕自身も氏にずい分と注目し期待を膨らませてきた。またこの若き政治家への期待をそこかしこで結構熱く語ったり書いたりもしてきた。期待通り、彼は今イタリアのトップになろうとしている。僕は大いに満足するはずなのに、どうしても手放しでは喜べない気分でいる。

それというのも、レンツィ氏が政権を手中にした一連の動きになんとしても違和感を覚えてしまうのだ。「革命」と表現するのは言い過ぎだろうが、イタリア政界に大きな変革をもたらしてくれるであろう男にしては、政権を獲得した手法がひどく古臭くて気持ちに引っかかる。

レンツィ氏は、昨年4月に発足したばかりの同じ民主党主導のレッタ内閣を、政治経済改革の進行が遅いとして激しく責め立てて崩壊させ、党友のエンリコ・レッタ首相を辞任に追い込んだ。

その後、ナポリターノ大統領からの首班指名を受けて各党と協議を進めて来たが、その過程では多くの醜聞にまみれた天敵のベルルスコーニ元首相とも会って、選挙制度改革案 について合意を取りつけたりしている。

そうした動きを大胆として評価する声もあるが、僕はどうも腑に落ちない。もちろん駆け引きも重要な政治手腕だ。でもそれは時と場所を間違うと因循姑息に見えかねない。そして、レンツィ氏の一連の行動は、残念ながら僕には策動とも呼びたくなるような行為にさえ見える。

レンツィ氏が政権に至る形は僕の中のイメージでは次のようなものだった。

彼は近い将来満を持して総選挙に打って出る。氏は高い人気と実力で有権者の心を鷲づかみにして、民主党が地すべり的な大勝利を収める。僕は別に民主党の支持者でもなんでもないが、同党が選挙に勝つことが、レンツィ氏の政権樹立につながる。だからそう期待してきたのだ。

選挙後に晴れて首相に就任する彼は、国民の熱い支持を背景に一気に政治改革を断行。また経済、雇用、社会保障その他の多くの懸案にも大ナタを振るい、守旧派を一掃してイタリア共和国をよみがえらせる…。

イタリア政界に彗星のごとく現れたレンツィ氏には、十分にそんな能力と運と哲学と知略が備わっているように見える。なのに彼が選んだのは、密室政治と非難されても仕方のない「選挙を経ない」政権樹立の道だった。

イタリアは曲がりなりにも民主主義国家である。国民の圧倒的な支持と負託がなくてはこの国の根深い構造的問題は解決できない。

根深い構造的問題の一つが政治である。そしてイタリアの政治の根本問題とは、ひとことで言えば「合意できない」国政ということである。多くの政党が乱立してそれぞれが勝手なことを言い合って紛糾するのが、イタリアの国会である。

なぜそうなるか。それはイタリア共和国が徹底した多様性重視の国だからだ。

古代ローマ帝国が崩壊した後、イタリア半島には多くの都市国家が乱立して繁栄した。国々の独立自尊の精神は、統一国家が成立した1861年以降も色濃く残って、今日でも多様性が最重視される。それは国家が一枚岩になって政治を遂行する際の大きな障害になる。多様性という言わばイタリア共和国のもっとも輝やかしい部分が、政治的にはこの国の最重篤な欠陥となるのだ。

だからこそこの国には、選挙で一番多くの支持を得た政党が、たとえ過半数に満たなくても「過半数に見合う勝利を得た」という形にして政権を担う、という法律が導入された。いわば総選挙におけるボーナス制度だ。昨年2月の総選挙で、過半数に満たない得票しかなかった民主党が、政権党となってレッタ内閣が発足したのもその制度のおかげである。

イタリアでは上下両院ともに比例代表制で、有権者が支持する候補者に直接投票できない。それは問題だとする意見が根強い。また前述の選挙結果ボーナス制度も、昨年12月に最高裁で憲法違反という判決が出ている。問題だらけなのだ。

だからといって、気軽にその制度を無くしてしまえば、小政党やグループや個人の主張と要求と論戦が頻発して収拾がつかなくなる。今でも激しい喧嘩や言い合いや誹謗中傷合戦が、さらにエスカレートするのが目に見えている。つまり政権の運営はおろか、政権の樹立さえ困難な状況が慢性的に続く可能性さえあるのだ。

現下のイタリアの政治状況では、そうした閉塞をただちに打破するおそらく最善の方法は一つ。若いカリスマ的なリーダーのレンツィ氏が、選挙に打って出て圧倒的多数で勝利を収めることである。国民的人気を持つ強い指導者が、一気に中央突破を図る以外には解決の道はないように見える。

そしてレンツィ氏には十分にその可能性があった。「あった」と過去形で言うのは、今回彼が朋友のレッタ首相を追い落として自らが組閣する道を画策したことで、せっかくの可能性をつぶしてしまったのではないか、と危惧するからである。今あわてて頂点に立つよりも、もうしばらく我慢して国民的要望が燃え上がるのを待つべきだったのではないか。そのときに選挙に打って出て大勝すれば理想的だったのではないか、と。


好意的に考えれば、レンツィ氏が総選挙を要求しなかった、あるいはできなかったのは、選挙制度が違憲、という最高裁判断に不安を覚えたからかも知れない。だが、それだからこそ、そのことを争点の一つに総選挙に持ち込んで勝利して、ひと息に選挙制度を改革することができた、という考え方もある。

今の状況ではレンツィ政権には強い支持基盤がない。彼が引きずり倒したレッタ前政権同様、党外に協力者を求めて連立政権を打ち立てるしかないし、また実際にそうなった。つまり、政権基盤はレッタ内閣とほぼ同じなのである。そしてレンツィ氏が改革の遅滞を指弾したレッタ前政権はまさに、主として連立政権内の守旧派及び抵抗勢力によって行く手を阻まれ続けたのだ。その同じ障害を彼はどのようにして手なずけ克服して行くのだろうか。

レンツィ新首相の若さとカリスマ性が求心力を発揮して、奇跡が生まれる可能性ももちろん大いにある。だが僕には、選挙で民意を問わずに成立したレンツィ政権が、果たして魑魅魍魎の跋扈するイタリア国会をまとめ、説得し、納得させて一大改革を成し遂げられるのか、疑問も残るのだ。やり方が拙速に過ぎたような気がしてならないのである。

僕はイタリア政界の変革を心から待ち望んでいる。「レンツィ氏はもしかすると年若い老人なのではないか」という、にわかに沸き起こった自分の中の不安が杞憂(きゆう)であることを願いつつ、新政権の行方を注意深く見詰めて行こうと思う。


奴隷も怒るに違いないローマ人の体たらく



「古代ローマ人は奴隷を所有していた。現代のローマ人はミラノ人を所有している」

古代ローマ帝国の人々が、奴隷に労働を任せて自身は楽で豊かな生活を送った史実を踏まえて、北イタリアの勤勉なミラノ人は良くそう嘆く。

周知のようにイタリア経済を牽引しているのは、首都ローマではなく商業都市ミラノである。そのことに揺るぎない自信を持っているミラノ人は、そこから来る余裕と、怠惰なローマ人への怒りを込めて、自虐と諧謔が入り混じった複雑な心境を自ら口にするのである。

ミラノ人がそうやって自分自身を笑っている間は、彼らの心にはまだゆとりがある。彼らの気持ちが切羽詰っていない限り、イタリアの「いつもの」経済問題にも救いの道が残されていることが多い。だが、ミラノ人の余裕も切れかけて、事態の深刻さが日々募っているのが、今のイタリアの危機的な財政状況である。

悪名高いイタリア・ローマのPalazzinari(パラッツィナーリ)の悪名が、先日ついにピークに達した。

Palazzinari(パラッツィナーリ)とは建設業者を示す蔑称で、「ハコモノ屋」「ビル屋」あるいは「土建屋」などといったニュアンスがある。

観光業を別にすると、ローマにある産業(らしきもの)はRAI(イタリアのNHK)と映画撮影所のチネチッタくらいのものだが、それだけでは首都の経済は立ち行かない。そこで台頭したのが、古い建物を修改築したり新規に建てたりする建設業である。産業のない歴史都市でそれは隆盛を極めることになった。

その全てを仕切っているのがPalazzinari(パラッツィナーリ)である。それは戦後のイタリアをほぼ半世紀に渡って牛耳ってきた、キリスト教民主党(イタリアの自民党)と癒着した巨大利権だった。その利権は、94年の同党の崩壊の後に権力を握った、ベルルスコーニ氏を首魁とする勢力に受け継がれた。そうやってハコモノ屋が跋扈するローマの状況にはさらに拍車がかかった。

元々が土建屋であるベルルスコーニ氏は、政権を握ると自らの所有する民放ネットワークに加えて、首都を拠点にする公共放送網RAIにまで影響力を行使するかたわら、首都のハコモノ屋らにも隠然たる影響を及ぼし続けた。彼はイタリア政界を牛耳る政界のドンであると同時に土建業のボスでもあり、さらにメディア王の称号までも与えられていた。ベルスコーニ氏はまさにイタリアの帝王と呼んでも構わないほどの権力者であり続けた。

そうした流れの中で、官僚組織を発明したともいわれる巨大官僚国家・古代ローマ帝国の末裔であるローマ市の現代の官僚と、Palazzinari(パラッツィナーリ)が結びついて癒着を深めるだけ深めていった。

そんな折の2014年1月末、次のようなおどろくべき数字が公表された。ローマ在住の役人と土建業を主とするハコモノ屋ら1657人が、それぞれ500軒以上のマンションを所有する、という事態が明るみに出たのである。それらの金持ちのほとんどが税金を払っていないか、払っていても全く本来の額に達しないものであることが明らかになっている。

中でもこれまでのところの圧巻は、ローマ市に1243軒のマンションを所有するアンジョラ・アメッリーニという女性。父親がローマ市の最も有力なPalazzinari(パラッツィナーリ)の一人だった彼女は、現在は住民票をモンテカルロに移しているが、つい最近までれっきとしたローマ市の住人だった。それでいながら彼女は、マンションの売買や賃貸等々にかかる税金を一切支払っていないのである。

彼女の父親レナート・アッメリーニは、かつてのイタリアの支配者・キリスト教民主党と切っても切れないほどの癒着関係にあった。その縁で娘のアンジョラも政治家との腐敗癒着にまみれて行き、やすやすと税金逃れをしてきたのである。彼女と似た境遇にあるのが、一人一人が500軒以上のマンションを所有する先の1657人(アッメリーニを含む)である。僕はこのニュースを聞いて強い憤りを覚えた。

財政危機のまっただ中にあるイタリアの経済状況にも関わらず、巨大な富を蓄積したそれらの人々が平然と脱税をしているのは許しがたい。イタリアの脱税額は1年で2000億ドル、20余兆円程度(それよりもはるかに多いという説もある)と見られているが、ローマの官僚とPalazzinari(パラッツィナーリ)が癒着して、そうした不正に大きく関わっているらしいことが徐々に明らかになってきた。

Palazzinari(パラッツィナーリ)などに代表される不正は、過去20年に渡ってイタリアの政財界を文字通り牛耳り、仕切り、思うように操ってきた、ベルルスコーニ元首相の失脚に伴なって表に出てきた。イタリア財政危機の責任者であり、政敵から戦後最大の不況の元凶だとさえ非難される、ベルルスコーニ氏の権威の失墜と共に見えてきたそれらの変化は、あるいは腐敗したイタリア政財界の膿が出ようとする兆候なのかもしれない。

もし僕のその見方が正しいのなら、それはEU・ヨーロッパ連合の影響力でマフィアの力が削がれ、バチカン改革派のフランシスコ教皇の出現によって、ローマ教会の洗浄がなされようとしている世情などともきっと無縁ではないように思う。

出た膿が清算され、不正をはたらいた者たちが断罪されて正義が勝つようなことがあれば、イタリアはもしかすると歴史の大きな曲がり角にさしかかることになるのかも知れない。それも大きな良き曲がり角に。

ま、そんなものはいつもの僕の願望、希望的観測に過ぎない、と誰かに言われれば、返す言葉もないのだけれど・・

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