2014年12月

安倍首相への公開状 ~真正保守への脱皮を促す~



安倍晋三総理大臣

遅ればせながら、総選挙での大勝また長期政権への展望、まことにおめでとうございます。

長期政権への疑念

あらかじめ申し上げておきます。残念ながら私は安倍政権を支持する者ではありません。あなたが推し進めているアベノミクスは長い目で見た場合は方向性が間違っていると以前から思っていますし、歴史認識や安全保障を巡る政策にも違和感を覚えています。私はわが国の政治の安寧と発展を願いながらも、安倍政権の長期化には懸念を抱いている者です。

しかし、だからと言って、私は冒頭の賛辞を皮肉や揶揄で口にしたのではありません。突然解散を行ったあなたの政治屋(政治家ではありません)としての鋭い嗅覚とセンスと、低い投票率(投票に行かなかった国民は国民自身の咎なのであって、決してあなたの責任ではありません)とはいえ、国民の圧倒的な支持を得た事実に心から敬意を表し賞賛を申し上げています。

私は日本で大学を終えた直後に学業で英国に渡り、その後メディア関連の仕事で米国とイタリアに移り住みました。現在はここイタリアで、人々の日本意識と日々向き合い、同時にBBC、Al Jazeeraなどの英語圏の衛星放送やインターネット等を介して、グローバル世界の日本意識とも相対しています。同じ手法で日本の情報にも密に接しているのは言うまでもありません。

長い外国生活の全ての過程で、私は故国を眺めては時には批判をし、懐かしがり、誇りに思い、悲しみ、喜んだり呆れたりしながら生きてきました。ここでは私のそうした経験から見た安倍さんの「グローバル世界におけるイメージ」について考えてみようと思います。

イメージとは、火のないところに立つ煙のようなものです。つまり事実や、真実や、事象の形が曖昧なのに、煙の鮮明だけが目立つでき事です。従ってそれは虚偽やまやかしである場合が多々あります。しかし、また、火のないところに煙は立たない、とも言います。煙の向こう側には煙を出すだけの何かがあることもまた確実です。それは検証に値する現象なのです。

国際世論の見方

もはや言い古されたことかもしれませんが、あなたは国際社会から潜在的に危険な極右に近いナショナリストと見なされています。また同時に、現在の日本のタカ派の主要な関心事に鑑みて、歴史修正主義者とも規定されます。そうした見方は、私自身の見解ともぴたりと一致するものですが、私は同時にあなたは柔軟なプラグマティストであり、その意味では優れた政治家ではないかとも考えています。

あなたはかつて慰安婦にかかわる河野談話や村山談話の見直しを声高に主張していました。それは当然韓国や中国の反発を招くものでした。が、あなたは意に介しませんでした。あなたがそれを言わなくなったのは、欧米、特にアメリカ世論の反発があったからです。恐らくそれを不快と見なす米国政府からの圧力もあったのではないか、と私は見当をつけています。

それでもあなたは、もう一つの歴史認識の争点である靖国神社参拝を決行しました。アメリカはその前に、千鳥ケ淵戦没者墓苑が彼らが認める参拝所である、とさり気なくあなたにシグナルを送ったのですが、あなたは気づかなかったのか、あるいは確信犯的思い入れからなのか、あえて靖国神社を参拝したのでした。それは周知のように中韓は言うまでもなくアメリカをも怒らせてしまいました。

その後、あなたは何事もなかったかのように経済政策アベノミクスに集中する傍ら外遊を重ね、秘密保護法や集団的自衛権など、議論百出する事案を数を頼りに楽々と思い通りの方向に決めていきました。また沖縄の普天間基地移転問題では、地元の民意を無視する形で県知事を懐柔して、移転へ向けての布石を打ちました。全く見事な手腕だと思います。これらの論点についても私は大いに異議を持つ者ですが、長くなるので議論は別の機会に譲ります。

過去の言動や直近のそれに照らし合わせて、前述したように国際社会はあなたを姑息な国粋主義者、歴史修正主義者と規定し常に監視しています。あなたは建前と本音を使い分ける日本の文化や、熱し易く冷め易い国民の意識に助けられて、まるで以前の言動がなかったのでもあるかのように振る舞っていますが、敏感で疑り深く且つ執拗な国際世論は、あなたの正体を見抜いていて監視・追求の手を少しも緩めてはいません。

日本極右は中韓の味方

あなたに対する疑念は、あなたとあなたの周りの民族主義者らの願いとは全く裏腹に、特に中国と習近平国家主席に資しています。一党独裁国家、人権無視の野蛮国、覇権主義国家、そこに君臨する共産主義の巨魁・習近平等々のネガティブなイメージは、中国と対立する日本、という構図で語られる時には、以前とは違って「戦争被害国の中国」という印象が強調されて、同情さえ買う構図になってしまっています。

それは偏えにあなたの極右的言動と歴史修正主義者というイメージによって、相対的に中国の暗部が薄められたものです。直近の例をあげれば、APECであなたが習近平さんと握手を交わし、無視されて公衆の面前で恥をかいた時、私の知る限りの多くの知識人は、習さんの子供染みた態度はあなたの言動への反発、従って身から出た錆、という風な捉え方をしました。国際世論は中国と習主席の動きにも敏感でよく眉をひそめますが、昨今はあなたに対しての「眉のひそめ度」がはるかに大きいために、結果、中国の悪が見えにくくなるという事態が起こっているのです。

あなたとあなたの周囲の民族主義者らは、靖国参拝を正当化するとき「国の為に死んだ方々の御霊を慰めるのは日本人として当たり前のことだ。他国にとやかく 言われる筋合いはない」と実にもっともな反論をします。戦争で国の為に倒れた人々の霊を敬うのは、口に出して言うことさえばかばかしいほど、当たり前のこ とです。その考えは真っ当なものです。世界基準の心の在り方、と言っても差し支えないでしょう。もちろんその心は、あなたの靖国参拝に猛烈に反発している中韓でさえ同じです。

周知のように中韓は参拝そのものに噛み付いているのではなく、彼らに酷い不利益をもたらした軍国主義日本の象徴である「戦犯も祀られている靖国神社」参拝に反発しているだけです。そこで、ならば合祀を無くして分祀を、とか、新施設を建てるべき、云々の古くて常に新しい議論もここでは後回しにして、あなたが敢えてそこに参拝することの是非について意見を述べます。

御霊を崇め礼を尽くすのは前述したように人として当たり前のことです。また日本人の心情として、例え悪人でも死して仏になってしまえばこれを貶めない。従って戦犯とされる人々の霊も尊崇されて然るべき、という考え方にも一理ありま す。しかし残念ながら、戦犯と呼ばれる人々は軍国主義日本の代表であり象徴として規定されています。戦後世界は、日本やドイツを始めとする敗戦国とその他の国々との間に、そうした決め事を作成し合意することによって、憎しみと混乱と怨みを安らげて前進しよう、と誓い合い、実際に前進してきました。

日本のイメージを貶める行為

あなたは靖国参拝によって、買わなくても良い中韓の怒りを買い、アメリカを苛立たせ、国際社会に疑念を抱かせました。その行為はあなたの周りにいる極右やネトウヨの人々が、例えば私のような国際派の愛国者(私は自分をそう規定しています)を指して、国賊、反日、売国奴などと蛮声を挙げる、まさにそれらの形容詞そのものの通りの行動でした。あなたがやったことは、グローバルな視点では、日本の国益にとっては徹頭徹尾ネガティブな行為だったのです。

あなたが政権に就いて以来、日本の政治的なイメージや評判は悪化しています。この辺りの空気が、日本国内に住んで昨今の「右傾化した」熱い世論にまみれていると、国民の多くにとっても 中々見えにくい事態だと思います。鏡に顔を近づけ過ぎると自分の顔の輪郭がぼやけて見えにくくなります。国内にいると日本の世論の実際がぼやけ、しかもそれが全て正しいような錯覚に陥ります。なにしろ自分の顔さえ良く見えないのですから、グローバル世界の目線など見えるはずもありません。

かつて驕りと欲と無知から、進むべき道を間違えて侵略戦争に突入し、多くの犠牲を払って破滅した日本は、過去70年間、先の大戦の非道な行為を世界から責められ、また自らも責め立ててこれを反省し、ひたすら平和主義と友愛を信条に国を立て直してきました。戦後の瓦礫の中から立ち上がった日本は、一心に働き続けてついには経済大国にまでなりました。国際社会は日本の多大な努力と、国民の誠実で真摯な行動と高い民意を大いに賛辞するまでになったのでした。

日本に対する国際世論のあくまでもポジティブな意見は3年前、東日本大震災という巨大な不幸と引き換えに最高潮に達しました。即ち、東日本大震災における 被災者の方々の崇高な行動と、それを支えようとする日本国民の真摯な姿が世界中を感動の渦に巻き込んだのです。大災害を蒙りながらの苦しいパラドックスで はありますが、あの時ほど日本が世界で輝いた瞬間はありません。

ところがそうしたイメージは、あなたの愚かな行動によって崩壊しました。あなたは自らの政治的信条と国内で高まる民族主義のうねりに力を得て、自身の満足と、また人々の中韓への反発心を安んじるために靖国神社に参拝しました。その行為は、前述した通り、特に慰安婦問題に対するあなたの見解と相まって、中韓米のみならず国際世論をも困惑させました。中韓やアメリカだけが文句を言っているのでは決してない。親日国を含む国際社会の意見の大半は、あなたに風当たりの強いものであることをぜひ理解して下さい。

怒りにはひたすら真心と誠実で応えるのみ

あなたとあなたに近い国粋主義者は、日本の外の事象に対して鈍感で想像力を欠く傾向があります。そのため他人の立場を理解せず、理解しようと努力することもなく、また理解もできない。中韓の怒りが理解できないという人々のために次のリンク先を貼付します。
 http://news.livedoor.com/article/detail/7924365/

記事にある「日本の軍国主義や右翼勢力が消滅しない限り、被害国の人々の反日感情はなくならない~米国やロシアは日本に徹底的に報復したから、今は平穏な 気持ちで日本と付き合える。だが、中国人は何も報復していない」 という文章の最後は、「中国人も韓国人も朝鮮人も何も報復していない」と書き変えることもできます。北朝鮮による日本人拉致は報復ではないか、という意見 もあるかも知れませんが、ここでいう報復とは、軍隊による日本全国民への報復、という意味だと考えられますから規模や恨みの深さが桁違いに違います。

ほんの少しの想像力があれば、彼らの心情は立ち所に理解できます。しかし、隣国の人々の報復感情を怖れる必要は全くありません。われわれは軍国主義日本が 彼らに与えた被害を見つめて反省し、誠意を持って彼らに対していけば良いだけの話です。彼らの怒りは加害者であるわれわれ日本人の行動によってのみ収まりがつきます。

日本はこれまで同様、今後も自らの過ちを見つめ続けて謝罪するべきところは謝罪をし、中韓及び北朝鮮を始めとするアジアの国々を密かに、或いは公然と蔑視する愚にもつかない思い上がりを捨てて、隣人として、対等な国としてまた人として、誠実にまっすぐに付き合っていくべきです。そうすれば必ず彼らの傷は癒され憎しみは消えます。それは彼らが努力をするべきことではない。少なくともわれわれが彼らに「皆さんも過去を忘れる努力をしろ」と言ってはならない。われわれ日本人が努力するべきことなのです。

自虐史観だ、もう何度も謝った、謝ればまた金を要求される、反日、売国奴、などなど・・聞き飽きた罵声が聞こえてくるようです。それらは想像力を持たない者の野蛮な咆哮です。自らを貶めるという意味の自虐史観とは、実は逆に、そうした蛮声を挙げる人々が主張する歴史認識にほかなりません。なぜなら彼らは国粋主義的見解に基づいて歴史修正を試みますが、そうすることによって国際社会から糾弾される。それこそが自虐行為であり自虐史観以外の何ものでもないのです。

歴史を学ぶのではなく「歴史から学ぶ」べき

繰り返しになりますがあなたは以前、河野、村山談話への異議を表明し、これまた中韓だけに目が行く視野狭窄から従軍慰安婦問題では狭義の強制性はなかった、というKYな主張をして世界の顰蹙を買いました。よく言われることですが、信用を勝ち取るまでには途方もない努力と時間がかかり、それを失うのは一瞬 です。あなたはあの主張を表明したことで、自らの信用を一気に失墜させると同時に、世界の多くの人々の心中に日本国への疑惑を芽生えさせました。

世界は軍の強制性云々などには微塵も興味がありません。世界が関心を持っているのは、女性の人権と戦争犯罪です。国際世論は「慰安婦は戦時中に実際に存在していた。それは悪であり恥ずべき過去である」ということを確認したいだけなのです。従って、当時はそれが当たり前だった、だから今の感覚で非難するのはおかしい、などという主張は国際社会では決して受け入れられません。なぜなら国際世論が問題にしているのは、まさにその「今の感覚で見た慰安婦」なのですから。

もう一つ例を挙げれば、日本が中国を侵略し韓国を併合したのは、当時の世相や考え方では普通のことだった。欧米列強も同じことをしていた、などと主張してはならないのです。なぜならそれは「今の感覚」では悪だからです。人間は間違いを起こします。大事なことはその間違いに気づき、二度と同じ間違いを起こさないことです。学習したかどうかが論点なのです。

学習すれば反省に至り、再び同じ過ちを繰り返すまいという決意と行動が生まれます。歴史を学ぶとはそういうことです。歴史事実を調べ確認して満足しているだけでは意味がない。それは無味乾燥な学者的行動様式です。歴史の事実を調べて検証し、それが「今の感覚」ではどうなるのか、という視点まで論を進めることにこそ意味があります。それが真に歴史を学ぶことです。言葉を替えれば「歴史を学ぶ」のではなく、「歴史から学ぶ」ことが重要なのです。

引き籠りの暴力愛好家とは手を切れ


そういう意味では、例えばあなたの心情的な仲間である石原慎太郎さんなどは少しも学習していない。彼と彼の同類の人々は、世界から目をそむけたまま日本という一軒家に閉じこもって、壁に向かって怨嗟を叫んでいる者たちです。私は彼らを「引き籠りの暴力愛好家」と規定しています。そして私が極めて残念に思う のは、あなたが彼らと親和的な思想信条を持っていることです。あなたは一国の首相だけに少しは自制していますが、あなたの本性は石原さんと同じか又は極めて近いものに見える。

その石原さんは政界を引退すると表明し、先の選挙では、極右以外の何ものでもない頼母神氏を始めとする「次世代」の党の皆さんが、きっちりと有権者のノーの審判を受けました。彼らには極右やネトウヨなどの支持があっただけで、保守層の共感は無かったことが明白になったと思います。これは右傾化が進む日本の風潮の中にあって、極めて明るい出来事であると私は考えます。

あなたには国際世論を敏感に嗅ぎ取る能力があるようです。国粋主義的な言動を試みて、それが批判されるや否や、さっさと引っ込める事実がそのことを如実に示しています。それは日和見主義や右顧左眄の策士と同じである危険があります。が、同時に自らの思い込みを見直して正しい道を歩もうとする「形」も意味します。すぐにそうはならなくても、その振りを続けるうちに真実になる、ということは人の世では良くある話です。或いは嘘もつき続ければ本当になる、とも表現できます。

安倍さん、いかがでしょうか。長期政権への展望も開けたことですし、この際「引き籠りの暴力愛好家」らとはきっぱりと縁を切っ て、ナショナリストではなく『保守主義者』として日本の舵取りをしてはいただけないでしょうか。

保守がいて革新が同じ力で相対していれば、極右主義者や極左思想の持ち主が台頭して国際社会の顰蹙を買う事態は必ず避けられます。私はあなたの政権は支持しませんが、中韓にも絶えず対話をしようと呼びかけ(対話が途切れているのはあなたの極右的言動が元々の原因ではありますが)、経済を立て直して自信を喪失している日本国を甦らせよう、と懸命に政策を実行している姿には大いに共感します。この際ですから日本の過去の過ちと国際社会の実態にしっかりと目を据えていただいて、自らの言動に責任を持つ右顧左眄のない『真正保守』として、堂々と主張をされ行動されることを切に願います。

                                敬具

PS:まだ申し上げたいことがありますが、長い文章がさらに長くなってしまいますので割愛して、また別の機会にお便りを差し上げられれば、と思います。

無神論者がクリスマスに熱狂する理由(わけ)



ここイタリアを含む欧米諸国や世界中のキリスト教国は、クリスマス・シーズンのまっただ中にあって賑わっている。それだけではなく、日本や中国などに代表される非キリスト教国でも、人々はクリスマスを大いに楽しみ、祝う。

毎年、クリスマスのたびに思うことがある。つまり、今さらながら、西洋文明ってホントにすごいな、ということである。クリスマスは文明ではない。それは宗教にまつわる文化である。それでも、いや、だからこそ僕は、西洋文明の偉大に圧倒される思いになるのだ。

文化とは地域や民族から派生する、祭礼や教養や習慣や言語や美術や知恵等々の精神活動と生活全般のことである。それは一つ一つが特殊なものであり、多くの場合は閉鎖的でもあり、時にはその文化圏外の人間には理解不可能な「化け物」ようなものでさえある。

だからこそそれは「化け物の文(知性)」、つまり文化と呼称されるのだろう。

文化がなぜ化け物なのかというと、文化がその文化を共有する人々以外の人間にとっては、異(い)なるものであり、不可解なものであり、時には怖いものでさえあるからである。

そして人がある一つの文化を怖いと感じるのは、その人が対象になっている文化を知らないか、理解しようとしないか、あるいは理解できないからである。だから文化は容易に偏見や差別を呼び、その温床にもなる。

ところが文化の価値とはまさに、偏見や恐怖や差別さえ招いてしまう、それぞれの文化の特殊性そのものの中にある。特殊であることが文化の命なのである。従ってそれぞれの文化の間には優劣はない。あるのは違いだけである

そう考えてみると、地球上に文字通り無数にある文化のうちの、クリスマスという特殊な一文化が世界中に広まり、受け入れられ、楽しまれているのは稀有なことである。

それはたとえば、キリスト教国のクリスマスに匹敵する日本の宗教文化「盆」が、欧米やアフリカの国々でも祝福され、その時期になると盆踊りがパリやロンドンやニューヨークの広場で開かれて、世界中の人々が浴衣を着て大いに踊り、楽しむ、というくらいのもの凄い出来事なのである。

でもこれまでのところ、世界はそんなふうにはならず、キリスト教のクリスマスだけが一方的に日本にも、アジアにも、その他の国々にも受け入れられていった。なぜか。それはクリスマスという文化の背後に「西洋文明」という巨大な力が存在したからである。

文明とは字義通り「明るい文」のことであり、特殊性が命の文化とは対極にある普遍的な知性(文)のことである。言葉を替えれば、普遍性が文明の命である。誰もが希求するもの、便利なもの、喜ばしいもの、楽しい明るいものが文明なのである。

それは自動車や飛行機や電気やコンピュターなどのテクノロジーのことであり、利便のことであり、誰の役にも立ち、誰もが好きになる物事のことである。そして世界を席巻している西洋文明とは、まさにそういうものである。

一つ一つが特殊で、一つ一つが価値あるものである文化とは違って、文明には優劣がある。だから優れた文明には誰もが引き付けられ、これを取り入れようとする。より多くの人々が欲しがるものほど優れた文明である。

優れた文明は多くの場合、その文明を生み出した国や地域の文化も伴なって世界に展延していく。そのために便利な文明を手に入れた人々は、その文明に連れてやって来た、文明を生み出した国や地域の文化もまた優れたものとして、容易に受け入れる傾向がある。

たとえば日本人は「ザンギリ頭を叩いてみれば文明開化の音がする」と言われた時代から、必死になって西洋文明を見習い、模倣し、ほぼ自家薬籠中のものにしてきた。その日本人が、仏教文化や神道文化に照らし合わせると異なものであり、不可解なものであるクリスマスを受け入れて、今や当たり前に祝うようになったのは一つの典型である。

西洋文明の恩恵にあずかった、日本以外の非キリスト教世界の人々も同じ道を辿った。彼らは優れた文明と共にやって来た、優劣では測れないクリスマスという「特殊な」文化もまた優れている、と自動的に見なした。あるいは錯覚した。

そうやってクリスマスは、無心論者を含む世界中の多くの人が祝い楽しむ行事になった。それって、いかにも凄いことだと思うが、どうだろうか。



訂正:FBのアブナイ面々



前回エントリーで、面識のない人からのメッセージの無いFB友達リクエストには困惑する、と書いたのは自分の本心だが、心構えとしては間違っているのだろうな、 と気づいた。

面識のない人と突然友達になれるのがSNSの良さであり真髄だから。

ただ友達リクエストを送って承認されたら、やっぱり一言挨拶はするべ き、とは強く思う。

元からの友人知己なら気心が知れていたりするから、その必要はない場合も多いだろうけれど・・。

FBを始めた頃は何がなにやら良く分からず、面白がったり困惑もしたりして、僕自身もルール違反的な行為もしたかもしれないな、とも考える。

このブログを含めたSNSは面白く、不思議で、やはり常に怖さも秘めた媒体だと感じるのは僕だけだろうか。

FBのアブナイ面々


最近、全く面識のない人からのfacebookの友達リクエストが多いのだが、何のメッセージもなく送られてくるので困惑する。

また、たまたまこちらがそれに答えてもやっぱり何の反応も返ってこない。

それって、きっとなにかの間違いなのだろう。

だってなんの挨拶もない友達なんて聞いたことも見たこともないし。

そういう行動をとる人は、友達といっても伝統的な意味での友達ではなく、SNS友達だからそれでいいんだ、と思っているのではないか。

それって何よりもまず不愉快だが、ちょっとアブナイな、と僕などは考える。

礼儀をわきまえないことがその人の本質だから、少しネジがゆるんでいることになり、なにかあるとアブナイかも、と考えてしまったりもするのである。

その人自身がアブナイことはなくても、その人を介してアブナイことが起きるかもしれない・・

と思わせるところが、その人のアブナサである。

要するに普通ではないのだ。

来年、つまり2015年1月1日から、Facebookの利用規約が変わる。

一口で言えば、自分の情報は自分で守れ。Facebookは責任を取らない、という風に変わる。

そんなところでは、アブナイ人たちはますますアブナイ。

だから余計に気をつけようと思う。




チュニジア・ジャスミン革命に終わりはあるか


11月23日に行われたチュニジアの大統領選挙には27人が立候補した。

その結果10月の議会選挙で第一党になった世俗派政党ニダチュニス(チュニジアの呼びかけ)の党首カイドセブシ氏(87)が39%を獲得して1位。

人権活動家の暫定大統領マルキーズ氏(69)が33%を獲得して2位になった。同氏は世俗派である。

どちらも過半数には届かなかったため、12月21日に2人による決戦投票が行われる。そこで選ばれる大統領は、議会第一党のニダチュニスと第二勢力のイスラム主義政党アンナハダ(再生)との共生を余儀なくされる。

僕は地中海域のアラブ諸国に民主主義が根付き、自由で安全な社会が出現することを願っている。それはアラブの春以降、混乱が続く同地域の人々が圧政から解放されて、平穏かつ自由な世の中になってほしい、という当たり前かつ純粋な気持ちから出ている。

それに加えて、以前にも書いたことだが、実は僕は利己的な理由からもアラブの「本当の」春を心待ちにしている。

僕は1年に1度地中海域の国々を巡る旅を続けている。ヨーロッパに長く住み、ひどく世話になり、ヨーロッパを少しだけ知った現在、西洋文明の揺らんとなった地中海世界をじっくりと見て回りたいと思い立ったのである。

イタリアを基点にアドリア海の東岸を南下して、ギリシャ、トルコを経てシリアやイスラエルなどの中東各国を訪ね、エジプトからアフリカ北岸を回って、スペイン、ポルトガル、フランスなどをぐるりと踏破しようと考えている。

しかし、2011年にチュニジアでジャスミン革命が起こり、やがてエジプトやリビアやシリアなどを巻き込んでのアラブの春の動乱が続いて、中東各国には足を踏み入れることができずにいる。

そんな中にあって、ジャスミン革命が起こったチュニジアは比較的安定しているとされる。そこで今年7月、僕は思い切って同国を訪ねてみることにした。

チュニジアは平穏だった。ジャスミン革命はまだ続いているとされ、政治的にも流動的な状態が収まっていないが、少なくとも市民生活は表面上は穏やかに見えた。

しかし、チュニジアの経済は停滞し、若者の失業率も高い。国に不満を持つ若者が、シリアに渡航して凶悪な「イスラム国」の戦闘員になるケースも増えている。「イスラム国」に参加する外国人戦闘員の中では、チュニジア人が最も多いとさえ言われている。

僕はそうした情報を目にする度に、イタリアやフランスを始めとする西洋資本によって乱開発されて、一見発展しているように見えるチュニジアのリゾート地の悲哀を思い出す。

チュニジアの地中海沿岸には、大規模ホテルを中心とする観光施設がひしめいている。それらは全てがヨーロッパ資本によって建てられている。所有者はチュニジア国籍の会社や人物でなければならない、という規定があるとも聞いたが、そんなものはいくらでも誤魔化しが可能である。

ホテルに滞在しているのはほぼ100%が欧州人である。彼らはそこに滞在してバカンスを過ごすのだが、食事や買い物などもほぼ全てホテル施設内で済ませる。バカンスの一切がパックになっているのである。

つまり欧州からのバカンス客は、欧州の旅行業者からパックを買って、欧州の航空機でチュニジアに入り、欧州資本の大型バスでリゾート施設に向かい、欧州資本のバカンス施設の中で1~2週間を過ごして、同じ行程で欧州の自宅に帰っていく。

そうした事業がチュニジアにもたらすのは、雇用と食材などの需要益程度である。それだけでも無いよりは増しかもしれないが、利益のほとんどは欧州に吸い上げられている。

チュニジア側にも問題はある。バカンス施設を一歩外に出ると、施設が管理している周りの土地だけが日本や欧米並みに清潔を保っていて、町や村の通り、また空き地などにはゴミが散乱する不潔な光景がえんえんと続いている。

そこには観光客が入りたくなるようなカフェやレストランもほとんど無い。そのためバカンス客は、首都のチュニスなどの大都市を別にすれば、仕方なくホテル施設内に留まって消費活動を行う、という形になる。

貧しい国を欧米や日本などの大資本がさらに食い荒らす、というのは余りにもありふれた光景だが、チュニジアの地中海沿岸のそれはひどく露骨で、僕はしばしば目をそむけたい気分になった。

そうした中で、革命後初の政権選択のための議会選挙が行われ、大統領選挙も断行された。両選挙ともに過半数を占める者がなく、議会では連立政権への模索が続き、大統領も今月28日の決選投票によって選ばれる予定である。

何もかもが流動的な状況の中で、経済は混迷し欧米資本の搾取が続き、絶望した若者が「イスラム国」に参加していくチュニジアの今。

ジャスミン革命以後、僕はチュニジアに注目してきたが、混乱とそして奇妙な平穏が同居する同国を訪ねてからは、ますますそこから目が離せなくなっている。

大相撲勝手番付け表


1年収めの大相撲九州場所が終わって1週間が過ぎた。九州場所の結果を基本に、しかし平成26年度全体を振り返って、独断と偏見をもって上位力士の2年後の予想番付け表を作ってみた。同時に九州場所の少しの解説と評論も。そうすることで大相撲の現在を掘り下げて見てみたい、というのが目的であるのは言うまでもない。

これは相撲が大好きな1相撲ファンの勝手な思いだから、読者の中には贔屓の力士をけなされて気を悪くする人がいるかもしれない。でも贔屓力士がいるということは、その人もきっと僕と同じ相撲大好き人間だろうと思う。それはつまり、大相撲の発展を願うという意味ではわれわれは同志、ということである。そこに免じてもしも無礼があればお許しを願いたい。

なお、横綱及び3役には同地位のうちの格下の者、いわゆる張出(今は使われていない)を設けてみた。また、予想番付け表では期待と失望を込めて、昇格ばかりではなく降格のケースも列記してみた。
 
【2014年九州場所の実際の番付け】

東横綱-白鵬      西横綱-鶴竜       張出横綱-日馬富士    
東大関-琴奨菊     西大関-稀勢の里      張出大関-豪栄道    
東関脇-碧山      西関脇-逸ノ城       張出関脇-不在
東小結-豪風       西小結-勢         張出小結-不在
 

【2016年九州場所の予想番付け】 ※横綱も格下げの対象とした場合

東横綱-逸ノ城    西横綱-白鵬      張出横綱-照ノ富士      

東大関-栃の心    西大関-稀勢里      張出大関-日馬富士   

東関脇-妙義龍    西関脇-鶴竜       張出関脇-高安 

東小結-碧山      西小結-千代鳳     張出小結-蒼国来
 
東前頭1 - 大砂嵐         西前頭1 - 遠藤

東前頭2 - 豪栄道         西前頭2 - 琴奨菊


横綱について:
白鵬の32回優勝は言うまでも無く凄い。素晴らしい。ただ彼だけが抜きん出ていて、且ついつもの結果で僕の心は盛り上がらなかった。1人横綱時代を含めて、他の力士が不甲斐ないから次々と大記録を打ち立てている、という側面はないのだろうか。決して白鵬の偉大にケチをつけたいからではなく・・。

日馬富士には「相撲をナメンナよ」と、余計なお世話の苦言を呈したい。綱を張りながら大学に通うオチャラケのことだ。そんな暇があったらもっと稽古をし鍛錬し修行して横綱の責を果たしてほしい。大学に通うという立派な心がけは、引退後で十分ではないか。大学に通って人間を磨きたい、という言いもまた立派だが、現役横綱がやることではない。今は横綱道にまい進してこそ人間が磨かれると考える。本末転倒だ。

鶴竜の人格は随一だが、引き技ばっかりみたいな横綱では、優勝どころか常勝さえ難しい雰囲気である。彼の横綱昇進は拙速だったというのが僕の意見だった。が、今は確信になりつつある。この不安をくつがえしてほしいと強く思うが、どこかで化けない限り今のままでは厳しいだろう。横綱も降格される規定があるとすれば、彼は大関も通り越して万年関脇あたりにいた方がいい。関脇が強いと大相撲が面白くなるから、鶴竜はそこで毎場所大暴れして相撲全体を盛り上げたらどうか。

将来の横綱候補は逸ノ城、照ノ富士、栃ノ心:
九州場所最高の見せ場は、 逸ノ城VS照ノ富士戦だった。2人は千秋楽でぶつかり、2分12秒の大相撲の末に照ノ富士が勝った。ケガなどのアクシデントが無ければ、2力士は今後横綱にまで駆け上がって、繰り返し九州場所のような戦いをするだろう。

逸ノ城が大騒ぎをされているが、僕はずっと照ノ富士にも注目していた。どこから見ても大器の雰囲気を発散していたからだ。そこに怪物逸ノ城が彗星の如く現れて、少しダレかけていた照ノ富士の闘争心に再び火が点いたように見える。2人は来年中に大関、あるいはどちらかは横綱にまで駆け上がる可能性さえあると思う。

栃ノ心にも僕は注目してきた。なぜか。四つ相撲を目指す彼の取り口の型もさることながら、像みたいな巨大な尻が将来の横綱級だとずっと思っていたからだ。相撲の親方衆は若者をスカウトしようとするとき、尻の形や大きさに注目する。大きな尻は相撲の基本中の基本である下半身の強さを示唆するからだ。栃ノ心はそれを備えている。

ケガから復活した栃ノ心を横綱候補に挙げたのは、自分の希望的観測もからんでいる。僕は早く欧州出身の横綱が誕生することを願っている。欧州に居を構える者としての、単純な欧州人力士贔屓とは別に、欧州出身の横綱が出ればここでの相撲人気がまた高まって、さらに多くの才能ある若者が大相撲を目指すと考えるからだ。琴欧州、把瑠都の欧州出身大関が引退した今、最も横綱に近いのは栃ノ心だ。碧山も力をつけているが、押し相撲である分安定性に欠けるから、大関、また綱取りレースでは、四つ相撲の栃ノ心に分がありそうだ。

将来の大関候補について:
上からの降格組の日馬富士に加えて、日本人力士を含む5人を大関候補として三役の地位に据えてみた。碧山  妙義龍  高安 千代鳳  蒼国来である。 ここに遠藤を入れたいのは山々だが、彼は立会いの当たりを磨いて厳しさと重厚さを獲得しない限り、小手先の相撲が上手いだけの力士で終わるだろう。そうなると平幕上位から小結、関脇あたりを常時往復することになる。しかし、例えば大きな 碧山などを立会いの当たりで粉砕するくらいの力強さを身につければ、大関も超えて久しぶりの日本人横綱誕生もあり得る、と希望的観測を込めて付け加えておきたい。

礼儀作法について:
白鵬が賞金を受け取って、それを振り回す仕草は醜い。中に大金が入っているから嬉しいぜ、という気持ちは分かるが、静かにありがたく受け取って、横綱の品格の片鱗を見せてほしい。鼻や口を歪めて示威行為をするのもなんだかなァ・・せっかく日本人の素晴らしい嫁さんをもらって、多分彼女の大きな努力もあって日本人の心を理解し、それに染まろうと努力している苦労が水の泡になりかねない。

賞金なんかいらねぇが、ま、くれるんならもらっておいてやるよ、という安美錦の手刀の切り方は、飄ひょうとした彼のキャラが出ていて面白い。少なくとも白鵬よりよっぽど醜くない。

戦いの後の辞儀の姿は、外国人力士の碧山と魁聖が横綱級。自然体で頭を下げる角度も好ましい。辞儀は顎を引くだけという安美錦も、ここでは他の力士に率先して2人の外国人力士を見習うべきだ。九州場所は姿が見えなかったが、豊真将の120度か?と見えるほどに深々と頭を下げる辞儀は、大げさ過ぎて逆に少し滑稽だと思う。なんとか自然体で行けないものだろうか。

最後に、取ってつけたようにNHKの大相撲解説者の番付も書いておくことにした。その理由は、今ここで書いておかないと、一体どこでいつ書くんだ?という訳で。

NHK大相撲解説者番付:

東横綱 - 北の富士勝昭   西横綱 - 不在

大関 - 九重親方 

小結 - 舞の海  琴欧州

平幕 - 貴乃花親方を除く全員

序の口 - 貴乃花親方

貴乃花親方は、テレビの解説者席などに座ってはいけない。元「天才ガチンコ横綱」のままでいるべきだ。解説者として登場するたびに、過去の栄光に傷をつ けてしまっている。解説者の資質、つまりシャベリの能力はほぼゼロだということにNHKも気づいて、どうやら彼を呼ばない方向でいるらしいのは喜ばしいことだ。

琴欧州親方は、引退直後の今年5月場所の6日目に、NHK大相撲中継の解説者として放送席に座った。それには現役を引退したばかりの彼への慰労の意味合いもあっただろう。ヨーロッパ人初の大関、そして ヨーロッパ人初の親方へ、という経歴への物珍しさもあっただろう。また、NHKとしては彼に解説者としての資質があるかどうかを試す意味合いもあっただろ う。あるいは解説者としての資質ありと見抜いていて、実際に力量を測ろうとしたのかもしれない。

結論を先に言うと、琴欧州は僕がいつも感 じてきたように、人柄が良くて謙虚で礼儀正しいりっぱな元大関だった。そして解説者としても間違いなくうまくやっていけると思った。その後九州場所を含めて彼は何度かNHKの解説者席に座った。現在のNHKの大相撲中継の解説者は、前述したように北の富士勝昭さんが最上、貴乃花親方が最低、という図式だが、琴欧州親方は既に中の上くらいの力量があると僕は感じている。

多くの日本人親方を差し置いて彼を番付で小結に格付けしたのは、僕からのご祝儀の意味合いももちろんある。だがそればかりではなく、通り一遍のことしか言わない(言えない)解説者群の中にあって、ちょっと相撲にうるさい人々も頷く視点での意見開陳ができる実力をも考慮してのことである。

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