2015年02月

サンレモ音楽祭とベニスカーニバル


例年2月頃、ここイタリアではサンレモ音楽祭やベニスカーニバルが開催される。両者ともその年によって日にちが多少ずれるが、ほぼ今頃が旬の大きなイベントである。

僕はベニスカーニバルを、主にテレビ番組向けにずい分と取材をした。プライベートでも訪ねた。祭自体も面白いが、ベニスという街に深く惹かれていて、カーニバルにかこつけては出かけてきたのだ。

サンレモ音楽祭は実際に見たことはない。ニューヨークの後にイタリアに移り住んで以来、同音楽祭を取材したいと思わないでもなかったが、企画書を書いた覚えがない。

テレビ番組を作るときは、自らで企画を書いてテレビ局や制作会社に売り込み、金を出してもらう。彼らが取材をしてくれと依頼してくることもあるが、僕の場合はほぼ9割程度が自分で企画を出す。

企画を出すとは、アイデアを具体的な形にして、且つ文章にしたためて金づるに提示するということである。つまり、アイデアを売るのだ。面白くなければ相手は間違っても金を出さない。だから必死だ。

サンレモ音楽祭には、テレビ屋の僕が必死になるだけの魅力がなかった。いや、60年以上も続いている音楽の祭典だ。魅力がないわけがない。僕が魅力を見出せなかったのだ。

魅力を感じなければ企画書など書けない。ドキュメンタリー監督とは番組の第一番目の視聴者のことである。視聴者は番組が面白くなければ見ない。言葉を変えれば、視聴者である監督は、自分が面白いと感じなければ決して企画書など書けない。

サンレモ音楽祭を面白いと思えなかった僕は企画書が書けず、また書く気もなく長い時間が過ぎた。サンレモ音楽祭を面白くないと感じるのは、昔その祭典の中継生放送を見てうんざりしたことが原因。

3、4時間も続く歌の祭典は、似たような歌がえんえんと続く印象で、僕にはほとんど苦痛だった。しかもそれは、番組が1日で終わる例えば紅白歌合戦などとは違って、普通の場合5日間も続くのである。

カンツォーネといえば響きがいいが、要するにそれはイタリアの演歌のことである。僕は演歌も好きだが、中には陳腐な歌詞やメロディーがうっとうしいものも多い。カンツォーネもまさにそうだ。

似たような節回しや思い入れやメロディーが、陳腐な言葉とともに繰り出される状況は、好きな人にはたまらく嬉しいのだろうが、僕にはつらい。

カンツオーネが嫌い、ということではない。演歌同様に僕が好きなカンツオーネは多くある。傑作とはとても思えない歌を次々に聞かされるのが、陳腐な演歌のオンパレードに接しているみたいで疲れるのである。

これではいけないと思って、実は今年は、音楽祭のテレビ中継を全部見てやろうと気合を込め、番組初日の2月10日にテレビ桟敷に陣取った。でも最初の30分ほどでやはり挫けて投げ出した。

セットや雰囲気や構成は素晴らしいのだが、肝心の歌のコーナーでは僕はやっぱり退屈した。感動のない歌ばかりだった。でもいい歌は必ずあるのだ。だって優勝曲を筆頭に、これはという歌が毎年現れる。そこに行き着くまでが長過ぎるのである。

そこで優勝曲が決まる最終日の14日を頑張って見よう、と待ち構えていたのだがすっかり忘れた。後で知った優勝曲はやはりそれなりに面白かった。決勝戦を見るべきだったと後悔したが、もう後の祭りである。

そんな具合に僕の独断と偏見によって、サンレモ音楽祭はテレビ屋としての僕の興味の枠外に置かれてしまい、長時間のドキュメンタリーどころか短い報道番組にさえならなかった。

が、先のことはもちろん誰にも分からない。


「自己責任論」という無責任論




人質事件の途中総括はどこ?
イスラム国による邦人殺害事件は、人質交換に絡んでいたヨルダン人パイロットも犠牲になっていたことが明らかになって、ヨルダン国民の怒りが爆発した報復空爆が開始され、同時に日本人が今後もテロの脅威にさらされ続けるかもしれない不安と苛立ちを内包したまま、いったん節目を迎えた。

国際社会と組んだ日本の、イスラム国との戦いはこれからも続くことになるだろうが、惨劇を通して見えてきた多くの問題点は、途中総括として分析・検証し議論されるべきなのに、メディアに自粛心理とやらが働いて、いつの間にか安倍政権批判を控える風潮が醸成されているらしい。それは奇怪且つ危険な傾向だ。

そんな折の2月10日、政府は人質事件の検証委員会を立ち上げて初会合を開いた。ところが検証委の10人のメンバーは全員が政府関係者という笑い話。とんだ茶番だ。識者など外部の人間を入れないお粗末な仕組みには、安倍首相の責任を含む政府の瑕疵を隠したい意図が透けて見える。

太平の夢を破られた日本人
イスラム国による陰惨な犯罪は、たとえば東日本大震災のように、事件以前と以後では世界が全く違って見えるほどの衝撃と覚醒をわれわれに与えた。事件は多くの日本人が密かに胸中に抱く、自国が世界から隔絶されて「在る」という錯覚がもたらす安全神話、あるいは太平の夢を粉々に打ち砕いた。

今後も日本人をテロの標的にするというイスラム国の宣言を待つまでもなく、われわれは自らも常に世界の動乱のまっただ中にいるということを認識し、我が身を守りまた他の人々の身も守る手だてについて、国際社会と対話しつつ真剣に考えなければならない時がきた。

その時は実は、2003年のイラク戦争のあたりで既に始まっていた。しかし国際感覚ゼロの日本人はそれに気づかなかったというのが正しい。イスラム国もその年に誕生した。正確には誕生が決定付けられた。アメリカのイラク攻撃で壊滅したフセイン独裁政権の残党がイスラム国の中核を成すからだ。

日本はその戦争に他の西側諸国連合とともに参加した。当時派遣された自衛隊は、後方支援に回っただけであり、莫大な金銭支援を含む日本の関与は飽くまでも人道支援だという日本の主張は、殴られた側の者たちにとっては身勝手な言い訳とも映る。人質殺害の遠因はそこにもあると言わなければならない。

安倍首相の責任の有無
想像を絶する残虐さで人質を殺害していくイスラム国は完全な悪である。組織は殲滅されるべきであり、遅かれ早かれ有志連合の厳しい追討を受けて壊滅するだろう。後藤さんと湯川さんの死の責任は全てそのイスラム国にある。そこをしっかりと確認した上で、2人の死の意味についてもう少し考えてみたい。

まず何よりも2人の日本人は殺されるべきではなかった。彼らを殺害した責任は、繰り返すが、徹頭徹尾イスラム国というモンスターにある。自己責任さえ問われたりする被害者の後藤さんと湯川さんはもちろん、中東訪問前と訪問途中での問題の対処法に失策があったのではないか、と指摘される安倍首相にも日本政府にも殺害の責任はない。

しかしながら、人質2人を『救えなかった』という大きな責任からは安倍首相も日本政府も決して逃れることはできない。なぜなら日本国政府つまり安倍首相には、日本人である後藤氏と湯川氏の生命を守る義務がある。それは彼らが「自己責任」でイスラム国の支配地域に渡航した事実とは別の、国民国家に於ける国民に対する国家の義務であり縛りの一つだ。

「自己責任」は遍在するが限りもある
自己責任は人が生きていく限り、いつでもどこでもいかなる言動にも付いてまわる。例えば1人の日本人が観光旅行でパリに出かけるのは、まさに「自己責任」である。しかしその人が旅先で運悪くテロに巻き込まれたら、果たしてそれも自己責任だろうか。そんなことはあるはずもない。

自己責任は文字通り「自己の決断」事項への責任であって、自らの意志ではない外部要因にまで求められるべきものではない。自己責任による行動の結果、予期しなかった事態に巻き込まれた者にさらなる自己責任を求めて糾弾するのは、無責任で理不尽な行為だ。

2人の日本人が危険な地域に渡航した自己責任は、より安全と考えられる地域に観光旅行に出た日本人の自己責任よりも、あるいは重いのかもしれない。軽率という考え方もあるだろう。しかし、それ以後に起きた事件に際しては彼らには自己責任はなく、日本政府の側に彼らを「救う責任」が生じるだけだ。

今回のイスラム国による人質事件の場合は、身代金を支払うことで将来新たなテロを呼ぶ危険がある。従って支払いを拒否するべきだ、という意見は真っ当な主張であり判断だった。しかし、2人がそこに渡航し拘束されたのは「自己責任」だから救助しないで放っておけ、と主張するのは飽くまでも間違いだ。

首相と政府は無責任思考に捉われていなかったか
後藤、湯川の両氏が危険地域にあえて渡航したことの責任は彼らにある。だがそのことを持って、テロリストに拘束された2人が「国家の保護の対象外になる」ということがあってはならない。国家はあらゆる方策を「可能な限りの範囲」で行使して2人を救う義務があるのだ。

国が手段を尽くして、それでも2人が殺害された場合は、これは致し方のないことだ。だがそれで2人を『救えなかった』国の責任が消えてなくなる訳ではない。国は、つまり安倍首相は、その意味で非難され糾弾されなければならない。間違いの原因を明らかにして、将来の指針とするためだ。それが開かれた国民国家のあり方だ。

国民国家の原理原則に照らし合わせてみて、そのように国と安倍首相には国民を『救えなかった』という落ち度が既にある。が、今回の事件ではそれに加えて、安倍首相と政権周辺が「後藤、湯川の2人には自己責任がある。だから助けなくても良い」と考え、あるいは暗黙に了解しあって、救出に向けての懸命の努力を怠った疑いがある。

そこまでの明確な意志表現はなくとも、多くの国民が表明した「自己責任論」という無責任論に影響されて、2人が拘束されたことが明らかになった時点で素早く動かなかった。救出作戦の初動に瑕疵があった、という懸念が非常に強い。もしもそれが事実であるならば、安倍首相は2重に非難されても仕方がない。

テロに屈しないのは当たり前、人命救助は義務
日本が中東を支援することは正義だしこのまま続けるべきだ。テロには屈しない、というスローガンも重要だし、そう言い続けてまたそのように行動するべきだ。だが、その裏で国民の生命を守るためにあらゆる手段を用いて必死で動くことが、一国の首相の最重要な仕事の一つだということは、繰り返し確認されなければならない。

憲法改正、特定秘密保護法の制定、集団的自衛権の行使容認に向けた法整備等々、安倍首相が画策し推し進めている全ての重要案件の大儀は、飽くまでも彼の考えによれば、最終的には常に「国民の生命と財産を守るため」にである。それらの分野では首相は渾身の力を込めて努力をしている。

その本人が人質になった2人の国民の生命を守るために全力で動かなかったとするなら、それは遺憾を通り越して危険な兆候でさえある。なぜなら首相は、対峙する事案によって立ち位置を変える、ダブルスタンダードで国の舵取りをしていることになるからだ。

政府が人質2人の救出に向けて本気で動いていなかったことを疑わせる最も大きな出来事は、2人を拘束しているイスラム国の目の前と言っても過言ではないエジプトで、首相が「イスラム国(ISIL)がもたらす脅威を少しでも食い止めるため、イスラム国(ISIL)と闘う周辺各国に総額で2億ドル程度支援します」と演説したことだ。

首相が得意気に行った演説を待っていたように、イスラム国は人質2人を盾に安部首相と日本を脅迫し、最終的には後藤さんと湯川さんを虐殺した。言うまでもなくイスラム国は、その演説がなくても2人を殺害したかもしれない。だが名指しで非難されなかったなら彼らは、あるいは2人の命を奪わなかったかもしれないのだ。

本音と建前は外交・交渉の常識
イスラム国が日本人人質の動画を公開して脅迫を始める直前、同じくテロ組織に拘束されていたイタリア人の女性ボランティア2人が解放された。イタリア政府の公式の立場は、いつものように「身代金は払わない」「テロには屈しない」である。それは米英を除く欧米各国のスタンスと全く同じで、本音と建前を使い分けた宣言だ。

つまりイタリア政府は、2人の人質の解放と引き換えに1200万ドル(約14億円)をイスラム国に支払った、というのがほぼ「公然の秘密」なのだ。フランスとドイツを始めとする欧州各国も同様の動きをしている。それと同じことをしろとは言わないが、政府はそうした選択肢も含めたぎりぎりの外交・交渉を秘密裡に、真剣に、必死に行う義務がある。

2人の日本人の身代金として要求された2億ドルはいかにも高過ぎ、イスラム国が本気で身代金を求めたかどうかはっきりしない点もあることはある。しかし、安倍首相は「テロには屈しないし身代金も支払わない」という建前は崩すことなく、要求金額の値引き交渉を含むあらゆる手立てを使って、2人の人質を救う努力をするべきだったのだ。

その努力は、中東での切羽詰った状況の中だけではなく、湯川さんが拘束された昨年8月に始まり、後藤さんが拘束されて彼の家族に身代金(約10億円)の要求があった11月初めの時点で加速されるべきだった。政府は2人の拘束と身代金要求の事実も全て把握していたのだから。

そうやって中東訪問までの2ヶ月の間に、首相は、家族に要求された身代金を国が舞台裏で肩代わりして支払うか支払わないかの判断を含む、あらゆる救出法を真剣に模索して何らかの結論を得ておくべきだったのだ。彼はそれをしないいまま中東に行き、今度は2億ドルという途方もない額に跳ね上がった身代金を「公開」で要求される羽目に陥った。それら一連の動きからは次のようなことが見えてくる。

安倍首相は先ず「自己責任論」という無責任思考に捉われて初動を間違え、その誤謬を抱えたまま中東を訪問した。そこで軽率のそしりを免れない演説をした直後、イスラム国の脅迫に遭って仰天・動転しまくった。その証拠の一つが英国首相に向けて彼が「公言」した「身代金は支払わない」という余計な一言だ。そうやって本音と建前をしたたかに使い分ける外交能力の欠落がまたさらけ出され、遂には2人の邦人の殺害という最悪の事態がやってきた・・。

という推論は完全に的外れだろうか?


マタレッラ伊新大統領~反マフィア・反ベルルスコーニの旗手~


今年6月で90歳になるイタリア・ナポリターノ大統領が辞任したのを受けて、後継者を選ぶ大統領選が行われ、元国防相で憲法裁判所判事のセルジョ・マタレッラ氏が選ばれた。

国父とも慕われたナポリターノ大統領は、1期目7年の任期が終わろうとしていた2013年、政治混迷の中で議会に強く請われて2期目の大統領選に出馬し、当選した。

その時既に87歳だった同大統領は、政治混乱が収束した時点で辞任したいと明言し、議会も国民も納得した。絶大な人気を誇った老大統領は先日、約束通り任期途中で引退した。

マタレッラ新大統領は73歳。選挙では民主党所属のレンツィ首相の支持を受けて、国会議員と地方代表を合わせた総数1009票のうち665票を獲得した。予想以上の勝利は、反目するベルルスコーニ元首相のグループが切り崩されたからである。

マタレッラ大統領の誕生は、彼を強く支持したレンツィ首相の、初めての政治的な勝利と言っても過言ではない。なぜなら39歳という若さを売り物に政権を担ってきた同首相は、ここまでほとんど何の実績も残していないからである。

レンツィ首相は内部分裂の激しい民主党と、中道右派を含む連立与党の全てをマタレッラ支持で一つにまとめた。マッタレッラ氏は過去に何度もベルルスコーニ元首相と対立している。彼を支持することは即ち元首相への反目を意味する

元首相は脱税で有罪判決を受け、議員資格を失いながらも依然として政界に大きな影響力を行使している。レンツィ首相は、反ベルルスコーニ色の強いマタレッラ氏と組むことで元首相に打撃を与え、彼の影響力を削いだと考えられている。

マタレッラ新大統領は、イタリア・マフィアの本拠地シチリア島出身。彼の政治家人生は、そのマフィアとの関わり合いの中で始まり、決定付けられた。

マタレッラ家はシチリアのケネディ家とも称される名門政治家一族。父親のベルナルド・マタレッラは島の有力政治家であり、1950~60年代には閣僚も歴任した。また実兄のピエルサンティはシチリア州知事に登りつめた。

若き日のセルジョ・マタレッラは政治には興味がなく、学者としての道を歩んでいた。しかし1980年、大きな転機が訪れた。その2年前にシチリア州知事に選出されていた実兄のピエルサンティが、マフィアの襲撃を受けたのである。

州知事の兄はマフィアとの対決姿勢を鮮明にして活動していた。1980年1月6日、州知事が公顕祭(Epiphany :キリストの姿が公になったことを祝う祭り)のミサに出席するため家族と共に車に乗り込んだ時、マフィアの刺客が知事に向けて8発の銃弾を打ち込んだ。

たまたまその場に居合わせた弟のセルジョ・マタレッラは、救急車に乗り込んで虫の息の兄を膝に抱いたまま病院に向かった。兄の体とそれを掻き抱いている弟の体が鮮血にまみれ車中に血の海が広がった。

州知事は病院に着く前に死亡した。弟のセルジョはその日いっぱい、急報に接して次々に病院に駆けつける家族や友人知己の対応に追われた。そのときの彼の衣服は兄の血でぐっしょりと塗れたままだった。

その凄惨な経験がセルジョの人生を180度変えた。彼はマフィアの銃弾に倒れた兄の後を継いで政治家になる決断をした。心中にあるのはマフィアへの怒りと犯罪組織を合法的に殲滅するという決意だった。

寡黙で節度ある物腰が人々の尊敬を集めていた法学者セルジョ・マタレッラは、3年後に下院議員に初当選して政界入り。筋金入りの反マフィア政治家へと変貌 を遂げた。政治家になってからも彼の控えめな態度は変わらず、その慎重な物腰が逆に彼のしたたかさを際立たせる、とも評価される。

アンドレオッティ内閣で教育相を務めていた1990年、セルジョ・マタレッラはベルルスコーニ元首相所有の企業に大きく利すると見られた「メディア自由化法案」に猛烈に反対。抗議の為に教育相を辞任した。以来彼は反ベルルスコーニの旗手としての顔も持つことになった。

レンツィ首相はそのマタレッラ氏を担ぎ出すことで、反ベルルスコーニの旗印を鮮明にし、且つ勝利した。今後は首相と大統領が手を組んで改革を進めることになるだろう。そして恐らく彼らの行く手には、ベルルスコーニ元首相が常に立ちはだかることになる。

イタリア大統領は国会を解散し、総選挙を行い、首班指名をする権限がある。しかし政局が安定している場合、それらは儀礼的な役割に過ぎない。ところがそれ は政局が不安定化すると一転して強い権力になる。そしてイタリアは政治不安が頻繁に起こる国である。結果的に大統領は、重要な意味合いを持つ地位、というこ とになる。 

反マフィア、反ベルルスコーニのシンボルであるマタレッラ新大統領は、経験不足が露呈しつつある若きレンツィ首相の、起死回生に向けてのあるいは起爆剤 の役割を担う存在になるかもしれない。それは取りも直さず、2人がベルルスコーニ元首相の影響力を徹底排除する方向に動き出すことを意味している。


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