2015年05月

ミラノ万博が悩ましい


法廷で裁かれている被告人が、いきなり隠し持っていた拳銃を取り出して発砲し、弁護士や裁判官らを殺害するという、信じがたい事件がイタリアのミラノで起きたが、そこには少しの救いがあった。

犯人が金属探知機の備えられた通常の入り口を避けて、裁判官や弁護士や法廷職員が利用する金属探知機のない特別入り口に、偽造の身分証明証を示して侵入した、という事実があったからである。

ところが、事件の捜査が進むにつれて、当初の見解が誤りで犯人は金属探知機が設置された通常の入り口から侵入した可能性が出てきた。監視カメラの映像がそれらしい動きを捉えていた。

犯人が入り口を通ったとき金属探知機は警報音を発した。ところが警備員はそれを見逃した。犯人の直前に通った男にも警報音が鳴り、警備員はそのチェックに頭が一杯だった可能性があるのだという。

ミラノ裁判所は広大な建物で、荷物搬入用を含む合計6箇所の門口がある。人の出入りも多い。ゲート型探知機は犯人の次に通った男にも警報音を鳴らしたが、警備員は今度はきちんとチェックした。

忙しい動きの中で、拳銃を隠し持った犯人だけがたまたま検閲をすり抜けたということらしい。犯人が黙秘権を行使しているためビデオ映像で確認を取っているものの、画質が悪く捜査は難航している。

僕はそのニュースを知って、先日開幕したミラノ万博のセキュリティーを本気で心配し始めた。裁判所という重要な施設でさえ杜撰な警備システムがまかり通る街で、もしも過激派などの襲撃があった場合に対応できるのか、と気になるのである。

なにしろイタリアはこんな実話まで生み出してしまう国だ。以前にもそこかしこに書いたが、再びここにも記しておくことにする。

拳銃を上着のポケットに入れたまま忘れていた男が、ミラノの空港の金属探知機ゲートを何の問題もなく通過した。彼は飛行機に乗ってから拳銃に気づき、スチュワーデスにそれを預けようとした。

銃は合法的に取得、登録されたものだった。しかし、だからといって機内に持ちこんで良いというものではない。男の武器を見て乗客が騒いだ。

2001年の米同時多発テロ以降、イタリア中の空港はテロ対策で常時厳戒態勢下にある。すぐに手荷物検査の手抜きが糾弾され、安全対策本部のボスの首が飛んだ。これではテロの恐怖に対応できないという訳である。

それにも関わらずに再び発生した公共施設での警備の不始末。空港での出来事と瓜二つのミラノ裁判所の事件は、国や市など当局の警備システムが、ほとんど改善されていないことを示唆しているように見える。

イタリアではきちんと登録をすれば猟銃も拳銃も割と簡単に手に入る。昔から火器技術の発達した国だからごく自然だし、違和感もない。銃の有名ブランド「ベレッタ」もイタリアのものである。

ピストルを上着のポケットに入れてすっかり忘れてしまうような人間がいる事実が、イタリア社会における銃保有率の高さを物語っていると思うが、実はそれは欧米をはじめ世界では少しも珍しいものではない。

日本のように銃の保有を厳しく制限している国の方がむしろ珍しいくらいだ。狩猟の伝統と自衛権を重んじる哲学が銃の保持を許容している訳だが、戦乱や社会不安が人々を火器取得に走らせる国も世界には多い。

イタリアの銃保持率が普通程度に高いのは狩猟が盛んだからだ。同時に、アメリカほどではないにしろ、自衛の為に火器を所持する者はイタリアでも結構多い。その場合は猟銃よりも拳銃が一般的である。

ミラノ裁判所の銃撃犯も飛行機の男も、合法的に取得した拳銃を持っていた。またイタリアでは合法的なもの以外に、マフィア等の犯罪組織関連の不法な銃器保持も多いと見るのが妥当だろう。

それだけにこの国は、金属探知機などを備えた警備システムを誰よりも充実させて然るべきだが、ミラノ裁判所や空港での不祥事などを見る限り、とても自慢できる水準ではないように見える。

イタリアは米国で起こった同時多発テロ以来「イスラム国」やアルカイダなどの過激派組織から名指しでテロの脅迫を受け続けている。カ トリックの総本山・バチカンを擁し、重要な文化遺産も多いこの国は、宗教のみならず欧州文明も破壊したい、と渇望するイスラム過激派の格好の標的になっているのだ。

残虐非道な 「イスラム国」は、ローマを襲撃してバチカンを破壊する、とさえ公言している。彼らがその前にテロリストをミラノの万博会場に送り込む可能性がないとは言えない。万博会場の警備体制は厳しく、万全だとされている。必ず遺漏がないことを祈りたい。


フラメンコに会いたい



今年は6月も少しばたばたしそうなので、少し早めに地中海周遊へ。

地中海周遊あるいは漫遊のイメージは

1.イタリアを基点にアドリア海の東岸を南下する。

2.バルカン半島の国々を巡り、ギリシャ、トルコに遊ぶ

3.シリアやイスラエルなどの中東各国を訪ねる。

4.エジプトからアフリカ北岸を巡覧する。

5スペイン、ポルトガル、フランスなどをぐるりと踏破する 。

というようなもの。

それは気ままに旅をする、ま、漫遊のつもりである。

漫遊よりも少し気取って周遊とも呼んだり。

今回はスペインのアンダルシアを回る。

だからタイトルは「フラメンコに会いたい」。

スペインがアラブ支配下にあった時代の痕跡にも大いに興味がある。

書きそびれていることが例によってたくさんある。この旅でまた書けなくなりそうだ。

一応書きかけや投稿済み分をusbスティックで持ち歩くことにする。

旅先で書き上げたり加筆再録して公のブログ論壇に投稿するかもしれない。

考えを巡らせているのは、銃の重さ、イスラム教と過激派、生と性と死、辺野古、安全保障と日本と沖縄、言論の不自由、オッパイ主義、イワシの頭、・・etc、etc・・

またブログについても。

個人ブログと公の論壇の違い、齟齬、また同一性。ひっかかり。

アンダルシアについては、旅行後に書く計画。

FBに投稿するのは、僕の場合ブログと同じエネルギーを要することが分かってきたので、ブログのみにするつもり。

ブログ更新の自動告知のみで、あとは皆さんの投稿を時々覗く。

てなわけで、9月ではなく6月に会いましょう


地中海難民という「臭い物」にフタをしたいEUの人道主義また排外主義について



続く悲劇

アフリカ難民を満載した密航船が地中海で転覆し、800人以上の死者が出た事故にあわてたEU(欧州連合)は、先月23日に緊急首脳会議を開いて、イタリ ア沖でEUが実施している難民や移民の捜索、救援活動の予算を3倍に増額して年間約1億ユーロ(約130億円)にすると決めた。

地中海には貧困や圧政を逃れてヨーロッパに移住しようとするアラブ人やアフリカ人が押し寄せる。彼らが目指すのは主にイタリアである。アフリカに近いイタ リア最南端のランペドゥーサ島には、そうした難民が恒常的に流れ着く。今年は4月までに既に2万5千人以上人が上陸した。

また2002年から昨年2014年までの間に、イタリアに漂着した地中海難民は合計約46万人。これらの難民の全てがイタリアに留まるのではないが、 彼らの救助と保護、また行き先が決まるまでの間の全ての面倒を見るイタリアの財政的負担は大きく、月々平均7億円弱が費やされてきた。

EUの偽善とイタリアの良心

イタリアはそうした現実に悲鳴を上げたり怒ったり罵倒したりしながらも、海に溢れる難民にせっせと救助の手を差し伸べてきた。できれば難民を見たくないEUはそんなイタリアに苛立って、あの手この手で同国に難民の排斥を促してきた。

EUの難民対策の基本は、逃亡者が不法にEU領域に入ってこないよう国境を防衛すること。そのために同領域に不法に入ってくる者は保護されるべき難民ではなく、難民認定希望の不法入国者と見なされる。EUは漂流している難民を漁師らが勝手に救助することも禁じてきた。

そのために難民ボートがいてもすぐには救助活動に結びつかず、遭難などの悲劇が多発する。EUは海軍も出動するイタリア政府の救護活動にも難色を示し続け た。イタリアは2014年、EUの圧力に抗し切れずに同国海軍による救助活動の縮小を決断した。これが公海でのさらなる死者数の増加につながっていった。

アフリカとイタリアのランペドゥーサ島は距離的には確かに近い。だがその間に広がる海は決して穏やかではない。老朽船や小型船にすし詰めに詰め られて海を渡ろうとする難民は、頻繁に嵐や事故に遭遇して危険にさらされ、多くが命を落とす。800人以上の犠牲者が出た先日の転覆事故もそんな出来事の 一つだった。

EUは本気で重い腰を上げるのか

イタリア近海で難民が死亡する事故は日常茶飯事。2013年10月にも難民500人以上を乗せた船が同じ海域で出火、転覆して300人余が死亡した。一度の事故としては過去最大の犠牲者数だったため、当時は日本を含む世界中のメディアで大きく取り上げられた。

世論の強い批判にさらされたEUは、そのときも抜本的な難民救済策を取る、と国際社会に向けて表明した。しかし、目立った進展はないままに時間が経過し、再び多くの難民が一度に死亡する事故が起きた。そのことに対するEU自体の反省もあって、難民対策の改善が今ようやく進みつつある。

予算を3倍にすると決めたEUの動きは遅きに失した感も否めない。しかし、地中海での難民の救助や保護に1人奮闘してきたイタリア国内には、それを大きな 前進と評価する向きもある。何しろイタリアとアフリカの間の海では毎年多くの難民が命を落としている。

死亡者数は積もり積もって、2000年から2014年 までの合計は分かっているだけでも2万2千人以上にのぼる。だが実際には少なくともその3倍の人数が命を落としている可能性もある。難民は密かに国を出て、密かに船に乗り、誰にも知られずに海の藻くずと消えることも多いからだ。

「アフリカの北朝鮮」の悲劇

イタリアに漂着する難民は、中東とサブサハラを含むアフリカの全体からやって来るが、その中でも特筆に価するのがエリトリア人である。エリトリアはかつて イタリア王国の植民地だったこともあるアフリカ北東部の小国。「アフリカの北朝鮮」とも呼べる軍事国家だが、北朝鮮にも勝るすさまじい圧政がはびこっている。

エリトリアでは独裁者イサイアス・アフェウェルキ が君臨して恐怖政治を行っている。完全な国民皆兵制が導入されていて男女を問わず国民の全員が兵役義務を負う。しかも兵役期間は無期限で あり、軍隊の任務以外にも「ナショナルサービス」と呼ばれる勤労奉仕活動に従事させられる。それはつまり事実上の強制労働である。

圧政から逃れようとしてエリトリアからは毎月2000人以上の国民が逃亡している。そのうちの多くがリビア経由でイタリアに漂着するが、エリトリア人難民 の何割かは地中海で命を落とすのが常態になってしまっている。800人以上が犠牲になった先日の事故でも、そのうちの350人がエリトリア人だった。

横行する密航業者

イタリアに漂着する難民密航船はチュニジア発を除けば、最近はほとんどがリビアからやって来る。それはカダフィ政権時代からの慣わしでもあるが、現在はさらに状況が悪化している。カダフィ独裁政権が倒れた後、リビアは内戦状態に陥った。最近その隙を突いて過激派「イスラム国」が侵入し勢力を拡大させたために、リビアの政情不安はますます深まり混乱の極みに達している。

その混乱に乗じたのが難民を食い物にする人身売買組織とブローカーである。彼らは切羽詰った難民を中東やアフリカ全土から集めて密航船に乗せ、リビアの各 港からイタリアに向けて出発させるビジネスを行っている。それはカダフィ時代から存在する悪徳商売だが、リビアが無政府状態に陥った現在はさらに横行跋扈している。

その状況を見てイタリア政府の中にはリビアへの単独軍事介入を示唆する者さえ現れるようになった。リビアの各港を支配下において、難民を食い物にする人身売買のネットトワークやブローカーを破壊しようというのである。それは決して荒唐無稽な主張ではない。

イタリアは軍事面では世界的にほとんど目立たないが、それなりに無視できない軍事力を有する国である。それに加えてリビアはイタリアのかつての植民地だ。ある程度は勝手が分かる。その気になれば、リビアに侵攻して、イタリアに近い地中海沿岸の港を支配下に置くことは不可能ではない。その程度の軍事力は十二分にある。

課題は難民発生の元を断つこと

だが、それは現実的に難しいだろう。なぜならイタリアを含む西側諸国は近年中東に軍事介入をしてそのほとんどが失敗に終わっている。その上、中東諸国のみならず国際世論からもそのことを厳しく批判されてきた。欧米が「イスラム国」などの過激派に思い切った攻撃を仕掛けられないのも、そうした後ろ暗い過去があるからである。

欧米、特に欧州諸国が団結してリビアに軍事介入をすれば、人身売買まがいのビジネスにいそしむ密航ブローカーらを壊滅させ、且つ「イスラム国」などの過激 派を排してリビアに秩序をもたらすことができるかもしれない。その結果、地中海への難民の流入を止めることがあるいはできるかもしれない。しかしそれは対症療法的な効果しかもたらさない。問題の元を絶つ原因療法にはなり得ないのである。

リビアをどうにかするだけでは地中海の難民問題は何も解決しないのだ。地中海難民が増加の一途をたどる背景には、前述したようにアラブの春の混乱や内戦、 宗教問題や国家間の対立や自然災害などなど、アフリカと中東に特有の多くの問題が絡みつき入り乱れて存在している。そこを根本的に正さない限り難民問題は 決して解決できない。

移民・難民嫌いの者は彼らを助けて目的を達成するべき


解決の第一歩はそれらの国々に政情安定と経済発展がもたらされることである。それは彼らの自己責任によって成されるべきことだ。しかしそれだけでは全く不十分だ。不可能と言ってもいいだろう。そこには先進国の支援がどうしても必要なのである。

日本を含む世界の先進国には移民や難民を嫌う保守系の人々が相当数いる。難民と移民の規定は厳密には違うが、排外主義に凝り固まったそれらの人々に取ってはどちらも同じようにしか見えない。ここイタリアを含む欧州にもまた日本にも多いそれらの排外主義者たちは、国境を固めて難民・移民の流入を防げ、と叫ぶことが多い。

それは愚かな主張である。なぜなら腹を空かせたそれらの人々は、いくら国境を閉鎖しても壁を乗り越え、金網を破って侵入するからだ。飢餓に襲われている者を排斥することはできない。彼らは生きるために文字通り「必死」で国境に殺到し、そこを突破する。

それ故に本気で彼らを阻止したいなら、彼らと彼らの国を支援して人々がそれぞれの国で平穏に生きていけるようにしなければならない。従って、難民や移民を遠ざけておきたい、と願う排外主義者こそ誰よりも率先して、その目的達成の為に「難民・移民支援」にまい進するべきである。


「飛び石連休」という貧困


このテーマでは 過去に何度か書いたのだけれど、ゴールデンウイークにからめて今年もやっぱり書いておくことにした。休むことは大切だと思うからだ。特に働き過ぎの日本人にとっては、なおさら。

ゴールデンウイーク前に日本の友人と電話で話をしたところ、今年は4月29日の「昭和の日」を休んで翌30日(木)と5月1日(金)は出勤し、5月2日(土)から5月6日までが連休という人が多いのではないか、という知らせだった。

しかし、土曜日が休みにならない会社もあるから、5月3日から6日の間だけが連休という勤め人もかなりいるだろう、という悲しい話も聞かせてくれた。

悲しいというのは、人生はできれば休みが多い方が心豊かに生きられる、と信じている僕の勝手な感想である。特に長めの休暇は大切だ。

人間は働くために生きているのではない。生きるために働くのである。

そして生きている限りは、人間らしい生き方をするべきであり、人間らしい生き方をするためには休暇は大いに必要なものである。

夏休みがほとんど無いか、あっても数日程度の多くの日本のサラリーマンの皆さんを見るたびに、僕はそういう思いをさらに強くする。

バカンス大国ここイタリアには、飛び石連休の「飛び石」という発想がない。飛び石は全て繋げて連休にしてしまうのだ。

例えば今年の日本のゴールデンウイークがもしもイタリアにあったとするならば、連休の初めの4月29日の後の同30日(木)と5月1日(金)も、間違いなく休みになるだろう。

つまり、4月29日から5月6日までが全て休み、が当たり前。また恐らく4月29日の前の2日間、27日(月)と28日(火)も休みになる公算が高い。その場合は4月25日(土)から5月6日(水)までがどんと連休になるだろう。

それどころか、5月6日(水)と5月9日(土)の間の2日間(木、金)もついでに休みにして、4月25日から5月10日までのほぼ2週間を全て休む、という者がいても少しも不思議ではない。

飛び石、つまり断続または単発という発想ではなく、逆に連続にしてしまうのがイタリア人の休みに対する考え方である。それは「ポンテ(ponte)」=橋、または連繋と呼ばれる。休日を切り離すのではなく、つなげてしまうのである。

連休というぐらいだからもちろん日本にもその考え方はあるわけだが、その徹底振りが日本とイタリアでは大いに違う。勤勉な日本社会がまだまだ休暇に罪悪感を抱いてるらしいことは、今年の場合で言えば4月30日と5月1日の2日が休みにならなかった事実で分かるように思う。

いつも言うことだが、イタリア人は何かのきっかけや理由を見つけては「なんとしても休む」ことを願っている。休みという喜びを見出すことに大いなる生き甲斐を感じている。

そんな態度を「怠け者」と言下に切り捨てて悦に入っている日本人がたまにいる。が、彼らはイタリア的な磊落が孕む豊潤が理解できないのである。あるいは生活の質と量を履き違えているだけの心の貧者なのである。

休みを希求するのは人生を楽しむ達人たちの行動規範であり「人間賛歌」の表出である。それは、ただ働きずくめに働いているだけの日々の中では見えてこない。休暇が人の心身、特に「心」にもたらす重大は、休暇を取ることによってのみ真に理解できるように思う。
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