2015年08月

安倍首相への公開状~謝罪は屈辱の対義語である~



安倍晋三総理大臣

先日発表された戦後70年談話は、各方面への配慮がうかがえる周到な計算に満ちたものでした。それはあなたの当初の思惑とは違う、先鋭且つ挑発的なものではなく、全体として見れば各国が外交上は余り文句を言えない常識的な内容になっています。ひっかかるのは、謝罪が間接的な表現になったことと、未来の日本人は謝罪を続ける必要はない、としたところでしょう。そこにはあなたの本心がてんこ盛りになっていて、中韓との真の和解がまた遠のいたことを知らせてくれます。中韓との和解が完成しない限り、世界との「真の和解」もあり得ません。

各国政府とメディアの反応

中韓は、「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「おわび」といういわゆる「4つのキーワード」がすべて入っているため不満ながらも強い批判をせず、アメリカに至っては談話を評価する姿勢さえ示しています。他の国々は静観という ふうですね。「私の謝罪」という形を避けたあなたの狡知な表現は、中韓でさえ表立って批判はできないものの、だからと言って彼らとの和解が進む形での談話内容でもなかったのは明らかです。

アメリカは、日韓両国の最大の友好国ながら、国益のためには冷徹な決断を下すことを少しもためらいません。近い将来日本を巻き込んで、少なくともアジア太 平洋地域で展開する米軍事費用の多くを負担させたい彼らは、それに向けてどうしても必要な日本の安保法案の成立を後押ししなければならない。だから談話にケチをつけてあなたの立場を弱くしたくない。かくて中韓、特に韓国の不満に寄り添うよりも、あなたの主張を「取り敢えず」は評価するというポーズを取りました。

米政府の見解とは対照的にアメリカのメディアは、ここ欧州のほとんどのメディアと足並みをそろえるように、あなたの談話内容に厳しい見方をしています。私はほぼそうしたメデァアの主張に賛同していますが、これは私が欧州に住んで「西洋かぶれ」になっているからではなく、歴史を直視したい1人の日本人としての立ち位置から眺めて、どうしてもそうなるのだ、ということを先ず強く主張させていただきます。

期待はずれ

私はあなたが談話を発表する前、あなたが世界をあっと言わせるような内容を開示してくれるかもしれない、と敢えて数字に示せば1%程度の確率で期待しました。それというのもあなたが、世論の反発と中韓米その他の国々の牽制発言に不安を覚えて、当初の独りよがりな声明内容から、侵略やお詫びや痛切な反省等々の言葉を盛り込んだものに変えるらしい、という憶測が流れていたからです。

私はあなたがそこからさらに大きく踏み出して、国内の右派も左派も中韓も、また他の世界の国々をも驚かせる内容の談話を発表する可能性が全くないとは言えない、と密かに思ったのです。それは基本的に村山談話を全面的に踏襲して、さらにあなたがあなた自身の強い言葉と表現で、心からの謝罪を改めてする、というものでした。 あり得ない? いえ、あり得ないように見えるからこそ、私は殊更にそう考えてみたのです。

世界から歴史修正主義者のレッテルを貼られているあなたが、180度転回して歴代のどの首相よりも深いお詫びをすることで、中韓を始めとする国々を驚かせ 納得させる、つまり最終的でトータルで完全な謝罪を完遂するかもしれない、と私は心の片隅で本気で期待しました。もしそうなればあなたが談話で言及した
「将来の日本人が最早謝る必要のない」環境がすぐさま作り出されていたことでしょう。

ドイツの謝罪と再生

それは私ひとりの中で生まれた根拠のない妄想ではなく、日本と似た戦争体験を持つドイツが、戦後あざやかに暗い過去を克服して行った歴史の歩みに鑑みて、『あるい は・・』と思いついたものでした。1970年、ドイツがまだ戦争犯罪の後遺症で苦しんでいた頃、当時のウイリー・ブラント首相はポーランドのゲットー英雄 記念碑の前で献花をしたあと、おもむろに大地に跪(ひざまず)いて黙祷し世界を驚かせました。それを政治家のポーズとして捉えることもできますが、彼は「そこに立っているだ けでは十分ではないと感じ自然に跪いた」と追って述懐しました。その後の歴史は、彼の行為が偽善ではなく勇気あるものだった、として讃えています。

彼の真摯な行為は最大の被害者だったユダヤ人やポーランド人を始め、世界中の人々の憤懣を氷解させました。しかし、ドイツ国内の保守派は首相の行為をやり 過ぎだ、屈辱行為だとして糾弾しました。彼らは、跪く行為が敗北であり屈服であるという、暴力や戦闘行為に関連付けた考え方をしたのでした。しかしな がらブラント首相の行動は、前述したように、屈服や屈辱の表明ではなく、ドイツが世界から許されて先の大戦の汚濁の中から立ち上がり、再び誇りと尊厳を取 り戻すきっかけを作ったのです。

ドイツの保守派が歴史の事実を受け入れて改心し生まれ変わるまでには、それからさらに時間が必要でした。ブラント首相の跪座から15年が経った1985 年、つまり第2次対戦の終結からちょうど40年後、当時のヴァイツゼッカー独大統領は、終戦記念の議会演説で「歴史を変えたり、なかったりすることはできない」「過去に目を閉ざす者は、現在に対しても盲目になる」という表現で、ドイツの戦争責任やホロコースト(ユダヤ人大虐殺)と率直に向き合うよう国民に求めて、世界を感動させました。

戦後40年の節目に行われたその講話で、さらに大統領は「非人間的な行為を記憶しようとしない者は再び同じ危険に陥る」「戦争が終わった5月8日は“敗戦の日”ではなく、ナチスの暴力支配からドイツ国民が自由になった“解放の日”である」とも断言しました。ブラント首相の謝罪をさらに推し進めた大統領の良心の叫びは、ついに国内の保守派の人々をも突き動かし、ドイツは歴史を真正面から見つめて揺らがない国へと変貌して行きました。ドイツの戦後はそこで終わり、未来へ向けての新しい歩みが始まったのです。

終わらない日本の戦後

ドイツのブラント首相の行為は、村山元首相の戦後総括談話になぞらえることができます(跪く機会もまたその必要もありませんでしたが)。私はあなたがもし かすると、ヴァイツゼッカー独大統領の役割を果たしてくれるのではないかと密かに期待したのです。そういう話の流れなら村山談話をほぼそのまま踏襲した 2005年の小泉談話がある、という人もいるでしょう。しかし、それでは物足りません。もっと劇的なインパクトのある談話でなくては、先の大戦の巨大な罪とその後の歴史認識の迷走を帳消しにして、日本を甦らせる力はありません。

現に小泉談話のあとも、韓国は解決済の事案を持ち出して日本を責め、中国も同じ動きを見せてきました。もっとも彼らの怒りは、徹底した謝罪をした筈の日本 政府内で、これを否定したり或いはないがしろにするネトウヨ閣僚や議員などが続出することから来ています。閣僚どころか日本のトップであるあなた自身が、 そのあたりのゴロツキのネトウヨよろしく「侵略の定義はない」「教義の強制性はなかった」などと、欺瞞を正当化するための瑣末を相変わらず口にするのです から、彼らの不信感が募るのも無理はありません。

それに加えてあなたは、中韓に限らず多くの国々が疑問を持つ靖国参拝を強行するなど、歴代内閣の「真摯な謝罪」を台無しにする行為を行ってきました(その 意味では小泉さんも同罪です)。それらは日本国内で歴史認識の筋道が未だ確立されず、故にその共有も全く存在しない現状を露呈するものにほかなりません。そのために中韓はもちろん国際世論の大半が、日本の反省と謝罪は無条件に信用できるものではない、と今もなお判断し続けています。

日中韓の兄弟DNA

あなたは、「私が謝るのではなく、歴代政権が謝ったことを認める」という言い回しで、中韓を敵視する排外民族主義者や極右政治家群や歴史修正主義者やネトウヨ 等々に仁義を切ったわけですが、そうすることであなた自身も中韓だけが視界に映る視野狭窄に陥っていることを白状しています。私はそこがいつも不思議でなりません。

先の大戦の総括に議論が及ぶ場合には、たとえ対象が中韓であっても、背後にその他の「世界の全て」が控え、監視していることを決して忘れてはなりません。そこで形成される国際世論は、前述のあなたの言い回し、つまり安手の建前論に誤魔化されるほど馬鹿ではありません。そういうやり方は世界的にはひと言で片付けられてお終いです。即ち「姑息」な論法と。

あなたの支持母体である民族主義者や反動右翼やネトウヨの皆さんは、世界から目を逸らしたまま日本という一軒家にこもって、壁に向かって常に怨嗟を叫び続けています。私が「引き籠りの暴力愛好家」と規定している彼らの視界に辛うじて入っている外の世界は、隣の、彼らにとっての「劣等国」の中韓のみです。

彼らは同類の者同士でつるんで、隣国の「劣等国民」を罵倒しては自己満足に浸ります。実はそれと同じことを、まさに中韓の一部の人々もやっています。あちらのネトウヨの皆さんです。反日をあおる中韓のそれらの人々と、日本のネトウヨ民族主義者の皆さんは、実は同じアジアのDNAで強く結ばれた血縁の濃い兄弟です。心が狭く、未開で、無知で、ネチネチと細部にこだわり、怒りっぽい。

中韓のネトウヨの皆さんが怨みつらみに絡めとられて、こめかみの血管を膨らませて日本を罵倒すれば、日本のネトウヨの皆さんは、南京虐殺の被害者数を執拗に問題にし、慰安婦に軍が関わったことを示す証拠はないと重箱の隅をほじくっては得意になり、果ては侵略の定義はない、などとかつての日本軍の蛮行をなんとか否定しようと試みる。瑣末にこだわる粘着質のそうした性根は日中韓で共通しています。

和解こそ未来志向の原点

戦後処理と和解には1-法的処理、2-謝罪、3-和解の3段階があるとされます。そのプロセスは加害者側が真摯に誠実にこれを執行するときにのみ完遂します。例えば韓国との間の法的処理は、1965年の日韓基本条約等で既に完成しています。それを無視した言い分には冷静に対応し、なお埒が開かない場合には、事案を国際法廷に持ち込む可能性も考えつつ、しかし飽くまでも和解を目指している間柄ですから剣呑な動きは最終手段にして、そこでもできる限り話し合いによる解決を模索して行くべきです。

ネトウヨ民族主義者の皆さんは、何度謝罪すればいいのだ、とすぐに目を剥いて蛮声を挙げます。その答えは単純です。つまり、和解が成立するまでは何度でも謝るのです。あるいはそのつもりで相手と対するのです。こちらに真心があるなら謝罪は必ず受け入れられます。確かに中韓共に日本に対して頑なに過ぎて、和解は遠いと見えることもあります。だが、日本はつい最近まで中韓とも完全和解に向けた歩みを続けていました。

それを停滞させたのは、日本側の事情に限って言えば、安倍首相、あなた自身の言動です。今からでも遅くありません。あなたが真に歴史に名を刻みたいなら、あなたの支持母体である多くの保守派やネトウヨの皆さんなどの反発を覚悟で、これまでの政策を一度方向転換し、アジアの隣国との真の和解を最優先事項にするべきです。その上で、憲法改正を含むあなた本来の政策を真正面から推し進めれば、あなたは先の大戦の亡霊のしがらみから遂に日本国民を解き放した名宰相として、必ず歴史に名を残すことでしょう。

敬具

イタリア・シエナの広場を疾駆する美しき裸馬たち


イタリア中部の街シエナは、フィレンツェから50キロほど南にある中世の美しい街である。そこでは毎年夏、パリオという名の競馬が行なわれる。街を構成する「コントラーダ」と呼ばれる17の町内会のうち、くじ引き等で選ばれた10の町内会の馬が競い合う。毎年7月と8月の2回行われ、明日8月16日が今年最後のパリオの日である。

パリオはただの競馬ではない。街の中心にある石畳のカンポ広場を馬場にして、10頭の裸馬が全速力で駆け抜けるすさまじい競技である。なぜすさまじいのかというと、レースが行なわれるカンポ広場が本来競馬などとはまったく関係のない、人間が人間のためだけに創造した、都市空間の最高傑作と言っても良い場所だからである。

カ ンポ広場は、イタリアでも1、2を争う美観を持つとたたえられている。1000年近い歴史を持つその広場は、都市国家として繁栄したシエナの歴史と文化の 象徴として、常にもてはやされてきた。シエナが独立国家としての使命を終えて以降は、イタリア共和国を代表する文化遺産の一つとしてますます高い評価 を受けるようになった。
 
パ リオで走る10頭の荒馬は、カンポ広場の平穏と洗練を蹂躙しようとでもするかのように狂奔する。狂奔して広場の急カーブを曲がり 切れずに壁に激突したり、狭いコースからはじき出されて広場の石柱に叩きつけられたり、混雑の中でぶつかり合って転倒したりする。負傷したり時には死ぬ馬も出る。

カンポ広場を3周するパリオの所要時間は、1分10秒からせいぜい1分20秒程度。熾烈で劇的でエキサイティングな勝負が展開される。が、それにも増して激烈なのが、このイベントにかけるシエナの人々の情熱とエネルギーである。それぞれが4日間つづく7月と8月のパリオの期間中、人々は文字通り寝食を忘れて祭りに没頭する。

シエナで広場を疾駆する現在の形のパリオが始まったのは1644年である。しかしその起源はもっと古く、牛を使ったパリオや直線コースの道路を走るパリオなどが、13世紀の半ば頃から行なわれていたとされる。もっと古いという説もある。

パリオでは優勝することだけが名誉である。2位以下は全く何の意味も持たず一様に「敗退」として片づけられる。従ってパリオに出場する10の町内会「コントラーダ」は、ひたすら優勝を目指して戦う・・・と言いたいところだが、実は違う。

それぞれの町内会「コントラーダ」にはかならず天敵とも言うべき相手があって、各「コントラーダ」はその天敵の勝ちをはばむために、自らが優勝するのに使うエネルギー以上のものを注ぎこむ。

天敵のコントラーダ同志の争いや憎しみ合いや駆け引きの様子は、部外者にはほとんど理解ができないほどに直截で露骨で、かつ真摯そのものである。天敵同志のこの徹底した憎しみ合いが、シエナのパリオを面白くする最も大きな要因になっている。

パリ オの期間中のシエナは、敵対するコントラーダ同志の誹謗中傷合戦はもとより、殴り合いのケンカまで起こる。毎年7月と8月の2回、それぞれ4日間に渡って人々はお互いにそうすることを許し合っている。そこで日頃の欲求不満や怒りを爆発させるからなのだろう、シエナはイタリアで最も犯罪の少ない街とさえ言われている。

長い歴史を持つパリオは、現在存続の危機にさらされている。2011年7月のパリオに出走した馬の1頭が、広場の壁に激突して死んだ。動物愛護者や緑の党の支持者などがこれに噛み付いた。実 はそのこと自体は今に始まったことではなく、パリオを動物虐待だとして糾弾する人々はかなり以前からいた。

2011年の場合は事情が違った。当時ベルルスコーニ内閣の観光大臣だったミケーラ・ブランビッラ女史が、声を張り上げて反パリオ運動を主導したのである。動物愛護家で菜食主義者の大臣は、かねてからシエナのパリオを敵視してきた。事故を機に彼女はパリオの廃止を強く主張し、その流れは今も続いている。

僕はかつてこのパリオを題材に一時間半に及ぶ長丁場のドキュメンタリーを制作したことがある。6~7年にも渡るリサーチ準備期間と、半年近い撮影期間を費やした。幸い番組はうまく行った。僕は今もパリオに関心を持ち続け、番組終了後の通例で、撮影をはじめとする全ての制作期間中に出会ったシエナの人々とも連絡を取り合う。その経験から言いたいことがある。

パリオで出走馬が負傷したり、時には死んだりする事故が起こるのは事実である。だがシエナの人々を動物虐待者と呼ぶのは当たらないのではないかと思う。なぜなら馬のケガや死を誰よりも悼(いた)んで泣くのは、まさにシエナの民衆にほかならないからである。街の人々は馬を深く愛し、親しみ、苦楽を共にして何世紀にも渡って祭りを盛り上げてきた。

彼らは馬を守る努力も絶えず続けている。石畳の広場という危険な馬場に適合した馬だけを選出し、獣医の厳しい監視を導入し、馬場の急カーブにマットレスを敷き詰め、最終的には激しい走りをするサラブレッドをパリオの出走馬から外すなど、など。それでも残念ながら事故は絶えない。

しかし、だからと言って歴史遺産以外のなにものでもない伝統の祭りを、馬の事故死という表面事象だけを見て葬り去ろうするのは、あまりにも独善的に過ぎるのではないか。今日も世界中の競馬場で馬はケガをし、死ぬこともある。それも全て動物虐待なのだろうか?

最後に不思議なことに、ブランビッラ元大臣を含むパリオの動物虐待を指摘する人々は、馬に乗る騎手の命の危険性については一切言及しない。また僕が知る限り、元大臣を含む多くの反パリオ活動家の皆さんは、パリオ開催中のシエナの街に入ったことがない。つまり彼らは、パリオについては、馬の事故死以外は何も知らないように見える。

安倍首相の戦後70年談話に期待する



14日に発表される予定の安倍首相の戦後70年談話は、当初の独りよがりで勇ましい内容のものから、侵略やおわびや反省という言葉を盛り込んだ内容になるのではないか、と推測されている。そうした言葉を入れるのは、戦争を防ぐ備えを造営していく心構えの一環として当たり前だと思う。またそれは唯我独尊思考をゴリ押しして、世界の顰蹙を買うよりもましなものだが、世論に押されて言葉を変えるだけの嘘ではないことを祈りたい。

安倍首相は、米国務省の東アジア統括国務次官補ラッセル氏が7月21日、
「日本が過去70年間に渡って、地域の平和や国際秩序、世界の経済や文化に貢献してきたりっぱな業績についても談話に盛り込んで欲しい」という言葉などにも意を強くして、過去への反省やおわびを軽視、あるいは無視したミーイズム盛りだくさんの談話を考えていた節がある。

だが国務次官補のラッセル氏は同じ文脈の中でまた、「戦後70年談話には
“侵略”や“おわび”に言及した 過去の首相のように、第2次世界大戦に対する日本政府や国民の思いと、それを実践してきた反省の気持ちが盛り込まれるべきだ」とも語っていたのだ。安倍首相はその部分を黙殺しようとしたのだろうか。もしそうならば、再び「姑息」と批判されても仕方がない。

安倍首相の戦後70年談話を巡っては、有識者会議が8月5日の報告書で“侵略”を明記し、8月10日に政権幹部が“おわび”に言及すると漏らすと、稲田朋美政調会長は逆に “おわび”はいらないとの考えを示した。続いて公明党の山口那津男代表が記者 会見で“侵略”や“おわび”の文言を盛り込んだ 歴代談話を踏襲するべきと再び釘を刺すなど、歴史認識がガタガタにぶれまくる国の醜態をさらし続けている。

安倍首相の戦後70年談話は、いうまでもなく村山政権の戦後50年、および小泉政権の戦後60年談話に続くものだが、そこの内容を踏まえるのは当然として、僕は今年1月に亡くなったドイツのヴァイツゼッカー元大統領の、戦後40年談話とも比較して見ていこうと考えている。

ドイツの良心という異名も持つヴァイツゼッカー元大統領は、数々の名演説で知られている。特に有名なのは「歴史を変えたり、なかったりすることはできない」「過去に目を閉ざす者は、現在に対しても盲目になる」という表現で、ドイツの戦争責任やホロコースト(ユダヤ人大虐殺)と率直に向き合うよう国民に求めた、1985年5月8日の議会演説である。

戦後40年の節目に行われたその講話で、さらに元大統領は「非人間的な行為を記憶しようとしない者は再び同じ危険に陥る」「戦争が終わった5月8日は“敗戦の日”ではなく、ナチスの暴力支配からドイツ国民が自由になった“解放の日”である」とも断言した。僕はそれにちなんで、8月15日は“日本の敗戦の日”ではなく、軍国主義の暴力支配から日本国民が自由になった“解放の日”である、と言いたい。

戦後のドイツは、過去の清算と反省なしに国際社会への復帰はできず、近隣諸国との和解も遠かった。元大統領の熱い訴えがドイツ国民の良心を呼び覚まし、過去を直視して揺らがない道筋がつくられると同時に、世界中が感銘を受けてドイツを許した。そうやって戦後ドイツは、国際社会の信頼を回復し今日に至っている。

元大統領の戦後40年講話が極めて重要なのは、良く指摘されるように、「彼が誰も気づいていないことを言ったからではない。敗戦から40年が経ったその時点のドイツにおいてさえ、なお多くの国民が知りたくないと思っていたこと、だが国民が必ず知らなければならないまさに“そのこと”を語った」からである。

ドイツと似た過去を持つ日本。間もなく発表される安倍首相による戦後70年の談話。中身がやはり気になる。安倍首相は地元の山口県で12日、「日本はこの70年間、先の大戦に対する深い反省のもと平和を守り、アジアの繁栄のために力を尽くしてきた。平和国家としての日本の歩みは今後も変わらない」と強調し「日本は今後も勝ち得た信頼のもとに世界に貢献していかねばな らない」とも述べたという。

ところが安倍首相は、数々の極右的言動によって「日本が勝ち得た世界の信頼」を多く揺るがしてきた張本人でもある。また失礼ながら安倍さんとワイツゼッカーさんでは人間の器も違う。その結果、歴史認識まで違う。それでも、戦後40年でドイツ社会を一変させたワイツゼッカーさんにあやかって、安倍さんが日本国民と近隣諸国と世界を感銘させる立派な談話を発表し、国際社会から「歴史修正主義者」と規定されている自らの不徳を一蹴するよう腹から期待したい。


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