2015年10月

弾丸帰国とロシアも航空券もバカヤロー、みたいな顛末記



「弾丸」という形容が当てはまるかどうか知らないが、仕事で突然帰国。ミラノexpo 巡りとウイーン訪問をドタキャンしての旅だった。伊日の往復時間を差っぴくと日本滞在はおよそ3日半ほど。

長い外国生活でも初めての出来事だった。仕事で帰国すると、無理にでも時間を作って故郷の南の島まで足を伸ばすのが僕の習わしである。

島が無理な場合でも、仕事の前後に多めに時間を割いて東京や京都などに遊ぶ。そうしていなければ、やがて自分が完全に西洋かぶれになるかも、という密かな恐れが常にある。今回はそんな動きも無し。

急ぎ旅のせいもあって今般は幾つものおどろきの体験をした。一つは常宿にしている渋谷のホテルにまったく空きが無かったこと。中国人を中心とするアジア人観光客で満杯なのだという。

109ホテル窓より 50%
常宿の窓から見る渋谷109ビル

二つのクレーンの向こうの小さな109 30%
今回のホテル方面から遠くに望む109ビル

その大きなホテルではこれまでも満室ということはあった。しかし、仕事で長年使っていることもあって、必ずなんとかしてくれた。通常ホテルには予備の部屋というのがあるものなのだ。

50%スクランブル交差点大ロング50%のさらに
常宿から見下ろすスクランブル交差点

渋谷駅移設工事中ー電車込み30%
今回宿からスクランブル交差点に向かう途中の絵

それが今回に限ってはまったく無理だった。聞くと、東京では観光客の増加で全体的に宿泊客室の足りない状況が続いているとのこと。どこかで耳にしていた情報を追認された形で納得。が、そんな体たらくでは観光立国どころか、5年後のオリンピックもおぼつかないのではないか、と大きな疑問も抱く。

10月28日、イタリア戻りの日。成田空港のアリタリア搭乗受け付けカウンターでチェックインの際、航空券の日付がなんと1ヶ月後の11月28日になっている、つまり今日の予約は入っていないと判明。パニックに。

慌しさのあまり、10月が11月になっているのに気づかなった。それは僕のミスだが、発券した旅行代理店の大いなるミスでもある。単なるミスでは済まされないほどの大失態だろう。

しかし航空券を購入したイタリアの旅行代理店に連絡をしたくても、向こうは午前3~4時頃なので無理。困ったことにその日はミラノ便がない。なので、連絡がついてもコマッタ状況は変わらなかったが。。。

すったもんだの末、なんとかローマ便に押し込んでもらう。ミラノへ直行のはずが、成田→ローマ→ミラノの長旅に。疲れるぜ・・と思った。すると、もっと疲れることが待ち受けていた。

ローマ行きのアリタリア便にシベリア上空(ロシア上空)を通過する許可が下りず、同便はロシアの南を通って欧州に至るルートを飛ぶことに。

日本と欧州間の飛行ルートは、これまでにほぼ丸1日もかけて飛ぶ南回り、旧ソ連上空を避けた北極圏ルート、さらにアラスカ経由ルートなどがあった。

その後、ソ連が崩壊してシベリア横断ルートが開拓された。ロシアは、各国の航空機がシベリア上空を飛んでも自国の軍事的な脅威にはならない、と判断したのだ。

現在では日本と欧州を結ぶ航空便のルートは、最短距離であるシベリア上空をえんえんと飛ぶ形が主流になっている。今回はそのルートが取れなくなった。
にだ。なのだ!

イタリアを含む欧州とロシアは、今なにかといがみ合っているから、少しの手違いで許可の降りるのが遅れたのだろうか。それとも軍事がらみか。

あるいはロシアのプーチン大統領が、彼の悪事トモダチであるベルルスコーニ元首相を敵視するイタリア現政権への嫌がらせのつもりで、飛行許可を見送ったのか?などと考えを巡らせる。

しかし、そんなジョークまじりの自分の気持ちは、飛行時間がなんと15時間にも及ぶと知って萎(な)える。通常の欧州便は成田から新潟上空を経てハバロフスク、その後シベリアを横断して飛ぶ。

その場合のミラノまでの所要時間は11時間から長くても12時間。15時間は疲れる長旅がさらに長くなるということだ。しかもその後にローマで乗り換えて、再びミラノまで飛ばなければならない。

うんざりした。が、これも貴重な体験だ、と思い直して飛行データを映し出すモニターに目を凝らした。僕は空の旅では離陸から着陸まで刻々と変わる飛行データを見るのがいつも好きだ。

定刻から30分遅れで成田を飛び立ったアリタリア0785便は、日本上空を南下して九州から韓国をかすめて北京方向へ。15時間分もの燃料を積んでいるせいか、重くて速度も遅い感じ。

北京近くを通って、普通の地図で見る西方向へ真っ直ぐに飛び、中国を抜けてカスピ海へ。そこを横切って今度は黒海へ! 不思議な航程。新鮮な気分。モニターから目が離せない。

大雑把な画面地図上には、北にモスクワ、またニジニ・ノヴゴロドという殺風景な名前に変更された「ゴーリキー」市の表示。南にはテヘランやバグダッドの表示も。

テルアビブの文字まで見えた。そこでちょうど同席していたイスラエル人夫婦に
「ローマなんかに回らずにこのあたりでパラシュートで降りたほうが楽ですね」と語りかけると大笑いしていた。

詳細が分かる拡大地図で見ると、イスタンブールのすぐ上をかすめて飛んで、やや北上しながらバルカン半島を横切ってローマへ、というのが正確なルートらしいと理解できる。

途中にロシアのソチやクリミア半島なども見えて、少し心が波立つ。オランダ発のマレーシア航空機が、その近くでロシア軍関連と見られるミサイルで撃墜されたのはつい最近のことだ。

飛行機はそのあたりで少し加速を始めた。向かい風が弱まったのと、燃料を多く消費して機体が軽くなったのが原因だろう、と勝手に想像する。が、あるいはパイロットも、ふとミサイル撃墜を思い出してアクセルを強く踏み込んだのかも。

幸い何事もなくアドリア海上空を横切ってローマ着。だがシベリア横断ルート時間に合わせて予約されていたミラノへの乗り継ぎ便は既になく、1時間遅れの便に乗る。

あいにく北部イタリアは悪天候に見舞われていて、ミラノ着陸時の飛行機は大揺れに揺れた。無事に着陸。結局わが家に着いたのは午前2時過ぎ。3日前までの夏時間なら午前3時過ぎ。

やれやれ・・・

「イタリア上院改革」で政治が変わってもイタリア人は変わらない 



財政危機に端を発した深刻な不況に苦しんでいたイタリア経済は、今年初め頃からゆるやかに回復を始めた。過去最悪の13.4%まで高まった失業率は現在は11.9%まで持ち直している。またIMFはイタリア経済が予想よりも早く好景気に入りつつあると具体的な数字で示した。

そんな折の10月初め、イタリア上院が自らの議員の定数を315から100に減らす改革案を承認した。イタリア議会は上下2院制を敷いているが、上院と下 院が同じ権限を持つと同時に選挙制度が違うため、政府与党が過半数を維持するのが難しい。この制度はファシズムの台頭を抑えるために戦後導入された。

上院はしばしば改革を骨抜きにしたり、法案をブロックしたり、挙句には政権を転覆させたりもする。イタリアの内閣は戦後これまでに63回も組閣されたが、上院が政権をたやすく引き摺り下ろせる権限を持つために、そうした政治混乱が頻繫に起こってきたのである。

1983年以降イタリアの歴代政権は上院改革を試みてきた。が、自己保身に走る上院によってことごとく阻止された。欧州で政権が両院の信任を受けなければ ならないシステムを持つ国は、元共産主義国のルーマニアを除けばイタリア1国のみである。今回の改革案は下院に送られ、再び上院に戻されて審議された後に 国民投票にかけられる。

改革は道半ばのように見えるが、障害であり続けた上院が承認したことで、来年半ば頃には確実に成立すると見られている。イタリア政局の足枷であり続けた上 院の改革が完成すれば、若きレンツィ首相は1月の大統領選挙に続いて、歴史的と形容してもいい大きな政治的勝利を収めることになる。

レンツィ首相の政敵である五つ星運動と右翼の北部同盟は、上院改革が野心的な首相をより強権的存在に作り変えるとし、同じくレンツィ政権と対立するフォル ツァ・イタリア党のベルルスコーニ元首相は、上院改革によってレンツィ首相は独裁権力を持つ危険な存在になると批判している。

それらは批判のための批判に過ぎない。上院改革は、上院議員以外の全てのイタリア人が望んでいるとさえ言われてきた。それはつまり、彼ら批判者も含めたイ タリア政界と国民の全ての願い、ということである。今回の改革によって「変われば変わるほど全てが同じ」と皮肉好きの国民が嘆いてきた、イタリアの政治は 確実に変わるだろう。

しかし、政治が変わり政権が安定することになっても、時にはカオスにさえ見えるイタリアの国のあり方と、それを支える国民の心は変わらないだろう。この国では、議会でも一般社会でも、一つの事案に対する意見や議論が百出して収拾がつかなくなることが多い。それは「違い」や「多様性」を何よりも愛し、重視す る国民によって生み出される。

イタリアが統一国家となったのは約150年前のことに過ぎない。それまでは海にへだてられた島嶼州は言 うまでもなく、半島の各地域が細かく分断されて、それぞれが共和国や公国や王国や自由都市などの独立国家として勝手に存在を主張していた。現在の統一国家 イタリア共和国は、それらの旧独立小国家群を内包して一つの国を作っている。

それは国家の中に多様な地域が存在するということではない。何よりもまず地域の多様性が尊重され優先され賞賛された後に、そのことを追認する形で国家が存 在する、とでも説明されるべき様態である。少なくとも国民それぞれの心中には、統一国家イタリア共和国に先立って自らの住むかつての独立都市国家が存在 し、その伝統や精神が彼のルーツを形作っているのである。

言葉を変えればイタリア国民は、統一国家の国民であると同時に、心的にはそれぞれがかつての 地方国家にも属する。現在の統一国家が強い中央集権体制に固執するのは、もしもそうしなければ、イタリア共和国が明日にでもバラバラに崩壊しかねない危険性を秘めているからである。

各地方が勝手に独立を唱えるような状況では、統一国家は当然まとまりに欠ける。イタリアの政権が絶えずくるくる変わったり、何事につけ国家としてのコンセ ンサスがとれなかったりするのは、上院と下院が同じ権限を持つ、という特殊な政治制度が直接の原因だが、その遠因には常に、独立自尊の心を持つ各地方が、我が道を行こうとして喧々諤々の主張を続ける現実もあるのである。

そして何よりも大切な点は、イタリア国民の大多数が、「国家としてのまとまりや強力な権力機構を持つことよりも、各地方が多様な行動様式 と独創的なアイデアを持つことの方がこの国にとってははるかに重要だ」と考えている事実である。言葉を変えれば、彼らは、「それぞれの意 見は一致しないし、また一致してはならない」という部分でみごとに意見が一致する。

それは多様化とグローバル化が急速に進んでいく世界の中にあって、非常に頼もしい態度であり良い国の在り方だと僕は思う。多様性こそイタリア共和国の真髄 である。その伝統が「上院改革」によって今日明日にもなくなるとは考えにくい。イタリアはカオスそのものにさえ見える「イタリア的秩序つまり多様性重視」 の国家だからこそイタリアなのである。それが無くなればそれはもはやイタリアとは呼べない。


書きそびれていることども:2015年10月14日

書こうと思いつつ優先順位が理由でまだ書けず、あるいは他の事案で忙しくて執筆そのものができずに後回しにしている時事ネタは多い。僕にとってはそれらは「書きそびれた」過去形のテーマではなく、現在進行形の事柄である。

過去形のトピックも現在進行形の話題もできれば将来どこかで掘り下げて言及したいと思う。その意味合いで例によってここに箇条書きにしておくことにした。

いつまでも死なない老人はいかに生きるべきか
敬老の日に老義母(ほぼ90歳)は「今の老人は誰も死なない。いつまでも死なない老人を敬うな」と発言して僕をう~むとうならせてくれた。老人問題は、日本とイタリアを含む先進国の全てが抱える、国の根幹にかかわる深刻な事案だ。同時にそれは哲学の問題でもある。

いつまでも死なない老人はいつまでセックスをするべきか
つい先日、イタリア、ナポリ近くのサレルノ県スカファーティで、84歳の女性が88歳の夫と離婚したいと表明した。その理由は夫とのセックスに不満だから、というものだった。もっと正確に言うと、セックスの回数が少な過ぎるという主張である。それってニュースにしなければならないほど奇妙なことなのだろうか。

沖縄県の翁長知事の国連スピーチの是非
彼はなぜ尋常ではない手段に出たのだろうか。そもそも彼の手法は本当に尋常ではないのだろうか。国連演説(2分間という短いものだが意義は大きい)に続いて、知事は辺野古の埋め立て承認取り消しも発表した。沖縄の基地問題は佳境に入った。僕は翁長知事を支持する。

欧州大陸から見るサッチャーの賜物
僕は2年前、サッチャー元英国首相の死に際し「イギリスはサッチャーの賜物」と題して、欧州とは距離を置く英国について書いた。EUの一員でありながら、難民問題で欧州とは違うスタンスを取る今の英国を「欧州大陸から眺めるサッチャーの賜物」という視点で分析。

大航海(時代)を呼んだ大西洋の風 
初夏に訪ねたスペイン・アンダルシアでは、セビリア、コルドバ、グラナダ等をじっくりと見て、太陽海岸で遊び、ジブラルタルを訪ねた後に大西洋沿岸に常時吹き付ける強風を体験した。

その風こそ、アトランティス伝説を生んだ、地中海と大西洋を劇的に隔てる荒海の暴風である。コロンブスはその風を捉えて猛る海に乗り出しアメリカにたどり着いた。大航海時代の先陣を切ったのが、さらに強い風の吹くポルトガルの勇者たちだったのは恐らく偶然ではない。

など。

など。


「アンダルシアの天ぷら」は「アンダルシアの犬」よりチョー面白い



2015年初夏、休暇兼リサーチ旅でスペイン、アンダルシアを訪ねた。そこを訪ねると決めたとき、僕はずい分久しぶりにルイス・ブニュエル監督の映画「アンダルシアの犬」を観てみた。

映画「アンダルシアの犬」は、女性の眼球を剃刀で切り裂くシーンを始めとする奇怪な映像の連続が世間を驚かせた、シュルレアリスムの傑作とされる作品である。その映画を初めて観たとき、僕も人並みにおどろいた記憶がある。

「アンダルシアの犬」は無名だったルイス・ブニュエルが、これまた無名だったサルバドール・ダリと組んで1928年に作った短編映画。タイトルは「アンダルシアの犬」だが、映画はアンダルシアの大地とも犬とも何の関係もない。

それでも強いてアンダルシアにこだわれば、映画が世に出た時、これを高く評価したピカソがアンダルシアのマラガ出身というくらいが関連付けられる。が、それよりもブニュエル、ダリ、ピカソの3人がスペイン人、という事実の方がまだ何らかの意味を持ちそうである。

アンダルシアとは関係のない映画を敢えて再び見ようと思ったのは、「アンダルシアの犬」といういつまでも色あせない魅惑的なタイトルに心引かれたからだ。同時に僕は、もし かすると映画には若い時には見落としていたアンダルシアに関する何かが隠されてはいないか、とも考えた。

結論を先に言うと、映画はアンダルシアとはやはり何の関係もなく、内容は最早少しもおどろきではなかった。どれもこれも既視感(デジャヴ)のあるもので、滑稽な印象に満ちていた。もっと正直に言えば奇をてらっただけのつまらない映像である。

既視感を持つのはもちろん僕が一度映画を観ているからである。また、同時にこれまでにシュレレアリスム映画であれ何であれ、似たような映像を多く目にしてきたからでもある。かつて映画学校で学んだこともある僕は、そういう映像に接する機会も少なくなかった。

そういうわけで、今の時点で観る「アンダルシアの犬」は僕にとっては、おどろきでもなく面白い映画でもない。ブニュエルの作品の中では、「アンダルシアの犬」のシュール性に比べた場合はごく普通の作品ともいえる、例えば「昼顔」などがよっぽど面白い。

シュルレアリスムあるいは前衛とは奇をてらうものである。あるいは想像の飛躍、またアナーキーなコンセプトの躍動などと言い換えることもできる。それらの「奇」にしなやかに応じ瞠目するのが若さである。おどろかなくなった僕は、ただ年を取り過ぎたということなのだろう。

アンダルシアはスペインの中でも長大な太陽海岸(コスタ・デル・ソル)を持つ大洋州である。海の幸が豊富な土地だ。そこではペスカイート・フリート と呼ばれる魚介料理が良く食べられる。

衣を薄くまぶしたワカサギ(チカ)、イワシ、ホタルイカ、イイダコ、イカリングなど、各種魚介をオリーブ油で揚げる一品。アツアツで提供され、安くてデリケートで美味い。

ペスカイート・フリートは日本の天ぷらの原型ではないかと言われている。中でも太陽海岸の西の外れ、カディス県のサンルーカル海岸あたりの魚介のフライは一級品。油を強く感じさせないあっさりした味付は、天ぷらの根源と呼ぶに相応しい。

奈良・平安時代の日本には米の粉などを衣にした土着の揚げ物料理が既に存在したという。そこにペスカイト・フリートに代表される西洋風揚げ物、つまり西洋天ぷらが渡来した。室町時代末期のこととされる。

天ぷらの語源はポルトガル語で「調理」を意味する「tempero・テンペロ」、あるいはスペイン語で「天上の日(魚肉の揚げ物を食べる日)」を意味する 「templo・テンプロ」など、諸説がある。

言葉が伝来したとき料理法も日本に入った。あるいは従前から存在した日本土着の揚げ物料理に改良が加えられたのだろう。それでなければ何故わざわざ
「天ぷら」という外来語が定着したかの説明がつかない。むろん料理法が先に渡来し言葉がそれに続いた、と考えても事情は同じだ。

アンダルシア州は長い海岸線と共に、内陸には肥沃な大地も抱く。そこではオリーブに始まる豊かな農産物が生産されて、フランス、イタリアなどと並び称される食の文化を育んだ。だが食の国イタリアに住む僕にとっては、何と言ってもぺスカイート・フリートが圧巻に思えた。

イタリアの魚介料理にも揚げ物は多い。また食通の目が光る国だけに味も良い。だが使う油がオリーブ油でも他のオイルでも、出来上がりが必ずと言っていいほど油っこい。ペ スカイート・フリー トには西洋天ぷら独得のそんな油っこさがほとんどない。あっさりと繊細に仕上げられ絶妙な味がする。そう、まさに日本の天ぷらのような・・・

ラグビーもサッカーも「にわかファン」が支えている日本



前半はこの前のエントリーと重なるが、書き足しておくことにした。

2015年10月3日土曜日、僕は午後の時間のほとんどをラグビー・テレビ観戦に費やした。生まれてはじめての出来事である。

同日15時半(イタリア時間)、第8回ラグビー・ワールドカップ、日本VSサモア戦開始。日本は終始押し気味に試合を進めて26:5で勝利。

今回ワールドカップの2勝目。歴史的な勝利だという。初戦の南アフリカにも日本は歴史的勝利。とにかく「歴史的」という枕詞が多い日本の戦い。

ぼくはそれらの枕詞のたびに「へー、そうなんだ」とつぶやきつつテレビ観戦を続けた。ラグビーのことはなにしろまったく分からない。興味もなかった。

ボールを前にパスしないらしい、というルールは辛うじて知っていた。だが、それを横に出すのか、後ろに出すのかはもう分からなかった。

サモア戦が始まって十数分後には、テレビから離れて急いでPCに行きインターネットでラグビーのルールを調べるありさまだった。

そこで選手は1チーム15人、両チーム合わせて30人。パスは後方へ。トライは5点などの基本ルールを知った。

でもボールは前にパスしないことは分かったが、横(直線上)に出していいのかどうかは今も良く理解できない。

そんな状況なのに試合を面白く見た。

日本が頑張っているというインセンティブが先ずあったが、いずれもゴリ風の屈強な男たちがぶつかり合う様子は、それだけでもけっこう面白かった。

日本VSサモア戦が面白かったので、それに続く南アフリカVSスコットランド戦も観てしまった。日本が南アフリカを初戦で破ったことがニュースになった理由が分かった。南アフリカは強い。

翌日、日曜日はイングランドVSオーストラリア戦を録画で観た。イングランドは歴史的な一次リーグ敗退とのこと。ここでも歴史的、という言葉が躍る。

イングランドは色んなスポーツを発明したが、色んなスポーツであちこちの国の後塵を拝している。サッカーがその典型。ラグビーもそうなんだね。と今回はじめて分かった。

サッカーがめっぽう強いイタリアも、ラグビーでは世界ランクが日本よりも少し下。つまりめっぽう弱い。

でもやはりサッカーがめちゃ強いドイツやスペインが予選敗退なのに、本大会出場を果たしたのだから大したものだ。

イタリアは予選プールD。予選グループを「プール」と呼ぶことも今回はじめて知った。イタリアのプールにはフランス、アイルランドという強豪がいる。

日本が入っているBプールに、南アフリカやスコットランドという強敵がいるのと同じ絶望的状況。でも日本は南アフリカを蹴散らした。

同じ番狂わせを願うイタリアのメディアは、アイルランドは手ごわい。だがわれわれは挑戦する!みたいな勇ましいノリで事前報道をしていた。

結果は16:9でアイルランドの順当・貫禄勝ち。イタリアはここで消える。サッカーではブラジルやドイツと並んで世界をリードするイタリア。なのにラグビーチームは全く精彩がない。そこが面白い。

試合中イタリアの実況中継アナウンサーは、しばしば「日本を見習え!」「日本式で行け!」「日本のプレイを思い出せ!」などと叫んでいた。

突然ラグビー観戦中の僕は、アナウンサーの言う意味が良く分からない。それは多分、世界をおどろかせたという日本VS南アフリカ、またサモア戦での日本の戦い振りを言っているのだろう。

日本チームがW杯で旋風を巻き起こしていることはさすがに分かった。日本はイタリアのようなラグビー弱小国にも勇気を与えているのだ。それは素直に嬉しい。

生まれてはじめてラグビーの試合をテレビ観戦した僕は、そうやってすっかりラグビーのファンになった。そのことをブログ記事にしたらFacebookの友達や読者などから多くの反応があった。

元からのラグビーファンは僕の変節を喜び、その10倍ほどの人々が僕と同じ「にわかファン」で、僕と同じようにラグビーを楽しんだ、好きになった、と書いていた。

ラグビー人気がうなぎのぼりに高まっているのは、おそらく僕を含む「にわかファン」の存在だろう。それはサッカーなども同じだと感じる。

そこでのキーワードは「国際的な大会での日本の活躍」である。サッカーをこよなく愛し仕事としても付き合ってきた僕は、そこでの「にわかファン」をトーシロ、ミーハーなどと少し軽んじてきたところがある。

それは間違いだったと気づいた。自分が「にわかファン」のトーシロ・ミーハーになって分かったが、そして言うのもばかばかしいほど陳腐なことだが、誰でも最初はトーシロなのだ。

そのトーシロが魅了されたら本物のファンになって行く。ラグビーもサッカーも何でもそうだ。古いファンはめったなことでは離れて行かない。だが古いファンばかりではそのスポーツに発展はない。

スポーツを支えるのは、今後本物のファンになる可能性を秘めた「にわかファン」である。彼らの心をしっかり掴むことがその競技の発展につながる。そしてラグビーは今回間違いなく僕の心を掴んだ。多くの人々の心も掴んだように見える。慶賀のいたりである。

さて、多くの「にわかファン」の心をわしづかみにした日本ラグビーは、数々の歴史的イベントを経て今回のW杯で2勝。次の米国戦に勝ち、且つグループ2位のスコットランドがサモアに負けるなどの幸運があれば、次のステージに進む。

サッカーと大相撲に次いで、テレビ観戦をしたくなるスポーツがまた一つ増えてしまった僕は、あ~イソガシイ、時間がない、と嬉しい悲鳴を上げている。

ラグビーは面白い



10月3日土曜日の午後を生まれてはじめてのラグビーテレビ観戦に費やした。

15時半、日本VSサモア戦開始。

日本は終始押し気味に試合を進めて26:5で勝利。

今回ワールドカップの2勝目。歴史的な勝利だという。

初戦の南アフリカにも日本は歴史的勝利。

とにかく歴史的という枕詞が多い日本の戦い。

ぼくはそれらの枕詞のたびに「へー、そうなんだ」とつぶやきつつテレビ観戦を続けた。

ラグビーのことはなにしろまったく分からない。興味もなかった。

ボールを前にパスしないらしい、というルールは辛うじて分かっていた。

それを横に出すのか、後ろに出すのかはもう分からなかった。

サモア戦が始まって十数分後には、テレビから離れて急いでPCに行きインターネットでラグビーのルールを調べるありさまだった。

そこで選手は1チーム15人、両チーム合わせて30人。パスは後方へ。トライは5点などの基本ルールを知った。

でもボールは前にパスしないことは分かったが、横(直線上)に出していいのかどうかは今も良く理解できない。

そんな状況なのに試合を面白く見た。

日本が頑張っているというインセンティブが先ずあったが、いずれもゴリ風の屈強な男たちがぶつかり合う様子はそれだけでも面白かった。

さて、日本は数々の歴史的イベントを経て2勝。

次の米国戦に勝ち、且つグループ2位のスコットランドがサモアに負けるなどの幸運があれば、次のステージに進む。

サッカーと大相撲に次いでテレビ観戦したくなるスポーツがまた増えた。

あ~イソガシイ・・・

売れた又吉本は売れない又吉本より少なくとも100倍は面白い



又吉直樹さんの「火花」を読んで、久しぶりに芥川賞作品を評価していたら、本が売れまくっていることに疑問を呈する人々がいると知った。

少し違和感のある話だ。芥川賞系の文芸本、あるいはいわゆる純文学系の作品が売れないのは、内容が重箱の隅をほじくるようなものが多く退屈だからだ。

それを売るには何らかの話題性やマーケティング戦略が必要だ。又吉本の場合は、書き手がたまたま芸人、という大きな話題性があって売れた。

元からあった豊かな話題性に加えて、販売戦略もいろいろ工夫があったのだろう。それでなければ純文学本が200万部以上も売れるわけがない。

出版不況が言われて久しい。そんな折に又吉本が売れているのは実に素晴らしいことである。売れている事実に文句を言うのは、嫉妬か怨みか揚げ足取りのようにしか見えない。

又吉本が文学であるかどうか。文学であるなら文学としての批評、また文学でないなら何故それが文学ではないのか、という議論や批評は大いになされて然るべきだ。

しかし、本が売れていること自体をあたかも文学批評のように語るのはナンセンスだ。本の内容を、それが文学か否かも含めて議論するのが文学批評であって、売れた売れないは単なる商売話だ。

文学論争は数学や物理学とは違って、数式で割り切ったり論理的に答えを導き出せる分野ではない。「文学」自体の規定や概念さえ曖昧だ。それらを探る過程が即ち文学、とも言える。

曖昧な文学を語る文学論は「何でも可」である。従って論者それぞれの思考や主張や哲学は全てパイオニアとも言える。そこには白黒が歴然としている理系の平明はない。人間を語るからだ。だから結論が出ない。

そこに売れまくったという「結論」が明快な又吉本が出現した。そこで批判者たちは商売上の結論と文学論上の「出ないはずの結論」を混同して、または意識的に交錯させて売れる又吉本への苦言を語る。

批判者の多くは純文学偏愛者の人々である。彼らにとっては文学論争よりも純文学の又吉本が売れたという事実が重要だ。それは許しがたいことなのだ。というのも純文学とは、売れないことがレゾンデートルでもあるかのような文芸分野だからだ。

作家を含む純文学愛好家たちも元々は本を売りたかった。だが大衆を無視する自己本位のマスターベーション文芸が多く売れるはずはなく、売れないのが当たり前という状況が長く続いた。

そうこうするうちに売れないこと自体が純文学の証のようになった。だから純文学の関係者は、売れる本は中身が何であれ、とにかく先ず否定しようと試みるように見える。寂しい発想である。

純文学はそのままでは文学ではない。それは文芸のうちの大衆文学や古典文学などと並ぶ純文学という1ジャンルに過ぎない。しかも純文学は「日本に特有の」不思議な文芸ジャンルだ。

1文芸ジャンルに過ぎない純文学は、僭越にもわれこそ「文学」と主張して、例えば大衆文学などは娯楽に重きを置くから文学ではない、などと訳のわからないことを言い続けてきた。

そして不思議なことに大衆文学の方もその説に迎合した。そうやって日本の文芸界は、純文学は「文学」、大衆文学は「娯楽」あるいは「エンターテイメント」、と色分けして平然としていた。

その伝でいくと、たとえば山本周五郎や藤沢周平や司馬遼太郎などの優れた小説も文学ではないということになる。それらはいわゆる大衆小説と呼ばれるジャンルの作品群だからだ。そんなバカな話はない。

大衆文学のうちの優れたものはいうまでもなく「文学」である。同じように純文学のうちの面白いものが「文学」になる。又吉さんの「火花」は面白い純文学、つまり文学の域に達した純文学作品、というのが僕の意見だ。

又吉本「火花」の文学たる所以は、笑いを追及する主人公と準主人公の2人が紡ぐ、笑いの哲学の提示である。そこには言葉の発明と発見があり、新鮮な発想がある。

それがストーリー的には退屈な、あるいは物語の展開の貧弱な、というかほとんど発展のない、ありふれた純文学的状況を補填しあるいは隠蔽して、作品を面白くしている。

そこで提示された芸人の物語は、生の不条理と真実を抉り出した文学的に昇華された世界であり、且つ純文学の退屈を一掃した興味深い構成になっている。つまり本物の文学になっている。

売れないことがゲージュツの証、というような純文学者の態度は、真の芸術を抹殺する。なぜなら「売れない」とは、言葉を変えれば大衆を「置いてけぼり」にすることだからだ。

歴史を見ればそれは一目瞭然だ。例えば映画が登場した際、「われこそ芸術」と誇っていた劇場や劇場人は、映画を下卑た大衆芸能、芸術まがい、けれん、俗物等々とけなし嘲笑した。

しかし、映画を見下すことで大衆から目をそむけた演劇は、間もなく娯楽の王様の座を映画に取って代わられ、劇場は映画館に駆逐されて行った。それは映画が優れた娯楽また芸術として、われわれの世界を席巻して行く過程でもあった。

その後映画は、新しいメディア・表現様式であるテレビを、かつて演劇が映画に対したのと正確に同じ態度で捉え、嘲笑し思い上がっているうちにたちまち衰退して、テレビ全盛の時代を迎えた。

ところが今やそのテレビでさえ、インターネットによって没落させられるのではないか、という時代である。演劇も映画もテレビも決して死ぬことはない。だが時流に押されてますますやせ細っていく。

テレビが芸術か、あるいは芸術の域に達する番組を作り出したか否かは意見の分かれるところだろう。テレビはそこに至る前に死につつある、とも考えられる。ひとつだけ確かなことは、芸術は大衆の心を捉える文物の中にこそある、ということだ。

本が売れないのは、そうした歴史の事例に似た「ゲージュツ」志向に文学関係者が陥った結果だ。言葉を変えれば、面白くないものを面白くない、と正直に認めて改善する努力を怠った結末である。

売れる本が、他の売れない本への興味を喚起して波及効果が現れる、現れないという議論もナンセンスだ。売れない本が売れるようになるのは、その本が実は面白い本だと読者が気づいたときであり、売れまくっている他の本とは何の関係もない。

そういうわけで、又吉本は又吉本として売れまくって終わり。他の出版物とは一切の因果関係を持たない、と考える方が自然だ。同時にそれが大いに売れたことは徹頭徹尾良いことであり、疑問を挟む余地はない。

文学である又吉本は売れた。それは前述したように良いことだ。また又吉本がたとえ文学ではなくても、売れたことはとにかく良いことだ。

本はコミュニケーション手段だ。コミュニケーションとはより多くの人に情報が行き渡るほど価値がある。だからどんな本であれ、つまりこの場合は文学であれ非文学であれ、売れないよりは売れた方が増しなのだ。

出版界はさらなる又吉本を作り出すために話題性と販売戦略を求めてまい進するべきである。売れる本を次々に生み出すこと。それが出版不況を抜け出す唯一の道であり文学復興のキーワードだ。

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