2015年11月

彼らの命が私たちを強くする



パリ同時テロの衝撃は、その後のパリ市内での銃撃戦や航空機爆破予告やISによる国を名指してのテロ予告なども相まって、収まるどころかさらに強く鮮明になって世界に拡散する気配を見せている。

中でもここイタリアが受けた衝撃は他の欧州諸国と比べても極めて大きいように見える。キリスト教カトリックの総本山バチカンを擁するイタリアの、特にローマは以前からイスラム過激派の攻撃対象として名指しされ続けてきた。

そこに米FBIが今般、バチカンはミラノのドゥオーモとスカラ座と共に、ISの具体的な攻撃目標になっている、と注意を勧告した。イタリアの危機感は一気に高まって名指しされた施設を抱く2都市を中心に緊張が続いている。

そんな折、イタリア随一の新聞「コリエレ・デッラ・セーラ」紙は、『失われた彼らの命が私たち を強くする(Perche` sono piu forti dei loro carnifici)』という見出しで、パリ同時テロの犠牲者129人の顔写真と共に身元や経歴を紹介する記事を掲載して、読者の心を震わせた。

犠牲者引き縮小版
パリ同時テロの犠牲者129人を偲ぶイタリア紙記事(この記事が出た後、犠牲者は130人に増えた)

正確に言えばその記事は、129人のうち16人は身元経歴等の情報はあるが写真が無く、また残る13人は名前は分かるものの詳しい情報が分からない、という説明文と共に掲載された。多くが20~30代の若者だった犠牲者の国籍は19カ国に上る。

「コリエレ・デッラ・セーラ」紙は記事をこう結んだ。『犠牲者の殉教によって、私たちは彼らを殺戮したテロリストの悪辣と残酷 と利己主義に敢然と立ち向かう力を得た。私たちは世界に涙など求めずにおこう。その代わりにただひたすら法の裁きと正義の完遂を要求しよう』

僕は記事の与えるインパクトに心を揺さぶられつつ、大雑把に言えばテレビ屋の自分と同業者と言えなくもない「コリエレ・デッラ・セーラ」紙の取材力にも感動した、と告白しなければならない。それというのも記事に示された犠牲者の情報が的確で豊富で且つ新鮮なものだったからだ。

特に掲載された1人1人の顔写真は表情豊かなものばかりだった。言葉を替えれば、こうした記事にありがちな身分証明書用の顔写真の転載といった手抜き作業の結果ではなく、笑顔や横顔やサングラス顔やワイングラスの片手の笑顔やオチャメなポーズ写真など、自然体の生き生きとした写真ばかりなので ある。

それは読者の琴線に触れる。なぜなら、それらの日常的な何気ないひとコマを切り取った絵は、彼らが彼らの日常を突然テロリストによって奪い取られた、という 非情な現実を読者に提示するからである。つまり、犠牲者の1人ひとりは、写真の笑顔のまま殺人者によってふいにこの世から抹殺された、という印象を人々に与え る。

その現実が人々の深い悲しみと同情と共感を呼び、その思いの深さの分だけ加害者への怒りが強くなる。「コリエレ・デッラ・セーラ」紙がそれを意図したかどうかは分からない。しかし、多くの読者が自分と同じ感慨を抱いたであろうと僕は推測する。

しかし、忘れないでおこう。「コリエレ・デッラ・セーラ」紙の記事にはパリ以外の地、特に中東の国々におけるテロの犠牲者たちに思いを馳せる言葉はない。だからと言って、今般の事件の後に日本で高まった「パリの犠牲者だけを特別視している」あるいは「中東などの犠牲者を忘れている」などという不可解な非難を同紙に浴びせるのは当たらない。

なぜなら彼らは別の機会には必ずそこでの犠牲者、もっと具体的に言えば中東の犠牲者にも寄り添う記事を掲載するからだ。それは同紙のみならず多くの欧米メディアがこれまでにやってきた仕事だ。彼らの中には夥しい数の中東の犠牲者に思いを寄せる「心ある人々」とそっくり同じ真心がある。

それと同様に、たとえばFacebook のプロフィール写真に三色旗を重ねてパリの犠牲者への哀悼と連帯と表明する人々を、「欧米人犠牲者だけに涙する偽善者」などと糾弾するのも当たらない。Facebook のプロフィール写真に三色旗を重ねて連帯を示した人々は、それを示さなかった人々よりもはるかにりっぱだ。なぜなら彼らは少なくとも無関心ではないことを証明しているからだ。無関心こそがもっとも責められるべき態度なのである。

「コリエレ・デッラ・セーラ」紙の顔写真記事を書いた記者と読者、また中東の忘れられたテロの犠牲者を思い出せと叫ぶ人々、またそれらの全てに耳を傾ける人々は全て「心ある人間」である。「心ある人間」が肝に命じるべきことは、誰かが誰かに、あるいは何かに心を奪われることによって、別の誰かや何かを忘却してしまう時、それを責めてはならないということである。非難されるべきはテロリストであって、犠牲者に心を寄せる人々ではない。


北の湖親方をサルコジ元仏大統領に会わせたかった


相撲協会理事長の北の湖親方が九州場所中に急逝した。

東京での学生時代の終わりに僕は横綱北の湖に会った。正確に言うと国技館に大相撲観戦に行き、花道の奥で入場を待っている北の湖の肩や腕に触れさせてもらった。

そのときの硬く引き締まった横綱の筋肉の感触が、確固たる相撲ファンとしての僕を形作ったように思う。僕はその後イギリス、アメリカ、ここイタリアと移り住んだが、常に大相撲ファンであり続けている。

イタリアに在住する今も衛星放送で大相撲中継を欠かさず見ている。イタリア人の友人知己と共に観戦することもある。その場合僕は100%の自信を持って力士がただのデブではなく、筋肉の塊のような肉体だということを説明する。その原点も北の湖の体に触れた体験である。

その後、12代藤島親方(元貴ノ花)の部屋に招き入れられて、力士の荒い息遣いと裂帛の気迫が漲るぶつかり稽古を目の当たりにしたりもした。迫力に圧倒された記憶は今も新鮮だ。僕は格闘技としての大相撲と文化としての大相撲が好きである。

北の湖は滅法強い上にいつも硬いふてぶてしい表情をし、倒した相手に手を差し伸べるどころかさっさと背を向けて勝ち名乗りを受けたり、彼の全盛時に多くいた彼の対立者としての美男力士への「判官びいき声援」に包まれたり、と大いに嫌われた。

僕も彼を嫌うミーハーファンの1人だった。もう死語・廃語の類だろうが、僕は「巨人、大鵬、卵焼き」を地で行く子供だった。成人すると子供が嫌いな物として冗談交じりに言われた「江川・ピーマン・北の湖」という言葉に共感を覚えたりもした。

また彼の好敵手だった輪島が好きだったことも僕の北の湖への印象を悪くしていた。しかし後年、彼が倒した相手に手を差し伸べないことについて「私が負けた場合に相手から手を貸されたら屈辱だと思う。だから私も相手には手を貸さない」と語ったことを知って彼に対する印象ががらりと変わった。

同じ頃、北の湖が実は人格者だという風の噂も聞こえてきた。北の湖への僕の印象が飽くまでもポジティブな方向に向かう流れの中で、引退後に彼が協会の理事長を務めているのも人望があるからに違いない、と僕は考えた。そうやって僕は北の湖(親方)にますます好感を抱くようになった。

話が飛ぶようだが、再びそんな流れの中で、最近では次のようなことも考えていた。

元フランス大統領のサルコジさんは相撲が嫌いだという。漏れ聞こえてくる噂では「公衆の面前で尻をさらす力士はブザマだ」と、相撲を嫌いというより蔑視しているような発言もあったようだ。

それが真実なら、僕は彼のことを大相撲のことを良く知りもせずに頭から拒否する「猿固辞」さん、と呼ぼうと決め実際にそう呼んできた。

彼とは逆に、彼の先輩であるシラク元フランス大統領は、大の相撲好きで知られている。相撲好きの僕の我田引水と批判されることを覚悟で言うが、猿固辞さんと比べたらシラクさんからは知性と教養の臭いがぷんぷんと漂ってくる。同じ仏大統領経験者でもエライ違いだ。

廻しをフンドシと見なして、力士は股間以外の下半身を公衆の面前にさらす未開人、と考えているらしい猿固辞さんには、失礼ながら教養のかけらも感じられない。

相撲は格闘技であると同時に、日本独自の型を持つ文化である。文化は特殊な物であり歴史と伝統の詰まった「化け物」だ。だから化け物の文(知)つまり「文化」と呼ばれる。

文化がなぜ化け物なのかというと、文化がその文化の圏外に生きる者にとっては異(い)なるものであり、不可解なものであり、時には怖いものでさえあるからである。そんな不思議な「他者の」文化を理解するには、知性と教養と、知性と教養から生まれる開明が必要だ。

文明を理解し愛するのには知性も教養もいらない。なぜなら文明とは明るい文(知)のことであり、それは科学技術や機械などの利便と同じ物だからだ。誰もが好きになる便利な物、楽しい物が文明だ。

猿固辞さんは文明は理解するのだろうが、もしかすると他者あるいはよその文化を理解する知性や教養を持ち合わせていないのではないか。猿固辞さんもいつか大相撲を観戦して、僕のように力士と直に接したりもして早く大相撲を理解してほしいものである。

僕のその願いは前述したように僕自身の「北の湖体験」と深く結びついている。一昨年の大鵬親方の死に続いて昭和の大横綱がまた1人姿を消した。残念極まりない。心から冥福を祈りたい。



秋言葉を持たないイタリアの秋も美しい

本物美雪秋写真
北イタリア・コモ湖近くの秋景色

ここ北イタリアの気候は、歴史上もっとも暑いとされた7月を経験した後、8月から10月にかけて平年並みに過ぎた。短い秋を経てこのまま冬に突入かと見られた11月は、サンマルティーノと呼ばれる「小春日和」にも恵まれて、穏やかに推移している。

秋の日はつるべ落と しと言うが、この国では秋そのものがつるべ落としに素早くやって来て、あっという間に過ぎ去る。印象としては夏が突然冬になる。日本の平均よりも冬が長く厳しい北イタリアだが、短い秋はそれなりに美しく、風情豊かに時間が流れて行く。

ところが、イタリア語には、枯れ葉、病葉 (わくらば)、紅葉(こうよう)、落葉、朽ち葉、落ち葉、木の葉しぐれ、黄葉、木の葉ごろも、もみじ・・などなど、というたおやかな秋の言葉はない。枯れ葉は「フォーリア・モルタ」つまり英語の「デッド・リーフ」と同じく「死んだ葉」と表現する。

少し優美に言おうと思えば「乾いた葉(フォーリア・セッカ)」という言い方もイタリア語には無いではない。また英語にも「Withered Leaves(ウイザード・リーブ)」、つまり「しおれ葉」という言葉もある。だが、僕が知る限りでは、どちらの言語でも理知の勝(まさ)った「死に 葉」という言い方が基本であり普通だ。

ミラノ市中の紅葉ヨリ50%
ミラノ市中「il sole24ore紙」中庭の秋景色

言葉が貧しいと いうことは、それを愛(め)でる心がないということである。彼らにとっては枯れ葉は命を終えたただの死葉にすぎない。そこに美やはかなさや陰影を感じて心を揺り動かされたりはしないのである。紅葉がきれいだと知ってはいても、そこに特別の思い入れをすることはなく、当然テレビなどのメディアが紅葉の進展を逐一報道するようなこともあり得ない。

前述したように夏がいきなり冬になるような季節変化が特長的なイタリアでは、秋が極端に短い。おそらくそのこととも関係があると思うが、この国の人々は木の葉の色づき具合に日本人のように繊細に反応することはない。ただイタリア人の名誉にために言っておくと、それは西洋人社会全般にあてはまるメンタリティーであって、この国の人々が特別に鈍感なわけではない。

それと似たことは食べ物でもある。たとえば英語では、魚類と貝類をひとまとめにして「フィッシュ」、つまり「魚」と言う場合がある。というか、魚介類をまとめてフィッシュと呼ぶことは珍しくない。Seafood(シーフード)という言葉もあるが、日常会話の中ではやはりフィッシュと短く言ってしまうことが多いように思う。イタリア語もそれに近い。だが、もしも日本語で、たとえひとまとめにしたとしても、貝やタコを「魚」と呼んだら気がふれたと思われるだろう。

もっと言うと、そこでの「フッィッシュ」は海産物の一切を含むフィッシュだから、昆布やわかめなどの海藻も含むことになる。もっとも欧米人が海藻を食べることはかつてはなかったが-。タコさえも海の悪魔と呼んで口にしなかった英語圏の人々は、魚介類に疎(うと)いところが結構あるのである。

イタリアやフランスなどのラテン人は、英語圏の人々よりも多く魚介に親しんでいる。しかし、日本人に比べたら彼らでさえ、魚介を食べる頻度はやはりぐんと落ちる。また、ラテン人でもナマコなどは食い物とは考えないし、海藻もそうだ。もっとも最近は日本食ブームで、刺身と共に海藻にも人気が出てきてはいる。
 
多彩な言葉や表現の背景には、その事象に対する人々の思いの深さや愛着や文化がある。秋の紅葉を愛で、水産物を「海の幸」と呼んで強く親しんでいる日本人は、当然それに対する多様な表現を生み出した。
 
もちろん西洋には西洋人の思い入れがある。たとえば肉に関する彼らの親しみや理解は、われわれのそれをはるかに凌駕(りょうが)する。イタリアに限って言えば、パスタなどにも日本人には考えられない彼らの深い思いや豊かな情感があり、従ってそれに見合った多彩な言葉やレトリックがあるのは言うまでもない。

さらに言えば、近代社会の大本を作っている科学全般や思想哲学などにまつわる心情は、われわれよりも西洋人の方がはるかに濃密であるのは論を待たないところである。心情が濃密であるとは、言葉が豊かで深く広いということにほかならない。その部分では日本語は未だ欧米語の後塵を拝していると言えるかもしれない。


いつまでも死なない老人の性欲は奇か快か



激増する長寿者を「いつまでたっても死なない老人」と喝破した、ほぼ90歳の義母の名言にここしばらくこだわっている。ハゲて太った点を別にすれば、精神のバカさも含めて30代や40代とあまり変わらないと感じる還暦の自分も、やはり確実に老いているのだろう。、

先ごろ、イタリア、ナポリ近くのサレルノ県スカファーティで、84歳の女性が88歳の夫と離婚したいと表明した。その理由は夫とのセックスに不満だから、というものだった。もっと正確に言うと、セックスの回数が少な過ぎるという主張である。

女性は元教師。4歳年上の夫は元銀行員。女性にとっては3回目の結婚。前夫2人とはともに死別。今の夫は前夫2人とは違って、月に2度しか彼女を愛してくれない。セックスの回数が少な過ぎて欲求不満だと女性は弁護士に告発した。

弁護士がさらに話を聞いてみると、女性は夫にバイアグラを飲んで頑張ってほしいために、離婚話を持ち出してプレッシャーをかけているのだという。夫が受け入れないなら離婚して、ほかに愛人を探す、と女性は言い募った。

女性の直訴に困惑した弁護士は、セックスに代わる何か、つまり女性の年齢に見合う趣味とか生き甲斐を見つけた方が良い、と彼女を促した。それに対して女性は「私には子供も子守をするべき孫も、甥っこや姪っこもいない。たった一つの楽しみがセックスだ。なぜそれを諦めなければならないのか?」と逆切れした。

この女性の言い分は、ある人にとっては眉をひそめたくなるものかも知れない。またある人にとっては滑稽なものであるのかも知れない。エピソードが新聞記事になり英語翻訳版まで出た事実が、興味本位の人々の関心を如実に示している。しかし、高齢者の性欲が好奇なものであるとは僕には思えない。

女性に相談を持ちかけられた弁護士が、セックスではなく年相応の何かに興味を持った方がいいとアドバイスしたことにも納得がいかない。上から目線の弁護士の言い分が事実なら、彼は弁護士を名乗る資格などない。愚かで無知で鈍感な人間だと思う。

江戸の名奉行大岡越前守は、不貞をはたらいた男女の取調べの際、女(やや高齢だった?)が誘った、との男の釈明に納得ができず、自らの母に「女はいつまで性欲があるのか」と問う。すると母親は黙って火鉢の灰をかき回して「灰になるまで。即ち死ぬまで」と告げた。

その話が実話か否かは問題ではない。エピソードには人の性の本質が見事に描かれているから、その話は万人の心を撃つ。年齢と共に変遷する人の心身のあり方には大きな個人差がある。性の様相も千差万別だろうが、人の性欲が死の間際まで存在するというのは普遍的事実だろう。

従って、84歳の女性がセックスに生き甲斐を感じていても何も不思議ではない。そこでの少しの驚きは、女性が夫にバイアグラを飲んでくれと主張した点だ。高齢の女性の旺盛な性欲はそれだけで既に興味深いが、老夫婦の性愛が依然として肉体的な結合であるらしいのは、少なくとも僕にとっては、新鮮な発見だ。

生殖を念頭におかない高齢の男女のセックスは、性器の結合よりもコミュニケーションを希求する触れ合いのセックスである場合が多い。つまりそれは男女が、いわば「生きている」ことを確認し合う行為である。愛の言葉に始まり、唇や手足や胸や背中に触れ合って相手をいつくしむ。

高齢者のセックスの場合は体のあらゆる部分が性器だと表現する専門家さえいる。それは「柔和な癒し合い」という意味だろうが、同時にそれはもしかすると、若い頃のセックスよりもめくるめくような喜びを伴なうものであるのかもしれない。なにしろ体全体が性器だというのだから。

女性の要望や欲求は決して滑稽なものではないと思う。元気で、且つ心と体が若い彼女は、セックスを楽しみたいのである。老人の心身は枯れてしぼんでいるべきで、その年でセックスしたいなどというのはイヤラシイ、恥知らず、気持ち悪いなどというのは、あたらない。

それでも「ババアの性欲はキモイ」みたいな石原慎太郎的差別発言をする者がまだいるなら、僕はその人にこう聞きたい。ならばこの女性が性依存症ならどうだろうか、と。それでもあなたはこの女性を「年寄りのくせにセックスなんか考えるな」と責め続けるだろうか、と。

日本では「セックス中毒」などと面白おかしく語られがちだが、性依存症はりっぱな病気だ。最近の有名例では、ゴルフのタイガー・ウッズがその病気のために世間から総スカンを食って、ついにゴルフ界の帝王の地位から転げ落ちたことが記憶に新しい。

イタリアの片田舎に住むこの高齢の女性は、もしかすると性依存症なのかもしれない。そうだとするなら彼女のセックス好きは、いわば快楽という名の地獄である。それは苦しい病であり、同情されてしかるべき性癖だ。

そうではなく、彼女は年齢が進んだ今もひたすらセックスが好きでしかも実践し続けていたい、というなら、それはそれで素晴らしいことではないか。それを否定するのは、例によって高齢者を「老人」とひとくくりにしてその存在を貶める、世の中の偏見と差別と偽善の所産に過ぎない。

いつまでも死なない老人はどう生きるべきか



去った敬老の日に「いつまでも死なない老人を敬う必要はない」と断言したのは、間もなく90歳になる義母、ロゼッタ・Pである。正確に書くと彼女のセリフは「私のようにいつまでも死なない老人を敬う必要はない」という主旨だった。

義母は真正の老人であるから、彼女が「私を含む」老人はこうあるべき、という形の発言をしても許されると思う。しかし、第三者のたとえば僕が、老人はどう生きるべきか、などと発言するのは僭越であり非礼であり許されないことである。

従って僕はこの記事では、僕自身の将来、つまり必ず老境に入っていく自分はこうありたい、ということを語ろうと思う。還暦の僕は義母ほどの老人ではないが、20代や30代の若者からみればりっぱな老人だろうから、そう語る資格があると思うのである。

一言でいえば、全ての老人は義母が指摘した「老人は愚痴が多く自立心が希薄で面倒くさい」という概念を完全否定する生き方をするべきである。つまり「愚痴を言わず自立心を強く持ち他者に面倒をかけない」ことだ。それは義母自身の生き方でもある。

病気や老衰で動けなくなれば仕方がないが、長生きをする者は義母のように生涯を過ごすのが理想だろう。いや、それを他人事のように「理想」と言ってはならない。そういう生き方を目指すのがむしろ老人の義務だ、と僕は考えている。

ここで言う自立には2つの側面がある。1つは義母が指摘した心体の自立である。それはほぼ健康と同一語だ。肉体の自立は己の意志ではどうしようもないケースが多々ある。病気は他動的なものだからだ。しかし、精神の自立は逆に能動的に獲得できるものだ。

高齢者の精神の自立とは、子供が親離れをするように老人が子供離れをすることである。体が動くのに子供に頼ろうと希求する老人は、少なくとも僕の周囲で は、欧米人に比べて日本人が圧倒的に多い。それは若年の頃から自立志向の教育を受けていないのが原因である。日本人の自立心の弱さは日本国の弱さと同じも のだ。

もう一方の側面は経済的な自立である。これは年金という助けによって成されるべきだが、基本は飽くまでも自らで稼ぐ形でなければならない。つまり、いつま でも死なない老人は、元気でいる限り仕事もするべきである。それもまた老人の義務と言っても良いと思う。それは年金給付年齢の引き上げ、という政策とほぼ 同義でもある。

イタリアを含む欧州のほとんどの国は日本同様に長寿国である。世界の他の先進国も事情は同じだ。それらの国では年金を始めとする社会保障費の膨張は止まる ことを知らず少子化も深刻だ。長寿者は元気に長く生きているのだから、その分仕事をして経済的に自立しなければ国の財政が破綻するのは目に見えている。

敬老の日にちなんで発表された厚労省の統計によると、65歳以上の高齢者が日本の総人口に占める割合は、おととし初めて25%を超えてからも増え続けていて、今年は26,7%。過去最高になった。日本人の4人に1人以上が高齢者だ。

また80歳以上の人は1002万人、史上初の1000万人越えである。それらは慶賀するべきことだろうが、国の財政つまり社会保障費というシビアな観点から見れば、破滅的な状況と言っても過言ではない。

それらの数字が示唆しているのはやはり、高齢者も仕事をするべき、という当然過ぎるほど当然な成り行きである。高齢者というコンセプトには、仕事をしない年齢あるいは仕事ができない年齢の者、というニュアンスが込められている。

ならば今や高齢者と規定されるべき年齢は65歳ではなく75歳、いやもしかすると80歳でも良いのではないか。65歳以上を高齢者と規定する日本社会のあ り方はもはや時代錯誤だ。高齢者を「老人」とひとくくりにして尊敬する振りで見下したり、無視したりせずに、労働力としてもしっかりと認識するべきであ る。

高齢化の進展という流れで言えば、不惑などというのも40歳ではなく50歳、それどころか思い切って60歳と改めた方が良いとさえ思う。現代人はそれほど長く生き、高齢者も多くがカク シャクとしている。人生50年とも言われた時代に規定された、高齢者の概念を後生大事に抱え込んでいる日本の状況は異常だ。

元気な高齢者が働いて、不幸にして病気や老いで倒れてしまう他の高齢者の生活を支える、というくらいの発想の転換があってもいい。もちろんそれだけでは足りないだろうから、社会保障費をそこに回して手助けをしなければならないのは言うまでもない。

また少子化を穴埋めするために移民を受け入れて、人生経験の豊富な高齢者が移民と1対1で彼らを導き、教育をして日本の文化や風習に溶け込んでもらう手 助けをする、というような仕組みもあっていい。誤解を恐れずに敢えて言えば、彼ら移民を監視誘導して“日本人”になってもらう努力をする、といったことで ある。

超高齢化社会では老人自身と社会全体の意識改革が求められていて、それは若年のころから国民を教育しないと完成しない。恐らく今もっとも求められているの は、「年相応に」とか「年甲斐も無く」とか「~才にもなって・・」などと、人間を年齢でくくって行動や思想や生き方を判断し、その結果として精神を呪縛 し、閉塞感と狭量と抑圧に満ちた世界を形成する、東洋的な行動様式からの1日も早い決別である。


ミラノ万博閉幕、日本館の失敗

30%日本館文字込み行列
10月30日、6時間待ちの日本館の行列

閉会間際の10月30日、ようやくミラノ万博を観ることができた。同万博は10月いっぱいで閉幕するのが惜しい、と言われるほどの盛況だった。中でも日本館の成功は目覚 しいものだった。それなのにこの記事のタイトルをあえて「日本館の失敗」としたのは、万博随一の成功を収めた日本館はもしかすると、もっとさらに大きな成功 を収めることができたのではないか、と実際に会場に足を運んでみて感じたからである。

今年5月の開幕直後から日本館は大人気だった。10時間も待たなければ入場できない日もあり、その人気振りを伝えるニュースがさらに人気を呼んでますます盛況に なった。僕が訪れた日の日本館前も長蛇の列。待ち時間は6時間と言われて入場を諦めた。また閉会直前ということもあったのだろうが、広い会場の全体に人が 溢れていて、日本館前の長い行列が小さく見えるほどだった。

最終的な入場者総数は約2150万人、そのうち日本館へは200万人あまりが入場した。全体の1割にのぼる数字は地元のイタリア館などと並んで最大級であ る。それはもちろん大成功だ。展示デザイン部門では金賞も受賞した。しかし、多くの来場者が日本館に入れなかった、というのもまた事実である。僕の多くの 友人知己がそうであり、僕自身もそのうちの1人だ。

会場に立ってみて率直に感じたのは、たとえば日本館の内部の様子を大スクリーンで写し出すような仕掛けができなかったか、ということである。あるいは多く のモニターを日本館の外壁に設置する方法もあったのではないか。はじめからそういう形を取ることは無理だったかもしれないが、日本館が大人気で入場待ち時 間が毎日長くなる、と分かった時点でそういう形を考えても良かったと思うのである。

30%トルコ館農婦笊もみ
トルコ館網漁30%
トルコ館オープンスペースの映像展示

その思いはトルコ館に接してさらに強くなった。それほどの人気があったとは思えないトルコ館では、オープンスペースにテントのような建物を設置して、その中で同国の食の風景を映像展示していた。 高画質の極めて美しい映像の連続に僕は思わず引き込まれて観賞した。高い技術力を持つ日本は、その気になれば恐らく、トルコ館に勝るとも劣らない映像展示もできたはずである。

ビジネスならば行列ができるのは良いことである。入場できないことがさらなる人気を呼んで差別化になり高級感につながって大儲けができる。しかし、日本館 の目的は日本の文化を世界に知らしめるこである。金儲けではない。従ってより多くの人々に内部の様子を見てもらった方が良い。10人に1人が入場したこと は誰もが認めるように大成功である。しかし、残りの9人は入場していない、あるいは入場できなかったのだ。

9人全員が日本館に入場したいと思うわけではないだろうが、大人気の日本館を覗いてみたいと考えた人はその中に5、6人はいたのではないか。あるいはもっ と多くいたかもしれない。それらの来場者にせめて中の展示の様子を見てもらえれば、訪問者数がさらに膨らむことになり日本の文化を告知するという目的により合致したと思うのである。さらに 言えば、インターネットを通じて日本館の展示を正式に大々的に世界中に配信する、という手もあったと思う。

そんなことをすれば、実際に日本館まで足を運ぶ人が少なくなる、という考え方もあるかもしれない。しかし、何時間も行列を作ってまで日本館を目指した人々 は、恐らく何があっても中を見たかった人々であった公算が大きい。従って来館者数はあまり変わらなかっただろう。また、たとえ映像を展開することで実際 に足を運ぶことを止めた人がいたとしても、映像を見て日本文化に興味を持ったり、その結果日本館に入場したいと考える人の数の方が圧倒的に多かったはずな のである。

それはスポーツのテレビ中継と観客の関係にも似ている。サッカーや野球などの人気スポーツは、生中継をすることによってさらに人気が高まって、球場に足を 運ぶファンが増える。同時に映像によってそれまで無関心だった人がそのスポーツに興味を持ち、ひいてはファンになるという相乗効果が起きる。日本館にもそ ういう現象が起きる可能性があった。それを思うと、日本館の成功を嬉しく思うと同時に、ちょっと残念な気もするのである。



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