2015年12月

トランプもルペンも危険だから大いに語られるべきだが、騒ぎ過ぎは愚かだ



米大統領選、共和党の「有力泡沫候補」ドナルド・トランプ氏は、イスラム教徒排斥発言の後、アイオワ州で支持率を落として初めて2位になったものの、共和党支持層全体では支持率を40%に上げるなど、相変わらず快進撃を続けている。

一方、トランプ氏と同様にイスラムフォビア(嫌悪、恐怖)を煽って、フランスで支持率を伸ばしている極右の国民戦線(FN)は、12月6日に行われた地方選挙の第1回投票で、過去最高となる28%の全国得票率を得て13の選挙区のうち6選挙区で首位を奪う躍進を見せた。同党は、11月に起きたパリ同時多発テロ事件への恐怖やイスラムフォビア(嫌悪)の広がりと、長引く経済不振への国民の怒りなどをうまく利用して大幅に支持を広げている。

しかし幸いにも、第2回決選投票では、得票率は伸ばしたものの、どの地域でもトップになれない完全敗北を喫した。極右政党の進撃に不安を覚えた大勢の有権者が反対票を投じたのである。ここにフランス民主主義の健全と国民の良識がある。

ルペン氏と国民戦線にとっては期待外れの選挙結果だった。しかし、それを彼女の敗北と見なすことは決してできない。それというのも決戦となった第2回投票では、第1回目よりもほぼ80万人も多いおよそ700万人の有権者が国民戦線(FN)に投票したからだ。

ルペン氏は実は敗北とはとても言いがたい支持率を 維持している。数字を見る限り彼女は、依然として2017年フランス大統領選で決選投票まで残る可能性が高い強い存在である。ルペン氏こそ真の脅威だ。その脅威の度合いは国民戦線という政党とルペン氏が一心同体とも言える存在であること、またその政党が他の欧州国の右翼勢力と手を結ぶ可能性があること、などを考えた場合には極めて大きくなる。

ルペン氏の脅威とは言葉を替えれば、自由と平等と寛容と博愛を標榜する欧米の民主主義に対する恐怖だ。彼女は排外ナショナリズム と不寛容と反イスラム主義を、あたかもその反語でもあるかのような狡猾な言葉のオブラートで包みソフトにし誤魔化して、大衆の不安と恐怖心と悲哀につけ込んで票を伸ばしている。

それに比較するとトランプ氏の危険度は、彼の人気が政党ではなく個人としてのそれである点で低いと言える。しかし、天地がひっくり返って(トランプ氏が大統領になる可能性はゼロという意味で僕はこの表現を多用している)彼がアメリカ大統領になった場合には、地上最強の権力者が排外主義者、人種差別主義者、ファシストであるという意味で最大の危険であることは言うまでもない。

僕は欧州や米国の民主主義と、寛容の精神と、自由博愛の哲学を強く信じ支持する者である。先の欧州議会選挙で英仏ギリシャなどの右翼勢力が躍進した時も、それが一時的な抗議を意味する現象であって欧州の悪への変革を意味するものではないことを信じて疑わなかった

現在のルペン氏とトランプ氏の人気振りについても、彼らが目立つことで極右勢力が勢いづき且つそれに影響さ れる狭隘な精神を持つ人々が排外思想に染まる危険はあるものの、欧州にはそれをはるかに凌ぐ良識の蓄えと民主主義の伝統があるので、最終的には何も問題はないと考えている。

むしろそれらの危険思想は、それ自体が力を得ることで自由と寛容と民主主義を信じる欧州の圧倒的多数の人々の心に警鐘を鳴らし、彼らの信条の再確認を急かす力となって行く。

欧州が長い時間をかけて培ってきた民主主義の精神は、近年ナチズムとファシズムによって蹂躙された。欧州は世界大戦という巨大な犠牲を払って再びそれを取り返した。そこから生まれる自信と誇 りは、欧州が他の自由主義国と共に成し遂げたその偉業の恩恵にあずかって、民主主義を享受している「浅い民主主義社会」の、たとえば日本人などには中々理解できないものである。

そのために、欧州の排外主義右翼やナチズムやファシズム勢力の少しの興隆があると、日本人ジャーナリストなどが必ずこの世の終わりとばかりに大騒ぎをし、欧州 の堅牢な民主主義哲学を知らない日本の読者がこれに踊らされる、という現象が頻繁に起こる。

報道は犬が人間に噛み付くことではなく、人間が犬に噛み付くことのみを拡大強調して報告する。ト ランプ氏やルペン氏の話がメディアに取り上げられるのは、それが異常な出来事、つまり人間が犬に噛み付いている事案だからだ。それは逆に言えば、欧州の大勢が彼らとは相容れない民主主義思想の中で息づいていることに他ならない。

トランプ氏やルペン氏は、欧州の民主主義と寛容の精 神と自由博愛の哲学に挑む危険思想を撒き散らすことで、欧州のそれらの思想信条を呼び覚まして堅牢にし、さらに拡大させる効果を持つ。従って彼らの危険思想と危険思想の影響を語り続けるのは極めて重要なことである。しかし、そこばかりを見つめて騒ぎ立てるのはまた、一切語らない場合と同じ程度に愚かである。


アメリカの底力がトランプ大統領の誕生を阻止する



米大統領選候補ドナルド・トランプ氏の「イスラム教徒の米国入国を禁止するべき」という発言を巡っては、世界中で多くの非難と、同時に少数の支持説も噴出して入り乱れ、それ自体がトランプ氏の選挙キャンペーンに資する事態が起こっている。悪態と挑発と怒りを振りまいて話題になることが氏の狙いだ。

トランプ氏は自身が所属する共和党の主流支配階級に真っ向から立ちむかって、これまでのところ他の複数の候補を凌駕しまくっている。そのことに敬意を表して、最終的には決して勝利者にはなれないという意味で実像はあくまでも泡沫候補である氏を、僕は敢えて「有力泡沫候補」と呼ぶことにする。

有力泡沫候補のトランプ氏は、綿密に計算した選挙キャンペーンの戦略に基づいて、下品で粗野で愚劣な発言を繰り返している、と主張する人々もいる。果たしてそうなのだろうか。品性が下劣なのはトランプ氏の資質であり、選挙戦略とは関係がないと僕は思う。トランプ氏を過剰評価するのはアメリカの、ひいては欧米の民主主義の底力を知らない者の間違った見方だ。

確かに彼は共和党の候補指名獲得レースで首位を走っている。11月の段階で共和党支持層の30%強の支持を集めて、2位のベ ン・カーソン氏を10%以上引き離している。その後に支持率8%のルビオ・フロリダ州上院議員、同7%の元フロリダ州知事ブッシュ氏が続き、さらに数人の候補が続くという構図である。

そうした状況を指して、共和党は支持者に大きな影響を与える力がなくなっており、米国の2大政党制はもはや機能していない、と結論付ける者もいる。しかし、トランプ氏を最終的に阻止するのは政党(共和党)の思惑や倫理や縛りではなく、アメリカの有権者であり大衆である。

今後20%の支持率を上乗せすれば、トランプ氏が共和党の候補に指名されるのは数字上は可能だ。今回のイスラム教徒の排斥発言と同様に、彼の言動が馬鹿げていると見られれば見られるほど、トランプ氏の支持率が上昇するのでもあるかのような現象もまだ終わる気配はない。

破天荒な言動で炎上を繰り返している間は、トランプ氏はメディアの注目を集めて報道され続けるだろう。支持率も中々下がらないかもしれない。だがそれが確実に上昇して行くともまた言えないのだ。これまでのところは他の候補への支持率が低く、彼らのキャンペーンも地味だからトランプ氏だけが目立つ結果になっている。

だが年が明けて共和党候補指名レースが佳境に入れば、参入している候補者の数は漸減して行く。そうなれば今は割れている反トランプ票が、ひとつにまとまって勢いを増すと考えられる。その票が誰に集まるかは不透明だが、トランプ氏だけが1人勝ちしている状況は尻すぼみになり、彼の戦いは厳しくなると見るのが妥当だ。

再び数字的に見れば実は、共和党支持層のうち56%がトランプ氏以外の候補者を支持すると答え、13%がどの候補者を支持するか決めかねている、としている。つまりほぼ70%がトランプ氏を支持していないことになる。その割合は彼の支持者がほぼ30%という数字にも符合する。

今後トランプ氏が支持を増やして行く可能性はもちろんあるが、米国民の良識と堅固な民主主義哲学を信じている僕は、彼は決して指名獲得レースには勝てないと予測する。数字のみを見て言うのではない。かつて米国に住み、米国人と仕事をし、今も彼らと付き合いつつ欧州から米国の動向を逐一見ている僕の個人的な見方だ。米国の民主主義と開明と寛容と、そこに立脚した差別や偏見や抑圧に立ち向かう強さを見くびってはならない。

トランプ氏が共和党の指名を受けるなら、共和党は死んだも同然だ。だが万が一そんなことが起こっても、彼は必ず民主党候補に負ける。もしその逆が起こるなら、日本も欧州も世界も死ぬ。なぜならアメリカが死ねば民主主義が死ぬからだ。民主主義が死ねば、日本も欧州もその他のまともな世界も一斉に崩壊する。

トランプ氏に理があり彼がアメリカ大統領になっても不思議ではないと考えるのは、例えばアメリカは「世界一の人種差別国だ」と主張するのにも等しい浅薄な思考だ。なぜならアメリカ合衆国は地球上でもっとも人種差別が少ない国だからだ。これは皮肉や言葉の遊びではない。奇を衒(てら)おうとしているのでもない。これまで多くの国に住み仕事をし旅も見聞もしてきた、僕自身の実体験から導き出した結論だ。

米国の人種差別が世界で一番ひどいように見えるのは、米国民が人種差別と激しく闘っているからだ。問題を隠さずに話し合い、悩み、解決しようと努力をしているからだ。断固として差別に立ち向かう彼らの姿は、日々ニュースになって世界中を駆け巡って目立つために、あたかも米国が人種差別の巣窟のように見える。

だがそうではない。自由と平等と機会の均等を求めて人種差別と闘い続け、絶えず前進しているのがアメリカという国だ。長い苦しい闘争の末に勝ち取った、米国の進歩と希望の象徴が、黒人のバラック・オバマ大統領の誕生であることは言うまでもない。

米国より先に奴隷制度を廃した英国を始めとする欧州諸国には、未だ黒人首脳が誕生する気配すらない。僕の住むここイタリアに至っては、2013年に史上初の黒人閣僚が誕生した際、右翼や排外主義者による同大臣へのあからさまな、しつこい人種差別言動が問題になったような有り様だ。

わが日本はどうか。そこでは残念ながら外見もほとんど違わず文化習慣も近い在日韓国・朝鮮人は言うまでもなく、中国人も差別する。しかも差別がない振りさえする。差別に気づかない者さえ多々いる。今後、世界中から肌の色も風習も何もかも違う移民が大幅に増えた時、いかなる差別社会が生まれるのか、考えただけでもぞっとする。

希望の国アメリカは、人種差別も不平等も格差も依然として多い。それは紛れもない現実だ。だがアメリカは、今この時のアメリカが素晴らしいのではない。米国の開放された良識ある人々が、アメリカはこうでありたいと願い、それに向かって前進しようとする「理想のアメリカ」が素晴らしいのである。そのアメリカで、差別と不寛容と憎悪を煽る手法で選挙戦を進めるトランプ氏が大統領になることなどあり得ない。またあってはならない。

アメリカを筆頭にする西洋民主主義体制とそれを支える自由と寛容と博愛の哲学は、直近の出来事を例に取ればナチスドイツやファシズムを撃滅した強い意志と勇気と良心によって支えられている。それは彼らを遠巻きに眺めてあれこれ吟味をする、例えば日本のそれなどとは実力が違い底力が違い迫力が違う。トランプ氏のような軽佻なポピュリストが、その牙城を突き崩すのは容易なことではないのである。



イスラム教徒への公開状~トランプ氏は皆さんの味方です~



米大統領選に立候補しているお笑い芸人のドナルド・トランプ氏が、イスラム教徒の皆さんの米国入国を禁止するべき、と発言してまた笑いを取ろうとしましたが、突然「いや、もはやこれは笑い話ではない、宗教の自由と寛容と多様性を重んじるアメリカの民主主義に反する」などという批判が噴出して、上を下への騒ぎになっていますね。

メディアがトランプ氏の発言内容を問題視して騒ぐのは重要なことです。なぜなら彼の発言の内容はイスラム教徒を貶めるものですし、偏見や差別や不寛容を奨励しかねない危険思想だからです。アメリカを始めとする世界のメディアは、これまで彼の品性下劣な暴言や罵倒や失言を半ば面白がりながら伝えていました。しかし、今回の発言は「越えてはならない一線を越えた」ものと見なして、一斉に深刻な表情になって氏を批判しています。

メディアの豹変ぶりは見事ですしまた正しい態度だと私は思います。同時多発テロの被害者であるフランスやイギリスのトップも、イスラエルのネタニヤフ首相でさえトランプ氏の発言を糾弾しています。それらにも賛成です。しかし私は、イスラム教徒の皆さんには、決して過剰反応をすることなく、相変わらずのお笑い発言だとみなして泰然としている方がベスト、とアドバイスをしたいと思います。

なぜならトランプ氏の発言は、今述べたように差別や抑圧につながる危険且つ汚れたものであると同時に、やはり馬鹿げたお笑い芸人の「お笑い発言」の域を出ないものだと考えるからです。そんな言葉に過剰に反応するのは、「イスラム国(IS)」の思う壺にはまることです。トランプ氏の発言の深刻な側面は、メディアの批判と管轄にまかせて、当事者のイスラム教徒の皆さんは静観した方が良いと思うのです。

トランプ氏の声高な呆れた主張は、いわゆる「能無しの高吼え」 です。吼える犬がめったに噛みつかないのと同じで、よほどのことがない限り実力行使には至りません。なぜならその実力が無いから。彼はその実力もないのに過激な発言をするから注目されているだけです。もちろんこの先に天地がひっくり返って、彼がアメリカ大統領に選ばれれば話は別ですが。

彼が当選するような事態は天地がひっくり返るほどの事件だと私は思います。もしもそんなことになった場合は、民主主義大国アメリカが崩壊する時ですから、もはや差別も偏見も自由も正義もありません。世界中のわれわれは等しく「イスラム国(IS)」の支配下に入って、恐怖と絶望と暗黒の中で生きる毎日を強いられていることでしょう。

しかしながらトランプ氏の主張に賛同したり影響されたりする愚者は必ずいます。その意味では彼の発言は封じられた方がいい。しかし、言論封殺は民主主義社会では断じて受け入れられません。従って彼は今後も同様の愚劣な発言を続ける可能性があります。その時も皆さんは静観した方がいい。もちろん昨今の皆さんの受難、特に欧米社会において頭をもたげつつあるイスラムフォビア(嫌悪)や、従来から蔓延する偏見や差別に対しては断固として抗議の声を上げ行動するべきです。

だがトランプ発言のような、馬鹿げた、且つ皆さんが黙っていてもメディアが騒いでくれるような事案には口を噤んだ方がいいのです。なぜなら彼の発言は数字で言えば1割の賛同者を呼ぶネガティブな影響があるかもしれませんが、うまくいけば9割の人々に問題や論点を知らしめ反省を促す効果もあります。そうした効果はメディアが騒げば騒ぐ程大きくなり、さらにポジティブに働きます。

もう一つ例を挙げます。「イスラム国(IS)」は中東で殺戮を繰り返すという悪事を働くと同時に、彼らとイスラム教徒が同じものでもあるかのような誤解と錯覚を世界中に与えました。今も与え続けています。しかし、彼らはまた彼らの悪を撒き散らすことで、その悪を生んだ欧米の身勝手な歴史とイスラム教徒やイスラム系移民が置かれた理不尽な立場に世界の人々の目を向けさせる、という極めて有意義な役割も果たしました。トランプ発言にはそれと似た効用もあります。彼の馬鹿げた発言は皆さんの味方でもあるのです。私はイスラム教徒の皆さんと連帯していくことをここで表明すると同時に、ドナルド・トランプさんありがとう、と心の中で言おうとさえ思います。

シリア空爆反対と叫ぶ正論のあやうさ

空爆反対の英国民は対案があるのか

パリ同時多発テロの直後にフランスはシリアの「イスラム国(IS)」への爆撃を強化し、ドイツも空爆には参加しないものの偵察用の戦闘機やフリゲート艦を派遣。また英国はイラクでの空爆をシリアにも拡大して「イスラム国(IS)」を攻撃している。

英国の空爆決定は、作戦に反対する多くの市民の声に抗(あらが)っての苦しい選択だった。批判者の主な論拠は、同国も参加しているイラクでの空爆の成果が上がっていないこと、だった。国論を真っ二つにした議論はシリア空爆開始後もくすぶり続けている。

英国の空気は世界にも伝播していて、いわゆるリベラル派はいうまでもなく、軍事アクションを鼓舞することが多い保守派まで、英国の空爆参加を非難し有志連合の作戦を中止するべきだという論陣を張っている。そうした声に対しては僕は「ならば対案はあるのか?」と問いたい。

対案が「何もするな」であるなら、何をか言わんや、である。それは「イスラム国(IS)」の破壊と残虐を「黙認しろ」と言うに等しい。有志連合の「イ スラム国(IS)」空爆、ひいては掃討作戦に関しては、英国国内に限らず大きな誤解と混乱が世界中にはびこっていると感じる。

アメリカの責任

誤解と混乱とはつまり、「イスラム国(IS)」の今現在の差し迫った危険と、その危険をもたらした欧米の責任を同時に声高に語ることである。この二つが平行して論が進められるために問題の焦点がぼやける。別の言い方をすれば惑乱する。

「イスラム国(IS)」はアメリカと英仏の横暴によって生まれた化け物である。従ってパリ同時多発テロを含む今の世界の混乱の責任は欧米にある。これは疑いようのない事実だ。むろん「イスラム国(IS)」にも責任はある。が、そもそも彼らが生まれなければ、今のテロ戦争は無かった可能性が高い。

それは具体的に言えば米の横暴から起きたイラク戦争と、それを上回る暴虐を発揮しての戦後処理の問題である。ブッシュ(息子)米大統領は、サダム・フセイン指揮下でイラクを支配していたバース党を、戦後に勝手に解体してイラク国家を崩壊させた。

ブッシュ大統領の無知と傲岸によって破壊され尽くされたイラクでは、それまで国家の中枢を担っていたバース党員や周辺の男らが迫害され路頭に迷い、米国ひいては欧米への恨みつらみを募らせて集結した。それが「イスラム国(IS)」の前身だ。

欧米の歴史的横暴

それ以前、第一次世界大戦中には、英国の中東専門家サイクスとフランスの外交官ピコの原案作成による、いわゆるサイクス・ピコ協定の横暴もある。英仏はロシアも巻き込んだその協定を元に、オスマン帝国内で共存していた人々の土地に勝手に国境線を引いて、混乱の元を作った。

やがて欧米は、アラブの土地を取り上げてイスラエルという国まで作った。それは中世から続く欧州によるアラブ世界への横槍の一環に過ぎない。キリスト教を旗印にする欧州は、宗教対立の先鋭化を理由に十字軍を編成してイスラム世界への侵略と抑圧の歴史を編み始め、それは時代と共に止どまるどころか加速して現在に至っている。

欧州は第一次世界大戦以降、中東からの移民を安い労働力として招き入れたが、彼らは差別と偏見の中で苦しい生活を強いられ続け、やがて今の混乱を生むホーム・グロウン(自国民)テロリストらが作り出される事態を招いた。

従ってイスラム過激派のテロを無くすためには、「イスラム国(IS)」を始めとする過激派組織を爆撃するよりも、先ず欧米が過去を反省し中東移民への偏見や差別を無くして、真の寛容と多様性を認める平等な社会を作り上げることが先決である。

欧米の暴虐と「イスラム国(IS)」のそれは切り離せ

前述の考え方の延長で、今「イスラム国(IS)」を叩くのは、欧米が再び過去の横暴を繰り返すことでしかなく、それはアラブの人々の更なる反感を招いて、結局新たな「イスラム国(IS)」やテロリストを生み出すことにしかならない、という議論が多くなされている。それは正論だ。

だが正論は常に時代に合致した正しい行動を呼ぶ訳ではない。シリア空爆に反論を唱える人々は、「イスラム国(IS)」が生まれた歴史的背景と、それを攻撃することから生まれる新たなテロの蓋然性のみを強調して、「今この時の脅威」である過激派組織をどうするのかという議論を避けて通っている。

そこでは欧米への糾弾や批判のみが一人歩きをして、「イスラム国(IS)」への空爆は何が何でも悪であり、不正義だという声ばかりが大きくなっている。それは間違っている。欧米が過去に犯し今も犯している罪と「イスラム国(IS)」の現行犯罪とは切り離して論じられるべきである。

繰り返しになるが、反空爆論や欧米の責任論はそのほとんどが正しい主張である。また「イスラム国(IS)」掃討作戦が新たなテロを生む可能性も否定できな い。いや否定できないどころか必ず別の「イスラム国(IS)」がそこから生まれる。テロは根絶できてもテロの思想は駆逐できないからだ。従ってただ「イスラム国(IS)」を殲滅するだけではなく、過去の過ちを繰り返さないための知恵が求められているのは言うまでもない。

「イスラム国(IS)」は肥大した癌

差し迫った脅威「イスラム国(IS)」はいわば肥大した癌である。癌は早急に削除されるべきである。それが「イスラム国(IS)」を殲滅する、ということ だ。ところがそのことで新たな癌が生まれる、だから行動を起こすなというのは、肥大した癌を放置したまま発癌物質が何だったかを調べたり過去に遡って生活 習慣を正す努力をしたリするに等しい。そんなことを続けていれば、解決策が見つかるはるか以前に患者は死亡してしまうだろう。

現在の「イスラム国(IS)」と世界の関係はそれと同じことだ。なにはともあれ今は癌を根治することが肝心である。欧米中心の有志連合は、「イスラム国 (IS)」を地上から消し去った後、イスラム教徒と中東地域を蹂躙した過去を反省すると同時に、テロの温床となる移民への間違った政策を是正し今度こそ寛 容と多様性が息づく真の平等社会を構築するために動き出さなければならない。

最後に付け加えておきたい。悪魔も顔負けの「イスラム国(IS)」は、イスラム教徒のために一つだけ良い仕事をした。それは欧米と世界の目を、欧米が犯し た過去の大罪に向けさせ、さらに欧州社会におけるイスラム系移民の置かれた理不尽な状況を、欧米各国民自身を含む世界の人々に知らしめたことだ。

暴力と残虐の限りを尽くしている彼らの行為は賞賛されるべきではないし正当化されるべきでもない。しかし、彼らは結果としてイスラム教徒やイスラム系移民 に資する仕事をしたことは否定できない。彼らのおかげで欧米をはじめとするグローバル世界は、今後はもはやイスラムの問題を無視して進むわけにはいかなくなった。

また欧米社会は、かつて英国がやったような三枚舌外交の手口で問題を誤魔化すこともできない。世界はその欺瞞を知った。もう後戻りはできないのである。それは言葉を替えれば、世界がテロの温床を一掃する方向に向かって進む可能性が出てきたことを意味する。「イスラム国(IS)」は再びその部分だけに限って言えば、 良い仕事をした。もうそろそろ消えてもらってもいいのである。

ミラノ・スカラ座、テロへの厳戒態勢の中で初日開演

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スカラ座のシーズン初日の出し物を伝える折込紙

今日12月7日、ミラノ・スカラ座の2015年~16年のシーズン初日が幕を開ける。12月7日初日がスカラ座の例年のならわしである。出し物は「ジョヴァンナ・ダルコ(ジャンヌ・ダルク)」 。それは欧州13カ国に同時生中継され、日本にも時間差中継される。

今年のオープニングは異常な厳戒態勢の中で準備が進められ、午後6時に開場する。厳戒態勢が取られているのはパリ同時多発テロが関係しているのは言うまでもない。

イタリアは2001年の米国同時多発テロ以降、イスラム過激派の脅迫を受け続けている。彼らが目の敵にするキリスト教最大派のカトリックの総本 山・バチカンを擁すると同時に、重要な文化遺産を多く有するこの国は、宗教のみならず欧州文明も破壊したい、と渇望するテロ組織の格好の標的になって いる。

そんな中、パリ同時多発テロから5日後の先月18日、米FBIがローマのサンピエトロ広場、ミラノのドゥオモと共にスカラ座が「イスラム国(IS)」の襲撃目標になっている可能性が高い、とイタリア政府に警告した。イタリアの緊張は近年にないほど一気に高まった。

スカラ座周辺を含むミラノの要点で交通規制が行われ、警察と軍警察の特別機動隊がひそかに展開されると同時に、スカラ座広場に面する全てのビルに一般人の目に入らない形で狙撃兵が編成、配置された。またスカラ座の入り口にはメタル探知機も設置される。

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スカラ座前の軍警察パトカーを強調するイタリア紙

ミラノのジュリアーノ・ピサピア市長は物々しい警備について「テロへの懸念がない、といえば私は無責任のそしり を免れないだろう。それはある。しかし、テロ対策は万全だ。考えられるあらゆる防御策が取られた。7日夜はすばらしい初日が幕を開けることになる」と表明した。初日にはミラノ市長はもちろん、レンツィ首相とマタレッラ大統領の出席も予定されている。

2011年12月7日、いつものスカラ座のシーズン初日、当時のマリオ・モンティ首相は夫人と共にスカラ座に足を運んだ。財政危機の大不況の中、スカラ座での観劇は不謹慎だと主張する多くの批判者の声にひるむことなく、オペラの初日を楽しんだのである。当時のナポリターノ大統領も同席した。

苦境にあるからこそ敢えて明るく振舞う、というのは重要なことだ。苦しいときに苦しい顔をするのは誰でもできる。社会に恐怖を植えつけるという「イスラム国の(IS)」の狙いを蹴散らす意味で も、また国民に勇気や安心をもたらす意味でも、要人が大きなイベントに参加するのは大切だ。その観点からレンツィ首相もマタレッラ大統領も、前任者のモン ティ首相とナポリターノ大統領コンビを見習うべきだ、と僕は思う。

締りがないようにも見えるイタリアの警備体制は、長丁場を無事に乗り切ってつい先日閉幕したミラノ万博において、高い能力を有すると十全に証明された。スカラ座初日の警備にはおそらく遺漏はないだろう。大切なことはその後も長く続く同劇場のシーズンの全てにおいて、警備が高い緊張感とともに継続されることである。万博での半年間のように。

空爆でも陸戦でも全面戦争でもテロは死なない


英軍空爆は無いより増し

2015年12月2日、 英下院は過激派組織「イスラム国」(IS)への空爆をシリア国内にも拡大することを承認した。これを受けて、キプロスのアクロティリ英空軍基地から4機の戦闘機が飛び立ち、ISが支配するシリア東部の油田を攻撃した。

米英仏ひいては欧米全体とロシアが協調して「イスラム国」(IS)を攻撃できるのか、あるいはロシア軍機撃墜を巡ってロシアとトルコが対立する事態が影響して足並みが乱れるのか、などの懸念はあるものの、パリ同時多発テロ後の世界の大半は英国の空爆参加によって「イスラム国」(IS)の殲滅に向けて合意に達した、と言っても過言ではないだろう。

作戦は中途半端であってはならない

空爆でも陸戦でもテロは死なない。つまりテロの思想は消えない。それでも、いやだからこそ「イスラム国」(IS)は徹底的に破壊されるべきである。なぜなら「イスラム国」(IS)殲滅後も消えることのないテロの思想は、結局近代社会には受け入れられないものである、と人々に明確にメッセージを送ることが、テロ思想の漸減に資するからだ。完全消滅が難しいならせめてそれを削減しようと努力するのが理であり叡智だ。

有志連合は、一度始めた「イスラム国」(IS)掃討作戦を完結させるべきである。なぜなら彼らテロリストは寛容の精神や民主主義という近代文明の重大な要素を敵視しあざ笑いこれを破壊しようと目論んでいるからだ。有志連合が結束して「イスラム国」(IS)に挑めば、悪魔のような過激派組織は早晩この世から消滅するだろう。

暴力の暴走を止める仕組みを守る

人類の進歩は暴力の管理統制によって完成しつつある。言葉を替えれば人類は、現在考えられる限り最善の「暴力の暴走」を回避する手段として暴力を監視統制する形を考え出した。それは万人の万人による闘争、いわゆる自然状態における問題解決手段としての暴力の野放し状態から、国家が暴力を独占して社会集団や個人間の対立を暴力(国家権力)によって裁定する仕組みへ移行することだった。

それは王やその周辺の貴族集団や宗教権威による暴力の独占に始まり、官僚組織が権力を執行実践する仕組みである。やがてその仕組みは革命によって人民の手に渡り、現在は不完全ながら、国家権力の源泉である暴力を民主主義によって管理行使して主権者である国民の人権を守る、という形に曲がりなりにも到達した。

言うまでも無くそこに至るまでには、革命や戦争や革命によって生まれた共産主義の激しい暴力など、血塗られた苦しい歴史がある。繰り返すがその仕組みは決して完全ではない。チャーチルが指摘したように人類はまだ民主主義に勝る政治体制を獲得していないのだ。民主主義はベストではない。ベターなだけだ。

しかし、ベストが存在しない限り、ベターがベストである。「イスラム国」(IS)はそうした人類が長い時間と犠牲をかけてたどり着いたベストの仕組みに真っ向から挑みこれを破壊しようとしている、だから彼らは殲滅されるべきなのである。

テロリスト殲滅には地上戦が必須

彼らを殲滅するのは空爆ではまったく足りない。足りないどころか、空爆は、標的確認あるいは探索のためのIT技術などが飛躍的に進歩したとはいうものの、明確な証拠がないまま無闇に爆撃をし銃弾を撃ち込む側面がある。そうした方法は無辜な民間人や非戦闘員を殺害する可能性が高いのみならず、敵標的を確実に排除することもできない。

空爆は自陣の損失を恐れる消極的な戦闘だから敵を殲滅することはできない、というのは広く知られた事実だ。イラクやシリアにおける有志連合の空爆もその例にもれない。従って「イスラム国」(IS)を地上から消し去る意志が有志連合に本当にあるなら、自らも傷つくことを承知で地上戦に持ち込むべきである。空爆は打ち上げ花火だ。見た目は華々しく派手だが、花火は爆弾ではない。

「イスラム国」(IS)殲滅戦は理想的には中東各国、もっと正確に言えば全てのイスラム国家が結束して当たる方が良い。イスラム世界が協同一致して過激派組織ISを撃滅するならば、それはいわば身内のならず者を一族がこぞって排除するということと同じだから、後味の悪さが少ない可能性が高い。

その場合は欧米中心の有志連合は、彼らの要請に従って援助したりアドバイスをしたりする役割に徹することができる。そうすれば特に英仏の横暴によって辛酸をなめてきたアラブ世界が、同じ負の歴史の二の舞を演じることがなくなり、従って将来に禍根を残す可能性も少なくなる、と考える。

欧米の力はベストではないがベター

だが、現実はどうか。アラブ各国は分裂いがみ合いを続けていて、結束してIS殲滅への行動を起こすなど夢物語だ。したがって今は欧米有志連合が連帯して世界の脅威である「イスラム国」(IS)を排除する形が現実的だ。有志連合のアクションに異を唱える人々は、何も行動を起こさずに「イスラム国」(IS)が無垢な民衆を殺害し、民主主義という「今現在の」世界体制の中では最良の仕組みを破壊するに任せるべきかどうか、を考えるべきである。

空爆によって欧州への難民が増える、と主張する人々もいる。果たしてそうだろうか。「イスラム国」(IS)が彼らの思いのままにシリアで、イラクで、そして中東全体で横暴を繰り返すことが、より多くの難民を作り出す結果にはならないのだろうか。いずれにしても「イスラム国」(IS)は難民を作り出しても彼らを救済しないが、欧米はこれまた不完全な形ではあるものの、難民を受け入れようと心を砕いている。批判者はこの事実も考慮して発言しているのだろうか。

そうは言うものの、「イスラム国」(IS)を破壊することではテロの思想は決してなくならない。有志連合は寛容の精神を否定する「イスラム国」(IS)を殲滅する「不寛容」の精神によって、新たなテロの温床を作り出すという矛盾を犯す可能性がある。テロリストを破壊する行為はISを地上から抹殺するのみで、テロやテロの思想を一掃することはできない。むしろそれはさらなる憎しみを呼んで新たなテロの温床になりかねない。

「イスラム国」(IS)殲滅は次のテロとの戦いの始まり

なぜなら「イスラム国」(IS)の戦士らにも家族があり共鳴者や賛同者がいる。残された彼らは憎しみを抱え込んでそれが新たな「イスラム国」(IS)を生みテロを誘発する。従って有志連合とそれに賛同する人々は、「イスラム国」(IS)破壊後に残される家族とシンパの憎しみと怒りと悲しみを真っ向から受け入れ、これを癒し救う道筋を真剣に考えるべきである。

その行為も残された者たちの憎しみを癒すには十分ではない可能性がある。だがそこで諦めてはならない。残念ながら組織を破壊することによってのみ進展が図られるのが「イスラム国」(IS)の問題だ。世界は恐れることなくテロリストを殲滅し、それによって世界の叡智を守り、残されたテロリストの家族たちを守る手だてを真剣に考えるべきである。

憎しみには憎しみを、という復讐の連鎖を断ち切って「ひたすら赦せ」と説いたのはイエス・キリストである。そして「イスラム国」(IS)を殲滅しても生き延びるテロの思想を真に根絶できるのは実は、キリストが唱道したその絶対の「赦し」だけである。 空爆も陸戦も全面戦争も決してテロの思想を根絶することはできない。だが今日現在の人類は、「イスラム国」(IS)の差し迫った脅威を排除するのに「絶対の赦し」を行使するほどの知恵を持たない。いや、知恵はきっとあるのだ。人類はそれを実現する方策をまだ知らない。従って今できる最善の方法で事態に対するべきだ。


ハゲの横好き


僕は

+アタマ額


を目指して驀進中です。

なのに、あ~それなのに、いいハゲこいて、もとへ、いいトシこいて、僕はPerfumeが好きです。

Perfumeを香水と思った人はオヤジでありオバchanである。

ならばPerfumeとは何か。Perfumeを知らない若者のために説明すると、Perfumeは若い女性3人組のアイドルグループである。テクノポップユニット とも言うらしい。

そんなものを好きな僕のようなオヤジはエロいと見なされることもある。正確に言うと若い女性歌手やグループを追っかけるオヤジはエロいらしい。エロ目的のくせにエロい情熱を隠して出没する、ということなんでしょうね。

僕はぶっちゃけそこまでエロくはなさそうだ。なぜならPerfumeの追っかけをするほどの元気はないし、それほどの情熱もない。また僕の娘ほどの年齢のアイドル3人をアイドルともみなせない。

僕のアイドルは(年齢と時代の関係で敢えて言えば)キャンディーズである。ま、キャンディーズを知っている人はぶっちゃけオヤジとオバchanです。で、人気絶頂の頃のキャンディ-ズの3人娘は、まぶしくて近寄りがたくて憧れだった。

僕はそこでもキャンディーズの追っかけをするほどの熱烈なファンではなく、遠くから眺めているという程度の煮え切らない若者だったが、同世代の女性アイドルを熱く見つめている青年が内に秘めているのは、歌への情熱に織り込んだまさにエロだった、という気はしないでもない。

ところが、Perfumeの3人の踊り子たちは、とても田舎っぽくて前述したように僕にはアイドルには見えない。Perfumeは、キャンディーズオジさ んの僕にとっては憧れではなく、例えば故郷の友人のタカオとかヨシオとかの娘みたいな、 あるいは田舎の姪っ子たちみたいな、要するにフツーの娘過ぎてエロにはならないのだ。

とはいうものの、こうしてあれこれ言い訳めいたことを書き連ねているのが怪しい。やっぱりエロだ。というスルドイ指摘もありそうなので、本題に戻る。

僕のPerfume好きをもっと具体的に言えば、実は僕はPerfumeの歌「ワンルーム・ディスコ」が好きなのである。それは♪ジャンジャンジャン♪という電子音(デジタルサウンドと言うらしい)に乗って次のように軽快に歌われる。

ディスコディスコ ワンルーム・ディスコ
ディスコディスコ
ディスコディスコ ワンルーム・ディスコ
ディスコディスコ

なんだってすくなめ 半分の生活 だけど荷物はおもい 気分はかるい
窓をあけても 見慣れない風景 ちょっとおちつかないけれど そのうち楽しくなるでしょ

新しい場所でうまくやっていけるかな 部屋を片付けて 買い物にでかけよ
遠い空の向こうキミは何を思うの? たぶん できるはずって 思わなきゃしょうがない
(中略)
新しい場所でうまくやっていけるかな 音楽をかけて計画をねりねり 
今日はなんだかね おもしろいこともないし リズムにゆられたいんだ ワンルーム・ディスコ

ディスコディスコ ワンルーム・ディスコ
ディスコディスコ~


デジタルサウンドという新鮮な音の洪水に乗って流れるメロディーもいいが、僕にとっては歌詞がもっと良い。つまり:

「なんだってすくなめ 半分の生活」 
「荷物はおもい 気分はかるい」
「そのうち楽しくなるでしょ」
「たぶん できるはずって 思わなきゃしょうがない」

それらの前向きな態度や思考は、僕が理解している限りでの全き禅の世界である。作詞・作曲をした中田ヤスタカさんが禅を意識していないのが、余計に禅的で良い。

禅とは徹頭徹尾プラス思考の世界である。しかもそのポジティブで前向きな生き方を意識しないまま、自然体で体現するのがもっとも理想に近い禅世界だ。

受身ではなく能動的であること。消極的ではなく積極的であること。言葉を替えれば行動すること。「書を捨てよ。町へ出よう」と動くこと。またはサルトルの「アンガージュマン」で行こうぜ、ということである。

もっと別の言い方で説明すれば、それは僕の座右の銘である「日々是好日(にちにちこれこうにち(じつ)」と同じ世界だ。まさに理想的な禅の世界なのだ。

日々是好日とは、どんな天気であっても毎日が面白い趣のある時間だ、という意味である。つまり雨の日は雨の日の、風の日は風の日の面白さがある。あるがままの姿の中に趣があり、美しさがあり、楽しさがある。だからそれを喜びなさい、という意味である。

僕はバカかった頃、もとへ、若かった頃、この言葉を「毎日が晴れたいい天気だ」と勝手に理解して、東洋的偽善の象徴そのものだと嫌悪した。これは愚かな衆生に向かって、「たとえ雨が降っても風が吹いても晴れた良い天気と思い(こみ)なさい。そうすれば仏の慈悲によって救われる」という教えだと思ったのだ。

まやかしと偽善の東洋的思想、日本的ものの見方がその言葉に集約されていると当時の僕は思った。その大誤解は僕が日本を飛び出して西洋世界に身を投入する原動力 の一つにもなった。僕は禅がまったく理解できなかった。しかも理解できないまま僕が思い込んでいる禅哲学が、反吐が出るほど嫌いだった。無知とはゲに怖ろしい。

西洋にも禅的世界観がある。歌の世界であれば:

♪ケセラセラ なるようになるさ~♪

がそうであり、ビートルズの

♪レットイットビー  レットイットビー  レットイットビー♪

もそうである。

ただ西洋のそれは、人生をある程度歩んだ「大人の知恵」という趣が込められた歌だと僕は感じる。つまりそれは、敢えて言えば哲学である。Perfumeの3人娘が歌うのはそんな重い哲学ではない。

軽い日常の、どうやら失恋したらしい女の子の、前向きな姿を今風のデジタルな音曲に乗せて、踊りを交えて歌う。その軽さがいい。深く考えることなく、「軽々と」禅の深みに踏み込んでいるところがいい。

あるいは考えることなく「軽々と」禅の高みに飛翔している姿がいい。。

というのはしかし、東洋の、特に禅の全きポジティブ思考に魅せられている「東洋人の」僕の、東洋世界への依怙贔屓 (えこひいき)に過ぎないのかもしれない。

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