2016年01月

イラン大統領を特別扱いした伊政府のおバカ度 



核開発をめぐる欧米との合意、またそれに伴う経済制裁の解除を受けて、イランが国際社会で存在感を増しつつある。

多くの国の幹部がイランを訪問し、イラン政府の重鎮らも世界中に赴いて活発な外交を進めている。その一環で同国のロウハニ大統領がイタリアを訪れた。

イラン政財界の主要人物120人と共にイタリアを訪れたロウハ二大統領は、イタリアとの間に170億ドル(約2兆2千億円)に上る商談をまとめ、有名なカピトリーニ美術館を訪問した。

その際にイタリア・レンツィ首相の意向を受けた美術館は、展示されている古代ロー帝国時代の裸のビーナス像(紀元前2世紀)など、多くの裸体彫像を白い箱で覆った。

イラン側が事前の視察で、裸婦像が敬虔なムスリムであるロウハニ大統領の目に入るのは不適切、と指摘していたためにイタリア側が気を遣ったのである。

この馬鹿げた処置にイタリア国民の多くが反発し、レンツィ首相と政府を糾弾している。芸術品への冒涜でありイラン大統領への屈服だという強い主張をする者までいる。

また国賓である相手への敬意を示すのは良いが、自らの文化を軽侮するのはあってはならないことだ、と正論で首相を批判する者もいる。

もしもこの出来事が国家対国家の付き合いでなく、プライベートな仲間内での案件であったなら、あるいは美談として捉えられたかもしれない。

つまりホストであるレンツィさんが、客のロウハニさんに気を遣って持てなしただけだ、と。だが事態はそう単純なものではない。

まともな客人なら訪問先のホストにあらかじめ何らかの配慮をするようねじ込むことなどないからだ。イラン側は事前にそれをやっている。

僕はイラン大統領にもレンツィ首相にもいわく言いがたい違和感を覚えずにはいられない。どちらも相手を尊重する振りで、やっていることは自己中心的な互いの思惑の押し付け合いである。

まずイタリア側のレンツィ首相だが、彼は何よりもイランとの間に生まれた170億ドルにも上る商談をまとめたいという気持ちが強かった。その一心でロウハニ大統領のご機嫌伺いに徹したものと考えられる。

それは悪いことではないだろう。しかし、その度合いが愛想の域をはるかに超えてもはや卑屈、あるいは国辱ものにまでなってしまった。だから国民の厳しい批判にさらされている。

しかも彼の場合はこれが初めての「勇み足」ではない。アラブ首長国連邦・アブダビの皇太子がフィレンツェを訪れた際にも、レンツィ首相は市庁舎に展示されていた裸体像を隠して人々の顰蹙(ひんしゅく)をかった。

そういう行為は、相手を敬慕するように見えて、自らの信条や本音を秘匿する分、極めて卑劣な振る舞いだ。つまり正直ではない。従って誠実でもない。上から目線の思い上がりも透けて見える。

一方のロウハニ大統領側にもムスリム独特の偏屈と、傲慢とも捉えられかねない思い込みの激しさがあるように見える。人体の美を表現する裸体像は西洋文明の長い伝統なのだから、これを尊重するのがあるべき態度ではないか。

像を覆い隠したのはイタリア側の自発的なものではなく、前述したようにイラン側の事前の要請に応えたものである。ロウハニ大統領一行に相手文化を敬仰する本気があるならそんな催促などしないだろう。

もっともロウハニ大統領自身は「裸像隠し」の件については私は何も知らないと記者に答え、一方のレンツィ首相側も同様の指示は出していない、とシレッとして声明を出す有り様だ。

イラン側は晩餐会においても、飲酒を忌むムスリムの掟を持ち出してワインを供しないようにイタリア側に註文し、レンツィ首相はここでも唯々諾々と従った。そのことでも彼は自国の文化を卑下したと批判されている。

イランから同じような要請を受けたフランス政府が、食事会におけるワインはフランス文化の核とも言える重要なものだから受け入れられない、ときっぱり拒否した態度とは大違いだ。

要求に屈したレンツィ首相も浅ましいが、他国の文化を尊重するどころか、結果として自らのそれを押しつける形になったイラン大統領の傲岸も救いがたいものだ。彼の態度は欧州に住むイスラム系移民のそれに通低するものがあると感じる。

それはイスラム教徒の人々の悪質ということではなく、イスラム教という宗教の一大特質である「柔軟性の欠落」がもたらす非常に厳しい様態である。つまり教義が時として強制するように見える後進性であり、政教分離の理念の欠如である。

ここ欧州においては、白人のキリスト教徒によるイスラム系移民への偏見差別が歴然として存在する。それは糾弾されて然るべきだ。その差別がなくならない限り、彼らの憤懣は消えることがなく、従って摩擦やテロも無くならない。

だが非はキリスト教徒だけにあるのではない。イスラム教徒の持つ意固地な考えや行動も非難されるべきだ。自らの信仰を全てに優先させる余り、残念ながら彼らは、欧州文化や文明を軽侮すると見られかねない言動をするケースも多い。

自らの価値観を保ち、それに従って生きることは自由だが、ここは欧州社会である。彼らは率先して欧州の価値感も認め尊重することも忘れてはならない、と思う。

郷に入れば郷に従え、という普遍的な哲学を尊重する態度があって初めて、彼らの価値観も他者から認められる。我を押し通すだけでは反発を呼び衝突が絶えなくなる。

イラン大統領の言動とこれを受けてのレンツィ首相のアクションには、欧州とイスラム社会が直面している今現在の深刻な問題の実相が隠されている。持てなしか否かとか、美術館の裸像が果たして芸術か卑猥か、などという単純な話ではないのである。

インターネットのテレパシー



世の中には「虫の知らせ」とか「以心伝心」とか「予感」とか「テレパシー」など、科学では説明できない何かがあるように思う。

僕は科学を信じるが、科学では説明できない何かがある、ということも科学だ、と考える者だ。

そのことと関係するが、

50歳になったとたんに、友人でもあり仕事先の重要人物でもある優秀な同期生が、「50歳を機に人生でできることとできないことの仕分けを始めました」という便りをくれた。

優秀ではない僕は、できる男はやっぱり違うなぁと思って、おどろきあせり感激した。

そこで僕は「50の舟歌」と題してこう返した

『齢(よわい)50の出生日成る
  この佳(よ)き日につづくまた佳き日々は
   立てるなら 腹バ立てるな 
    チン オッ立てよ・・・
          立つならば・・
            よ~し!


その同じころ、別の友人がアルコール依存症になったり、癌その他の病気で死ぬことが続いた。そこでも、『2度あることは3度ある』という言いにも近い人智を超えた何かを感じた。

あれから10年が経ち、僕は還暦1年生になった。あいかわらず腹の立つことは多く、朕はしおれ気味だ。

それなのに還暦という節目に際して、再び多くのことが起こっている。それは肉体の変化とそれに伴う精神の変化というよりも、社会的存在としての60歳に起きる変化、ならびにそれに伴うそれぞれの男女の変化である。

多くが退職し、退職をしようとし、まさに暦がゼロに戻る体験をしている。その中で、若かりし日の夢を再び身近に引き寄せて再挑戦をする者も結構出るようになった。

そうやって昔の情熱に浮かされた1人が、昔はなかったインターネットを使ってあれこれ遊び、検索しているうちに、かつて文芸誌に掲載された僕の小説を示すサイトに行き着いた、と興奮気味に知らせをくれた。

その文芸誌と自分の作品のことを忘れてはいないが、ほとんど思い起こすこともなかった僕も驚いた。

ネット(WEB)がなければ、20年以上も前の売れない文芸誌の、売れない小説の情報などほぼ知る由も無いことに違いない。

ネットはネットのみならず、紙媒体も包括していることにあらためて気づかされた。

その事実に僕は結構心を衝き動かされた。

そうして思い惑い、手元にある一冊を久しぶりにひも解いて自分の作品を読んでみたりした。

すると小説を書きたい気持ちが湧き起ってきた。それに連れてブログを書く気持ちが弱まったりもした。

昨年末あたりから僕はそんな風に揺れ動く気持ちを持て余している。

これではいけないと思い、新年に際して一日一記事を書こう、と誓いを立ててみたりもした。

今は少し落ち着いて、やはりブログという面白い表現手段を大事にしよう、と思い直している。同時に時間と意欲があれば小説も書いてみようかとも。

そう思いつつ、とりあえずはネットという素晴らしい贈り物へのお礼と、その機能と力への感嘆を表す意味で、僕の小説が掲載されている文芸誌のURLをここに紹介しておくことにした。2度とそういうことはなさそうにも見えるので。

まだ在庫があって注文すれば手に入るとのことなので、物好きな方は連絡してみて下さい。
http://www.mitabungaku.jp/backnumber16.html
http://item.rakuten.co.jp/takahara/1560757/


後日談実話:この小説が出た時、ある商業誌の小説部門の編集長が、ここまでで自分が知る限りのべストのエイズ小説、という言葉をくれた。

でも彼の出版社が、第2弾を書いてくれ、と僕に声をかけてくれることはなかった・・

つまり、それが「売れない」という現実と「才能のなさ」という悲哀なのだろうと思う。




大相撲の遠藤を公傷扱いにするのは不公平だろうか



遠藤が初場所7日目から休場した。やれやれ・・、というのが実感である。彼はもっと早く且つ徹底的に休むべきだったのだ。遠いイタリアで大相撲の衛星放送を見つつ考えている。

人気、実力ともに快進撃、登り調子一辺倒だった遠藤は、昨年春場所の5日目、松鳳山との一番で左膝に大ケガを負い、休場を余儀なくされた。

ケガは全治2カ月の重症だった。従って次の夏場所も休場するのが普通である。しかし番付が幕尻近くだった遠藤は、そこで休めば十両陥落は間違いないという瀬戸際にいた。

そこで彼は夏場所も出場して、6勝9敗の情けない成績ながらかろうじて幕内に留まることに成功した。そして次の名古屋場所、秋場所を連続して勝ち越した。

だがケガをじっくりと治さないことがたたって、傷は場所ごとに悪化。一年最後の九州場所では、ほとんど相撲が取れず無気力相撲にも近いパフォーマンスになった。

当然番付けも下がった。昨年九州場所では4勝11敗と大負け。今年に入って休場するかと思っていたら、やはり出場して無残な戦いを見せた。挙句の休場である。

遠藤はおそらく来場所は十両落ちだろう。そこで出場してもケガのために思うように勝てず、あるいは治癒するために休場しても番付けは落ち続け、ついには引退の危機さえ待っている。

休めば降格の地獄、ケガを押して出場しても、勝てないという地獄。四面楚歌の中で一番つらい思いをしているのは当の遠藤に違いない。

が、相撲を取れる状態ではない体の彼が土俵に上がっているのを見る者もつらい。特に遠藤ファンにとってはそうだ。そして僕は遠藤ファンである。そこを明言した上で話したい。

大相撲の人気が戻った。大人気と言っても構わないだろう。昨年は1月場所から4場所連続して《連日満員御礼》になった。それは若貴ブームで沸いた90年代以来の出来事である。

しかも大相撲のファンは、60代以上の男性を筆頭に男が主だったが、最近は若い女性ファンも増えている。このブームを作っている最大の要因が遠藤だ、という見方もある。

休場すれば情け容赦なく番付が下がること以外に、遠藤人気で客の入りが良いため相撲協会も彼を出場させたい。そうした暗黙のプレッシャーもかかっていて、遠藤は休場に踏み切れないのだろう。


遠藤がケガを押して土俵に上がっている姿は、ストイックな雰囲気をかもし出していて、初めは見る者を感動させさえした。痛む素振りをみせないことがさらにその印象に拍車をかけた。

しかし、勝てない彼に人々はやがて疑問を持ち始める。負けっぱなしのプロは変だ、と感じ始めたのだ。痛みを堪えて出場して勝つからこそファンは喜ぶのだ。

人々の同情は疑問になり、連日負けても土俵に上がる姿に目をそむける者も出始めた。負け続けの彼のパフォーマンスは、前述したように無気力相撲のようにさえ見えることがあった。

それは時には見苦しくさえあった。いい相撲、面白い相撲を期待しているファンの気持ちに応えようとするよりも、自分の番付を守りたい気持ちだけが透けて見えたからだ。

ファンのそんな気持ちが募りだしたころ、遠藤は休場を決めた。遅きに失したほどに遅かったが良い判断だった。しっかり休んでケガを完治させるべきだ。

それにしても、ケガで休場しても番付けが下がる今の大相撲の規定では、本人が出場したいと言い張るのも理解できる。そろそろ公傷制度を復活させるべきではないか。

公傷制度とは、横綱以外の力士が、本場所の土俵でケガをして翌場所を休場しても番付けが下がらない、というルールである。それは1972年に導入された。

ところが、公傷制度はある意味で悪用されて、ケガをした力士が頻繁に本場所を全休するようになった。紆余曲折を経てその制度は2003年に廃止された。

公傷制度の多用はもちろん言語道断である。しかし、将来有望な力士がケガを治せないままずるずると番付を下げて、ついには力士生命を終えるような事態は避けた方がいいのではないか。

遠藤は鍛えに鍛えて、体の芯に鋼のような硬さを持つぶつかりと立会いができるようになれば、昭和46年に現役横綱のまま亡くなった玉の海の域に近づける才能がある力士だ、と個人的には思う。

相撲協会には「ケガをすること自体が力士の怠慢」という古くからの考えもある。そのことと、ケガを押して土俵に上がっても痛い振りを見せない遠藤の姿に潔(いさぎよ)さを見る、日本人の心情は得がたいものだ。

だがそうした「美学」は、美学が往々にしてそうであるように理不尽な側面を持つ。怠慢どころか自らを厳しく律していても力士はケガをする。

また痛みをこらえて土俵に上がっていればケガは悪化する。もちろん動きながら治す、というケガもスポーツの場合は多い。しかし重症のケースではやはり休んで治療をするべきだ。

遠藤はこの先たとえ幕下まで落ちても、同じ境遇で這い上がった幕内現役の栃ノ心や阿夢露と同じ精神的強さがある、と信じたい。が、そのまま消えてしまう可能性がないとは誰にも言えない。

そんなことになっては寂しい。寂しいだけではなく相撲協会にとってもファンにとっても大きな損失である。審査基準を厳しくし罰則などもうまく使いながら、大相撲はそろそろ公傷制度の復活も考えるべきである。

バチカンのジュビレオ(聖年祭)はテロ撲滅に貢献できるか



新年になってもIS(イスラム国)の脅威は止むことがなく、米仏に続いてここイタリアのジェノバでもテロ組織関連の摘発があった。アフリカとの船舶の往来も少なくないジェノバ港で、ISと関連があると見られるリビア出身の3人の男が車両貿易を装ったマネーロンダリングの疑いで逮捕された。彼らの活動はISの資金源の一つになっていると見られている。

過激派テロの脅威が続く中、キリスト教カトリックの総本山ローマのバチカンでは、昨年12月8日からジュビレオ(聖年祭)が開催されている。ジュビレオとは、信者がローマを訪ねてサンピエトロ大聖堂を含む4大聖堂の聖なる扉を通って参拝すると、あらゆる罪が許されるというもの。世界12億余のカトリック信者のローマ巡礼を促す意味がある。祭りは今年11月20日まで続き、ローマではその期間中多くの関連事業も執り行なわれる。

ジュビレオは西暦1300年に始まった。その後、開催年をめぐる紆余曲折を経て、25年毎に挙行すると定められた。前回はヨハネ・パウロ2世が2000年に行った。次は 2025年のはずだったが、フランシスコ教皇が「現下の厳しい世界情勢の中で人々は許しあわなければならない」と主張して、通常の聖年祭をいわば前倒しにする形で開催する特別聖年祭。

715年前の第一回目のジュビレオでは、推定人口2万人のローマに200万人もの信者が押し寄せたと言われている。信者一人ひとりの全ての罪が、バチカン巡礼によって帳消しになる大赦年とされたからだ。それを虚偽と見なしたダンテは《神曲》の中で、ジュビレオを始めた教皇ボニファティウス8世を聖職を穢す者として厳しく断罪している。

おびただしい数の信者が訪れるジュビレオは、当時から敬虔な宗教行事であると同時に、教会そのものを含むローマ市にとっては常に大きなビジネスチャンスでもあった。巡礼者への宿や飲食を提供する業者や一般庶民はもちろん、聖職者や貴族に至る全てのローマ市民が巡礼者を利用して金儲けを企み、金で罪を購(あがな)おうとする巡礼者もそれに便乗して、喜んで散財をしたと言われる。

フランシスコ教皇がジュビレオの開催を決定・発表したのは、彼の教皇選出から2周年に当たる昨年の3月13日だった。同年初頭にはIS(イスラム 国)などの過激派によって中東で多くのキリスト教徒が殺害されたり、欧州では過激派テロリストによるシャルリー・エブド襲撃事件なども発生していた。

キリスト教徒とイスラム教徒の間に楔を打ち込み、対立をあおり、憎しみを植えつけようとする過激派の動きやテロは、教皇のジュビレオ開催の発表後も相次いだ。フランシスコ教皇はそうした不穏な世界情勢に臨んで、キリスト教徒に寛容と許しの精神を堅持するようにと呼びかけたのである。

そこには彼の政治的な思惑も絡んでいると見るのが妥当だ。すなわち、近年カトリック教会離れが著しい信者の心を引き止め、求心力を高めたいという強い思いがフランシスコ教皇にはある。特に彼の出身地である南米ではブラジルを中心にカトリック教会からの信者離れが進んでいる。

バチカンの不正財政問題や聖職者による幼児性愛事件、あるいは同性愛や避妊などを巡って、教会の見解に不信感を抱く信者が増え続けることにバチカンは苦悩している。そこに同じキリスト教内のプロテスタントによる信者獲得攻勢も加わって、バチカンは切羽詰った状況におかれている。

またフランシスコ教皇には、前任者のベネディクト16世の時代に停滞、あるいは退行したバチカン内部の改革を推し進めるために、信者の強い支持と世界の注目を集めたいという願いも強くある。教皇の改革への意思は固く、これを恐れるバチカン内部の保守派は彼の暗殺を計画している、という噂が絶えないほどである。

ジュビレオはバチカンとカトリック信者間のいわば内部問題を解決する手段であると同時に、他宗教との対話や協調を希求するフランシスコ教皇が、IS等の過激派のテロを糾弾し宗教間の和解と友誼を謳う象徴的な意義もある。「厳しい世界情勢の中で人々は許しあうべき」という彼の訴えは、キリスト教徒のみならずイスラム教徒をも意識していると考えたい。

今回の特別ジュビレオでは、ローマの4大聖堂ばかりではなく、世界各地の教会でも特別参拝ができるようにした。わざわざローマまで出向かなくても世界中の信者が地元の教会で参拝をすれば、ローマ巡礼と同じ功徳があると信者に伝えたのである。その通達にはテロを誘発しやすいローマへの信者の集中を避ける狙いと、信者がジュビレオに参画しやすい状況を作り出すことで、同祭の盛況を演出したい教皇の思いが込められている。

バチカンは長くイスラム過激派の脅迫を受けていて、パリ同時多発テロの直後には、ISがバチカンを標的にテロを準備している可能性がある、と米FBIが名指しで警告を発している。他の欧州諸国でも似たり寄ったりの緊張状態が続いていて、パリ同時多発テロの実行犯を生んだべルギーのブリュッセルでは、大晦日から新年にかけての花火大会が禁止された。

ここイタリアは違った。年明けの午前0時を契機に、《いつものように》ローマを含む全土で花火や爆竹などの爆発音が鳴り渡った。それは過激派の脅迫には萎縮しない、という国民の強い意思表示のようにも見えた。幸いなことに激しい爆発音が響き渡っていた1月1日未明までの時間もまたその後も、イタリアのどこにもテロは発生していない。

テロリストの主な狙いは前述したように「キリスト教徒とイスラム教徒の対立を煽る」ことである。そこでジュビレオをイスラム教徒が大挙して表敬訪問して、キリスト教徒との連帯を示すなどの動きがあれば過激派の鼻を明かせるのに、と僕は思ったりもする。同時にそれは両宗教の和解の布石にもなって一石二鳥だが、今はまだ実現するのは難しいように見える。だがバチカンもイスラム世界もいつかは必ずそこを目指すべきである。


イタリアのアブナイ新年、ナポリのナニモナイ正月



大晦日の夜から新年にかけてのイタリアは、相変わらずクレージーでのけぞるほどにばかばかしくて、そこはかとなく哀れみの伴う人間模様に満ち溢れていた。

大晦日の夜、イタリア中の家庭やレストランでは「チェノーネ」と呼ばれる大夕食会が開かれている。12時を回って新しい年が始まると同時に、花火が打ち上げられ爆竹が激しく鳴らされてあたりが騒然とする。

今年も新年を祝う大騒ぎが繰り広げられた。結果、死人こそ出なかったものの、イタリア中で190人が負傷した。このうち爆発で腕や手を失ったり失明したりを含む重症患者は16人だった。

負傷者の多くは例年の如く南イタリアのナポリ近郊に集中していたが、大晦日を待っていた昨年12月29日には、北イタリアでもニュースになる大きな事故があった。

ミラノ近くのヴァレーゼという町で、新年に向けて花火の準備をしていた22歳の若者が、誤って火薬を爆発させて両手と両目を失い、全身に激しい火傷を負ったのである。

そうした事故は毎年毎年飽きもせずにイタリア全土で繰り返されるが、それでも今年は負傷者の数は少ない方だった。それはあるいは、ISなどの過激派のテロへの厳重な警戒が敷かれる中での祝賀だったことが影響したのかもしれない。

僕は以前、ナポリの正月を生中継で日本のお茶の間に届ける番組を作ったことがある。テレビの中継番組というのは仕掛けが大きく、かかわるスタッフの数も多い。つまりそれだけ金もかかるし仕事も重い。

僕はそこでプロになってはじめて、途中で仕事を投げ出したくなるほどのプレッシャーを受けて苦しんだ。苦しかったのはナポリの正月が何もない正月だったからである。

前述したようにイタリアではナポリなどを筆頭に大晦日の夜から新年にかけて大食事会が開かれ、花火や爆竹ががけたたましくはじけて人々が騒ぐ。シャンパンやワインが開けられて大いに飲み歌い楽しむ。

明け方まで大変な騒ぎが続く。騒ぎのあと、正月の昼間は見事なくらいに何もない。人々は疲れて昼頃まで寝ている。起きても別に何もしない。もう祝賀や遊びや興奮は過ぎたのである。

テレビ屋にとってはこれは非常につらい仕打ちである。何かが起こらなければ番組にならない。そういうナポリの正月の昼間の状況は、もちろん事前に調べて分かっている。「何もないナポリの正月を紹介する」というのも番組のコンセプトの一つである。

それはしかし、テレビ画面に何も映さないという意味ではもちろんない。日本とは違って「ナポリの正月は何もない」という現実を、いろいろな「何もない絵」を組みこんで見せていくのが僕の仕事である。これが苦しかった。大変な仕事だった。それほどにナポリの正月は何もない。

新春魚料理談義


加筆再録


「世界には3大料理がある。フランス料理、中華料理、そしてイタリア料理である。その3大料理の中で一番おいしいのは日本料理だ」

これは僕がイタリアの友人たちを相手に良く口にするジョークである。半分は本気でもあるそのジョークのあとには、僕は少し大げさな次の一言もつけ加える。

「日本人は魚のことを良く知っているが肉のことはほとんど知らない。逆にイタリア人は肉を誰よりも良く知っているが、魚については日本料理における肉料理程度にしか知らない。つまりゼロだ」

3大料理のジョークには笑っていた友人たちも、イタリア人は魚を知らない、と僕が断言したとたんに口角沫を飛ばして反論を始める。でも僕は引き下がらない。

スパゲティなどのパスタ料理にからめた魚介類のおいしさは間違いなくイタメシが世界一であり、それは肉料理の豊富さにも匹敵する。

しかしそれを別にすれば、イタリア料理における魚は肉に比べると貧しい。料理法が単純なのである。

この国の魚料理の基本は、大ざっぱに言って、フライかオーブン焼きかボイルと相場が決まっている。海際の地方に行くと目先を変えた魚料理に出会うことはある。それでも基本的な作り方は前述の三つの域を出ないから、やはりどうしても単調な味になる。

一度食べる分にはそれでいい。素材は日本と同じように新鮮だから味はとても良い。しかし二度三度とつづけて食べると飽きがくる。何しろもっとも活きのいい高級魚はボイルにする、というのがイタリア人の一般的な考え方である。

特に家庭料理の場合はそうだ。ボイルと言えば聞こえはいいが、要するに熱湯でゆでるだけの話だ。刺身や煮物やたたきや汁物などにする発想がほとんどないのである。

僕らは日伊双方の料理の素材や調理法や盛り付けや味覚などにはじまる様々な要素をよく議論する。そのとき、魚に関してはたいてい僕に言い負かされる友人たちがくやしまぎれに悪態をつく。
「そうは言っても日本料理における最高の魚料理はサシミというじゃないか。あれは生魚だ。生の魚肉を食べるのは魚を知らないからだ。」

それには僕はこう反論する。
「日本料理に生魚は存在しない。イタリアのことは知らないが、日本では生魚を食べるのは猫と相場が決まっている。人間が食べるのはサシミだけだ。サシミは漢字で書くと刺身と表記する(僕はここで実際に漢字を紙に書いて友人らに見せる)。刺身とは刺刀(さしがたな)で身を刺し通したものという意味だ。つまり“刺刀(包丁)で調理された魚”が刺身なのだ。ただの生魚とは訳が違う」

と煙(けむ)に巻いておいて、僕はさらに言う。
「イタリア人が魚を知らないというのは調理法が単純で刺身やたたきを知らないというだけじゃないね。イタリア料理では魚の頭や皮を全て捨ててしまう。もったいないというよりも僕はあきれて悲しくなる。魚は頭と皮が一番おいしいんだ。特に煮付けにすればそうだ。

たしかに魚の頭は食べづらいし、それを食べるときの人の姿もあまり美しいとは言えない。なにしろ脳ミソとか目玉をずるずるとすすって食べるから。要するに君らが牛や豚の脳ミソをおいしそうに食べるのと同じさ。

あ、それからイタリア人は―というか、西洋人は皆そうだが―魚も貝もイカもエビもタコも何もかもひっくるめて、よく“魚”という言い方をするだろう? これも僕に言わせると魚介類との付き合いが浅いことからくる乱暴な言葉だ。魚と貝はまるで違うものだ。イカやエビやタコもそうだ。何でもかんでもひっくるめて“魚”と言ってしまうようじゃ料理法にもおのずと限界が出てくるというものさ」 

僕は最後にたたみかける。
「イタリアには釣り人口が少ない。せいぜい百万人から多く見つもっても2百万人。日本には逆に少なく見つもっても2千万人の釣り愛好家がいると言われる。この事実も両国民の魚への理解度を知る一つの指標になる。

なぜかというと、釣り愛好家というのは魚料理のグルメである場合が多い。彼らはスポーツや趣味として釣りを楽しんでいますという顔をしているが、実は釣った魚を食べたい一心で海や川に繰り出すのだ。釣った魚を自分でさばき、自分の好きなように料理をして食う。この行為によって彼らは魚に対する理解度を深め、理解度が深まるにつれて舌が肥えていく。つまり究極の魚料理のグルメになって行くんだ。

ところが話はそれだけでは済まない。一人一人がグルメである釣り師のまわりには、少なくとも10人の「連れグルメ」の輪ができると考えられる。釣り人の家族はもちろん、友人知人や時には隣近所の人たちが、釣ってきた魚のおすそ分けにあずかって釣り師と同じグルメになるという寸法さ。

これを単純に計算すると、それだけで日本には2億人の魚料理のグルメがいることになる。これは日本の人口より多い数字だよ。ところがイタリアは1千万から2千万人。人口の1/6から1/3だ。これだけを見ても、魚や魚料理に対する日本人とイタリア人の理解度には、おのずと大差が出てくるというものだ」

友人たちは僕のはったり交じりの論法にあきれて、皆一様に黙っている。釣りどころか、魚を食べるのも週に一度あるかないかという生活がほとんどである彼らにとっては、「魚料理は日本食が世界一」と思い込んでいる“釣り愛好家”の僕の主張は、かなり不可解なものに映るらしい。

記事検索
プロフィール

なかそね則

タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ